チェロの部屋

"As for me, the violoncello is part of all things, and a central substance of this universe."
                                             Gregor Piatigorsky

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| わたしと音楽

音楽とは何だろう。

自分なりに吹いたり,弾いたり,叩いたり,作ったりしてきたのだが,一向にその実体を知らない。音の世界だから目に見えるものではないことは承知だが,それが音として認識できること,協和する・しないこと,強弱,長短など,そしてそれらを共有できることなどなど,考えてみれば不思議なことばかりである。そして美しい音楽も一瞬のうちに虚空に消えていく。

子供の頃から寄り道ばかりをしていたから未だに何も成し得ていない。恐らくこれからもそうだろう。チェロという個性的で魅力的な楽器(1)に辿り着くまでいくつもの楽器を経たけれど,それも必然だったのかも知れない。トタンの塀をこするときの音,石ころを打つときの音,風の音,雨の音,雷の音。学校のリコーダー。父親からもらったヴァイオリン。バイト代を貯めて買ったヴァイオリン。自分の給料で買ったピアノ。音楽好きな家に生まれたわけでもないのに,なぜか楽器と音楽が好きだった。

40を過ぎて手にしたチェロはドイツ製のテラー(Teller)という,日本では珍しいメーカーのもの。年齢とあまり手が大きくないこともあって半ば諦めていたのだが,Never too late!(2)と背中を押された。私のヘフナーのヴァイオリン,子供達の分数ヴァイオリンを下取りに入れ何とか購入した。初めて弾いたときは思わず頬が緩んだ。こんなに楽しいことを何故ためらっていたのだろうと悔やまれた。

 

| チェロのある部屋

レッスンは楽しかった,最初のうちは(3)。しだいに楽しみが逓減していき,技術の習得につきものの辛さが増していった。だが,時間の無さ,進歩の遅さを嘆くことはあっても,やめようとは思わなかった。

10年後,技術はともかく,チェロこそ自分の弾くべき楽器であるという思いが深まってきて,デラゼイというフランスのオールドに買い換えた。自ら退路を断ったわけだが,まだまだ初心者卒業にはほど遠く,練習とレッスンの日々が続いている(4)

とは言え,チェロばかり弾いているわけにはいかない。家族のこと,仕事のこと,老後のことその他考えなければならないことは山ほどある。勤め人暮らしと練習計画の両立は難しいが,我が儘を許してくれる家族,近所迷惑を我慢してくれる隣人,たまの早い退勤を見過ごしてくれる職場の同僚,歩みの遅い生徒を暖かく見守ってくれるチェロの師,友人,そして,遠くからホームページとブログに暖かい視線を送ってくださる方々には感謝に堪えない。

チェロを選んでいなければ愚痴をこぼすだけの人生を過ごしていたかも知れない。「チェロのある部屋(人生)」に恵まれてよかったと思う。これからの私の人生はチェロを道連れに音楽というものを考え続けて行くものになるに違いない。

音楽。この不思議なもの。

キューピーチェリストとコーギー犬(人形)(10.8KB)(

(2006/01/01,2006/08/27,2007/09/24, 2008/06/22一部改稿)

■参考文献など

(1)長さではヴァイオリンの約2倍になりますが横板の高さはその約3倍。胴の容積になると13倍程度になると言われています。(金光威和雄著『楽器学入門:オーケストラの楽器たち』音楽之友社,昭和54年刊)

(2)Never too late!(まだ遅くはないよ)と勇気づけてくれる本を知らなかったらチェロとは無縁だったかも知れない。
Never too late: my musical life story
John Holt著,Perseus books,1991
邦訳『ネヴァー・トゥー・レイト: 私のチェロ修業』,ジョン・ホルト著,松田りえ子訳,春秋社,2002年9月
詳細

(3)過去の練習日誌など
2005月〜
2004年8月〜12月
2003年12月〜2004年8月

(4)移り気な初心者の過去のエッセイ(2000〜2002年)
カフェ・ヴィオローネ

   

 

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