
| die pratze dance festival ダンスがみたい!8<新人シリーズ4> 新人賞・オーディエンス賞と講評 |
| ―――――――――――――――――――――――――――――― 日 時:2006年1月10日〜2月1日 場 所:東京・神楽坂ディプラッツ 主 催:ディプラッツ 年1回の新人コンペで、多くのコンテンポラリーダンス、舞踏などの作品から、ビデオ審査によって32本が上演・審査された。出演者のうち「新人賞」と「オーディエンス賞」の受賞者は、夏に神楽坂と麻布のディプラッツで開催されるダンスフェスティバル「ダンスがみたい!8」に出演できる。 新人賞選考委員:志賀信夫、西田留美可、原田広美、村岡秀弥、柳澤望、吉田悠樹彦 オーディエンス賞:シリーズの通し券を持つ観客の投票 http://www.geocities.jp/azabubu/ ―――――――――――――――――――――――――――――― 1/10(火) Aグループ 高見知英美「Mrs.マリコ(another)」 若尾伊佐子 「アプラクサスII」 大西小夜子「PILOT BOAT」 1/11(水) Bグループ 中村公美 「あなたの欲しいものは何ですか」 りな・りっち 「ねじと小屋」 ねねむ 「最中(もなか)」 1/12(木) Cグループ 富沢房江「飛ぶ方法#4」 幸内未帆「ふわふわ Ladybug」 0九(ゼロキュウ)「モザイク」 1/14(土) Dグループ 和〜yori〜「Gの街」 KeM-kemunimaku- Project 「この冷えきった指先に、あなたの肌は熱すぎた」 KAPPA-TE「Neighbouring2」 1/15(日) Eグループ 酒井幸菜「セミの声がきこえる。そして、夏の匂いと。」 お宝。「真昼に見た夢」 根岸由季「graze」 1/16(月) Fグループ 妄人文明(ワンニンブンメイ)「妄人迷子(ワンニンマイゴ)」 gera?「例えば林檎を剥くナイフ捌きが上手い」 1/27(金) Gグループ 箱入りオブラート「ブックエンド」 荒木志水「ロゼット」 安次嶺菜緒「太陽皇子27」 1/28(土) Hグループ 林祐司「アル身」 滝本あきと「からだのからだ」 深見章代「compれっくす」 1/29(日) Iグループ ノシロナオコ「trans-4th-mission」 東京フラヌール「みつのめり」 roco・motion project「Lastsnow(ラスト・スノウ)」 1/31(火) Jグループ 10の80乗個の粒子の揺らぎ「選択」 maguna-tech「肉と野菜」 古舘奈津子「ちび」 2/1(水) Kグループ 滝田高之(スピロ平太)「蘇る陰嚢」 ジュ−ルモンデンキント「Peacock-Ray」 ピンク「子羊たちの遊覧船」 ―――――――――――――――――――――――――――――― ◆批評家賞の選考・経緯は下記柳沢の文章をご覧ください。 ★新人賞 大西小夜子「PILOT BOAT」 ![]() KeM-kemunimaku- Project (酒井幸菜、アダチミサト、アベミナミ) 「この冷えきった 指先に、あなたの肌は熱すぎた。」 ![]() ★オーディエンス賞 根岸由季「graze」 ![]() ―――――――――――――――――――――――――――――― ◆講評 ―――――――――――――――――――――――――――――― 柳沢望 ―――――――――――――――――――――――――――――― 今回の新人シリーズについては、私は公演の半分も見られなかった(それによって選考の公平性が失われないような配慮は最低限なされている)。私が見た中では、滝本あきとさんと根岸由季さんがとても印象に残った。他の作品も全体にレベルが高かったというのが選考に携わった委員の一致した見解だ。個人的に気になった舞台を選んで、すこし書いておきたい。 滝本さんのダンスは、身体の自然な動きとは全く別の次元で動きの空間が成立しているように思う。明確な動きの体系が創造されている。たとえば、顔のまわりで形をつくる身振りの繰り返しや、ポーズからポーズへの移行が、たおやかさをたたえていて、丹念な運動と、ありそうでなさそうなしかし輪郭のしっかりとしたフォルムの間に、にぶい厚みの感覚とでも言えるような質感をかもし出している。こうして書きながらダンスの感触がさそうようによみがえってくる。ぜひ、もう一度見てみたい。 