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☆ガルダイアのプロフイール
ガルダイアの位置するムサブの谷は首都アルジェーからサハラ・アトラスを越え
春夏秋冬を一日で味合いながら南に450キロ南下すると、不毛の巨大な盆地に
到着する。
ガルダイア。エル・アーティフ。ブーヌーラ。ベニ・イスグェン。メリカ。の5つの街が
ムサブの谷と言う一つの巨大な盆地の中に点在している。その中で一番有名なの
がガルダイアで、砂漠を往来する駱駝の隊商の中継地でもる。
ムサブと言うのは種族の名前で、ベルベルの一部族と言われ、宗教上の理由から
迫害を受け、流浪の旅の末11世紀の終わり頃、この地を開拓して住み着いたそう
である。一説にはこの地方を統治していたガルダイアと言う女王が亡くなり、そのあ
とガルダイアと言う街名になったとも言われているが、真偽の程は不明である。
ここは1月から3月頃まで雨期であるが降雨量は200_程度。不毛と言う名の如く岩
だらけの涸れた盆地(谷)を少しずつオアシスに変える努力を続け現在のガルダイア
に発展させた。
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深さ100bにも及ぶ井戸の掘削、外敵から守る為のカスバ(城壁)を建設して現在の
繁栄へと変貌を遂げた。その城壁の中には必ずモスクがあり、カスバと共に住民の
憩いの場を形成している。
カスバの中は、四角い住居に家族数によって大小はあるが、モスクよりは派手な作り
は禁止されている。それは信仰の現れとも取れる。そして平等の掟から建材からデザ
インに至るまでほぼ統一され、どこの家からもモスクの礼拝が可能になっている。ムサ
ブの谷にある街はガルダイアを含め総てのオアシスは計算し尽くされた街造りである。
☆街中の風景 舗装されたサハラ砂漠の旅をして、下り坂をバスは滑るように下って行くと、三叉路ロ
ータリーになっていた。古いこの街とは不釣り合いな近代的な舗装道路になっている。
これより先は、車窓から見る街中はカスバを見上げ、過密都市の様相を見せ始めて
来た。
大きな十字路を過ぎると車の数も増え、店舗もぎっしりと軒を並べ、行き交う人も 多く
大変な賑わいである。私の第一印象は、やはりさはらの物産の集荷地でもあり、想像
通りさはらの観光都市でもある。
賑やかな太鼓や笛の音、何事ならんと外を見ると、街の中を音楽隊のお通りです。と
言ってもそれ程大袈裟な物ではなく、4、5人の小グループの一行が、太鼓と笛で囃子
ながら歩いているのです。背中に大売り出しのビラこそ付いていませんが、日本で言う
ならチンドン屋さんのようです。アルズーの町でも、良くこれに似た一行が 町を練り歩
きます。但しシステムが少々違ってこちらは門付け方式で、雇い主のいない自由業で
す。 私もかつてひょっこり顔を出したばっかりに、1デナール(70円)の御祝儀を進呈のや
むなきに至った経験があります。以来この音楽が聞こえても姿を見せず、メゾンの中
で楽しく聞かせて頂いております。この一行を何と言う物かと窓外の子供に尋ねたら、
「ダンシング」
と、教えてくれました。そしてマリアーシュ(結婚式)とか、割礼の式などに呼ばれ、身ぶ
り手振り囃子、そして踊りまくるそうです。
やっとホテルが解ったようです。前進か後進かと思いきや、左の細い道に入って行き
ます。とてもホテルのありそうな所ではありません。小さな住居ばかりでカスバへの入
り口のようです。
「ここかよ、車など止める所はないよ。」
「まさかそんな環境の所ではないよ。」
「ホテルの所在が解らないのかな〜。」
と、車の中にざわめきが起きました。
