ボドゥール窯
   

焼かれた製品の特色は、何と言っても白磁の白さ、透明感、明るさ、そして手で触れた時のやさしい肌触りの良さにあると言える

Manufacture de Porcelaine de Baudour
 -F.J.DECLERCQの時代(1842~1848)


Baudour工場の創始者Francois-Joseph Declercqは1805年11月2日にベルギーのHainaut州Givryの町に生まれた。彼は若いころから陶磁器に魅かれ、ドイツSaxeの王立工場で製造技術を学び、その技術を基に1842年にBaudour工場を設立した。

彼はマイセンのKalmによって開発された硬質磁器の製造技術を取り入れると同時に、当時は高価なカオリンを地元で安く産出できたユーライトに置き換え、さらに豊富に採れた石炭を燃料にした。こうした新しい試みは品質の不安定さの原因にもなったが、徐々に改良され好評を得るようになっていった。

この時代、彼の好みでもあった花模様の絵柄が使われ、食器の他花瓶や壺にも採用された。また同時に、聖書に纏わる小像が多く制作されている。


 -N. de FUISSEAUXの時代(1848~1927)

1848年、Baudour工場は上院議員でもあったNicolas de Fuisseauxによって買い取られ、彼の妻さらには息子たちの協力も得て新しい時代を踏み出すことになった。

Baudour工場の歴史の中で最も隆盛を誇った時代で、従来の食器、花瓶、壺などの装飾品に加え碍子のような工業用磁器の生産も始められた。食器や工芸品などでは従来同様花模様が好んで採用され、好評を得た。花模様の絵付師BoulangerはフランスのSevresから呼び寄せた。この時代の著名な絵付師としてFirmin Briotの名前が挙げられる。

ベルギーにおける硬質磁器の生産はレオポルド2世の命によりこの時期、この工場から始められた。ベルギー皇室の後押しを受けて、1900年に開催されたパリ万国博覧会に出品したり、国内の数々の展示会に積極的に出品され、それが故に食器等ではホテル、レストラン、カフェ、企業さらには個人用に装飾文字をあしらった絵柄の特注品の生産も盛んに行われた。

 -PAVILLONの時代(1927~1934)

Fuisseaux一族の亡き後、ブリュッセルに本拠を置く企業The Societe anonyme des Pavillonsの経営に委ねられることとなった。製品は概ねFuisseaux時代のを踏襲するものであったが、この時代は概して食器の生産が中心となり、それを象徴するようにフランスの画家で素描家であったFrancois Boucherの描いた「食器を抱えた主婦の後ろ姿」を製品のマークに採用している
                 

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CERABEL-MNPB
の時代(1934~1977)

それまで碍子(がいし)事業部門で販売に力を揮ったRene Van Godstenhovenは、このころ工芸磁器さらに工業用磁器の第一人者として業界にその名を知られるようになり、1934年にはボドゥール工場全体の経営に携わるようになり社名をCERABELと改称した。

この時代、最盛期には従業員が900人を超えるほどになり生産能力は1938年から1948年の間の10年間で4倍に拡大し生産量は飛躍的に伸びた。特に工芸磁器分野は著名なデザインアーティスト、彫刻家等を数多く揃えて隆盛を極め、遂には当時の国王、ボードワンⅠ世の肖像を配した食器の製造をエノー州政府から委託され皇室に献上されるにいたり、名実ともに皇室御用達の陶磁器工場となった。

1950年代は国内外の各種展示会に出品され、その伝統を受け継いで生産された製品は世界中の博物館、個人のコレクションの中に今なお数多く所蔵されている。

1968年CERABELは大きな転機を迎えることになり、食器や工芸品を含むセラミック製品部門を事業とするCerabel Florennesと碍子などの工業用磁器製品部門のManufacture National de Porcelaine de Baudourni に分割された。

 -NGK-BAUDOURの時代(1977~2007)

1970年初頭の世界的景気不振が続く中、特に食器部門の不振から財政的な危機に陥り、工業用磁器製品部門のNMPB社を日本のNGK社に売却すると同時に食器部門のCerabel社は事業を閉鎖するに至った。
 

  
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