洞察力

 洞察力は、物事のありようを深く考えて理解するというのではなく、物事のありようを直観的に見抜く力と言えるでしょう。主観的な自我の思いを介入させずに、物事をあるがままに観照するとき、そのとき、物事のありようが直視され、そしてそれが展開していく様相がひらめくように感得されるのであり、物事の推移が直観的に理解されるのです。それが洞察力であると私は思います。

 人間は常に自分自身のことや自分の周囲のことばかりに心が捉われていますので、多くの人にとって、状況を客観的に判断したり、物事の全体的なありようを俯瞰して観ることが不得手であるようです。人間は、自己を主体にして物事を考えますから、自我の思いという、我欲に彩られた主観を交えることなくして、物事を客観的に把握することができないのです。自己の周囲で生じる物事に関わるとき、ほとんどの人がその事柄に対して自我の思いを絡めてしまいます。我欲を底にひそめた主観が常にそこにあるのですから、当然のこととして物事を客観的に観ることができないのです。自我は、物事のありようを客観的に認識せず、常に自分の都合のよいように解釈して、物事を自分の好む色合いに染めあげてしまいます。それがどんなに物事を自分なりに深く考えた上での理解や判断であったとしても、それは物事を洞察して得た理解や判断ではなく、あくまで自己を主体にして、自分の都合のよいように勝手に解釈しただけのことなのです。

 洞察力を得るためには、自分自身を訓練することが必要でしょう。まず第一に、自分自身と自分の周囲で起こっている物事を注意深く観察することであり、状況や物事の推移を、主観を交えずに、ただ観照していくことだけに専心することです。第二に、自分自身についてのことや自分の周囲の種々様々な物事や事物事象について深く考える癖を身につけることです。すなわち、すべての事柄に対して深く熟考できる能力を培い、また物事を論理的に考え、そして物事が連関している様相を思惟できるような思考力を身につけることでしょう。けれどもそのとき、主観的な解釈をしてはならず、ただ物事を観じ、そしてそのありようを理解することだけに努めることです。このようなものの見方が確立されると、自然に洞察力が身についてくるようです。やがて人は、物事は理法に則ってあるがままに展開していくさまがよく理解できるようになるでしょう。そうなったとき、人は、物事が顕れ出る様相に対して自己を効果的に介入させることもできますし、また、物事が展開するであろう先の流れも読めるようになると思います。

 洞察力を身にそなえた人は、自己の生を自分の思い描くままに展開させることが可能でしょう。と言うのは、そのような人は、現象界の事物事象は法則に基づいて顕れ出てくることを理解していますので、あらゆる事柄に対して的確に対処できるからです。また、自分の周囲で物事が生じるや否や、その先の動きが直観的に洞察できますので、自分をどのような事柄に対しても拮抗させることなく自然に調和させることができるのです。一方、これに反して、洞察力に欠けている人は、自己の生を自分の思うように展開させることができず、自分では統御できない強大な生の流れに押し流されて、生に隷従した生き方で終わってしまうのではないでしょうか。なぜなら、そのような人は、我欲が関わらない、真の意味での主体性を持たないために、自分の周囲で生じる物事に受動的に巻き込まれてしまって、自己の生を徒に消尽してしまうからです。従って、人がこの世に生まれて、与えられた生を充全に生き、そして自己の生を見事に開花させるためには、物事を深く熟考する思考力と、物事の有様を正しく見抜く洞察力を身につけることが非常に重要であるということが誰にとっても明らかなことでしょう。