デザインをする時は、色に頼り過ぎないデザインにしましょう!

…と、いうのがこのサイトの主旨です。
が、デザインの素人が作っているため、専門的ではありません。聞き取りや検索や調べ物をもとに素人仕事でまとめたものです。ですので、自分流にアレンジしてデザインの参考にしてください。
色はキレイで楽しいものですから、大いに楽しみつつ、色に溺れず適性な距離を保ったデザインをしていきましょう♥

目次は全部このページにあります。カラーバリアフリーの良い事例集をぜひご覧ください。もっと興味をもった方はMore...をどうぞ。

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雑記 2017/02/19

カラーバリアフリーの良い事例集

2003年頃当時までの情報を元にしています

More.......

見直したのは2017年01月。「すいたい編」以外は書いたのは2004年1月が最後

サイト作成者

名前はたなかです。女性、准看護師、既婚、埼玉在住、62年生まれ
メルアドは info@annaka21.net 間違いみつけたので訂正したいとかあれば遠慮無くどうぞお願いします。



以上Remake:2017/01/09

最近思うこと

2017/02/19

今月、T・Tが30才に、なりました。
長い、長い、歳月が流れました。親としてもっと本人のために、してやれることはなかったか? 高校受験に際してなど、もっと力を添えてあげられなかったか? と考えた時期もありました。

ちなみにその頃の日記をみつけたので読み返したら(コレ)、子どもの高校受験の時期に

結局、今日の三者面談で、私立の滑り止めを受けることになってしまった。>たつや
せっかく最小費用で最大効果をあげようとしてたのに。

などと、ひどいことを書いていました。w。

この頃は、かなりのところ、 見えない貧困 状態だったのでしょうがないのですが‥‥(ためいき)

しかし親として悩むそういう時期も過ぎたので、これからは明るい話題があったらどんどんここに書いていきますね。

情報:最近ではカワバタヒロト 秘密基地からハッシン!さんが色覚について時々取り上げているようです。おもしろいですよ。


2017/01/20

前回の続き。
本書は、『パイプのけむり』という團伊玖磨(だん いくま)の有名なエッセイ集に書かれた色盲関連のトピックに多く材を取っている。

わたしはタイトルこそ聞き覚えがあったが團伊玖磨 - Wikipediaつう人については知らなかったし、このエッセイ集も読んだことはなかった。ちなみに團 伊玖磨氏は日本を代表する作曲家であり、自身も色盲だったとのこと。また、中曽根康弘が土人発言で批判を浴びたときも、自分は「色盲」と言われたっていちいち悲しんだりしない、黒人達もいちいちと言葉尻の詮索でもめるような貧しい精神の持ち主ではないだろうと、中曽根さんをいわば擁護した。

そして「土人という語は良い。皆で土人の良さに徹した強靱な人民になりたいと思う」とエッセイで結んだ。

ここに関して筆者(徳川氏)は、中曽根さんのもともとの発言を紐解き、実はこういう意図で言っていたんだよということを教えている。 それを説明するのはちょっと面倒だが書くと、1984年のこと、共通第一次試験が五科目もあるの、どうなんだと。たとえば芸大に入るのに数学の試験で高得点取ってる必要あるのかと。そこらについて中曽根氏が答えたものの中で下手な例え話をしたために、ややこしくなった。 言ってることの主旨は悪いものではないのだが、やはりアフリカの黒人への差別感情、バカにし、下に置いている感覚。あるいは、人間として認識してない本心、あるいは思考の浅さが、露呈したのは確かである。

単純な話、アフリカの黒人とコミュニケーションしたことがないのだろうから、しょうがないんじゃないとわたしは思う。
当然わたしもないが、現代社会でそういう言い方しちゃいけないのは学習しているし、いけない理由もちゃんと考えている。
ただ、團氏があえて「強靱な人民になりたいと思う」と書いたのは、彼の生き方の問題だと、思う。それが前面に出たんだろう。わたしは学者サンじゃないので、さほど細かく考えないでいいため、ざっくりとそう思った。それは色盲としての経験ばかりではなく、クラシック音楽の作曲家を日本人でやっている、それゆえのコンプレックスもあったろう。ヨーロッパ人から見たら日本人は土人同然と思われているのだ、というコンプレックスというか屈辱感。それを跳ね返す個として誇りがなくては、やってられない。

それで思い出した。
わたしは家でもカラーバリアフリーなため、カレンダーに印をつけるときに色分けオンリーにしていない。色+マークのようにするか、黒マジックだけで表現している。

それを見ていたT・Tくんが「そんなのめんどくさいじゃん」とか、のたまったのである。おい、ふざけんな。

と、言いたかったが、これはあたしがスキでやってることだし、そうでないと気持ちが悪いから。つった。
ふーんそうですかって感じの空気をT・Tは出していた。

T・Tではないが、今年の手帳を何にするか迷っていた時のこと。「五色ボールペンを使い分けて夢を叶えよう!!」とアピールしているやつをみつけた。チラとも食指が動かなかった。カラーバリアフリーな自分にはそういうの、無理。それ以前に、もしも該当色がその場になかったらどうする?! フリーズして何も書けなくなるじゃん。筆記具はただでさえなくなりやすいのに。

