インドネシアの旅その4

遙か国でも汽車乗る島

〜年末は中部スマトラ・仕事とお休みのあいだに〜


(05年12月)



インドネシアにかなりハマってしまった。ジャカルタを離れてからもう丸2年になるのだけれど、調べてみると まだまだ面白いところがドンドン出てくる出てくる。こうなってくるともう止められない。無理矢理取った冬休み、 11月末になってから動き出して旅行社の人には「これはキツイですよ」と言われたものの結局アッサリと年末 23日発のSIN乗換えのCGK往復を確保(fuel surchargeとやらがやたらと高い!)。2日前にはネットで 先行チェックインして足元の広い座席をキープし、SQ997から166へのチャンギでの40分乗換えも何の 問題もなく、上手く行き過ぎて怖い。さすがに最後は雨期に入って水の出た市内北部コタ地区は大渋滞していた ものの、これまた前々日にネットで予約した、ギリギリ窓の下には電車の見えるホテル・イビス・マンガドゥア にチェックイン。さすがにちょいとお腹が空いちゃいました・・・

 今回の目的地はスマトラ島。さすがに去年の大地震・津波の爪痕から立ち直れていない最北部アチェに行くわけ ではない。スマトラ島には以前もどこかでチラッと書いたけど、北部メダンの周辺と南部パレンバンの周辺、そし て中部西スマトラ州のパダン周辺に鉄道があるというのは前々から知っており、ジャカルタに住んでいたときに 南部の鉄道と宇高連絡船に乗るプチ旅をしてきたことがあった。今回の目的地は中部のパダン。ここの周辺の鉄道 は、調べてみると基本的には貨物線だけだという話が多い。

 
   

AWAIRの旧塗装のままの
 Indonesia Air AsiaのB737-300型機。

 
 でも、ここにはとっても珍しいリッゲンバッハ式(リッゲンバッハ式とは、浅いコの字の形をした鋼材の間に台 形断面のピンを渡した、梯子状のラックレールを使う。ラック式として最初の方式。)スイスの技師ニクラウス・リッゲンバッハ氏によって考案された ものだそうのラックレール区間があるし、少し前までインドネシア鉄道会社(PT.KERETA-API)のホームページ には、この近辺で観光用に貸切列車を運行できる、なんて情報があった。
 さあ調べてみた、が情報が全然無い。30年くらい前の旅客・貨物SLの写真なんかは見つけたんだけど、あと はサッパリ。ともかく行ってみることにする。中部ジャワのアンバラワ鉄道博物館の動態保存SLの時だってそう だったじゃないか。

 24日、クリスマス・イブの日、最近マレーシアのAirAsiaに合併された、AirWagon (AWAIR)の QZ7522便の737−300は7割くらいの搭乗率でパダンに向けて11時15分のほぼ定刻に離陸。
 
   

パダン・ミナンカバウ国際空港。

 
 CGK→PDGはおよそ1時間半。料金は1週間前のネット予約で約4,000円ほど。同じ距離をガルーダで 飛べば1万円以上するから、遙かに安い。例によって自由席だし、食べ物飲み物は有料だけど、持ち込み禁止 とかうるさいこと言わないし、ちゃんと飛んでくれれば全然問題ない。一つ想定外だったのは、パダンの空港 が市内から随分と離れたところに移転していて、タクシー代が1,000円以上もかかったこと。

 
   

