世界樹の下で
深夜特急

 





そういうわけで海音寺蛍はその年の夏に死んでしまった。
生き別れてしまった水前寺由良や雲林院水徒の事が気になったが
いくら気にしてもしょうがない事であって
彼女も他の者と同じように地獄の門まで連行されてしまった。
地獄の門の上にはゲルニカという男が立っており3000人くらいごとに
死者達に指示を出していた。
説明を受けるまでの暇な時間、蛍は地獄の門の周りのカラス達を模写していた。
模写していてる時に初めて自分は死んだ時に持っていた物の他に
スケッチブックと鉛筆一本を持っていた事に気付いた。
蛍の番が来るまで丸4日かかったがその間に地獄の門をくぐった者はたった三人だった。
退屈していた蛍はその三人をしっかりスケッチしていた。
一人目は簪をつけた同い年くらいの女の子。
二人目と三人目は不良っぽい外見の男二人だった。
女の子の方にはかなり躊躇が見られたが、のっぴきならない事情が有るように感じた。
地獄の門をくぐらない者達は少し遠くにある別の門に入っていっているようだった。
こちらの方は地獄の門をくぐった女の子よりも躊躇して入っていく者が多い。

蛍を含む3000人が一度にゲルニカの説明を受ける事になる。
ガスマスクをつけた顔の前に拡声器を持って来てその男が喋る。
「お前達は現世で悪行の限りを尽くした不届き千万な者達だ。」
「そんなお前達に地獄の門番である俺達が提供するのは2つのカリキュラム。」
「一つはそっちの天国の門から通じてる『天国』だ。」
「その門をくぐるとお前達は『無』になってしまう。」
「要するにお前達にとっては予定通りの未来ってかんじだ。なっ、そうだろ?」
「もう一つはこっちの地獄の門から通じてる『地獄』だ。」
「こっちは多少面白みが有るぞ。」
「なにしろ○○△△××だからな!」
「どうだ!楽しそうだろ。俺としては断然『地獄』の方を勧めたい!」
「選ぶのはお前等の自由だ。好きな門の方をくぐれ。あとは俺達は関与しないからな。」
ゲルニカはそれだけの事を一気に喋った。短い説明だった。
蛍は肝心の『地獄』の説明を聞き逃してしまった。
「そういうのも自分らしくて良い」と悠長な事を考えた。
そして簪の女の子の事が少し気になって、
気付くと地獄の門の前に立っていた。
「人は重大な決断ほど些細な基準で決めてしまう」と誰かが言っていた事を思い出した。
自分は普通の人ではないと未だに思ってしまっている蛍は
「その通りだな」などとは思わなかった。
「一丁入ります!」
ゲルニカが声を張り上げると扉が音を立ててゆっくりと開いた。
腐った卵のような臭いが鼻についた。
そこで初めて、由良や水徒もこっちを選べばまた会える、という事を思いついた。
でも次の瞬間「どうでも良いけど」とか呟いて欠伸をする真似をする蛍だった。

最近、街ではノラウイルスという病気が流行っている。
黒猫のみが罹る不思議な病気である。
致死率は92%。街には黒猫の死体が累々と積み重なっていた。
森野詠史はその死んだ黒猫達を回収するアルバイトを始めていた。
前やっていたビルメンテナンスの仕事よりも給料が良かった。
今日はうだつの上がらない浪人生の雲林院水徒にこのバイトを紹介しに来た。
K塾の寄宿舎の307号室が雲林院の家だ。インターホンを鳴らすと雲林院が出てきた。
「うぃーす。雲林院。かくかくしかじかなんだが。」
「・・・・ん。」
友人の対応は冷ややかだった。
雲林院は何も言わずに部屋の中に戻っていったので構わずに森野も中に入る。
雲林院水徒は浪人生だが勉強しているような痕跡は見られない。
机の上には作りかけのプラモデルが散乱している。
森野は友人の本棚を眺めた。
「スヌーフィーと心の相談室」という本のシリーズが10冊ほど有るのが目に付いた。
雲林院は森野の目の動きを追っていたらしく、
「最近、うつ病なんだよ。」と呟いた。
「で、どうするんだ?ノラのバイトはするか?気分転換になると思うぞ?」
森野は言う。
「猫の死体なんか毎日見てたら気が滅入る。お前だって俺を毎日見てたら気が滅入るだろう。
 人間堕落しようと思ったらいくらでも堕落できる事が分かったよ。
 今の俺にはバイトなんか無理だ。俺は底辺なんだ。それが事実だ。」
雲林院にしては長い台詞だった。
「お前、なんか心配だな。どうだ、これから晩飯食いに行かないか?
 気が晴れるかもしれないぞ?」
「お前は知らないんだよ。病気ってもんがどういうもんか。」
雲林院は頑なだった。
しかしそこで突如として雲林院のテンションは変わる。
「空が飛びたい。そこの!3階の窓から!あれは天国の窓だ!」
いきなり雲林院はそう叫んで部屋から飛び出した。
森野は急いで後を追う。
森野が外に出た時にはすでに雲林院は窓を開けてサッシに足をかけていた。
「止めろよ!馬鹿野郎!」
森野が叫ぶ。
「俺が悪かったのか!?」
雲林院に躊躇は無いようで、迂闊に近づく事ができない。
「ああ、そうさ。俺の部屋に現実を運んできたお前が悪い。さらばラバウル!」
雲林院は窓枠を強く蹴って外へと軽やかにジャンプした。
森野は急いで窓にとりついて下を見た。
しかし、其処から見た地上に雲林院の姿は無かった。
「どうなってやがる・・・?」
森野は逡巡したがそこで中学生の頃に同じように飛び降り自殺を図ったが
死体の発見されなかった海音寺蛍の事を思い出した。
「そうか、あいつ等、同じ所に行ったのか・・・。」
森野は妙に納得して、落ち着いて持っていた煙草に火を点した。
「雲林院と海音寺は何処に消えた?」
森野は分からないなりに一生懸命思いを巡らした。