大体バスの一時停車した所も物騒さを感じる場所、珍しそうに眺める町の人、薄汚い
床屋さんの店先、とにかく確認まで待つより仕方のない事。運転手さんと幹事さんが
下車してホテルに向かいました。
さはら地方第一の都市に来て、少々どころか大いに当てが外れました。矢張りここが
今夜のホテルとの事。今夜のホテルはアルズーで何日も前から予約してあったホテル
で、外人客を多く泊める大きなホテルでしたが、何の手違いか他のお客を受け入れて
仕舞い、私達の予約はキャンセル状態になっていました。
お客さんが到着してから、
「私達の手違いでした。本日は満員です。」
では済まされないと思います。矢張りとんだ処で、ここのお国柄の一部を見せて頂く事
になりました。そして代替えとして、紹介してくれたホテルは、石畳の敷き詰められた、
車も通れない道側にありました。
「本当かよ。」
「まいったな〜。」
挙げ句の果てに、
「荷物は出来るだけホテルに持ち込む事。」
「残りの荷物は座席の下に押し込んで下さい。」
「窓のカーテンは全部下ろして下さい。」
と、今迄に聞いた事のない注意です。
この町の人を疑う気持ちは更々ありませんが、何とはなく周囲の雰囲気と言い場所と
言い、この注意は過言ではないような感じのする処でした。
それにしても今まで通って来た町々で、ポリスの姿はついぞ目にした処はありませんで
した。したがってアトラスから南に下がったさはら地方では、ポリスの仕事は開店休業
お給料付きのお休みのようでした。
☆ガルダイアのアラブ式ホテル
優雅に過ごさせて頂いた2泊の国営ホテル、今宵はどのようなホテルになるのやら、ど
うやらカスバの入り口のような、狭い石畳の道路に面した所にホテルがありました。と
てもホテルと呼べる建物ではありません。カスバの大きな住居を改造したような 感じ
のホテルでした。
ホテルの一間間口のドアーを押して薄暗いロビーと思われる中に入ると、そこはタイル
を張り詰めた床に4人掛けの食堂用テーブルとパイプ製の椅子が30組程置いたまった
くのめしや風の食堂です。
日本で言うと田舎のめしと書いた看板を置きたい位の食堂の光景でした。入り口から
冷たく感じられる、タイル張りの床を入った所が食堂で、左側が調理室、右側が2階に
上がる階段、そしてその横がこのホテルの比較的大きい特別貴賓室と、まあ〜敬意を
表して名付けて見ました。
私達一行は取りあえずその特別室に通されました。オールアラブ式、一般民家の客間
のようです。薄暗い電灯と壁に掛けられたタッピの壁掛け、床にはさはらの名物の絨毯
が一面に引き詰めてあり、テーブルは日本の座卓と同じ高さの物が置いてあります。
部屋の隅に座布団を3枚位の高さにした、長い腰掛けらしき物が並べてあります。
窓のカーテン兼、壁のアクセサリーの役をしていると思われる織物は、この地方の特
産品、赤、青、白、黒、と華やかな原色の糸を使って織り込んだ模様で、賑やかな色
彩です。今までお世話になった国際級のホテルとは比較になりません。
民族色豊かな貴賓室と名付けたこの部屋は、少々面白くもあり興味をそそられないで
もありませんが、この穴ぼこのような、しかも何年も空気の流通がなく、止まって仕舞
ったような感じの所では、何とも頂けない感じです。
しかしこれがさはら砂漠の真ん中で、テント造りのホテルであれば大歓迎のところです。
このホテルが国際級 以外の代表的なこちらスタイルであれば、そうそう失礼な事も言
えません。
一流のホテルに泊めてやれば民族色をうんぬん言うし、さらば思いきって当地の味を
提供すれば、これ又何やかにやとあら探しをします。これでは本当に礼を失する事な
りましょう。まあ〜さはらの旅の一夜位、話しの種にもこのような宿も宜しかろうと存じ