市内を走るミナン・タクシーにも
 伝統家屋のイラスト。
 

 
 これから先そこかしこで目にすることになる、このあたりの「ミナンカバウ文化」様式で新しく建てられた ばかり(円借款案件です)の、その名も「パダン・ミナンカバウ国際空港」。空港内の郵便局で早速貯金、ではな く年賀ハガキ用に切手を購入。
 冷房の良く効いたHYUNDAIのタクシーを市内中心部の(インドネシアのどこの 街にもある)マタハリ・デパートの前で降ろして貰ったのだが、ガイドブックでは何となく泊まりたくなるような ホテルが見あたらなかったのと、車窓から眺めた限りでは結構ホテルは点々と散らばっていて、歩いて探して回る のも面倒な感じだったので、目に付いた小綺麗な旅行会社に入ってみた。
 何軒か電話で聞いて貰ったのだけれど、 クリスマスということもあって旅行会社が契約しているような中級以上のホテルは軒並み満室。最近円安の差益で 少々儲けて頭にのってたので、結局1泊税込4,000円ほどとちょいと高めのところでOKした。というのも、汽車の 貸切運行の話を知ってるか聞いてみてたら、「それは観光列車(Kereta Pariwisata)のことか。日曜に走ってるヤツ だろ? 8時半発だゾ。」と意外な反応があったから。
 お、知ってるナ、こいつら。鉄道関係の知識があると はタダ者じゃない。 
 今日は土曜日。当然明日はこれに乗ることに即決。次の日はラックレール区間を貨物 列車追っかけたり、線路の終点の炭坑まで行ったりしながら山の上のブキッティンギまで上がるのに一日クルマを チャーターするつもりだったから。ここでも良いかな?と値段を聞いてみたら、全部でMax400kmほど走ること可能性 があるとの条件で提示された金額は350,000Rp(4,000円ほど)+燃料代。
この人が運転手だよ、と横に座ってい た気の良さそうなオッチャン。英語は殆ど×だけど、筆者の拙い片言インドネシア語から賢明に類推してくれようとする。
ここなら大丈夫だろう。迎えに行くから、ホテル決めてくれた方がいいな、と言うんで。で、それでも随分と 儲けて気をよくした旅行社の人は、留保したばかりのホテルまで送迎のサービス。荷物おいて、一息ついて、さあ 目指すはパダン駅。明日の「観光列車」とやらの確認だ。
パダン駅の所在地は街の東外れ、シンパン・ハル地区。 要交渉のタクシーで10,000Rp(1ドル強)ほど。

 
 
   

 パダン駅横の車庫内の機関車の下部。
 車輪の間にラックレール用の歯車が見える。

 
 今は旅客列車の発着していない・・・パダン駅はひっそりと戸を閉じて、かと思いきや、まあアジアの国は どこでもそうなのだが、何をやっているのかよくわからない人が結構いる。駅舎に向かって左手に車庫があったので 覗いてみると、中には中型のDLと客車が数両。客車は南部スマトラのそれのような全国標準型とは明らかに違う、 随分と古い型のようだが、結構綺麗にしてあり、明らかに今も使われているようだ。続いて駅舎の方に入っていくと、 切符の発売窓口があって、カラー印刷のチラシが窓口に貼ってある。観光列車の案内だ。それによると、毎週日曜朝 8時半パダン発、海辺のパリアマン(Pariaman)迄行って帰りは14時半パリアマン発。往復料金はEksektifで 20,000ルピア(2ドル強)、Ekonomiで9,000ルピア。誰もいない窓口を覗くと、机の上には座席表と思しき用紙が 無造作に置いてあるが、まだ全然売れていないようで、別に明朝、当日の朝でも問題なさそうだ。
 石炭運送用 の貨車が並ぶ構内や、壁に貼られた写真を眺めてるうちに、暇そうな職員が話しかけてくる。切符は今人がいないか ら売れないけど、明日でも問題ないよ、とか、ラックレール区間(Rail Gigiと呼ぶらしい)は2,3年前位から廃線 になって使ってないよ(ショック!)、貨物列車も今は全然走ってないよ、などと話をしているうちに、そのまま再度、 片隅には無造作にラックレールが投げ捨てられた車庫の中に連れて行かれる。で案内されたのは、整備用の穴が掘られ た上に止められた一台のB-B型DLの前。潜ってみろというので下に入ると、おぉ!確かにラックレールを上り下りする ための歯車が装備された特別仕様だ。
 
 一通り話も尽きた、というか筆者の語彙が尽きたのでもう帰ろうかと思い出した頃、最初に話しかけてきた 駅員が、ここから山の方へ行く鉄道は動いていないけれど、パダン市街地の東方のインダルン(Indarung)という ところ迄伸びる、セメント運送用の線路は休日の今日も運転されている、見に行くか?等と言い出した。手元の ダイヤグラムを見ると、確かにインダルンから積出港のあるらしきブキップトゥス(BukitPutus)迄約14.6kmの区間 は、24時間ぶっ通しで20往復近い結構な本数の貨物列車が行き来しているようだ。
で、言われるがままにカモに なった筆者、駅員の友人と称する男の運転するボロボロの日本車に乗り込み、パダンの隣町というか川向こうにある (実は大回りするだけで渡し船など使えば相当近いらしい)ブキップトゥス貨物駅まで運ばれ、お小遣い銭を渡すこ とに。

