美作/ 津山城



ファイルNo1521


                            天守台

@ つやまじょう 
  別名 鶴山城 
A住所:津山市山下
B目標地点:鶴山公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・石垣・堀・櫓(復元)・碑・説明板
G時代/人物:室町期/山名氏
       江戸期/森氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  料金所から15分
J撮影・訪問時期:2016年07月 
        (2003年10月・1993年05月)

  

道案内 ←駐車場

中国自動車道の津山インタを下り、津山ICの信号を左折し国道53号線に入ります。約6.5km先、船頭町の信号で右折し県道394号線に入ります。800m先の鶴山西口の信号で右折し、80m先のT字を右折し、100m先右手に駐車場があります。そこから200m先が公園入城料金所です。
 
訪城記録

2016年、この城には13年ぶりの訪城でしたが、天守台まで行ったのは23年ぶりでした。梯郭式縄張りであるため、石垣が折り重なるように見え、高い石垣は威圧感があります。20年ほど前、最初に訪城した際は、天守台石垣は黒いというか古いと言うイメージが残っていますが、現在は綺麗に整備され、逆に白い感じさえします。 なぜか、表中門の右手の見附櫓への石段に強い記憶があります。そこに子供を座らせて写真を撮ったからでしょうね。2005年に備中櫓が復元されており、城郭建物の雰囲気を味わえます。

城址碑と残念石
歴史

嘉吉年間(1441〜44年)に美作守護が山名教清の時、山名忠政に鶴山(かくざん)城を築城しましたが、応仁の乱で山名氏が衰退し、いったん廃城になりました。慶長八年(1603年)、森忠政が18万6千石で入封し、現在の津山城を築城しました。完成は元和二年(1616年)までかかったようです。元禄十年(1697年)に森家は断絶し、元禄十一年(1698年)、松平宣富が越後高田より10万石で入封、以後、明治四年(1871年)の廃藩置県まで続きました。

備中櫓                         表中門  

現地案内板より
現地案内板より
津山城
三の丸下石垣                      城址碑
三の丸への石段
表中門横の見附櫓への石段石垣
本丸西下石垣
備中櫓
備中櫓下から
切手門付近
弓櫓から辰巳櫓への石段
包櫓石垣
備中櫓
表鉄門石垣
備中櫓内部
備中櫓内部
天守台石垣
天守台
天守台・八番門・長櫓の石垣
太鼓櫓の石垣
太鼓櫓
矢橋櫓下石垣
左/粟積櫓石垣と十一番門跡
長屋櫓
腰巻櫓付近発掘現場
裏切手門から裏鉄門石垣
裏中門付近
裏下門
裏下門石段
本丸西下石垣
道明寺櫓石垣周辺
薬研堀から

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