CHAVO GUERRERO Sr. 

Chavo Guerrero Jr. Talks About His Father

チャボ・ゲレロ・ジュニアが語る 「我が父」 チャボ・ゲレロ

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親父はずっとボクの目標だった。 すべてに於いて、親父を目指していた。

父のように歩き、父のように話し、すべてに於いて父のようになりたかった。(1998年)

親父はまた、ボクの親友の一人でもあった。

ボクは今、親父の歩んだ道を自分も歩もうとしていることに満足している。

それは、ボクがずっと夢見てきたことだから。

エディもボクも、その夢を追いながら生きてきたんだ。

だからボクは、この道を選んだことに幸せを感じている。(1998年)

子供の頃の一番の想い出は、親父と一緒に

ウォーター・スキーやキャンプを楽しんだことだ。

親父と一緒に過ごした休暇は、今でも大切にしたい素晴らしい想い出ばかりだ。(1998年)

親父と一緒にタッグ・チームを組むのが、今のボクの夢なんだ。

もう一つの夢は、ゲレロ一家が揃って同じリングに立つこと。 実現してほしいな。(1998年)

6歳の時に、ボクは親父に、レスリング・トランクス、チャンピオン・ベルト、

そしてレスリング・シューズをおねだりしたことがあった。

父は、それらすべてを揃えてくれたけれど

中でも ’CH G’ の文字が刻まれた小さなレスリング・シューズは

今でもとても大切に保管しているよ。

最初は少しばかり大き過ぎたんだけど、やがてピッタリになった。

親父と、まだ子供だったボクとの素晴らしい想い出の一つだな。(1998年)

ゲレロ家にとって、レスリングとは 元々体内に流れているものだから

一家の誰もがレスリングをとても愛している。

親父はよく 「お前が望むのなら、大学へ行って医者か何かになってもいいんだよ。

ただ、お前がレスラーになることを望むのであれば、いつでも力になるよ」 と言ってくれてた。

プロレスというビジネスを、父がいかに愛しているかをボクは知っていたから

レスラーになりたいというボクの想いを理解してくれ、ボクの夢を否定せずに

ボクに力を貸してくれ、正しい方向へ導いてくれたことに感謝している。

ボクにとって、プロレスというのは単なる仕事じゃなく人生そのものであり

親父はまさに、ボクの模範となる人物であるんだ。(2000年)

ボクはロサンゼルスの郊外で育った。 そこは、WWAを背負うレスラーとして

親父が長年に渡って君臨していた地域だった。

父は、当地で一番の名誉であるアメリカス・チャンピオンであり、多くのレスラーを迎え撃っていた。

中でも、父とロディ・パイパーとの抗争は、会場を熱狂させたものだ。

一年のうちに父は、AWAの世界タイトルを賭けてニック・ボック・ウインクルと

WWEの世界タイトルを賭けてスーパースター・ビリー・グラハムと

そして、NWAの世界タイトルを賭けてテリー・ファンクと戦い

どの試合もフルタイムを戦い抜いた。

ボクは何年もの間、オリンピック・オーディトリアムを「遊び場」にしていたから

内部のことは知り尽くしていた。

父は、5年もの間、そこに君臨し続けたが、やがて父がロスを離れると

ロス・マットは一気に斜陽化してしまった。

引き際としては、ちょうど良いタイミングだったんじゃないかと思っている。(2004年)


 

   小さな巨人 チャボ・ゲレロ