Tweet    渡里 映


 なんで、こんな話になったんだろう?
 数ヶ月前から仕事帰りにほんの短い時間立ち寄って、ビールを一杯と軽いつまみ。小さな、落ち着けるバー。……私と同年代に見えるマスターは無口で、適度に放っておいてくれる。それが心地よくて。
 こんな店にひとりでふらっと立ち寄れるようになりたいなーなんて、ずっと思っていた。端から見ると私って、そんなこと別になんの躊躇もなくしていそうなキャラに見えるらしいけれど。
 やっと、ね。見つけたんだ。
 マスターとはこれまで、挨拶を交わす程度にしか話したこともなかったのに。
 いつもはなんとなくひとりふたりは他のお客さんがいるのに、今日は私ひとりだった。

 私のまわりって、いわゆる「方向音痴」な友人や知人が多くて。……あ、この話は女性の友人・知人に限っての話。
 そういえば何年前だったか……もうけっこう前にベストセラーになった本、あのタイトル、正確にはなんだっけ? ……確か、「話を聞かない男 地図の読めない女」とか、そんなの。
 うまいタイトルよね。このタイトルだけで、男と女の違いについて語ってる内容なんだなってことが一目でわかるもの。そう感心はしたけど、実際に手に取って読んだことはないな。
「地図の読めない女」……そう、そういう友人や知人が、私のまわりにはなぜだか多くて。
 私は生まれてこのかた、自分が「地図を読めない」思いをしたことはない。別にそれがすごいことだとも思わないし、当たり前のレベルだと思ってたし、「地図が読めない」「道がわからない」と言う……訴える友人を、むしろ不思議に思いつつ、問われればその都度、できるだけわかりやすいように教えてきた。
 何度も行ったことがある、そこ自体には行ったことがなくてもそのごく近くのエリアには行ったことがあるような場所を、都度「わからない」と訴える相手のことを、内心、
(つまりは、覚えよう、次からは訊かなくて済むようにしようっていう気持ちがないわけだよね? それって甘えっていうか……努力しようっていう姿勢がないわけだよね?)
くらいに思って、ちょっと呆れたりしてはいたけれど。
 いや別に私自身は努力しているなんて自覚もないので……無意識に、相手に不要なお手数はなるべくかけないようにしようって心理は働いているにしても……そう、ちょっと呆れるくらいで、もちろん軽蔑するとかバカにするとか、そんな気持ちはなかったんだけど。

 −先輩、聞いてくださいよぉ!
 って、別に彼女の話し方がぶりぶりなぶりっこ口調なわけじゃなくて。だから、そうは思ってなかったんでしょうね、きっと。
 中途入社してきた彼女……確か33歳だったかな……と、女性はふたりだけの部署で、自然に一緒にランチするようになって、約1ヶ月と少し。
 −昨日、○○駅から隣の△△駅まで、初めて歩いて行けたんですよ! これまでって、よし、隣の駅なんだから線路に沿って歩いていけば絶対に着くはずだって思って何度か挑戦したんですけど、行けたことがなくて。違う路線の線路に沿って歩いちゃうんですよね。でも。昨日初めて行けたんですよ、すごいでしょ!
 その、どこのところがすごいのか、私にはちっともわからなくて。
 これまで何度も挑戦したけど行けたことがなかった、その事実が事実だとすれば、もちろんかなりすごいなぁとは思うけど。
 −ふうん、すごいね。
 ま、すごいことには違いないと思い、それだけ相槌を打って。
 彼女は満足そうに、ランチのフォークを動かし出して。
 マイ箸じゃなくて、マイフォークなんだよね……和食だろうとなんだろうと。いや、それは別にいいんだけれども。
 その時に、初めて「あ」って気づいたのね。
 彼女と私、ふたりでの社食でのランチタイム。私に向かって話しながら、あぁ……そうか、彼女はまわりの他の社員……男性社員に聞いてもらおうと話してるのかって。
 あぁ、これってつまりは「武器」だったのか。……へえぇ、女の子ってかわいいもんだな。そう思ってもらおうっていう、「武器」。
 ……あぁ、いやだ。こんなこと考える私って、いやな人間。
 もちろん、私のまわりの「地図の読めない女」のすべてが皆、「地図を読めないふりをしてかわいいでしょとアピールする女」なわけじゃない。そういう言動を聞いて……小耳に挟んで、「あぁかわいいな」と思う男ばかりじゃないことも知っている。
 でもね……。
 つまりは、そう、自分のバカさかげんというか、鈍感さに呆れたの。これまでの人生で、なんで気づいてこなかったんだろうなってことに。
 ただ単純に、本当に地図が読めない女性って多いんだなぁとしか思っていなかった自分に。
 もっと若い時に気づいてたとしても、私自身は、180度のキャラ変更なんて出来るはずもないし。正直、したくもないし。
 ただね。
 なんか……ちょっと損な気がしちゃうんだ。完全に逆で、私が女でありながら完全に男脳であるならまだしもね。私、「話を聞かない女」でも「地図を読めない女」でも、そのどっちでもないってことが。
 あ、もちろんこれはあくまでも自己評だけど。
「地図を読めないふりをする女」とか、「(本当に)地図を読めない自分を肯定する女」って、往々にして「話を聞かない女」でもある気がして。ううん、「話をきくふり」はする。相槌は打つ。でも実は自分が次に話したいことで頭の中はいっぱいで、ホントは聞いてなんかいないことが相手に丸わかりな……。

 なんか、くだらないなぁって気持ちになってきた。
 自分自身で。
 こんなことネチネチ考えてる自分って、なんてちっぽけ。
 あ。
 でも、なんとなくモヤモヤって胸のどこかでわだかまってたことをこうやって吐き出してみると、なんだかちょっとすっきりした気もして。
 自分って、なんてちっぽけ。そう、思えたことが、かな。
 世の中、いろいろな考えの人がいるんだものね。
 自分で自分のこと、ったくマヌケで鈍感なやつだなって思うけど、でも、自分は自分でしかなくて。こうしか生きてこられなくて。こう生きてきたのが、自分だから。

 ふと視線をあげると、マスターが、お帰りですか? という視線を向けてきた。
 傍らのビールグラスは、もちろん、もうほとんど空で。
 ……あれ、私って。
 本当に今まで、マスターに向かって初めて、なんだかんだと自分の最近の思いをぶちまけたんだろうか。それともそういう気になっただけで、本当はビールグラスをかたむけながら、自分の内側に向かって思いをめぐらせていただけ?
 ……そう、たぶんね。
 こんなふうに、仕事帰りにほんの短い時間立ち寄って、ビールを一杯と軽いつまみ。ひとりの時間を過ごせる小さな空間が欲しいなぁとずっと思っていて。こんな店にひとりでふらっと立ち寄れるようになりたいなーなんて、ずっと思っていて。
 でも、なんかこれまではちょっと、緊張してたのかな。
 こうして自分に問いかけられるようになったのは、やっとリラックスできるようになったのかな。
 そう思ったら、ちょっと心が軽くなった気がした。
 悪くないよね、私の人生。……あはは、これってかなり大げさ。



おわり




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