• 私の病気は、こんな風に始まりました

     私は、大学http://www.tus.ac.jp/を出て、コンピューター制御システムの会社 http://www.koyoele.co.jp/ に勤めました。30才でそこを退職し、自分の家の仕事を始め、今も、「建築屋」です
    脳出血になったのは、土曜日の午後3時頃 でした。午前中、病院に行く、おばさんを送り、仕事の現場を廻り、丁度、来て居た、おじさんと店屋物の昼飯を食べました。何一つ、前触れはありませんでした。

    東京消防庁“ 消防ヘリ” 午後はずっと、自宅の別棟にある、事務所に居て、パソコンを使っていました。
    女房が私の事務所に来ました・・・。
     「お茶にしたら!・・・」
      パソコンを打っていた私は、  “何か右顔がザワザワするんだよ・・・”
    「風邪かもね・・・寝たらどう・・・」と、妻・・・。

     “そうするか・・・”と、自宅に戻り、2階に敷いてくれた布団に行きましたが・・・、
    「ザワザワ」、「グルグル」。もう、寝ていられません・・・
    「救急車 呼ぶ?」、“うん・・・”

     大学受験の試験が終わり、発表待ちの倅の肩につかまり、階段を下りるときには、もう、右手、右足が動かず、言葉も出来ませんでした。
    自分で「日医大多摩永山病院http://tama-h.nms.ac.jp/
    に行こうと、言ったのは覚えています。

    東海大学“ドクターヘリ” 土曜日の午後で、搬送先が決まらず、長い時間、家に居たのを覚えて居ます。テレビでやった、“救急センター”の番組は現実ではありません。
    http://www.246.ne.jp/~heli-ss/sp-dh-kanagawa2.html
    女房の話では、やっと、「日医大」に決まり、動き 出したそうです・・・。この、時間が長かったと、 救急車に乗った妻、倅は、今も、言います。

     私は、この頃は、意識が有り、“あぁ、松が谷トンネルだ”、“あぁ、乞田”、“ベットでの、問診(言葉はできない)”、“妹と、甥っ子が来てくれた!”・・・ 。その後、意識無く・・・、“もう、夜だな。看護婦さんに頭を剃って貰っているな!”と、これだけ覚えて居ます。この看護婦さんの顔も覚えて居ます。

     50才まで、あと、1ヶ月。
    娘、大学2年生で、正月に成人式を向かえたところ。
    倅が、大学に受かったのを知ったのは、自分で覚えているのは、4月になってからでした。
    2〜3月は ほとんど覚えがありません。
     

  • 私(S24・3生、障害程度:1級・1種)の家族構成

     女房(S24・11)、娘(S54・2)、倅(S55・7)、おやじ(T12・3〜H21・3死去)、おふくろ(S2・6 〜H27・5死去)
    の、6人家族です。
     

  • “伊之さんと、おイワさん” :私のおじいさん・おばあさん

    ■“終戦記念日”に思うこと! 【伊之さん、輝夫さん・利ちゃんと・・・】〔イノサン、テルオサン・トシチャント・・・〕


     

  • 脳出血とは?

      脳出血(ノウシュッケツ)とは?
    (資料:)  脳出血とは,脳内にある細い血管が破れて出血することによる脳細胞の障害をいいます。主に50歳以上の方に多くみられます。

     原因として、高血圧があります。長期間,血圧が高い状態が続きますと,脳内の細い血管は,血管壁が薄い為、又、粗食ですと,破れやすくなり、飲酒量に比例しても,脳出血は起こりやすくなります。
    喫煙,ストレスも影響します。

     症状は突然起こり,手足に力が入らない,手足のしびれ,言葉がしゃべれなくなる,めまい,などの神経症状が現れます。重症の場合は,意識がなくなり,場合によっては命を落とすことがあります。

     症状が現れた場合には,初期治療が重要です。すみやかに医療機関を受診する必要があります。 症状からは,脳出血か脳梗塞(ノウコウソク)か判断しにくいため,CT検査などにより診断がなされます。


     

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    制作・管理:ケンイチ脳出血との闘い“脳出血との闘い−はじめに−私の病気は、こんな風に始まりました”