飼猫列伝

随筆

平成25年(2013)発行

A5版191800

 



初版 飼猫列傳

1997年(平成9年)101 2日発行/1998年(平成10年)330日再販発行

 著 者 滝澤主税

 抱腹絶倒の随筆

 A5191ページ 非売品

 

  

 

続 飼猫列傳

2002年(平成14年)226日発行

著 者 滝澤主税

装 填 和田俊樹

表 紙 久米芙沙子  

 カ ッ ト 浜村美智子他

A5版143ページ 非売品

 

飼い猫が70歳を過ぎた飼い主である作者の回顧談を、面白おかしく綴る。

少年時代から青春の恋、日常生活、夢を語る。

最後の和田村天国は将来の和田村の開発の参考になる(?)先見の必読書。

 

 はしがき

はじめての飼猫列伝の冒頭に「飼い主である私は、本年(平成9年)67歳と書いてある。驚いてしまった。5年も経っているのだ。本年は亡妻亡母の十三回忌である。「現在は七匹です。」と書いてある。あれから四匹が死に、悲しい思いをしました。今、足して六匹だ。

最初は平成10年の4月2日という恩師の命日に、間八が死んだ。

妻の膝にしかのらない間八が、にゃぁと鳴いて私の膝によじ登り、そのまま床に降りて息絶えた。妻の留守に私に挨拶して死んだ間八に涙した。

次はそれから幾日も経たない4月18日の夜に、きんきんが私と妻の枕の間にどうしても寝るといって聞かないので川の字で眠った。夜中に目が覚めたら死んでいた。

翌年の9月15日、長老のたらちゃんが眠るように死んだ時は、私の自宅で会合の最中てあった。みなで盛大に葬式をしてくれた。これらの三匹は、人間でいえば八十歳九十歳の高齢で、まさしく猫の天寿を全とうしている。

 人気者のかっちゃんだけは可哀想であった。平成10年6月21日、膀胱炎から尿毒症を併発し、あっけなかった。耳のそばで唱えてあげた私の題目を聞いて往った。

 ともあれ、人間にせよ犬猫にせよ、ひとしく生老病苦の四苦を免れない。

はじめの序文には「猫どもは私のことをオッチャンと云い、私の再婚した妻のことをママと云います。亡妻は名を芳江と云い、奥さんには子供は男女それぞれ三人づつ、都合配偶者とも現在のところ11人、孫9人です。ママはタクシーの運転手をしており、大学2年生です。オッチャンよりも18歳年若でオッチャン苦労してます。」と書いてあるが、随分と変更している。

六人目の息子(注:作者は6人目というが、5番目。子供が多いせいか、いつも間違える。=HP作成者こと長女=)の息子が結婚したので、「現在のところ2人、孫12人です。」になり、妻は昨年大学を卒業して教育学士となり、続いて亡大学で学芸員の資格をとり、更に図書館司書めざしてレポート・試験に追われている。

私と妻の年齢差に勿論変更ないが、私は6時30分になってしまった。

 

 

 

あとがき

ものごとには、ほどほどということが、大事だと心得ている。

「美味いもの談義」は、あれ以上書くと本心の怒りが出てしまいそうで止した。「続・飼猫列伝」も、 これ以上続けると本性の悲しみが出てしまう。怒りや悲しみが文字からはみでては、お読みいただく方々に申訳ないことだ。

実際、随筆など書くほどに暇ではない。本業の仕事が忙しくなればなるほど、ますます仕事と無関係 のことに筆を執りたくなる。わたし流のストレス解消法なのかもしれない。

 こんな随筆で迷惑を受けたのは私の長男や娘たちだろう。妻を亡くした男親などというものは、だんだん世間や立場を大切にしだす子供らの成長が嬉しくて、かえってわざと意地悪を云ったりだだっ子になってみせたりする。そうゆうときは承知してやっているのだから、つれなくして非難されない程度に上手に相手にしないに限る。それでも万事お互いにわかる親子の間とは尊いものだと思っている。

 「日月は四天の明鏡」という。また、同名天、同生天の二天は一生おわるまでつき随いてつゆばかりも残さず善悪すべてを天に報告して梵天帝釈らに加護せしむという。生涯は、行為の日記文書である。

ファウストはヨハネ福音書冒頭の「太初(はじめ)に言(ことば)ありき」を「行(ぎょう)」と 翻訳する。堤燈屋がきかない行(ぎょう)というものは、心や力が具象化したものだし、必ず心の固き によりて神の守り即ち本源から発するものだ。

はてさて堤燈屋とは、なつかしい言葉である。

昔、家業の活版屋にとって大切な職人は、三好町の堤燈屋であった。白銀町に明光写真が開業する以前 は、版下書きは堤燈屋の仕事であったからだ。一度書いた文字の上に幾度もなぞり書きして文字の形をととのえることを堤燈屋をするといい、小学校でお習字が下手で堤燈屋をして叱られた。

堤燈屋をせずに一筆で筆字が書けるような、すっきりした行動でさわやかに生涯を生き抜きたいものだ。 釈尊の出世の本懐は人の振舞いにあった。このことが私の生きる要諦になるだろう。

 書いたものなど誰も読まないと覚悟している。文は死後のために書き残しているのである。今世では 対話と行動しか効力を発揮してくれないのが通例である。

信州民報さんの貴重な紙面を割いていただいてほんとにありがとう。ご声援もたくさんお聞きしました。 また本にしたら、千円程度です、買ってください。

 表紙は久米芙沙子女史のものです。猫が物憂げに都会の風物を見下ろす図で、萎れた草花も猫の心を映しております。

 文中カツトは、末娘美智子のもので、オッチャンの日常を見事にスケッチしております。

写真その他の体裁は、和田俊樹君を煩わせました。

 

 

  

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