 
   

 重連の機関車を先頭にブキップトゥス貨物駅に
 入線してくるセメント列車。

 
 数本の貨物ヤードにセメント貨車の並ぶこの駅の事務所で早速駅員に紹介され、立ち話。次の列車が来る迄 1時間弱ほどあったんで、駅舎内でコーヒーやらお菓子やらご馳走になってしまう・・・と思ったら、30分ほど の後、ノソノソとおばさんが現れ、しっかり代金を請求していった。貨物駅の駅員と出入りする有象無象相手だけで 商売やってるのか。まあ別にたかられたわけでもなく、筆者が食べた分だけの請求(8,000Rpほど)だったんで、 まあいいや。

 
   

 インダルンのセメント工場を目指す
 貨物列車の運転席より。

 
 で、この後は予想どおりというか、いつの間にか「乗りたいか? え?乗りたいんだろ??」という話に なってしまい、しっかりと乗せて貰うことになりました。インダルン側からやってきた貨物列車の出発後、港側から 上ってきた交換の空荷の列車の先頭、さっきパダン駅で見たのと同じ型のB−B型ディーゼル機が重連になっている、 その先頭のキャブに添乗させて貰うことに。汽笛一声、左にパダン駅方面の線を分岐してスピードを徐々に上げ、 結構な速度に。どの位かな?と思って計器板を見るが、まあ予想どおり動いちゃいないよ。米国型を自国でライセ ンス製造したと思しき赤と青の機関車、先頭には2名、キャブから身を乗り出して写真を撮ろうと後ろを見ると、 重連の後ろに更に1名。総括制御できてないのか?

   そんなこんなで夕日を眺めながら走ること約30分、陽もとっぷりと暮れかかったインダルンに到着・・・と 言われて前を見ると、列車はそのままセメント工場の巨大な施設の中に入っていく。前照灯に映し出される上部の 機械は、どうやら上のサイロのような構造物から、貨車に直接セメントを注ぎ込む施設のようだ。うわぁこんなの 初めて見るよ。良いのかい。やっぱり良くないらしい。施設を抜け出たところに駅舎があり、そこを行き過ぎたとこ ろで列車は停止。御礼を言ってキャブを降り、駅舎に近づいたところで責任者らしい強面のおっさんに捕まって詰問 される。何しに来た、なんの目的だ、等と。いやぁただの汽車好きで・・・ハイスミマセンもう帰ります。出口どこ ですか。。。 
 で、テクテクと埃の舞う工場内を10分ほど歩き、正門の警備員からはうさん臭がられながら 無事に脱出。音楽ガンガンでウルサくて仕方のない乗り合いバスでパダン市内に戻り、海岸沿いの大通りのレストランでビンタンビールと海鮮の夕食にしたのでした。 とっても幸せな一時・・・。。(*^^*)

 
   

  今回の舞台はスマトラ中部。
 太線部分は一応列車が運行中。

 



 明けて25日(日)朝、クリスマスの日から何やってるんだろう・・。まさか満席なんて事はないだろうとは 思いつつも、念のため出発の1時間ほど前にはホテルを出てタクシーで再度パダン駅へ。そこそこ乗客らしき姿もな くはないが、Eksekifの切符も無事に入手。印刷された乗車券の紙片に、座席表の紙を切り取ってホチキス止め。 これならダブルブッキングはまあ間違いなくなさそう。
 列車は既にホームに入っており、先頭には例の赤青に 塗り分けたB−B型のDL、の後ろにはジャワ島本土や南スマトラ鉄道では見たことのない、明らかに標準型ではな く更新に更新を重ねたような、でも本土の客車に似た感じの塗装に厚化粧された客車が続く。前からEkonomi車が2両、 半室電源車付のEkonomi車、続いてEksektifが2両。4両目は2−2、最後尾は1−2の少しゆったりとした座席配置。 ちゃんとここの一人掛けの席の方を割り振ってくれてる。まあ、Eksektif車には落花生。の他には家族連れ一人だけ だからなんの問題もないが。

 まだ発車まで時間があるんで前から後ろまでゆっくりと見て回るが、どうやらこの客車、銘板なんかはついて ないけど、1両の車体の隅に1958と書いてある。駅員に聞くと、そのとおり1958年製の古い古い板バネの 台車をはいた客車を更新に更新を重ねて使ってきてるみたいだ。当然Eksektifの冷房化も後から改造されたもの。 ちょっと寒いんで、車内妻板部の壁のリモコンスイッチで少しエアコンを弱めてみる。そう。車内から前後のデッキ に出るドアの上には家庭用のエアコンが一台ずつ付いている。で、連結面には室外機が置いてあるのだ!

