「上野佐野船橋の古図」葛飾北斎筆

日本の舟橋

 橋には、いろいろな種類がありますが、舟橋について、
所有する絵葉書や資料から紹介します。

画像は、順次アップします。

 舟橋についての情報を お待ちしています。

 1東日本 2西日本  3工兵隊など  4海 外  5資 料

北海道深川町
8艘、脚ナシ、手摺りナシ
岩手県一ノ関市狐禅寺付近

千歳橋

北上川

明治37年竣工、昭和22年流失
片頭船13艘、脚アリ、手摺りアリ

参考:
 復刻眞瀧村史
 一ノ関市博物館に模型があります。

 この項は、一部「一ノ関市博物館」の文章を参考にさせて頂きました。

宮城県東和町(当時)

来神橋

北上川

明治38年竣工。

両頭船14艘以上、脚アリ、手摺りアリ

福島県福島市

松齢橋

阿武隈川

明治16年竣工。延長120m。大正14年6月永久橋に

15艘、脚アリ、手摺りアリ

参考:
 この項は、一部「福島県道路整備課」の文章を参考にさせて頂きました。

栃木県烏山町大沢(当時)

境 橋

那珂川

明治30年竣工、大正9年木橋化

10艘。1艘は、長さ6間(約11m)、幅7尺(約2m)、橋脚アリ、手摺りナシ

 「明治42年11月陸軍大演習出張」と絵葉書に記載アリ 参考:
 この項は、一部「栃木県の土木遺産」の文章を参考にさせて頂きました。

栃木県烏山町

大沢の舟橋

那珂川

栃木県足利市

中 橋

渡良瀬川

6艘、橋脚ナシ、両端各2艘に摺動支柱アリ、手摺りナシ

 開通は大正の始め頃。東武鉄道を利用する人の便宜を図るため、東武鉄道が私費を投じて架設したという。
左の画像をクリックすると開通式の画像が現れます。

参考:
 画像、文章とも「写真集明治大正昭和 足利」(国書刊行会)からお借りしました。

栃木県足利市

中 橋

渡良瀬川


模範会社足利撚糸会社の背後、渡良瀬川に掛かる中橋がかすかに見えます。
栃木県足利郡(当時)

北猿田橋

渡良瀬川

片頭船5艘、橋脚ナシ、手摺りナシ、摺動支柱アリ

 大正10年発行の絵葉書より。

群馬県前橋市

利根川

5艘、橋脚ナシ、手摺りナシ

 演習のために架設されたものか判然としない

群馬県前橋市

曲輪橋

利根川

橋脚ナシ

 「県庁南にあった曲輪橋。利根川を横断する橋として、利根橋架設(明治18年)以前には、このように船を川面に並べ、その上に板を渡しただけの、通称「舟橋」が使われていた。川の増水で流されても簡単に設置できる利点はあったが、馬車も渡れない船橋では、大量の物資輸送は望めなかった。」

参考:
 写真、文章とも 創立百周年記念誌『夢 出会い 前橋 写真集編』前橋商工会議所からお借りしました。

群馬県尾島町

利根川

13艘、橋脚ナシ、手摺りナシ

 「利根川の舟橋。舟を横一列に並べ、その上に板を渡した仮橋。通常の仮橋では出水の時流されるおそれがあるが、舟橋は撤去も容易で、万一の場合はその舟を利用できる利点があった。」

参考:
 画像、文章とも『目で見る 群馬県の大正時代』(国書刊行会)からお借りしました。

群馬県館林市

下早川田橋(さがわだ)

渡良瀬川

橋脚アリ(摺動支柱)、手摺りナシ

 画像は、大正4年頃の写真

 「岸に近い橋脚は川底に打ち込んであるが、川の中央部分橋脚3つは、船に固定。高瀬舟などの通過の際に、右端の船に固定した橋脚内側の橋板のクサビを抜くと、中央橋脚(写真)は橋板とともに下流に流れ、上下する船が自由に航行できる。船が通過すると、元通りにし渡橋できた。」

参考:
 画像、文章とも『写真集明治大正昭和 館林』(国書刊行会)からお借りしました。

埼玉県川俣

三国橋

渡良瀬川

舟橋の頃は、渡良瀬川と思川の合流地点付近に架けられていた。
 下総国、下野国、武蔵国を跨ぐことから、三国橋と命名された。

参考:
 画像は「絵葉書に見る 日本の橋(柘植書房)」からお借りしました。

埼玉県川俣

利根川

38艘、橋脚ナシ、手摺りアリ

明治23年1月架橋

静岡県修善寺町

狩野川

15艘以上、橋脚ナシ、手摺りナシ

静岡県大仁町

狩野川

4艘、橋脚ナシ、手摺りナシ

 昭和20年以降の絵葉書より。

長野県下高井郡渋温泉

立ケ花舟橋

25艘以上、橋脚アリ、手摺りナシ
長野県佐久市塩名田地区

塩名田橋(中津橋)

千曲川

 
片頭船5艘、両端のみ短橋脚アリ、手摺りナシ

 明治6年に舟橋会社により、9艘による舟橋を設置したとの記録もある。

昭和9年に永久橋となる。

参考:
 この項は、一部「千曲川河川事務所」の資料を参考にさせて頂きました。

長野県飯山市

下舟橋

千曲川

両端のみ積み上げ式の低い橋脚アリ、手摺りナシ