"Kumdo" の嘘

F.A.Q.編
1. 彼らはどんな団体を設立しているの?(2005/09/24)
韓国国内で約200団体以上ありますが,、団体間の交流はあまり活発ではなく、閉鎖的です。
そして大韓剣道会側では他の剣道団体を偽者と呼びます(大韓剣道会だけ大韓体育会に加盟しているので)。 これらは主に、彼らが主張する起源と設立の過程で分類した方が良いでしょう。
グループの種別 新羅、百済コムド系 海東コムド系
いわゆる
「Kumdoの歴史」

(どんなことを
言っているの?)
百済または新羅の花郎より発祥 高句麗の士武郎より発祥
コスチューム 白線付き袴
作務衣みたいな服
組織の例 大韓剣道会、US花郎館
hdgd.org

上記以外に大きな組織として「テコンドーグループ」があります。
それにしても、韓国内の裁判で歴史の捏造が明らかになった海東剣道グループは、なんで活動を続けていられるのでしょうか?

(註: 「さよならコムド」氏が上記の元となる記事を、ある時点での情報から作成しました。
「コムド(コピー剣道)」組織は現在あるいは未来に自分たちの主張を変えるかも知れません。というのは 彼らの主張はもともと根拠のあるものではないからです。 もとの記事について詳しくは「さよならコムド」氏のページをご覧ください。 )
2. 彼らは他にどんなことを言っているの?
いわゆる「Kumdoの歴史」を本物だと主張する人々にありがちな主張を取り上げます。
1 The claim of "Kumdo" 新羅の花郎(ファラン)は戦士であり、日本の侍の元祖である。
1 Fact 証拠も根拠もありません。たしかに花郎(ファラン)と呼ばれる人々はいました。しかし戦士ではありませんでした。当然日本の侍の元祖でもありません。
花郎は参加者が宗教的な背景のもと、集まって歌ったり踊ったりするソーシャルクラブと同じような10代の教育機関のメンバーです。

花郎についての主な出典は「三國史記」と 「三国遺事」(13世紀)です。「三國史記」はKoreaでは最古の歴史書で、高麗の儒者、金富軾が1146年に編纂しました。
ここには花郎が戦士の集団として軍事訓練を行った記録はありません。花郎が軍事的な事柄との関連は「花郎世紀」の中にあり、これは「三國史記」に引用されて います。「これからは有能な大臣や王の家来が選ばれ、よき将軍や勇猛な兵士が出てきた。」皮肉にも、この記述は彼らが花郎だった間は、将軍でも兵士でもな かったことを証明しています。

詳しくはここで見られます(posted 04-12-03 11:20 or later)。これはあるゲームサイトのキャッシュです。
2 The claim of "Kumdo" 剣を操る技術は百済から日本に来ました。
2 Fact 日本と百済との間には盛んな交流がありました。百済の王子は人質として日本にいたのです。百済滅亡後は、百済の王は日本に亡命し、天皇により地方の領主に任命されています(7世紀)。

百済からの鉄の剣は伝来していますが、日本刀としての特徴もありません(使う技術は別)。それ以前に、武器として実用的なものではなく、祭礼用として使用されたと考えられています。



百済からの「剣」というのはこんな形をしています。
武器として使用するにはどんな技術が必要だったの
でしょうね??
日本刀の技術と同じとは思えませんが..


百済と日本との間には多くの交流の記録がありますが、剣の技術が日本に来たという記録はありません。
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