ます。そしてアラビアンナイトの物語でも・・・。
中々お部屋へのご案内のアナウンスがありません。待つ方としましても、2階の想像
が付きません。幹事の心労をよそに、願わくば余り酷い部屋でないようにと、我侭な
事を願っていました。
処がその頃2階ではそれどころではなく、部屋数が足りない、ベッドの数も不足と言う
状態でした。旅行費用は全額払い込み済み団体割引等の恩恵も受けず、エトランゼ
扱いの費用と私は計算しています。だが良く考えてみますと、ここのホテルにしては
紹介された突然のお客様となり、ご迷惑をかけた事になります。
気の短い江戸っ子は、
「車の中で寝るから良い。」
と、言い出す始末。この件に関してはご立腹は御最も。どこでどちらの手落ちか解りま
せんが、誠に残念な事です。
決して豪華なホテルでなければ承知しない、一昨日、昨日と同じようなホテルでなけれ
ば等と、話しの解らない注文を出している訳ではありませ。しかも問題がここまで切羽
詰まっているのに、無理な注文を並べてもどうしょうもない事。やっと話も付いてどうに
か全員の部屋の割り当ても終わりました。
何と粗末な部屋でしょう。裸電球に、安っぽい布製の笠が付いています。ベッドは金属
製の日本の場末の流行らない病院のベッドのようです。それに壊れかけた戸棚、4畳
半程の部屋ですが、部屋の片隅に洗面所・ビデ・との同居で、ベッドに横になった目線
で丸見えでした。
廊下の足音は丸聞こえ、ここの料金は可也利安いと踏んで見ましたが、まあバスの中
で寝るよりは良いと、思うより仕方ありませんでした。それでも綿のシ−ツは、さっぱり
と洗濯され糊の効いているのが、救われた気分にしてくれました。
少し疲れを覚える体をベッドに横たえこんな事を考えていました。私が、さはらへ行って
くる。と留守居を御願いした時、私の友人のマダムは私にこのように言われました。
「私も行って見たいが、遠くて費用も掛かる。羨ましい事だ。主人の仕事の関係でビ
スクラまで行った事がある。オンバヤージュ・良い旅行を。」と、・・・。
それを聞いた時、私はなる程と思いました。決して私達もあり余るお金で行く訳ではな
いが、私がもしこのマダムの立場であったならば、やはりそう思う事でしょう。
又、別のマダムは、
「私は45年ここに住んでいるが、未ださはらは知らない。貴方はたった2ヶ月で行ける
」
とも、言われました・・・。
人間欲を言えばきりのない事、お骨折り頂いた幹事さんに感謝して、今宵はゆっくりと
休ませて頂きましょう。そんな事を考えながら、思い掛けないトラブルで、貴重な時間
を費やして仕舞った事をぼやいていました。
夕食迄の一時、明日の見物の下見を思い付きました。ホテルから一歩外は、カスバ
の入り口のような処。左に行けばカスバ、右の延長が町の中心のような処と感じまし
た。噂に違わぬガルダイアです。商魂逞しそうな町で、土産物のお店がずらりと並んで
います。白い布製のお椀のような帽子を被ったサハラウイ、頭が異様に大きく見え、
卵形でずんぐりしていて、いかにも頭脳明晰と言う趣です。
家系を辿れば何代か前で結び付くのではと思われる位、顔形が良く似ています。ガル
ダイアの案内の一節に、歴史家のイブン・ハルドゥーンが、
「この地の人は気品あり、古くから精神的に統一された共同体に属しているからである」
千年も前から共同体の中で生活していれば、顔かたちが似てきても不思議はないと、
こんな事を思い出していました。
商品の数種類も豊富に並んでいます。この地方の特産の絨毯、真鍮で出来た置物類、
ネックレス、クッション、民族衣装、絵はがき、砂漠の石、布製の靴、木製の子杓、壁掛
けなどなど。何れもさはらの色彩を色濃く出しています。しかし購入となると思案です。
