【「干支」にひそむ三千年の謎】 講師名   明治大学教授 加藤 徹

朝日カルチャーセンター 新宿教室 2017年1月23日

 

干支(えと/かんし)は、三千数百年前の殷王朝の時代から使われてきましたが、時代がくだるにつれて、さまざまな要素や迷信と結びつけられてきました。「丙午(ひのえうま)の年に生まれた女は夫を殺す」という迷信は日本特有で、「十二支のA年生まれとB年生まれのカップルは破たんする」という「断頭婚」の迷信は中国特有です。「庚申の日は徹夜で眠らずに過ごす」という中国起源の「庚申待ち」の風習は、日本でも明治初年まで盛んにおこなわれ、東京都内には今も多数の庚申塚が残っています。

 本講座では、干支にまつわる習俗や迷信を紹介するとともに、その背後にある東アジア人の人生観や、五行思想について解説します。(講師記)

 

★干支とは何か? 国語辞典の説明の例

大辞林 第三版の解説

えと【干支】〔「え(兄)おと(弟)」の略〕 @十干と十二支とを組み合わせたもの。木・火・土・金・水の五行を、それぞれ陽の気を表す「え」と陰の気を表す「と」とに分けたものが十干、すなわち、甲きのえ・乙きのと・丙ひのえ・丁ひのと・戊つちのえ・己つちのと・庚かのえ・辛かのと・壬みずのえ・癸みずのと。これに十二支、すなわち、子・丑うし・寅とら・卯・辰たつ・巳・午うま・未ひつじ・申さる・酉とり・戌いぬ・亥を順に割り当て、甲子きのえね・乙丑きのとうしのように呼ぶ。これで六〇の組み合わせができる。年月・時刻・方位などを表す呼称として用いられる。十干十二支。かんし。 A十干十二支のうち、十干をはぶいて、十二支だけで表した年をいう。子年・丑年・寅年など。

 

※右の国語辞典の説明のうちの@の意味であることを明確にするため「六十干支(ろくじっかんし)」「十干十二支(じっかんじゅうにし)」「天干地支(てんかんちし)」と言うこともある。

 

★十干十二支のそれぞれの字

十干……甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸

十二支…子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥

※己と巳、戊と戌の違いに注意。

 

★西洋と東洋の暦の違い

 出発点となる発想は共通している。月の満ち欠けのサイクルは平均約29・5日である。年月日や時刻は、十進法と十二進法を適宜、組み合わせる。

 西洋の一週間は、満ち欠けのサイクルの約4分の1にあたる7日間。

 東洋の「一旬(上旬・中旬・下旬)」は十干による十日間。

 10と12の最小公倍数である60を、西洋では時間の分や秒のまとまりとして使うが、東洋では紀日法・紀年法の「六十干支」として使う。

 

★六十干支の順番

 

干支

1
甲子

2
乙丑

3
丙寅

4
丁卯

5
戊辰

6
己巳

7
庚午

8
辛未

9
壬申

10
癸酉

11
甲戌

12
乙亥

13
丙子

14
丁丑

15
戊寅

16
己卯

17
庚辰

18
辛巳

19
壬午

20
癸未

21
甲申

22
乙酉

23
丙戌

24
丁亥

25
戊子

26
己丑

27
庚寅

28
辛卯

29
壬辰

30
癸巳

31
甲午

32
乙未

33
丙申

34
丁酉

35
戊戌

36
己亥

37
庚子

38
辛丑

39
壬寅

40
癸卯

41
甲辰

42
乙巳

43
丙午

44
丁未

45
戊申

46
己酉

47
庚戌

48
辛亥

49
壬子

50
癸丑

51
甲寅

52
乙卯

53
丙辰

54
丁巳

55
戊午

56
己未

57
庚申

58
辛酉

59
壬戌

60
癸亥

例〇甲子園球場…1924年、甲子(きのえね)の年に造成・開発されたことから。〇壬申の乱…672年、壬申(みずのえさる、じんしん)の年に起きたことから。〇庚申塔…庚申(かのえさる、こうしん)の日には徹夜で寝ずに過ごすという庚申信仰と結びついた塔()

 

★干支と「陰陽・五行」の関係

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五行

 

十干

陽干

陰干

十二支

辰 戌

陽支

丑 未

陰支

 

 

 

 

https://astrology.neoluxuk.com/WhatIsShichu/WhatIsKanshi/の図より引用

 

★干支と迷信

 東アジア共通のものもあれば、日本だけの迷信、中国だけの迷信もある。

五行思想の「金」や「火」の干支にまつわる迷信が多い。

〇辛酉革命…60年に一度の辛酉の年には、革命や政権交代など政治的な大事件が起きる、という迷信。「辛」と「酉」はそれぞれ金の陰干と陰支で、金と陰の気が重なることから。

