| −日記帳(N0.095)2002年1月24日− |
| 雪印食品の輸入肉偽装工作 |
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雪印のマークの中心には道の標となる北極星があります。
故郷大分の先輩の福沢諭吉のような大臣を志して上京したものの健康を害し滋養をつけるために飲んだ牛乳がきっかけで酪農を目指して北海道に、米国に渡った宇都宮仙太郎、そして彼の元に18歳で飛び込んだ黒沢酉蔵、牛乳配達を志願して飛び込んできた小学4年の佐藤貢、この3人の北斗の3つ星がひとつになって輝き雪印のブランドが出来上がっていきました。 2000年の6月の雪印乳業の戦後最大の食中毒事件に続いて、今度は子会社の雪印食品がまたもや反社会的行為を行い、こうして創業者たちが苦労して築きあげた雪印ブランドの信用は失墜しました。 狂牛病対策の一環として政府による和牛の買い取り制度を悪用して、売れ残って過剰在庫になったオーストラリア産輸入肉を和牛と装って買い取らせ在庫一掃した上利ざやを稼ぐと言う悪辣極まる詐偽まがいの行為がその偽装工作が行われた倉庫会社の告発で明らかになりました。 この件は既に新聞、ラジオ、テレビで大々的、かつ詳細に報道されているので敢えてここで採り上げる必要はないのですが、問題を起こした雪印食品の吉田社長の記者会見での発言に腹が立ってしかたないのでここで触れることにしました。 問題の発言は次の2点です。 ひとつめは自身の引責問題の質問に「大株主の意向を仰いだ上で決めたい」と発言したことです。 親会社の雪印乳業この会社の株を65%所有しており、吉田社長も親会社からの天下り役員ですから、いずれ親会社の意向で詰め腹を切らされることは自明の理ですが、あくまでもこれは内輪の話で、公の場では株主ではなくて消費者に対して姿勢を正すべきだと思います。 ふたつめは、偽装工作を止めるように倉庫会社から要望が有ったのに何故かとの質問に「伝票のチェックで問題はなかった」と答え、現物の点検及び偽装工作を指示した物流センター長に対する監督を怠った自らの責任に何ら触れていないことです。 中毒事件そして今回、いずれも経営者たちは「現場の一存でやったこととは言え残念であり責任を感ずる」と他人事のような発言に終始しておりその無責任な態度にはただ呆れるのみです。 いずれにしても、雪印食品は経営者の総退陣を含む抜本的な改革、雪印乳業、雪印まいたけ、雪印種苗の雪印グループ会社も消費者が納得できる思い切った再発防止対策を確立しない限り明日は無いと思います。 創業者の北斗3つ星の最後の星、雪印乳業初代社長の佐藤貢氏は99年9月26日に101才で亡くなられましたが、雪印創業精神が同氏で途絶えてしまったのでしょうか。 宇都宮仙太郎は青年・酉蔵を雇い入れる時、次のように「牛飼いの三徳」を説いております。 「牛飼いには、三つの徳がある。役人に頭を下げなくてもよい。牛には嘘をつかなくてもよい。そのうえ、牛乳は人を健康にする」 |
| −日記帳(N0.096)2002年1月25日− |
| 今年は暖冬か厳冬か |
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今年は暖冬なのか、厳冬なのかどうも判りません。
12月は水温が結構高くてアジやフッコが暮れになるまで釣れましたし、
インフルエンザや風邪の流行がそれ程でもないところをみると、暖冬
なのかなとも思えるし、暮れにスキーに行った赤倉の豪雪や例年です
と滑走不可がちらほら見られる新聞のスキー場便りがみなマル印なの
をみると、厳冬とも思えるし・・・・・でもやはり暖冬だと思います。 何故なら、生まれてこのかた冬になると必ず着ていたステテコを今年 はまだ一度も着ないままきているからです。 ももひき、ステテコ、いずれもオジンくさいモノからバイバイしようと思っ ても果たせなかったのに知らないうちに果たしていました。 何時ぞや、同窓会で温泉に行った時、脱衣場でショックを受けたのは殆どの同窓生たちがももしきを着てなかったことです。 以来、着ないように努めてきたのですがどうしても果たせなかったのですが、冷たい北風が吹きすさぶ中、街頭でショートパンツだけで肌もあらわに颯爽宇と歩いている女子高生たちを見るにつけ、男の私に出来ないはずはないと自らを 奮い立たせてきましたが漸く、女子高生並?になってきました。 |
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