■「テアトロン賞」とは?(1962年・25歳、1963年・26歳)

昭46(1971)年には舞台『白狐の恋』で
芸術祭優秀賞を受賞。
(写真提供:takaさん)
●テアトロン賞とは●
 チエミさんの歴史を語る上で、『スター誕生』での舞台演技開眼がよく語られます。その時に必ず付け加えられる『テアトロン賞受賞』という言葉。
私が今まで聞いたことのなかった賞の名前でした。もっと、具体的な名称であれば、その受賞の意義も推測されますが、『テアトロン賞』と言われても、皆目、見当がつきません。
 しかし、舞台『スター誕生』でのチエミさんの演技が認められて受賞したのであれば、その賞の重要性を知りたいところです。 インターネットで検索してみましたが、芸能人の受賞歴の一つとしてヒットするだけで、「テアトロン賞」について、まとめてある記事は見つかりませんでした。
 そこで文献をあたった結果、
『演劇テアトロン時代/ほんち・えいき著・青蛙房(せいあぼう)』という1冊の本を見つけました。

 昭和30年度から昭和41年度までの12年間にわたって、「テアトロン賞」という演劇賞が存続していました。これは別名『東京演劇記者会賞』と言われるものです。毎年1月に、歌舞伎座の舞台を借りて授賞式が行なわれていました。
 この賞の選考委員会は、東京演劇記者会に加盟する各新聞社の演劇記者で構成されていました。最初のころは14社、最後には16社(うち2社は通信社)になり、平均すると各社2、3名が普通で、新聞社によっては1名のところもあり、全部で25〜26名から30名前後がメンバーでした。
この本の著者である、ほんち・えいき氏は当時朝日新聞の演劇記者でした。


●テアトロン賞受賞者●
第1回(昭和30年度)                                                        
東京演劇記者会に加盟する新聞社
    デーリースポーツ
    報知新聞
    時事通信
    共同通信
    毎日新聞
    内外タイムス
    日刊スポーツ
    サン写真新聞
    産経新聞
    スポーツニッポン
    東京新聞
    東京タイムス
    日経新聞
    中日新聞
    読売新聞
    朝日新聞

