参加 

「あんたしあわせ?」
ここはむかしのちんたのひとりごち
いちぶかげきなひょうげんがあるかもんなんで
よまんとすぐさまひきかえしんさい

凶日  阿鼻叫喚のl高速艇でなまこと化す

法被羽織って颯爽と自転車を漕げば雪がちらちらし、外気を吸込めば気道と胸がちりちりと痛むほどだ。最近の私の癖、空を見上げれば星はどうしようもないくらい幼稚な表現のまま、トゥインクルトゥインクルちかちかと輝き、満天の空を覆いつくし私は息を呑み込む。16ビートで身体を震わせ、こみあげてきた小用を思い切りこらえればボランティアの会場だ。ボランティアでは出初め式の準備がメインで、色々と準備だった。テーブルを移動させ掃除機を振り回し、飽きた頃に宴会となった。私に買い出しへ行かされて帰ってきたヤンキー達の鼻が皆赤くて可愛い。ドスの効いた声で「これぁレンジでチンしてきましたぁ」とパックを指差している。刺し身や寿司、コロッケやポテトサラダなんかをつまんでわいわい飲んでいる宴も酣、べろんべろんに酔って帰る頃、私と同期の若手看板屋社長が突然、「明日、四国松山へ行くから付き合え」と言い始める。「ああいいよ ♪」酔っているから2つ返事で引き受ける。どうせ、なんかコンピュータ系のご意見番でついてゆきゃいいんだろうな。送り迎えで「旅費と食事」は全部持つというから、ま、坊ちゃん湯にでも浸かって帰ろうかにゃ〜、んであそこの饂飩屋行ってなんて呑気に旨口の日本酒を冷やでぐいぐい飲んでいたら記憶が無くなった。ぐらぐら揺れて自転車漕いだような、途中絶対に廻るはずの無い天井やトイレのドアがぐるぐる廻って誰かに怒っていたような記憶と日清「どん兵衛」を湯を沸かしてちゃんと3分くらい待ってお汁の一滴まで奇麗に食べたような記憶。気がつけば朝。約束前の9時で慌ててシャワー浴びる。しかし寒い、気分悪い。雪が積もる中、同期の社長が4WDのライトバンでやってきて「頭が痛む」と私に頻りに言う。私は「気分が悪いのだ」と言い返す。「飲み過ぎたな」と言い合い反省猿と化す。船は高速艇で85分間の船旅。しかし、車から降りてびっくり、風が凄い、海が凄い。波の高さ1.5m超。どっかんばっかん、どしゃんばっしゃん、それはもうこっ酷く荒れ狂い、私は運行の様子を恐る恐る港関係者に聴く。途中波が荒れ過ぎていて港に着けられなかったとか、フェリーが流されたとか、しかしちょっと遅れるくらいで大丈夫さ。と船員帽子の男は笑うが私は寒さと二日酔いの前兆で笑えない。やがて船は5分遅れでぐらぐらしながらも結構なスピードでやってきて桟橋に着いた。乗り込むや否や後ろのアメリカ人が煙草吸い始めて腐る。揺れの少ない後部座席は喫煙席というチョーど田舎的設定。移動しようにも禁煙の前座席は揺れが酷いので誰も座らないし、しかもなんか人だかりが出来ているので見てみると、船が余程暴れたらしく前ガラスの一部が振動で割れているのであった。よって前の禁煙席には行かないでくれとのこと。紫煙が前席に向かって流れ行くその先は、、ぐわんぐわんと船はやがて出港。やはり、というか想像を超えるとてつもない揺れと、はっきり言って、ぶつかる、飛んでは落ちる、左右に45度づつそれも傾きながらと繰り返す85分は長かった。途中、無理して飲んだ「うま茶」はあろうことか飲んだその10分後、その入った場所から突然の吹出の傾向急遽内圧上昇○×@げっ緊急発進緊急避難□▲◎爆発したことは言うまでもない。社内は静かな阿鼻叫喚地獄絵巻さながら、もう思い出したくない。

平日  シンセンの空

再び香港経由でシンセンに居る。今回はプログラマーを多数採用している会社を訪ね、雇用のコネクションをとることが目的だ。HolidayInの部屋には ADSLルータを経由した10BASETがさりげなく配備されており、簡単な中国語と英語のマニュアルがあるために、早速接続してみる。メールは受信のみ OK。URLは分からないが入れるトコと入れないとこがあるようだ。電話は日本のそのままの番号で繋がるという利点を重視してグローバルを使っているが、日本からの電話は3回に1回の確立でしかかからない。これは中国の幹線自体の品質の悪さか。数社を尋ね今、一息入れているのだが、シンセンは今年最後の寒波だとかで、予想気温を遥かに下回り、30度の最高気温は15度、おまけに雨模様あるいは曇り空といった具合で私の心模様と同様で始終身体を震わせていた。結局シンセンの関係会社に仕事を回し、その利益を配分という形で手を打つ。私の役目はアウトソースするまでの仕様のチェックや概略の見積。長い間プログラマーからSEとしてやってきた経験を買われての副業。人当たりが悪い中年で偏狭を売り物にしている孤高とタフと気障を気取るリーマンのちょっとした人生の遊びだ。バンド仲間は現地妻に会いに行くのだろう、とか冷やかすが笑って否定しないことにしている。しかし、私に(おっと迎えの電話、本国で続き)女性を買う趣味はないからご理解願いたい。中国では相手先の社長が用意した20歳の小娘をお帰り願う苦労を上海で延々した経験もある。ホテルから帰されると雇用元からの問題があるらしく、なかなか帰らない、英語も日本語もも分からない彼女は、今では10語位は知ってる今とは違い全く中国語を知らない私が何か怒っていると勘違いしたらしく、しきりに私の機嫌を取るのがいじらしく、胸が痛かった。結局小銭を渡してお帰り願ったが、今のようにグローバル携帯を持たない私は正直、正直困っていたのだ。女を買う男は塵である。さて、仕事は相手先の会社を尋ね、紹介とコストの折衝。握手と見学と会議の繰り返し。自分が何をして何をしたいのかを確認しつつ、自分が自分の為に何をするかが分からなくなる瞬間。胸が脈打ち、右足がぴくりと痙攣する。それでも、相手先といくつか晩餐をし、ビール、米酒を飲みつついつの間にかホテルで眠る夜の不思議な夢を見る。夢は脳みその遊び、眠った身体を支配しつつも、余った能力が記憶の引き出しをランダムに開きながら自分勝手の物語を作り遊ぶと言われている。自分勝手とは言ったがこれは私の言う普通の自分勝手ではなく、意思の無い、睡眠状態での自分勝手で、言わば自分であり他人の人格(あああ、メール入ったんで休憩)

凶日  立ち止まることなく

2003 03/18 シンセンの続きを書こうとしたけど中国から帰ってぼーっとして、色々な忙しさに塗れていたらふにゃふにゃと気力が失せてしまった。頑張って頑張っていざ臨んだら、我が巨砲ふにゃふにゃ。そんなこんな例えが悪かったが、夢の理屈はまた今度。夢は脳の遊びが生み出す物語のはなしです。さて、日本へ帰れば山のような仕事とメールの洪水。メールの返信だけで午前中が潰れた。打ち合わせ、会議、弁解、出張、後悔、会合、懺悔、反省、嘔吐、お決まりの二日酔。一日中喉が枯れる程人前で話したり、一日一言も話すことなくモニターに向かっていたり、そういった生きているのか流されているのは分からなくなる瞬間、怯えの構造そのまま、立ち止まり、振り返ることなく、足元の深い淵を除きこむことがある。止まっちゃ駄目だ。止まっちゃ駄目だ。もう一人の自分が訴えるがもう遅い。私は絶望と孤独が一度に訪れることをお馴染みのカウンタに腰掛けるように感じ、いつものように声を出し、目を閉じる。いつだってそうだ、突然やつはやってくる。山手線に乗り込む瞬間、中洲で横断歩道渡る瞬間、上海でトイレにしゃがむ瞬間、ススキノのバーでドア押す瞬間、基地近くのライブハウスで練習後車に乗り込む瞬間、会議を間違え一人広い会議室で居眠りする瞬間、どんな時だって声を出して私はつい立ち止まる、横断歩道だろうがエレベータ乗り込む瞬間だろうがお構いなしの立ち止まる、痛みで身動き出来なくなり、呼吸が止まる。だから危ないったらない、そう、分かりきっている、そう、誰だって知っている、直ぐそこに奴は何時だって居る。ひと時息をこらえ、呼吸を整え、多分10歳程老けた顔になってしまうままの私は、花粉のくしゃみ一発、鼻を垂れて、ぐったりともう一歩を踏み出す。そんなへとへとの日々。夜はバンド練習、ライブ、宴会が待っていて、忙しいが、ふと一人になる瞬間、やはり星を眺める瞬間、テロ以来闇夜を照らし出すサーチライトは基地の街独特だが、そんな夜空を眺めたり、足元に流れる川面を眺める瞬間。やはり、やつは私に囁く、ほら、そこにもあるよ、何時だってやつとは表裏の関係。ふう!。私は長い放尿を一発決めてコンビニでハーゲンダッツを買うのである。ハーゲンダッツのアーモンドチョコバーは時折食べたくなる一品。特に酔っ払いの一人歩きん時によく食べながら立小便するシーンが多い。しかし、あのバー甘いから大概途中で放り投げる。ああ、訳分からん。そんな私。ベース弦張りかえて、うんつく練習に励むうちに指が腫れて夜も眠れなかったり、元CAROLのリード内海のブルースバンドを勉強だと聴きに行き、気が付けば朝だったり、空のジャックダニエルを眺めているうちに眠ってしまって決して若くは無い中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンは加えてタフを気取るのであるが、見栄っ張りなだけ、ココロの奥底、身体の節節では色々なダメージを蒙っているようだ。今朝は久々に暖かく花粉も強烈で参った。ゴーグルもマスクも忘れて酷い目にあった。つーか、そういや大陸に花粉は無かったな。香港にもまったく無かった。緯度がかなり違うから季節外れなのだろうが、飛行機を降りて全く無い事に気づくことなく、再び福岡空港へ帰ってきてくしゃみ一発で、そういや!と気づくのも間抜けではある。中国行きの前の東京出張では羽田に着くや否や大量の花粉の気配で鼻水垂れ流しくしゃみ10連発で薬局へ走った。花粉症は30代の半ば、煙草を止めたらきっちりと始まった。何かを止めれば何かが始まるように、とある日に雪残る山道をドライブしていて、花粉がぶわぶわ舞う中を窓全開で走っていたら始まった。(あ、会社行かなくちゃ)

吉日  己の曲がらない指を睨みつつベースを抱きつつビールを舐める夜に

中国の副業から帰り、本業の仕事に追われるうちに今度はライブの日間近になった。回帰性リウマチと診断された私の指は毎日の練習でこわばり、むくみ、朝は曲がらないが夕刻就業後にベースを弾いているうちに楽になるから不思議な指。病名「回帰性リウマチ」はいわゆるリウマチではなく、ただ、使い過ぎれば腫れるから、痛ければ休ませれば良いという程度の病気だが原因ははっきりしない。どう視線を変えてもカツラの気になるリウマチの名医には1回/年で診て貰っている。名医はデブで眼鏡で禿げでカツラ。殆どお笑いの世界だが、名医というから仕方なくお付き合いしているデブ嫌いの中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンのこの私。道端にウンコらしきものが落ちていて、観なきゃいいのについ、みてしまう。ウンコかしら、そっと嗅いでみる、ウンコのような匂い、ちょっと触ってみる、やっぱウンコのようで、ちょっと指についてのを舐めてみる。ちょっとほろ苦?ああ、やっぱりウンコじゃったか、あああ、踏まないでよかった♪つーのは若き日のBタケシのネタ。おっと、指じゃった。私の困った指、ほっておいてもリウマチに移行することは無いというから心配はしてないが、なにせ面倒というか痛いのが辛い。曲がらなくなるのが辛い。痛いほど硬くて、太く大きくなって「うふふ」なんて奥方に喜ばれるでっぱりもあるが、アマチュアバンドマンのしがない指の話じゃしょうがない。この指で今の状態、ベースなら2時間が限度だが、メンバーには心配されたくないから誰にも話さい。言ってもたかが泣き言だ。2時間といったらライブであれば2から4ステージ、ワンバンのディナーショーなんかだったらワンセットだ。今回は10曲ほどで50分弱だから、個人練習で一通り曲を流すだけで1時間だから2クールやれば2時間になる。それで普通は一杯一杯。だけど練習は流すだけでは駄目。下手糞な所は繰り返し弾く必要も有り、よそ向いて笑いながらでも弾けるまで弾きまねば本番ではしくじる。だからぷくぷくべんべんぼぼぼんぼんと弾き込むそんなあくる朝は間違いなく激痛。とにかく巧く付き合うしかないのは、意地の悪い頭の悪い女と付き合うのも同じ。痛みもあれど癒しもあるのが恋愛の常。しかしゴールデンウイークには参った。阪神ファンの私、広島阪神3連戦を観戦に行き、メガホンをぶったたいているうちに夕方左手の薬指が突然曲がらなくなった。ぎょっとして思い切り曲げたらキュっと曲がったもんで安心していたら、今度はぱーっと開いたら薬指だけ曲がったまま。流石に気分が悪くなり病院を廻ったが、そんなこんな駄目な指である。そうこうしながらライブは迫り、私は焦り、出来てないというか、ぎりぎりに出来ている完成度低いリフを繰り返し顔をしかめる。2時間で切り上げビールを飲みながら指をマッサージしながらメールに返事を打ちながら眠る。そんな毎日。朝は両手が握れないまま、苦労しつつハンドルをさばき会社へ向かう。その繰り返しだ。痛み止めの薬も効かないまま私の呪われた指を呪ってみるが、何も浮かんで来ない。指を開き、閉じ、ココロを開き、そして閉じる。その繰り返しのまま、夜色々な考え事を整理にふけっていたら今度は風邪をひいてしまい、益々陰々滅滅の夜、指が痛むのをこらえてベースを取り出して弾いてみたら、今度は突然指が動かなくなった。ライブはあくる日、チケットも完売。なのにである。仕事も色々蹴躓いてしまい、ケツまくってみて、ちょっと楽になったが指の状況は深刻だ。喉の調子も悪い。いざ、とあるレストランに楽器セットをしてリハーサル、感触よし、指痛し。とはいえ、ライブ前の気分良い瞬間。さあ小料理屋で食事ですと言いつつ何故かビールをたらふく飲み本番を待つ頃、指は段々曲がるようになり、ビールの酔いがぐるぐる来る頃にすっきり完動するまでに至った。なんとかなりそうだ。回帰性リウマチ用の痛み止めと喉の薬を飲み、皆が「何の薬?」というのを「ちょっと教えられない」と冗談めかし、皆が笑う。控え室で前のバンド聴きながら、そのままぬるいビールを舐めて待っているうちにうちのバンドの順が来た。観客は100人弱、ノリも良い。食事を殆ど終えて飲みに入っているから扱い易い。ライトが光り、ハイハットがカウントし「!」一曲目が始まった。私は両手の全部の指をぐにゅぐにゅまげて準備運動、もうこのまま金輪際動かなくなってもいいから今1時間だけ動け!と念じ、苦手のリフを弾き続ける。神の舞い降りる至福の瞬間。眠っているような興奮が身体全体を包み込み、オーディエンスの拍手と声援で身体全体が浮き上がる瞬間。笑顔で目を見開いた客の顔が間近に見え、私の指は蝶のように弦の上で踊り続ける。

某日  讃岐うどんツアーを終えて腹さすりつつ

都合10店舗、食べたのは7店舗。都合7杯。食べたけど、今回共通して感じたことがある。麺の力は衰えているということである。季節柄の硬さ、湿度から来る問題。いや〜夏はこんなもんや。そうなんであろうか?いや、そんなことはない。気になる大平製麺所のご主人の一言が引っかかる。‥‥昔から足でぐいぐい踏みよったが、保健所が「人様の口に入れるものを足で扱うべからず」言うて急にうるそなりよった。製麺機で足踏みに近い揉む機械を指導で買うたけど、どうしても足ふみにはかなわん。機械メーカーが保健所突き上げよるんです。‥‥なるほどね。そうして機械の持つ便利さと引き換えに麺の命を失ってゆく。しかし、うどんを足でというのは日本の文化である。そんな因縁をつけてゆけば、とうとう最後には麺を手で打ってはいけないということにも成りかねない。嫌な話を聞いてしまったな。ということで、もし、前回、前々回、足で揉んでいた名店が、仕方なく機械揉みに今回変わってしまっていたら、保健所の指導に仕方なく従って、詰まらない機械を買わされていたら、麺の腰が弱くなるのも無理は無いではないか。香川県の阿呆役人ども!このうどんブームがいつまでも続くと思うな。切磋琢磨し、味の追及をしていて漸くレベルがキープ出来るというものなのだ。マニュアル通りに同じものを毎日作っていると、間違いなく味は落ち、客は減る。てめえ等の目先の利益に目をくらまして、讃岐うどんそのものの、レベルを落としてどうするのだ。馬鹿役人め。 讃岐うどんは、平安の昔、弘法大師が若き頃に、唐へ留学僧として渡り、その製法を持ち帰り、父母のために作り、それを伝えたのが始めと言われている。そして全国から金毘羅さんへお参りに来る参拝客が、うどんを食べ、驚愕し全国に持ち帰り、更に広まったとされている。讃岐のうどんは、小麦粉、海水塩、地下水、かたくち鰯、全ての材料が讃岐の地で揃う主食なのだ。 しかし、果たして、文化を、うどんを、駄目にしているのは、香川県なのであろうか?我々にも責任は無いだろうか?県外人とは違い、讃岐人は毎日うどんを食べている。決して名店を探すことなく、近所のうどん屋や製麺所で、普通に買い、普通に食べている。当然、名店の近所の人々だって、近所だから、昔から普通に食べてきた、ところが最近は様子が変わってきている。「中村」では香川ナンバーの車は1台、あとは練馬、品川、横浜、なにわ、岡山、山口とまるで全国へ就職した親族の里帰りである。これでは地元で古くから通う常連さんも、通わなくなってしまっているのではなかろうか?私なら、古い付き合いの店に、県外の行列が出来始めたら、きっと行かないと思う。また、そんなところで常連を威張るというか、気取る阿呆風情にも見られたくは無い。そんな讃岐人に我々は一体どういうふうに映っているのだろうか。うるせーやつらだ、とか私だったら思うけどな。 製麺機を今までは必要無かった製麺所が、導入に踏み切るきっかけになったのは、我々県外人が押し寄せているせいもあるのではなかろうか?機械メーカーに希望を持たせて、保健所を煽る手助けをしているのではなかろうか?ここ数年、るるぶ等の観光誌には、昔なら見つからない名店が普通に記載され、人が押し寄せる。うどんを知らない人まで押し寄せる。そして、知らない人にも、うどんの美味いのがばれてしまう。そうして、リピータが増える。繰り返されてゆくうちに、讃岐うどんファンも鼠算で増え続け、レミングスのごとく瀬戸大橋に押し寄せる。橋はやがてたわみ、今にも落ちてしまう。間違いなく、需要供給のバランスが崩れている、故に巨匠はシステムの拡張へと走るのである。駐車場を広げ、製麺機を導入し、腕を組み、茶髪にピアスの若手職人をじっと見守る。巨匠の残された仕事は「200えん」そういうことなのではなかろうか?我々がそうしてしまっているのではなかろうか。しかし、今回でさえ、もう2度と訪れることはなかろう、と決めた店は増えた。こうやって、振り子が反対に振れるように、やがてうどんを好きな人は訪れることを止め、昔はよかった、と縁台で遠くを眺めるのである。 このうどんブームが静まる頃、讃岐うどんは一体どう変化しているだろうか。今回気になる、ココロに引っかかる店も含めて、やはり毎年チェックという意味でも讃岐には訪れるだろうと思う。橋がたわんで落ちる前に、行っておかねばならないと思う。大平のご夫婦の笑顔にも逢いに行きたいと思う。

凶日  まあおひとつ、血圧は、ほう、おっとっと、ご返杯、尿酸値もですか、いやはやこっちのほうがまったくアレでして、いやいやそんなことは、であっちのほうは、 100がきれるのがやっとで、かみさんがこわくてね、私はγ100でして、じゅけんもあとふたりですわ、いやはや、まあどうぞ、新築ですか、ご立派ですな、わっはっはっはってなこういうリーマンの宴会が私はだいっ嫌いである飲んでも酔えないし自分のペースで飲めないし

男一人の出張で気になるのは朝昼夕の食いもんと、夜寝る前に何処でぐだぐだ飲むか、だ。男一人の食事は何処であろうが孤高でありたい。立ってアンパンなんか絶対に嫌なのだ。朝は大概吉野やバックスなんかで済ます、朝食屋は滅多に無いから、仕方ない。因みに、起きるや否や頭んなかはカツオの出汁が効いたスープで一杯、そのまま立ち食いの饂飩に飛び込む朝は決まって二日酔いだ。時折立ち止まるように食べるさまは、胃袋の内圧を計りながら故、隣にそういう赤い目をしたリーマンが居たら避けることである。そいつは見事な二日酔い一直線野郎であり、下手すりゃ返りゲロをくらう羽目になる。さて、昼は目的地へ着くまでのリサーチで決まる。夜に小料理か割烹やってるような店をチェックしておき、昼はまっすぐそこへ向かう。夜のあまり物が焼魚になったり、結構立派でお得感が濃厚。そういう店で日替わりを静かに頼み、初日にご飯をお代わりする。すると必ずあくる日にもお代わりが来るようになる。店の主人にも顔を覚えられ、数日通えばあちらから声がかかる。だから、そういう一寸夜は高いような店を見つけたら毎日通う。夜も大体そうだ。ホテルまでのルートをチェック。少し高くて落ち着いた小料理を見つけたら、殆ど毎日そこへ通う。でも、私くらいの年齢のリーマンが一人ぼっちでゆっくり食事が出来る店って少ない。大概、てゆーか系の若者が安く飲める店が多いがこれは致し方ない。客層のコアに私が居ないだけだ。さて、今月の出張は東京恵比寿と中国シンセンと下関。まず東京はコンピュータ関係のお勉強、セミナーはきついが夜が楽しみ、六本木に近いんでOFFはライブハウス三昧と決めている。朝食はええと、吉野、饂飩屋、朝食屋色々あるので困らないし、ホテルのクロワッサンもいける。昼は恵比寿に前回の出張で小料理を見つけているので毎日通う。夜はライブハウス目的なんで食い物は、はなから諦めたままバウハウスに程よく近いちゅーか、殆ど隣のハードロックカフェで不味いステーキを食べる。後数日は適当にいきあたりばったりの食事となり、最後にホテル近くのコンビニで少し買いこみ、モバイル開いてメールチェックしながらナイトキャップを決める。六本木では近く青山墓地近くに務める友人たちとの再会もここで一気に済ませる。横浜、埼玉、千葉と友人親族が点在しているので、誰をいつ呼ぶか考え中。さて、中国は例によって副業の出張。香港からシンセンに入り、コンピュータプログラマーを引っこ抜きに行く仕事。で、食事はここ1年行ったり来たりしているからもう中国食にも慣れた。朝昼夜、何処に行っても中華で通すことにしているが、食べ続けて日本に帰ると不思議なことに体重は大概1kg〜2kg減っている。朝も中華バイキングでしこたま食べるのだが、で、一寸考えたら気がついた。中国の食べ物は意外に野菜中心で、結構ヘルシーなものが多い。そりゃ生の手長海老を紹興酒で溺れさせたものや、上海蟹のような高級な食事のあるが、私が言うのは現地の人が日頃食べる食事である。そして、観察しているうちに気がついたが、中国の人は意外に小食なのだ。沢山の人数で、沢山皿を並べて、少しづつ食べて、廻して、喋って笑って、そうしているうちにお腹は一杯になるのだが、日本の焼肉屋でカルビとご飯を一気に頬張り、3噛み、すかさずビールで流し込む繰り返しというような、え”〜!もう駄目お腹一杯!つーかんじには決してならない。料理で良く見るのは白菜のはんなりした煮つけとか、ホウレン草みたいなのを軽く火に通してあるもの、豆の煮物、もやしの炒め物。豆良く食べるな〜、まあとにかく驚く程必ず野菜先行である。ぎとぎとの炒め物は殆ど無い。日本に取り入れられたご飯に合う中華料理は多分中華の代表ではないと私は考えるようになった。ご飯があって、ご飯のオカズとなりうる料理だけが日本で受けて取り入れられたのではないか。というわけで中国出張の場合は、朝はホテルの中華バイキング、昼は会社が手配した弁当か、近くの上海料理屋、夜は都度異なるレストランに行っている。毎回お願いしているのは普段皆さんが食べて居られる食事をご一緒させて頂き、最後の日は現地の人が滅多に行けない高級な店で贅沢三昧をする。ご馳走したって日本で食べる30%程の金額で済む。最後に面白いのは山口県下関の出張だ。SEの私、日本全国に散らばる私が本業で務める会社の、システムを全工場へ展開するプロジェクトでホストを担当しているのだが、有識者を集める会議を各工場順番で廻ることにしたのはこの私。だって何処へ集まろうが会社単位で考えると費用は同じである。で、冬の集まりはフグのシーズンだということだけで下関に決めたのだ。うはははは、強引なのである。下関は数回行ったことはあるが、下関の夜は始めてなのである。楽しみだな。会議の内容は結構辛気臭くて大変なの

某日  バンドと仕事の合間に山口県下関と東京都恵比寿に仕事

下関へ出張、彦島で仕事だ。こだま号にはほんとに乗ったことないので、色々点検してしまったが、内装はひかり号やのぞみ号のお下がりだから、結構立派だ。外はぼろぼろ、中は綺麗なのは古いラブホテルの反対やな。サイデリアはしてあるが、中はぼろぼろ。さて、こだま号が乗り過ごすコトは無い、止まる度にひかり号やのぞみが、しゅわしゅわっと追い抜くから結構な時間待ちがある。新幹線の音を「しゅわしゅわっ。どわどわっ」と表現したのは椎名誠だが、巧い!と声に出して唸った覚えが有る。新下関で寝ぼけたまま乗り換え、下関まで乗り継いで、下関駅で食事だ。美味いもんなんかに巡りあえる希望は無いまま、ついついカツ丼と讃岐うどんのミニセットに引き込まれる。出張先でよく食べる元気メニューだ。しかし、カツは冷凍の出来合いで、筋多し。饂飩も冷凍で、まあまあだが感動は無い。風邪気味を押しての出張ということもあるが私は大体出張先で良く食べるから、大概太って帰る中年で孤高を気取る超偏狭極まる凶眼の私。リーマン生活とバンドマン生活の共存に苦しむ日々なのである。彦島は玄海灘に面していることもあり、北風ぴゅーぴゅーうすら寒く、私はコートの襟を立て北国を歩く椎名誠の気分なのだが、タクシーの運転手は景気景気と口煩いったらない。何処へ行ってもタクシーは決まって景気の話だ。努力のしようもない、タクシー業界。ええ話しないすかね?そんな男は死んでしまえと何時も思う。努力しないで、良い話は生まれない。崩れた、人生に疲れた、塵に近い匂いのする男達。仕事は私がリーダーを努めるシステム系の仕事。都合4時間ぶっ通しで喋った後は、喉の痛みと極端な肩こり、疲労が一気に押し寄せてきた。ああああ”、目が目が霞んで見えない。私は極端なドライアイで、瞬きを2時間でも3時間でもしないまま過ごせるという特技があるのだが、ちっとも自慢にならない。瞼が乾いたまま話は終わり、次回の開催地を決め、まあまあまあ、と決まりきったように宴会へとなだれ込む。流石下関。決まったように河豚のコースが出て、あれよあれよと言っているうちにヒレ酒のお代わり合戦が始まった。河豚は普通、天然と言ったって、手年の稚魚を大きく養殖しても天然だから、殆ど養殖のトラ。最後に雑炊が出るまで、延々ヒレ酒。ヒレ酒のお代わりというような習慣の無い私たちはそれでも、以外に美味いその酒をちびちびと飲んではお代わりを続け、最後には完璧に酔っ払ってしまったからさあ大変。どんぐりころころは「どんぐりこ」ではない、その続きは「どぶりんこ」である。どぶりんことお池にはまって。さあ大変なのである。あで~?えへへ?。此処はどこんこんこんこん(エコーかかる)。タクシーで帰路に着き、新幹線の駅に移動する前に待ち合わせ時間が15 分もある!等と言いつつ大阪、大牟田、山口のメンバーと慌ててビアホールへ、ジョッキを煽る。ウエイトレスがチョコのお盆を持ってきて、お好きなチョコを ♪なんて言い。私はビールにチョコとは何事じゃと怒り。初めて今日がバレンインの日であることを出張先で知る。因みに、私も想像のとおりバレンタインに興味は無い。初チョコが若いネエちゃんじゃ!と喜ぶのは大牟田組。笑顔で別れ、新幹線でぐっすり眠り、、、気がつけば朝だった。一息入れて空港へ移動。そういや、飛行機に一人で乗ることがはじめてであることを知り、少し怯む。高速道路を150〜170km/時で走るのは違反ではあるが、何時もの習慣。ストレス解消もってこいじゃ。パッシングしつつ右ウインカ出しっぱなしで、右レーンを突っ切る。よって思いも寄らぬ早めの到着、空港の駐車場はがら空きだ。さて、何回も言うが私が高所恐怖で飛行機嫌い。高いの狭いの怖いヨ〜の私である。だからレストランに入り、蛸刺しや小鰯を食べつつ凄いペースで生ビールを煽り、乗る頃には完全に酔っ払ってしまった。ぐーぐー眠り、ドスンと着けば目の前はスチュワーデスのお姉さんの書きおき。関西ではスッチャデスっつーその昔、憧れの美しい姉さんがたも、今ではリストラとプロパーの採用で最近は居酒屋かいな?と見まごうこともある、おばさまがたであるが、そのことはどうでもいい。起きてたっておしぼりとオレンジジュースくらいのものだ。到着するも、延々飛行機は走る。相変わらずベルトサインを無視する日本人、私もついつい立ち上がるが、滑走路で降ろされ、更に延々バスで移動は羽田の常。それでもへとへとのまま、あたふたと。羽田からモノレールに移動、突然の目のかゆみとくしゃみで花粉のレベルの差を知る。流石にコンクリ地獄の大都会。雨で流れても地面が無いからまた花粉は舞い上がり、その数は減るコトは無いという。花粉の増え続ける大都会。五反田へ投宿したのは夜もふけ行く寂しい時間。いつもの、マンションのようなAホテルで寛ぎ、シャワー浴びて20m移動。いつ