滝本あきと根岸由季さんは、実はビデオ審査の段階では、落選しかけていた。私は、審査員の中で、復活当選するように強く働きかけた中の一人だ。根岸さんの表現は、ある部分は一見すると、いままでいくらでもあったような、乱暴に叫んでみたりうめき声をあげてみたりして、雑に情念をぶつけるもののように見えたりもするし、ある部分は、いまどきのコンポラにありがちな、軽薄と評されたりもするような、遊戯性とかパロディーとかに過ぎないようにも見える。そんなわけで、急いでビデオで見たりしたらとりわけ、凡庸と思われる可能性もあるわけだ。 でも、根岸さんの創作には、うまく言えないがその密度というか、粘りというか、なにか独特なものがあるように思う。言い尽くせない何かを濃密に抱えているからこそありえる表現であるようにも見えるし、周到な計算が一貫して働いているようにも見えるし、その両面がなにか緊密に相互作用しながら、鼻先にあって見えそうで見えない領域のような、触れられそうで触れられない感覚を開いて見せてくれるように思う。 抽象的な表現を重ねてしまって申し訳ないが、提示されるそれぞれの身振りや要素にどこまでも密着しながら、決定的な隔たりを同時に意識してもいるような作品構成の手つきと、表現者としての舞台へと体当たりで自分をさらすかのような立ち方が、ソロ作家としての絶妙なポイントを切り開いているように思う。オーディエンス賞の投票では私も一票投じたのだが、賞が決まって本当に良かった。 さて、「新人賞」に関しては、私は KeM-kemunimaku-Projectを押した。選考の最終段階まで大西小夜子さんと、KeMとのどちらに「新人賞」を与えるかで白熱の議論が行われたのだが、最終的には両者が受賞という結論となった。大西さんの、成熟した舞台と鍛えられた身体性と、KeMが持っている可能性、双方は同じ基準で判断できるものではなく、両者に賞を与えるべきだという判断となった。 KeMの今回の上演は、舞台奥から客席に向かって平行して引かれた三本の線の上をパフォーマーが歩いたり早足になったりしながら行ったり来たりすることを延々繰り返して見せるというようなもので、一見するとミニマルなコンセプトや手法は既に過去に上演された様々な舞台の模倣に過ぎないようにも思えるものだった。しかし、複数の選考委員が、一見ありきたりでもはや古臭いとも見える構成の作品が上演されたときにたたえていた質感に、何か今までに見たことの無い感触を覚えたと述べたのだった。 それを、何と言って良いのかわからない。線の上だけを移動する、その繰り返される動きの中から、パフォーマー相互の気配の探りあいがなされているようで、ぶれたりかさなったりする動きのディテールがどこかで新鮮な動きの場を開いていたように思えた。受賞作の公演にも期待したい。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 吉田悠樹彦 ―――――――――――――――――――――――――――――― 高見知恵美 ![]() ヘッドホンとラジカセに日常的な服装の女があらわれる。子供の誕生の声が会場に流れる中で、ヒップホップを踊る。子供の泣き声と笑い声が続く。21世紀の若者の風景と心象が綴られる。独りよがりではないシャープで伸びやかな動きだ。伝統的な構成だがトラッドに見せないところに作家の感覚の鋭さがある。赤い毛玉を舞台に投げ込むなど、ひねりすぎもせず単調でもないタイミングと決め所を抑えた構成は、大人びており心地よい。自身の表現技法が確立すれば大きく伸びるはずだ。 若尾伊佐子 ![]() 無音でソロという単純な設定だが、この単純な設定が踊り手の能力を大きく引き出す。ライトの中で後ろ向きの女が背を向けたまま動き出す。ゆっくりと動きからだの細部をしならせる。からだを震わせたり激しく動かしたりするような衝動はない。ゆっくりと情念をほとばしるように、しなやかなに体は床をはい、重力に逆らい、ゆっくりと表情を変えていく。舞踏というよりは明るいムーブメントであり、ダンスを直視した印象がある。個人的な行為や実験に終わらせてほしくない、何か新しい芸術の起点としての思考が背後にあるとよい。 和〜yori〜 ![]() 薄い緑色の服を着た女性によるソロ。椅子が舞台に置かれている中に手がすっと現れ、踊り手が登場する。伸びやかに動いたかと思えば脚本のようなストーリー性のあるせりふを語りだし演出効果を高めていく。