雲林院の遺書には
「『スヌーフィーと心の相談室』を夜目川の油川さんに返してくれ」と書いてあった。
森野詠史は友人の頼みを引き受け中学の時の同級生の油川氷魚の家を探した。
程なくしてその夜目川の舟の家は見つかった。
家のすぐ隣の川の中に柵が有り、その中に大山椒魚が3匹いた。
油川自身は中学の頃よりずっと痩せこけた面持ちであった。
「そうか。雲林院君は逝ったんだ。」
油川は事も無げに言う。
「おいおい分かんないぜ。ただ消えちまっただけだ。」
自分自身、そういう事だと思っていた森野だが思わず反論してしまう。
「逝ったんだよ。彼ならきっとそうする。」
森野は狼狽する。
「俺が尋ねて行ったらって事か?酷い言いようだ。責任感じなきゃならんのか?」
「別に良いんじゃない?どうでも。」
油川は言う。
「しかし本貸してたって事はアイツが浪人してからも付き合いが有ったって事だな。お前。
 何か色々知っててそんな物知り顔なんだろう。何を知ってるんだ?」
森野が尋ねる。
「いや、直接交流が無くったって大体分かるような仕組みになってるんだよ。
 コレは世界意思が働いてる事だからね。」
油川はまた事も無げに言う。

「世界意思?なんだその電波な単語は。分かるように説明してくれ。」
「そこに山椒魚がいたでしょ?」
「ああ、見た。今日はさっさと帰りたかったから突っ込まなかったけど
 ありゃ天然記念物だぞ。見つかったらやばいぜ。早く川に帰してやれよ。」
「そうじゃないんだよ。」
油川は可笑しそうに口に手を持っていって笑った。
「私、両親がいないんだよ。どうやって生計立ててると思う?
 あの山椒魚育てててバイト料貰ってんだよ。誰に頼まれたと思う。」
「知るわけねえだろ。」
「世界だよ。」
油川ははっきりと言い切った。
「な・・・お前そんなアレな事言うやつだったか?あんま巫山戯た対応してっと
 帰るぞ。もう用は済んだし。」
「まだだよ。まだ用は済んでない。私が話し終わってないからね。これもバイトの一環。」

「・・・よく分からんが聞いてやるよ。何だ?」
「君には『抜け道』を探してもらいたいんだ。」
「『抜け道』?何の?誰のだ?言ってもらわんと分からんぞ。」
「生き残る為の。対象は・・・あなたと・・・雲林院君・・・他多数。」
「雲林院?お前さっき雲林院は死んだって言ったんじゃないのか?ワケが分からんぞ。」
「まぁまぁ、細かい事は置いておいて・・・でも必須事項だから本当に宜しく頼むよ。」
「・・・何処から突っ込めば良いのか・・・・・・あ、そうだ。
 中学の時に海音寺って居ただろ?アイツも飛び降りして・・・」
「うん。そうだよ。」
油川が途中で話を遮る。
「抜け道が何処に有るかは私も全く知らないから何も言えないよ。御免ね。
 ただ、私、森野君にならきっと探し出せるって信じてるから。
 あ、あと最後にハッキリ言っとくよ。君と雲林院君と他多数って言ったけど
 できる限りで良いんだよ。助け出す人数は。だから不定。誠実でしょ?」
「んあ。」
森野はそんな擬音を口にしたが全く納得できていなかった。
「なんかよく分からんが俺に回りくどくバイトの仕事の依頼をしてるのか?
 もうちょっと分かりやすく言えねえのか?」
「うん。無理。・・・じゃ、さよなら。また会えて良かったよ。」