凶日  一度でいいからTVを消して1週間暮らしてみることです

TV新聞はある意味情報操作されたメディアであり、今はなんとか自分から情報を取りに行く時代じゃ!とか訳分からん宣言をして早や3年以上。TV新聞を見ない読まないまま、な〜んも困ることなく、毎日を立派に生きている、ある意味ロビンソンクルーソーの中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンのこの私。大事なのは本当にメディアが垂れ流す国民に一律共有させようとされているそれらの情報を必要としているか?に気づいているか否か?ということだ。経済評論家とか、大企業の重役ならともかく、本当に経済情勢や政治情勢なんか知る必要はあるのだろうか?。人が人を殺した人の話や、繰り返される政治家の悪事、TVへ出る方々の行動のいちいち、自分の能力の限界を知ったある日、面倒だから、そういった一切の情報を断ち、仕事以外の時間=オフには好きなコトだけをして、好きなものだけを見て、好きなコトだけを考えて過ごすようにしたらぐっと人生は楽になった。人間の好き嫌いを明確にすることは苦労が耐えないが思いも寄らずメンタル的には相反しそれ以上に楽になった。やれオリンピックが始まればそれ、柔道なんか知らない人たちが柔道について熱く語り始め、ウインブルドンならパッシングショット云々。皆が共有する情報で井戸端会議を繰り広げ、置いて行かれていない自分を確認する乞食根性、あああ、面倒なのである。趣味は年間通して確定してほしいと思うのである。自分の人生を生きてほしいのである。自分の人生を確認するのは簡単だ、TVのコンセントを抜いて1週間暮らしてみるとよい。本当に自分のやりたいことに足が向けば貴方は救われるが、する事が無くなればあなたは貴方のために生きて居ないことに気づくべきである。本当に柔道が好きな人は一年中追っかけりゃいいし、ゴルフもテニスも水泳もスキーも自分でしっかりとすればいい。その上で興味あるプロや世界の頂点の演技を見れば良い。観て、勝手に感動すりゃいいと思う。みんな仲良くこれ流してりゃ国民はOK程度のTV全員で見て、新聞で同じ内容を確認して、仲良く話せば良い。だが、わたしはそんなへいへいボンボンの皆を斜に見て喜んでいる訳ではなく、関係ないと割り切っているだけなのだ。どっちも正しいとは誰も言えないマスメディア議論。だけど、悪いが情報は無限にあり、少なくともメディアは取捨選択して、国民レベルで興味をそそるものを流していることは確かではないか?。私はちょっと人よりPCに向かう時間は長いが、そしてちょっと楽器に向かう時間は長いが、きっと誰よりも充実している。TVを消してご飯を食べて、鼻ほじって手足の爪を摘んで、あくびをしたら何もするこの無い人、子供の手が離れたら何もすることの無い人、旦那が単身赴任になった途端何もすることが無い人、たちまちご自分のやりたいことを見つける事である。何をしたいか分からない途方に暮れていた青春の苦悩を思い出すのである。風が吹いても硬くなったちんちんをしごく思い出だけの貴方、阿呆のように片思いで胸一杯に貴方、貴方はきっとその頃、何かがしたくて、でもなかなか掴めないで、でもその何かに向かって、力いっぱい夢一杯に生きていたと思うのである。

凶日  馬鹿と言われて腹がたつようであれば貴方はほんまに馬鹿かもしれない自分を見つめなおすことである

メディアはフィルタであり、その向こうには無限の情報がある。地球の裏側で羊が子供を生み、ガンジスは焼けてない死体を流し、黒点が動けば地軸に向かって上下対象にオーロラが光る。そう、何億光年の彼方で星がまたたけばそれだって情報なのだ、お日様があがったね、ぱちぱち、それだって情報。あとは何が面白いか何が重要か、そこでマスメディアが登場するのである。で、TV新聞を遠ざけて見ろとお話したが、勘違いしてほしくないのはTV新聞の情報は必要無いとしているわけではない。ニュートラルに生きる為に必要な情報はTVをつけておけば簡単に手に入るから、天気予報を見て傘を鞄に入れれば良い。消して暮らせは見つめなおせあんたの人生という余計なお世話だが本当に余計なお世話だと思う人は馬鹿と言われて怒る馬鹿だから速攻ご自分のHPに逃げ帰り息を潜めることである。逃げも隠れもしない我が人生そのままのHP。こんなコト書いてると結構なお叱りや叱咤、罵倒、色んなメールが入って来るが私はちゃんといちいちきつく返答することにしているから要注意だ。な〜んてね♪。で、情報についてもうひとこと。よくネットで無限の情報が入る!と信じて疑わない人が居るが大馬鹿たれだと思う。全ての情報操作は有限である。確かにネットで見つかるものは多いし、私だって何処へ行くにも飛行機であろうが、高速であろうが、宿泊先から何から何までネットで検索し、ネットで予約し、行き先までP-in付きのパソコン持って、お気に入りのライブハウスをチェックする。しかし、勘違いしてはならない。営利目的で経営しているが故、ネットで見つかる。呼び込みがあるキャバクラと呼び込みの無いキャバクラの違い、いやんいやん訳分からん。言いたいのは「本物」は決してネットではフックしないということだ。ネットデビューする必要のない大事なものはネットで見つからないのは当然なのじゃ。最後には自分のネットワークと、ご自分の足と目が見つけることが多い。故にネットで見つからないから、この世には存在しないなどとは思わないように。つーのもあれだ。あああ今朝は頭いてえな。昨夜っつーか2時まで飲んでたのだ。TV新聞見ないからって、パソコンで観れば良いなんて画面にばかり向かっていると、勘違いしてしまうのはネットで全ての情報が手に入ると思い込んでしまうことである。これもよくあるっちゅうか、私がそうなってしまっていて反省の経験。娘達が話している「ああー!どばどばっときちゃったよおい、生理」「うちは昨日からじゃ腹痛てえ」二人揃って始まったらしい。私「生理って移るんか」二日酔いで声に元気が無い。誕生日の今朝方2時まで飲んでいた自分は誠の馬鹿である。

凶日  わたし馬鹿であるから死ぬほど飲むんだと思う本当そのあくる朝は死ぬかと思うもんなあってひとごとじゃなくて

友人達と新年会をやったあくる日は、飲みながらは絶対に想像していない、しかし毎度毎度の想像通りのナマコ姿。目は開かず、声にならない声をあげ、布団の中で後悔のおならでむせる朝だ。判っちゃいるけど止められない!スーダラ節で笑って効かせる植木等は孔子の教えをこう聞かせた。えらいもんである。許してくれるおおらかさ。像がヒップホップを踊る頭を抱え、耳の中で営巣するスズメバチを追い出す。胃袋には何も無いようで嗚咽の予感は無い。出来るだけゆっくりと呼吸をし、寝返りをワルツでうち、己を数万回呪い、楽しいことだけ考えようと務める。そっと、そっと、胃袋の内圧上昇を踏まえて、そっと、そっと、水分を補給する。アクエリアスやピンクグレープフルーツジュースが二日酔い時の私の好み。普段は最近中国茶。中国へ通ううちにすっかりと、お茶党になってしまった私。数十年お茶しないまま大きくなった私。食べ物を食べるのに喉に詰まる事は無い私。その私はお茶を飲みながら食事をする事が無かった。飲んで賭けダーツで騒いで、最後に皆と分かれ、友人が経営する居酒屋で店が閉まるまで話しこんだコトを思い出す。777gのステーキランチを完食すればタダっつーのを近所のしけたホテルのダイニングでやってるから、行きましょう!というから0.5秒でOKと返事した。そうそう、負ければ1万円だって。250gクラスの肉を3枚食べるイメージをしてみるが、何をやっておるのだ馬鹿なわたし。二日酔いの身。2時帰りのきつくも厳しい身重なのだ。うげげげ。それでも幾度にも分けて水分を取り、ワルツで数万回そっと寝返りをうち、数十回の排便でなんとか午後には楽になった。シャワーを浴び、ネットに繋がらないというバンド関係者のパソコンを診に行く。色々やって一応OK。その足でラーメンを食べに行く。二日酔い、ラーメン、入浴、完璧、晩酌、へべれけ。流れるような相関関係にある、ラーメンに突入する。近場にはまともな店は無いが、なんとか頑張っている可能性を秘めた店へ、黒豚とんこつの広島風とんこつ醤油。しかしまだまだ、65点。ばあさんには悪いが、能書きは結構なもんだが、どうしようも無くは無い歯がゆさだ。いつか全部残した時には店の主人が追っかけてきて、つい口を濁したが、あの時にはとっさでびっくりしただけなのだ。だから、つい体調不良と逃げたが、飲めば判るはずなのに、判らないというのはどうしようもないかも知れん。コクないのにキレも無い。仕方なくおむすびを2個ラーメン汁にじゃぶりんこっこと浸してから、さっと食べる。あぐあぐあぐ。店の人びっくり、しかし、不味いもんは不味いよ。歯に挟まった葱をしゃきっと噛み砕き、曲を聴きに防音室へ行く、新曲2曲、少し弾いて汗をかき、浴場で頭のてっぺんから足先まで綺麗きれいにする。誰も居ないから少し泳ぐ。あああ、これで完璧じゃ。二日酔いだった、さっきまで深く深く反省しておったわたくしは何処かへ出かけて行き、おらおらおら!と威勢の良いおいらがやってきた。そのまま、ライブハウスへ直行すべくその日は、その二日酔いのあくる日はなんと、ライブハウスで新年会なのである。うちのバンドは急な通夜が舞い込み、ギターとドラム不参加ということで、仕方なく残りのメンバーと友人の米人で、今朝まで飲んでいた居酒屋へ行く。いや偶然、ボーカルとギターが話してライブハウスの近場っつーことで基地に近いその居酒屋が選ばれたちゅーこと。しかし、朝まで居たのに再び行く私は恥ずかしく、マスタもママも目を見開いて笑っている。わいわいと英語と日本語飛び交うなか、ジョッキを4杯空けた頃、ライブハウスへ歩いて移動。もうかなりの酔っ払いであるからして、後はもう知らないんである。言えないんである。全員バンド関係者、バンド好きの客。知らない人たち、変な女性。変な男性。みんな楽しそうななか、乱入に次ぐ乱入である。私は寛ぎ、下手糞ギターを弾き、弾けない5弦ベースを弾き、へなへなドラムを叩き、笑い、友を抱き、握手し、知らん異性の指は振りほどき、やがて記憶を失った。気がつけば似非グッチのチョーカーを失ってた。よちよちと車の来ない道を歩いて帰ったかな。沢山の星を眺め、丸い背中が凍えるまで川面を眺めた記憶あたりは鮮明である。サーチライトはぐるりと夜景を照らし出し、私はテロ対策のヘリコが飛ぶその日本の空と、橋の下を流れる川面を交互に眺め、良い気分だった。ワンと吠えて骨を落とした犬の話の続きを考える。オチが華々しくなく、声に出して笑う。言いきれない寂しい気分でありながら、それでも、きっとオレは●▲なんだろうという諦めに似たやりきれないもどかしい気持ち。おっと、この先には深い、暗い覗きこむことを禁じている淵がある。私は気を取り直し、長い放尿を1発決め、時計を眺める。ああああ、再び時間は2時。間違いなく昨日よりもっともっと酷い

吉日  あなたはあなたのためにもいきているですか

大事な事は「自分の為に何かをやっているか」と言うことだと思う。他人の為に生きることは、一見難しい、なんだか見上げた人生のようであるが、これは実は楽である。馬鹿のように尽くせば良いからやり方は誰にでも思い当たる。自分がして欲しいコトをし、相手が喜んだことを繰り返し、、、。しかし自分の為に生きるコトはこれが難しい。なかなかそう生きている人は居ない。見つからないことで悩むことになる。楽なのは本能の赴くまま、彼女に旦那に子供に、尽くして生きるコトであるが、それは流されている人生ではなかろうか。そこを私は言い続けているだけなのだ。人類は遺伝子を永遠にリレーし続けるために色々なプログラミングで生きている。次々にやってくる新種ウイルス等の外的から身をまもる為に、遺伝子同士を結合させ、新しいパタンを作り出そうとし、新しい遺伝子を命をかけてまも守ろうとする。これは本能であり、恋人として、親として、子として、色々な役割でプログラミングどおり生きている。だから私はいつか、けっ結婚をし、子供を育み、家を建て、ふと気づくと自分ひとりで生きる意味を考えた。いや、配偶者とか子供とか家族とかそんなんじゃなく、自分の人生を歩んでいるか?仕事を家族を除いた時に自分の人生は何処にあるのか?に思い当たった。それからは苦悩であった。行きつくところで、私は深い淵に佇み1.5年の間人を避けた。毎日毎日、同じカウンタでただ黙る人間を演じ続けた。自転車を漕ぎ、ビールを飲み、眠った。医者は正常ですと言い放ち、私は正常だと思い込もうとしたが、どう考えても、私は異常な目で1万回転の独楽が頭の中を振動させているような不快感で一杯だった。ただ、飲んで眠り、仕事で胃を痛めた。私はやるべきこと、目標を失うことがこれほどに辛いとは思ってもみなかった。ふつふつと沸きあがる、どうしようもない欲望も失っている気がして私が怯え、それから長い年月を経て、私は結局バンドや面白い友人に囲まれて生き返ったが、それでも私は思うのである。私のための今の目標は確かか?得られるものか?棚の上の夢じゃないだろうな?頑張れるか?射程距離は程よいか?それが大事なのだ。家族や貴方の大事なものは守って生きるコトこれ当たり前、そこから、更に!私のために生きる!ということ。目標の無い人生は死と同等であり、本能の赴くままの進化しない猿である。なんてね。今日は、つーか今晩はドライ、休肝日、ノンアルコールなのだからついつい考える事が、面倒くさいのだ。まあ、あまり気にしないことである。人生は長い、しっかりとご自分を考え直して欲しいと思うのである。ご自分を見つめて欲しいと思うのである。自己批判をする勇気を持って欲しいと思うのである。あたってるが故に目を背けては欲しくないとおもうのである。ああ、でももうひとつ思い当たることがあった。遺伝子の交配で人類という種族の継続を図っているというようなコトを書いたが、AIDSはその交配作業で感染を広めた、このことだけが気になるのである。悪魔から人類に充てられたメッセージか、神の黙示録か。なんて、中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンのこの私、決して神も悪魔も勿論信じないから、小麦畑に流行る疫病みたいなもんなんかいね?と考えるのである。

吉日  ライブの合間、大牟田福岡で焼酎に完敗

ホールライブは久しぶりであった。照明さんも音響さんも坊やも人夫も、ズベテ皆がボランティアでやったが、これが結構きつかった。朝8時から起きて 20kgはあるスピーカを6個や、100kgはあるミキサー、マイク、スタンド、ケーブル類を運び、ステージの照明を降ろし調整し、最後に音響のチェックをするころには暗くなっている。色々なバンドが居たが、殆どは客のつもりだからたちが悪いったらない。多分頭が悪い。ギャラも無いまま、清らかなココロで働く我々に色々文句を言うのにも困ったな。極めつけは女ばかりの下手糞バンドに困った。大体、ルックスの良いビジュアルを大事にするようなアマチュアにはろくなのが居無い。ぎんぎんぎらぎらで全員出てきて、リハで音響モニターに散々文句を言い、さて出た音はそりゃもう酷い、歌も酷い。思わず頭を抑えて唸ってしまったが悪気は全く無いこの正直者ものの私。そんな阿呆の相手もしながら、トリでうちが出た。反応まあまあ、エンディングの全員での合唱に観客も喜んでいた。終われば楽器をばらし、照明をばらし、音響をステージを、、。そして打ち上げ。そんなこんな気がつけば朝、驚いてパタゴンの旅行バグに荷物を詰め、ネクタイを用意しシャワーを浴び、10分で出発する。今回、九州は大牟田に仕事が入り仕方なくの出張。先日の六本木とはえらい違いであるが、人塵に酔わないですむという安らかな旅の始まりでも有る。大牟田に泊まれコラ、大牟田で飲もう!という人のメールを無視したまま、福岡駅前の都ホテルへ雪崩れ込む。福岡の古い友人に美味い安い焼き鳥屋を聞き、そのままタクシーの運転手に携帯電話を渡し、直行。運転手若干ど阿呆で言葉遣いが悪く切れそうになるが我慢する。電話で一生懸命場所を阿呆に伝えてくれた友人に感謝。美人の店員の居るその焼き鳥つーか居酒屋で遅くまで飲む。焼酎美味い。地鶏普通。ゴマ鯖美味い。おムスビ美味い。中洲散策後ホテルへ、あくる大牟田での会議に備えホテルでノートパソコンを開く。このパソコンは恵比寿のホテルでビールをこぼし、慌ててドライヤーをかけたら、超薄型のキーボードのキートップの材質はプラスティックではなく塩化ビニールに近く、キーの頭がくしゃくしゃに縮んでまるでキャベツ畑のようになったトラブルがあったがそれを思い出して少し笑う。起こそうとしているバンドのHPをチェックし、メールも読み少し笑う。ビールが足りなくて、仕方なくそのままホテルの冷蔵庫の高いビールを飲むと頭の中が人ごみの屈さで一杯になって思わず頭を抑えた。モーニングコールを何故か英語で頼んで日本語で断られる。枕元の時計には機能があるらしい。面倒くさいな。私はあてどなく何かに怒っているようだ、そしてその怒りに満ちている自分を少しはなれて眺めている自分が眠ろうとしていた。お休みもう一人の俺。まじで声に出すと眠れそうな気がしたが、黙ってメーキングされている窮屈な毛布に足を突っ込んだ。

某日  シンセン副業日記しょにょ1おまえらちゃんと並べよなの巻

おしゃれな焼肉屋の宴会は不味いユッケと不味いヒレ肉でおいらは極端に機嫌が悪いのである。店のコの教育も悪くてキレそうなのであるが、ここは人の奢り、静かにしずかにキレてゆくのは酒の酔いと比例曲線。特上ロース、カルビ、上タン塩、ミノぜーんぶ不味いね。上ホルモン、とにかくホルモン以外は全く不味くてスカのような味だった。間違い無い洋牛。見事なサシも焼けば唯の香りの無い脂身だった。上手い肉は脂の香りが強い。焼けば水分が滲み出て、水分に肉の灰汁が浮き出、不味い肉独特の香りで私は顔を背けるのである。店は極めておしゃれ、客単価も高く、炭火を大事にして高級感を漂わせるその店には軽くフォービートのジャズがかかっているのだが、何せ肉が不味い。酷かった。どんなに綺麗な店でも肝心の肉が不味いのでは興ざめだな。散々通って落としたクラブの美人ママとベッドインしたら、そのドレスのしたからぶよぶよの贅肉が出てきたらというようなそのガッカリ感。箸が伸びないのだ。反してどろどろのテーブルでガスコンロで煙りがもうもうとする街の小汚い焼肉屋に名門が多いのも頷ける。オモニが厳しい顔で焼いてくれるような店もまちがいない。とにかく肉は大量に残し、私は店を出て、何処かで熊本の美味い焼酎をロックで飲んでいるうち次に気がついたら朝だった。慌てて鞄に残りの荷物を詰め込み、シャワーを浴び、迎えを待つうちにどんどん寒気が襲ってくる。これだ!これ!これ!やっぱりね。昨日風邪っぽかったんだな。福岡から香港経由でシンセンへ行く日ちゅうにだ。こういう大事な日に限って風邪をひくのは、行く直前まで休む為に頑張りすぎるから、風邪をひく瞬間を見逃すためだ。仕方ない、風邪薬を4種類詰め込み、腰にホッカイロを二つ貼る。迎えの車はやがて来るが運転する相棒も風邪らしい、ごほごほやっている。こいつもぎりぎりまで無理したのだろう。昨夜の焼肉屋もこいつと一緒。高速道路をひた走るとやがて風邪薬で眠くなり、私は相棒にあまりにもしんどくて眠いから悪いが眠ると伝える。相棒も眠いに決まってるが、私は今から4日間の間の仕事のコトを考ええて少しでも体力の回復に努めることにしたのだ。すぐさま海の神様がやってきて私の目を閉じさせる。お前の落とした鍵はこの鍵かな?ええ?鍵なんて知らない、落としたのは金の斧じゃない?なんて眠るうちに山の神様が車をぐらりと揺らせて目が覚めた。相某の顔を見ると、チューハイを9杯飲んだような顔をし、まさに涎垂らす瞬間。目は上向いている。慌てて相某のチンコを叩いた。棒きれか何か探したかったが急を要する故仕方ない、直に我が手でぶん殴った。早く反応させるのはこれに限る。「なにするんすか!」眠っていたくせに起きて逆切れだ。私は笑って再び眠る。眠い時はちゃんと言えよ、ちんこ撫でてやるからな。冗談言いつつ再び眠る。途中、もう一人の相棒を拾い、相棒1号は2号と話しながら福岡空港へ。私は安心して後部座席で折りたたむように眠る。空港は韓国、フィリピン、タイ、中国、そんなこんなに混じり、JALのカウンタでファーストクラス並の交渉を色々する。フライトは快調。飛行機嫌いの私は風邪薬を麒麟ラガーで流し込み、再び眠る。お絞りとオレンジジュースをシカト、起きると機内食。ビールを頼み、さっさと片付けてもらい、再び眠る。スチュワーデスは後ろの客に手を焼いて、行ったり来たり忙しない。起きるとドスン前車輪が落ちて香港だった。入国手続き、そして、同じ中国ながら香港から出るための出国手続き。シンセンへの入国手続きを済ませる頃にはもうへとへとであった。何せこのアジアの民族は列に並ぶ習慣というような基本的ルールが身について居ないのだ。いらいらしつつ、行列を終えた時には目の下の隈が3重になっている。シンセンで向こうの会社の社長と会い、早速会食。もうなんでも食べられる体質になっているから怖いもの無しだ、青梗菜や白菜の炒め物が美味い。中国に来て思うのは韓国と同じ、とにかく野菜を沢山食べることだ。豆や葉っぱが沢山出てくる。前菜も同じ、とにかくぎとぎとのものは少ない。紹興酒も10年以上のものを暖めて飲むと、フルーティで赤ワインに近い風味だ。ビールは残念ながらチンタオ(青島)。馬しょんビールの中ではまあまあ。飲んでも飲んでも酔わないのはアルコール濃度が低いからで、これは中国へ来る度にめちゃくちゃ飲む都度助けられた。あくる日の二日酔いは絶対に無い。飲んでも飲んでもおしっこになるだけの中国ビール。明日からはまじ仕事じゃい。さあて、冷房のかかったホテルへ帰るか、と時計を見ると12時30分、日本時間は01時30分。モーニングコールを英語で頼んで、ここでも中国語で断られる。私は長い放尿のあと、くたびれまちた。声に出して言い眠りまちた。

某日  シンセン副業日記しょにょ2日本料理は日本で食うべきや俺に刺身なんか勧めんといてくれちうねん

起きると8時。日本時間の9時。喉痛い、鼻水出る、痰が絡む。日本を発つ時の気温は5度、シンセンの気温は20度。すなわち、タクシーもデパートもレストランも、ついでの我々の泊まるホテルも冷房が効いている。つーか、エアコンの調整いじっても「COOL」しかないんはどういうことや!仕方なく「COOL」の設定「32度」で眠るのだが、寒い。風邪ひきさんには寒すぎる。でも、朝晩シャワー浴びて洗髪髭剃りする俺、朝いちのウンコ済ませて、意地でシャワーを浴びる。着替えてTVいじってると再び大腸がべんもう活動開始。もう1発ウンコする。いいやいいや何処でもそうだ。私は朝3回ウンコする几帳面なA型の凶眼で偏狭極まるリーマンなのだ。3回とも色がちゃんと異なるから前日の朝食、昼食、夕食と分かる。あああ、ニラだから。おおお昼の餃子かい!なんてね。朝食は50元のバイキング、米の麺と、お粥とザーサイとオレンジジュース、不味いコーヒーで寛ぐ。相棒はいつもパンと目玉焼き。ネクタイを締め、迎えの車で自転車工場へ行く。車で1時間。車とバイクが交錯するなか、自転車の二人乗り、歩行者がむやみに交錯し、ややこしいったらないのは上海と同じ。轢かれる、ぶつかる、の瀬戸際の力加減を1瞬に判断せねば、だれもが生きていけないと思う。突っ込み、怯み、クラクションを鳴らし、とんでもない道路をUターンする。我々はげらげら笑うだけだ。運転する社長の弟は自慢げにサービスする。工場では中学生が働き、皆悪者に見える現地の技術者と握手する。電動自転車は思ったより早い、アクセル開くとぐいっと走る。価格交渉手こずり、妥協しる値段は日本では売れない価格。仕方ないが一応、手荷物の範囲で3台買い付ける。1台150ドル前後。工場を後にして会社へ戻り、今度は売り込みに来たお婆と対談。足専用の電気ヒータとクッションヒータを進められ、ぼろくそに言い帰ってもらう。日本食の高い弁当を食べて気分が悪くなる、特に鱈のバター焼にマヨネーズがかかっているメインディッシュに怒る。何処の国に行っても日本は理解されていない。日本食は日本で、中華は中国で食べるに限る。船で珠海へ1時間揺られ、結構な時化なので皆押し黙る。漸くたどり着いた珠海のソフトメーカーの事務所はでかく格調高く、うわわ、これは無理無理。とつい思う私。結局プログラマーの引き抜きに近い仕事は無理との判断。港に向かうと船は最終便が出てしまっている後であった。すかさずシンセン行きのバスを探し、3時間揺られて帰路についた。バスの待合ではちょっとした恋愛のもつれか、恋人同士の喧嘩があったがこれが凄かった。おんなは降りなと言い張り、男怒り狂い、女を引きずり降ろすのだがその工程たるや、すざまじい。結局2回のプロレスで女と男が降り、後でバスに残った人々はああでもないこうでもないと言いあっているのだろうが、我々も、きっと女も男を待っていたに違いないと、状況証拠を羅列するのはおいらなのであった。シンセンへ帰ると相棒2が社長の奥さんとともに宴会場でよっぱらっており、我々も飲み放題のその日本料理屋で急いで飲んだことは言うまでも無い。食べ放題、飲み放題で100元。へべれけでホテルに帰ると電話が鳴り思わず「ウエイ」

