千葉歳胤(正徳三年(1713)〜寛政元年(1789))は、埼玉県飯能市虎秀(旧入間郡東吾野村虎秀)出身の江戸時代中期の天文暦学者でした。助之進と称し、陽生と号しました。江戸に出て、当時著名な和算・天文暦学者であった中根元圭に学び、元圭亡き後はその高弟幸田親盈に師事し、天文・暦学・和算等を学びました。
歳胤は幕府天文方渋川図書光洪を助け、独自の計算方法によって日食・月食に関して研究を進め、蝕算活法率185巻、皇倭通暦蝕考3巻などおよそ三十部百有余巻の書物を残して天文暦術界に貢献しました。晩年は虎秀の山里に帰ったといわれ、寛政元年(1789)3月6日に77歳で没しました。戒名は乾道陽生信士。歳胤の本姓は浅見氏であり、千葉姓を称した所以は不明です。また暦術の外に医を業としたともいわれますが詳細はやはり不明です。歳胤の墓は虎秀にあり、昭和38年に飯能市史跡として市指定文化財に指定されています。
歳胤のことについて、「増修日本数学史」は次のように述べています。
『助之進と称し、陽生と号す。初め数学を中根元圭に受く。元圭没して後ち、その高弟幸田親盈に従って学びたり。大いに数学および暦学に通ず。竊かに、日官渋川図書の職務を助けて、大いに補う所あり。実に図書の公務は陽生が内助に依りて、成りたる者なりと云う。蝕算活法率の大著述の如きは、最も著名なる者とす。その他、著書多し。授時補暦、白山暦応偏、皇倭通暦蝕考草、入転月行率、同附録中測量術、歳寿万代暦等、その門に伝うる者、凡そ三十部一百有余巻、盛んなりと謂うべし。禀性温順、その利を求めず。その功を謀らず。悠悠自適す。これを以て、氏を知る者至って少し。惜哉、本年(寛政元年)某日卒す。行年七十七。』
歳胤の天文暦学に関する著書は、現存するものだけでも16種類・総計3,900頁を越す史料が遺されています。
歳胤は、関孝和―建部賢弘―中根元圭―幸田親盈―千葉歳胤という和算・暦学では当時一流の系統の中に位置づけられる人物ですが、一般的にはあまり知られていないようです。
当ホームページでは、歳胤のことについて述べていますが、詳細は下記の本を参照下さい。
天文大先生
千葉歳胤のこと
江戸中期に生きた飯能出身の天文暦学者
山口正義著
まつやま書房(埼玉県東松山市松葉町)刊
版型:四六版 ページ数:238頁
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目 次
一章 千葉歳胤のこと─はじめに─
二章 歳胤の生きた時代
三章 歳胤を巡る人々
一 中根元圭
二 幸田親盈
三 今井兼庭
四 渋川光洪
五 歳胤の門人たち
四章 歳胤の著書
一 天文大成真遍三條図解
☆歳胤が求めた円周率について
二 天文残考集
三 大儀天文地里考
四 改暦加減集
五 一葉儀術
六 蝕算活法率
七 皇倭通暦蝕考及び続編
八 歳寿万代暦
九 天文陰陽自然問答
十 再考積年日法術訂正
十一 一綫儀説
十二 神道天文意弁
十三 その他の著書
五章 歳胤の墓所
☆井上元東について
六章 まとめ
巻末附録1 用語説明
巻末附録2 歳胤を中心とした年表
あとがき |
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