レベルが高かった日本の劇通
芥川の『支那游記』にも出てくる波多野乾一(一八九〇―一九六三)は、京劇史に関する先駆的な研究を行い、『支那劇とその名優』『支那劇大観』『支那劇五百番』などの書を著し、中国の学界にも影響を与えた。
京劇関係の著作をあつめて影印出版した叢書『平劇史料叢刊』(伝記出版社、一九七四)は、京劇研究者にとって有用な資料集であるが、このなかに外国人の著作として唯一、波多野の『京劇二百年歴史』(『支那劇と其名優』を海賊版的に中国語訳したもの)が収録されている。この叢書の主編者・沈葦窗は、収録書籍紹介のなかで、苦々しげに書いている。
「『京劇二百年歴史』――日本人波多野乾一著、鹿原学人訳。まったくもって恥ずかしい限りである。中国の京劇の歴史を日本人に書かれてしまうとは、味気ないような気がする。この本は民国十六年九月に出版された。私はこの本をじっくり読んだことは無い。お許しいただきたい」
日本人に先を越されたのがそんなに悔しいなら、叢書に入れなければいいのに、という気もする。が、波多野の業績はそれだけ大きなものだった。
余談ながら、波多野乾一が亡くなるのと入れ違いで生まれてきた孫娘の波多野真矢さんも、京劇の研究者であると同時に、中国本土でも実力を認められた有名な票友である。筆者(加藤)も学生時代、京劇『蘇三起解』や『覇王別姫』を、当時、慶應大学の学生だった波多野さんと一緒に演じたことがある。それにしても、波多野真矢さんといい、平林宣和さんといい、十年前の学生時代に一緒に「京劇研究会」の舞台で京劇を演じた仲間が、今ではそれぞれ大学の教壇に立っていることを思うと、時の流れを感じる。
京劇の文学性を発見した日本人――芥川龍之介(二)
芥川龍之介『侏儒の言葉』は、「文芸春秋」誌創刊号(一九二三年一月)から二五年十一月まで巻頭に連載された警句集だが、この中に突如として京劇が出てくる。