10/7(火);14日目 ミクロフに曇りは似合わない昨日の青空が嘘のように今朝は雨。 こういう時にテレビのある部屋は便利です。 天気予報ではブルノは一日中雨ですが、南部は曇りらしい。 それが的中してか8時過ぎにはすっかりやんでいました。 それにしてもここのテレビはおもしろい。 昨日気付きませんでしたけど、チェコとスロヴァキアとオーストリアそれぞれの番組が映るのです。
ブルノで買ったパンを食べ外へ出てみると、どんよりとした曇り空でなんとなく薄暗い。 中心の広場へ行くとあれだけ青空に映えていた街並みやお城、聖なる丘は暗い雰囲気の中佇んでいました。 灰色の空は暗い歴史背景と重なって妙に似合うと感じる街も多いのですが、ここはテルチ(Telc)同様曇り空の景観が合わないですねぇ。 行き先や日程は自由に選べても、天気は決して選べません。 せめて日中晴れ間がのぞくことを祈りつつ街の探索を始めます。
ミクロフは13世紀に城砦が造られたのが起源。 バルト海からアドリア海へと繋がる交易ルート上に位置し、オーストリアとモラヴィア地方の重要な境目として、またカトリック巡礼の聖地として発展していきました。 街にはユダヤ人も多く住み着き、現在その遺産ともいえる建物や墓地などが残っています。 約120年前にはウィーンで職を失った若き日のムハがこの街に2年ほど滞在し、地元名士の肖像画などを描いていたそうです。
まずは頂上に聖セバスチャン教会が街を見下ろす「聖なる丘」を登る事に。
登り口がどこにあるのかわからなかったので丘陵沿いのコニェヴォヴァ通りを歩いていると、石灰岩らしき白い石が敷き詰められた坂道があり、その奥にはピンク色に塗装された建物が見えます。 「ピアリストの家」と呼ばれる建物で、その脇には丘へと続く石段がありました。
初めは緩やかな傾斜の林道を進んで行きます。 所々にほこらのようなものがあって、中には様々なキリストの像が安置されています。 後で調べたところそれらは「Stations of the Cross(十字架の道行きの留)」といわれるものらしい。 キリストの苦難を表す14の石像が入口から頂上まで配置されていて、かつて巡礼者は順次に祈願しながら登っていったのでしょうね。 何も知らない私はこのとき、人気の無い薄暗い林道で苦痛に満ちたキリスト像を見て不気味に感じていただけでした。 そういった道を進むこと約10分、丘の中腹付近に来ると林は無くなり突然視界が開け、眼前には聖なる丘 と、背後にはミクロフの街が見渡せます。 頂上までの道中にも大中小のほこらがいくつか。
この中腹からは白い砂利の転がる道となり少々登りづらい。 おまけに林が無くなったのでそれまで遮っていた冷たい風が容赦なく吹きつけてきます。 ブルゾンのジッパーを上げフードをかぶり、アメを口に入れて寒さを紛らわしながら先へ急ぎます。
この丘に建つ聖セバスチャン教会の発祥は1622年に猛威をふるった疫病(ペスト)を経た翌年から。 1631年までに鐘塔とStations of the Crossが備えられて、その後カトリックの巡礼地にもなりました。 小高い山の上という立地の為、度々落雷に遭ったり、また火災による消失で再建が幾度となく繰り返され、現在見られる姿は 大戦後1946年からのものだそうです。 ただしStations of the Crossの像及びほこらは17世紀創建当初のオリジナルもいくつか残っているという話。
頂上には白く塗装された聖セバスチャン教会とベージュ色の鐘塔、そして手前には像が無く中に消えかけた壁面画が残っているだけのほこらが2つ配置されています。 また街からは見えませんが教会の背後に隠れるようにもう1つ建っていました。 教会内部はどんななのか拝見したかったのですが、入口の扉は堅く閉ざされ周囲に窓もない為見る事はできません(隣りの鐘塔も同様)。