そう言うと油川は舟の家の外に飛び出して川に勢いよく飛び込んだ。
「・・・ってオイ!馬鹿か!?」
森野はすぐに駆けつけて川の中を凝視した。
しかし緑色の水中に人の形をした物は無かった。
1分ほど舟の家の上から探したが油川は先日の雲林院と同じように
影も形も消え失せてしまっていた。
「またかよ!畜生!!いい加減しろ!!」
今度は森野も頭に来たらしく辺り構わず喚き散らした。
ふと隣の柵の中に目をやる。
3匹の大山椒魚は相変わらず微動だにしないように見えた。
「コイツ等本気になって泳ぐと速いんだよな・・・。」
少し落ち着いた森野が呟く。
「アイツ、コイツ等置いて行っちまって良いんだろうか。
 俺が来た事とアイツが何処かに消えちまった事にはどういう関係が有るんだ?」
森野はまた分からないなりに思いを巡らした。
その時、山椒魚の内の一匹が溜息をついて、いくつかの水泡がボコリと音を立てた。
「『抜け道』って・・・俺が探偵役かよ・・・。馬鹿だぞ?俺は。」
そう言って森野も深い深い溜息をついた。

一人の男が地獄の門の前で暴れている。
その男の名は雲林院水徒。
地獄の門番ゲルニカはしょうがなく様子を見に降りてきた。
「兄ちゃん、何か問題でも有ったか?」
ゲルニカが尋ねる。
「僕は地獄なんか行きたくない!天国にも!巫山戯るな!」
雲林院は子供のように喚き散らしている。
「んな事言ったってな。兄ちゃんは『自殺』っていう大罪を犯してる。
 今となっちゃ兄ちゃんにはその二択しか無いんだよ。」
ゲルニカは宥める様に言った。
「嫌だ!そんな事有って良い筈がない!僕はどっちにも行かないぞ!」
雲林院は聞く耳を持とうとしない。
「しょうがねーな・・・。」
ゲルニカは途方に暮れた。其処に鴉のような翼を持った女が寄ってくる。
「ゲルニカ。このヘタレは私が裁くわ。」
「・・・クオリアか。どうするつもりだ?」
ゲルニカが尋ねる。
「コイツは根性が治るまで『中間界』に幽閉する!」
クオリアは強く言い放った。
「うへぇ!あそこはキツいぜ。何たって○○△△××だからな!」
雲林院にはゲルニカの言葉が聞き取れなかった。
「何だって!?何だそのチューカンカイってのは!ちゃんと説明しろ!」
雲林院が喚く。
「喝!!」
雲林院を無視してクオリアは叫んだ。
すると地面の下から大きな音を立てて一気に3つ目の門が現れた。
「うおぁ!?」
雲林院は心底驚いた声を上げた。
ゲルニカは帳簿のような物を捲っている。
クオリアは満面の笑みを浮かべている。
「あ!ちょっと待て!兄ちゃんの中学の時の同級生が一人地獄に行ってるぜ。」         ゲルニカが言う。
「名前は海音寺蛍だ。」
「蛍!?」
雲林院は動揺した声を上げた。
「もう遅い!開け!」
クオリアが声を上げると第三の扉が音を立ててゆっくりと開いた。
「ハツカネズミちゃん達の事なんかアンタとは一切関係無い!」
クオリアは言う。
「ちょっと待て!なんで蛍は地獄なんかに行ったんだ?」
雲林院が尋ねる。
「自殺したからだろ?」
ゲルニカが言う。
「知るか!そんなもん!」
クオリアが両手を激しく打ち合わせると雲林院は一気に門の中へと吸い込まれていった。
「なんでなんだよー!!!」
雲林院の断末魔の叫びが辺り一面に木霊した。