ゆっくりと座り込み、スカートを脱ぐと、髪をばっさりとはだけ、幻想的な装束で斜めに舞台を横切るように歩きだす。洗練された感覚と官能的な香気は心地よい。主張と批判精神が今一歩見えずスタンダードに収まりきっているように見えるのが難点である。 KAPPA-TE ![]() 完成度の高いスリリングな作品。深い面立ちを持つ栗山基子と小柄な柴田が寄り添うように踊ったかと思えば、なめらかに転換し黒いワンピースを着た白井が横からからむ。と、踊り手たちは横から登場する。正統的な作風だが独自のムーブメントだ。様式を洗練させるのではなく、それぞれの部分を丁寧につなげた作品だ。物語性が強い冴子の作品とは異なり、抽象的なモチーフで動きを盛り上げるといった感じである。ヨーロピアンで完成した作風を持つ白井は、高い完成度で作品を発表し続ければ必ず評価をされるだろう。ムーブメントの向こうに主張が出てくればなおよいと思う。 根岸由季 縛られた女が叫びながらゆっくりと舞台を這い、足をばたつかせる。女は悲壮な表情で声をあげて何度も叫び続ける。身をよじり舞台を横切る。次第に客席から笑い声がおきる。やがて服を脱ぎ下着姿になる。大きく回転したり、手足を部分的に動かしたりする。しかしアイデアがなかなか像を結びにくい。やがて暗転をすると紅いスパンコールがついたドレスであらわれる。踊らないで手を動かすとやがてラヴェルの「ボレロ」がかかりだす。コンセプト中心だがコンセプトを炙り出すアイデアが必要であるように感じる。 安次嶺菜緒 ![]() ゴミ袋の山のから女が足を出したまま倒れている。日常的で反骨精神的な情景だ。ゴミの中で埋もれている人間を通じて現代女性の抑圧を描いたものだろうか。生活感のある情景と非日常というアンビバレンスというスタンダードなない様だ。やがてゴミに向かって女は向かい合い、両腕や両腿を震わせるように動く。一瞬でも力強いシーンが入ると良いように感じるのも事実だが内的エネルギーが返って肉体からあふれ出していた。演出とアイデアで勝負している分、さらに政治性が強い作品であると効果がでるだろう。 荒木志水 ![]() 舞踏出身の踊り手が肉体と向かい合った作品。背の高い女が座ったままおおがらに跳ねたり、両手を床につけ片足から両足を宙に繰り出したりする。舞踏として考えてもいわゆる踊りと思われる要素は一切拒否している。明確な批評精神があると優れた作品になるといえる。その作風はニヒリズムではなく淡々と続いていくアンチ・ダンスとしてのムーブメントだ。思考を通して提案が出てくるとなお良いように思う。 滝本あきと 片手を上げた女性がゆっくりとポーズを変えていく。時折伸びやかなからだのラインや美しさをみせ回転していく。ひざを突き出し大きく伸びる。肉体から一歩距離を置いているのもわかる動きだ。方法(中ザワヒデキ、足立智美、松井茂)にも参加をしている作家による振り付けを客観化した作品だ。ダンスに没入しきらない、どこかパフォーマンスともとれる構成が現れる。舞踏出身の踊り手のようにアンチ・ダンスともいうべき対立概念は見られなかった。 林祐司「アル身」 ![]() 白塗りの青年が舞台に現れると何度も壁にぶち当たりながら大柄に動く。構成がまだ大雑把だが衝動とエネルギーで押していくような要素がある。ダンスらしいダンスもなく、舞踏という媒介を通じて自身と新しいパフォーマンスを模索している作家の姿勢を垣間見ることができる。青年は内的なうめきや情動を示し、女性への欲求を口にする。踊り手の若々しいキャラクターがそれでも作品を成立させていたのは、荒削りでも舞台に執着する姿勢が作家の中に強くあったからだろう。細部も構成も詰める必要は大きくあるが、結果として場を成立させたことは評価したい。 roco・motion project ![]() 洗濯物を持った女が登場。床に布を振りまき作品がはじまる。女は後ろを向き、前をけっして向かない。電子音にアコースティックな音が入ってくる。情感豊かな演出だ。帽子をかぶった女の後姿はマッチ棒のようだ。衣装を脱ぎ始め、正面を向くとまるで無印良品のような衣装をまとった現代女性が現れる。床に布をひろげ、しきつめ、その上で大柄に動く。布にからだをくるむように女が動くシーンは若干エロティックでもある。荒削りであり明確な主張が見えるとさらによくなる作品といえるだろう。アイデアで勝負をしてほしい作家である。 東京フラヌール ![]() あどけなさが残る男性が現れ演技をしたかと思えば、2人の女が共にヨコに座りあい、べったりと座りあう。