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李瀷(1681-1763)『星湖僿説』漢文選

最初の公開2012-11-15 最新の更新2015-6-6
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平秀吉
【原文・白文】
壬辰倭寇明史及我邦人皆言平秀吉弑主自立欲
立威於国中多行誅殺因為射天之計此非也…【中略】
…中国人許儀後者漂泊薩摩州詳
書倭中陰事以報天朝其隣居唐人窃告之左右皆
請烹儀後秀吉曰彼本明人為明告日本事理無不
可且出人不意実非吾心況自古帝王尽起草昧使
大明知吾素賎亦非害事置不問反謂密告者曰汝
亦明人敢訴明人非凶人而何以此観之秀吉亦有
許大力量非庸人也起自島夷越海与大邦作仇其
勢必敗若使生於中国恣行其胸臆未必不成
【原文・句読点】
壬辰倭寇、明史及我邦人皆言「平秀吉弑主自立、欲立威於国中、多行誅殺、因為射天之計」。此非也。…【中略】…是時中国人許儀後者、漂泊薩摩州、詳書倭中陰事、以報天朝。其隣居唐人、窃告之。左右皆請烹儀後。秀吉曰「彼本明人。為明告日本、事理無不可。且出人不意、実非吾心。況自古帝王尽起草昧。使大明知吾素賎、亦非害事」。置不問。反謂密告者曰「汝亦明人、敢訴明人。非凶人而何?」。以此観之、秀吉亦有許大力量、非庸人也。起自島夷、越海与大邦作仇、其勢必敗。若使生於中国恣行其胸臆、未必不成!
【書き下し】
壬辰倭寇、明史及び我が邦人は皆言ふ「平秀吉、主を弑して自立し、威を国中に立てんと欲し、多く誅殺を行ひ、因りて射天の計を為せり」と。此れ、非なり。…【中略】 …是の時、中国人の許儀後なる者、薩摩州に漂泊し、 詳らかに倭中の陰事を書き、以て天朝に報ず。 其の隣居の唐人、窃かに之を告ぐ。左右、皆、儀後を烹んことを請ふ。 秀吉曰く「彼は本、明人なり。 明の為に日本を告するは、事の理として可ならざるは無し。 且、人の不意に出づるは、実に吾が心に非ず。 況んや古より帝王は尽く草昧より起つ。大明をして吾素より賎しきを知らしむるも、 亦た害事に非ず」と。 不問に置く。反りて密告者に謂ひて曰く「汝も亦た明人なるに、敢て明人を訴ふ。凶人に非ずして何ぞや」と。 此を以て之を観るに、秀吉亦た許大の力量有り、庸人に非ざるなり。 島夷より起ちて、海を越えて大邦と仇を作せば、其の勢ひとして必ず敗れん。 若し中国に生まれて其の胸臆を恣に行はしめば、未だ必ずしも成さずんばあらじ。
【大意】
壬辰倭寇(文禄・慶長の役)について、中国の『明史』と、わが国(李氏朝鮮)の人はみなこう述べる。「平秀吉(豊臣秀吉の唐名)は、自分の主人を殺して自立し、日本の国中を威圧するために多数の人々を誅殺し、さらに天に矢を射るような無謀な対外戦争まで仕組んだのだ」。これは間違いである。…【中略】…当時、中国人の許儀後という者が、日本の薩摩州に身を寄せていたが、日本の秘密を詳しく手紙に書いて、こっそり中国に報告した。許儀後の近所に住んでいた中国人は、許儀後のスバイ行為を当局に密告した。秀吉の側近は全員、許儀後を極刑である釜ゆでの刑にすべきだ、と秀吉に上奏した。しかし、秀吉は言った。「許儀後はもともと明国の人間だ。明国のために日本の秘密を伝えるのは、事のすじみちとして当然のことである。また、他人の油断に乗じて不意打ちをかけるのは、私の本意ではない。まして、古今東西の帝王は、昔からみな社会の底辺の出身者ばかりだ。私が賎しい素性の者だということが大明国に知られても、別に悪いことではない」。秀吉はそう言って、許儀後のスパイ行為を不問に付した。そして、許儀後を密告した中国人に向かって言った。「おまえも明国人だろう。同じ明国人をあえて密告するとは、おまえはとんでもない悪人だ」。このことから考えると、秀吉もかなりの力量をもつ、非凡な人物であったことがわかる。小さな島国の蛮族から身を起こし、海を渡って大国と戦争をすれば、負けるのも必然である。もし秀吉が、中国に生まれて自分の胸の思いを存分に行うことができていたら、ひょっとして世界征服に成功していたかもしれない。
旧参謀本部編纂【日本の戦史】『朝鮮の役』(徳間文庫、1995)p376-377より引用
 朝鮮から本唐に攻め入るとき、「中継の城々に軍勢をおいては、攻撃する兵がいなくなる」と秀吉公に注進すると、
「小国に生まれて無念じゃ」
 と涙を流された。滝川豊前の話に聞いたので、その秀吉公のお言葉の一端を記しておく。よい言葉、よい行為のすべてが世に伝わらないのは、まったく残念である。[三将御物語覚書]