  
 
   

  パダン駅で出発を待つ観光列車。

   列車は定刻8時30分、汽笛一声、駅長の発車の合図(週に1回しかない)を受けて出発。昨日空港から 市内へ向かった道に沿ってノンビリと走り出した。終点のパリアマンまでノンストップかと思いきや、まだ市内の 続きのTabing駅に停車、家族連れなど数人の乗客が乗り込む。Eksektif車こそホンの数人しか乗ってないけど、 Ekonomi車の方はサラリと各ボックスが埋まる位のソコソコな乗り。でもどうだろう。Ekonomiの運賃は往復約1ドル。 100人乗ったって100ドルだ。到底モトが取れてるとは思えないなぁ。
 そんな心配をよそに列車は北へ向かうこと1時間ほど、少々遅れてパダンパンジャンやサワルント鉱山に向かって 山を登る本線との分岐駅、Lubukalung着。乗客はみんなパリアマンの海岸まで行くのかと思ったら、ここで3分の1 位が下車。逆に物売りが2、3人乗り込む。
 本線から分かれた列車の車窓は、右手にはこの辺りでは名峰のムラピ山(2,891m)とシンガラン山(2,877m)、沿線 は田圃と森とが交互に現れるノンビリとしたエリアになった。

 
   

 森を抜けて走る観光列車の車窓から。

   着色ガラスのEksektif車に乗っていても寝てしまいそうだったので、この辺りから荷物を持ってEkonomi車 へ移動。物売りは残念ながら欲しくなるようなモノはなし。身を乗り出して写真を撮ったりしてるウチに、10時半 少し前、列車は無事に終着駅パリアマン到着。およそ60kmの楽しい小旅行でした。
 帰りの列車は午後2時半だから乗り遅れないでね、という車掌に送られ、結構立派な作りの駅舎を出て、折角なので 海岸に出てみようか。

 
   

 パリアマン駅。

 
 機関車の付け替えだけ眺めて、線路を渡って直ぐのパリアマン海岸に続く道には、海老、小魚、蟹等の海産物 や飲み物、ビーチボールなどおもちゃなどを得る屋台が並び、地元のおばちゃん達の小遣い稼ぎの場になっていた。 一通り(といってもほんの十数件)眺め、ムスリムの世界なので水着のお姉ちゃんなど全くいやしない海辺でしばし パチャパチャしたあと、折角なのでおばちゃんのお店の一つに座って試しに頂いてみることに。
 殻ごと揚げた 海老3匹の串揚げ、ゴルフボール大の蒲鉾みたいなものを揚げたもの3つ、にいつものテーボトル(甘い紅茶の瓶詰 め飲料)つけて全部で6,000Rpほど。小銭がなかったんで2万ルピア札を出したらお釣りがないらしく、飲み物屋台 の店番の、幼稚園児位の女の子が近所の店を走り回って崩してきてくれた。味はマアマア。帰りの列車まで何時間も 潰すような場所もなさそうな小さな街なので、駅前通の魚+青果市場を一回り(小振りのマグロっぽい魚が美味しそ う)の後、オジェック(バイクタクシー)で町外れの郊外バスの停留所まで送って貰い、路線バスでパダンに戻る。 客を拾いたいので延々と市内近郊をウロウロしているバスの車内には、日がサンサンと差し込み、汗だく。
 それでもいざ走り出すとそれなりに風が入ってくる。ウツラウツラするうちに1時間半少々でパダン着。
 
   

 パリアマン駅で入れ替え中の列車。
 エアコンの室外機が生々しい。

 




