親の思い  「電池が切れるまで」より



五体満足で育っている子どもをもつと
子どものいない人をうらやむことがある
 
切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと
元気で普通の子どもをうらやまし思う
 
一生ハンディの残る子どもを持つと
一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う
 
余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は
ハンディが残っていても生きている子どもをもつ親をうらやましく思う
 
子どもができない親は
産める親をうらやましく思う
 
腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど
私は いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい
 


  宮越由貴奈(小学4年)
命はとても大切だ
人間は生きるための電池みたいなものだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんていらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

こんな詩があった。
当たり前のことなのに…わかっているのになぜか涙がでた。とっても感動した。
きっとわかっているだけだったのかもしれない。
この詩をかいた子はもうこの世にいない。
でも、きっと電池が疲れた。というまでせいいっぱい生きたと思う。
今は、その疲れた電池を充電しているのかもしれない。


私も、電池が疲れた。というまでせいいっぱい生きたいと思う。


 この「電池が切れるまで−子ども病院からのメッセージ」は、病気を抱えて生きている子供たちが書いた詩を本にしてまとめられています。

 年齢、入院している期間はそれぞれ違うけど、子供たちの純粋な思いが詩の中に綴られていて、胸が痛くなるくらい、じんときます。

 その後退院し元気に過ごしている子供たちがいれば、一方で亡くなったこどもたちもいます。表題の「電池が切れるまで」という詩を書いた女の子も、詩を書いた数ヶ月後に亡くなりました。

 自分の命が短いことが彼女なりに分かっているからこそ、命がどんなに大切かを、きっと普通の人以上に分かっている。そのことを思うと、命、生きることの大切さ、生かされていることの有り難さを改めて感じずにはいられません。