阪神タイガース(超個人的)思い出の選手達


 自分の印象に残っている選手の思い出を少しずつ書き足していきます。
 なにしろ昔の記憶をたどりながら書いておりますので、一部年代や記録におかしな記述があるかもしれませんが、ご容赦ください。

ランディ・バース

 83年に来日するも、83,84年の記憶はほとんどありません。むしろ、同年に入団したストロータの方が「変な名前」と印象強かったように思います。
 ですが、何といっても85年の優勝の立役者。とにかく凄かったですね。先日、85年の日本シリーズのビデオを借りてきて見たんですけど、日本シリーズでも打ちまくって日本一に貢献。この人がいなかったら阪神は今まで40年近く優勝していなかったのは疑う余地もありません。甲子園でちょこんと流し打って当時まだあったラッキーゾーンに打球を落とすホームランの方が引っ張って豪快なホームランよりも印象に残っています。

田淵幸一

 現チーフ打撃コーチ。現役時代は天才ホームランアーチストとして活躍。巨人戦には滅法強く、特に当時のエース堀内投手からはよく打っていました。小学生時代の私のヒーローは間違いなくこの人でした。
 が、鈍足ゆえの(?)怠慢プレーが取りざたされるようになり、遂には漫画「タブチくん」で馬鹿にされまくっていました。
 結局、ブレイザー監督のチームに合わないと西武に放出されてしましたが、その時の涙の会見は子供の私が見ていてもつらいものでした。
 でも西武(DH)で日本一になれてよかったですね。一塁手としてダイビングキャッチをしたプレーには驚かされました。現役最後の年に、オールスターに選ばれ、広岡監督が最後にキャッチャーとして起用してくれたのには感動しました。

藤田平

 3拍子揃った好打者として活躍。ショートの守備も上手かったのですが、真弓の加入により、晩年はファーストを守り、首位打者も獲得。バースが加入したので退団したんじゃなかったでしょうか?
 ちょっと淡白な打撃が阪神ファンからの受けが良くなかった(?)原因かもしれませんね。なんとなく左右の違いこそあれ、今の今岡選手とダブったりもします。監督時代は外国人が言うことをきかなかったり(?)、新庄が辞めると言ったり大変でした。人望がなかったようですね。

池田純一(祥浩)

 チャンスに強い、意外性のあるバッターでしたが、73年あの「世紀の大エラー」で年優勝を逃したA級戦犯として有名になっていますが、本当は強肩・で守備も上手い選手でした。中日の宇野みたいな選手ですかね? そう言えば背番号も7だったし。親父と巨人戦をテレビで見ていて、満塁で登場。空振りを見て親父が「三振くさいな」と言った瞬間ホームランを打ったのを今でも鮮明に覚えています。この人もブレイザーに戦力外通告されたんじゃなかったかな?

川藤幸三

 19年間タイガース一筋の「浪花の春団治」。この19年間一度も規定打席に達していないのに彼がここまでタイガースファンに愛されたのは、83年の大量解雇の対象(確か大町投手、益山投手と結構活躍していた選手も対象。経緯は覚えていません)となり、「金はいらんから、野球をさせてくれ」と球団に懇願したエピソード故でしょう。代打ばかりで3割以上のアベレージを残したシーズンも結構あったと思いますが、チームの犠打、盗塁王になったこともありました(オールスターで見せた鈍足ぶりからは想像もできないかもしれませんが・・・)。背番号4の日本人選手というのも当時としては斬新でした。ところで通算成績は211安打、16本塁打。ってことはイチローなら1シーズンで達成できそうですね。この人のカルビーカードって存在しないんですよね。もしあったらどれくらいの価値がついてたんでしょうか?

平田勝男

 守備の人で「専守防衛隊」と呼ばれるも、優勝した85年は開幕から打率トップを走っていました(と思います)。とにかく守備はすばらしく、三遊間のゴロを横っ飛び、すかさず一塁に矢のような送球・・・というシーンはあたりまえのように繰り返されました。
 バントも非常に上手く、引退試合(2番ショートで先発出場)で子供に「お父さん、ホームラン打ってね」と送り出されたにもかかわらず、ノーアウト1,2塁の場面で登場し、ベンチの「打て」のサインで自らの判断で送りバントをきっちり決めたという美談に感動したのを覚えています。
 優勝した年は、バース、掛布、岡田、真弓等のボームランばかりが注目されがちですが、犠打もリーグ最多で、平田選手も攻守で多大に貢献したのを忘れないで欲しいです。

佐野仙好

 74年ドラフト一位にて三塁手として入団。74年はあの掛布もテスト入団し、いきなり春季キャンプで一軍抜擢されそのままレギュラーとなったため、外野手にコンバートされたように記憶しています。
 77年大洋ホエールズ戦でレフトフライを追ってフェンスに激突。気絶してタッチアップしたランナーが全員生還してしまいましたが、頭蓋骨骨折にもかかわらずボールを離さなかったという執念に感動しました。
 バッティングはとにかく勝負強く、初代「勝利打点王」にも輝きました。大洋から長崎、日本ハムから柏原が移籍してきたため、日本一になった85年以降出番が減りましたが、代打でも勝負強さを発揮してくれました。現在スカウトをされていると思います。80年代で筆者の最も好きだった選手です。


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