 26日朝7時。待ち合わせの5分前には「おはよう。もうスタンバってるヨ」と例の運転手から携帯にSMSが 入ってくる。なかなかいい感じ。インドネシアのローカル携帯から、インドネシア国内でローミング受け中の、+81- 90〜の日本の携帯宛のSMSが送受信できるのか。逆はどうなのだろう。日本からインドネシアの携帯+62-81〜宛のSMS が送信不能だったりしたのだよね。この辺専門家の解説を伺いたい。
さて、クルマは三菱の新型クダ・Diamond 2.0MPI。前にも書いた、インドネシアにやたらと多いキジャン型の8人乗りMPV車。グレード名がいかにも三菱的。 ちなみに最上級版はGrandiaという。マイナーチェンジでちょっと前の三菱顔になって不細工になった気がするが、 エアコンのよく効いた車内はなんの問題もなく快適。  
 
   

  カユタナム駅に並ぶ貨物車輌。

 
 たわいもない話をしながら街を出て、忘れ物をしたという運転手さんの家に立ち寄ってから、まずは空港へ。 一昨日からガイドブックが見つからなくて探していたのだが、置き忘れたとすると、切手を買った際の郵便局だろう、 と目星を付けて行ったのだが、まだ開いていない。8時には開くはずだというのでクルマの中で待ちつつ、8時頃に は運転手さんは携帯で知り合いだという局員に電話したりしてくれたのだけど、結局現れたのは殆ど8時半になろうか という頃。話をすると、局員は直ぐに思い出した顔で机の中から本を取り出し、無事に回収。あらためまして、さあ ようやく出発だ。

 昨日列車で通ったルブックアルンの街を過ぎ、線路の見え隠れする国道はいきなり結構な登りになった。折角 なので駅に寄って貰うことにする。最初の駅はシチンチン(Sicincin)。椰子の実の積み替えか売り買いでごった返す 踏切の脇にクルマを止めて島式一面の駅構内に入っていくと、列車の来ない駅に2名の制服を着た駅員とそのお友達。 折角なのでお話しをしてみると、例のラックレール区間はもう一つ先のカユタナム駅より上の方で、貸切列車もやって るよ、とのこと。いきなり期待が高まる。 列車は運行していないけど、仕事あるの?という質問は愚問だったか。 苦笑いしておしまい。これで給料貰えるのか。そりゃいい仕事だ。
 クルマは線路に沿って結構な上り坂を上って 次のカユタナム(Kayutanam)駅へ。構内には側線が広がり、十数両の石炭用と思しき貨車が留置してあり、先ほどの シチンチン駅よりはかなり広い。駅舎内事務室には駅長らしき年配とその部下のような駅員が2人ほどいて、話をして みたのだが・・・ 「パダンで君が得た情報と同じに決まってるじゃないか。この路線は貨物も旅客も3年位前から 走ってないよ。貸切列車も、パリアマンに行く奴だけだよ。」と、ちょっと前までの期待は一気にしぼんでしまう。
最後に、「君はもっとインドネシア語を勉強した方がいいね。」とイラん事まで言われてしまい、若干凹む。まあ話の 中身は至極当然だし、本部(パダン)と現地(ここ)とで情報が違っていればそれはそれで問題なのだけれど、もう 少し言い方があろうモンだ。列車は走っていないのに、時折メッセンジャーが書類を届けに来たり、なぜか忙しそうな この駅は早々に立ち去ることにした。

 
   

  滝の目の前を走るラックレールつきの線路。

 
 さて、ここからがいよいよ坂登りの本番。暫く走ると、目の前にちょっとした滝が現れた。線路も道も、滝のホン の10mほどの目の前まで迫り、小さなガーター橋で線路が道路を跨いでいる。既にこちらの目的はよくわかっている 運転手氏、こちらから指示する前に、滝見物客目当ての土産物屋が並ぶスペースにさっとクルマを止め、「ほら、 そこから線路に上がれるよ」、と指を指す。デジカメ片手に駆け上ってみると、そこには以前写真で見たとおり、 2本のレールとその間にゴツいラックレールが据え付けられていた。
 ラックレールは幅10cmほどだろうか、両側のレールより数センチは高く、かなりごつい代物。何せ石炭を山積 みにした長編成の貨車をゆっくりと下まで降ろしてこなければならないのだから。カユタナム(標高144m)からパダ ンパンジャン(Padangpanjang:標高773m)までの2駅約15.3kmの間の高低差は約630mもある。平均勾配41‰、最大勾配 はなんと76‰だとか。
 最大斜度でこそ箱根登山には及ばないものの、石炭を満載した貨車を背負ってゆっくりと山を下りて、また上 がっていく路線なのだから、結構な迫力だっただろう。よく見ると、ラックレールの歯は、荷重がかかる山側を向いた 側だけ削られてツルツルだ。