帰国の時の荷造り、運賃等、更に日本に帰国してからの利用価値を考えますと、日本
人的感覚から考えると帯に短く襷に長くです。
器用な日本人の細かい手仕事の成果がつい脳裏を走ります。いかにも大陸的で大胆
な作業が、どうもしっくり来ません。そして微笑みを浮かべて感心するような滑稽な作り
に感心させられます。
「これは可成り気を使って遠回しの表現である事と考えて頂きたい物です。」
あちらを冷やかし、こちらを廻り、土産物店主も、ひやかしばかりのお客では余り有難
くないでしょう。骨董品店と呼ぶには戸惑う程、古めかしい種々雑多の店やはり骨董
品店の方に属した方が、苦情が来ないだろうと、要らぬ心配を1人して見ました。
古い馬具、古い腕輪、ブローチ、火縄の短銃、この短銃は長さ40a程、木製の握る
部分は麻雀パイに良く似た材質の物が、三角四角と埋め込んであり、男性の人には
一寸気になる品です。店主も中々強気な商売人です。私達がお土産を購入となると、
アラブ式の商談と駆け引きが大切と今夜は素知らぬ顔で通り過ごす事にしました。
帰り道歩道に迄テーブルを並べたレストランの前で喉の乾きを覚えたので、コーラを
飲む事に四人のお友達と衆議一決、街頭を見物するには丁度良い位置でもあり、暫
く休む事にしました。他に美味しい物でもと店内を覗くと、角切りの肉を30aほどの針
金の串にさして焼いています。見るからに美味しそう、早速食べて見る事にしました。
衛生上多少の心配もありましたが加熱してあるので良かろうと言う事で、注文する事
になりました。
3_程の太さの針金に5.6切れの肉の塊、中々面白い格好です。恐々一口頬張ると、
「う〜んこれはいける。」
塩と胡椒のあっさりとした味付けの肉、自分の顔は解りませんが他人様のお顔は美味
しさいっぱいの顔です。日本の焼き肉の串の4倍強の金の串ですから、大凡の想像は
付くと思います。余りにも美味しい焼き肉に、試験的に注文した本数では物足りず、追
加注文して結構な本数を平らげて仕舞ました。
今夜の夕食の献立も、何が出て来るか大いに気になると言う事で、この美味しい焼肉
で、前もって補給して置くつもりになりました。帰り道、さて今食べた肉は何の肉が出て
来たのか考えてしまいました。ここのお客様は全部男性、さしたる料理も並ばないテー
ブルを囲んで、女性顔負けのおしゃべりを続けています。
道行く人々は遥かかなたの東洋から来た、異邦人を物珍しげに眺めて通り過ぎて行き
ました。そして通り過ぎて行く顔も、黒い顔、白い顔、ちじれ髪、栗色の髪、黒い髪と賑
やかな彩りでした。服装も若い女性は颯爽と長髪にパンタロン細いウエスト、やはりヨ
ーロッパの混血の影響もあるかも知れません。
しかし宗旨が違うのか、他民族? なのか、この町で目立っているのが、民族衣装の
男性です。昔日本にあったモンペを思わせるズボンをはいています。お尻にダーツが
いっぱいあり、何ともユ−モラスなスタイルです。丁度お尻に袋を一つ釣り下げて歩く
格好です。
昔からのガルダイア人は子供を含めて、殆どこのスタイルのようです。折り目正しく付
いた尻袋は、歩くたびにゆらゆらと揺れて、アヒルの尻尾のようでした。そしてコールテ
ン生地で縫製したベスト、さらにこのベストには、金糸銀糸の刺繍がしてありそれを着
用して、トルコ帽子を被っているのが、伝統的なガルダイア人のようでした。
そして何の用事があるのか、待ち人来たらずなのか、街角に佇む事が好きな人達のよ
うです。あちらに一塊、こちら一団、どっかと腰を据えて、夜を迎えるのもお構いなしの
ようで、まるで宿なしの人々のように見えました。奥さんや子供達が待っているような
年輩の人から、若い人まで多彩な顔ぶれでした。
