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メッセージ

MESSAGE

10月14日

上を向いて歩こう

コロサイ3:1-4
武安 宏樹 牧師

① 上にあるものを求めつつ念う(1~2節)
パウロはキリスト者に世捨て人になるようにとは、全く命じてはいません。信者と未信者の相違は事実ですが、自分から一線を引いては評価されません。私たちは罪の赦しと救いの確信が、社会の中で証しをする原動力になります。以上欠けていた筆者は社会生活の苦しみから、自らの欠乏と天の祝福を認め、祈り求める中で、大事なのは何かする前に主と共にあることだと知りました。「求める」=「よく知ろうとして一生懸命求める」=現在時制「求め続ける」意。私たちは復活のいのちを得ましたが、得尽していないので、追求し続けます。「思う」は、「心に留める」(共同訳)、「心を定める」(英NIV)、「念う」(文語訳)。動的に御霊を求め、静的に御言葉に沈潜する。この両面で天に近づきます。カルヴァンは「昇天は復活に続くように、信者は天に昇らなければならない」と語ります。地から遠い天へ叫ぶのでなく、間もなく携挙される至福を覚え、あたかも天の御座の前にひれ伏すようにして、親しく心開いて交わることで、形だけの信仰生活や世の桎梏から解放され、本当の意味で証しが成されます。

② 再臨で私たちの全てが明らかに(3~4節)
1~2節で天を見上げ親しく交わる大切さ、3~4節は理由が語られます。十字架上で主と共に私たちの古い命が「死んで」、儀式や行為で愛顧を求める卑しい思いと、世の評価や金銭や人間関係など諸々の心配事から解放されて、もちろん無関係とはいきませんが、以上に囚われる必要が無くなりました。寡婦は金も身寄りも保障もなく、この恵みを熟知していました(マコ12:41-44)。他にも主イエスが評価したのは、徴税人や娼婦や身&心障害者など社会的に疎外された人々で、彼らはそれだけ魂の救い&永遠のいのちを求めました。「隠されて」は過去~現在までの意で、私たちは主と共に葬られてからずっと、自分の生命は天の倉庫に在し、代わりにキリストの御霊に生かされています。日常のトラブルさえ主を見上げ祈る契機です。地上で行う業の理由と全貌は、時が来れば分かることもそうでないこともあります。主のみ全知全能の方で、再臨の暁に労苦も賜物も全て知ります。「涙がこぼれないように」ではなく、「涙をぬぐい取られ」悲しみも苦しみもない御国で潤されるのです(黙21:)。