 ○菊五郎劇団『妹背山婦女庭訓・吉野川の段』、9月新橋演舞場。
 ○新派『太夫さん』ほかの現代劇に示した努力、11月明治座ほか。
 ○文学座『ハムレット』の成果、5月東横ホール(後の東横劇場)。
 ○宝塚歌劇月組『ボンジュール・パリ』の舞台成果、12月東京宝塚劇場。
第2回(昭和31年度)                                            
 ○中村歌右衛門『夜叉ヶ池』『春琴抄』『瀧の白糸』など、新派に取組んだ意欲と、
  『苅萱道心筑紫轢』の舞台成果、8月明治座ほか。
 ○前進座『御浜御殿綱豊卿』『俊寛』の成果、5月俳優座劇場ほか。
 ○文学座『肥前風土記』『ヤシの女』『鹿鳴館』などの創作劇活動、9月第一生命ホールほか。
 ○松竹歌劇団『アトミック・ガールズ』のSKD四大踊りにおける成果、浅草・国際劇場。
第3回(昭和32年度)                                            
 ○新国劇『風林火山』の舞台成果、10月読売ホール。
 ○千田是也『タルチュフ』の演技成果、1月俳優座劇場。
 ○越路吹雪『バス・ストップ』『曽根夫人の黒眼鏡』など、ミュージカル、
  新派の出演の舞台成果、6月芸術座ほか。
第4回(昭和33年度)                                            
 ○中村勘三郎『髪結新三』など年間の演技成果、5月明治座ほか。
 ○松竹新喜劇『みみずく説法』などの舞台成果、7月新橋演舞場。
 ○俳優座『幽霊はここにいる』の舞台成果、7月俳優座劇場。
 ○宮城まり子『まり子自叙伝』の成果、4月〜6月芸術座。
第5回(昭和34年度)                                            
 ○松本幸四郎(のちの松本白鸚)『日向島』試演会の成果など、4月新橋演舞場ほか。
 ○三益愛子『がめつい奴』の演技成果、10月〜翌年7月芸術座ほか。
 ○俳優座『千鳥』と、同座日曜劇場『十二夜』など公演活動の成果、10月俳優座劇場ほか。
 ○榎本健一『浅草の灯』の劇中劇をはじめ、各種の舞台成果、12月東京宝塚劇場ほか。
第6回(昭和35年度)                                            
 ○大友友右衛門(現中村雀右衛門)と、坂東鶴之助(現中村富十郎)コンビによる『吉野山』『鎌倉三代記』などの演技成果、
  12月東横ホール(後の東横劇場)ほか。
 ○新派『京舞』『花のいのち』『夢の女』など新作の成果、4月明治座ほか。
 ○岸田今日子『陽気な幽霊』『塔』の演技成果、6月第一生命ホールほか。
 ○宝塚歌劇星組『華麗なる千拍子』の舞台成果、11月東京宝塚劇場。
第7回(昭和36年度)                                            
 ○市川寿海『頼朝の死』をはじめとする年間の舞台成果、10月歌舞伎座ほか。
 ○東宝現代劇『放浪記』の公演の成果、11・12月芸術座。
 ○民芸『イルクーツク物語』『火山灰地』1・2部における舞台成果、1月砂防会館ホールほか。
 ○宝塚歌劇雪組『火の島』の舞台成果、11月東京宝塚劇場。
第8回(昭和37年度)                                            
 ○市川團十郎『勧進帳』『助六由縁江戸桜』『若き日の信長』などの演技、4・5月歌舞伎座ほか。
 ○前進座『屈原』『左の腕』『御浜御殿綱豊卿』の成果、5月読売ホールほか。
 ○民芸『オットーと呼ばれる日本人』『るつぼ』の成果、7月東横ホール(後の東横劇場)ほか。
 ○江利チエミ『チエミ大いに歌う』『スター誕生』の演技、5月日本劇場ほか。
第9回(昭和38年度)                                            
 ○尾上松禄『徳川家康』『松禄奮闘公演』『義経千本桜』における年間の舞台成果、2月歌舞伎座ほか。
 ○山田五十鈴『丼池』『香華』『明智光秀』における年間の舞台成果、1月芸術座ほか。
 ○宇野重吉『初恋』『泰山木の木の下で』『消えた人』の民芸公演における演出成果、2月砂防会館ホールほか。
 ○ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のアンサンブルの成果、9月東京宝塚劇場。
第10回(昭和39年度)                                            
 ○尾上梅幸『お夏狂乱』『近頃河原の達引』などにおける演技成果、1月歌舞伎座ほか。
 ○前進座『阿部一族』の舞台成果、12月新橋演舞場。
 ○東宝現代劇『越前竹人形』の舞台成果、1・2月芸術座。
 ○東野英治郎『有福詩人』『教育』の演技成果、2月俳優座劇場ほか。
第11回(昭和40年度)                                           
 ○中村歌右衛門主宰「莟会」の公演成果、4月東横ホール(後の東横劇場)
 ○市村竹之丞(現中村富十郎)、澤村訥升(現澤村宗十郎)、澤村田之助、市川猿之助の若手四人の活躍、八月新橋演舞場ほか。
 ○瀧澤修『夜明け前』第二部の青山半蔵の演技成果、8月都市センターホール。
 ○東宝ミュージカル『王様と私』の舞台成果、12月東京宝塚劇場。
第12回(昭和41年度)                                           
 ○『妹背山婦女庭訓―道行恋苧環・三笠山御殿の場』の舞台成果、11月歌舞伎座。
 ○守田勘弥『名月八幡祭』『十六夜清心』『元禄忠臣蔵』の年間演技成果、8月新橋演舞場ほか。
 ○『アンドロマック』の舞台成果、5月日生劇場。
 ○俳優小劇場『アルトナの監禁された人たち』『黒人たち』『剣ヶ崎』の舞台成果、6月日経ホールほか。
 ○東宝ミュージカル『心を繋ぐ六ペンス』の舞台成果、7・8月芸術座。


これを見ると、歌舞伎・商業演劇・ミュージカルと選考対象は多彩です。
東京で上演された舞台演劇から、その年度に優秀と思われる作品または俳優が受賞対象となっています。
ほんち氏は本の中で、
 
「当時、テアトロン賞の選考にたずさわった演劇記者は、論客が多かったにせよ、誠実な人柄のものが多かったように思う。」また、「だから、選考は東京近郊の旅館などを会場に行なわれ、1杯のお茶が出るだけで、旅館の関係者といえども会議中は入室一切お断わり、3時間近くの間、侃々諤々の議論を、徹底的に闘わすことが出来たのである。」
と当時の選考委員会の有り様を書いています。