その代わり四方を遠くまで見渡せるパノラマを楽しみます。 北〜北西方向にはミクロフの街並みとモラヴィアの大地が広がり、南東は明日訪問予定のヴァルチツェ(Valtice)のお城が肉眼で確認できました。 南西に目を移すと池や森をたたえた丘陵地帯に赤い屋根の街、そこはもうオーストリア領なのでしょうね。 冷戦時代を思うと、今見ている変わり映えしない景観の中に かつて「東西の境目」という線引きが存在していたこと自体にわかに信じられない気分です。
冷たい風が強さを増してきたので街へ戻ります。 長居をして体調を崩しては大変ですし。 こんな寒い日に登る人はまずいないのでしょうか、結局この聖なる丘では誰にも会わず独占見学できました。
続いてミクロフ城。 13世紀にロマネスク様式で建てられた城は14世紀にゴシック様式へ改築、その後16世紀に火事で消失した際にルネッサンス様式へ、18世紀に同じく火事ののちバロック様式に立て直されたりと、とにかく忙しい歴史をもっています。 モラヴィア最大のユダヤ人社会の存在した街という歴史背景が一因でもあるのでしょうか、近代の1945年にはドイツ軍によって破壊され、今ある姿は1947年以降に復元されたものだそうです。
両脇にたくさんの石像彫刻が並んで城門を通り、坂を登って進みます。 ベージュ系の色に塗装されたバロック様式の建物の中に、上部が修復されたゴシック様式のすすけた古い塔が2、3つ残っているのがおもしろい。 まずは建物内にある受付へ。 ここもツアー形式で城内を見て周るのですが、チケットを求めると館員らしき年配のおばさんはチェコ語で何やら言ってきます。 どうやら時間は10:30かららしい。 あと30分程あったのでお城を外から眺めつつ時間つぶし。
ツアー開始まで間もない頃、坂の下から騒がしい声が聞こえます。 やってきたのは先生に引率された中学生らしき集団約100人。 順番に受付へと入って行き、私とすれ違うと「ドブリーデン」とあいさつする子もいる一方、変な笑い声や「ヤポネツ?ジャパニーズ?」というささやきが耳に入ります。 まさか、彼らと一緒にツアーをする事になるのだろうか?冗談じゃない!・・・という訳でこの時間は見送る事に。
中心広場のインフォメーションへ行き、絵葉書や切手、ガイド本などを買い込み、ついでにネットができる環境がないか尋ねます。 対応した若い女性は英語も話せとても親切ですが、教えてもらったネットカフェは潰れたのか営業していませんでした(おいおい)。 やむなくお城の庭へ戻り、風の当たらない壁近くのベンチに座って聖なる丘を眺めながら一息。 真上のお城からはさっきの学生たちの騒がしい声がもれてきます。 とりあえずお昼までここで音楽を聴いたり読書をしながら過ごしました。
楽しみの昼食は中心広場にある白黒のグラフィック装飾が施されている建物内にあるレストラン「アルファ(Alfa)」にて。 ビールの看板はブドヴァルという事でブドヴァルビールにローストポークとクネドリーキ、ザウアークラウトのセット、そして熱いスープを頂きます。 外は寒いのでビールも小さいのをおかわりし、残りの絵葉書を書きながらゆっくりしていました。 立地が良い場所なので値段は少し高いかな、と思いましたが全部で127Kc。 この街のお勧めです。 ちなみにメニューはチェコ・ドイツ語。外は風が強さを増していました。 お城の庭では木の枝が強風で折れ、それが頭上から降ってきて危ない。 急いで通り抜け、坂を登り受付を再訪します。 次のツアーは何時なのか、知っている単語を繋ぎ合わせて尋ねてみますがなんと今日はもう終わりという話。 あれっ?10月は9:00〜16:00のはずなのにツアーは1度きり!?、、、これもオフシーズン仕様なのか。 戦後に再建されたという背景もあり部屋は簡素な造りで展示品や置いてある調度品が見所、という博物館のようなお城ではありますが、地下に広がっているというワイン貯蔵庫は見たかったなぁ。 余談ですけど城門の手前にあるトイレ(もちろん有料)は、利用する度にわざわざ領収書を渡してくれます。 なんか律儀ですね。
