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MESSAGE

8月12日

主に望みをおく人は

イザヤ40:27‐31
杉山 義也 師

本書は1~39章の前半では、罪に対するさばきのメッセージがメインです。イザヤはユダ・イスラエル・周囲の偶像礼拝をしている国々に対しさばきのメッセージを伝えます。しかし民たちはイザヤの度重なる警告を無視します。

1章はまさしくさばきの言葉から始まります。
「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らは私に逆らった。牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼い葉おけを知っている。それなのにイスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」
「ああ。罪を犯す国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。」(1:2-4)

私は、むかし旧約聖書を読むたびに、一つの疑問が浮かびました。
「なぜ、イスラエルの民は何度も何度も同じような過ちを犯し続けるのか?」
「これでは、神様だって愛想をつかしても、しょうがないのではないか?」

歴史を通して、また、体験を通して、神様の救いを実感している彼ら。
律法を暗記し、実際に身に着けている彼ら。
そしてそれを守るならば、神様から「宝の民とする」約束を受けている民。

なのに、なぜ背くのか。だから、言わんこっちゃない。
神様からのさばきの言葉が預言者イザヤから発せられるわけです。

でも、そのような疑問は、歳を重ねるごとに消えていきました。なぜか?

それは被造物であり限界のある「人間」というどうしようもない生き物を、自らの体験を通して知っていったからです。
「人」は如何に罪深く、自己中心的な生き物であるのかということが、わかってきたからです。