「上田老舗図鑑」

明治、大正、昭和の長野県上田市の老舗資料を集約した図鑑。

当時の地図と現在地図入り。

明治の老舗篇 上田歴史基本地図(長野県地名研究所発刊)・「上田街諸名家一覧表」(明治24年発行)が基礎となっています。

              「上田街諸名家一覧表」より大店30店の他、270店が収録されており、当時の商標まで知ることができます。

大正の老舗篇 古地図(東京交通社発行)・古典「座右の宝典」が基礎となっています。

             古地図は、長野県上田市海野町「田中呉服問屋」出身の田中浩太郎氏寄贈

             「座右の宝典」は、馬場亀松氏発行

昭和の老舗篇 信州民報紙に昭和30年に掲載されたもの。創業60年以上の老舗を列挙しています。

一冊 400ページ  価格 5,000

    

「上田老舗図鑑」の表紙           信濃毎日新聞(200426日)記事 「平面の地図から過去に 思いをはせることで、街はより立体的になる」と 話す滝沢さん

 

 

著者のことば

「ふるさと上田の地名」と同じく本業からの逃避行であるが、この「上田老舗図鑑」には編集の動機があった。故・馬場亀松氏の遺された大正12年の大字上田・常入・常盤城・城下の地籍図と土地所有者名、先輩田中浩太郎氏が譲られた大正11年に束京交通杜が発行した上田町図である。そのほか明治初年の地租改正時の土地台帳の記録と信州民報の記事があったから編集する気になったのであり、わざわざ史料を整えるとすれば気の重くなる仕事になる。

  父・矢野泉は96歳まで嬰鍍(かくしゃく)として病んで寝ることなしに世を去った。父にもっと聞いておけぱよかったことばかりで、父の老後を子の私は忙しい忙しいで碌な相手にもならずに過ごしたことが悔やまれる。父が生まれた房山の酒富の長屋は、父存命中に訪問して確認してこうと思いながら遂に果たせず、最近柳澤憲一郎氏のご母堂を訪問し、ご案内を頂いて場所を確認した。父は幼児のころ女児のような愛くるしい子であったそうで、ひとさらいに攫われる事件があったそうだ。父の前をまくったひとさらいは男児と判って捨てたものだから本格的な捨て子になって大騒ぎになったそうである。

  「上田老舗図鑑」は父に捧げ、監修を踏入の父の親友・小山一平先生にお願いした。  序文に書いたが老舗の語源は「仕似せ」で親の家業を絶やさず続ける家が老舗であるという。若い頃は父親にだけは似たくないと思った時代があつたが、この頃付き合うひとたちは、異口同音に私が矢野泉にそっくりになったという。父に聞いた上田の街並みは、そのころ既に遣憶と愛惜に満ちていた。私の「上田老舗図鑑」も同様、ペシミステックなことであろう。

跋(ばつ)  滝澤主税

なにはともあれ小山一平先生の監修(かんしゅう)をいただいたことを感謝しなければならない。

  この上田老舗図鑑を編集している間じゅう、ずつと私の脳裏をはなれなかったのは、父への思いであった。なぜなのか解らない。主師親(しゅししん)にしか用いない言葉を使わせてもらえば、心懐れん慕(しんねんれんぼ)と云おうか渇仰(かつごう)と云おうか、そんなひたむきな思いが付き纏(まと)ってい た。

 房山(ぼうやま)の酒富(さかとみ)の裏長屋で生まれて、木屋傳(きやでん)のあたりや幸町(さいわいちょう)で遊んだ幼年時代の話、祖父熊八郎(くまはちろう)が無尽(むじん)を落とすのに父を連れて行って呪(まじない)に懐(ふところ)に履物を入れさせた話、父が女の子供と見間違われて人擢(ひとさら)いに凌(さら)われ、男の子と判明して捨てられた話、松尾 町の昌平堂(しょうへいどう)菓子のまん前今のハシヅメ帽子店あたりが中沢活版所で小学校四年で 小僧に出た話、本陣の裏手の曲折した小路は茅野小路(ちのこうじ)と云って緑町(みどりちょう)と松尾町(まつおちょう)を結ぶ近道であったなどなど、父の話のなかには上田の界隈(かいわい)の姿が一杯つまっていた。この頃でも、壮年時代には物怖じせずに足早(あしばや)に働き尽くした父の悌(おもかげ)を、どうかすると私や子供や孫の誰かの仕草(しぐ)などにフッと見かけるような錯覚(さっかく)に陥(おちい)ることがある。

