ニホンオオカミの分類と変異  
 
小原 巖
   (東京都大田区久が原5−5−21)


《狼−伝承と科学 2004年6月》

 ニホンオオカミの分類的位置づけやタイプ標本を巡る問題については、これまで盛んに議論がなされ、多くの見解が報告されている(田隅本生 1991等)。ここでは従来繰り返し論じられているものと重複するところもあるが、ニホンオオカミ理解のための概要を述べ、新たな問題点を探ってみる。


ニホンオオカミ分類研究の歴史
ニホンオオカミはライデン自然史博物館所蔵のシーボルトの収集品の1つの本剥製、2つの頭骨、及び1つのの頭骨付き全身骨格に基づきTemminckが命名したものである。ライデンの博物館の標本については、何人もの人が調べ、多くの著述があるが、未だ問題点が残る。ここではその概略をたどってみる。
  1)1839年Temminckによって初めてCanis hodophilaxの学名が日本産オオカミに対して与えられた。僅か8行の簡単な記述であった。ライデン自然史博物館にはヤマイヌとされるシーボルトのコレクションとしては、本剥製a、全身骨格a、頭骨b、頭骨c、があり、これらすべてを基準として種の命名がなされた。
  2)TemminckによるFauna japonicaの記載。タイプ標本の指定はされていないが、シーボルトコレクションの剥製によると思われる図版(第9図版)と詳細な記載がある。
「・・・日本のヤマイヌは欧州の狼に比して単に小さきのみならず、それのよりも大きさが脛に就きてあまり優らず、脛の比較測定は其の差を立証するに十分なり。甚だ老ひたる欧州の狼の骨格と日本のヤマイヌの成体の前後両肢のとが示す骨学的比較次の如し。・・・・ヤマイヌの毛皮は短く滑らかなれ共尾には甚だ長き毛有り。毛皮の性状も色も共に欧州の狼と異なる・・・」(岸田:1924、哺乳動物図解 p236)。ニホンオオカミは肢が短く、尾の先端は総状をなす。との解釈はここに由来する。
   3)jentink(1892)僅か3行の短文だが、Fauna japonicaの図版9に描かれた雄(実は雌)成獣本剥製aと骨格カタログの頭骨cを種のタイプと記した。ここで初めて本剥製a及び頭骨cが同一個体と見なされ、タイプ標本に指定されたと解釈できる。この剥製と頭骨が極めて小型で、後から発見されるニホンオオカミの資料がこれとは差が大きいように見える事から様々な疑問を生じることとなる。
   4)今泉(1970)は、jentinkの見解に従い、本剥製(a)及び頭骨(c)をタイプ標本と認識し、ライデン史博物館にhodophilaxとして登録されている標本を3個体分として整理した。さらに、これまで指摘されたことのない顕著な数個の形質に着目し、hodophilaxを独立の種とした。今泉(1970)によるとライデン自然史博物館の標本は次のように整理された。
 L1 頭骨(a)と体骨的(a)♂、日本、Burger採集(実はfamiriaris)。
 L2 頭骨(b) 性不明ad、 日本、Siebold採集。
 L3 頭骨(c)と本剥製(a)、♂old、日本Burger採集。(タイプ標本)。
図1 ニホンオオカミのタイプ標本(剥製)のラベル