この街にはミクロフ城、聖なる丘以外にもう1つ目立つものがあります。 お城の北側にある岩壁の上に廃墟と化した塔のような建物。 名称は「コジー・フラーデク(Kozi Hradek)」直訳で「山羊の砦」と言うのでしょうか。 民家の脇を通る坂道を登っていくと緑の茂みの中から白い岩肌が姿を表し、その上に廃れた砦がひっそりと佇んでいました。
入口には大きな錠がかけられていて勝手に中へ入る事はできません。 とりあえず岩壁を登れるだけ登ると、眼下には赤い屋根の街並み、そしてお城と丘が雄大に聳えている素晴らしい景色が広がっていました。 これで快晴だったら言う事ありません。 聖なる丘よりもこの位の高さの方が街の立体感も出ていい感じです。
眺めの良さと「山羊」という単語の付くこの場所は何かの見晴台というふうに想像してしまいますけれども、実際はお城の出入り口に当たる北側の守りを固めるための軍事目的で造られたものらしい。 元は3層の塔で各階の窓枠からは大砲が周囲に睨みを利かせていたそうです。 今でこそ上層部は崩れて廃墟となっていますが、一部に窓枠跡のある層が残っていて当時の面影をわずかに感じさせます。 砦の上に避雷針が取り付けてあるのを見ると、ここも過去に何度か雷にやられたのでしょうね。
寒いのを我慢して岩の上に座り、後ろを振り返るとスナフキンがギターを弾いてるような雰囲気の中でぼーっと景色を眺めるひと時を過ごします。 ふと聖なる丘に目を向けると頂上を目指す人影が2つ。 こんな寒い中登るのは観光客以外ないでしょう。 思わず応援しながら行方を見守っていました。
あちこち歩いていると映画館もあったりして、小さいながら楽しい街です (ちなみに当時放映されていたのは「ハルク」)。 お城西側のフソヴァ通りにはシナゴークの家が10軒程あるというので見て回ると、別に変わった建物はなく街並みに普通に溶け込んでいました。 ガイド本を開くと他の見所は中心広場南にある「Hrobka Ditrichstejinu(ディトリフシュテインの墓)」と大きな時計が四方に付いた塔を持つ聖ヴァーツラフ教会。 前者は元々16世紀に創建された聖アンナ教会が18世紀の大火の後、ミクロフの街を統括していたディトリフシュテインファミリーの墓地として改修されたそう。 墓というよりは教会といった趣き。 見学 するにはインフォメーションで受付すれはOKですけどここも素通り。 聖ヴァーツラフ教会は3日間とも閉まっていて中にはいれませんでした。 他には郊外に洞窟もあるそうです。
小さなスーパーでパンや飲み物、電池などを購入して宿へ戻ります。 冷え切った体に熱いシャワーはたまりません。 そのまま部屋でゴロゴロしつつ明日の予定を考慮。
夕食はお昼と同じ「アルファ」で。 ブドヴァルビールとおかわりは私としては珍しくウオッカ。 メインの鳥のステーキセットはとても美味しかったです。 全部で137Kcでした。
帰る前にすっかり暗くなった街を軽く散歩。 治安は全く以って良好、安心して歩けます。 ただしお城のライトアップとかはなし。 それに寒いので酔いの覚めが早い(笑)。 宿のレストランでピルスナービールを1杯頂いてから本日の行動を終了します。 部屋でテレビをつけると何故か2つのチャンネルで「ミリオネア」が。 よくよく見るとチェコとスロヴァキアそれぞれの放送でした。