 
   

  滝の前の道路を跨ぐガーター橋の上で、落花生。

 
 滝の観光客目当ての店には特段欲しくなるようなモノはなく、そのまま更にクルマで線路沿いの道を上り続けると、 運ちゃんも心得てきて、「そのカーブの先にはトンネルがあるよ」と出口の先で停車。線路を100mほど歩いて立派な 石積みのポータルのトンネルの出口へ。路盤にはパラパラと結構落石が散らばっており、これの直撃を受けたか、 グニャリと数センチほどラックレールが歪んでいる部分もある。これじゃあ、貸切列車の運転も無理だろう。
   
 
   

  トンネルの出口で。

 
 次にクルマを停めたのは、国道を跨ぐ大きなアーチ型の鉄橋の袂。国道の脇の川は更に深い位置を流れているため、 川面から鉄橋の上の路盤までの高さは30mくらいだろうか。使われていない橋は生活道路となっているらしく、高い所 の得意ではない落花生。は到底御免こうむるが、その上を農作業帰りと思しき人たちがゾロゾロと歩いて亘っていく のが見える。
 
 
   

  国道をまたぐ大鉄橋。

 
 そしていよいよ登り切った頃、ミナンカバウ文化村のような観光施設があったので博物館などを覗き、沿線随一の 街であるパダンパンジャン(Padangpanjang)着。そろそろお昼だ。旅客営業は随分昔に止めてしまった筈だが、以前 はブキッティンギ方面への線路も分岐していたパダンパンジャン駅の入口にはちょいとばかり小洒落たミナンカバウ様 式の門が今も建ち、駅舎も立派で、構内は広大。側線が何本も並び、20両以上の貨車や機関車の補修区と思しき建物 も見える。例によって駅舎の中には仕事なんか無い筈なのに10名近い数の駅員がいて、カードゲームなどして時間を 潰している。
 話を聞いているうちに、一人英語の多少出来る駅員がいて、話は一気に通じ易くなった。なんでも、 今は閉山してしまっているサワルントの炭鉱が再開される予定で、それに併せて2011年頃にはこの鉄道も営業再開の 予定だとか。だから駅も設備も貨車も、そして職員もそのままな訳だ。この辺の国鉄職員は地元採用で、ジャワ島とか 別のところへの転勤は容易じゃないんだろうし、また戻してくるのも更に面倒なのだろう。どこかで聞いたような話だ。
いずれにしても、そのころには客車の運行もされていることを希望したい。チャーター列車でいいから、このラッ クレール区間を走れるといいなぁ。
 
 
   

   パダンパンジャン駅入口の門柱。

 
 さて、その後も暫くは線路に沿って今度は南に下り、シンカラッ湖畔の道沿いのパダン料理の食堂でようやく お昼。パダン料理というのは下川祐治の「12万円で世界を歩く」でも有名な、いきなりたくさんの料理の皿が並べ られ、食べた分だけ料金が請求されるという、少々衛生面での問題を感じかねない奴なのだけれど、インドネシア国 内あちこちのパダン料理屋(主に路線バスが小休止するドライブイン系)では、そんな風にやってるところは殆どな く、カウンターというかショーウィンドゥに並べられた料理を客が指さして選ぶという、普通の形態の店が殆どのよ うに感じる。が、この店ではさすが本場なのか、座った途端に10種類近い結構な数の皿が並べられ、ご飯と飲み物 を別注文。直ぐ向かいの湖でとれた小魚の揚げ物など地場のモノも幾つか。とても食べきれないので何皿かは手を付 けずに残すと、お会計の時にはそれらは数えられず。運ちゃんの分と二人で、飲み物込みで37,000Rp(500円弱)でし た。

 
   

