自己紹介 リンク集 Shanlaにメール
ホームページへ戻る マジック アート、スケッチ Shanlaの日記 ブログ
私の好きな画家、イラストレーター
私の好きな建築家
Shanlaのスケッチ作品集

カルロ・スカルパ (Carlo Scarpa)

カルロ・スカルパの建築には、あたかも彫刻のような美しさがあります。代表作のひとつ、「ブリオン家墓地」を歩くと、緊密に組み立てられた彫刻庭園の趣があります。

近代建築最大の巨匠の一人であるル・コルビュジェが、カルロ・スカルパの作品を評して述べた言葉に、次のようなものがあります。
「これは、美しすぎて建築ではない。」
この言葉からも、スカルパが近代建築の流れにあって特異な位置を占めていることが理解できると思います。

彼を評して発せられた賛辞のひとつに、「建築の詩人」という言葉があります。
突然ですが、ここですこしスカルパの話を中断して、建築と言語との関係というか、類似点について述べさせていただきたいと思います。

文学とは一般に、言葉や語彙を様々に組み合わせて表現する芸術ですが、詩はその最も微妙な領域に踏み込むものだと思います。言葉の持つ意味は決して一様ではなく、同じ言語でも、個人の環境により、また歴史・風土により大きく異なります。
また、言葉の持つ属性とは単に「意味」にとどまるものではありません。音としての心地よさ、リズム、さらには文字として表記されたときの視覚的印象も重要な要素です。

私は文学については明るくないので、独断と偏見を辞さずに言いますが、おそらくは文学のなかでも、これらの要素を最もフルに活用する可能性を持つのが、詩であると思います。
文学と聞いて恐らく誰もが思い浮かべるであろう、小説や随筆などは、上に挙げた言葉の持つ属性のなかでは、「意味」以外に重点を置くことはほとんど無いと思われます。

詩の場合、言葉の持つ意味どちらかというと最小限にとどめられ、必要にして十分な言葉が慎重に選ばれます。また、言葉が従来から持つ歴史の重みから脱却して、なるべく意味を抽象化し、新しい価値を創造しようとする傾向もあります。韻を踏んだり、俳句に見られる5・7・5のリズムなど、「音」としての表現がとりわけ重要視されます。
一部の詩では、意味をそっちのけにして、音や視覚に訴えることを主眼としたものもあります。

話を建築に戻すと、建築や都市を論ずる場合にもしばしば、言語にたとえた論法が用いられます。建築を構成する様々な要素、例えば手摺、窓、柱といったものは、言葉の世界で言う「語彙」に喩えられます。そして、それら柱や窓等の配置される関係は、「文脈」に喩えられます。

このようにして、建築を使う人々の営みとは別に、建築自体に物語が込められていることがあるのです。

とくに古典建築や宗教建築にその傾向が顕著です。
例えば西洋のゴシック建築は、地上から天へ向かって完全な秩序の元に階層構造が形成され、人間世界から神へと至る世界観が表現されていると言います。
またイスラムのモスキータでは、無限に続くようにも思えるアーチの繰り返しが、人間と神との断絶を表現しているそうです。

スカルパの建築では、まず、建築を構成する語彙が徹底的に洗練されます。手摺、開口の形、その他ありとあらゆる細部が彫刻のように大切に扱われます。彫刻とは言っても、何かの物を模したいわゆる彫刻ではもちろんなく、過去の建築様式を参照するものでもありません。そこでは、歴史を超えた新しい意味が創造されます。このあたりの過程は、現代の抽象彫刻の制作と似ているかも知れません。そしてそれらの細部の互いの関係を練り上げてゆく行為は、詩における言葉の選択に喩えられる所以でしょう。
その美しい独創的なディティール(建築細部)は、現在でも尚多くの建築家によって引用されています。

完成作品はそれほど多くありません。それらはほとんどイタリアのヴェネト地方周辺に集中しています。代表作として、「カステルヴェッキオ美術館」「ブリオン家墓地」「ヴェネチア建築大学正門」同じくヴェネチアにある「オリベッティのショールーム」などがあります。

 

since may.2003: created by T.Takenaka all rights reserved.