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呂后・武后・西太后

中国の「三大悪女」
最初の公開2017/8/11 最新の更新2017/8/11

朝日カルチャーセンター・新宿教室「シリーズ・女帝」

[シリーズ・女帝【新設】呂后]2017年 7/24 13:30-15:00
 古代中国の「悪女」は多い。中でも、漢の初代皇帝の妻であった呂后は、中国史上初の「悪女皇太后」であり、女性が絶対的な権力を手中にした最初の例となった。呂后本人も周囲の人々も、歴史に「悪女皇太后」の前例がなく、歴史から知恵や教訓を得ることができなかったために、陰惨な事態を招いた。そもそも呂后は本当に「悪女」だったのか。歴史文献を精読し、「宗族」の視点から、東洋的な意味での「悪女」の誕生を考察します。(講師記)
[シリーズ・女帝【新設】則天武后 ]2017年8/28 13:30-15:00
中国史上、唯一の女帝となった「則天武后」は、近年は「武則天」と呼ばれることも多い。彼女が生きた唐の時代は、いわゆる「中国四千年の歴史」の折り返し点にあたる時代だった。男尊女卑の時代に、彼女はどうやって帝位につくことができたのか。そしてなぜ、武則天以降は一人も「女帝」が現れなかったのか。日本を含む他国の女帝と「武則天」を比較することで、中国の歴史と文明の特徴を考察します。(講師記)
[ シリーズ・女帝【新設】西太后 ]2017年 9/25 13:30-15:00
 中国の歴代の王朝の中でも、最後の清朝は中華帝国の完成態であった。徹底した文書主義、能力主義を加味した合理的な皇位継承制度、悪魔のように狡猾な統治システム、等等。清の時代には、唐の則天武后や楊貴妃のような外戚の専横も、後漢や明のような宦官の跋扈も、一度もなかった。
 が、最も完成された制度は、システムの硬直化と表裏一体であった。清の末、想定外の事態に瀕した時、西太后という「想定外」の皇太后が出現した。彼女は傾国の悪女だったのか、中華帝国の衰退に抵抗した女傑だったのか。歴史を再考することで、高い完成度と想定外の事態に対応できない硬直化が進む現代日本社会に通じる教訓を探る。(講師記)
呂后武后西太后
時代前漢
生没年前241?〜前180624?〜7051835〜1908
配偶者高祖(劉邦)
初代皇帝
太宗(李世民)
第二代皇帝
高宗(李治)
第三代皇帝
咸豊帝(奕詝)
第九代皇帝
父親呂公(名士)武士彠(政治家)恵徴(中堅官僚)
子女
恵帝(劉盈)
魯元公主
義宗(李弘)
章懐太子(李賢)
安定思公主
中宗(李顕)
睿宗(李旦)
太平公主
同治帝
(愛新覚羅載淳)




娥姁

曌(照)
媚娘?
葉赫那拉
蘭児?(幼名)
杏貞?
玉蘭?
別称呂太后
高皇后
高后
則天武后
武則天
天后
聖神皇帝
則天大聖皇帝
則天大聖皇后
大聖天后
天后聖帝
則天皇后
則天順聖皇后
慈禧太后
老仏爺
孝欽顕皇后(孝欽)
聖母皇太后
孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后
死後 呂氏一族、粛清
赤眉の乱で盗掘、汚辱
光武帝が皇后の地位を剥奪
孫の玄宗が太平公主を殺害
皇帝位を剥奪
溥儀が即位
清朝滅亡

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