某日  シンセン副業日記しょにょ3耳に流し込まれた石鹸水はごぼごぼとくぐもった音をさせておいらの耳穴一杯に

目が覚めるといきなり鼻水は溢れて鼻から口へと流れ込み私は黒部第4ダムの崩壊を思い飛び起きる。鼻水はだらだらとまるで春溶け水のように私のほほをつたい、私は「うらら〜♪」と声に出しティッシュを探す。ホテルのティッシュは洗面所にしか置いてないのはラブホテルと異なるところ、当然コンちゃんもないよ。洗面所まで氷柱のような、ブランコのようないなかっぺ大将のような「どぼじでどぼじで」ちゅうような鼻水長く引きずって私は小走りなのであった。風邪薬をカッコントウからベンザブロックに代える。朝食はお粥、平打ち麺の鶏がらスープ&青梗菜、ソーセージ、パイナップル、紅茶。朝から買い出しに行く。日本で売れそうな雑貨のリサーチと実際の買いつけ。雑貨屋をへとへとになるまで歩き、疲れた頃にバッタもん屋を尋ねた。地下の倉庫へ従業員用のエレベータで行き、「山」「川」つーみたいに合言葉と囁き、その汚い倉庫にそぐわない鍵を開ける。中へ入るとLVから始まって何でもある。無いのはEルメス系の高級皮製品だけだ。韓国は革強いからWルメス結構あったが、C国は基本的にビニールだからLVとPラダが基本だった。LVの2003年システム手帳を7冊買う。 1冊大体700円。同行の友人達はポーチや、旅行バグを買っていた。いずれも当初の言い値の1/4くらいで購入。そのまま歩き回りどんどん購入。昼食をはさみ。マッサージへ。まずおしゃれな美容院のような店。頭を洗いつつマッサージしてもらい、頭が3回洗われるうちに満遍なくマッサージが済み、肩から全身へと広る。特筆は耳穴の洗浄だった。突然、耳穴に石鹸水が流し込まれ、指で押し込まれ、次にシャワーの水が流し込まれる。反対に向き変えてトントンと叩かれ、ごぼごぼと水が流れ出る。聞いてはいたが耳一杯に水で一杯になった時にはちょっと焦った。そのまま、美容院の椅子へ案内。髪をカットしてもらうもいいし、乾かしてセットしてもらうも良い。若いお兄ちゃんが中国語で色々言うが全て「プヨウ(不要)」と言う。お兄ちゃんも薄毛で短髪の髪をどうしたらよいものかドライやの行き場が無いという感じであった。都合1.5時間50元?続いて足裏マッサージへ直行、でもう2時間。ここでも70元弱。気がつけば夜。最後の夜は一寸豪華にという社長の計らいで、SEIBUデパートメントのめちゃ高い中華に行く。それも個室。プラズマTVと応接せっと、トイレまであるでかいその部屋で我々は極端に寛いだのであるが、相棒は相変わらずSEIBUにVイトンショップがあったとか、Nイキでどうこうとか、例によって買い物に出かけてしまう阿呆な日本人。おかげで乾杯が出来ないまま、こ1時間待たされる。社長の奥さん怒って食べ始め、おいらも少し怒り、それでもやがて阿呆な田舎者の相棒呆けた笑顔で現れ場は和む。散々食べて中国名物のカラオケへ行く。社長も奥さんも一緒でショーパブ形式のバーでビールをかざし、カラオケの部屋でさいころ賭博をやる。最後にさいころでビール一気合戦をやって気がつけば2時、日本時間3時なのであった。ホテルへ帰り0.5秒で眠る。山の神が起こすのを海の神が蹴飛ばしている。昨夜の電話はとぼけていた、「消防車庫の鍵がないんよね」だらだらと話すので「オレ今中国なんよ」。「なん?」面倒なので電話を切る。AUのグローバルはそのままの番号で何処でもかかってくるからいいのだが、中国は受ける方も料金がかかるという仕組みだから油断ならない。中国ではカラオケがブームである。今回行った2次会のカラオケはショーパブとボックスのビルだった。ちなみに、このカラオケ屋では女の子が100人位居て、皆が目配せしてくるが、そのうち半数くらいが、売春をするというから驚いた。中国では女を買いにカラオケらしい。床屋やマッサージも半分以上が怪しいのだそうだ。因みに俺等は用事が無いから顔だけ拝むが、なかなか見事な美人が多くて再び考え込んでしまうのである。街行くギャルは上海も同じ、決して美人は多くない。しかし、一歩歓楽街へ入ると、美人だらけなのだ。仕事の無い中国。少しでも美しい子は夜の仕事でよいお金を手にすると言う。何処にでもあるお話。しかし、おいらは女をSEXを買う趣味は無いし、お金があるなら楽器につぎ込むのである。「ニイハオ」笑顔で交わし、会釈する。「プヨウ」断りつつも笑顔で交わし。

某日  シンセン副業日記しょにょ4もう帰るんかいとはいえもう帰りたいんも確かよね

朝起きていつものように散歩へゆく勇気が起きないのは日本から引き継いでいる風邪のせい。毎回、出張先の習慣として最終日早めに起きてあてどなく散歩し、その空気をこの記憶へしたため、そしてこの日記にしたためるのがおいら流。でもね、今回はちと辛い。勘弁勘弁、うんうんと頷きながらじょろじょろおしっこをして布団を更に羽織りもう一度眠る。電話が目覚まし化して鳴っている。起きると雨が上がり街行く人は忙しない。そうなんだよなあ、今回の仕事へ殆どが雨に祟られている。凶眼で孤高を気取るリーマンの私、傘が大嫌いだからささないのだが、今回も傘はささなかったとはいえ濡れたくないのは真実やから雨が上がるのは嬉しいにこしたこたあねえ。バグに荷物をぎゅうぎゅう詰め込み、朝食に向かう。麺は米の麺を選び、具は肉団子と白菜。お粥を食べつつ玉子焼きも待つ。中国のコーヒー飲めないから紅茶にミルクで英国風じゃ。チェックアウトし、香港へ直に入れるよう車をチャージする。荷物は多い。自転車3台の箱は凄い。観て皆が笑う。社長と従業員に握手で別れを告げ、手を振る。香港までの道筋は料金所のような入国手続きを済ませ、係員に顔を見せてパスポートを受け取り、荷物のチェック一切無しのまま、ぶいっと走るというようなものだった。実際に我々が手荷物持ってシンセン〜香港経由で手続きすれば荷物だけでも大変なこと、行列行列、へとへとになって怒り狂う私がハイジャックでんとも限らないのであるが、今回はそういうことでらくちんなのである。前回、シンセン香港を回った時には信じられへんような手続きしかも、字、わかれへんつーよーな辛さ。香港国際空港のバックスで普通のコーヒー飲む。美味いにゃー。ふつうなんやけど、はあああ♪。声に出る美味さやな。エグサンドとツナサンドも普通に美味い。しかしカツ丼くいてえな。手荷物では60kgのウエイトオーバーでJAL のマネージャ揉め、結局手荷物を2個自分で持つことで事なきを得、引きつった笑顔の美人マネージャはおいらをじっと睨むのであった。フライトは快適、飛行機恐怖症のおいらでも平気のヘイだった。福岡空港は寒く、上着を引き寄せる。自転車は3個の箱でキャリーに乗り、私は日本へ無事着いて恥ずかしくも無く嬉しくも無く、食べたいものもなく、車屋が乗ってきたワゴンの後部座席に冷えた身体を滑り込ませる。次ぎは来年かな。たちまちは週末のライブが次ぎの目標や。私は早速後座席で眠りにつくのである。日本では月が見事に輝き、ほぼ満月近いその姿はシンセン見る月とは全く異なって見えた。

某日  何が馬鹿らしいってステージの下で詰まらない人の演奏聞くほど詰まらないことはないステージに上がれるものは上がってナンボである同じ阿呆ならおどらにゃソンソンの理屈

海兵隊と自衛隊の基地に極めて近い地元の小汚いライブハウスで忘年ライブをやった。友達や知り合いのバンドが殆ど全部集まり、各バンド持ちネタを3曲づつやる。客はバンド関係者と一般客少し。しかし私持っている私が歌うメインのVanHalenやるバンドがギター不在で不参加。で、私はもうひとつのDooBieBrothersを得意とする親父バンドで出ることになり、更に急遽結成された加山雄三バンドのベースを務めることにされてしまった。こっちは先輩に頼まれて断りきれなかった。加山バンドは当然加山雄三の年代の先輩がたが青春を懐かしむオナニーバンドそのもので、若大将の映画をココロから喜んで観に行っているこの世代しか理解出来ないバンドでもある。私は加山雄三のあの能天気な声と顔がどうも嫌いで、特にあのくぐもった声が、あの天国があるとか主張するお馬鹿加減が嫌い。つーか私、あの手の長嶋とか、ああいうノー天気にこにこ顔がマシンガンで一掃したいと思う巨人と大鵬と玉子焼きが大嫌いで育った極めて偏狭で狂眼のリーマンなのだ。さて、ライブハウスには三々五々仕事収めを終えた人々が笑顔で集まってくる。やあやあと握手を交わす。私も早々に入って、すかさず出てくるビールのプルトップを開ける。オードブルはほっかほか亭。昔いっしょにやってた女の子も応援に来てくれて歓談。久しぶりに見る彼女は早い更年期障害の兆候に苦しんでいるというような話で、唖然とする。私は自分だけが歳をとっていなうといつも勘違いしているから人が老けると無邪気に驚くという癖がある。というか精神の奥底がガキのままなんであるというか、馬鹿です。はい。ほぼ半数が集まった頃、一発目に雄三バンドのお呼びがかかる。モズライトの加山雄三モデルのギターは20年ぶりくらいに観たが、もうめちゃ親父ちゅうか爺様で頭の毛なんか無いに等しいんだが、流石に30年は弾いているのだろう、結構レコードどおりに聞かせ、客を唸らせるのであった。客層も30〜50代まで満遍なく、早速ジルバやツイストが飛び出してきて、あの手のダンス嫌いのおいらはまじにびっくりしたことは言うまでも無い。この手のロカビリーやオールディズ大好き婆あたちは、何処でも何でもジルバが踊れるし、見境いない。メインのライブハウスのハウスバンドもブラス入れてロカビリーをやり、やんややんや!。「あで〜?」つーくらい、演奏できるんかいな?ちゅうくらい酔ってしまっているが、まあ忘年会やもんね〜♪と自分に言い聞かせる。次々にバンドが出て行き、チューニングをし、トークをし、3曲やり、受けてはアンコールをやり、いよいようちのバンドになった。今回は綿密な打ち合わせと振り付けによりビジーフォー化する予定の我がバンド、ボーカルの風貌を利用して井上揚水を2曲、オチつき振りつきで無事済ませる。客は意外な所でウケ、力を入れて練習した所ではポカンとしているのは予想通り。受けようとしてウケルわきゃない。俺等はコントは慣れてない。さて、その後はアンコールを待たずにElvinBIshopから1曲、とお馴染みのDoobieBrothers からヒット曲3曲をメドレーでやった。コーラスもばっちり、やんやと受けたバンド冥利に尽きる瞬間。さあさ終わった!楽になった!なんて言って新しい缶ビールをぷしゅぷしゅと空ける。なあに演奏前からちゃんと飲んでるくせにね、呑み助はなんやかんやと理由をつけて出来事を特別に仕立て上げ、酒を飲み、酒を換え、乾杯を増やし、量を増やそうとする傾向があるのは万国共通。あとはもう無礼講、ドラム叩きたいやつは叩くし、ギター弾きたいやつはかき鳴らす。ただ、トークしたいやつは私が大嫌いなSだまさしのようにトークで受けている。私はバーボンを片手に会場を歩き、ドラムとギターをピックアップし出来る曲を下調べする。ステージが暗転するのをチャンスにベースを持ちステージに上がる。おおおお!おうおう!と掛け声がかかるのも嬉しい限り。えへ?とか言いつつ恥ずかしがりつつ、はいどーもとMC。ステージは上がったもん勝ちなのだ。ギター二人とドラムを呼び、簡単なキーとイントロとエンディングの打ち合わせ。ワンツースリーでどん!DeepPurpleから1曲でシャウト。神が観て居られる。大好きなEricClaptonから Cocain、これで完全に調子に乗った。もう止まらん!極め付きはJimiHendrix!あああ神様!またやってしまいました。ロッカーの聖域に踏み込んでしまいました。済みません!シャウトシャウト!絶叫に近い悲鳴に近いボーカルの調子も良いにゃ〜!ギターは反り上がり弾きまくり、延々演奏は続き、私はココロから至福の時間を楽しんだ。やっぱりおいらはコーラスじゃなく、自分で歌いたいのだ、ともしみじみ判る瞬間でもありました。仕事も副業も家庭も何もかも全部忘れて、今、このハウスの空気、色と匂い、そして音だけに集中し、私は身もココロもその繰り返される3つ

吉日  しゃんはいでさんたなのうみにおぼれるたび

サンタナちゅうたってギタリスト、ブラックマジックウーマンのサンタナではない。今、なんかMTVで見たら結構元気でやってるサンタナはマッケンローの友人でもあるらしい。さて上海は100mもの8車線道路に数十代の自転車が斜めに横切る最中、100名の歩行者も何食わぬ顔で横断し、その隙間をVWタクシ、しかも数十台、しかも殆どがVWサンタナ、しかもフルアクセルがびゅんびゅん飛ばして行く。夜の100m道路の目の前を歩行者や自転車、バイクがうろちょろし、暗がりから出てくる障害物が見える都度、右足が仮想ブレーキを踏みっぱなしで足がつった。運ちゃんは平気のヘイで口笛だ。昼間は、妙齢の美しいご婦人が道で痰を吐き、中折れ帽子を被る立派な紳士が手鼻をかみ、風で誤ってハナが手について手を振り回している。上海は都会であり、田舎である。高層ビルのてっぺんで1杯が月給に相当するバランタインを飲む30万円のアルマーニスーツのその200m直下で、60円程で買えそうなぼろぼろの国民服を着た無職が7円程の饂飩を洗面器からよそってもらってしゃがんで食べている。ホテルの下では子供達がゴールの無いコートでサッカーをし、公園では後ろ歩き健康法の婆と太極拳、なにやらジャズダンスのようなものや、ソシアルダンスもどきの老人たちの洋風のダンス群、朝から皆元気である。上海は高級に洗練され、美しく、キッチュで、チンケである。その高層ビル群の上海へ、本業の仕事ではないが、副業のお付き合いで上海へネットワーク関係の仕事に出かけた。なあんちゅーて言えば簡単であるが決して簡単ではない。福岡から上海まで1時間30分。JTBやガイドのサポート無しに検疫やなにやらの書類を書いて入国するだけでも普通できましぇーん、で結構疲れた。なにせ殆ど中国語の出来ない私達。相棒は英語も当然おぼつかない。コーヒーのFの発音が出来ないためにコカコーラが出てきたくらいの人間だ。っちゅうか英語はおいらも出来ないが中国は韓国や香港に比べて英語の普及率も低い。しかし、必死というものは恐ろしい、なんとか身振り手振りで色々あっても上海×●空港へ到着すると、仕事先の社長が来ていてひと安心。早速タクシーで延々仕事先の雑居ビル、○△公司に近いホテルで宴会、当然中華、ビール、へとへとで即座に就寝となる。あくる日は仕事場へ移動、社長とクライアントと珍しく綿密な打ち合わせ、社長と挨拶をして別れる。社長は武漢へ移動とか。「え?」なんと。あとは私と合棒と、日本語&英語の全く出来ない業者との仕事になった。でも、クライアントは日本企業。OS環境が英語で助かった。サウジアラビアのWindowsNTなんてミミズ字、右からの入力なんてどうするんだろう。FEPはどんなんかしら?。中国語は FEPを入手して勉強済みだが、肝心のピンインさえままならぬ私達。それでも普通にサーバ環境をチェックし、設定の確認、、ETC。モノ言わず100台ものパソコンがぶら下がるサーバのバックアップやUPS等の設定、日本語マニュアルを作成した。しかし問題はやはり言葉だった。社長が居なくなるとは考えて居なかった私達は、仕事は英語環境のOSにも助けられ問題無かったが。人との会話。昼食もホテルへのタクシも、ホテルでの食事や、街の夜食も、コンビニでも買い込みも、全く言葉の通じないまま、手ぶり身振りと笑顔での日中友好演劇の連夜とあいなった。まあ、まじで、ちょっとだけ辛いのは食事だったが、現地の人が美味そうに食べるのを嫌そうに食べる訳にはいかない。で、食べていると、不思議なことに空腹も手伝い、真似して食べているうちになんとか美味しく感じるようになってゆくことが面白かった。美味しい時には「好(ハオ)」と言って親指を立てる。臭い腐豆腐も味が分かるし、牛の血のレバーの煮込みも甘みが判ってしまう。茶も飲んでいるうちに嵌ってしまい、とうとう購入するに至る。仕事はまあまあ、ちょっとネットのスピードが出て居ないのが気になったが、モウマンタイ。ノープロブレム。ツアイチェン。でバイバイ!と手を振り握手をして別れたのは昨夜の22時、日本時間の23時だ。色々食事や仕事着の世話、社長に言われて仕方なく私達を送り迎えしてくれたワンちゃんとクちゃんに礼を言い。握手して別れる。お二人とも結構な上海美人で目を合わせるのもたじたじなのだが、この仕事先がカメラ類持ち込み禁止とかで、今回写真は無いのが残念。でも、なんとか仕事はいい加減にやっつけ、開放的な気分のまま、ホテルで乾杯。コンビニでビールを買いこみぐげぐげっと飲む、ビールは例によって炭酸の少ない大陸風。Kカコーラでさえ缶を振って置いては飲んでいる大陸人。しかも麦芽の割合が少ないぶん糖分が多い、いわゆる、韓国でも言っていた馬ションビールである。馬のしょんべん飲んだんか?というご叱責もあるが、最近は「飲んで見たら判るよ」と言うことにしている。早速帰りの工程

吉日  朝8:00吉野で並汁無し280円を食べ12:00小料理屋で割烹饂飩600円を食べ夜カフェでリブステーキ3000円ビール2000円ライブハウスでバーボン10000円0:00吉野で並汁無280円を食べて16160円

北風ぴゅーぴゅー吹きすさぶ中、ビールをかみ締めるように味わうライブは生まれて始めての経験。おいらの歌うおいらのバンドじゃなく、もう一個参加しているベテランの集うバンドで野外ライブに出る。結成二週間。出きたてのほやほやのバンドで70年代のロックをやった。しかし寒いのね。寒いったらなかった。エスキモーコートを羽織り、手袋をして日向で出番を待つでもない笑うでもないビール飲むでもない、日向ぼっこしているうちにどんどん顔見知りのバンド連中がやってくる。笑顔で乾杯しながら酔って行き、どんどん飲むうちに、気がつけばステージに居た。DoobieBrothersのお決まりの3曲をメドレーのようにやり、大好きなJimiHendrixからBadCompanyへと曲は続いた。このバンドでは先輩格のめっちゃ声が出るボーカル専が居るため、おいらの出番はベースとコーラスだ。しかし、このバンドは楽しい。皆、セミプロの集団なのだから気楽に音楽を楽しめる。客席では顔見知りが踊り狂い、私のミストーンを誘った。至福の瞬間は努力さえ惜しまずに居れば簡単に手に入る。努力しない人間は仕事と家庭の往復で自分を失い、人生を失う。笑顔のうちに、バンド談義も盛り上がる中、楽器を片付け、気がつけば夜、打ち上げ会場の中華料理屋で「メニューの上から100mmほど持って来い!」等と例によって訳の分からないことを言いつつ、うはははははと酔いは加速している。ふと気がつけば朝。あでー?焦った。あくる日は東京へ出張になっているのだった。慌てて出張一式3泊分をパタゴニアのバグに詰め込んで出社する。半日仕事して二年ぶりに新幹線で上京する。そういや飛行機に絶対に乗らないと言いつつ、今年だってすでに10回のっている。でも怖さは昔のまま。新幹線のぞみのえぐい姿に感動しつつ、詰まらないホタテ弁当で缶ビールを3本飲んで、気がつけば五反田でネット予約したホテルを探していた。品のよい料理屋と気さくな小汚い居酒屋、焼肉屋、24時間営業のコンビニ、牛丼屋を眺めつつ安心のココロでホテルまで歩く。ホテル快適、まるでマンションそのものなので今後はここにしようと思う。気がつけばシャワーとビール。品川プリンスとはもうおさらば。一息ついて六本木へ出向いてハードロックカフェで大好きな音楽に浸りつつ不味いステーキを切り捌く。焼加減を聴くから、どうせどう言ったってウエルダンで来るに違いないと踏んでたのに、ちゃんとミディで来て驚いた。しかし、不味い肉にミディは不味さを強調だ。しっかり焼いてもらって分厚いするめを噛む覚悟の臨むほうが合っている。飲み物はビール、係りのねーちゃんは可愛いがオーダーの確認や上がりの都度「ロックンロール」と叫ぶのは辞めてほしいな。つーか各国にあるこの店、日本支店だけは無理じゃないかしら、とか気がつけば38歩歩いてお隣バウハウスの前。私等お馴染みの、つーかわいらのバンドでも扱う曲しか流れないライブハウスでリクエストしつつ高いビールを飲む。当然、俺等のやる曲も頼んで勉強をする。ううむ、確かにこのバンドは毎日営業している故確かに上手いが、上手いが何かを失っているような気がして仕方なかった。ロックのロックたる何かは当の昔に置いてきている演奏は、アイドル崩れが小汚いストリップ小屋で踊っているのと似ている気がしてならなかった。プロであるが故の悲しさ。俺等は卑怯なことにバンドマンでありながら、本業でしこたま貰っているのだ。気がつけば朝で気がつけば牛丼を食らい、ネクタイ締めて恵比寿。気がつけば小料理屋で昼飯、仕事は順調、飲み物はビール、そんななか六本木と恵比寿、五反田を何往復もした出張は強烈な二日酔いと、財布の激痩せと、体重の増を持っての帰宅となったが、それでも身体はまだ落ち着かないまま、一晩明けて韓国へと向かう。

某日  時速80kmの高速艇で向かう船は時化で揺れ我々は頭を打ちつけ床には船酔いの女性や腐った男がへたり込む阿鼻叫喚絵巻一歩手前であるが船は一目散に釜山港へ向かう

六本木のライブハウスの熱、冷めやらぬまま、一夜明けて出社。メール50件を処理し、返信や段取りで半日、打ち合わせで2時間、眠くて仕方なく、ふとパソコンのキーに触れていたらしい画面には「AAAAAAAAAAAAAAAAAA」ピーというBeep音で我に帰る、さては神様がお出でになったな?なんて状況を察し、やむを得ず防音室へ逃げ込み2時間昼寝する。気がつけばOFF。悪いとは思いつつそこでベース弾いてそのまま帰路に、ライブハウスでバンド練、どうせ終わるのは12時頃になるから腹ごしらえに海兵隊の行きつけのサンドウィッチ屋でチキンフィレサンド300円を買い、食べながら車を入れる。三々五々メンバーが「やーやー」と集まり、ドラム、ギター、そしておいらのベースと音を合わせて一旦休憩。ビールを空ける。近況報告と歓談は何処のバンドも同じであり、うちの、おいらがリーダー務めるバンドも同じだが、実はこれが大事。人は思い余る事を何処かで話さなきゃ死んでしまう。泳ぎながら呼吸している魚や鮫と同じ理屈。誰にも言えない男同士の会話や、音楽を嗜む人間としか出来ない色々な話し飛びかい、皆がお馴染みの六本木のライブハウスの話で盛り上がる。さて、やるかとばかり、ワンツーで「どーん」と音が出る。至福の時間は私のベースアンプの上の缶ビールの残量とともに過ぎ行き、やがて「ま、いっか」でお開きになり、鍵を閉めに来たライブハウスのマスターと歓談し、あっはっはっはと気がつけば朝の6時。おっとっと今朝は釜山へ向かう日であった、忙しいにゃ〜。パタゴンのバグに携帯の充電器韓国型を入れ、出張セット一式及び、二泊分の一式とパスポートを入れ、シャワーを浴びて待ち合わせ場所に向かうと皆来ている。朝から不気味な笑顔が並んでいるのでついおいらも笑う。この集団はボランティアであり、年1回の旅行。昨年も福岡から飛行機で釜山であったが、今年も実弾が撃ちたいという意見が多く、今回は博多港からビートルでの旅行となった、夏にも無風状態で往復したが、今回は強風、波が高く船は揺れ、青顔率50%という船室風景であったが、何を驚くや?売店へビール買いに行く私を、船酔いの男女の毛布に包まるごろ寝軍団が遮り、仕方なくの跨ぎ跨ぎのビール下さい景色は異常であった。釜山港は暖かく溝臭く大蒜臭く辛い臭い。こと音と匂いと色に敏感なおいらには強烈だ。皆は知らぬ顔。しかし、この匂いの種類は夏と同じだが夏ほど強烈ではない。タクシでホテルへ向かう。3つ星ホテルとネットにあったが、文句の無い星無しホテルでいきなり腐る。早速射撃場へ、ベレッタとS&Wの38と357を120000W支払い都合30発撃つ。オートマのベレッタはいまいちだったが、リボルバーは96点出てトレーナにも褒めてもらい、景品を貰う。昨年は実弾の恐怖に負けて殆ど当たらなかったが、BB弾練習した甲斐有り。ご機嫌でプルコギ屋へ、しかしビートルの免税ビールでしこたま酔っているから飲めない食えない。へろへろでホテルへ雪崩れ込む。あくる日も朝から強烈な韓国人しか行けない飯屋で激辛料理でビールを抜く。あああ、眠い臭い気持ち悪い、そのまま貸切バスで高速道路をケイシュウへ。SAで何か買いたくてチキンサンドとポカリを買う。古都で古墳の群れを眺めつつ田舎の空気美味い。昼食のチチミ美味い、ビール美味い。チジミは生地のとろとろ加減が美味い、これは関西のたこ焼きの理屈。箸で持ち上げると切れ、蛸や海老、ニラがぼろぼろ落ちるのには閉口したが、生地はふわふわなのは生地に山芋が入っているせいだと思われる。ビールはHite、相変わらず馬ションビール。キック無し。夜はチャガルチ(魚市場)で延々並ぶ生簀の中から店と魚を選び料理してもらい2階でそのまま宴会。刺身は韓国本来の大蒜芥子味噌で食べたり、キッコーマンにハウスの練りわさびで食べたり楽しかった。茹で紅ズワイガニの肉が臭いのは、生簀の海水に活性剤を入れ過ぎているせいだと判断。通常の海水循環型では殆どの魚は3日ともたないが、活性剤を入れると数倍長生きする。だから海岸から直に海水を汲み上げて居ない生簀は要注意だ。活性剤には発G性があるとも聞いているからが。しかし、本能で蟹の味噌に爪の肉を貯めては啜った、ビールは相変わらず馬のしょんべん。そのままホテルの展望レストランの貸切一室で宴会となる。風俗街で女性を購入して帰ってくる人もいて話でウケル。有る意味思い切りのよい人生である。いつ死んでも良いAIDSの恐怖を感じない、その場限りの快楽最優先の男は腐るほど居る。私は女性を買う趣味も無いし、第一貧乏だ。豚の燻製でジンロや馬ション、カミユなんか飲みながらとろとろと眠くなる。気がつけば朝。おっと、後輩のヤンキー達とバックス釜山店で待ち合わせであった時間をすでに1時間も過ぎている。やつらのぶーぶー言う顔が想像出来て可笑しい。しかしこのホテルはどうなっておるのだ

