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2月3日

三人の友

ヨブ記2:1-13
武安 宏樹 牧師

3~37章の長きに亘り、三人の友(エリファズ&ビルダテ&ツォファル)と、後にエリフとヨブの対論が続いて、本書の8割を割いて冗長とも思えますが、単に2章までと38章以降だけで、神と人との関係に有効召命や堅忍の教理を、結論づけでは足りず、まことに人生は山あり谷あり起伏に富んだものであり、時に極限状態で苦しみ呻き泣き叫ぶ異常さから、神との出会いを経験しつつ、いわば本書全体でカウンセリングを受けるように読むと、何か見えてきます。

本章はサタンが神に食い下がり、体を打たれたら白旗挙げるに相違ないと、譲歩を引き出します。「いのち以外」とは、人の生死の不可侵性を意味します。つまり神が譲歩されたのは、ヨブが離れないとの絶対的な自信の現われです。だから敢えて彼を頭から爪先まで腫物で覆って、廃人同然の苦しみに置いた。ここでサタンは姿を消し、代わりに妻が「神を呪って死になさい。」(9節)と、旧約史上最高の聖家族を共に建て上げた伴侶さえ、苦悶の末に言い放ちます。ヨブを打っても見出されなかった御利益信仰が、妻から暴露されてしまった。伴走車から声援を送り続けた伴侶が、突如としてもう駄目だリタイアせよと、脱落する衝撃は如何ばかりか。それでも彼は妻を断罪せずにたしなめながら、「わざわいをも受けるべき」(10節)と「主は与え、主は取られる」以上の告白を、この期に及んで成します。妻の信仰が劣るのではなく、助け手の限界でした。

次に妻に代わり舞台袖から、三友人が道中語りながら中央に歩を進めます。ヨブが大変な目に遭っていると下調べし、祈り、神学的齟齬無いよう調整し、会いに行こうと足を運ぶ。その行動と対論から彼らは断じて愚か者ではなく、塵芥(ゴミ)置場で悪臭に耐えて座り込み黙して涙し、痛みを共有した誠実な友です。彼らの兄弟愛はヨブの求めていた神の愛には、結果的に届きませんでしたが、いずれにしても三友人が愛と知恵を尽して集結したことは、尊敬に価します。以降の対論の盛況から、この7日間はヨブの心を開く上で重要な期間でした。私たちはどうか。痛みに寄り添う友人はいたか、逆に寄り添えたでしょうか。ヨブの妻も友人たちも、人として極限まで寄り添おうとした最高の友でした。主イエスも弟子たちを友と呼ぶも、彼らは大事な時に見棄てた失格者でした。そんな彼らさえ友と呼ぶ主の愛を、私たちも友との関わりから求めましょう。