左右対称に座りながら同じ二人の動きは若干ヌーベルダンスをも思わせもする。そこに男が入り込み3人でアン・シンメトリーを描いたりユニゾンのような動きを若干見せる。大雑把だが振り付けを通じて考えているダンスが伝わってくるが、踊り手の肉体と振り付けが噛み合っていないのも事実であり、演じる側の経験がまだ不足しているくだりがある。高度にトレーニングされていない肉体を用いるのであればそれが効果的な作風もあるはずだ。的確な語り口を模索する必要があるが荒削りな様式は興味深い。 ノシロナオコ ![]() ノシロの新作は着実な成長をうかがわせた。ヨコに引かれた光のスリットの中を女が左右に往復する。パフォーマンス出身の作家だがダンスを感じさせる作品になってきた。女はゆっくりとヨコに動き、そして時には座り込む。チョークをとりだし、床に円を描くとスキップしてその円を渡っていく。思考がダンスに接近したため作風が一般化し作品に動きに構成が必要になってきたのも事実である。またまだ若干構成が必要な下りもあるといえる。小スペースを活用しながら幅広く活動していくことが重要だ。 10の80乗個の粒子の揺らぎ ![]() 「求愛」で舞台がはじまる。朴井が腰につけた飾りをふりふり踊り狂う。横には包丁を持ち身体にダイナマイトを巻きつけた男の人形がたたづみ続ける。アイデア一発勝負という勝負目が見えてよい。ヴィデオダンス作品「サバンナ」では引き続きおばかなのりが続く。かわらでおっかけあう2人の男(インパラとチーター)がいる。サラリーマンの親父たちのユーモラスなリアクションの中で2人は淡々と向かい合う。やがて舞台には巨大な骨が現れる。男は骨を股間の間に挟みゆれていく。脱力しそうなタイトルそのままの世界だ。舞台というよりはメディアコンテンツといった感触を受けた。 maguna-tech ![]() のっけから鳴り響く轟音の中で武智が現れる。ジャケットにシャツ、赤いズボンと伊達男だ。やがて博美も登場。上着をめくりライトで内部を照らし出す。ノイズが響きうっすらとした照明の中にはテンションの高い空間が登場する。小劇場ならではのラフな構成の中で、二人はゆっくりと動いたり、時折ユニゾンを見せたりする。エネルギッシュに押すなかで抑揚がないのが残念だ。ノイズで押し切るならば、エネルギッシュに踊るシーンをもっと見せれば効果があがるだろう。ないしは単調な構成に変化を見せればシーンが盛り上がる様に感じた。 ジュ−ルモンデンキント ![]() 闇の中から男女が登場。お互いに掛け合いながら作品がはじまる。佐藤はLOOP時代は舞台セットを中心にした作風で見せていた。より肉体に接近したタッチのようにも感じるが、振り付けと構成を練り上げる必要がある。女性のダンシングする動きの横で、雰囲気豊かな佐藤も大柄に動いていく。とても存在感のある踊り手たちであるため、明確に作品に構造を与えるだけで引き立つ作品といえるため残念だ。LOOPのように構成や構造で見せていた時代が過去にあったため、より指針を明確にすることが望まれる。 古舘奈津子 ![]() 花柄のワンピースをきた女が体の一部をひねったかと思えば、回り、またひねるといったように動く。新しいダンスを模索する姿が好意的に感じられる。 滝田高之(スピロ平太) ![]() 逆さまの裸の男が現れる。前半身がビニール袋に埋まっている。陰嚢を鎖で縛られ吊り下げられている男はもがく。鎖と滑車で吊り下げられているタイヤが軋みを上げる。男は釜で陰嚢をきりとると、男はうめきだす。袋が避けて上半身が2つある怪人が登場。一方の身体をもう一方が殺害してしまう。時折ハウスミュージックがかかるとチアガールが登場し笑いを寄せる。男は灰色の液体を身に塗りながらもがき続ける。完成度の高い作品でありエログロ以上のテーマが見えてきた印象を受けた。グロテスクなだけの表現は社会に多く溢れている。文明や社会を批判する思想性が出てくると興味深い作家になるだろう。 著者サイト:http://yukihikoyoshida.hp.infoseek.co.jp/ ―――――――――――――――――――――――――――――― 志賀信夫 ―――――――――――――――――――――――――――――― 高見知英美 ヘッドフォンをかけてロックで踊りまくる。赤子の声がポイントなのだが、その後に続く『ダニーボーイ』のオーソドックスな踊りが本題のようだった。 