吉日  ふくおかおきなわほんこんしんせんけいりんしんせんほんこんおきなわふくおかのながいたびのじょだん

旅行から帰ると、仕事とメールと苦情と詫びの山だった。日本で仕込み、香港のベイサイドホテルで増徴させてしまった風邪は結局性根が悪いままぐずぐずするまま、私は鼻をかみ、仕方なくパソコン数台に向かうことになった。休めない。なにせ締め切りを押しているテーマが多い、ぼんやりしていても誰も何も弾いて聞かせてはくれない。自分で歌う、やるしかない、一匹狼のこの私。今回の旅行は前回の上海行きと同じ、向うのエージェントとの打ち合わせを、新婚旅行と兼ねて行うというリッチなもので、私は仕事の相棒と、その他友人二名を引き連れて大陸へ向かったのだ。福岡空港からJALで一旦沖縄へ、スチュワーデス、つまり大阪弁でスッチャデスがなかなか不揃いちゅうか、美しくないちゅうか、まるで週末の居酒屋に居るようで非常に寛ぐ。「どんどん飲んでくださいね〜、ただですからね」なんて嬉しいこと言う婆がスッチャデスのボスだったが、我々は言われるままにどんどん飲むことにした。香港は何事もなく曇り蒸し暑く、どんよりしたままの我々をどんよりと迎える。Tシャツ一枚になるも、眉間の皺が数万の襞に変化する。ううむ、けったくそ悪い。入国審査は大陸と同様、そっけなく頭に来るが、ここは仕方ない。ぽいっと投げて寄越すパスポートをうやうやしく押し頂く。遠くに向うの社長が迎えに来ていて笑顔がこぼれる。迎えに来ているのは、副業で今回打ち合わせする社長一人、マフィアのボスの形相でラフな井出達。おいらもジーンズにトレッキングブーツ。握手のない、挨拶で笑顔を交わすも、なにせ蒸し暑いのですぐさまマイクロに乗り換え、シンセンとの国境を目指す。中国で借りたノキアの携帯電話の取り扱いの分からないまま、ずっといじってたらなんと国境に着いてしまった。社長は香港の街やでかい橋梁を見せたくて仕方なったようだったが、下向いてたまま阿呆な日本人、残念そのもの、明らかに駄目な我々がそこにあった。再度入国手続きを色々書きながら、次のゲートに向かい、人ごみにまぎれる。シンセンへ入国するとこれまた蒸し暑く、再びぐったりする。荷物の多い我らを怪しいランニング姿の中国人がどんどん取り巻き、荷物を持たせろ、車に乗れ、というようなことを言っているのだろう、怒鳴っている。仕方なく「不要!(プヨウ!)」を連呼し、視線を交わし社長の失笑を見る。迎えは社長の弟が運転、たちまち社長の会社の会議室へ向かい、荷物を紐解き寛いだ。土産を渡し、Tシャツを着替えていると秘書がなにやら茶を持ってきたから頂いた。ポットも湯のみもなかなかの絵柄で関心のまま、ちょっと温い茶を頂き、あまりの美味しさ、甘さ、香りお仄かさに「流石に大陸のお茶は違う」「なんちゅう茶やねん」「甘い」「香りもほのかやな」等と感嘆していると、トイレから帰った同行の共が見つけた「トワイニングや」「ポットにトワイニングのティーバグが浸かってるやんか」おおお、恐るべし。なんとその6人前は入ろうかというポットに、あの紅茶を製造するに当たって、どうしても出る塵、工場でダストと呼ばれている細かい葉っぱ、その塵ティーバグが一個入っていただけのだ。あああ、なるほど、紅茶を薄めるとこういう味ちゅうことかと、後で納得したが、一瞬中国人は不通にこんなに美味しい茶飲んでるんだ!と感動したことは過ちであった。ううむ、薄い紅茶。薄いコーヒーにもずいぶん昔の騙されたことがある。甘い香りの向こう側にほのかな悪意が、なんてことはないから、ずるっと飲み干し、約1時間で打ち合わせを済ませ、マックでバーガーを買い、シンセン空港へ向かう。同行するのは社長の奥さん、妊娠3ヶ月でニコニコしてはお腹ばっかりさすっている可愛い女性。なにかと言えばしきりにお腹が空いたと言い、何か買っては口にしている。空港でマック食べながら手続きをする。普通のチキンフライなのだが、なんだかスパイスが効きすぎで辛いったらない。昨年上海雑技団見ながら食べたのを思い出す。売店で生のライチやなんや判らん果物を購入、そのまま審査のゲートで止められた。係員がなにやら怒っている。靴を指差し怒鳴っている。ううむ、脱げちゅうことかいな。仕方なく脱いでいると、横を何事も無いようにどんどん靴脱いだ人が追いぬいて行く。私のブーツはDannerのトレッキングブーツで紐が多くて面倒くさい。もそもそ縫いで、靴は手荷物と同じレーンに載せて、ぺたぺたと金属検出器を潜った。足元には裸足のマークが書かれていた、なーるほどね。あああ、当然のように金属検出器が鳴り、当然のように立たされて、ジャケットのジッパーやジーンズの留め金具であろうというような仕種のあと、しっしっ!と追い払われるようにゲートを出る。皆、げらげら笑っているから、どんな顔していいか判らない私はたちまち不機嫌を装っておく。まだ落ちていない南方航空の見かけ怪しい飛行機

吉日  ふくおかおきなわほんこんしんせんけいりんしんせんほんこんおきなわふくおかのながいたびのしょのに

桂林の街は異常だ。NHKのBSで特集するあのでこぼこ山が街中にそびえている。昔は海底であったと言われるこの街は、断層の亀裂とちんぽこ山の繰り返しだ。川はゆったりと流れ、人は何をするでもなく河向こうに竹を並べた船で漕ぎ付け、手長えび等取って暮らしている。河に石段で綺麗に階段が造られているあたりにはきっと奥に部落があり、川の恵みと大地の恵みだけで、毎日を送り、この冬の食料確保にだけ専念して生きているというような気がする。ぼんやりと川面を眺める様は、落ち込み気味の私と同じであるが、私はいつまでもそうはしていない。毎日、辛くても立ち上がり、なんとか、こうやってこの一歩を踏み出しているのだ。しかし、この国の彼等の視線には何も捉えられていないような気がする。仕事の無い生活、豊かさを知らない生活、川沿いの一本道をぼんやりとあるく青年を見かけたが、決して苦悩み満ちた表情ではなかった。水汲みをサボって、でもすることないしなーってなぼんやりさで、我々は息を呑むのであった。桂林の風景は水墨画である。何処を撮っても絵になる。しかし、風景は飽きる。10分も見ていると直ぐに慣れる。それを6時間もかけて食事をしながら下り、最後にはビール飲んで眠ってしまった。同行の同僚に日本から電話がかかる。「ウェイ、ニイハオ」「ハァイ?アローアロー?ディスイズ×○スピーキング」「カルフォルニアノソラハアオイデース」酔っているからむちゃくちゃだ、げらげら笑いながら問い続けるも返事が無い、間違い電話かもとか思いながら一応「もしもし、どちら様ですか」すると日本人女性のおどおどした声が聞こえ、私は友に電話をゆずるのであった。こそこそ電話している友人はその後香港のランドマークで高いヴィトンの財布を買うことになる。さて、河くだりのあくる日、起きて塵のようなバイキングで朝食を済ませ、3回目の大便を済ませると、空港へ行く前になにやら有名な公園に行くと言う。名前は忘れた。バスに乗って眠ると着いていた。竹やぶが面白いので写真をまちり、その後パンダを見る、上海よりも小奇麗なその熊は、中国では生息地があるというから、くれぐれも山では出会いたくない獣の形相であった。色々な動物と物売りを見た後、虎に乗った。腕の直径が200mmはあろうかという大虎に乗って写真を撮らせてくれるというのだ。1回50元。ぐるるると唸る3m程の横たわる虎に跨り、調教師の鞭で虎が顔を上げ、はいポーズというわけだ。ちょっと大きすぎるというか太っているのは、きっと腹を空かせないよう餌をしっかりやり続けているのだろう。私の番が来て跨ると、おおきい。暖かい。首の後ろを両手でかきながら写真を撮ると、私のだけ虎が気持ちよさそうに目を閉じているから可愛い。猫と同じ。でかくて強くて気高く男前の虎。結構ご機嫌でバスへ帰る。焼き栗を物売りに押し付けられ、食べておいて知らん顔して逃げれれば、一人前である。わたしなんか物売りが寄ってこないバリアがある。友人の一人はお人よしだからつい目線が合っては売りつけられている。桂林空港で人悶着。ゲートを潜り、待っていると、突然空港職員が「お前等そんなとこ並んでんじゃねーよ」「登場口が代わったからさっさと走れ」「こっちだ」というような事を言ったのだろう、皆荷物持って走るから仕方ない我々も走ると、どんどん走らされ、あっと言う間の離陸だった。どうなっておるのだ。シンセンでは社長のオフィスに行き、バッタもんデパートで値切るうちに従業員通路から地下のコンクリむき出しのびしゃびしゃした地下室に連れ込まれ、1000円クラスのヴィトンを3個買った。娘の土産である。ガキにブランドは似合わないが、1000円クラスのコピー品ならOKだ。因みに私は良いものは買うが、どちらかと言えばはっきりブランド嫌い。中華で乾杯。残ったカップラーメンやUFO、飲み残しのジャックダニエル等を渡し、社長と奥さん、荷物を港まで運んでくれた従業員と礼を言いつつ別れる。いつの日もどのシチュエーションでも別れはなにかしらセンチになる。人よりもう一回多く振り返るのが私流。笑顔と敬礼で別れる。船では再び苦手な入国手続きを2枚も書き損じしながら、ビールで乾杯。このあたりからは完璧な英語圏だ。港から香港へ高速艇で入国。港ではタクシーを捕まえてホテルの名前を告げる。香港は複雑怪奇な道が入り組み、街の怪しさと上空にたなびく洗濯ものの干し竿の数、中国独自の猥雑さと、ハイソ感、早口で油断なら無い小ずるさ、それでいてすっきりとした洗練された都会の香り。ホテルもタクシーも店でも、英語さえ話せれば、快適そのものだった。ホテルでローストビーフでサッポロビール飲んで一息つく間もなく、山の頂上と九龍に行くという強行軍。私は風邪がぶり返し、もうこのあたりで記憶が無い。薬を飲み、九龍に渡ったあたりで動けなくなる。皆に別れを告げ

凶日  あさからびーるのんでやがいのらいぶでうきあがるこうふくないちにち

2002 10/14 昨日は会社のまつりで野外のライブだった。先日から楽器運んだり、リハーサルやったりで結構へろへろのまま、風邪ひき声のまま、それでも力いっぱいドカン!とやった。朝早めに起きてかすれ声で鼻垂らしてステージ裏へ行くも、早々からちゃかちゃか練習している音が聞こえたり、ストレッチしているダンサー、大太鼓かかえているサラシ巻いたおばさん、空ではトンビがぴーひょろろー。どんどんバンド関係者のワゴン車やトラックが入ってきて、やあやあ!と笑顔で挨拶。日頃ライブハウスや野外で顔を合わせている面面が、なんとも言えない顔をして笑っている。バンドマンの至福の時は演奏前にある。厳かな開会式の後、しょっぱなに良く利用するライブハウスのマスターが率いるバンドがガツン!とやり、大ウケのまま、色々あって最近結成している別ユニットでGSをやる。ドラム、ギター、ベース(私)ともに他所のバンドのメンバーで、そこそこの腕を集めているから演奏はいつも面白い。このバンドはNHKの主催の「親父バンドバトル」に応募した仮のバンドだ。予選を通過すれば福岡での本選はBSで全国放送されるという夢のようなお話。まだ結果は来ないが、今回はこのバンドでも参加してステージで盛りあがった。次にはもう20曲出来るようにして営業が待っているらしい。楽しけりゃいいというこのバンドは、懐かしいGS(グループサウンズ)を特集してやったが、流石にこの会社関係の年齢層は高いらしく、ノリは良かったとようだ。いえいえいえい!で乾杯どころか演奏中にどんどん生ビールの差し入れがくる。アンコール用に用意しておいたジョニーBグッドのエンディングまで一気にさらっとやって汗びっしょり。当然のようにステージ裏ではビールが待っている。色々な人がやってきて話して行く。でも、私はジョッキ一杯でやめておく。ラストのステージを飾るのは私が率いるバンド故、それが終わるまでどうも本気で飲めないのだ。仕方なく手持ちのビールはどんどん温くなるまま、勿体無いまま、それでも、ステージの裏方やお手伝い、そして色々なバンド関係者と下らない話、決して音楽には無関係のエログロ与太話で忙しい。そうこうしているうちにいよいよ我がバンドの出番が来る。慌ててステーキサンドをぱくついてステージへ。地方局のタレント司会者は顔なじみで、いきなり私の名前を連呼している。お久しぶりです。メンバーの不安そうな顔をおいらの伸びきった笑顔でかき消し、いいか?いくよ!ワンツースリー、!ジャーン!リズムを刻み、音に音を重ねて行くのがステージ上でも仕事、さて今年は神は舞い降りただろうか!身体浮き上がり、最高の演奏ができただか?というと。否じゃ。それが、なんというか、決してそうも上手くは行かなかったのだ。だからバンドは面白い。最初にキーボードの女性がコケ、頭が悪いから泣き出してしまうというずっこけぶりだ。松田聖子だって最後のステージで嘘泣きなのに、アマチュアのへなへなキーボード、何故か泣く。おいおい、と思うまもなく、二曲目でドラムがコケ、繋ぎでのMCのおいらが妙な緊張に感染して早口でスベリまくり、結構汗びっしょりでへろへろだったが、それでも、最後のいつものヴァンヘイレンの二曲でエンディングに持ち込みOKとした。客の反応もOKOK。楽器を運び、汗びっしょりになり、シャワー浴びて着替え、打ち上げはいつもの焼肉。ご飯をかっくらいながらビールをじゃんじゃん煽るという特技で他を圧倒したまま、2 次会は鶏がら醤油ラーメン、待ちでビール。もうお腹一杯で動けない私達。ビールが一滴も飲めない状況で、年末のライブでの新曲をさらりと打ち合わせをし、おつかれー!と別れた。バンドはステージの一瞬が勝負である。その瞬間に全てが凝縮して現れる。積み上げたものが一気に勝負をかけてくるのだ。練習で出来ないことはステージ上でも決して出来ない。出せる力は練習の6割がいいとこである。ぎりぎりまで自分を追い込んで、これ以上出来ない、もう大丈夫、というとこまでやっつけてから、あとは。神が舞い降りるか、カラスがカーカーって鳴くか、どちらか。そういうことである。

吉日  やぎとにわとりとおどるようにてんにまうひとびととまどにたたずむわたし

青空ライブちゅうか炎天下ライブのあくる日。朝から夜まで飲み続けた朝、私は布団の中で頭を抱え、仕事の色々を思い出し、整理しに行くことにする。ちょっとだけ防音室の楽器の山を眺めにゆき、諦める。ベースアンプだけで数十キロもある、一人では無理無理。ローンの重みはベーアンの重み。払い終わる事に新しいアンプをきっと手に入れている。さて、仕事場でパソコン3台の電源を入れてコーヒーを入れる、紙のメール数通を解きゴミ箱へ、立ち上がったパソコン、いけいけどんどんおちんた1号から電子メール数十通を読んでは返信、転送、消去を繰り返し、あくる日に充てて仕事の指示を出しておく。これでひと安心。防音室で再び楽器の山を数十分眺める、ちゅうかつい眠ってしまう。シャワーを浴びて、車を海岸線に沿って走らせる。今日は急遽私の私だけの休暇にする。急遽休暇今日か?なんて言葉が浮かびニヤリとする。昼間っから車の中でにやにやしている中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマン、不気味に決まってる。そのうちインポートショップについたから、おいらのぼろぼろのHW社の黒いショルダーバグのかわりになりそうなショルダーを捜す。先日H社の素敵なのがあったが、次に行くと無かったから縁が無かったと諦めたが、ネットでしつこく探し続けて諦めた。するとL社に続いてコピーの山で有名なP社のショルダーが地味で、何者か分からない井出達、しかもP社らしく軽く、黒く、ロゴも目立たない、しかも半額。即購入、冬のボーナス払いにしてもらう。目的地を目指すも途中で行きつけの饂飩屋をとおり、仕方なく飛び込み、醤油饂飩をがぶがぶずるずる食べコップの水を一気に煽り2分半で出る。美味い美味い。更に国道を北上、目的地は県立美術館、あまり好きではない「マルクシャガール展」1300円。駐車場なかなか無く、お得意の路上駐車の良い場所を見つけ駐車。公園の傍で木陰で、土手でどんづまりのその道は涼しくて、ちょっと電動シート倒して転寝。気が付くとタクシーが2台いつの間にかやってきていて、公園の木陰で弁当を開いている。ううむ、おいらも出かけよう。徒歩で1分、県立美術館は二年ぶりかな?3階まであがり、初期の作品から眺めていって、結構気に入る。ピカソもゴッホもその初期から苦悩が始まるころが俺的に一番分かり易くて美しい。一枚、窓にたたずむ女性と抱く赤ん坊の絵で完全に呼吸が止まる。人が皆視界から消え、私もその窓辺に佇むような感覚に襲われる。その歪んだ不思議な窓向こうの景色は言わない。この絵は私が気に入っただけで、私にとって価値があるだけだ。そのまま、長い時間佇んでいると嫌でも人目につく長身の中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンはその日はスリムなジーンズに黒のワークブーツ、A社のぴちぴち黒Tシャツの井出達。妙にじろじろと睨むように私の前を通り過ぎる30代独身アパレル勤務の洋子(仮名)お昼はノリ弁というようなクラーク社のブーツの似合う井出達の女をしかとしたまま、急ぎ足に次々に会場を回る。シャガールの後期の絵は有名なものも多くあったが、私はあまり好きではない。赤いロバ、緑のヤギ、青い馬、鶏、最後には色彩の分かり易い宗教画のようになり、私は走るように会場を出る。ロビーで休息。洋子(仮名)はとっくに後ろだ。続いて常設展で柿右衛門を見る、あたりまえではあるが赤い色に感動。逆輸入して漸く日本で目にかかれる代物も多い、柿右衛門はサントリー社長、鳥居の秘蔵展で見た以来だったが、やはりこの色は2度と手に入らない豊かさがある。鳥居の朱色はすぐさま改めて欲しいものだ。あのようなけばけばしい色は昔にある訳ないのだ。ちゃんと歴史を守れちゅうねん。県立美術館を出、公園横に戻るとタクシーは全部消えていた。眺めていると、立ち去りたくなる無人の公園。人が居るべき公園、人が居るべき構造物に人が居ない状況はなにやらの悪い力を感じてしまうから、早々に立ち去る。放課後の学校で縦笛を取りに行って泣きながら逃げ帰った事を思い出す。その後でドレミが吹けないで父に殴られて更に笛が嫌いになった私は今では娘と食事に行き、援助交際と間違えられる年代だ。間違えた店員は冷たかったが、店員は悪くない。つけ睫つけてルーズ履いた高校生とワインやビール飲んでりゃダレだって間違えるさね。公園を後にして、無化調ラーメンで有名なKへ行く。無化調とは科学調味料を一切使わないちゅうーことらしい。しかし、Kは休日。仕方なく自宅へ向かって南下。饂飩一杯では腹が減るのだ。と走るうちに2時間前に食べた饂飩屋近くにくるから迷わず店に入る。再び醤油饂飩を2分半で食べ、車を出す。海岸を左に眺めながら気持ち良い道をかっとばしていたら、渋滞にかかって途中、神様が2度訪れた。2度とも慌てて急ブレーキをかけて難を逃れたが、そのうち1回はまじ仏になることだった。瞼の裏で

吉日  ばかといわれておこればばかですしなけばもっとばかです

色々なことが起こるので、あらら?あらら?なんてどんどん変わって行く自分がそこに居るから驚いている。本当に大事な物にしか時間を使うことが惜しいこの頃、ついつい下らない事をないがしろにするから、私にとって詰まらないことでも他人にとって大事なこともあるようでトラブルが絶えない。しかし、優先順位を守り、どんづまりに行き当たればケツまくる手もつかう卑怯さも兼ね備え、本来の明るさで乗り切る中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマン、来月は急遽中国で仕事になった。日本の仕事も満足にすすんでは居ないどころか、来期予算の真っ最中なのに、ええんかしら?。まあ、なんとかなるし、どーにでもなるか、、等と得意のおきらく極楽気分のまま、先週は宴会続きだった。フィリピンで口紅べっとりつけられたり、ルーマニアで透けパン強引に見せられたり、チェコでRB論議燃えつくしたり、中国で言葉習ったり、ごちゃごちゃしたまま焼肉や刺身やお好み焼きやステーキやホルモン焼き、寿司などでくどくど呑んだ。さて、中国はなんかしらんがSEとしてネットワークの仕事らしい、詳細は未定。工事一式友人の業者を連れて行きたいが儲からないので、現地の人間を使うことになっている。大丈夫かしら?中国語教室行こうかしら、教室教室と言いながら中国ギャルショーパブ行くのはもう止めて。中国は遠い、先月行ったばかりのせいもあるが、あまり乗り気ではないのは飛行機嫌いのせい、おまけに中国人を基本的に信用していない私。だって機長は帽子あみだに被ってポケットに手を入れてるし、スチュワーデスは客の残り物をぱくりと口に入れている。いや、そうではなくて、第一日本が忙しいちゅうねん。急遽、海外で使える携帯に買い換えるとあまりにも旧式で驚いた。動画に買い換えたばかりなのでペナルティとかで異常な金額だったから、仕方なく新規で番号もメアドも買えざるを得ん、おえんになった。とろい携帯で番号が代わったと友人にメールすると皆「女性関係のもつれですか?」等とざくざく返信が来たがそんな事件など無い。ううむ、仕事はパソコンに詰めて持っていくかな?更に来月末には韓国行き、更に韓国の前1週間は目黒で缶詰教育があるちゅうに、つーか羽田から飛行機で帰るあくる朝 4時起きで韓国行きなのだ。出張は宅急便でバグを送ってしまう私、これじゃ旅行バグが二つ要るにゃ。さて、仕事はそんなところで、肝心のバンドは漸く事件が収まった。馬鹿な女キーボード担当メンバーが辞めるとか言ってきて、ああ辞めなさい、と返信しておいた。頑張るというから色々面倒をみて可愛がってきたが、頑張るどころか結構自分勝手で私の指示を守らない、ああいえばこういい返す女で、最後にライブ前にキレたら、ステージで歌う場面で泣いてぶち壊しになった。客も私もまじ退いた。泣くとは何事じゃ馬鹿女め。泣いた理由は、俺がまだ怒っているからだ、とかでまじふざけるなだ。ふじゃけりゅにゃ!じゃい。バンド関係者は見かけも悪いし、向いてないよ、クビにしろと言い、結局そうなってひと安心だ。私の人生、馬鹿は遠ざけることにしているから、辞めてそれで正解。馬鹿は褒めればつけあがる、注意すれば言い返す、怒れば泣く、今回は教えれば怒って叱れば泣いた。馬鹿には言われたことを素直に受け取れない懐の狭さがある。異常に怒る私のせいにして、誰かの前で泣いて見せればその晩はぐっすりなのだろう。おいらは腹がたって2日眠れなかった。まあ、ブスでのろまで、ちびで下手糞で、言いようもない馬鹿は2度と合うこともないから知ったこっちゃない。そんな昨夜はライブハウスでパーティだった。早くから土産持って会場へ行き、マスターと歓談しつつビールを飲む。ハウスバンドが早くも集まって、やあやあと声をかけつつ携帯を見るでもない見るとメール2着。1つは「カウントベーシーに行く」ちゅうメール、もうひとつは「細川たかしなんよ(泣)」ちゅうメールで可笑しかった。ライブ会場には顔見知りのハウスバンドメンバーがやたら私の名前を呼び、話しかけてくる。嬉しいけど私は彼等の名前を覚えておらず、はははと笑うだけだ。私の名前は覚え易い。ライブは3バンド、なじみのハウスバンドが出ると後は自由参加でめちゃくちゃになる。俺にもなんかやれときたから、用意しておいた「水ならヘイ〜」をベースラインだけで歌った、2 コーラス目からドラム参加、ピアノ参加、ギター参加でジャムセッション風になり気分は最高。バンド人生に尽きる瞬間だった。ビール飲んで音楽談義からエログロネタに入る頃、ばたばたと客やメンバーが寝転がり始め時間を見ると2時を過ぎ、私は「みんな!我慢大会は終わりや」と声をかけ、夜の街に飛び出した。

某日  ハングル日記しょにょいち

ちょこっと釜山へ行ってきた。二泊三日高速艇ビートルでガイドとマイクロバスとホテルが付いて13000円の激安ツアーだ。釜山は着くなり海上から水蒸気で煙り、蒸し暑く、海中生物の腐乱した臭い、溝の臭い、大蒜唐辛子の辛臭い匂いで充満し、私は昨年の秋の韓国を思い出す。今年の春、上海を訪れたときは街を歩く人々道路に溢れる車と人と自転車とバイク、手鼻を飛ばす紳士に痰を吐く淑女に驚いたが、釜山はとにかく臭いだ。一際臭いに敏感で偏狭で孤高を気取るこの私、この臭いに慣れなければ今回も、旅行は失敗となる。酸いような辛いような臭いを充満させたターミナルで、入国手続きを済ませるとハングルが一気に押し寄せてくる。愛想の無い、笑みの無い色々な人とのやりとりに疲れ、あああ、やっぱ来るんじゃなかった、等と反省と後悔の折り返し運転をし始め、最後の扉を通り抜けるとガイドが笑顔で並んでいる。その頃には臭いはさほど気にならなくなっているのは、鼻のひん曲がる程の臭いトイレにだって一旦しゃがんだら直ぐに慣れる人間に強さだ。すると昨年秋の美人ガイドJooさんが居てびっくり。笑顔で挨拶を交わす。今回のガイドは隣で怒り気味、早速「○○さん!こっちですよ!」とキレかけているがなんとこちらも結構な色白美人、日本文学を専攻しているChangさん。挨拶もそこそこに両替を済ませ、ホテルに向かう、アンニョンハセヨ、運転手に早速ご挨拶。運転手も典型的ハングル顔でまるで香港マフィアの殺し屋、アンニョンハセヨと言葉を返しながら荷物を取ってくれる。ホテルは激安ツアーであるが故、流石に星無し、あたりまえにたった13000円のツアーという事実を目のあたりにするが、結構なまともなホテルでエレベータも3つあり、まあまあ思ったより寛げた。ガイド曰く「不況赤字です(デシュ)」韓国独特の言い回し、チェンチェンモンタイナイ(全然問題無い)。ホテルに投降、ガイドは帰し、早速お勧めのカルビ焼きの店に行くことにしたが、とりあえず、とにかく、あああ疲れたにゃあ。3時間のビートルによる船旅は結構きつい。飛行機なら45分ほど、フェリーなら14時間、今回の高速艇ビートルは3時間のダメージ。さあシャワー浴びて直ぐに食事だ。

某日  ハングル日記しょのに

夜、生カルビ焼きの店を探しハングルの街に出た。シャワー浴びてすっきり爽やか、さらさらのふわりんこのはずの私の体は、すでに生暖かい海風でしっとり、ちゅうかべっちょり、ちゅうかぐっちょり、ちゅうか、いやんいやん折角シャワー浴びたのにぃ♪な気分悪う〜である。店はガイドに名前と場所を聞き、フロントに道順を聞き、言われた通りに街へ繰り出すも、何故かその場所にはなく、すっかり判らなくなり迷いきってしまう。仕方なく、そこいらで店じまいをしている布団屋に「アガシー、アンニョンハセヨ、」と話しかけた。店の名前を書いた紙を見せると、布団屋の従業員らしい、その女性は店に一声かけるや否や、どんどん歩き出しては我々を手招きするのだが、地図のあたりに行っても店は無く、看板に書いてあるハングルの読めない我々はお手上げのまま、布団屋の後をただ、ひたすらについて歩いたのであった。タクシーの運ちゃんのたむろするあたりで聞き込んだり、走り出したり散々歩いて、私が「?」なんか変だ、なんて疑問に思い始めた頃、すでにもう30分探し回っていたのだが、なんとそこに店はあった。女性を少し疑った私が恥ずかしい。それにしても、釜山の住民は気さくで明るくて、とことん親切なのだ。旅先での利害関係の無い親切は、私の汚れたココロと身にとことんとんとしみいった。散々お礼を言って女性と別れ、その日本語がなんとか通用するその店で、カルビ焼きや冷麺、石焼ビビンパフを注文、追ってビールに白飯注文、一息ついた。ゴマの葉にカブの酢漬けやたまねぎを乗せ、肉に大蒜味噌を乗せ包みこみ「ぱくり」これを5回繰り返したあたりで私は飽きた。Hiteビールぬるく、アガシの態度悪い、従業員全員ガリガリ君ソーダ味みたいなのを口に咥えたまま、仕事しているこを観て驚きを超えて笑ってしまった。そんなこんな、食事を済ませて街を歩き、コンビニでビールやつまみを買ってホテルへ帰った。MTVを観ながらこてっと眠った。ビートルの揺れが三半規管を痛めつけているようで、いつまでも身体が揺れているような錯覚を楽しみつつ、何も考えずに眠った。

某日  ハングル日記しょにょよん

2日目はガイドがお迎えに来て、チャガルチ市場、免税店、釜山タワー、と案内の後、国際市場でお別れと言う段取りだった。国際市場入り口で別れ際にマグドナルドで昼食にする。ガイドが通訳しながら注文するが、ここで初めて何か注文して、笑顔が返ってくるという普通の対応に驚く。マクドナルドは昭和初期、銀座に第1店舗を構えて以来、マニュアルは今もそのままということだが、こと韓国でも同じ様子だ。何を言われても対応できる体制にある確固とした正等なマニュアルがその基盤にある。必ず聞かれる「お飲み物は如何ですか」の問いに「冷たいお水を」と思い切って言って見るが良い。そんなのマニュアルにちゃんとあるのだ、書いてある通り、氷の入った水が出てくること必須である。これは、インフォームドチョイスがあたりきのアメリカ文化に裏づけされている。マックのマニュアルはアメリカ仕込みのマニュアル文化そのもの、マニュアルのご先祖で、あらゆる色々な馬鹿なAメリカ人のわがままな注文に、即座に対応し、レジの行列渋滞を防ぐことが目的と言うことであった。試しに貴方も「ちべたいお水」と言ってみることだ。さて、ここは釜山、たちまち国際市場近くのマクドナルドでの昼食であった。私はプルコギバーガと普通のバーガ、ガイド曰くプルコギバーガは日本の照り焼きとオンナジデシュ、言葉を信じてのオーダーだったが、プルコギのタレは、釜山の臭いそのもので、私は「足の指の又を右手人差し指でこすった後の臭いである」「動物園の狸の檻の臭いでもある」等と断言して、皆の顰蹙を買う。顰蹙を買うということは「あってる」ことに他ならない。食事の後はひたすらコピー商品の値切り合戦だった。プラダやヴィトンのコピー品を、 2割引から半額まで値切る「ディスカウント、プリーズ」「カッカジョセヨ!」どんどん声は大きくなり、阿呆面して歩いている日本人が集まってくる。便乗してとことん値切る私らについての購入は、私等も母集団が大きくなるから都合が良い。あれれんバグに、そんなデザイン決して無い無い携帯ストラップ、なんちゃってペンダント、おいおい?ベルトをどれも300ウオンから1000ウオン以下で購入する。国際市場は広く果てしなく、散々歩き回る私等は夜まで歩く決心だ。散々それでも疲れ果て、タクシでホテルへ帰り仮眠、シャワーで起きて、カルビ焼きで夕食を楽しみ、再び、電飾のごちゃんちゃ綺麗に賑やかな国際市場へ再び出向き、あとはホテルでの宴会となる。さあ先は見えている。私はグッチのペンダント3本とプラダのストラップ5本、ヴィトンのストラップ4本、プラダのアタッシュ、都合100000ウオン(10000円)を使い、ブランド嫌いスタンスのまま、ほくそ笑む。アタッシュは最初80000ウオンだったが値切りに値切り、最後はじゃんけんで勝って40000ウォン(4000円)になった。ストラップは1個400円以内。今回のこれはブランドに興味の無い私等がバッタもんを扱う遊びである。夕食で行ったカルビ焼き屋は日本語が全く通じない強烈な店であったが、肉も野菜も美味しくて我々は大変に満足したのであった。さあ、あくる朝は日本へ帰るだけの日程。我々はホテルに帰り下らない宴会で盛り上がり、戦利品ややられた品を見せあい、笑い合った。やっぱ、この国は面白いなー、秋にまたくるけど、今度はベレッタとスミス&ウエッソンを撃ちまくろうと思う。そして、またコピー品を遊びでお土産に買いあさろうと思う。朝飯に購入したセブンのおにぎりは、開いて見ると、赤い臭いタレは部屋中充満してしまい、私はそっと袋のままゴミ箱に落とした。ご飯を捨てる習慣は無い日本人、これは釜山において生まれて初めて経験する結構な決断であった。

