東三河 月ケ谷城



ファイルNo0002

西郷氏の支城 小規模ながら技巧的な縄張りの城 なぞの竪穴

                        主 郭

@ わちがやじょう 
  別名 月谷城 

A住所:豊橋市嵩山(すせ)町字市場−山軍場
B目標地点:正宗寺
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・虎口・石積み・井戸
G時代/人物:戦国期/西郷氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  正宗寺駐車場より25分

J撮影・訪問時期:2002年09月 他

  
井戸跡?

【道案内】

豊川側から来ると、国道362号線の嵩山の信号の先で左手に「正宗寺」の標識在り、そこを左折します。城跡は正宗寺の駐車場(山門前より手前の駐車場)の西側の山の上です。城跡には南側端の住宅団地より登城道ができています。(50mほど寺側に今は使われていない林道がありますが、林道では城跡まで行けません。) お寺から連絡があり、直登はしないでくださいとの事です。私は豊橋から離れてしまっており、この城跡に再び訪れる事はないかもしれませんが、私の好きな城跡です。長く、保存される事をお祈りいたします。


【現況・訪城記録】

月ケ谷城への初訪城はお城仲間とのオフ会の中で行きました。城跡は小型ながら結構複雑な縄張りで、土塁で作られた内桝形状の虎口を持ちます。主郭には石積みの痕跡も残ります。主郭前面の郭には明瞭な素掘りの立て穴が残ります。標柱には井戸跡とあり 私もそう思ってしまいますが、資料を読んでいると この穴の城内の位置として井戸ではおかしい位置にあると書いてありました。ん〜ん・・井戸のある位置は主郭の虎口から南の帯郭出て、帯郭より西側下の郭へ降りる虎口のそばに位置します。でも、私のようなスタンプラリー城巡り派にはこれは井戸ですね^^v
その後、何度かこの城を訪れました。内桝形虎口、主郭への導線の巧みさ、主郭下の帯郭が横掘に変化する時期の感じなど、見所は多いです。現在の遺構は永禄五年にいったん落城した後、清員にて奪還した以後に今川氏の再攻に備え改修されたものかもしれません。


【歴史と構造】◆城域100m×110m 
月ケ谷城は豊橋の中山地区(現:石巻中山町)の五本松城を本拠とする在地豪族西郷氏の支城です。そばを国道362号線(姫街道)が通ります。この道はすぐ先で本坂峠となり三遠国境となります。築城は西郷正員あるいは正員の父信員で、大永三年(1523年)に左京殿城の小枝左京進を追い落とした後と考えられるとのことです。正員の後の正勝は本城を五本松城に、月ケ谷城は正勝の嫡男元正が在城したようです。永禄五年(1562年)、今川氏勢朝比奈氏によって五本松城とともに落城したとのことです。

城の縄張りは北側の尾根側に堀切等の防御施設はないです。これは北側尾根を進むと五本松城に到達するため、こちら側からの攻撃は想定されてないとの事です。主郭は2段となっており上段には土塁が巡ります。北東側に副郭がありますが、この方向の主郭土塁内側に土止めの石垣が残ります。主郭下の郭は西に廻り込みながら細い帯郭状になります。西に進むにつれ窪みとなっており空堀状になっています(私は確認できていませんが南側にも空堀があるようです<資料より>)。主郭下段には中央に内枡形状の虎口が明瞭に残ります。この虎口は南側の帯郭に接続しておりこの帯郭を西に行くと井戸?跡があります。私は井戸跡と思いますが資料には?と書いてありました。この井戸そばから下の郭への虎口が開きます。この虎口も帯郭内側で屈曲しています。このように小型ながら結構見ごたえのある城跡です。

麓には正宗寺がありますが、ここは西郷氏の菩提寺です。西郷氏の一族の娘が徳川家康の側室となり「西郷局(お愛の方)」となります。「西郷局」は2代将軍秀忠を生んでいます。その理由からか、正宗寺の唐門に葵の紋がありました。

  
内枡形虎口付近
  
内桝形虎口土塁
  
  

近くの城・関連の城:五本松城 萩平城 西山城 五葉城

            

正宗寺(しょうじゅうじ)唐門<葵の御紋が入ってます>


月ケ谷城追加写真
内桝形虎口(主郭東側)
主郭内
   主郭北側石積み           南側から主郭切岸を見る
土塁内側石積み?
主郭北側下帯郭           主郭東側下郭と土塁
   主郭西側虎口          麓の登り口<林道入り口>