それでは、選考委員のひとりであった、ほんち氏が『スター誕生』『マイ・フェア・レディ』の授賞理由について触れている部分をご紹介しましょう。

●チエミは10年に1度の努力家●―――『チエミ大いに歌う』『スター誕生』について
江利チエミが、5月に日本劇場で上演した『チエミ大いに歌う』と、11月に新宿コマ劇場で上演した、菊田一夫作・演出『スター誕生』で受賞した。『スター誕生』は、芸術祭奨励賞も獲得している。
 この『スター誕生』は、東京公演に先だって、6月に大阪・梅田コマ劇場で上演されたが、その舞台をみた菊田氏は、こういった。
「江利チエミは、雪村いづみにも、美空ひばりにもない、舞台の演技に、ぴったりあったものを持っているし、第一、おめずおくせずの度胸のよさは、見上げたものだ」
 美空ひばりは、10年に1度の天才だといわれ、雪村いづみは、10年に1度の幸運児だといわれるが、江利チエミは、10年に1度の努力家であるといわれたものである。
 この『スター誕生』は、周囲に、清川虹子や高島忠夫を配して、チエミが、文字通り、汗まみれの舞台をつくり、なによりも、健康的なショーになったのがよかった。時に、チエミと清川とで、ところどころに、人生そのものを感じさせるものを生み出し、歌にも、踊りにも、イキイキとしたニュアンスがあって、脚本の不備を補っていたのは、立派だった。・・・・(中略)・・・
「お母さんが、軽演劇の女優だったから、私も、いずれは、キチンとしたお芝居をやってみたい。だけど、歌手の仲間入りをして、まだ、やっと10年、自信がつくのは、私が、40歳くらいになってからでないと…」
 それまでは、今のままのペースで仕事を続けたいと、受賞の知らせを、出演中の浅草・国際劇場の楽屋で聞いた江利チエミは、そう語ったものであった。
 40歳くらいになったら、本格的な芝居をといっていたチエミは、昭和38年、東京宝塚劇場で上演された、初のブロードウェイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の主役、花売り娘のイライザに起用され、その鋭く、カンのいい演技が絶賛された。この舞台そのものも、そのすぐれた成果によって、テアトロン賞を贈られている。チエミ、40歳よりはるか前の、25歳であった。


●まさに画期的なミュージカル●――――『マイ・フェア・レディ』について
 
昭和38年9月、東京宝塚劇場で開幕した、ブロードウェイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』。日本での上演をめぐっては、東宝と日生劇場との間で、争いを起こしたりしたが、結局、東宝が、日本物に翻訳して上演することに落ち着いたもので、倉橋健訳、菊田一夫演出により、日本の舞台で、日本人の手による、ブロードウェイ・ミュージカルということで、それは、まさに画期的なことであった。(中略)
 江利チエミのイライザは、ヒギンズ教授の指導で、正しい言葉づかい、身のこなしなどを、だんだんとわきまえていく道筋を、十分に感情をためて、内面的に見事に表現した。(中略)イライザとヒギンズ教授の、イキのあった見事さ、これに、居眠りしていたピカリング大佐も加わって、「スペインの雨」のナンバーを歌うところの、うれしそうな表情など、あざやかなものであった。
(中略)
 この初演の『マイ・フェア・レディ』は、これまでの安直な和製ミュージカルとは、根本的に違っていたし、楽しめる家族的な、品のいい歌と踊りと芝居の作品として、その骨格を、われわれに伝えた意義は、極めて大きかった。出演者の熱気、美しい音楽、どっしりとした脚本、その成果が相まっての、テアトロン賞の獲得は、当然の結果であった。


 と、このように授賞理由を書いています。

 注目されるのは、『チエミ大いに歌う』『スター誕生』が江利チエミ個人に賞が贈られているのに対して、『マイ・フェア・レディ』は「ミュージカルのアンサンブルの成果」が授賞理由になっていることです。それだけこの『マイ・フェア・レディ』は総合的に上質な作品であったということでしょう。
 この成功は江利チエミの名声を不動のものにしただけでなく、日本のミュージカルの幕開けとして、その後、語り伝えられてゆくことになります。
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