吉日  熱血親父バンドバトルへ向けてロケットボーイズの旅立ち

熱血親父バンドバトルへ向けて 2002 09/05 基地近くのライブハウスでライブがあり、我々もゲストで出た。高校生の生ギターの歌い手の快い歌声にココロ洗われ、入れ替わりに高校生のノリも元気も良い現代ロックバンドで感動したまま、その高校生と楽屋で握手を交わし、おつかれさん!と声をかける。10代のロックには目的がある、何かがしたい、今はバンドをしているという姿勢も明確である、なにより、、というか早い話が、若者のバンドには勝てないなーっちゅう話。上手いおっさんより下手でも若さの方がロックには合っている。向いている。だから我々はどう立ち向かうかというと、若いもんには勝てっこないから拍手するしかないのである。私も彼等のような年代、何かしたくて「あのねのね」のコピーユニット「そのねのね」でこの田舎街を支配した。やがて本物がTVでデビューして、反省した私は井上揚水や泉谷しげる、それにへんてこなオリジナル曲を揃えてあちこちでライブをしたっけな。そうして今、私はブルースバンドで生きたいのだが、今の新しいバンドはブルース嫌いだから仕方なく、ギンギンロックを歌う羽目であるのだなこれが。さて、ステージで裸になった高校生と入れ違いに出る私等も「ちぇーす」という挨拶に答えるまま道を譲ってもらう。セッティングを済ませれば、勝手に始めるのがここのライブハウス流、ワンツースリーで「じゃがーん」神が舞い降り、私の身体は浮き上がる。先程まで「ひょっこりひょうたん島」やピンクレディを現代ロックバージョンに仕上げて、がんがんがなってオーディエンスを乗りに乗せたこのライブハウスの長女バンドが汗びっしょりのまま、我らを見ている。高校生バンドは踊っているし、客はぽかんとしたり、体をゆすったり、ビールを飲んだりだ。ラブサイケデリコオーケストラの曲を2曲、サディスティックミカバンドを1曲、ここまではキーボードの2児のママが歌い、あとはMC共においらが引き受ける。はいそういうわけでHotJuiceでございますが、いつもの出足である。観客も優しく、暖かく、私等はどんどん盛り上がり、釣られて客も盛り上がる。Aerosumithを1曲、DeepPurpleを1曲、どちらもおなじみの曲で若い客層もノリノリ、あとはおなじみVanHalenメドレーで締めくくる。やんややんやのまま、汗びっしょりで舞台を降りると、トリを務める当ライブハウスのバンドが待っていた。お疲れさんっす。頑張って。と声をかけ合いステージを後にする。汗拭いて、ベースをケースに収めていると、野球帽被ったいかつい男がやってきて、自衛隊の祭りで演奏していただけませんか?と聞いてきた、ライブハウスの騒音ゆえ、当然互いに話すときは耳元にくっつき合っての会話となるのだが、「始めましてわたくし●×と申します、このたびは」「はい、始めまして、よろしくお願いします」「バンドをお願いしたいのですが」「は?」「バンドですが」「はい」「9月14日ですが」「はー」「9月14 日ですが」「はー」「9月14日ですが」「はー」「9月14日ですが」「はー?」まるで志村ケンのコントである。いかつい自衛隊員は私の身体を捕まえては耳元で叫ぶのであったが、私は苦手であった。自衛隊はホモの臭いがするというのは私の偏見だが、これは自己防衛本能のなせる業ゆえ致し方ないのでもある。昨年二月にこのバンドを結成して以来、ライブハウスに出る都度、面白い人が私を尋ねてくる。来週は野外のプールの傍での演奏を依頼されているのだが、海水パンツを持って行くべきかどうか迷うまま、引き受けた。そうこうして、あくる日、突然ライブハウスマスターからメールが入る。新ユニットを組んでなにやらバトルに出ると言う。すぐさま引き受ける。ドラムは先輩バンドから、ギターも同じく、ボーカルはライブハウスマスターで大のGS(グループサウンズ)好きの先輩、でベースとコーラスを私にという話だった。日本全国より2000バンド位が選考にかかり、予選を通過すればNHK-BSで親父バンドバトル大会に出場と相成る。会場は福岡サンパレス、ええい!やったろうやないかい!私は鼻の穴を大きく膨らませ、どんとカウンタテーブルを叩くのである。当然ビールは麦100%である。日本のビールは美味しいのであった。

某日  ごくちゅーいくねんけどいきたーないねん

さて、シャワーでも浴びるかにゃ。いよいよ中国である。サイドビジネスのキックオフとして、大陸に住むコンピュータ関係のエンジニアやクリエイターと合って話をする。それだけだが、折角渡るということで少し観光も取り混ぜている。迎えが来るのを待ちながらこうやって行きたくない気持ちを整理していたら、思いがけないことに行き当たって今動揺の真っ最中なのだ。何処で誰に会うかも知らないまま、何処に泊まるのかも、費用のこともまったく向こう任せのまま、今日になってしまったのだが、それにしてもこの行く先への無関心さはなんだろうかといぶかしがりながら気持ちを整理していると思い当たったと言うわけだ。飛行機が聞いたこともない会社であった(未だに社名は思い出せない)ことも大きく働いているが、なにより私は「中国を信頼していない」そのことが大きく私を動揺させているのだ。あの声高く大きく、回りをはばからず手振り身振りを交えて話す中国人。隙あらばちょいと犯罪に走る中国人。ごみをあさる中国人。とんでもない服装でどうしたらそんな風になるのかという髪型をし、サングラスのメーカーステッカーを大事に剥がさない中国人。自国を愛してやまない能天気な中国人。私はそんなやつらがきっと大嫌いなのだ。そして私はその中国人を信頼していない、そしてそれでなくとも怖くて嫌いな飛行機をそいつらが飛ばすことがだたただひたすらに嫌なのだ。そいつらに私の命を預けることが嫌なのだ。わたしはやつらが嫌いなのだ。

某日  上海紀行しょの1「こらスチュワーデス!笑顔どないした!むっつりして仕事すんなっちうねん」

プラスチックをプラッチック、スチュアーデスをスッチャデスというのは関西人だ。せやからゆてどないゆうねんChinaEastern。中国東方航空はスタッフ全員が油断ならない。あの自信満々やつらが整備し操縦しているのもさることながら、スチュワーデスも教育が悪い。客の目先でスチュワードとだべっていたり、残り物のゴマ団子をつまみ食いしたり、ワゴンを思い切り、私のはみ出すのも悪いのだけれどそのはみ出した肘にぶつけたり、私のはみ出すのも悪いのだけれど今度はその足を蹴飛ばして知らん顔したり。乗る前からすでに不安でいっぱいの飛行機嫌いの凶眼で偏狭極まるこの私、嫌なら乗らなきゃ良いのだがこれはビジネスであり、仕方ないからの上海行きだ。機内については多くを語ることもないだろう、機内食は、、で、スチュアーデスは、、で、揺れは、、で、客は、、で空港に降り立つや否やなにやら怪しいおばばが近づいてくるし、歩道を渡ろうにもどんどん車が突っ込んでくるし、いきなりのカルチャーショック。なんて思ったのだがこれはほんの序の口と気づいたのはほんの1時間後であった。

某日  上海紀行しょの2「おまえら歩道歩けちうねん」の巻

空港から市内へ走るのは日本産のワゴン、運転するのは元丸紅の王さん。男前でお洒落で、眼力鋭く私好みのナイスガイ。この王さん、社長曰く上海では事情通で運転技量とその安全性の高さで信頼できるとのこと。しかし、そのワゴン、なんと走る走る。とにかく周りの車と1mmを争って切り込む割り込む、突っかける、フェイントをかけつつクラクション、パッシング、オプションのグースの泣き声にパトカーのサイレンまで、とにかく急がしく慌しく、100m以上ある大通りをどんどん横断してくる歩行者や自転車、ちょこまか競ってくるバイクを避けながら威嚇しながら、携帯のメール読みながら笑いながら、われわれと話しながら、その間どんどん電話もかかってくるのにハンズフリーに切り替えながら煙草に火を点けながらライター探しながら、途中でパン食べたり、とにかく目を覆うばかりであった。歩道には何事もないように人が歩いてきては車を避けながら横断している。自転車はちょこまか横断、右折左折自由自在。バイクもそうだった。車がびゅんびゅんかっとび走る道の真ん中でバイク留めて歩行者と立ち話するものも居れば、なんとアルミのどんぶりでご飯を食べているというか食べながら横断している人も居たのには驚いた。車はVW。この中国に工場があるためかVWのサンタナが車の大半を占めるという珍しいこの都市は、当然世界中でどこでも運転が一番荒いと言われるタクシーもサンタナであり、その新旧色とりどりのサンタナが高架に溢れるように1mmを競う割り込み、クラクション鳴らしあい運転をする様は異様でありながら結構楽しめた。それにしてもその歩行者や自転車が6車線も8車線もあるかっとび道路をどんどん横断してくるのは如何なものか。歩行者用信号、横断歩道がまったく意味しないのは如何なものか。来るEXPO2010?ですか、それまでにこの教育躾の不備は解消されるのだろうか。私は答えを探し続け、やがて後々でそのわけを知ることになる。横断するのは老若男女、保育園に子供を連れてゆく若いおかあさんから、前後ろ二人でリヤカーに野菜を一杯積み込んで運ぶ年寄りから、皆満遍なく道路を無作為に横断している。基本的には車が優先で、いざとなれば人間が止まるということが分かったのが二日目だが、面白かったのが年寄りだ。むちゃくちゃ込んでいた上り3車線の真ん中を走っていた時のこと、一番歩道よりが何故か空いている。なんで???皆その車道に殺到せずに込み合う残り二レーンを競うのかなんて思いながら見るでも無しに見ているとやがてその訳が分かって笑った。ある人間が道の真ん中を歩いていて、その前後がぽっかりと空いているのだ。その人間は何事もなくクラクションで追われることもなく、歩いているのだが、その向こう側は車の競り合いで信号までごちゃごちゃ例によってサンタナが固まっている。その何事もないようによちよち歩いているのは普通の老人であった。国民服をぼろぼろになるまで着込んだ年寄りである。流石の上海タイムも老人には勝てへんねやな。私たちは笑い会い。その老人をじっくりと眺めた。孔子でもない普通の老人であったが、その老人の瞳はまっすぐで、その意思は固く、その道は昔からあった自分の歩んでいた道で、車に譲る道ではない。そう言っているように思えて仕方がなかった。中国は急速に成長を遂げた。その中でもこの上海は特に、高層アパートやマンション、ホテル、等が広く高く建ち並ぶ成長ぶりだ。そう、その老人はこの大陸二番目の大都会の急速な成長に置いてきぼりを食った人民代表ではなかろうか。道は昔からそこにあり、車は後からやってきたものなのだ。車の歴史は中国3000年の歴史のほんの一部、いわばピリオッドに近い存在なのだ。

某日  上海紀行しょにょ3「上海産藤原紀香御開帳」

空港から自動車は勿論、自転車や歩行者を威嚇しながら1mmを争う高速運転に任せるまま、ただ顔を見合わせびっくりしているとやがて上海動物園へ着いた。降りるや否や物売りが群がるが、「プヨン(不要)」と怒ったように叫び無視するのが正。ブルースリーの死亡遊戯を思わせる黄色のジャージを着た子供達がどかどかと門から出てくるのと入れ違いに動物園に入る。上海動物園は日本の動物園とは異なっていて緑多くやたらめったら広い公園だ。放し飼いにしてあるペリカンや孔雀、ダチョウを避けながら金魚や鳥等の館を横目に、パンダを目指し歩きながらの商談と相成ったが、その社長には彼女がべったりくっついて、解らない言葉(日本語)で話すのが詰まらない、と言わんばかりに目を覗き込んでいる。彼女は社長の腕にブランコのようにぶら下がり、しきりに甘えているのだが、日本人のそれより計算されていない露骨なひたむきさがあり、率直に可愛く思えたのが不思議だった。我々が見るとはにかむ仕草も日本人同様、美しい表情だ。社長のネービーのブレザーは彼女が頬寄せる場所がファンデーションで白く汚れているが、別に汚れにも無関心、元丸紅の日本語を操る彼はまんざらでもない様子であった。そんなこんな、美しい公園をゆっくりと情報交換をしつつ散策した。社長の周りをくるくる廻る彼女はスタイルよく美しく、まるで日本の某美人 TV女優そのものなのだが、唯一欠点は育ちが悪い。我々の前で、突然蟹股になって「かーっ、ぺ!」と痰を吐いたのには驚いた。我々は突然のこの所作に始めて出くわし腰を抜かしたのだが、その後ホテルのロビーであれ、エレベータの待合であれ、他の大陸人がそうする場面には幾度も出くわして、結局生理的納得は出来ないまま、なんとか納得の方向に気を落ち着かせることに努力を惜しまないのであった。町の人々も道端で手鼻をかみ、痰やつばを吐く。道行く人も特に見ない努力をしている様子も無く、普通に行き交っており、それをじっと眺めている我々のほうがきっと異様に写っているに違いない。さて、美しく可憐なその彼女はその後レッサーパンダにオレンジジュースを浴びせたり、高い場所に登って写真をせがみつつパンツをご開帳したり、ソファで足を広げたままお座りになったり、マイフェアレディを思わせる天真爛漫さを誇張されていたが、まんざらでもない社長の笑顔と見比べつつ、やっぱ大陸は凄いや、と思わずには居られなかっtああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(今ちょっとうとうとしてたら「A」に指が触れていたようです)ちゅうわけでその社長の彼女は、その観てくれから「紀香」と陰で呼ばれることになったが、もう一度呼び名を変えることを余儀なくされたというお話は次回である。

某日  上海紀行しょの4「高級飯屋でコサックダンス」

それにしても今思い出したが、中国東方航空の躾の悪さは天下一品だった。スチュワーデスはまるで居酒屋のバイトのネーちゃんそのもの、つまみ食いもすれば仲のよいスチュワードとにこにこだべっていたりして、そのくせ我々を見る目は冷たく、例のスチュワーデス独特の笑みは全く見られない。更に、張りだした私の肘にワゴンぶつけたり、はみ出した足を蹴飛ばしたり、まったく油断がならない。空港へ降り立つも空港職員の態度の悪さが目に付く。制帽を被っていないもの、胸を肌蹴たもの、多いのがポケットに手を突っ込んでいるもの、機長や副機長までが片手をポケットに入れて通用口で凄んでいる。そしてその殆どが人を威嚇するような、虚勢を張っているような妙なスタンスをかたくなに守り続けている。警察官も民間人も皆、映画の悪者に思えてきて相棒に伝えると相棒も頷いている。躾はその国の文化レベルのバロメータだと思う。こと大会社の受付が、その会社の文化を象徴すると言われることと同じように空港の第一印象は、その国のレベルを物語ると言える。さて上海動物園からホテルへ移動、ホテルで一服してから何とか酒家という、高級有名料理屋へ行った。そこは大きな生簀に魚介類、すっぽん、蟹等々を活かしており、それらを指差して注文するという豪華な店だった。ピアノのBGMは一見更なる豪華アイテムだが、ここのピアノはその実思いっきりへたくそで驚く。ミストーンミスタッチを1分に1回は繰り出すものだから、私の視線はついそこへ向かい、奏者もさりげなくしているが、内心は気まずいのだろう、ミスを知る私と目が合い顔を紅潮させ、互いに具合が悪かった。その後、奏者がさりげなく何回も私の方に視線をやり、私の表情を確認するものだから、私がピアノの彼女が好きなのではないか?等と下品な話を皆が始め私は更に不機嫌になった。仕事の成功を祈り、幾度か乾杯を繰り返し、食べ進むにつれて、「!」ここで初めて気がついた。向かいには同行の社長の彼女。藤原紀香似の美人の彼女のことだが、行儀が悪いことは先回書いた。その彼女は社長にやたらめったら積極的いちゃいちゃ大作戦を展開するの為、つい眼につく。へたくそピアノ同様観てはいけないのだが目に入る。見ちゃ駄目ぇと言われて目がゆくあれだ。おまけに飛び切りの美人ときていて尚更始末が悪い。私はその海鮮料理を中心とした皿から色々取ってもらい食べながら、青島ビールを注いでもらいながら飲みながら、思わずそれに気付いて箸を落としてしまった。「!」相棒はトンカツ大好き人間で、それには気付かず、食わず嫌い人生を一途に遂行している様子で、箸と視線を食材のあちらこちらにふわふわと漂わせ、私の顰蹙を買っている。食わず嫌いの人間は詰まらない人間が多い。食わず嫌いの人間は頭が悪く気が利かなくて阿呆たれでSEXが単調で話が面白くない、つまり付き合っても詰まらないこと甚だしい。で、私は箸を替えて貰って、もう一度その彼女の顔を眺めてみたが、間違いない!「彼女は鼻髭を蓄えている」のだ。ちゅうか鼻髭を手入れしないのだ。ちゅうかそういう手入れの習慣がない地方出身なのだろう。髪の毛も眉毛も柔らかな茶色に染め上げているが、鼻の下でふわふわ生えたその草原は黒く柔らかに密集していて、彼女の陰毛をも思わせた。椎名誠のロシア紀行で読んだことがあるが、大陸には鼻髭を生やしっぱなしにする習慣がある民族が多いのだそうだ。ロシアの東南部に住むコサック民族は、その髭をよりあげ跳ね上げることで有名だが、椎名はスチュワーデスにそのコサック髭を発見し、そのはっきり手入れしたような生やしかたで偉く感動していたのだが、私は藤原紀香が髭を生やしていることに驚き箸を落としたのだ。昨日まで我等に「紀香」と呼ばれていた上海美人は、その後「鼻髭」と呼ばれることになる。朝は気付かなかったこともあり、もしかしたらこいつは男(ニューハーフ)で、夕方に髭が伸びてきたのだはないか、と観察してみるがどうやらその毛は産毛のように柔らかく真っ黒で、一度でも剃り揚げた形跡がなく、いやいややはり鼻髭女であろうという結果になった。

凶日  はたらくことたべることあそぶことわらうことねむることいきること

当て所なく一人歩く夜があり、皆とホルモンつついて駄弁る夜があり、夜の河をただただ眺める夜もあり、クライアントとミスドを食べながらビール飲む夜もあるかと思えば、大事な友人とテッサを食べる夜もあったり、焼肉で盛り上がり、スタジオでベース爪弾く夜もあった。昼は真に忙しく、取り込みすぎたきらいもあるがなんとか3つの大きな山に取り付いて頑張り続けている、なにより趣味に合う面白い仕事なので飽きないのがなにより、仕事のストレスもある意味頑張りのパワーになっている。しかし、オフも副業関連で目まぐるしい。仕事仲間やバンド仲間、副業仲間にクライアント、ボランティアに唯の友人、つきあいは年齢に比例して増え続け、今では自宅での食事は週に1度も無いこともある。そんなこんな、毎日を送り続ける中で、何か誰にもココロ許さず、世の中を全て斜に見て、誰も寄せ付けず、完璧に乾いている自分を見つけてしまい驚く事がある。そしてその後、突然あいつ、彼がやってきて、私の耳元でささやき、わき腹に鋭利な一撃を与えて去って行く。両手が下がり、思わず声が出る。わき腹に汗が吹き出る。すべてもの価値観が一瞬にして失せ、一度に皆の顔が見えなくなる。おまえは何をしているのだ。私は生きている。貴方は何故を走っている。私は何故止まっている。私は何をしている。私は生きていて彼は死んでいる。貴方は電話に向かって何を言っている。机の上の高く詰まれた紙切れはいったい私の何なのだろう。蹴散らしたくなる。パソコンの画面を割るイメージと拳が血に塗れるイメージで猛烈に吐き気がしてくる。孤独と絶望と死の間違い無い確実な感覚で私の呼吸はは完全に止まる。私を解すものは何も無い。私はただ目を閉じ、体の上をゆっくりと通過する、その重く嫌らしく陰湿で確実な事実の執拗さに耐え続けるしかない。そう、いつかはきっと楽になる。

凶日  かぶとむしのやまのなかでやがいのらいぶかるくちる

色々な出来事が舞い込み、やっつけては舞い込むように延々回り続け、仕事は3つの大きな山を抱えるまま、これもまた宿題が溜まり続け、ストレスの逼迫する中、今日何事も無いように野外でのライブがあった。昨夜も中国行きのビザを記入する為の会、とかなんとか言いながら旅行するメンバーで遅くまで基地近くで飲み続けた。私は肝心のパスポートを持って行くのを忘れ、飲み行っただけじゃないか?と皆にやじられた。で、今朝はおきまりのあんぽんたん、デフォルトの二日酔いであったが、なあになんとかなると、シャワー浴びて楽器を積み込んだライトバンにひと蹴り入れてメンバーを拾いに行く。途中涙目の生あくび数回、ゲロの予兆数万回。行き先はとある近場のランドマーク。プールや色々な遊危惧のあるその会場は、今日一日VWのミーティング会場となる。その昔、ドラムとともにビートルフリークでもあった私は、東京で車を買いつけ、船で博多港に送ってもらい、博多のショップでチューニングをしたり、内装外装を交換したりして、一年中ビートルで遊んでいた時期があった。1965年式のTYPE-気鬚りかりにチューニングし、スカイラインなんかぶっちぎる快感ったらなかった。そんなビンテージVWが今日は100台単位で集まって、プラモデルの見せっこみたいなミーティングがあり、その会場でBGM代わりのバンド出演の話だった。知らないバンドが10バンド位集まって、次々にMC無しで演奏しては帰って行く。客は当然ワーゲンファン。音楽は唯のBGM。客の熱い視線も結構プレッシャーなのだが、しかしこの、しかとする客層も辛かった。車見ながらよそ向いて聞いてるんだろうけど、ステージ前に来て、顔を見て、演奏を聞こうとする客は基本的には居ない。後で数人やってきて楽になったが、、、。それに今日は我々のバンド仲間も居ない。語り掛けようにも居ない客を相手には話しづらい、メンバー紹介もくそも無いや!MCも省略、そそくさと曲はやっつけたが、何せこれは始めての雰囲気だった。突然ギターがあがり、音が切れた。ドラムがぼろでキックが外れ、音が切れた。これにはおいらもびっくりだ。最後には、おいらもきれそうになったが、なあに唯の遊びじゃ。演奏は40分、そそくさと楽器を運び、打ち上げもなしに、今日はお開きとした。何か皆疲れた顔をしている。一応、VWミーティングの主催やPAさんに挨拶をし、ライトバンに楽器を積み込み、海を見ながら車を走らせ帰り、練習場に運び込む。メンバーと別れ、シャワー浴びてさあて何処かでビール飲もうかな?にも14時。仕方なくコンビニ弁当を買って自宅でビール飲みながら1時間死に寝、起きたら色々な今日の音が蘇ってきた。腹が立ってきて収まらず、メールで整理して、次の目標を決める。メンバーにも駄目出しメール。来月はわが社の秋のまつりで、ライブ。それまで、また、色々な事がある。私の開発したとあるシステムをお偉いさんの集まる技術報告会でプレゼンしたり、全社からやってくるシステム担当と展開するシステムのコワークをこなしたり。色々楽しみなのだ。全社展開では、大牟田から名古屋まで色々な工場があり、行った事も無い所もあって、楽しみなのだ。月末には香港、シンセン、桂林行き、これは観光と副業。来月は再び韓国ボランティアの旅行。ここにはベレッタを撃ちに行ってくる。頭の中で今日のステージの風が吹いている。ドラムの音と、ベースが絡みきれないまま、乗り切れないまま、ギターがこけた。いじいじしてて嫌だなあ。今日もプライド一杯のまま引き上げたが、結局完敗だ。そのことは私が良く知っている。ええい。

凶日  うるさいおとははんざいだしくさいにおいもはんざいだとわたしはおもうのだがわるいことにそのはんざいしゃはそのつみにきづかないということだ

匂いに敏感になったのはいつのことだったか。煙草を突然意地で止めたのが10年前、その後、煙草の匂いが嫌いになりはじめてからだと思う。当然のように人の匂いが気になり始め、香水が嫌いになり、自分の整髪料やアフターシェーブを無香料にして、香水の匂いのきつい人を避けるようになった。人の匂いが駄目になり、食物の匂いに厳しくなり、味も少しすつ判るようになった。匂いは記憶に留まり、いつしか私は場所や思い出を匂いと共に思い出すようになる。全ての情景は風と匂いで記憶するのだ。口臭体臭に敏感になり、今までここに誰が居たか分かるようになり、自分の体臭の変化にも細かく気が付くようになると、もう病気だ。病気の前兆だ。そして匂いに煩くなるうち、味にも極めて煩くなる。不味い食べ物が増え、美味いというものはどんどん思いなおし不味く思えてきた。美味しいものが減ってくることは、ある意味不幸ではないか。いや、何事にも敏感になって幸せになったという事例を私は聞いた事が無い。仕方なく美味しくないものは食べない方針を貫く人生を送る私は、当然のように、どんんどん食べるものが無くなり、最後には、、、、なんて、んなこたあない。UFO丼もしかり、 B級C級、Z級グルメは今でも好きだ。何故故にもともと音に敏感な私、鼻まで過敏になったのか?じゃあ悪くなった部分は無いんかよおたく?あるのだなこれが、でも、えへんえへん、言わないのである。