 ミナンカバウ様式の大建築のバガユルン王宮博物館。

 
 その後は、当初は最近まで動いていた線路の終点、サワルント鉱山まで行くつもりだったけど、炭鉱も閉山し、 中に入れるわけでもないというので、もういいや。と、ここから先は方針転換。折角なので、14〜19世紀頃まで この地域に栄えたミナンカバウ王国の中心地だったとされる、ブキッティンギから50kmほど南東のバトゥサンカル近 郊のバガユルンに向かうことに。公共交通機関が殆どない山奥で、ブキッティンギ辺りからのツアーにでも参加しな いと個人ではなかなか行きづらい所らしいのだけれど、今日は何といってもクルマ持ちの特権階級だ。湖畔からクネ クネ道を山越えて、盆地のように開けた一帯にバガユルンの立派な博物館はあった。勿論再建なのだが。日本人の男 性二人連れの観光客もいたり、海外には珍しくペットとして子猫を連れていたジャカルタから家族旅行中というイン ドネシア人の女の子と仲良くなってみたりと、観光客みたいな一時を過ごした。
 
 
   

  ブキッティンギ駅跡。壁に駅名が残る。

 
 バガユルンから今日の目的地ブキッティンギ(BukitTinggi)までは1時間半ほど。キチンと舗装された道は 快適で、午後の日差しに誘われウツラウツラ、途中運ちゃんの親戚らしい土産物屋に立ち寄りつつ(何も買わず)、 夕方前にブキッティンギ到着。パダンの旅行会社が予約してくれた宿(16万ルピア位)は正直、値段に比べても 相当レベル低くてがっかり。やっぱり宿は自分で見て選ばないとイカンねえ。パダンの宿は混んでいたし、ブキッテ ィンギで唯一ネットで予約できるNOVOTELもこの日は満室だったので、心配になって任せてしまったのは失敗だった。 でもクリスマス休暇時期ということで、混んでるのは間違いないらしい。
  一休みしてから、街外れの公園の 中の旧日本軍が掘ったとされるトンネルの中に入ってみたあと、もう列車が来なくなってン十年、駅構内はすっかり 不法建築?に埋め尽くされたブキッティンギ駅を訪ねると、かろうじて駅舎だけ運送会社の事務所となって残ってい た。
最後にクルマで街を見下ろす高台(に建つ時計塔が街のランドマークで、そこから丘の斜面に市場などの街 並みが広がっているというちょっと変わった構造の街なのです。BukitTinggiとはそのまま「高い丘」という意味。) の上まで連れて行って貰い、そこでお別れ。丘を下りながら市場や街歩きを楽しみ、夕食はあまり入りたくなるよう な所がなかったんで、ノヴォテルの中庭レストランで。街一番の高級ホテルの割にはビール1本飲んでも税込1,000円 もしなかった。




 
   

 その筋では有名なコタパンジャン・ダム。

 
 翌27日朝、朝からキレる。迎えのクルマが来ない。8時にホテルに迎えに来るはずのクルマがやってきたのは 結局12時半。落花生。の職場で一つ裁判を抱えている、コタパンジャンというダムサイトと移転集落を一日かけて廻る つもりだったのだが、結局夕暮れまでの間に滞在できたのは僅か2時間ほどになってしまった。
 お昼ご飯も食 べ損ねたので、途中道端の屋台で、名前は覚えてないけどコメを固めて蒸かした餅のようなおはぎの様なものにカレー をかけて、竹の皮でチマキのように包んだお持ち帰り弁当をつまんだりして取り敢えずしのぐ。
 午前中は携帯 電話で「まだ来ないのか、何やってんだ (-_-#)」とレンタカー屋をずっと怒鳴り続けて疲れたのか、せっかくの初陸 路赤道越えのモニュメントも寝過ごして見落とし(観光名所なんだから、起こせよ!運ちゃん)、早くも陽も傾き始 めた2時半頃、ようやくダムサイト着。幾つかの移転住民の住む村を通り、最後はダム湖に沈む可能性があったとして 裁判でも取り上げられているムアラ・タクス寺院跡へ。結構手が入って復元されており立派なもんだ。

 
   

 ムアラ・タクス寺院にて。落花生。

 
 この日はプカンバルのIbis泊。ネットで確実に予約ができ、4〜5,000円程度と適当な値段で、清潔で外れが ないということで、インドネシア国内旅行はこればっかりになりそうだ。疲れて外出する気にならず、即寝。

翌朝はLion AirのデフュージョンのWings Air(機内サービスは水しか出ない)のMD-82でジャカルタに戻り、昨日の クルマの予約を仲介してくれた、知人に報告すると、「けしからん、お金は取り返す」と請け負ってくれたが、 2ヶ月たった今でもなんの音沙汰もない。まあそうだろうな。     



サークル「雑型客車」機関誌「Box Train」に掲載したものを加筆修正しました。



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