町石道ウォーキング 1 慈尊院180町石→丹生官省府神社

7:26 九度山町民総合運動場出発

9/25、7時3分 南海高野線九度山駅を降りまシタ。
駅に着くとたくさんの人が一緒に降り、皆イベントに参加して町石道を歩くんだと少し、ワクワク。停車駅ごとにそれらしき人たちが乗ってきたので、目的は一緒かな?とか思ってたんだけど。中高年の方が今のところ多い様でシタ。
お天気は、湿度が高く曇りがち。山には霧が降りてまス。遠くの空だけが晴れ間あって、微妙なお天気デス。
失敗は、雨具の用意をしていない事。少し不安ナり…。
しかも、私前夜あまり眠れませんデシタ…。これで、19キロ山道歩けるカナ?これまた不安ナリ…。


受付会場 九度山町民総合運動場 受付会場の九度山町民総合運動場デス。南海高野線九度山駅から歩いて10分位デス。
あとから聞いた所、最寄り駅は九度山駅ですが、対岸のJR和歌山線高野口駅から受付会場まで歩いて来場している方もいるそうデス。その場合は20分位ではないかと思いマス。
ここで、受付を済ませ、簡単な案内コースと(欲を言えばもう少し町石についてのガイドみたいなものが欲しかったデス。)参加記念に、ステンレス製の町石をかたどったキーホルダーをもらいまシタ。
また、ゴール地点の高野山の根本大塔に納める護摩木をもらう事ができました。
また、この会場で竹の杖を無料で貸してもらう事もできマス。
受付を済ませ、山上の高野山根本大塔を目指して、7:26 さぁ、出発〜♪

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180町石 町石道はじまり 慈尊院

7:33 慈尊院 5分位あるくと、すぐ慈尊院(じそんいん)が見えてきます。世界遺産登録に伴い古くからあるこのお寺も対象になりました。
町石は慈尊院の180町石(180町石は、慈尊院の境内を通って、丹生官省府神社へ登る石段の途中、鳥居の右手にあります)から始まりマス。
高野山に入るには、「高野七口」といい七つの入り口があり、今回歩く慈尊院から高野山に向かう町石道は、そのうちのひとつ「高野街道西口」といい平安時代から天皇を初め貴族、庶民まで多くの人が歩いた表参道です。
慈尊院は結縁寺でもあり、まず、慈尊院弥勒菩薩とご縁を結び、罪障消滅して 高野山に本参りするのだそうです。
その昔、弘法大師の母君が高野山上にいる我が子に一目会いたいとこの地まで来ました。
でも、当時高野山は女人禁制ー母君はそのまま慈尊院の地に留まりました。それ故、慈尊院は女人高野とも呼ばれています。
母君は1年の後亡くならられ、弘法大師は母君の供養に慈尊院を建てられたそうです。                    
また九度山のいわれは、お大師さんが高野山ふもとの慈尊院にいる母君を訪ね、月に九度山上から降りてこられたからこの地名がついたとかー。う〜ん、片道20キロ以上の道を月に9回…親孝行ですよネ、耳が痛いデス(苦笑)。 


慈尊院 境内 多宝塔 早朝の境内は、掃き清められていてとても清々しい気分になりマス。慈尊院というと、有吉佐和子の小説「紀の川」を思い出します。
「華岡清洲の妻」など、紀州の人々をモデルにした小説を幾つか書いた彼女は「紀の川」の中で、主人公が祖母と、安産祈願にこのお寺にお参りに来て主人公が自分で作った乳房の羽二重をお供えする場面を書いています。
同じように、子宝・安産・育児・授乳に御利益のあるこのお寺の御堂の前には白い布製のものでつくられた丸い乳房の羽二重がお供えされていました。


慈尊院の弘法大師のお人形 朝陽の中の小僧さん(笑)。小僧さんってー。思わずそう言いたくなりますが、ペコちゃんサイズの慈尊院にある、お大師さん人形デス。
かわいいので、思わずパチリ。町石道を歩いて高野山に向かう私を「気を付けていってらっしゃい」と言ってくれているのカナ?

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慈尊院→丹生官省府神神社

丹生官省符神社 慈尊院の境内を横切り石段を登りながら右手の180町石を見ます。(ここが、最初の町石)
さらにそのまま数段登ると、丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)(いろいろ読み方があるようデスがここでは、こう読ませて頂きマス。)があります。
この神社も、弘法大師創建の神社で、主祭神として 丹生比売大神(にうつひめおおかみ)(丹生明神)、高野御子大神(高野明神、狩場明神ともいいマス)、天照大御神が祭られています。
祭られている神々のうち、高野御子大神は、名に「御子」とあるように、同じく祭られている「丹生都比売大神」の御子と言わています。
しかし、弘法大師の高野山開山にまつわる伝説とともに、「高野御子大神」よりも、「狩場明神(かりばみょうじん)」という名で知られています。
お大師さんは、真言密教の修行地となり、根本地ともなりえる聖地はないだろうかと、京都の東寺を出、あちこちの山中をさすらっていました。
そんなある日、大和の国宇陀郡(今の奈良県五條市あたり)で、黒と白の二匹の犬を連れて、弓矢をもち、ひげをはやした猟師に出会いました。
猟師はお大師さんにわけを聞くと、連れていた二匹の犬を放ち「この犬のあとを着いていくように」といったそうです。お大師さんが、二匹の犬に誘われるまま、深い山中を分け入っていくと、そこには、まさに霊地ともいえる真言密教の根本地に相応しいといえる場所がありました。
お大師さんは、その地に金剛峰寺を建てられ、密教の教えを広められました。
そして、あの猟師はきっと、狩り場の猟師の姿になって高野山の地を教えてくれた、「高野大神」の化身、「狩場明神」だとお思いになり、慈尊院を建てられたあと、高野山町石道の中央に高野山への導きの神として、また禊ぎし、祈願する所として丹生官省府神社の前身となる丹生・狩場明神神社を祭られたようです。
また、慈尊院と近い所に、同じくお大師さん縁の神社があるのには、理由があるようです。
明治の神仏分離令が出るまで、この二社は神仏習合として一体化して信仰されていました。
先程書きましたが、創建当時は丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)という名ではなく、幾つか名を経てこの名前になったようです。
この「官省府」とは、「官省符荘」の事です。
中世の頃から、有力な貴族・寺社などは各地に荘園を保持していましたが(藤原氏など有名です)、同じく高野山(総して金剛峰寺)も有力な寺社の一つとして広大な荘園を持っていました。
天皇や貴族からの尊崇を集め、土地の寄進もあったりで、そうとうな勢力を誇っていたようデス。
これらの荘園は「官省府荘」といって、「不輸・不入の権」(丸暗記するだけだった歴史単語がこんなトコで出てくるとはネ(・∀・; ))が認められています。
「丹生官省府神社」は、これらの荘園の鎮守として祭られた神社のようです。  

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