倭患
元世祖欲征日本其造艦■糧皆我国所需而掃境
内助戦畢竟不克而与強隣失和彼倭者地形如琵
琶尖頭向西倭可以出掠而外兵不能入故中国江
浙之間其患滋甚亦無奈何況小邦乎自忠定王二年
倭患始起三面受敵勢不可鎮守不独焚劫州郡生
霊塗草漕運不通不奪則覆彼俗以舟為宅習於水
戦洋海之間雨集雲散防禦無策也此元帝之錯算
而我国亦非善謀矣大国有命雖不敢違忤俄復為
元帝寵壻事無不従則罷兵之後撤其防守信使厚
幣交市約和俾知前事之非本志彼亦必利其貨財
回仇為好矣不能出此鷃披抓仮哃★虚喝使至而
不礼至辛禑初年欲誘殺藤経光覚而逃自是又激
成屠戮之患其不自量如此取禍宜矣此事眺眹於
元帝芽孽於忠定王歴世醞醸二百四十三年至壬辰
之燹而極矣於是置糧▲養厚徃薄来★辧康平之
局然事久◆萌以詐易信将不日而提潰国人猶恃
壬辰余威傲然自大不知威不已出事異権輿耶噫
【外字】造艦■糧…■はニンベンの右横に「待」。
哃★虚喝…★は、口へんの右横に「唐」。
【句読】
 元世祖欲征日本、其造艦■糧、皆我国所需、而掃境内、助戦、畢竟不克、而与強隣失和。
 彼倭者、地形如琵琶、尖頭向西。倭可以出掠、而外兵不能入。故中国江浙之間、其患滋甚、亦無奈何。況小邦乎。
 自忠定王二年、倭患始起、三面受敵、勢不可鎮守。不独焚劫州郡、生霊塗草、漕運不通、不奪則覆。彼俗以舟為宅、習於水戦、洋海之間、雨集雲散、防禦無策也。
 此元帝之錯算、而我国亦非善謀矣。大国有命、雖不敢違忤、俄復為元帝寵壻、事無不従。則罷兵之後、撤其防守。信使厚幣、交市約和、俾知前事之非本志。彼亦必利其貨財、回仇為好矣。不能出此鷃披抓仮、#21699;★虚喝、使至而不礼。
 至辛禑初年、欲誘殺藤経光、覚而逃。自是、又激成屠戮之患。其不自量如此、取禍宜矣。此事、眺眹於元帝、芽孽於忠定王。歴世醞醸、二百四十三年、至壬辰之燹而極矣。
 於是、置糧▲養、厚徃薄来、★辧康平之局、然、事久◆萌、以詐易信、将不日而提潰。国人猶恃壬辰余威、傲然自大。不知威、不已出事、異権輿耶。噫。
【大意】
 元の世祖フビライが日本に遠征しようとしたとき、造船や食糧の準備はみなわが朝鮮国が担当し、戦闘にも加わったが、結局、勝てず、 隣の強国である日本と平和を失ってしまった。かの「倭」の国土の地形は、楽器の琵琶が頭を西に向けて横たえたような形をしている。 倭から外に侵掠に出るのは簡単だが、外国の軍隊は倭に侵入できない。それゆえ、中国の江蘇・浙江地方は、倭寇のひどい侵掠を受けているが、 どうにもできないのだ。大国である中国さえそうなのだから、まして小さなわが朝鮮国については、言うまでもない。
 高麗の忠定王の二年(西暦一三五〇年)から、倭寇の問題が始まった。倭寇は、わが国の東西南の三方向の海から来るので、わが国は守りきれない。 地方の役所が焼かれ、人民が苦しむだけでなく、わが国の海運のネットワークも断ち切られ、被害は甚大である。
 倭人の生活は、舟を自宅として、水戦に習熟している。彼らの船団は、広い海を、雨や雲のように自在に離合集散し、神出鬼没である。 防ごうにも、手立てがない。
 これはそもそも、元の皇帝の誤算であったが、わが国の長期的戦略も巧みだったとは言えない。 もちろん、大国である元からの出兵命令を、わが国が断れたはずはない。 しかし、それにしても、高麗の国王は元の皇帝の娘と結婚し、元の皇帝の壻となり、何から何まで元の言いなりになってしまったのは、情けない。 元が日本遠征を中止したあと、元軍はわが国の防備をやめ、本国に引きあげた。 わが国は、友好の使者を日本に派遣し、平和的な交易の約束を取り交わし、日本遠征に参戦したことが自分たちの本心ではないことを示した。 が、倭人にしてみれば、わが国の財貨を欲しがり、昔の「元寇」の仇を打ちたいと思うのは、必然であろう。 彼らに対して恫喝を加えたり、使者を冷遇することがあってはならない。
 高麗王朝最後の国王である辛禑王の元年(一三七四年)、わが国は、倭人の頭目「藤経光」を誘い出して殺そうとしたが、 暗殺の直前にばれて逃げられた。この事件のあと、倭寇はわが国の人々を激しく殺戮するようになった。 わが国の思慮が足りぬことはこのようであり、わざわいを招いたのも当然である。 倭寇のことは、もともと元の皇帝が遠因で、高麗の忠定王から始まる。以後、どんどんエスカレートしていき、 最初の倭寇から二百四十三年目の壬辰の年(西暦一五九二年)の戦争(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で、頂点に達した。
 戦後、わが国は、兵糧を蓄え、日本へ使者を送るが日本からの使者は受け入れないという海禁政策をとり、 平和の局面を実現した。しかし、時間がたつに連れて、戦争直後の初心を忘れ、信義よりもウソに走るならば、今の平和もやがて崩れてしまうだろう。 だが、わが国の人は「壬辰の余威」を恃んで、傲慢な態度を取っている。 こんなことでは、また歴史のあやまちを繰り返すことになってしまうのではなかろうか。ああ!