若尾伊佐子 ゆっくりした動きとポーズがつくる独自の世界が、無音のなかに展開する。それを注視するだけで踊りを感じ取れることは本当に素晴らしい。この無音シリーズを貫いている若尾には今後も注目したい。 大西小夜子 マントにつけた奇怪な面がトーンを決めている。物語性を出しながら、脱ぎ捨てて裸身になるインパクトとその美しさに惹きつけられた。北欧などの神話の人物のようでもあり、独特の雰囲気。裸身もいさぎよく、舞踏家らしい雰囲気が漂う。 ねねむ ![]() 手の人形と狂言回し役など、独自のアイデアをよく考えているのだが、多様な動きには、無駄をそぎ落とした緊張感がほしい。若手の舞踏家たちによる作品として、これからを期待しよう。 中村公美 ![]() 行為そのものを追求していくが、それが次第に悲嘆か狂気のようにナマになっていく。身体性の高まりとともに、惹き込まれてしまう。美術パフォーマンスのような抽象性に今回は感情が入った。 りな・りっち ![]() 石油缶を使いユニゾンの組み合わせとテンション、ずらしたダンスがおもしろい。しかし振付作品という括弧に入ったものに見えてしまった。モダンダンス的な枠組みをどう壊すかも仮題だろう。 富沢房江 ![]() ムードラテンの曲にに派手なメイクと短パンで妙に惹きつける動き。シンプルかつ魅力的だが、もう一景、動かない場面があるともっと締まる。舞踏とショーダンスがいい部分で合わさった感じだ。 幸内美帆 ![]() とても訓練された身体でテクニックはあるが、途中から従来のモダンダンス的な世界になり予定調和的に終わった感もある。これからに期待しよう。 0九 ![]() 男女がシンプルにつくる抽象的な場面の連続だが、相手と踊ることと一人で動く差異を追求しているように見えて、新しい意識が感じられた。もっと見たいと思わせるグループだ。 和ーyoriー 小学校の椅子を使ってブルーの衣装で丁寧に踊るのだが、ここからもう一歩踏み出さないと刺激がないように思える。イメージだけで踊っている印象だ。 Kem-kemunimaku-Project 女性が三人ただ前に進み戻ることを繰り返すのだが、そのテンポと動きの差異が見せる。ダンス的な動きをあえて抑えたため、読みの可能性が広がった。単純でポストモダンダンスの時代にすでに行われたタイプの舞台だが、しかし丁寧につくっていく情熱がいい舞台にした。 KAPPA-TE 三人の女性に長身の男性が、光の当たる場所でしゃがみ込んだりポーズしたり、絡んで踊ったりする。見せどころはあるのだが、踊り、身体の動きのリアリティをどう獲得するかが課題だろう。 根岸由季 縄で縛られて泣くところから動き始め、踊り出す。そして化粧をして手だけのボレロを踊るセンスと、シンプルなことへの徹底に惹かれた。これからも期待できる。 酒井幸菜 ![]() 倒れる女が、アクセントをつけて踊り出し、斜めの照明で行きつ戻りつする動きが、次第にダンスになってくる。この意識的な行為は魅力的だ。Kem-kemu…の一員だが、ソロとしても決して弱くない舞台だ。 お宝 ![]() 女性四人組で長身の一人が男性役、次々と巧みに展開しておもしろいのだが、ネタをそぎ落とし、場面のつなぎがスムーズになるといい。ネタに終った感もある。 妄人文明 ![]() 段ボールを重ねての男女のバレエごっこ、パロディックな遊びにエスニックな生演奏という個性的なこのグループは貴重な存在だ。可能性は大きい。ただ既視感をどう超えるかは仮題かもしれない。 gera? ![]() リンゴをくわえたまま話しながら登場し、股くぐりを繰り返す冒頭が秀逸。その後の展開は三分の一ほどに絞りタイトにしたい。モダンダンス的な常套句になっていった感じだ。 箱入りオブラート ![]() 本を読むという行為をモチーフにして、男一人と女二人の組み合わせだが、安易に三角関係的な事象を入れないともっとおもしろいだろう。ただ構成力はあると思う。 安次嶺菜緒 ゴミのなかから登場する黒い下半身の踊りがいい。そして震え、倒れ、崩れ折れるところも見せるが、特に最後に両手を振る場面が鮮烈に目に残る。いさぎよさと勢いがある。 荒木志水 執拗に逆さ、後転を繰り返し、壁への逆立ちで崩れるなどのこだわりがいい。そして激しい音と照明の効果的な使い方に、「うまい」とうなった。どんどんよくなっている。 林祐司 叫びながら登場し、白塗りで独特の雰囲気、踊りもうまいのだが、少々芝居がかった印象を与えるところは、一考の余地がある。