ラブのミュウジシャンとの出会い 私達もそろそろ夕食の時間が近づいて来ましたので、ホテルへと道を急ぎました。
今夜Dinerのサービスをしてくれる為に案内された食堂は、私が貴賓室と呼んだ
アラブ風の部屋でした。黄金色に輝く燭台が2箇所に置かれ、ローソクの灯火が
赤々と燃え、アラビアンナイトの物語を思い起こすような、妖しい雰囲気を醸し出し
ていました。
部屋の中央に、丸形の大きな金属製の座高30a程のテーブルが、3ヶ所に並べられ
ており、砂漠の石と燭台が飾られ、灯火に映えた壁掛けと絨毯が、一際美しく感じられ
ていました。少々光の鈍い電灯の照明は、心憎い程、周囲の背景にマッチして、部屋
全体の雰囲気を盛り上げていました。
そして遠来の客を心よりもてなして下さるこころくばりを、嬉しく感じていました。エキゾ
チックな色彩と、アラビアンナイトを忍ばせるような道具など、砂漠の町ならではの味
わいを演出してくれています。
女性の私達の席には特大の燭台が輝き、王妃の衣裳でも着て座れば、王宮の雰囲気
でした。したがって第一印象の数多い批評を少なからず訂正して、生意気な失言を反
省しなければと、後悔していました。何がともあれ、さはらの旅の最後に今迄のホテル
では味わえなかった今宵のムードとなりました。テーブル の上に並べられたお皿の
上に、一足先に蝿君が、ちょこなんと座り込んでいるのも、愛嬌の一つでしょう。
少々気になり、ナフキンで拭いては見たものの、気休め程度にしかなりません。私達も、
「まあ〜砂漠の旅の一晩くらいいいじゃない。」
と、寛大な気持ちにさせてくれました。
見事に真っ黒なさはらの顔のボーイさんも、顔に似あわず仲々のサービス精神旺盛で
マネージャーも、
「気にいったか。」
と、念を押しながらさはらの料理を、自慢げにお給仕してくれました。ショルバーに始
まり、ドンマ、クスクスと、オールアラブスタイルの食事となりました。
ボーイさんも一品一品大皿から器用な手つきで、大きなナイフとフオークを使って配っ
て歩き、お給仕しながら私達の周囲を廻っています。
「沢下さい。」
と、言うと上機嫌でにこにこしてお給仕をしていました。今迄には経験出来なかった、
和やかな雰囲気が、部屋いっぱいに広がって行くのが感じ取られました。
ヴァンも良し、ビールも杯が進みます。貸し切りのこの食堂は、気兼ねもなく思いっ切
り寛ぐ事が出来ました。ローソクの炎がゆらゆらと揺れて頬を染めて、程良く効いたア
ルコールが、気持ちを大きくさせます。
そろそろ歌が出て来ても良い雰囲気となりますと、「イングリッシュ小唄」「草津よいと
こ」をかわぎりに、日本の北から南へと縦断民謡の旅が始まりました。お国自慢が飛
び出し、粋な喉の披露を聞き惚れながら、ちょっぴり故郷恋しやの心境になって来ま
した。
そうこうする内にリズムに乗った、さはらのボーイさんが、ホテルの侘びしさを補うかの
ように踊り始め、見事なさはらのダンスを見せてくれました。全員の手拍子に合わせて
身体を器用に振り、熱の篭もった演技を見せてくれました。このダンスは 昨日や今日
始めた物ではありません。幼い頃からタイコに合わせて踊ったのでしょう。みんな割れ
る様な拍手喝采を送りました。このホテルに到着した当初味合った悪印象も、部屋の
割り当てのトラブルも部屋の粗末さも、これで全部ご破算とあいなりました。
今夜がさはらの旅の最後だから、もっと楽しもうと衆議一決。町で見かけた賑やかな
ダンシングチームを呼ぼうと言う事になりました。日本ならさしずめ芸者さんと言う処で
しょう。マネージャーも大乗りきりで早速手配してくれました。高いの安いのと散々揉め
た挙げ句、4名のサハラウイのダンシングチームの御入場となりました。
黒い顔を更に顔料か油で、磨き上げたようなサハラウイが、白衣のジェラバがとても良
