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8月20日

イエスのまなざし

ルカ22:31-34/54-62
井上 慎治 師

十字架にかかる前夜、イエスはペテロがふるいにかけられることを予告し、彼の信仰が無くならないよう取り成したと告げた。ペテロは「死にまで従う」と忠誠を誓ったが、イエスは「きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います」と予告したのであった。
その後イエスは、ゲッセマネで群衆に取り囲まれ、逮捕され、大祭司の家に連行された。ペテロも紛れ込み、中庭で焚き火を囲み、でっち上げの証言により陥れられようとしているイエスの後ろ姿を見つめていた。その場所で、ペテロは三度イエスとの関係を指摘された。恐怖に心を支配されたペテロは、 イエスを三度知らないと言って、イエスとの関係のいっさいを否定した。今や「死にまで従う」と言ったペテロの姿はない。
ペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴き、その瞬間ペテロの三度の否定のすべてを聞いていたイエスが振り返った。イエスの目と目が合ったペテロは、イエスのことばのすべてを思い出し、外に飛び出して、激しく泣いた。

ペテロの号泣は、決して、先ほどまでの自分自身を哀れむ自己憐憫の涙ではない。イエスの正しさに対する自分の不甲斐なさに対しての涙であった。しかしイエスは、「信仰がなくならないように」と、ペテロの失敗を見越して、ペテロのために祈っていた。イエスの祈りが無かったら、ペテロは、自分が誓った忠誠の言葉と、それを守れず三度もイエスを否定した事実をうやむやにし、言い訳して自分を正当化し、信仰は無くなっていただろう。イエスの祈りがあったからこそ、ペテロは涙することができた。

人は、ペテロのような失敗を必ず犯す存在である。しかしその私のために、イエスは取り成して祈ってくださっている。私たちは、それらしい理由をつけて、イエスの名を否定してしまうことがなかっただろうか。神の栄光は、ペテロが「私は何者でもなかった」と気付かされた時にこそ現われた。私たちの人間的な熱心さ、情熱、努力が全く挫かれ、本性が露わになった時にこそ、神の栄光は現わされる。私を救うために苦しみ、十字架でいのちを捨てた、イエス・キリストのまなざしを忘れてはいけない。