「見せる」以上の踊りが立つかどうかだ。 滝本あきと 形を変えて動く女性の姿が魅せるのだが、そこからどこに行くのか。抽象なのか身体なのかがいま一つ見えなかった。 深見育代 カワムラアツノリとのデュオは、体をずっとくっつけ続けるという、超コンタクトで、それゆえにできあがる、オブジェ的な形のおもしろさが非常にいい。今後もこのデュオは続けてほしい。 ![]() roco・motion・project 洗濯物を多量に振りまいて動く姿は、奇妙に惹きつける味がある。弱い身体なのだが、見せ方を知っている。ソロのため、コンセプトも明確にしっかりした。 東京フラヌール ![]() 女性二人に男一人という取り合わせで、男を奪い合うようなモチーフがあるが、それにはもう少しキャラクターに魅力が必要だろう。作品を立たせるためには、もっと訓練も必要。 ノシロナオコ 抽象化した部分を作り出し、そこに体を当てはめていくところにおもしろさがあるが、あとちょっと体の存在感が立ってほしいとも思う。ただ今後も注目したい。 滝田高之 模造睾丸を吊り下げられているという設定から、チアガール登場まで、遊びと混沌を要素にするが、体の緊張と弛緩とのコントラストがほしい。だがこのようなお馬鹿な発想で舞台をつくるダンサーは貴重。どんどん攻めていこう。 ジュールモンデンキント ![]() 男女が抽象的に関わる関係性が時々リアルになって、かなりおもしろい作品。力はあるが小さくまとまる危険性もある。 ピンク ![]() はじける女性たちのパワーが感じられ、アイデア、テクニックも楽しいが、遊びすぎるとやばくなるかもしれない。若さゆえにどんどんチャレンジできるだろう。 著者サイト:http://www.geocities.jp/butohart/ ―――――――――――――――――――――――――――――― 西田留美可 ―――――――――――――――――――――――――――――― 高見知英美「Mrs.マリコ(another)」 ヘッドホンで高見が聞いている音(ロック調)とラジカセから流れる音とが交互に絡み合い、その重なり方とずれ方にダンスの動きを絡ませた作品。高見自身の動きは、ヘッドホンから流れるロック調の音楽にほぼずれることなく呼応していて、子供の泣き声や笑い声には反応せず、平行線のまま続く。質の異なる音をコラージュし変編集しているだけに、日常の中で歪んでいく「マリコ」のいたたまれなさを、踊りの中でさらに体現していく表現もあれば、もっと深まっていくだろう。 若尾伊佐子 「アプラクサスII」 無音で即興、という自らに課したテーマをじっくり追求していく根気強さと旺盛な探求心が見えるダンスだった。照明の光が当たってゆらゆら輝く部分と影になっている部分が動く彫刻を見るようで、本人がどこまで意図したのか、と思わせられる不思議な光景があった。だが袋小路に入り込まないためには、一度自らの課したテーマ自体を検証する必要が出てくるだろう。 大西小夜子「PILOT BOAT」 この面に触発されて踊りを作ったのではないか、と思わせるような、前後に顔があるインパクトのある面を巧みに利用。マントを様々にあしらいつつ、仮面の持つ不気味さを舞踏の世界に滑り込ませてゆき、マントから裸体のダンスへ展開していく巧みさには、舞台経験の豊富さを感じさせられた。だが完結された世界を構築しているだけに、裸体になってからの踊りに、いっそうの緊迫感が必要とされるように思えた。自ら構築した世界の中でのカタルシスになってしまうからである。 中村公美 「あなたの欲しいものは何ですか」 このタイトルに答えを用意してから見るべきか、あるいは見てから用意するべきか。しかし解答しても、中村のダンスとなんら関連性は生まれない。無音の中で、じっくりと体の動きを見せていくダンス。集中力と芯の強さを見せた。 りな・りっち 「ねじと小屋」 パーカッションパフォーマンスの「STOMP」を思い出した。身の回りにあるもので音を出し、音にのるとダンスが生まれてくる。このアイデアはあちこちで行われているが、生活の中にダンスがある楽しさは時代も場所も超えた普遍的なもの。仲間同士で楽しさを共有する様は微笑ましい。振付ける力もあり、作品としてまとめあげていく力もあって、作品としてきっちり仕上がっている。しかしまとめてしまうとどこかに境界線ができる。その境界線を広げていく努力が今後の課題だろう。 