  上田老舗図鑑は、父に献本(けんぽん)することにした。父矢野泉(やのいずみ)を知る方はもはや数少ない。郷里の踏入(ふみいり)でも小山一平先生は父を知っていてくださるかけがえのない方である。小山先生に監修の言葉をお願いに参上した際に 「先生の文は彫刻を刻むようです」と申し上げたが、ほんとに素晴らしい御文をいたただき感謝に堪えず、錦繍(きんしゅう)上に汚泥(おでい)を点(てん)ずるを畏(おそ)れるのみである。

     滝澤主税

監修のことば 小山一平氏 本書より

滝澤主税さんは「上田城下町歴史地名大鑑」などの著書もある多才な執筆活動で知られていますが、このたび「上田老舗図鑑」を出版することになりました。

 嘗て先祖代々の家業をうけ継いでいる名の知られた家が老舗と呼ばれ、市民に信頼され親しまれていましたが、戦後日本経済が高度成長を遂げ急速な変革が進む過程で老舗も変革を遂げ、今では老舗と呼ばれることは減多にありません。

 「上田老舗図鑑」は、上田市の明治以来の激動の歴史資料であり、その時代時代の市民生活の様相を推察することができる貴重な資料であると思います。現代を生きる私たちが過去を知ることは興味あることであり、重要なことであると思います。

 また、この書は滝澤主税さんが父君矢野泉氏に捧げていることも頷けることであります。矢野泉氏は踏入の長老で九十六歳の高齢で亡くなられるまでお達者でありました。滝澤さんは子として父業の印刷業をうけ継がれました。そうした思いがこの書には込められているのでしよう。

 一人でも多くの人々が、「上田老舗大鑑」に親しんで頂くことを希望しています。

          平成十六年春 

  小山一平 (元長野県上田市長・元参議院副議長)

「新聞記事の紹介」 信濃毎日新聞(200426日)記事より

和田の73歳 ふるきとへ の恩い込め

 旧町名の有効活用を目指す長野県地名研究所の主宰者、滝沢主税さん(七三)=小県郡和田村=が、明治、大正期の上田市の旧町名と商店街の概要をまとめた「上田老舗(しにせ)図鑑」をこのほど発刊した。当時と現代の地図を重ね合わせて、その地点の変化を図示。商店の名も、地域や職業別に分類 した。印刷も自ら手がけ、ふるさとへの思いを込めた一冊だ。

町名と店変遷追う 明治と大正期 二部に分け

 図鑑は「明治の老舗」と「大正の老舗」の二部 が柱で、ほかに昭和の老舗なども掲載。現在の地図の上に、各時代の商業用住宅地図を重ね合わせて表示してある。さらに 「袋町」「海野町」といった旧町名ごとの境も色分けし、各町にあった商店や上田全体の商店を業種別に示した。欄外には当時の絵入リ広告があ リ、雰囲気も伝わる。 滝沢さんは一九三〇年、上田市踏入に活版印刷業を営む父の二男として生まれた。五四年、東大法学部を卒業したが、家庭の事情で上田に帰郷。市役所などで働いた後、家業を継いだ。議員を目指し、国政選挙に出たこともある。

  そんな中で、郷土史に 興昧を持った。八五年、恩師の元信濃史学会会長の一志茂樹さん(故人)の強い勧めで、旧町名の保全に取リ組み始め、家業も辞めて没頭した。

  主に手がけたのは、各自治体の「字(あざ)境図」の作成。住所は、六〇年代に「丁・番・号」で表されるようになった が、それ以前の旧町名()の保存が必要と働き掛け、約三十の自治}体から調査依頼を受けた。明治のころ作られた古地図を丹念に調べ、区画枠整理や宅地造成で移リ変わった住宅地図にかつての町名を記し、境を引いて いった。

  滝沢さんは「旧町名から街の成リ立ちを知ることは、まちづくリに役立つ」と話している。同図鑑はA4判、四百三十n。 定価五千円(税別)。問 い合わせは滝沢さん( 0268880171)へ。

 

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