吉日  コマネチ!と叫ぶこまわり君の台詞の中にお気に入りのこういうのがあった「ぱんつのなかにはなにがあるのかな?」しかも小枝でスカートめくりつつ

与作は木を切るが自然保護に興味が無い故に木なんか植えないし、女房は洗濯をしているが家事について不満で一杯、いつか爆発するが本人は気づいていない。森の熊さんはとことっこ、と〜こ〜と〜こ〜と〜、、とお嬢さんを追いかけているうちにお腹が空いて思い出したようにお嬢さんをばりばりむしゃむしゃ食ってしまうから皆さんも要注意だ。バスの中で輪唱している場合ではない。川の上流から流れてきた大きな桃をざっくり切ると桃太郎が真っ二つで、座敷は真っ赤っかになって、げーっ!て慌てて川にそっと流し、知らぬ顔して再び洗濯し始めるおばあさんを横目に、居たたまれなくなり山へ出かけるお爺さん、そう混乱した時には日頃の作業が精神を癒す、浮気がばれたらカッターシャツにアイロンをかける男もその同類。トムよりジェリーが悪役だと気づいたのは中学2年の夏だった。同級生の女の子にしつこく追いかけられ、まじ恐かった。ラブレターは唯のやばい脅迫文書であり、やみくもに逃げた私をつい追いかけてしまうのは、恋愛の方定式入門偏であるが、その頃は何ーにもわからんけん!である。わからんけんね、しらんけんねー、のけんね男である。クラブ活動をしていると鏡で光りをよこし手を振る、机に着くと名前が彫り込んである、下校時には肛門、いや校門から飛び出してきたりして、わーっ!てまじびびったりした。胸が押し潰される悪夢は高熱の夜、ウルトラマンの支える上で私が横たわり、その上を機関車がぐるぐる廻っているのだが、そのシチュエーションで一番恐かったのは親も友人も、死んだ婆ちゃんも、誰も助けてくれないという真実だった。諦めと恐怖の狭間で私は幾度もウルトラマンの目の下にある節穴から俳優の瞳を呪っていた。台風が過ぎ、グリーンスタンプで貰ったウクレレをギターに持ち替え、Amから始まる歌謡曲を弾いていると、牧信二の呪縛が解け、あーやんなっちゃった♪って私はある日イラストレーターからミュージシャンへと変貌した。青い草の吐息と水の中で水中眼鏡をかけていても、もわんと匂う西瓜のような淡水独特の甘さは鋭利な刃物のように私の鼻孔奥深く突き刺さり、私は土手まで来るだけで鼻の奥がつーんとした。山を歩いていても、鼻の奥がつーんとすれば、近場の水源があるセンサーのような鼻の頃もあったが、いまでは少しばかし鼻が利く程度だ。あの水アレルギーはなんだったのか。グリーンスタンプでは望遠鏡を貰い、屋根の上から近所の姉さんの着替えを覗いたり、顕微鏡を貰い、手淫の後で精子が蠢く様を見たりした。ある日、突然に夏休みは終わり、風が吹いても勃起するパニスを眺め、私はスカートの中に何があるのだろーか?なんて考えたり、何故に足を見ただけでどきどきするだろーか?なんて悩んだりしたが、スカートの奥にはパンツがあり、パンツの中にはおやまあ!と驚く毛深さの奥に、ヴァギナを核とした何かしらん色々があるのさ。なんて今では落ち着いてしまう年代になったことが悔やまれる。小学6年、同級生の女の子を全員後ろ向きに並ばせ、お尻を全員出させたり。皆にペニスを口にさせたり、そんな妄想。今考えるとかなりの子供のくせにだが、なかなか、というか、かなり「S」に傾倒していることが伺えて面白いと思う。小学3年、勃起したまま授業受けてたら、隣の平田さんのスカートが短くて、太股が見えて心臓が口から飛び出たことがあるが、その真意が知りたくて私は友人達と講堂のステージ下によく隠れた。放課後の上級生の掃除する様がその板目の隙間から垣間見られるからだ。上級生のスカートの奥、縫い目の中心には、こんもりとしたなにやら盛り上がりさえ見えて、友人とくすくす笑っては堅くなったペニスの行く宛ての無いもどかしさを味わったが、男というものはつくづく可愛いもんである。先日、女友人と話しつつ歩いてたら、信号待ちの女性のスカートが捲れてパンツが見えた。思わず電話のこちらで声を出してしまう「お!ラッキー」相手はどうした?と聞き、私は説明する、「ぱんつや」パンツ見えて嬉しい歳?「どうということはないけど、ちょっとだけ得した気分なんよ」何円くらいか?と聞かれ「缶ジュースより20円高いくらい」。パンツの中は非日常であるべきで、非日常がゆえ後光が差し、ありがたみが増す。異性は日頃別々に暮らし、非日常を共有するが、結婚することによってお互いにそういった異性の一切合切が間近になり、非日常から一気に日常へとなだれ込んでしまうことになってしまい、それが倦怠期の主原因と成り得るのではないだろうか?先程まで股間にじっとりと食い込んでいた黒レースのTバックスキャンティが卓袱台にあがり、お惣菜と同等の日常を手に入れるなんてことは決してあってはいけないのである!。どん!(テーブル叩く)ふーふー(手を吹く)パンツはもういいや。目くそを目あかと言い換え、耳糞を耳垢と言い換えて

普通の日  こんしゅうのしごとのにっきとどきゅめんとのありかたあれこれ

北は千葉から南は大牟田までエンジニアが集い、全社に展開するシステムのキックオフを行った。知らないおっさんたちが、知らない街に集まって、なにか訳のわからん事言う私の話を聞くように、そえぞれのトップかたから言われて仕方なくやって来るのだ。その展開するシステムは私の部署が開発元なので、当然のようにリーダーは私、ホストも私と相成る。リーダーもホストも大嫌い、人がぐちゃぐちゃ集まるのも、秩序も教育も会議も議論も殆どの大人の世界の出来事に全く興味が無い、成熟しないままのこのおいら=中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマン。それでも殆どの打ち合わせや宿の手配をメールで済ませ、電話一本かけることないまま、顔も声も知らないまま、約束の時間に、こちらの事務所の会議室にきちんと指定時間どおり集まっている面面を眺め、汗が噴出し、気が遠くなった。なんかのオフ会みたいなー。宝塚系の美形薄毛50歳、シベリアンハスキーの淡い目をしたサッカー選手35歳、バーコードでデブで汗かきで早口で不潔で馬鹿な50歳、バーコードで控えめで決して目を合わさない人の良い50歳、パーマかけたヤクザ系55歳、百姓系ゴマジオ頭55歳等など。それでも皆ばりばりの電気系エンジニア、そんなナイスな面面の中、しょっちゅういらぬ事言う名古屋からの担当が、額に手をやり、汗を拭き拭きプレゼンというか教育を始める私を気遣ってくれている様子だったが、大丈夫ですと答えておく。いやしかし、しんどいのは本当。いやはや、なんのことはない、体調不良の原因は前日の飲みすぎによる二日酔いでなのであるのだなこれが。なーんて、なーんだ、と言う無かれ。「あ!まずい」「あしたプレゼンせにゃならん」「こんなところで飲んでる場合じゃない」「俺は帰る」「だから帰る前にみんなラーメン食べよう」とかなんとか言いつつラーメン待ちでビール飲んだのがすでに02時なのであった。この夜は副業の営業で、パソコン関係の優秀な売り上げを誇る他社の営業との顔合わせだ。男同士の対面に先制攻撃をしかけるべく「強い男=沢山飲み食い出来るもんね〜」の「もんね系公式」を全面的に採用、単純で馬鹿なのは重々承知の上で、ビールを余裕で4リットル飲んで見せてしまう。相手も兵で3リットルまで結構頑張ってついてきていたが、飲む=眠くなる=フニャチン男生成ロジックがプログラミングさえている様子で、2次会で潰れてしまった。うはははは。そんなこんな、すっかりあくる日の大事なキックオフを兼ねた教育の講師をすることは3ヶ月も前から決まっているおいら、どうやら幾ら痛んでも転んでも苦しんでも、繰り返し同じ道を辿り、同じ穴に落ちるというロジックが働くようにプログラミングされているようで、ふと気が付くと明け方なのであった。帰宅してメールチェック。下らないメールをどんどんゴミ箱に入れているとついにはメールボックスが空になってしまった。何のメールを読んだかはもう今となっては不明。記憶喪失のまま起きたのは7時、頭痛のままピンクグレープフルーツジュースを300cc飲み、熱いシャワーで身体を起こす。移動の度に胃が躍動というか痙攣というか、朝の体操を始めるから油断がならない。うえっうえっとえづく度に胃液ではなくピンクグレープフルーツの香りが口蓋一杯にふわーっと広がって、ああおいしい「ひと飲みで数回美味しい」なんて言葉がふと浮かぶが、きりきり痛む頭痛頭では思考回路は開かない。排便して、出社してプレゼン資料を取りまとめ、合わせて配布資料もコピーする。各10部づつのコピー、あまりもの量なので外注すると請求が5万円来て驚いた。プレゼンというか教育はそれでもなんとか穏やかに終わり、へとへとで定時を迎える。当然のように、他事業所からやってきた面面は目を丸くして夜のことを期待しているから、仕方なく二日酔いのまま宴会会場へと案内した。あとはお決まりのコースであった。詰まらない料理で詰まらない生ビールを数リットル飲んで、飲んで飲んで、料理屋で気遣い、クラブで気遣い、ホテルへ面面を送り、へとへとで帰り着き、頭の整理。あくる日の、続いてある午後までの会議に備える。倒れるように眠るも眠すぎて、疲れすぎて眠れない症状のまま2時間悶々とする。7時起床、プチ二日酔い。うわー頭いて。排便、ピンクグレープフルーツジュース、歯磨き、うえっうえっ、二度美味しい、熱いシャワー、しゃかしゃか(ネクタイの音)ぼぼぼぼ(車の音)無音(出社)。コーヒーを人数分お盆に乗せ会議室へ、朝からぶっ飛ばそうと面面を眺めると、半分はまだ眠っている、酔ったままの顔つきで頭を抑えているのは大牟田から来た肥後モッコスの宝塚系男前親父である。こやつ典型的熊本県人、延々と飲み続け私を完全に敗北に追いやったのである。今朝は皆がしんどいのだ、それでも、コーヒーでだまし騙し午後まででなんとか会議を終

凶日  飛行機が何故飛ぶかはフライとシミュレータの分厚いマニュアルで知ったがやはり飛行機は落ちないと信じている人たちで一杯になっているが故あのジュラルミンの塊が飛ぶのだと思う私のように信心の薄い人間が乗ったらいつか落ちるに決まってる

来月の出張は渋谷方面。一週間の滞在故、宿は慎重に選ばねばならない。メールで旅行会社に格安切符を頼んでおき、今、ネット漸くで宿を予約した。山手線から遠からず近からず、遠くだと不便だし近すぎると当然煩いから要注意。そして近くに繁華街があり、そしてビジネス並みに安くて、きれいなビジネスよりグレードの高い宿が取れた。で人安心。さて、ではたちまち次の心配は今週末の中国行きである。副業で関係があるの中国側の社長と打ち合わせを兼ねて、最終目的地は桂林を尋ねる観光だ。社長はシンセン在住なので我々はまず香港へ、そして電車でシンセンへ再入国、シンセンから桂林へ行くのだが、その初日が厳しい。私を良く知る読者なら私の飛行機嫌いをご存知であろうが、極端な飛行機嫌いのこの私、毎度毎度落ちるイメージで一杯のままのフライトなのだ。その私が何故故にこれまで嫌がるかというと、今回は飛んで、降りたらホテルへ直行ではないというのだ。そのため飛行機の乗る回数というか、離着陸の魔の10分間の回数回数が多いと言うだ。今回のフライト、福岡を発った飛行機は一旦沖縄に降りるというではないか、「じゃ海水パンツ持って行くの?」なんて無邪気に聞く私、中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンに対して、今回ツアコンを務める副業の相棒は冷たく「一旦着陸して乗客を追加したら直ぐ飛ぶんですよ」と言い放つ。更に「シンセンについたら社長と待ち合わせて直ぐに桂林へ飛びます」等と言うではないか。すぐ飛ぶって、なんで?中国大陸で中国の会社の飛行機乗るなんて聞いて無いよ。「ねえねえ電車とか無いの?」「新幹線のような列車は無いんです、電車なら3日かかります」と更に冷たい。えええ?行きは福岡から沖縄、沖縄から香港、シンセンから桂林?都合3回、魔の離着陸、一番墜落の確立の高いその10分間を6回も!ろろろろろっかい5回も味わう羽目ちゅう訳かい!まじかよ。ろろろろ6回もかよ!と急遽三村化したまま私は頭を抱えるのである。その昔、飛行機は絶対に落ちると確信したまま、金輪際乗らなかった私に急な出張が入り、ちょうど阪神淡路大震災後のJR新幹線不通の最中で、じゃあ年休取って山陰線を利用して乗り継いで遅れないように行きます、と言う私を「急いでるんじゃ早よ行け!」と怒るサディストの上司の指示で仕方なく、生まれて始めて飛行機を利用したことがあった。汗びっしょりで目を閉じたまま、少し揺れるごとに看護婦、いや違ったスチュワーデスの顔色を伺ったりしながら、静岡上空あたりであったか。突然、機長がアナウンスを始めた。「只今、富士山上空を通過中です。好天に恵まれ、頂上観測所がくっきりと確認出来ますので右側の窓をご覧ください」どやどやと人の声が大きくなり、仕方なくそっと目を開けると、一斉に皆が立ち上がり、右通路へ流れて行くのが見えたから驚いた、そして私は目を見開いたまま慌たまま、こういい放った。「駄目駄目駄目駄目!いっぺんに皆が行ったら飛行機が傾く!」

凶日  ばかでぶさいくでひまんでじしんまんまんがやってきてつかれたことしねしねでぶしねしねしねばかしねしねしねぶすしねとおもいつづけていたこと

頭の悪い人は何処がどう自分の能力が不足しているのかを知らないからたちが悪いったらない。故に自分が責められると激怒し、褒められると安心する、というまるで1+1=2みたいな単純明快さで勝負しているから近寄れない。自分を知らないことすら、他人のほうが良く知っていることすら、知らないまま、死んでしまうのはある意味幸せな人間ではあるが、私に近くには来て欲しくない居て欲しくない。はっきり近寄らないし、近寄せない、遠ざけたい、蹴り飛ばしたい、鼻血が出るまで殴りたい、耳の穴に使い古した割り箸突っ込んで脳みそのダレた部分を出しつくしてやりたい、ちゅうか死ねお前的な、そういうスタンスだから絶対に相手にしない。馬鹿は馬鹿な自分の悪い部分を自己批判出来ないから幸せもの、悪いおひとよし、つまり馬鹿なのだ。完璧な人間は居ない。私だって中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンだって、バンドマンやってる、それも複数のバンドやってる私だって、もう極めつきのお馬鹿さんである、「馬鹿ね、うふ」なんて言われるのは嬉しい馬鹿だが、まじで馬鹿だな〜ってココロの奥底から泣きたくなる。布団のはじっこ吸って箪笥の角に隠れて反省したい、後悔したい、そんな馬鹿なおいら。そんなおりこうさんしか近寄せないおいらに最近、自信満々のおお馬鹿がやってきたから驚いた。おまけに誰にも好感を持たれているという大勘違い肥満体。声は大きく顔も大きく、なんにでも顔を突っ込んでくる、自分の主導権を主張する、責任を自らもぎ取るが能力が無いからぶち壊しになる、だから何を起こしても失敗する、結果、失敗の責任を転化する、そして、ふんふんふん、髪を撫で付けている。自分に非は絶対に無い、悪いなんて考えた事も無い、誰かを悪者にしてきて今まで生きてきたから、平気で転化を行い、反論に逢えば激怒する、だってそうしなければ自己崩壊を起こしてしまうのだ。皆へ面倒だから「そうそう」なんて相槌をうつから本人はもうナにやってもいい権利を手に入れたがごとく派手にやらかす。決して付き逢わないし、寄せ付けない、こんなおお馬鹿は話しもしたくないし、口は訊かない。そうココロに決めたまま、私は話を聞く事も無いまま、外のスズメを眺めたまま、「後でラインを通してお返事します」とだけ言い、あとは知らぬ顔してお帰り願ったが、きっと私の悪口を言いふらし憂さを晴らしているだろうと思う。ま、どうせ私は社内では怖い、悪い、近寄れない、怪しい、そういったイメージが定着してあるから問題ない。関係ない。そのほうが面倒くさくも無いからかえって楽。馬鹿とのお付き合いはまず近寄らない、近寄せない、仕方なく会っても物言わないままやり過ごす。これが極意じゃの。反して、私の周りに居る、少数のおばかさんは皆頭がよくて、皆その道のプロで、知らぬ顔して私は無条件で可愛がっていることは言うまでも無い。そう私の周りには馬鹿と不細工と肥満は居ない。

凶日  きりょうってなんだろーか?というぶしつけなしつもんにまいるわたしはまちがいなくきりょうがちいさい

器量とはなんだろうか。ううん、難しい。器がでかい、すなわち人物である、具体的でない、分かりづらい。徳がある、ますます判らん。地位にみあう才能がある、これがいいかな?。それに加えて人柄?見た目もかな?ううむ、あるある。度胸があり、男前であり、魅力があり、頼りがいのある、大概の金が動かせる男。ううむ、金はぶっちゃけ難しいけど、俺なら器量ってどうかしらねで、ひたすらにおいらの定義を考えた「努力に裏付けられる自信が嫌味なくにじみ出ていて相手に安心感を与えることが容易く普通の状態で出来てしまう潜在的な能力」これが器量かな、、で、これは持って生まれたものではない、きっと常に自分をブラッシュアップしておくことによって自然に叶う能力であると考えるのである。でも、まとまってないな、ちょっと訳わからん。そういうおいら、理想はこれに近いところを常に狙っており、たちまち部下もいまんとこ幸せもんやとは思うけと、なにせこのオレ、了見が狭すぎ、顔すなわち器量そのものが悪い、そして気が短かっ過ぎ、「おらおら!」「このぉ!たこすけ」と直ぐに怒ってしまうのは仕方ないが、最近の男子は怒らないのが気に食わないこのおいら中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマン。結局器量は小そうござんすな。というところで、器量を備えた人ってなかなか居ないんじゃないかな?って思う。俺も理想系リーダ目指してるようなトコあるけど叶わないな、なかなか、特に若手後輩の前で、カツ丼とカレーをぺろりと食べて威張ってたり、ビール4リットル飲んで威張ってたり、男らしさを勘違いしているお馬鹿さんしてるようじゃ駄目駄目。

凶日  いわゆる頭が良い馬鹿ではないというのはこと学力とは無関係だと思ういつかの私のボスは典型的馬鹿で前に出たがり決めたがり結果むちゃくちやになるだびに私はフォローで疲れ果てたが馬鹿はそのことすら気づかないまま責任感に燃え能力の無いまま暴走を続けるのであった

「馬鹿!」面と向かって言われて腹がたったら、あんたはほんまもんの馬鹿だから腹をくくり、私は馬鹿、私は馬鹿、、と数万回唱えながら三原山てっぺんに靴を揃えて身投げするほうが社会のためであるから、すぐさまネットで格安切符を手配することだ。なーんて、んなよーな事言うと馬鹿の保護団体から批判メールの山が来るからフォローしておいたほうが身のためだが、へっ!かんけーないね。馬鹿死ね。おいらほんまもんの馬鹿嫌いだから撤回しないんだなこれが。因みに、おいらも馬鹿です。正真正銘の馬鹿、筋金入りのお馬鹿さんである。だが自分の馬鹿な部分を知り尽くしていて、後悔と反省の折り返し運転的人生を余儀なくされている故、お許し願いたい。利口そうな言動巧みで近づいてくる色々な人を戸惑わせ、仕事と遊びでぶんぶん振り回すが、時折立ち止まり、自分の馬鹿さ加減でジレンマ、自己中毒症状だ。布団の角をちゅちゅう吸って、コオロギのココロのまま、箪笥の角でしくしく、しくしく、ほんと馬鹿だなーって思うのだ。さて、大阪弁のアホと同じ、バカも、ことバンド関係やゲイジツ関係でではイっちゃってる(Outs)野郎をバカとかアホとか褒めちぎることがあるから素人衆は要注意だ。ぎゃははは、バカだなー、は羨ましい感嘆。だからこの褒め言葉の馬鹿も論外。さて、馬鹿ってたって種類がある。基本的に知能の低い人は保護しなければならないから優しく取り扱い論外。今回取り上げた馬鹿は適当に学力があり、故に自分が馬鹿ではないと信じて疑わない馬鹿と、優れた学力と能力があり、馬鹿なんて聞いた事も無い、でも人間関係で結局馬鹿な馬鹿。どちらも自分の馬鹿さ加減を把握しないまま、非常に利口だと信じて疑わないからたちが悪い。耳元で「馬鹿ぁ〜」と囁かれるような幸せお馬鹿も居るがその馬鹿も論外。身近に居る馬鹿、仕事も出来る、地位もある、金も回るし、家族も居る。でも、なんか嫌われる、あるいは俺もあたしも大嫌い。鼻につく。ばっかじゃない?。そういう人って居るでしょう?。そういう人って馬鹿だから故に自分が全く持って利口と信じているから、そういう他人の心が掴めない。馬鹿だから、嫌われている事にも気づかない。ある意味不幸であり、馬鹿と気づかないまま、人に慕われていると信じるまま、死んでしまうからこれ程幸せな勘違い人生は無いかも。でも、馬鹿は色々迷惑だから、この度なんとかして思い知らしめてやりたい、と思うのは素人の浅はかさだ。ほんもんの馬鹿は忠告されると激怒し、貴方を理不尽な言葉の暴力と言いふらしで攻撃する。馬鹿自己防衛本能の理不尽さは天下一品、秀逸だ。馬鹿は自己批判すると生きて行けないロジックしか持ち合わせが無いから、仕方ないのだ。許してやろう。馬鹿は褒められなければ生きて行けないのだ。許してやろう。だから馬鹿を悔い改めさせる事なんて考えないことだ、不可能と知るべきだ。あなたや私には、だから、馬鹿を旨く使う、馬鹿を近寄せない、これしか生きる道は無い。馬鹿は所詮馬鹿だのだ。判ってもらえない相手と同じ土俵にあがるときっと負けるし第一疲れるだけだ。

凶日  すきっ腹で風邪薬と鎮痛剤をがりがり齧ってぬるいビール飲むとラリるから要注意

微熱を押して出社し、電子メール20件を読み、編集返信を繰り返し、下らないメールはゴミ箱、大事なのは他へ依頼転送したり掲示板で公開したり、実際に紙で回ってくるメールを処理し、金を払い、今日中に済ませるべき打ち合わせをちょこちょとっと済ませ、同僚や女性に辛そうな芝居をしつつ仕事と頼み、鼻をかんでコーヒーをひと啜り、風邪薬飲んで一息したらああもう10時を回っていた。慌てて小ボスのサルへ年休を告げ病院へ、風邪薬と抗生物質を貰い、喉がどうとかで10分吸引する。昨年バンドをまじで始めてから喉からの熱が多く、昨年は夏に42度という高熱で記録を更新し11日休んだから今年はバンド練の後にはイソジンガーグルでうがいを欠かさなかった。なのに、昨夜の涼しさで軽い風邪ひいちまったな。寒い寒い夢を見て、氷河の上を彷徨い、クレバスをジャンプしてるといつのまにやらクレバスの奥から赤い舌がひらひら現れ、そいつはいつの間にやらヴァギナの形相でマリオに出てくる花のように噛み付いてくるのであった。でも、まじヴァギナに歯があったら怖いな、、で、起きれば頭が痛くて体がだるくて寒気がしたというわけだ。吸引を終え、病院からコンビニへと移動し、合成保存料の塊のコンビニ弁当を2個、C1000武田とヴォルビック二本買う。自宅へ帰り付き、メールチェックしつつ弁当を2個食べ、薬を飲み、横になるとあああとため息が洩れた、20世紀少年9冊を読み返しながら眠る幸せ。起きてはアクエリアスをごくり、再び20世紀少年読みながらうとうと、最後はしっかりと眠る。夢は仕事の夢ばかりで情けないが、今ちょっとでかい山3つに取り付いているので良いストレス状態なんだと思う。ストレスは仕事のためには必要で、適当にこなしていけなくなるちゅうと「ぽん!」パンクする。1991年の悪夢が蘇る。何事も過ぎたるはなんとかの例え通りやね。汗びっしょりで夕方ごそごそ起き、軽く熱いシャワーで汗を流す。夜はGSバンドのほうの練習日。久しぶりの集まりだ。早速チューニングして、輪になり、まずは近況話。マスターが「晋吾と欽ちゃんの仮装大賞」に出た話で盛り上がる。むちゃくちゃ動き回っているつもりでも、動きはさほど大きくは無いという話で一同頷く。自分が自分への評価は課題で、現実は過小というのにも似ている。結局自分は自分で見えないからあかんのやね。常に自分を第3者から見るつもりで行動するのはゴルゴ13のスタンスだが、おいらも基本的にこうありたいと願う中年で孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマン今日は風邪で体がふわふわ。1時間ほどビール飲みつつ歓談。エロ話が飛び交うのは女性が居ないバンドの特権、いやはや女性に聞かることの出来ない話がじゃかすか、おいらも絶好調で参戦。そのうち、じゃ!やるか。ってんで、ワンツースリー、5曲をぶっつづける。途中で手直ししつつ、ま、こんなもんだ、とはマスターの弁、マスターというものはいつも何処でもいい加減なものである。O型気取りでちょうどよかばい。おいらのようにA型は基本的には向いてない、しかし、ベースはA型が多いのは仕方ない。で、またビール休憩。飲んでばかりなのである。休憩が終わり、今度は50年代のポップスをというので、おいおいというまもなく簡単にコードを打ち合わせ、スタンドバイミーからロックアラウンドザクロック、監獄ロック、、えとせとら。簡単な曲ばかりだが始めての演奏、それでもなんとかついてゆき休憩となる。ええ「感」してますなあ、とは私への褒め言葉。するとマスターなにやら30曲は曲名が書いてある紙を取り出し、来月このバンドで単独ライブやろーか?、やってみるかもしれん、できるかも、やってみれば、みるとき、やってみることもやぶさかではなく、、とか言っているが結局やる話になることは目に見えている。本番まで二週?間?、きえー!しかし私は明日から2日間教育と試験、そのあくる日は4時に起きて博多空港へ向かわねばならない。そのあとは香港シンセン桂林と続き、帰り着けば仕事の山だ。そんな私、知らない曲30曲覚えてのライブ?、果たして可能なのだろうか?私は疑問一杯にした頭で必死に考えてはみるのだが、これまで生きてきて、何事も結局なんとかなったことを思い返し、うんこ洩れそうなホームでも、ゲロ吐きそうな高速道路でも、おっと高速道路は窓から顔出しながら吐いたっけか、まあ、結局、自分を信じる事にした、なんとかなるさ。今日も若干の微熱、しんどいのだが、なあにかまうものかとビール飲んで風邪薬がりがり齧っているトコ。

凶日  じゃるもちゅうごくもしんようしてないけどしかたないからもーいってきまーす

疲れました。流石にタフでクール、中年のくせきで孤高を気取る大偏狭極まる凶眼のリーマンも、昨日今日はバテました。酸素欠乏危険作業主任者の講習を2日に渡って受けてきた。SEの私、現場にはまったく縁の無い私だが、会社の方針で全員受講ちゅうんなら致し方ないったら仕方ない。仕事は売りたいほど、山ほどあるし、そんな時間は惜しくて仕方ないのだが、トップに言われれば仕方ないのが宮使えのつらいとこだ。10数時間に及ぶ座学と筆記試験。数時間の実習と試験。いやまさにへとへとです。楽しみは唯一昼食だけ、あそこの讃岐饂飩を久々に、いやいやロースカツも捨てがたい、小料理屋の刺身定食に山椒の利いた麻婆丼、、。あとは勉強勉強、最後の筆記試験は例によりひっかけで一問やられたが、大丈夫だろうとひとりごちつつ、いつまでもおっちょこちょいの未熟さ加減で可笑しくなる。なかなか大人になれないままここまで歳くっちゃった、なんてな。あは。そうこうして二日目の一番最後、もうどうにでもしろい!ちゅうころに救急処置実習と仕上げの実技試験があり、人工呼吸マウスツーマウスの実技があったが、ダミーは女性の肉感溢れる人形で、目を閉じ口を半分開いて横たわっているというみかけの辛さ。思わず怯み息を呑む。更にこの実技のお芝居の辛さったらないったらない。私は試験で教官の教えの通り走りより遠巻きに「人が倒れて居るぞ!」と声を上げ周りを見渡し「二次災害の恐れなし!、よし!」と声をあげ女性に近寄り、女性の身に異常が無いか目視で確認後「大量出血等異常は無し!」そして、女性の横にひざまずき肩を軽く叩きながら「もしもし、大丈夫ですか?!」これを3回、声をだんだん大きくしながら耳元で繰り返すのだ。ここで女性が「はい!」なんて言ったら皆腰を抜かすだろうなぁ、、なんて考えている私。意識が無いという設定だから返事が無いことを確認し「意識無し!」「誰か119番に通報してください!」と叫ぶ。すかさず顎を持ち上げ前頭葉を後ろへ押し、気道を確保。胸を見、鼻に耳をあて、息をしていないことを確認後「呼吸無し!」と叫ぶや否や、女性の鼻を押さえ口にぶちゅ〜っとかぶり付き、舌を深く差し込まないまま息を500mlを2回続けて送り込む、ここで女性の胸がせりあがり、乳首のぽっちがシャツのしたでも目立つのに目が行き目を見開くが、この私の下で口を吸われている女性はシリコン製で身をよじったりしないから何も心配する事は無い。身をよじられたら腹をくくるのが男であるが、今日は勘弁しておいてやろう。なーんて臆病なくせに人形には強気なのだ。息を 500mlを初回は2回送り、すぐさま脈を見る「脈よーし!」その後はリズムだ2秒かけて500ml送りこみ3秒休んでは2秒ぶちゅ〜、ぷーはーを繰り返した。ぶちゅ〜、ぷーはー、あーんもう。やがて「はい、いいっすよー」との教官の声で我にかえる。女性の口、私がかぶりむしゃぶりついたよだれだらけのあたりを、エタノールで消毒、次の受験者に代わる。シリコンの女性は目を開かないままだ。会場では100人程が5チームに分かれ、皆それぞれに女性の人形の横に座っては、口に口を押し付けている。中では「俺、どうも左じゃなきゃ出来ないんっす」なんちゅう若者も居たりして会場が沸いた。女を抱くんじゃないんだから、と言う私の声も笑いを呼ぶ。さて、へとへとで帰りつき、基地近くの居酒屋で近況報告。面白い香港料理屋を見つけた話で盛り上がる。ビールが勝手に出てくるから勝手に飲む。その店は古くからあり、食べても食べても減らないメニューが多いという。行きたくはないが、いつか大勢で押しかけてみようかな。さて、今から明日からの旅行の準備。パンツ4枚、靴下4足、出張セット、寝間着、コーヒー、、そんなこんな詰め込んで、明日朝福岡空港を9:15に飛び、 4日後に日本へ帰るぐちゃぐちゃの旅が待っている、風邪気味ではあるが無人島へ行く訳ではない、なんとかなるだろう。明日は4時起きか。それにしても、今日は悪い夢をみそうだ。なにせ、シリコンの女性の顔はしっかりと私の目と脳裏に焼き着いてしまっているのだ。それも半開きの口、で目を閉じた青白い頬。私はその彼女の口に、、、、今から思い出しても気分が悪いのだ。吹き込む途中で彼女が目を見開いたら、とふと思いついてしまって、思わず想像した私が目を見開いてしまったのは面白いが面白くない。