ねねむ 「最中(もなか)」 なぜそのぬいぐるみが登場し、ダンスにしたかったのだろうか。そのアイデアの芽をどう育てていくか、を考えるためにも、動機や理由をじっくり探求してみてほしかった。それは舞台でどのようにいたいのか、何をどのように発展させていきたいか、に関連してくるからである。 富沢房江「飛ぶ方法#4」 青のシャドウ、探検家風な短パンスタイル、頬をふくらませて、子犬のように動き、赤い弁当箱のご飯粒をつまんで食べる。それぞれの素材と動きがユニークな世界を作っている。素材自体にも独自の面白がり方をしていて、今後はそれをどこまで説得力ある形にもっていくか、さらなる探求を見せて欲しいと思う。 幸内未帆「ふわふわ Ladybug」 最初は、センターでわずかな動きの中にいたのだが、それ以降はさらさらと動きを続け、その動く気持ちよさに流れていくようだった。そこにもっと必然性を主張していかないと、いろいろなアイデアも舞台で立ち上がってこない。実は気づいているのに、どこかでブレーキをかけているような気配も感じた。 0九(ゼロキュウ)「モザイク」 暗転でシーンをくるくると切り替えていく手法で、二人の男女が様々な動きをコラージュ的に見せていく。構成もコンセプトもクリアだから、見えてくるものはたくさんあるが、もう一つぐっとうならせるには、表現自体の説得力をあげていくことだろう。 妄人文明(ワンニンブンメイ)「妄人迷子(ワンニンマイゴ)」 壊れたおもちゃの楽団が、人の寝ている夜中にこっそり動き出して遊んでいるようなカンパニー。楽隊とダンスがセットになっていて、音遊びや動き遊びで作品ができていく。今回はたくさんダンボールを持ち込んで、バレエパロディのダンスができた。わいわい騒いでいるうちに朝がきて、お祭り騒ぎも舞台もおしまい、という感じで終わる。生きていても、実感をもって生きているとは限らない。夢うつつの中で生きているかもしれない、そんなことも考えさせられる。 gera?「例えば林檎を剥くナイフ捌きが上手い」 ダンサーがくわえていたりんごは、何かの象徴、記号としたいのか、それとも単なる動きの延長、体の延長としたいのか。リンゴをメタファーとするなら、現代の女性ならダイエットか。古くはアダムとイブの物語で有名な、誘惑の象徴である。最初に何か始まりそうだ、と期待させられる展開があっただけに、後半は、たくさんの動きを見せられているのに、何をしたいのかが見えずらかった。 箱入りオブラート「ブックエンド」 どんな内容か伝えないまま、本を読む行為を見せる、という発想は面白い。だがそこからどう展開させるかは難しい。その光景を物語風に展開させていくのか、読むという行為自体を素材として展開させるのか。それによって何を見せたいのか。男女の絡みのダンスになったので、恋愛小説風な物語だったのかもしれない。本は人間の叡智の宝庫なのだから、もっと大きな視野をもてば、別の展開があったように思う。 荒木志水「ロゼット」 舞台下手にある柱にもたれかかる。鳥の声が聞こえる。ゆっくり歩みを進め、ふわりと足の指を開ききる。 小さな動きも丁寧で、様々な思いがこもっていた。淡々と動くだけかと思うと、突然おでこをぶつけ、それをきっかけに激しいパーカッションの音が流れ、そこに紛れ踊り込む。構成力も演出力もあった。 安次嶺菜緒「太陽皇子27」 ゴミの中に捨てられた体がうごめく。「せっかく生まれてきたから生きたい」「面白くしたいぜ」「生きさせてもらうぜ」といったメッセージが発せられ、生きることへの執着が踊りに転化していく。個人的な問いが、見る側にも共有されたし、何より生を信頼している力強さが良い。 ノシロナオコ「trans-4th-mission」 作品を作りながら考え、考えながら舞台に登場し、そこでの成果をまた次の作品に生かす、というサイクルを繰り返していることが伺えた。チョークで移動しながら自分の周りに円を七つ描いていき、その形や位置からイマジネーションを膨らませ、動きへつなげていく。地道な作業の積み重ねに感銘を受けるが、時にマクロな視点でそれを見直さないと、袋小路に入り込むこともあるだろう。しかしインスピレーションが沸き起こって、突如飛躍をすることもある。 東京フラヌール「みつのめり」 コートを着たはだしの男性が、わらわら手を動かす所から始まる。何か始まるな、と期待したのだが、その後女性二人が赤い布にくるまった踊りの後、その赤い布を影からひょいと受け取って黒子の役をする。