〇庚申信仰…60日に一度の庚申(かのえさる。こうしん)の日の夜に眠ると、人間の体の中にひそむ「三尸」(さんし)という「虫」が体内から抜け出して天にのぼり、天帝に宿主の罪悪を告げるため、その人間の寿命が縮まる。そのため、庚申の日の夜は徹夜で眠らずに過ごす、という迷信的な習俗。庚と申はそれぞれ金の陽干と陽支で、金と陽の気が重なることから。

〇丙午…丙と午はそれぞれ火の陽干と陽支であることから、火と陽の気が重なり大火災が起きやすい、という迷信。日本に限っては、江戸時代の八百屋お七にまつわる伝聞と迷信の影響で、「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫を害する」という日本固有の迷信も生まれた。

〇断頭婚…男女の相性を占ううえで、男女の生年の十二支の組み合わせが悪いと、最後まで添い遂げらない、という中国固有の迷信。

相性の理由づけとして、「五行相生」と「五行相剋」の考えを、十二支の五行配当から組み合わせるケースもあれば、根拠がまったく不明なものもある。また、地方差や時代差も大きい。ただし、十二支の相性が悪い男女でも、結婚式の日付を干支で調整したり、陰陽五行説にちなんだプレゼントや風水などを使うなど、断頭婚になることを避ける裏技もいろいろと用意されている。

 断頭婚の一例。「猪猴不到」…亥年(いどし)生まれの人と、申年(さるどし)生まれの人は、結婚しても最後まで添い遂げられず、途中で別れる、という迷信。

 五行相生…木火土金水の順番でプラスに循環する。木生火(もくしょうか。木は燃えて火を生む)、火生土(かしょうど。火から生まれた灰は土に還る)、土生金(どしょうごん。土中に鉱脈が生まれる)、金生水(ごんしょうすい。鉱脈は地下水を生む)、水生木(すいしょうもく。水は植物をはぐくむ)。最初に戻る。

 五行相剋…木土水火金の順番でマイナスに循環する。木剋土(もっこくど。木の生長は土の地味を痩せさせる)、土剋水(どこくすい。土は水をせき止める)、水剋火(すいこくか。水は火を消す)、火剋金(かこくごん。火は熱で金属を融解する)、金剋木(ごんこくもく。金属の刃物は木を切り倒す)。最初に戻る。

 

★十二支の年度の変わり目

 十二支の変わり目は3つある。

 1つ目は、グレゴリオ暦の1月1日で、日本の年賀状の十二支に限っては、この日から「新年度」になる。

 2つ目は、旧暦の元旦(中国人が言うところの「春節」)で、東アジア人の多くは今も旧暦を基準に自分の生まれた年の十二支を決めている。

 3つ目は、立春で、四柱推命など東洋の伝統的な占いの一部では、立春の日から新しい干支に切り替わるとしている。立春は年によって、旧暦の元旦の前に来ることもあれば、後に来ることもある。日本に限っては、立春を基準にして自分の十二支を決める人も多い。

 もし、あなたの誕生日の日付が、あなたが生まれた年の立春と旧正月の間だったら、あなたの十二支は、日本と、日本以外のアジアの国では異なる可能性がある。

 

★十二支と動物について

 十二支のそれぞれに動物をあてはめる「十二生肖(じゅうにせいしょう)」もしくは「十二属相(じゅうにぞくしょう)」の風習は、戦国時代の末期から断片的に存在したが、一般に普及するのは漢代以降である。十二支のそれぞれにどんな動物をあてるかは、時代や地域によって若干の違いがあるので、要注意である。

 例えば亥は、日本ではイノシシをあてるが、日本以外ではブタである。ベトナムでは、ベトナムでは丑は水牛、卯はネコ、未はヤギである。

東アジアで誕生した十二支の習俗や文化は、東南アジアやインド、中東、ヨーロッパの一部の国にも伝わったが、普及の度合いや動物の組み合わせなどは、それぞれの地域によってかなり異なる。

 

★干支の語源説について

 干は「幹」「肝」、支は「枝」「肢」と同源と推定されるが詳細は不明。

 古典的な語源説は、『漢書』律暦志上の記載

此陰陽合コ、氣鐘於子、化生萬物者也。故孳萌於子、紐牙於丑、引達於寅、冒茆於卯、振美於辰、已盛於巳、咢布於午、昧薆於未、申堅於申、留孰於酉、畢入於戌、該閡於亥。出甲於甲、奮軋於乙、明炳於丙、大盛於丁、豐楙於戊、理紀於己、斂更於庚、悉新於辛、懷任於壬、陳揆於癸。