吉日  高所で一番怖い高さは10m前後である、それより低ければ落ちるイメージから降りるイメージへになり、それより高いと景色はどんどん遠景と繋がってしまい自分が落ちる景色ではなくなり死のイメージは薄れてしまう

さて、地上110mの煙突のてっぺんで、先端恐怖症、潔癖症そしてチョー高所恐怖症のわたし、中年で凶眼のやさぐれリーマンは、その110mのてっぺんで何を考えるか、よちよちと梯子に取り付いてふうふうぜいぜい登りながら果たして何を思うのだろうか?否、しかし、何も考えられない、何も考えられないのであるのじゃ。それどころじゃない。登りきれば天気良く、景色よく、トンビも鳩もはるか下を飛んでいるし、気分最高なんであるが、高所恐怖が故に若干ちんたまの裏あたりがもぞもぞする。昨年の登頂時に比べて今回は少しはへっちゃらだったがそれでも、いまいちもぞもぞそわそわぞくぞくいやんいやん、降りる降りる降ろして降ろして帰る帰る帰して帰してきゃー!した。日頃はデスクでパソコン3台を駆使し、めちゃくちゃ怖い顔してシステムの仕事に没頭する毎日、クーラーの効いた部屋から金輪際出る事のない生活を送るそのおいら、面白いITのネタ探しをしているうちに、災害時の画像を高速無線LANを駆使し、お偉いさんがたのデスクで監視出来るシステムを昨年思いつき、今年ようやく思いが実り、あらまあらまと言っているうちに稟議がひょいと通り、念願の工事に入った。え?まじかよー、まじすか?ええんかいな?とかも思いつつ、やめとこかしら?平静を装いつつも、ま、やってみっか。と明るく業者を見送った。高い煙突はその画像を転送するためのリピータとして使うことにしたのだが、立案者の立場から工事現場を知らない訳にもいかないことから、工事検収してみっかなー、とばかりにちょい思いつきのまま、作業員7名分のポカリスエット500mlを背負って長い梯子に取り付いたのだ。煙道と外壁の間の狭い暗い熱いことったらない。狭いの暗いの怖いよー、と泣くのは日本刀振りかざしラムちゃん追っかける面倒終太郎(漢字不明)だったか?。炎天下で鉛管服に着替える私を止める立会い作業員を制して、蒸し暑い暗渠に入り、私は30分かけて登りきることにしたのだ。あとは度胸と根性と筋肉だが、こと長時間連続肉体労働に必要なのはリズムだ、とんとんはーはーとリズミックに腕を繰り出し、登るのだが、身体を持ち上げる仕事は足に任せる、これは梯子を登るテクニックだ。手は身体が落ちないように横方向への加重を支え、縦方向に身体を持ち上げるのは腕の7倍の力を持つ足に任せるのだ。これほんと。しかしこれはなかなか難しく、たいがいのあんぽんたんは、腕で登りきり、降りる握力を使い果たしているから、金輪際というか日が暮れるまで下りることは出来ない身体になってしまうというオチだ。梯子は都合6本、2本あたりからだんだんと腕が張ってきて、真ん中あたりから腕はロースハムのごとくぱんぱんに膨らみ、汗は目を通り越してどかどか身体中を滑り落ちる。一気に体重は2kgの減だ。機械屋さんに借りた鉛管服はすでに汗びっしょりで、ライトブルーは紺色に変色、暗渠をドラフトするチリや埃が首筋や顔をちくちく刺す。ヘルメットにバイク用と花粉症用を兼ねた自慢のオークリーのゴーグル、使い捨てのマスク、首筋に黄色のタオルで武装した私はまるで炭鉱夫だ。トランシーバを使って上の状態を聞くが上も結構大変な様子だ。狭く暗い暗渠をそうこうしながら登りつく頃、私の相棒が私に軽く声をかけてきた。私は笑い声で答える「ちべたいビールある?ー」無いぞー!との笑い声に「あああビール飲みてー」。皆と挨拶し、作業を中断させ、はるか110m先の地上から背負ってきたポカリを振舞う。この煙突の踊り場なら1本2000円でもきっと売れるに違いない少しぬるくなっているその液体は、それでも、瀬戸内海が一望出来るそのシチュエーションで極上の甘露そのものだった。皆で空を眺め、海を愛で、意味も無く笑いあい、汗で色の変わった作業着を風に預け、ぬるいポカリを大事に飲む。作業員や相棒と記念写真を収め、工事写真を撮りまくって荷物とともに降りる事にした。携帯を使い、事務所で製図する後輩に窓から煙突に上っているわれらを押さえておくよう指示する。段取りを確認するうちにちょっとした手違いでもう一度来週に上ることが発覚、少し凹むが仕方ない、最後だと思うから登ったのに、、相棒をののしりながら降り梯子にとりついた。降りるのもリズムだが実は結構腕の力が無くなっていて、最後は結構まじになった。腕が疲れているから足を誤って踏み外すと一気に体重がかかる腕はそのショックを支える能力が無く、わー!っとばかり一気に落下を余儀なくされるのだ。だから休み休みかなり慎重に10分ほどで降りきると、笑顔の皆が待っていた。あとはビールに一目散だが、あああ!しかし、今日は魔の休肝日、γGTPが200を超え流石にびびる私は週1回の休肝日を出歯猫神様に約束したのだ。汗びっしょりの鉛管服を着たまま自転車を走らせ、事務所に帰り、目を見開く同僚をしかとしたままデスクでメールの返

凶日  2日に渡る缶詰研修で2日続けてコンビニ弁当を食ったら余りに不味いその強烈な不味さに感動してしまった私は不味い食事には美味くなる可能性があるという話しを思い出すが今はたちまちこのチキン照り焼き弁当の行方が気になる

美味しいものってなんだろう。私はいつも考える。ご馳走ってなんだろう。私はいつも考える。貴方は何が食べたいの?私はいつも考える。私は何が食べたいの?私はいつも考える。食べて食べて食べて食べて、食べたいものがどんどん無くなっていって、感動がどんどん無くなっていったら、私は次に何を食べるのだろう。「なんか美味いもん食べたいっすね」などと言いながら汗拭き拭き、カツ丼をかっ食らう私が好きです。散々肉の無いカレーや、だらりんこと伸びたラーメンを食い散らかしておいて「ああああ、不味かったー!」と叫び社員食堂を後にするおいらがだい好きです。5リットルものビール飲んでおいて「ビールが不味いし飽きたにゃー」という俺がだいだいだい好き。そんなこんな、それでもどうせなら不味いもんよりは美味いもん追っかけて来た最近の俺、ちゅうかわし、ちゅうかわたし、ちゅうか俺。最近考えてしまったのはコンビニ味覚の障害についてだ。妙に美味しいコンビニもの。コンビニのおムスビやパンが腐らないことは皆さんご存知のとおり、随分と前にも書いたが、これは殆ど常識として知っておいて欲しい、コンビニが食中毒を出さないのは、強烈極まる添加物を大量に加えて調理しているが為だ。故にご飯もパンも腐らない。コンビニの食材で食中毒がTV新聞に出た事例は無いでしょ?。でもね、美味しいんだな結構、そう、コンビニの味は侮れない、化学調味料の計算されつくした、どんぴしゃの味付けは確かに美味い、美味すぎる!冷やし饂飩、中華蕎麦、素麺に蕎麦、それらの出汁は確かに美味く、麺はへなへなだが、トッピングの色々も結構な出来で確かに良い味、そして確かに腐らない。しかし、そのコンビニの味は、実は自然の出汁と自然の調味料で育った人間のまともな舌を刺すのだ。舌を馬鹿にして効かなくしてしまうのだ。横断歩道の「とおりゃんせ」の狂った電子音をバッハやモーツアルトに聞かせれば即!気が狂うという逸話にも似ているが、そのコンビニ味が長時間に渡れば正常な味覚を馬鹿にしてしまうということなのだ。人口の調味料はなにやら、違和感とともにちくちくと数少ない正常な人間の舌を痺れさせるのだ。さて、皆さんは自分の舌をまじで信じておられるだろうが、いつの間にか世の食品を毎日食べて、年間膨大な添加物により、馬鹿になってはいまいか?そのびりびり痺れる程の調味料が実は、貴方の舌にとって当たり前になってはいないか?SMチックに慣らされてしまってはいないか?。そして、その人口甘味料や人口調味料は、その実、味のキック力が強いが故に、あなたにとって習慣性のある麻薬となっていやしないか。いやんいやん、貴方無しでは生きて行けないわん!とばかし、化学調味料の鞭をご自分に与えてはいまいか。いつか、世の五つ星のラーメンを尋ねると、いきなりどんぶりに味の素を小匙一杯放り込むのを目撃してびっくりする事があったが、これはそういった下種のわれわれの舌を満足させる為に仕方なくのレシピだ。大衆は化学調味料のキック無くして、その550円の支持は得られない。店長だってきっと自分の舌と貴方の舌を知っている。行列の出来る完全自然食品を使い開店したラーメン屋で食べると、なにやらコクを欠いた気がして、なにやら妙な薄味を感じた気がして、食べても食べても物足りない、納得出来なかったようなことはありませんか?。結局ファーストフードやコンビニの、化学調味料味に慣らされている平民の舌は今更どうしようも無いちゅうことなのでしょうか、寂しいけど、仕方ない、けど知るべきだと私は思います。考えます。腐らないおむすびよりは、大した具も何も入ってないにせよ、貴方の素朴な手で握ったお結びは、誰よりも何よりも美味し美しい、世界一のオムズビです。貴方は今一度、コンビニの味を確かめて、ご自分で化学調味料と保存料について、少しだけ警戒心を持って避けて生きていって欲しい。少なくとも貴方の大事な宝物には、コンビニやファーストフードの舌を刺すような、合成薬品で鍛えられあげた味に慣れさせて欲しくないと思う。

凶日  どらいでゆううつなよるになにをおもう

今日は月曜日。なんと驚く無かれ、休肝日(ドライデイ)なのである。先月血液検査でγGTPが200を突破し、こうるさい先生に休肝日をとるよう厳重に言い渡されたのだ。こと休肝日は私のように1次会の焼肉屋でビールを4リットル飲みながら、ご飯(大)をかっくらい、2次会3次会のクラブやスタンドで散々飲んで、最後に小腹空かせてラーメン屋探すも午前2時、何処もやってなくて、仕方なくスタンド退けたねーちゃん相手の焼肉屋に転がり込んで、わかめスープとビビンパフ食べているうちに周りで焼ける煙の甘辛い臭いで、ううむ。一寸だけカルビ頼もうかなんて言ってるうちに、もう止まらなくて、生中(ビール中ジョッキ)も追加ねー、なんて再び盛り上がり、ミノ、ホルモン、ユッケでご飯もどんどんすすむし、ビールもすすんでしまって、ありゃりゃもう止まらない。まだ飲むかーって頃に、ふと我に返り、誰かが言う「今日の1次会なんだったけか?」「ええとええと?」おいおい、乾杯とお開きが焼肉屋かい?。18時に食べてて、03時にまた同じもの食っているのだ。おれら自律神経が麻痺している。狂っているとしか言いようがないのであるが、そういうビール党、いや嘘、なんでも飲み食う党の私、いやうそうそ、何でも沢山飲み食い党党首のわたし、当然のように肝機能も悪化の傾向があるのだが、アルコール性肝炎の早期発見の指標=γ(ガンマ)GTPは70を超えれば注意であるのだが、凶眼で孤高を誇る中年リーマンのこの私、酒は強いことを良しとしてあくまで気障でタフを演じつつも、がんがん飲んでいたら値が100を超え200を超えてしまったからさあ大変である。どんぐりころころどぶりんこ、である。くれぐれも「どんぐりころころどんぐりこ」ではなく「どぶりんこ」とお池に嵌る音を大事に歌って欲しいものだ。で、さあ大変!でちょっと怯むのである。先日1000を超えるまま酔い続けるまま寿司を握る寿司職人を見たが、よく死なないもんだ、と寿司のアップを見て感心した。肝臓は沈黙の臓器、自覚症状で傾向は掴めない。ある日突然「もうあかん!」と仕事を放棄する。たんぱく質の合成、糖分や脂肪の貯蔵、胆汁の生成、からだにとって有害な物質の分解、そういった本体が生きるために必要な機能を「御免!ここまでですねん」と投げ出してしまうのだ。そしてγGTPの値は、アルコール性肝炎のおとろしさとともに私に提示され、私はそれまで風邪ひきか二日酔いの日しか休肝日をとることは無かったが、先々週から毎週月曜をノンアルコール、ドライの日と定め、更に7月29日をドライ記念日として私の記憶に深く刻み込むことにするのだ。とはいえビール好きな私にはめっちゃくちゃ大きな問題、毎日誰にも言わないけど、仕事に会議に人間関係に、磨り減るまで精神を消費するまま孤高で気障でタフを努め続け、帰り道や風呂上りに浴びる程のビールは唯一私への本日のご褒美であり、色々と反省しつつ思いを纏める誘発剤でもあるのだ。だから大変なことなのであるのだなこれが。で色々と考え出して、色々やってみたビールを飲まないコツは、至って簡単、超簡単、風呂上りに隙を与えず、速やかにちんちんに冷えたウーロン茶を1.5リットル飲んでしまうだけだ。そうすりゃ流石にその後は何も飲む気にならない。うげうげ、お腹いっぱい。でも、ウーロンなんか流石にそれ以上は無理無理無理無理(略)だが、何故ビールなら何リットルも飲めるのだろうか、今度調べてみようっと。さて、私のγGTP激減作戦は半年に1回の血液検査によりその半期半期の方針を決定することにして、たたちまちこの夏から秋にかけては週1回のドライデイだ。苦手のままに眠れない夜を過ごすことにする。会議の作戦、盆明けの作戦、人間関係の整理、そんなこんな悶々して寝返りをうち、新聞配達の忙しない朝を迎えることにする。

凶日  ようくみるとこわいかおだからやっぱみるんじゃなかったみるんじゃなかったあああ

私はええ歳した中堅の働き盛り親父。同じ歳のくたびれた同級生を見るとびっくりするほどの、強烈おっさん年齢だ。その私、実にええ歳したくせにいつまでもええかっこしい、気障で孤高を気取り、いつまでもタフでクールでありたいと願うまま、バンドもやれば結構な警察沙汰のやんちゃも未だに致してしまうお馬鹿さの私。いつの間にやら、かっこいいお兄さんから、素敵なおじ様へと飲み屋街での営業的超無理無理無理な褒め言葉も、変化というか固定してしまっている。博多でも新宿でもススキノでも「面白いおじ様ね♪ちゅう」なんて、えへんえへんであるが、いやんいやんでもあるが、嬉しくも悲しくもあるがそのおいら、最近嬉しくない事がある。私の人見知りは昔から異常に激しく、社内でも社外でも男性女性を問わず、積極的に私に口を利く人は少ない。私は挨拶も極力しない。顔が目が異様に怖いらしいから普通の人は近寄らない。敵が多く致し方なくも、味方は少なく濃いことに特徴がある。大概の女の子は「怖いから嫌〜い」と言い「っせーブス!」と私はココロに数万回唱えシカトする。そんなこんな凶眼で偏狭をスローガンに掲げたままの私、驚いたことに最近妙に人が近寄ってくることに気づいた。うーん、どーなんだろ?思いがけない人がやってきたり、思いがけない人がやってきたり、思いがけない人がやってきたり、思いがけない人がやってきたり、そうだ、ここは動物園じゃないから対象が全部「人」であることに変化は無い仕方は無いが、ここ1年で結構な友人知人が増えてきてしまったのだ。困るような悲しいような、何か嬉しいような不安なような。人が私を避ける凶眼オーラが消えてしまったのだろうか?という不安と、私もなんだかんだで温和な年寄になりつつあるのだろうかという恐怖がそこにある。しかもその近寄ってくる人々に共通しているのは、私が大嫌いな頭の悪い人が一人も居ない事である。これは嬉しいことだけど、みんな不思議にその道のプロで、面白くお馬鹿なんだけど非常にシャープな感性とクレバーな頭脳を持っている人ばかりである。流石に女性は未だに近寄ってくる人が多い訳ではないことが安心の種だが、こと男性がどんどん握手やメルアドを求めて、何かのコンタクトをしてくる。私は選択の余地もないまま、その彼らとの関係を流されるままにしているだけだ。どんどんと面白い企画や仕事が落ち込まれ、私はどんどん忙しくなる。本業ではこれから数年かけて北は千葉から南は大牟田まで、システムの展開担当をすることになり、国内での移動が増えると予想されるが、副業でも色々面白い展開だ。今週その関係で韓国、来月は中国行きが決まっている。またこれは儲からないから副業ではないがバンドも忙しい。儲かればアマチュアではなく、プロだが、プロになれる程の才能は無いらしい。その去年始めた私のまじバンドはいい歳して嬉し恥ずかしRockそのものだが、そのバンドでもライブやる度に仕事が舞い込む展開で驚く。そしえt更に他のバンドから、新ユニットの勧誘や、予選に勝てばBS放送のバンドバトルへの出場ユニットへの参加依頼。そんなこんな中、毎日会社帰りの時間は殆どクライアントを回りADSLの設定や、パソコンの納品で泥臭く忙しい。で、やはり気になるのである。私は私を本当に判ってくれる数少ない友人とだけ、生きて行こうと昔から思っており、人に嫌われる事は問題なく、かえって生きて行くのにも都合良いと考えていたのだが、こんなに友人知人が増えていって、いったいどうなんだろうか?俺どうなん?俺?と言うことである。不安なのである。私は私らしさを失ったのでは無いのだろうか、辛口で辛らつ、凶眼で偏狭、長身で薄毛、気障で人嫌いな私が、何かとぼやけてしまって普通のおっさんになってしまってて、痴呆が急速に加速し、肛門が緩んでしまってて、うんちぼとぼと落としながらご飯食べるよーな金魚人生そのまま、ただ流され生きながら得ている阿呆になってしまっているのではないか。そんな不安を抱えるまま、久しぶりに、さっき二年ぶりに鏡見たらその不細工さに驚いて思わず塞ぎこんでしまった。

凶日  こっかけんりょくをたてになにくだらんいんねんつけてんねんこのどくされでぶぽりこめぼけぇかすぅしねしねしね

わたし、おまわりがだい嫌いである。大好きな人は居ないとは思うが、私は敵視さえするほどの気合を入れて嫌いだと宣言する。その昔からパトカー白バイによる検挙は数回、道路交通法違反などは日常茶飯事な時期もあったから、当然警察官(以下便宜上ポリ公)ポリ公(以下ポリコ)ポリコを観ると思わず逃げる方向へと思考が一気に噴出すること、その屁たれ根性、結局負けを認めた尻尾巻くわんわん習性が悲しいのだ。あ!ポリコや!何か悪いことしてないか、違法改造は無いよな、車高も60mmだけだし、タイヤもはみ出てない、うんうん、シートベルトしてるしてる、免許証はある、武器は積んでない、なあんて01秒で確認する癖がある。そんな私もいい歳した中年のリーマンになって、少しだけ落ち着いてきて、そこそこ落ち着いた車でそこそこな走りをする大人になってきたと思う。(未だ大人に成り切れないが)そんな私、先週見通しの良い海沿いの気持ちの良い道で、突然警棒に止められた。カーブを曲がりきり、突然ぽつんとポリコが居るから「ベルトチェックだなー」なんて思いながら0.1秒でチェックして通過した。昨年一昨年とベルトで数回やられていた私は「ベルトせーへん宣言」を今年完全撤回、大概の事、二日酔い等、極めてかったるい場合を覗いて、余程の事が無い限りベルトは着用するように心がけている。だから、鼻歌で通過。ポリコも余所見だ。するとベルトチェックの1人目から数十メートル離れた所の、車を入れる役の2人目が突然警棒で私の中古なのにローンで買った大きさはカローラ並みメルセデスのCクラスワゴン様を遮ったのだ。助手席の金髪娘(夏休みだけ金髪の長女)が窓を開け「何かあったんですか」と鼻声で言うが早くポリコ「すみません、ベルト締めてないようにみえたので」謝るからまあいいか、と思う間も無くそのポリコは続けた「じゃ、免許証見せて下さい」これに私キレた「ええかげんにせー、ベルトチェックしてワレが間違えたんやろがボケェ、間違えて善良な国民を止めといて、じゃ免許?ってどういう意味や!てめえが間違えといて止めといて今度は国民に因縁つけるんかい!」ポリコ「因縁つけるとかじゃなく、免許持ってないかもいしれないので」更においら激怒「免許持ってない?あー?それが因縁つけてるんやろが、もしワシ免許持ってたらどうするんじゃいワレ!、おとしまえつける覚悟あるんやろうな」急速に関西ヤクザ化した私が免許証差し出しポリコは急速にバツが悪い顔を濃くしたまま謝るが、私の罵声は止まらない「名前を言え」「ぼけ」「もっとしっかりココロを込めて謝らんかい!ワレ」と日本でも有数の透明度を誇るこの美しい海をバックに、私のバンドでいがり続け鍛えたと自負するダミ声が響き渡り続けたことは言うまでもない。帰り道に金髪娘が言う。「あのポリ、あったまわるそうやったねぁ〜」そうだ、あのポリコ、警察の癖に、肥満で、力の無い眼をして、赤い顔、外気35度の海岸端でぜいぜい喘ぐ姿が見苦しかった。夏のデブ、しかも頭の悪いデブは表に出ないで欲しいものだ。特に国家権力の気ぐるみ着たデブは死ね!すぐさま!おまえや。(ああ、また腹たってきたやんか)

夏の吉日のつづき  爆走出張一人歩き

つづき・・・金髪青目のギャルたちも身体を引いている。早速私立ち上がり、デブにくまなく塩酸をふりかけて皮膚を焦がしてやる。でぶ、いつの間にか少年ジャンプに持ち替えている、こいつ英文読めないな?。が、しかし、しゅーしゅーと臭い。しかも剥げ落ちた皮膚の下から出てきた血管を見たギャル達が失神してしまってではないか。仕方なくギャルと一緒に一駅手前のホームに蹴飛ばして落とし、小躍りする乗客共々全員、柔ちゃん直伝の一本背負いで落とし、歯槽膿漏の眼科医師を救助に向かわせる、というかこいつは金蹴りで蹴落とす。歯槽膿漏と胃潰瘍の口臭が車内に残り私は気絶寸前、ドアが閉じ目を閉じ、再び開くと息を吸い込み羽衣駅着だ。遠いな、 420円の傘さすも雨無く怒り沸騰420円分。タクシー寒く車内煙草臭いどころか煙臭く、降りしなに「1050円です」という40代の運転手の口に正拳突き、拳に煙草のヤニ臭い歯が刺さって更に凹む。ふがふが言う運転手に血まみれの歯を返し、再び徒歩で熱風の最中に。到着した会社は広く、守衛の対応悪い、でも我慢。再びパンツ引っ張りながら到着した事務所の便所「××(社名)の女共、お○こやらせろ!」のでかい落書きで1秒笑う。落書きをする文化、そして消さない文化、この会社の文化(躾)は計り知れる。果たしてプレゼン会場寒く、頭痛最高なボリウムでぶり返す。皆が話す関西弁は私の御国の奈良言葉とはちと違い、更に阿呆が一人ずうずうしく話しかけてくる、内容も極端に幼稚だ。ベレッタ92FSを持ち込まなかった事をつくづく悔やむ。肝心のプレゼンは準備した予定と、聞き手の必要とする内容とちょっとした手違いで、少しどころか全く異なっており、私はぼろぼろのまま、汗だくで説明するとプラスチック爆弾を 10数個放り投げ、逃げるように門を出た。逆を辿り、パンツを3回引っぺがしてアスピリン20錠をがりがりと噛み砕きながら眠り、起きると帰りついていた。因みに頭痛薬や咳止めを噛み砕きながらビール飲むと、ラリるから要注意というか、ええ気持ちだからやってみてください、コツは「空腹」ね。うううーん、しかしあくる下関も暑かった、当然のように応対の悪い守衛に怒り、待たせたやつらにも怒る。92FS乱射。いやはや博多も暑かった、込む道路に怒り、出たり引っ込んだりに怒り、ネクタイを緩めたり締付けたりに怒り、飲んだり出したり食べたり出したりに怒った、パンツ6回引っぺがしたり風を送り込んだり、そんなこんなしながらふと気づくと極端な過労で、もうどんなんだ!ってえ頃に瀬戸内海の無人島キャンプ、あら?ってもう一回眼が覚めたら今朝は、再び熱帯夜で汗びっしょり、シャワー浴びてバンドの練習場に向かう。再来週のライブに向けて今日は冷房の利いた防音室で練習なのだ。眼がくるくる回り指はむくむ。私は自分に怒り許さないまま、私は他人にも怒り、外面上許しながらも、心の奥底では決して許していない事を知る。私はいったい、大勢の人を憎み、その向こうで何をしようとしているのだろうか。私の肩はどんどんと張ってきて、頭も同じように重くなる、風邪は治ったようで頭痛は無くなったが、耳の中ではスズメバチが巣作りを始め、アフリカ象が後頭部でラップを踊っている。何かが足りないまま、何か何処かが私は休まらないまま、誰も許さないまま、きっと私は月曜の朝を迎えることだろう。決して流されては居ない私の大事な時間、私だけの私のための私の中だけで存在する私の大事な人生。しかし何かをし忘れたような、今やってくる夏に置いて行かれるような、寂しい思いできっと私は子供の頃のなんだか焦るような、人より前に進みたいような、恥ずかしいココロのまま、明日も私は溜まったメールを読み、溜まった返事をして、レポートや企画書を仕上げ、プログラム仕様書を書き、ビールの泡を舐める。昨年のように寂しくは無い、物足りなくは無い、しかも暇も無い、しかし決して流されては居ない、それどころか前よりも向上心も貪欲だ、少しだけ阿呆で子供じみたところもあるが、しみったれたところも、女々しいところ、俺の馬鹿ぁ!みたいに悪口を言い始めればきりがないが、そんななか、私は私のための時間の中で、じっと目を閉じビールの泡を舐める。青い空であれ、煙る居酒屋であれ、和服の女将が構える白木のカウンタであれ、私は私を見つめるためにだけ、そっと目を閉じる。そして何が見えるかは教えない。