その他にも小さなことが雑な感じで、舞台上での所作に丁寧さが足りない印象を受けた。チェンバロの曲を使ったり、エディット・ピアフの曲を使ったり工夫を凝らした跡が見えるが、物語も手垢にまみれた感があって残念。 roco・motion project「Lastsnow(ラスト・スノウ)」 白い毛糸の帽子、白のダウンジャケットで、もこもこした体で、背中だけを見せた動きを見せる。衣装に工夫がしてあって、腕だけはずせるようになっている。少しずつ剥いで脱いでいくと、下から白の下着の体が出てきて、すっくり踊る。その後、正方形の白い布を何枚も敷き詰めていく、というタスクに専念。白という色にこだわった理由をもっと突き詰めていけば、もう一つ独自の展開を生み出せるのではないか、と思った。 滝田高之(スピロ平太)「蘇る陰嚢」 現実の世界をひょいとひっくり返し、めくり続けていく作品。それは、かなり戯画的、ビジュアル的な手法で演出される。下がっているものは、上から吊られ(模造睾丸)、内側にしまわれているものは、引き出され(模造内臓)、そのグロテスクさをひっくり返すかのように、チアガールが飛び出し、明るく元気に踊る。チアガールが登場したり引っ込んだり、という反転の繰り返しの中で終息していくのだが、その終わり方はわかり安すぎた感もある。まだ駒は進められるし、個の単位を超えた存在へ転換もできる。現実を反転していきたい理由をさらに見据えていけば、もっと作品に厚みが出るだろう。 ジュ−ルモンデンキント「Peacock-Ray」 最初に佐藤の動きの存在感に目が吸い付けられた。二人の男女の動きのコントラスト、通り一遍でない展開、ふと何気ない瞬間の面白さ、などに好感をもったが、まだまだ何か出し惜しみしてるのではないの、と挑発したくなった。 ピンク「子羊たちの遊覧船」 子羊たちがみゃあみゃあ鳴きながら、飛び跳ねて、楽しく遊んでいる感のあるダンス。遊覧船は波止場で波に揺られて漂っているだけか、どこかに向かって出港していくのか、まだわからない。これからの修行次第、といったところだろう。 (D,E、H,J組は見られなかったため、評がありません。) ―――――――――――――――――――――――――――――― 他の講評は入り次第アップします |
| ―――――――――――――――――――――――――――――― 番外:「ダンスがみたい?節談編」中西レモン、藤井洋平 ―――――――――――――――――――――――――――――― 新人シリーズで出場できないグループがあったため、その時間を埋めるために、レモン組が公演を行いました。 その講評が届いているので、掲載します 中西レモンは、会場整理をしていた。そのまま「節談」の話を始め、CDをかけ、文献を紹介し、自らが模写した絵画を示し、概要を「説明」する。「節談」とは、広い寺の本堂内で坊主が民衆に説法をする、浄土真宗特有のスタイルである。 気がつくと、中西は袈裟姿で坊主のようになり、「説明」は徐々に「節談」そのものに変化し、口吻が激しくなる。いつの間にか「開演」=「節談」に巻き込まれる形をとって、会場という空間を作り上げ現実から異化する「ダンス」という近代的スタイルを批判している、と読み解くだけでは、中西の本質に届かない。今回の「節談」は、新羅の大王が没し、その菩提を弔うために梵鐘供養の発願がなされ、名人として聞こえていた『加典』が任となり、姪を人柱に鐘を造る話である。できた鐘を鳴らすと、名人とその妹の耳には「おかあさーん」としか聞こえない。肉体が、言葉=梵語というイメージになって踊る。 中西は、現代パフォーマンスやシミュレーションが抱える、その行為の根源と意味を説明しなければ成立しないという難点をあっさりと乗り越える。それは、人が動く本質=「イメージ」からの逸脱の不可能性を表わしている。中西は、最後に「ダンス」を行なう。それによって観客は、現実に回帰する。ここにも、近代的「ダンス」とは異なるスタンスを感じさせる。盲人/姪/節談の聴衆/公演の観衆という複合的な象徴を携えながらも、異常者の如くフランスパンを齧る藤井洋平は、フロイトのいう「不気味なもの」の如く存在し、公演を見る側と中西の間を繋ぎ止め、中西の意図を明確に伝える役割を果たした。 (近代美術研究 宮田徹也) |
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