信濃国国分寺薬師堂再建御免勧進帳(文政十二年)

八日堂国分寺所蔵

 

現物90%縮尺レプリカ・解読・本堂図

姓名索引・住所索引

付録 東北信 天保郷帳所載村名一覧

刊行 「信濃国国分寺薬師堂再建御免勧進帳」刊行会

編集  長野県地名研究所

4判 22365冊分冊 価格 1セット(5) 9,800

平成18108日発行

目次

 発刊の辞

 解題

 総括表

 凡例

 發願文

 勧進帳本文(解読)

 本堂の柱等に刻された寄贈者名

 文政十二年前後の上田城下町事跡抜粋

 江戸時代の貨幣体系

 村の系譜

 索引 寺院名・一般姓名索引

     住所索引

 編集後記


発刊の辞

信濃国分寺住職 塩入法道

 現在の国分寺本堂は何代目の建物であろうか。まずは奈良時代、天平十三年(741) の聖武天皇の勅願により創建された最初の金堂。当時は僧寺と尼寺が一対のものとして建立されたので、金堂は二つあった。その後、千数百年の問に伝承や記録でわかっているものを挙げると、平将門の乱(承平天慶の乱、940年頃)で焼失したと伝える本堂がある。これが創建当初の堂宇であるかは不明。なお本堂と言う語は古代には使われていないが、ここでは本堂としておく。次に永禄から天正年間(15581581)に兵火に罹ったとされる本堂。江戸時代に入って、元禄年間(16881703)に再建された仮本堂と称されている本堂。そして現存の本堂である。こう数えると少なくても四代目であるが、古代中世においては、さらに焼失再建が繰り返された可能性が大きい。火災による被害は木造建築の宿命である。

 文政十三年(1829)発願、万延元年(1860)竣工の現本堂は、県内の近世の木造建築としては善光寺本堂に次ぐ規模を誇り、県宝に指定されている。この本堂が建立されるにいたる過程は、寺と関係者の艱難辛苦の歳月であった。それをまざまざと物語るのが、今回刊行の運びとなった上田市指定文化財「信濃国分寺薬師堂再建御免勧進帳」(「勧進帳」)である。

 顧みるに、平成二年、前々回の御開帳の折にこの勧進帳の解読と刊行を思い立ち、当時、信濃国分寺資料館の杜会教育指導員であった桜井松夫氏の主宰する古文書研究会に依頼し、平成五年には一応の解読を完了した。その後、何らかの形で公表しようと思いながらも実現できずにいた。ところが本年一月に長野県地名研究所所長の滝澤主税氏より、御夫人である故滝澤芳江氏がすでに筆写したものがあり上田市に寄贈してあるので刊行したらどうか、との話をいただいた。渡りに船とはまさにこのことで、古文書研究会で解読したものとつき合わせ、さらに本堂の柱等に刻まれている名前も加え、編集その他は長野県地名研究所に依頼し、ここに発刊することができた。感慨もひとしおである。

 今回は原本の影印(複写)が四冊、総括として原本の解読・村の系譜(地名の変遷表)・本堂図面(柱等に刻された姓名)・索引(寺名、姓名、地名)等を含む一冊、計五冊の大部なものとなった。しかしいわゆる研究編までは手が及ばなかった。本勧進帳は、江戸後期における東北信地方の地名や姓名、さらには寄進された金額や人足、物品などからうかがい知れる当時の時代背景など、郷土史研究の宝庫であろう。これを基礎資料としてこの方面の研究がさらに進むことを期待したい。

 最後にあらためて、長野県地名研究所の滝澤主税氏はじめ関係の方々に感謝の意を捧げ、発刊の辞としたい。

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