ライデン自然史博物館標本の謎
筆者は1999年11月、ライデンにてシーボルトゆかりのニホンオオカミ関係の標本を調査する機会を得た。その結果幾つかの知見を得ることができたと同時に新たな疑問も生じた。
*剥製a及び頭骨c(タイプ)について: 剥製のラベルには明らかに雄と記されており(図1)、jentink(1892)以来雄とされてきた。しかし近年これは誤りで、雌であることが指摘された(宮本1991、相見1999、小原2002)。また剥製の産地について、山根(1997)は「(シーボルトは)雌のヤマイヌを大阪で買っている。もっとも檻の中で数年飼ったが人に馴れることなく性質は凶暴だったという。飼育場所は出島だった。とのシーボルトの手書きの文書がある」と記している。このことについてはライデン自然史博物館のキュレーターDr.Smeenkからも同様な私信を受けている。剥製が雄とされていたため、この記事に符号せず、産地を大阪とするのに矛盾していたが、雌であれば正にシーボルトの手記とも一致し、大阪する根拠を裏付ける。この標本が雄とされていたにもかかわらず極端に小型であることは疑問点であったが、雌であればその疑問もある程度解消される。
この剥製は夏毛であるが、現存する3点のhodophilaxの冬毛標本(大英自然史博物館、国立科学博物館、和歌山大学の各標本)とは、その差があまりにも大きい。ラベルの記載に誤りが見つかり、この剥製の基本的な出所を疑問視する声すらある。頭骨cがこの剥製と同一個体とする見解は、種々の状況からほぼ正しいと思われるが、DNA解析等により剥製と頭骨の組み合わせの確認ができれば、hodophilaxの夏毛標本として確信でき、lupusとの違いがより明らかになる。
  *頭骨c(タイプ)は、これまでhodophilaxとされている標本の中では極端に小さい(頭骨全長186,3mm、基底全長178,6mm頬弓部幅110,0mm)。しかし頑丈で、前頭部のプロフィールの中凹の程度と前頭甲の膨らみは弱く扁平で頬骨弓の張り出しが大きく、裂肉歯は相対的に大きい。下顎骨を付けて水平面上に置くと、下顎角部が接地せずに安定する等の点から、famiriarisとは到底考えられない。骨口蓋後縁中央部には湾入がある等ニホンオオカミの特徴を示す。犬歯の摩耗が著しく不自然である点については、シーボルトの記録のとおり、長く飼育されていたのが原因とも考えられる。
  *頭骨b: 現在日本各地に散在するニホンオオカミのなかでも典型的なhodophilaxに一致するものであった。 頭骨全長 223、1mm  基底全長 209,4mm。
*頭骨付き体骨格a: 頭骨c及び頭骨bと比べ顔面部のプロフィールが著しく中凹であり、 裂肉歯が小さく、骨口蓋後縁中央部に湾入がなく後方に突出する等の特徴により、
今泉(1970)の指摘の通り、hodophilaxではなくfamiriarisに属すると思われる。しかしその大きさは頭骨基底全長が196,2mmで、典型的なhodophilaxに匹敵する。現在の日本在来犬と比較した場合、秋田犬雄の頭骨基底全長のM±2SDの範囲192,7〜220,7mm(n=5)に含まれ、中型日本犬の四国犬雄の178,3〜189,3mm(n=9)の範囲より大きい(小原2002)。
顔面プロフィールの中凹は、famiriarisとしては窪みは少ない。このような大きさの野生の犬とhodophilaxとが混同されてヤマイヌと呼ばれていたのであろう。
  TemminckはFauna japonicaにおいて、hodophilaxの特徴として、肢が短いことを強調している。その測定値は橈骨175mmと脛骨202mm(平岩1981)としているが、それはこの標本によるものと思われる。この標本はfamiriarisと同定されるが、現在hodophilaxとして知られている標本の値(表1)に極めて近い。この標本は頭骨と同じく四肢の骨もニホンオオカミと見まごう大きさであった。
産地 橈骨 脛骨
Leiden
(Famiriaris)
日本 175 202 Temminck(1844)
平岩(1981)
NSMT-M100 福島 176.1 193.6 北村他(1999)
熊本博物館 熊本 176.4 199.9 同上
NSMT-P9792 熊本 165.5 長谷川他(2004)
表1 ライデン自然史博物館標本とhodophilax標本の骨格計測値の比較

ニホンオオカミの頭骨の大きさの変異
 各地に散在するニホンオオカミの頭骨の大きさ
  ライデンの頭骨cが例外的に小型であるとされるが、ニホンオオカミの中ではどの程度の変異があるか、表2及び図2に示す。ライデンc(タイプ)が特に小型であることは明らかだが、近年発見された高知県仁淀産及び福岡県平尾台の洞窟内から発見された頭骨が特に大きく(表2)、変異幅が大きい事にも注目される。ニホンオオカミとされる動物の中に、複雑な変異の要因が含まれているのかもしれない。
丹沢周辺地域のニホンオオカミの変異
  オオカミやイヌではその大きさに顕著な雌雄差があることは経験的に認識されている。
例えば、近縁な小個体群からなる中型日本犬(四国犬)のサンプルで見るとその差が顕著であることが分かる(図3)。ニホンオオカミの場合も雄が雌より大型である事は想像できるが、殆どの標本は性別が不明である。丹沢を中心とする地域にはかなりの数のニホンオオカミの頭骨があり、まとまった集団となっている。一定地域内の固定群とみれば、その大きさは雌雄の違いを大きく反映すると見て良いだろう。大きさの重複を考慮し大小2群に分けると、CBL203mm、GL218mmより大のグループと、CBLが196mm、GLが208mmより小のグループに分けて推定の根拠とし、前者が雄、後者が雌と推定できるかもしれない(図4)。

ニホンオオカミは独立種か
  Temminckは、ニホンオオカミをCanis lupusとは区別し、独立種Canis hodophilaxとした。しかしTemminckの時代には亜種の概念は少なく、別の地域から記載されるものには競って新しい種名が与えられた。種としての扱いはThomas(1905)の奈良県鷲家口産オスの発表まで続く。しかしhodophilaxはlupusに属すとの考えはNehrink(1885)、jentink(1892)、Mivart(1890)のような早い時代からあり、Pocock(1935)の論文以後ほぼ定説となっていた。
 一方、古生物学的には、更新世にlupusと同定される大型のオオカミが本州各地から産出している(長谷川1998)。小型のhodophilaxと同定されるものは縄文時代以降のものと考えられ、この間をつなぐ化石が発見されていない。これらについては、多くの議論がある(長岡2002等)が、そこで大型の大陸のオオカミが島嶼化により急激に小型化したとの説が生じる(宮尾他1984、中村1998等)。長谷川(1998)も古生物学的に見てこの説は捨てられないとしている。
  しかし今泉(1970)は、多くの特徴の違いから、または頭骨測定値のクラインの違いから、hodophilaxはlupusとは異なった独立種であるとした。さらに今泉(1971)は、hodophilaxこそシモキオン亞科がイヌ亞科のイヌ属から分かれる、その分岐点に最も近い位置にある古い種ではなかろうか、と考えた。
筆者もニホンオオカミを独立種とする説に従う。本州、四国、九州の広い範囲にわたり、共通する特徴をもち、C,lupusとは容易に識別できることから、lupusの島嶼化とするより、より早い時代から分化していた古い種が存在したと考える方が自然ではなかろうか。

引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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                 CANIS No6
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