日本忠義
日本維居海島開国亦久典籍皆具陳北渓性理字
義三韻通考我人従倭得之至於我国之李相国集
国中已失而復従倭来刊行于世凡倭板文字皆字
画斉整非我之比其俗可見(中略)近聞
有忠義之士憤東武之雄剛西京之衰弱欲有所為
名位不達匹夫無所施西京者倭皇所居東武者関
伯所居云前此有山闇斎及其門人浅見斎者議論
激昂以許魯斎仕元為非蓋有為而発也未嘗応諸
侯徴辟(以下略)

【句読】
 日本維居海島、開国亦久、典籍皆具。陳北渓『性理字義』、『三韻通考』我人従倭得之。至於我国之『李相国集』、国中已失、而復従倭来、刊行于世。凡倭板文字、皆字画斉整、非我之比。其俗可見。
(中略)
 近聞、有忠義之士、憤東武之雄剛、西京之衰弱、欲有所為、名位不達、匹夫無所施。 西京者、倭皇所居。東武者、関伯所居云。
 前此、有山闇斎及其門人浅見斎者、議論激昂、以許魯斎仕元為非。蓋有為而発也、未嘗応諸侯徴辟(以下略)
【大意】
 日本は海の中に孤立した島国だが、開国以来の歴史は古く、漢文の古典や書籍がそろっている。朱子の門人である陳北渓が書いた朱子学の用語集『性理字義』や、漢字の音韻についての専門書『三韻通考』などは、倭から輸入して手に入れた本である。わが国の高麗時代の文人・李奎報の詩文集『李相国集』も、わが国では失われてしまったので、倭から逆輸入して刊行し、再び世の中に出回るようになったのである。倭の木版本の文字は、どれも字画が端正できれいであり、わが国の本の文字が乱雑なのとは比べものにならない。倭の民度の高さには、見るべきものがある。
(中略)
 近ごろ聞くところによると、倭の忠義の士たちは、「東武」(江戸のこと)が盛強なのに「西京」(京都のこと)が衰微していることに憤り、何か事を起こそうと考えているが、地位も名声もないため、どうすることもできない、という状況らしい。西京とは、「倭皇」(天皇に対する朝鮮側の呼称)がいる場所である。東武とは、関伯(江戸幕府の将軍に対する朝鮮側の呼称)がいる場所。
 以前、山崎闇斎と、その門人の「浅見斎」(正しくは、浅見絅斎)という者がいて、尊王論について激しい議論を展開した。かつて中国の儒学者・許衡(許魯斎)は、自国を滅ぼしたモンゴル人の元王朝に仕えた。浅見らは、許衡の態度は間違っている、と批判した。彼らは、諸侯から招かれても出仕しようとせず、浪人のままだった。(以下略)

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