むろん、個人の手帳なので自由です。それは間違いない。


2017年1月12日(木)

といっても本書、語りづらさにばかり終始している本ではない。たとえばp81、信号について章。

色弱者に運転免許を許可するのは「乱暴」だとして、ある眼科研究者が検査と制限を提唱したのに対して、警視庁交通課長の藤岡長敏が次のように反論したのである。

【引用】
 色盲患者が自動車の運転手として不適当であるかどうかという問題を決定する前に、われわれは色盲患者によって識別せられないような交通標識を採用することが適当であるかどうかという点について考えてみたい。男子の5%も色盲患者であり、しかも現在の医学の力をもってしてはこれを救済しえないものであるにかかわらず、交通信号として色彩による標識を採用しなければならないという理由はどこにあるのであろうか。私は色盲患者に運転手の免許を与えることが乱暴であるというよりは、むしろ色盲患者の識別しえないような標識を採用することが乱暴であると思う。—-略—–色盲は自動車の運転手にとって、事故の原因となる可能性であるかもしれないが必ずしも蓋然ではない。少なくとも標識の選択の仕方によって、色盲患者が運転手となるに不適当であると考えられる最も大きな理由を、除去することができると信じる。
藤岡長敏、1928年、『交通警察論』、171-173頁

バリアフリーというか、ユニバーサルデザイン発想の先駆けともいえる、こんなにまっとうな事を言う人が、昔の日本にもいたのである。

藤岡長敏氏、wikipediaにも出ていたので、そっちも読んでみた。日本全国あちこちの警察で部長になったり、その後香川県知事に就任、1939年7月の大干ばつでは神社で雨ごい祈願祭を行ったり、最後は警察大学校名誉教授になったりと、華々しい経歴の持ち主。

それ以外にも気づいたことがあるので、表にしてみた。

石原忍 藤原長敏
1879 うまれる
1894 15才 うまれる
1916 37才 色神検査表の初版を半田屋より出版 22才
1928 49才 34才 『交通警察論』発表
1934 55才 正式な色神検査表発表 40才

そう、藤岡氏と色神検査表との時系列の兼ね合いだ。

藤岡氏がごくまっとうな意見を論文に書いてくれたその6年後に、石原氏が色神表の完成バージョンを発表。
よほどこの検査表が与えた衝撃が大きかったのだろう。もしくは、帝国大学教授で陸軍軍医の威光が大きかったのか、すっかりその支配下におさまってしまった。

藤岡氏も、以後沈黙してしまったと、思われる。
せっかく、いいこと言っていたのに。
実に残念です、藤岡さん。だってそれは、「色盲患者」が与えた衝撃ではなくて、色神表の与えた衝撃。
信号機が与えた衝撃ですらないのだから。

注:ほんとに沈黙したのかなどの詳細は不明です


2017年1月9日(月)

昨年は色々とトピックがあった。

その一年前(2015)には、「青と黒」なのか「白と金」なのかで大騒ぎになったドレス問題(参照:きゃりー「青と黒」、ローラ「白と金」、黒木メイサは…世界でセレブが大議論)があり、色の認知がいかに人によって違い、不安定なものかが世界的に知れ渡った。

「だから~言ってるでしょっ、一様じゃないのよ、色の見え方は!!」
と思いつつ、ドレスの色は実は「青と黒」だったそうで、わたしには「白と金」以外に見えなかったから、これはこれで驚いた。

「白と金」「青と黒」あのドレスで意見が分かれる理由はこうだった--ハフィントンポストによれば、色の恒常性を保とうとする脳の機能がもたらした現象。なので、色覚およびカラーバリアフリーを扱う本サイトとはテーマがちょっと違う。

それでも、より本質的なこと----自分の見え方が絶対とは限らない----という認識が広まったのは、すごく良い出来事だった。

  昨年(2016)も似た話題があった→→何色?何に見える? 2016年議論を巻き起こした“錯覚”画像たち

トピックは錯覚系のことばかりではない。色覚差別と語りづらさの社会学 / 徳川 直人【著】 という、色覚を主題にすえた大著が出たことだ。わたしももちろん買った。読んだ。社会学の学者が書いているので専門的な用語や概念も多いためそう簡単な本ではない。が、タイトルの「語りづらさ」が秀逸すぎる。モヤモヤしたままだった居心地の悪さの正体が、「これか!?」と気づいてしまった。実際、語りづらささえないなら、色覚特性のかなりの問題は解決したといえるのじゃないだろうか。

実は我が家も昨年、家族で食事をしていた時に、酔っ払ったT・Tくんが「人の顔が赤くなってるというの、わかんないんだよなぁ」と、言ったそうだ。(わたしは側にいなかったので、娘からの伝聞) そうしたらみんなが黙ってしまって無反応だった、という。

せめて父親くらいまともなリアクションができなかったものか。あーあ。これでT・Tくんはまた「語りづらさ」をひしひしと学習してしまったに違いない。わたしはどうしたらいいのか。こんなHP作ってる場合じゃないやとも思う。

今年は「語りづらさ」から一歩前進できるといいなぁ・・・・

続いたら続く