をふまえる。

@十干のそれぞれの語源について。

(ア)植物成長段階説…甲は「甲」、乙は「軋」、丙は「炳」、丁は「壮」、戊は「茂」、己は「起」、庚は「更」、辛は「新」、壬は「姙」、癸は「揆」と同源、という説。

() 人体部位名説…それぞれの字は、頭、頸、肩、心、肋、腹、斎、股、脛、足と対応しているという説。

A 十二支のそれぞれの語源について。

 植物成長段階説…『漢書』律暦志上の説明によると、子は孳萌、丑は紐牙、寅は引達、卯は冒茆、辰は振美、巳は已盛、午は咢布、未は昧薆、申は申堅、酉は留孰、戌は畢入、亥は該閡、とする。つまり「子は種子の子、丑は紐のような芽、寅は芽が引っ張られるように伸び…」云々と解釈するが、真相は不明。

 

★干支の歴史

 干支の歴史は、紀元前14世紀ごろの甲骨文までさかのぼる。当初は紀日法として使われていたが、現代につながる干支の用法が確立したのは、ずっとくだった漢の時代からである。

〇夏王朝の時代には十干が存在した?

司馬遷の『史記』その他の古典によると、夏王朝の第十三代の君主の名は胤甲、第十四代は孔甲だったと伝えられている。十干の最古の使用例とも言われるが、夏王朝の存在自体は中国以外の学会では公認されていないため、真相は不明である。

〇確実な現存最古の使用例は殷王朝(中国では「商」王朝)の時代の甲骨文

 殷の時代には紀日法として六十干支が使われていた。

一説に「殷の時代の信仰では、太陽は十人兄弟で、それぞれの名が十干であり、一旬すなわち十日間のサイクルで毎日それぞれの太陽が出てくると信じられていた」とする解釈もあるが、真相は不明。

 殷の王名には十干が使用されていた。殷の最後の王の名前は「帝辛」で、彼を紂王(ちゅうおう)と呼ぶのは後世の諡号(しごう。おくりな)である。

〇戦国時代くらいには紀月法として十二支が使われていた。

 例…「三正」説。夏暦の正月(旧暦一月)は建寅月、殷暦の正月は建丑月、周暦の正月は建子月だったとする古典学者の説。「建寅月」は、北斗七星の「斗建」が天空の寅の方角を指す月という意味。現在の「旧暦」は夏暦である。

〇戦国時代の陰陽家・騶衍(すうえん。前305?〜前240?)が「陰陽五行思想」をまとめる。また、十二支のそれぞれに動物をあてる習慣も、戦国時代には存在したとされるが、詳細は不明。

〇漢の時代には、干支の使用範囲が大幅に拡張された。干支は、紀日法だけでなく、紀年法としても使われるようになった。また十二支は時刻方位にも使われるようになった。

 干支と陰陽五行思想の結びつきも、漢の時代から本格化した。

〇後漢の時代から、干支とか十干十二支という呼称が広まった。前漢までは「十日十二辰」とか「十母十二子」などと呼ばれた。

 『国語』楚語下に「以一純、二精、三牲、四時、五色、六律、七事、八種、九祭、十日、十二辰以致之」とある。

司馬遷の『史記』律書

に「十母十二子、鐘律調自上古」とある。

〇後漢末、黄巾の乱を起こした太平道の教祖・張角(?〜184年)は、蜂起の際にスローガンとして次のような四言古詩を広めた。古典小説『三国志演義』その他でも有名。

 

蒼天已死  蒼天 已に死す    ソウテン スデにシす

黄天當立  黄天 当に立つべし  コウテン マサにタつべし

歳在甲子  歳 甲子に在りて   トシ コウシにアりて

天下大吉  天下大吉       テンカ ダイキチ

 

 五行説によると、漢王朝は「火徳」だったので、漢の次の王朝は「土徳」(シンボルカラーは黄色)になる予定だった。また、張角が蜂起を呼び掛けた西暦184年は、六十干支紀年法によるいわば「新世紀」の最初の年、甲子の年だった。

 

〇干支は、東アジア共通の紀年月日法として使われるようになり、今日に至る。

 例えば、1968年に埼玉県行田市で出土した「稲荷山古墳出土鉄剣」の象嵌(ぞうがん)の銘文には「辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、…」(辛亥の年七月中、記す、ヲワケの臣、上祖、名はオホヒコ…)とある。辛亥年は471年が定説だが、60年説もある。

 

以上