夏の吉日  せんしゅうのいろいろとでぶしねのこころとわたしのさちのゆくさきと

台風の繰り出す熱風にやられつつ大阪でプレゼン、苦闘の末敗れ涙、下関で打ち合わせ半眼半眠、そのまま博多で研修と接待、中洲ど真ん中に客を送り出し、そのまま高速で基地近くの居酒屋へ帰り着き副業の相棒と乾杯、焼き鳥としめ鯖のタタキでジョッキを重ね、ふと我に帰れば朝だった。慌ててフリチンになりモンベルの海水パンツを兼ねた半パンを履き、パタゴニアのTシャツに袖を通し、ほか弁に予約していたおむすび30個を取りに行く。コンビニのおむすびは日向に 48時間放置しても腐らないから、最近では食べないことにしている。パンも同じ、カビなんか生えない薬漬けだから食べない。ミストラルの水中眼鏡&シュノーケルを倉庫から引っ張り出し、着替え等共々グレゴリのリュックに押し込み、テバのサンダルで足元を固める。迎えのパジェロを待ち、船が停泊している郊外の港まで行くと、仲間が食材やビール、大量の氷を用意して待っている。作日は恒例の魚釣り&無人島キャンプの日だったのだ。職場から選抜された10人はボスを含め、私が決めた気の許せる面々、そのメンバーで、大型キスや小魚を釣り、無人島に上陸。私がシュノーケルを咥え、鬼つぶやサザエを取る間、キスの刺身や塩焼きが出来上がり、グラム600円のロース肉やカルビ、ウインナ等が網で焼かれる間、キムチ豆腐冥加乗せや、胡瓜わさびマヨネーズをアテにチンチンに冷えた缶ビールがぷしゅぷしゅと開かれる。眼を閉じ一口目は「ごきゅごきゅごきゅごきゅ、、、、」で「ウメー」である。決して「美味い」ではなく「うまい」でもない「うんめー」でもなく「グッド」でも「ハオ」でもない。ビールにはカタカナが似合うから「ウメー」あるいは「ウンメー」であることは先程決まった。「キショーメ」「さあコロセ」等という決めの感嘆詞にリズミックに繋げることが出来れば貴方は立派な100点満点オヤジである。そんなこんな、どだっていいけど、青空眺めながらどんどん飲むことにする。眼の前は海、ビールに笑顔、毎日苦虫噛み潰したリーマンに至福が訪れるひとときだ。プロヂューサの俺に感謝しろよてめーら、なんて思いながらも私は言葉少なに知らん顔だ。にしても大阪は暑かったにゃー。台風の影響で湿度98%の熱風が吹き、ネクタイで締め付けた私の首にまとわり付き、どんよりとしたその一撃で私を打ちのめした。私は結構きれい好きなので朝昼晩+と4度の入浴あるいはシャワーが欠かせない。その私の朝一発のシャワーできりりと引き締まった姿勢も、そのどろろんとした熱風の一撃でへろへろだ。5分遅れでやってくる車両を待つ間にさらさらのふわりんこの私のお尻は、その熱風でべちょべちょのぐちょりんこである。凶眼は凶眼さを増し、やくざだろうが政治家だろうが右翼だろうが、断固玉砕のいらいらで私の根性そのものがあくどくなる。「5分遅れてまもなく電車は、、」べたべたした鼻声でアナウンスしたパンチパーマのふざけたJR職員のアナルをトゥキックで10回蹴飛ばし立てなくする、私のお尻に貼りついて心地悪いパンツを引っぺがしながら蟹股で乗りこんだ新幹線のぞみは、やはり振動酷く8ポ読めず、鼻声の売り子煩く、客と見られる難民どもやたら煩く口汚く、エアコン寒く頭痛ぶり返す。ひっきりなしに往復するその売り子には鼻をかんでくるよう伝え、ボリウム全開でしゃべりっぱなしのギャル3名を新大阪の線路につき落とし、貧乏揺すりで自己アピールしたパンチグラサンのチンピラ親父の鼻に割り箸を突き立てたまま、隣席で少年ジャンプを読みながら汗を拭きっぱなしの肥満中年薄毛の3段腹の真ん中あたりに小出刃を突き刺しておく、このデブの薄毛はきっと立ち上がるまで包丁の存在に気づかないだろう。立ち上がれば塩分濃い脂肪が溶け出して、包丁が手に持てない程だ。夏のデブについては2万字くらい書き連ねたい駄文があるのだが、それはまた今度。地下鉄乗り換えの通路の熱風でどんどん眉間に皺がよる、外は台風による暴風雨とかで地下街で通常200円の傘を 420円での購入を余儀なくされ、怒りは更にパワーアップ。再びパンツ引っぺがしながら乗った地下鉄再び寒く、乗り換え通路当然のように長く果てしなく熱風、へこへこ歩くギャルのミュールを13個上手に蹴りつけ線路にゴール、再びお尻にはりついたパンツ引っ張りながら乗った南海電鉄寒く頭痛ぶり返す、隣にアトピーかしらん、かさぶただらけの若い豚男、「ぜーぜー」デフォルトの息が臭く重く苦しい。こっちの呼吸まで苦しくなるも、ついついリズム合わせるおいらに腹が立つ。すぐさま逆上。夏のデブはすぐさま死になさい。このデブはインテリかもしれないが、自己管理が出来ていない人間は自分に甘い唯の駄目人間である(以下1万9986字略)。このデブ、英文の医療誌を読みながらかさぶたを掻き毟り、空中飛散させる攻撃で、私どころか向かいの金髪青目のギャルたちも身体を引

凶日  1992年から1年半の長い塞ぎ込み生活の間、私は基地の入り口にある酒場で毎日決まって黙ったままビ-ルを飲み続けたのだ

「あいつ」は舞い降りてきたがごとく私の視界を一瞬にして全て覆い尽くし私の両耳と両目を奪ってしまった。私の勤める会社、昼休みを利用して心地よい運動をしている最中のことだった。突然、色んな思いがフラッシュバックして目まぐるしく色んな人が現れて消え、私はありきたりの絶望と抗いようも無い孤独を同時に味わうことになり呆然と立ち尽くした。ただ、突然立ち尽くしたのだ。調子が悪かった訳でもない、ブレザーコートが膨らむまで雨の中を歩いたり、時を忘れて夜の川面を眺めたり、酒精に犯されるまま朝を迎えたり、そういうこともなく、ただ毎日充実した少しだけスリルある生活を続けていたはずなのだった。なのに突然視界が暗くなり、生と隣り合わせで常に常駐している、あの「死」そのもののイメージが突然大きく膨らんできて、しつこく私に何かを伝えようとしてきたのだ。そうなのだ。バンドは左手薬指が曲がらないのを除けばまあ順調、その悪い指は来週再検査して貰うつもりだし、仕事もちょっと飲みが多いことを覗けば概ね順調か、2つ目の仕事はトラブルばかりで全く儲からないが、まあやってて面白いから順調としよう。良くも悪くなく何も良くも無く、昨夜も一昨夜も宴会続きで、バー、クラブ系、カラオケ系が全く駄目な凶眼の中年リーマンのこの私、昨夜は焼き鳥屋で少し仕事の話をして、その後、勧められるまま中国パブで女の子に中国語をいくつか習ってビールを舐めたっけ、あとは寿司屋で話し込んだ。2つ目の仕事の件で相棒と少し喧嘩して、直ぐに仲直りをした。朝食用にチキンサンドウィッチを買って帰った。それだけである。この数ヶ月全く休暇が取れず、先週先々週はバンドに明け暮れてへとへとのまま今週も休めないまま、明日は通院と温泉に決めて、何処も悪くなく何処も問題なく、死神に用事なんか無い人生をよちよちと歩んでいた。 1992年春から1年半、私は塞ぎ込むことがあったが、軽度の鬱。あのきっかけもこんなだったと記憶する。その後も数回、この淵に座り込んでしまうような感覚は数回訪れるも、ココロ優しい友人たちの顔を見てビール煽っているうちに治ったような気がする。さて、果たして今の状況はなんとも言えない。しかし、何をやっても駄目なんだよ、としつこく言い続けているもう一人がうっとおしい。孤独と絶望の正体は定かではないが、見極めるととことん塞ぎ込むおそれがあるからスキップだ。明日は会社を休んで通院。空港近くの病院に昔の大学病院の私の主治医が転入したという情報が入ったからそちらに診てもらいに行くのだ。で、たちまちはこの、今日の夜。きっと眠れないこの夜、絶望と孤独の淵で私は何を思い、ビールを舐めるか。そこだけが今の不安である。覗くべきではないその淵にしゃがみこむ私の姿をもう一人が目撃している。あとは覗かないように注意するだけだ。

凶日  小指が曲がらないのは地球人に化けたインベーダーの特徴だけど薬指の曲がらない私は唯のしがないベースマン

左手薬指が曲がらないままステージを終えそのまま放っておいたら痛くて目が覚めたから眉毛吊り上げて大学病院の担当を訪ねたら西飛行場近くの病院へ代わったと聞き休んで紹介状とカルテとレントゲン写真を手に久しぶりに会った先生は髪型というかカツラ型というかズラを更新したようすで相変わらずぼんやりとした対応に何か拍子抜けしたまま世間話しのような問診だけで返されたから急におなかが空いてきて四国は讃岐の名店山越と田村で修行してきたという若い主人が頑張っている饂飩屋で釜玉すなわち湯がきたての饂飩にさらっと生卵を絡め半熟状態に出汁醤油をちょびっとかけて頂くというものでなかなかの饂飩道そのものだったが麺は旨いのにコシとツヤがなく打ちたてでないが為にいささか残念無念仕方なくもう1件の同じく讃岐丸亀の凡蔵の支店の行き冷やし醤油にちく天が乗っているのを食べ一息つく何故に指が悪いかと言うと私のタイプスタイルの半ブラインドタッチのせいで小指を使わないという独特というか悪い癖のせいで何故小指を使わないかというともう20年以上も前から色んなコンピュータやCAD専用機にEWSとワープロ機そんなこんな癖のあるキーボードを叩いている頃にブラインドタッチなんてえもんは無くてそれでもこつこつプログラミングしているうちにどんなキーボードでも平気な身体になったせいもあって今でも結構速さで打ち込むのだが小指を使う事がどうしても出来ないまま特に左手は全く使わないことが今日判明したが小指の分まで頑張る薬指がベース弾きでも結構頑張るが為にとうとう曲がらなくなってしまったのに驚いたのだがそれでも悪い日ばかりではなくて休めていると痛みは引きかがりそうなもんだから目を瞑ってえい!なんて曲げたら今度は伸びなくなって怖くなった来週は月曜と水曜に飛行場近くの病院のカツラを取り替えた先生に会いに行くが今日もベース弾いてみてその痛みに悲しくなった

平日  めをとじれば

手に入るものは目をそっと閉じれば直ぐに判る。目を見開いて見えるものは貴方のものではなく、閉じてくっきり見えるものこそ貴方の幸せの象徴だと私は断言する。幸せってなんかいな?。たこ焼一個でも得られる満足感でもなく、あまく濃厚なSEXの後のけだるさに潜むものでもなく、南海の楽園に椰子の実とともに落ちているものでもない。程よく欲するものが得られ、心より欲しい手に入らないものも見え隠れしている、そんな落ち着いているようで、若干のアンバランスが生み出すスリルある状況ではないだろうか。恋愛は理不尽だ。全てが手に入ればその恋は終わる。仮に彼や彼女側の世界の向うにいくら欲しいものが存在していても大人として日本人としての良識を以って手に入らないと諦めていればそこで恋は終わってしまっている。彼や彼女と食事したい、ドライブしたい、旅行したい、触りたい、キッスしたい、SEXしたい、私の大好きなあの景色を散歩したい、一晩語り明かしたい、こんな服を着させたい、家を覗いてみたい、瞳に映してみたい、一日中ごろごろしてみたい、おもいきり破廉恥に振るまってみたい、ETC、どのような些細な望みであれ、そういう願望、欲望があるうちは恋が継続すると思う。全てを通り過ごし、その向うに更に何も現れなくなった時、貴方の叶えられそうな望み、そういう大事なものが無くなってしまっていた時、突然の空虚感に襲われ、貴方は彼や彼女と付き合いながら理解不能な涙を流すことになる。お分かりだろうが貴方の恋はそこですでに終わってしまっている。そして、そこで手が届かない手に入らないものこそが、実は貴方の幸せの象徴なのだ。

吉日  判っちゃ居るけど止められない!のは植木等の教えと思っていたが孔子の教えにも同じような記述があって驚いた

目を閉じれば貴方の幸せの本質が分かる。なんちゃって目を幾ら閉じても、幾ら目を閉じても、かたくなに歯をぎりぎり食いしばって目ぎゅーって閉じても、力入れすぎ「ぷー」なんておなら漏れても、なーーーんも出てこない人て居る。あんた、幸せもんだよ♪。風呂入って寝なさい、あ!それと歯磨いてね。明日もきっと元気いっぱいさ。さて、ぼんくらの相手はさておいて話は代わって、「あん!」駄目駄目!やっちゃう(駄目)やっちゃう(駄目)やっちゃう〜!って思いながら失敗の道を辿る人生って悪くない。というかそういう人生だから価値がある。馬鹿なおいらを思う存分承知の上で馬鹿をやってしまう瞬間の悦楽。ちょっぴりマジスティックで悦楽的、肛門に花火突っ込んで夜道走り出すような快感と、フォアグラ乗せフィレステーキ頬張ってボルドーのどっしりとした腰のある赤を流し込んだ後の虹が見えるゲップのような後悔の味がする。大型コンピュータ、EWS、CAD専用機、そしてパソコン。鉛筆でかりかり字を書くことが少なくなってこの10年。昨年、昇格試験の論文で久しぶりにシャープペンシルを握り、もともと娘も羨むマル字の上、へたくそなことこの上ない、おいらの、のた打ち回る蚯蚓(うえ、ミミズってこんな字なんだ、すっげ)蚯蚓みたいな字を消しては書き、書いては消すうちにとてつもないジレンマと手の痛みにまじで驚いた。書いて書いて書いて、あら?字が違ってて、ごしごし消しゴムで消して、ふんふんふんふん♪、さっさとゴムカス丸めて、くるくるこにょこにょ、ああん、このまるまっちいのが安らぐんだよなあ、なんて粘土遊び思い出して、おっと試験中試験中!かりかり、こりこり、も一度書きなおすってえと、また辿って同じ間違った字書いちゃったりなんかして!もう僕の馬鹿馬鹿馬鹿(一万回繰返し)!なんて、えいえいと消しちゃって、そのうち紙にくっきりと鉛筆の誤った字の道というか谷というか溝が出来ちゃってて、あらー?何回書きなおしてもその溝の鉛筆が入っちゃって「すらすら〜」って間違った字につい書いちゃってて「きー!」ってなりつつも、「あああ、、、」判っちゃってる。その駄目駄目、もう駄目の道についつい嵌ってしまう、判っちゃ居るけどついつい、てえ自分。かわいい僕、俺、わたくし。そんなことありませんか?無いでしょうか?無いですが、そうですかさようなら。うわははは!私は

凶日  恋愛もしかりである、燃え上がる情熱は唯の勘違いだ、だから貴方の言うあの頃は2度と帰ってこない

振り返り手に入るものは何も無い。振り返り振り返り、写真を取り出しては昔を懐かしむようになったら、磁気やイオンの腕輪を嵌めるようになったら、脂こいものは苦手になったら、する事がなくなったら貴方の人生はそこで終わっている。思い出を取り出し懐かしむことに問題は無い、誰にも美しく輝いた思い出はあり、何回思い出しても噴出すような楽しい思いでも私だってある。今思い出してもつい口元が緩む。しかし!「あの頃はよかった」等と遠くを眺めるでもない、何処にピントが合ってるか読めないようなOウム心理教の踊る幹部の眼して、懐かしんでばかり居る人間は終わりだ、死んじまえ、と私は言っている。だい嫌いなのである。私にも過去はある、楽しい過去は少なくもあり、苦い過去も数え切れない程あり、懐かしむべく思いでも多い。しかし、ただ懐かしむことに嫌悪を感じるのは私だけだろうか。悪くは無い、問題もない、好きにすれば良い、しかし貴方は貴方の少し前の貴方を取り出してみて欲しい、貴方は昔から「あの頃はよかった」等と思ったことは無かったはずだ。生き生きとアクティブに時間を惜しんで働き、遊び、恋を、夢を追いかけていたはずだ。過去なんか振り返る暇もないまま、夜明かししたり、体力の極限まで時間を使い果たしていたはずだ。貴方はいつしかぼんやりしたまま毎日を送るだけの人生になってしまっていないだろうか?貴方の人生は、夢は、今からの貴方の未来に点線でトレースされていないのか?。過去を振り返る貴方はいつしか、ただ「流される人生」に切り替わってしまっていることに気づかないままにあり、古いアルバムを紐解いている。故に駄目なのである。私は「あの頃はよかったな」なんて思わない。今だって、何時だって「今が一番楽しい人生だ」と言い切れる。嫌、無理やりというような部分もあるし、それなりの苦労もある。しかし私は、タフと孤高を装いつつも「今が最高」と言い切れる。だって言ったって過去は手に入らない。だから可能性がある未来しか私には興味は無いのだ。私は常に明日、明後日、うんと先、その未来に向かって意識を研ぎ澄ませる。過去は過去であり、唯の経験だ。過ぎたものは美しく、心の奥底と、瞳の奥、脳みそのひだひだに刻み込んでおけば良い。そしてそれは2度と手に入るものではないことを知るべきだ。一方、良かった悪かったの基準値、価値観も刻々と変化をする。そして貴方も良くも悪くも刻々変化を遂げる。人間の細胞は約5年で全て入れ替わり、故に思考も価値観、経験値も5年前と今では異なって当然なのだ。「あの時あなたはこう言ったではないか」「こう約束したではないか」「ああだった」「こうだった」「こう書いてある」私は説明をする気も無いが、実はそれら全ては時間とともに無効なのである。5 年前のラブレター取り出して「判りましたお付き合いします」っていまさら言われても、きっとお相手はもう結婚しちまってる。今は今さ、明日は明日でなければ分からない、というような気障を言うのはハンフリーボガードであったか、忘れたが、過去は過去であり、1年音沙汰無ければ飲み屋のツケだってチャラになるではないか。皆さんが一番思いで深いと言われる青春の真っ只中、風が吹いてもペニスが硬くなっていた16歳くらいまで、私はずっと眠っていた。思い出は殆ど無く、嫌なことばかり起こり、同級生が皆馬鹿に思えて仕方が無かった、くらいしか覚えて居ない。教師あがりの母親に厳しく勉強を強いられたり、しがない絵描きの父親に殴られたり、私は殻に閉じこもり、勉強をしつつ膨大な量のイラストを書き続けた。飽きるとギターに手を出した。イラストレーターからフォークシンガーへと夢は流れた。異性からの接触もあったが気持ちが悪かった。そんなこんな16歳の春、私は突然!目覚めたのだ。そこからは、私は自我の赴くまま好き勝手に生き、記憶もしっかりと記録され始めたようだ。幼少の記憶も殆ど無いまま、16歳から覚醒した私の記憶。青春の大半はまるで眠っていたごとく、ぼんやりと存在してないがごとく、引き出せないままでいる。私の向かいに座る、とある会社の支店長は私の14歳頃の同級生なのだが、私はこの男を思い出せないままに居た。向かいの男は私に数々の同級生の名前を挙げ「なつかしい」「あの頃はよかった」を連発し、肝心の私が呼んだ目的であるところの副業の話は遠のいたまま、今まさに私の罵声が響き渡る寸前、同席している私をよく知る連れは眼を伏せ下を向いてしまった。

凶日  春分の日、秋分の日が冬至と夏至の真ん中にあることを昨夜始めて人から教わる

私は暦(こよみ)に弱い。いや実は弱いものは他にも沢山あるが、弱点をここでばらすと後で酷いめにあいそうだから止めておく。凶眼でタフで孤高を演じつつも縦社会に生きる中年リーマンで1960年代のロックをこよなく愛するバンドマンのこの私、興味のある分野はちゃんと勉強しているというか人の知らない分野に強いと自負するこの私、そのえらそうな私が社会、歴史、経済、地理、そして暦にやたらめったら弱い。弱いったら弱い、とことん弱いは知らないのに近い、はっきり言って白雉状態である。現在、あらゆるありきたりメディアを見ない読まないで暮らす実験強行中のこの私、詰まらない物知りのジャンルで皆さんに貢献していたりもするが、天皇誕生日も春分の日も、暦に関しては誰に聞かれようが何も答えられない。いかなる祭日もわたしにとっては「唯の休み」であり、その日に会社に出れば心置きなく誰にも、電話にも、社内メールにも、邪魔されることなく仕事が出来る日、冷房をつけるのを少しだけためらう日、ネットで好き勝手調べても人目を気にしなくても良い日、あるいは布団の中でずーっと犬夜叉や20世紀少年、MONSTER読みながらぐずぐず眠ってても良い日だ。ただ、それだけである。私に興味が無いことは、私にとって全くどうでも良いことであり、いくら非国民呼わばりされようが、決して頭には入らない。先程、過去は駄目であるというような駄文をアップしている最中に思い出したのだが、私は学生をやっていたはるか昔の頃から今になっても全く変わらない癖というか阿呆をいうか、如何に興味が無いものに対する間抜け加減を発揮するかという事例がある。それは、夏休み、春休み、冬休み、今であれば盆、とゴールデンウイーク(以下便宜上GWと記す)。それらの休みがいつからかということに興味が無い。知らない、答えられない。小学1年からずーっと「夏休みはいつからか」という親の質問にいつまでも答えられないまま、学生生活を過ごした。当然試験習慣なんかも知らない「明日訊いてきなさい!」なんて怒られても、明日も明後日も答えられない。そしてある日、ホームルームで突然「明日から夏休みですが、皆さんに注意があります、、」なんて大嫌いな先生から突然言われ、どっさりと宿題と連絡書、ラジオ体操のカードが配られてきて「あー明日から休みなんだー」って夏休みの開始を知るのである。まるで阿呆である。訊かれる度に親にギャンギャン怒られてたような記憶もあるが、きっと私の興味の範囲ではなかったのだろう、と今になって人事のように考える。故に今だって同じだ、正月の休みはいつからか、なんて考えた事もない。暦を知らないからGWも訳が分からない。昨日も私を良く知る友人が言う。夏至も冬至も知らないだろうから、当然、春分の日も秋分の日も知らないだろう。そう私は全く知らない。でもワールドカップ(以下便宜上WCってまるでトイレだからやめとこう)も興味がなければ、ゴルフもドラマもニュースも興味が無い、繰り返される政治家の金回しの露見、タレントの結婚、阪神タイガース7連敗(これには怒りがあるが)興味は私のものであり、無いものを人にとやかく言われることもなく、無いのは無いのだから仕方が無い。きっと暦を知る時は、私にとって暦が必要な何かを始めたときであろう。そんな私だから唯一の砦、仕事の予定が細かく書いてある社員手帳は欠かせない。出張が明日であることを知ったり、会議が始まっている事を知る、私の唯一の社会人として最小限の常識を守る砦の手帳、これには流石に秋分の日、春分の日は判らないが、それらの祭日の日付にちゃんと赤い○が描かれている。私にとっての唯の休みとして、、。

凶日  つばめがきらいだいきらい

ツバメが嫌いである。毎年やってくるあの黒い野鳥がどうも好きになれないのは、弱い頃からの阪神タイガースごひいきで桜嫌い巨人双子山部屋玉子焼き嫌いの偏狭極まるこの私、野鳥好きでバードウォッチングもするし野鳥の会の集いの帰りに焼き鳥屋へ飛び込み、うずらの骨をばりばり噛み砕いたりもする鳥好きの私。いつか後輩が素から落ちた子ツバメを私に届けたことがあった。私はすずめ、メジロについては雛を育てたことがあるが、ことツバメは始めてだった。ツバメの好物の蚊を目の細かい網で集め、途方に暮れた末ペットショップに居た鳥好きの主人に預けて事なきを得たようなこともあったっけ。そんな凶眼で偏狭極まる人嫌いの中年リーマンの私、見かけによらないこの私、何故にツバメが嫌いか、理由はこうである。あの飛行軌跡がうっとおしいことと、飛来固体の多さがうざったい。目の前をすいすいと他の鳥の追従を許さない逆放物線を思わせる独特の軌跡でちょろちょろ大胆に視界を惑わすことが腹だたしい。他の野鳥は、ちょこっと動いて私の視線を釘付けにするのだが、こいつらは遠くからやってきて風水を読み、人目を憚らず南向きの程よい軒先に営巣する。そこんとこが野鳥らしくない。詰まらない人間なんだけど、やたら行事や宴会で動作が目立つ人って居るでしょ?旅行の風景写真を撮っても何処かに必ず写っているような、そんな人間。ああいうさりげなく人前人前に出るような大嫌いな人間とダブるのかもしれない。私は風景を全体として視界に捉え、微動したポイントにピントを絞り込む見方をよくする。これはバードウォッチャーのテクニックだが、これで野鳥や隠れた子猫、こそ泥を見つけるのだが、黒く群れ飛ぶすいすい野郎たちのせいで視界が混乱すること、これが一番腹立つちうねん。ツバメん野郎、金輪際ちょこまか俺の目の前を飛ぶんじゃねえやい。食っちまうぞ、ってそういやツバメって食えるんかしら。(ちなみに写真は湯布院のカエル、ツバメは捕えられなくて)

吉日しかも大安  おなじあほならおどらにゃそんそん

1ボックスワゴンに約500kgもの機材を積み込み、バンドメンバーと下らない会話を楽しみながら走るのは例え渋滞であれ結構楽しいものだ。我々の楽器はそこいらのアマチュアにしては重く大きい。でかいスピーカは一個60kg〜80kgもあり、防音室から階段を経由して出し入れするだけで重労働だ。ばらしに1時間、運搬積み込みに1時間、移動に2時間、運搬で1時間、セットで1時間、これを往復行うとそれだけで半日かかってしまうが、アマチュアバンドは大体こんなもんである。プロは坊ややスタッフが運んで楽器のチューニングまで済ませてくれるのだろうが、我々は商売にならないから自分達で全部行うことになる。でも、そういった模擬ドサ周り興行のような作業は楽しく、皆の表情も屈託無く飛びぬけて明るい。バンドマン達は皆こうやって巡業してから一部の組がプロになる。私等はなれない組だが、光るものを生まれながらに持つ1%の人間は当たり前のようにプロになる。アマチュアの中にはよくチャンスが無かった等と言う馬鹿者が居るが、才能がある人間は放っておいても誰かが見い出し、あれよあれよという間にプロの仲間に入っている。才能の無い人間はいくら努力してもある線を越えられない、ゆえに決して商品にはなれないのだ。チャンスを語るそういった屑人間達は何かと言えば運のせいにして、自分を知らないまま死んでしまうから、ある意味幸せのもでもある。しかし馬鹿だと人は笑うだろう。反してこの私を含む私等は、ただ、やりたいからやっているという、すっきりした志向で活動しているバンドだが、評判は結構良い。私はええ歳した親父で、偏狭極まるリーマンだが、昨年結成したこのバンドは何故か評判が良い。音楽の方向性は 1960年代から80年代のロック。ぎんぎんぎとぎとの、重いロックである。んで英語。さて、その私のバンド、今回の行き先は古い日本庭園を持つ古式豊かな料亭。そこでギターの結婚式があり、当然のように披露宴会場はライブハウスと化した。前日のリハーサルでは通常の70%の音量でやったにもかかわらず、音量についてのクレームがついたが、そんなこんなは慣れたものだ。はいはいと言っておいて本番では100%、フルボリウムでがーんとやっちゃう。あれまあと言う顔の仲居とをしかとして、走るマネージャの後頭部を見ながら、どんどんやっちゃう。大きい音は常識的には大概敬遠されるものだが、纏まった出来上がった音は煩くは聞えない。出来上がった音楽は煩く感じないという特徴がある。客は老若男女さまざまで、若い男女は身体を揺すり、小さい子供たちはぽかんとし、意外な反応は手拍子喝采の年寄り連中であった。クレームも無く、演奏を終えた我々の席に次々にビールを手にやってくる老若男女と握手し、汗びっしょりの広いおでこを拭く。最後に20代の女性がビール持って現れたのに驚いた。その子は感動しましたと言い、なんと泣いているのだった。こと女性に関しては音の悪さに失神された経験もあるが、感動という言葉を聞くとは思わなかった私は久しぶりに驚いた。昨年はロック好きの50代の男性や高校生がステージ裏に尋ねてきたことはあったが、なんと女性は初めてなのだった。凶眼強面薄毛で人嫌いの私、戸惑うことしきりのまま写真に収まりバツの悪いままビールを飲んだ。最後に60代後半の男性が近寄ってきて私を吉田拓郎と間違えているのが可笑しかった。似ていると言われることも多いのだが、そんな老人に言われるのは初めてなのだった。わはははは、でもどうだっていい。ステージは面白いから止められないし、終わった瞬間の充実感は他では得られない。詰らないアマチュアバンドであれ、ステージでは神様だ。決してお客様は神様とは思えない。ステージの下は難民で我々が神様。ステージに上がらない、上がれない人間にこの快感は理解出来っこないというざまみろだ。なんでも見るよりやるほうが面白いに決まってる。同じ阿呆ならと言うではないか。

凶日  はしりつづけろ

立ち止まってはいけない、そのぽっかり開いた淵を覗き込んではいけない、走り続けねばならない。視野が狭く暗くなり、光と音さえ突然奪われたまま私は立ち尽くす。絶望と孤独は何時だってそこにあり、私は観ぬふりで生きながらえていたのだが、時折その呪縛に苦しむことになる。目を閉じたくても閉じられず、耳を塞ぎたくも塞ぐことがままならない。全ての事柄に価値がなくなり、私はたちまち、、何をすれば良いのかが分からなくなる。

吉日  ろーすとびーふのゆめをみる

背高帽のシェフが姿勢よく見下すように分厚く切り分け、その厚さに反して自虐的になる私。しかしその切り口たるや艶やかでしたたかで人間の内臓、秘肉そのものを思わせる紅潮したその薄紅色、口をつけられることを待ちきれなくて芳醇にしたたるなまめかしい肉汁、皿の白さに強調され少し残酷でエロチックな光景。つけ合わせの洋セリは要らない。その肉塊を少々大きめに切り分けホースラディッシュを包み、眼を閉じ、そして愛撫するようにゆったりと口へ運ぶ。そして、、唇についた牛脂は、ボルドーの腰のしっかりとした赤で洗いつつ、もう止まらない、あとはただ塊を口に押し込み押し込み目を閉じる。噛むことを躊躇わせるような柔らかく慈悲に富んだ蛋白質、そして酸味と渋みと豊かな香りの赤ん坊を何人も育てたような腰胸共に豊かで厚みのある赤の液体、向かいに座るのは、、、そんな目覚めの悔しい夢をみた。