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MESSAGE

11月11日

至上の愛

コロサイ3:14
武安 宏樹 牧師

「愛」(原語アガペ)は神の愛を表し、全ての徳目を団子の如く串刺しにして、不可欠な帯(=絆)となります。この愛についてⅠコリント13章は教会の一致、Ⅰヨハネ4章は偽者と区別、本書は「新しい人」(10節)の特徴とされています。この語は垂直的な神の愛だけでなく、聖徒相互間の交わりにも用いられます。双方は十戒の前&後半の関係同様、神の愛を知ること無ければ隣人を愛せず、貪欲な罪人は神の愛を受けることにより、初めて隣人愛を全うできるのです。「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」(12節)は私たちが7割(?)努力する一方、それが出来ない駄目な自分に出会い、残りは神の愛により全うされるのです。カルヴァン曰く「これらすべての『上に』」でなく、『前に』が妥当とします。人様に施しなど行う前に、頭を垂れて主イエスの愛を求めよということです。

この愛の本質についてパウロは「愛は寛容であり、愛は親切~」(Ⅰコリ13:)と雄弁に語りますが、これを「私の愛」と置き換えると達成不可能が明らかです。この愛は父なる神と御子イエスと聖霊のみ有す、一線引かれた特別な愛です。その証拠に「主イエス」と置き換えると、十二弟子という奇人変人集団に対し、かくも忍耐&寛容&謙遜&期待を発揮されたことに、改めて驚かされます。「愛は決して絶えることがありません」私たちに対しても全く変わりません。隣人に何か行う以前に、神が私たちに慈愛&謙遜&柔和&寛容を注がれます。その愛を受けて聖霊が泉の如く、神の愛を体全体に供給する動力となります。聖霊はいやし&解放&霊的バランスを与えます。隣人愛はそれからなのです。何か行う以前に、神の愛が私にされたことをそのまま隣人へ模倣するのです。

ペテロは傷心状態で復活の主に「わたしを神の愛で愛するか?」と問われ、畏れ多さから「あなたを兄弟愛で愛します。」返答が彼の精一杯の誠実でした。されど3度目に主は「わたしを兄弟愛で愛するか?」と、歩み寄ってくださり、兄弟愛をも包含する神の愛を証ししました。後に信仰の梯子(Ⅱペテ1:5-7)で、彼は7段目の兄弟愛まで上り詰めても、最上段の神の愛はベテルの夢の如く、天から地上へ降りてくるものであり、聖霊降臨で初めて全き愛を悟りました。ヨハネは神の愛⇒隣人愛の流れがさらに明確です。愛で古い肉は殺されます。信仰も希望も神への一方通行ですが、愛は受けて与えて還元する循環です。