く似合って見えました。そして、特大のタンバリンのような太鼓と笛で、ドンドン、ピーピ
ーと、・・・。
ふだんは道路とか、町の広場が賑やかな舞台になのですが、ここは部屋の中、それで
も手加減なし、お揃いの白いジェラバが広い部屋を狭くして、割れんばかりの賑わいと
なりました。道を通るアラブの人々は見慣れない外国人が、割礼式でもあるまいにと、
怪訝そうに中を覗き込んで通り過ぎて行きました。
ボーイのお友達が2、3人仲間に加わり、大変な大宴会となり、単調なリズムですが、
怪しい迄の魅力が心を揺さぶります。2人3人と浮かれ出し、何時の間にか大きな輪と
なりました。踊りのスタイルなどお構いなし。手と足が自然に動き出すのが面白く、そし
て愉快な踊りとなりました。何しろ生まれて始めての経験で、この不器用な私を踊りの
輪の中に誘惑してくれました。
ボーイさんは勿論マネージャーも、そのお友達も一緒に踊っています。ゴーゴー、
ジルバ、阿波踊り、炭坑節と、スタイルを気にする暇がないのです。笛と太鼓の単調な
リズムは、こんなに人の遊び心を揺さぶるとは、考えて見た事がないだけに大感激で、
時の経つのがとても惜しく感じられました。
気が付くと何時しかボーイさんと向き合って踊っています。手足をダンスのスタイルに
合わせようと懸命に真似をしますが、とても早くてフーフー息を切っても追い付きませ
ん。手を握って貰って上に下に・・・。やっとリズムが合うようになりました。こんな若い
気分になったお袋さんを、一目息子殿に見せたい物です。
「お婆さんになるなよ。」
と、口癖のように注文する息子殿は、
「良かった、良かった。」
と、安心する事でしょう。
日本にいる時にも、ボーリングに行こうと2組の息子夫婦に誘われても、どうも自信が
ない。自転車も乗れない。水泳も駄目。全く話せない運動神経の鈍いこの私を、踊り
の輪の中に誘い込んでくれました。
「デン、デン、ツクツクデンデンツク、」
「ピーヒョロロ、」の
妙薬は、どんな薬だったのでしょうか。
図らずもこの一夜が、さはらツーリストの一番最高の夜となりました。音楽も酒と同じ
ように、人の心を童心に帰らせ、浮き世の悩みを解消させてくれる物らしいと悟りま
した。大きな金属製のお盆を持って、チップを集め始める、ダンシングチームのムッ
シュに、何か奮発してご祝儀を出したいムードで、バックの口金を開け始めると、
「もう充分にしてあるから。」
と、横から親切な忠告があり、始めて気が付く私でした。
名残りの尽きない、そして眠るのが惜しい今夜。しかし明日も又かなりの強行軍のよう
です。ホテルと近所へのご迷惑も考え、頃合を見計らってお開きと決めました。お別れ
は握手、握手の連続。賑やかなお帰りでした。
「さようなら。」
「バイバイ。」
「デンデンツク。」
「ピーロピーロ。」
手の千切れんばかりの堅い握手。この人達は、当分私達の事は忘れない事でしょう。
陽気な愉快な日本人と時折思い出して欲しい。
私もさはらの音楽の魔術師、さはらのダンシングチーム、白いジェラバの幸せを売る
青い鳥でいて欲しい物です。彼等の音楽は涙も拭い去るでしょう。憂いも取り去るでし
ょう。悲しみに打ち沈む人がいたら、そっと教えましょう。
「サハラの音楽を聞きなさい。そして、リズムに乗って踊ってごらんなさい。」
と、部屋に戻っても中々寝付かれません。こんな原始的な音楽を、こんなに喜んだの
は案外私一人かも知れません。楽しきかなガルダイア素晴らしい一夜でした。貪欲な
執念がさはらの巨大都市ガルダイアでの最後の夜を飾ってくれました。
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