クオリアは大きく伸びをした。
「ふーっ。・・・で、その海音寺ってハツカネズミはまだ生きてるわけ?」
「生きてる。もう入ってから6年も経ってるな。中学の時に飛び降りをやったらしい。」
ゲルニカは答える。
「ふーん・・・面白いじゃん。今度巡回する時にちょっかいだしてやるよ。」
クオリアは面白そうに言った。
「面白くねぇよ。アイツ等死んでるのに生き残りすぎだぜ。そろそろ消えてもらわないと
 俺達はアレだ。職務上の怠慢だ。何とかしねーと。」
ゲルニカが言う。
「消すの?」
クオリアが尋ねる。
「いや、そうは言ってねーけど・・・。」
ゲルニカはそう言って、石の上に座ってしばらく俯いていた。

ノラウイルスは形質を転換させ人間に感染するようになった。
黒猫の回収のバイトは取り止めとなり森野詠史は職を失った。 
雲林院の遺書のコピーを偶に見やる。

森野へ

僕は今年もK大学に合格する事はできないんだと悟ったよ。
当たり前だよ。少しも勉強してないんだから。僕ってヘタレだね。
そんなワケでもうこの世ともオサラバする気になってきちゃったよ。
水前寺さんに宜しく言っといてくれ。
油川に「スヌーフィーと心の相談室」を返してやってくれ。
地獄に行ったら蛍と仲良くやってくよ。じゃぁ、さよなら、友達。

なんて事無い内容だった。
K学院大学に進学した水前寺由良についても触れてある。
「由良か・・・。」
森野は中学の頃の同級生の事を思い出す。
森野と同じ吹奏楽部に所属しておりコントラバスを弾いていた。(森野はアルトサックス)
気の強い鬼太郎カットの女だった。
今頃何してるのだろうか?
そうだ。K学院大学の辺りまで訪ねて行ってやろうか、と森野は思い立つ。
雲林院の遺書を見せてやろう。(物凄く短いけども)
暇だった事もあってもうその日には汽車に乗って目的地に向かっていた。

K学院大学に着くと森野は激しい頭痛に襲われた。
ノラウイルスの症状であるように思われた。
「畜生。何だってこんな時に・・・。」
意識が朦朧としてきた時に、森野の前に一匹の黒猫が通りかかる。
「寄ってくんな畜生!しっしっ!」
森野は黒猫に向かって手を振り上げた。
しかし黒猫は依然として森野の方に寄って来る。
「お前は雲林院の友人か?」
黒猫が森野に向かって話しかけた。
「・・・!!」
森野は絶句した。
「水前寺由良に会うつもりか。『抜け道』がそちらの方向に有ると信じているのだな。」
黒猫が喋る。
「・・・なんだ感染源。一丁前の口利きやがって。お前も言いたい事言って消えちまうつもりか?」
森野は言った。
「私が興味が有るのは地獄のハツカネズミどもの事だ。お前の行動は彼らに影響を与えている。
 正しい行動をとってもらわないと私が困るのだ。」
「畜生のくせに俺に指図するのか。俺はただ友人の最後の頼みを聞いてやろうとしてるだけだ。
 お前等の思惑なんかにこれっぽちも興味ねぇよ!」
言っている間も森野の視界は次第にぼやけていった。
「畜生・・・このままでは死ぬ。早く病院に・・・。」
「貴様は死なぬ。この世界に生かされ試されるのがお前だからだ。」
黒猫は喋り続ける。
「私の名は大和。黒猫の長だ。」
「貴様には使命がある。地獄のハツカネズミの運命は貴様に懸かってるのだ。」
「『抜け道』を探せ。雲林院や海音寺の遺志を継ぐのだ。」
森野は地べたに倒れこみガクンと頭を垂れた。
「雲林院と海音寺の遺志・・・?」
「あいつ等が最後までやりたかった事・・・?」
「K大合格か?」
「海音寺は芸術家になりたかったんだっけか?」
「俺にK大に合格して芸術家になれっていうのか?」
森野は呟いた。
「貴様は即物的すぎる。」
大和は言った。
「そうだよ。俺だって昔はK大に行きたかったんだ・・・。」
森野は自分の事を思い出した。
『抜け道』はこっちの方向に有るのだろうか。
しかし、どうもそんな気がしない。
「・・・大和さん。俺、病気みたいだから薬取ってきてくれないかな。」
朦朧とする意識の中で森野が言った。
返事を聞く前に、森野は意識を失った。
K学院大学の片隅で森野は眠り、傍らで大和が座って欠伸をしている。
水前寺由良は偶然にも其処に通りがかり、救急車を呼んだ。
大和は少し遠くから運ばれていく森野を見て「グッドラック。」とか呟いてその場を立ち去った。

 森野詠史は一ヶ月以上の入院を余儀なくされた。
薬の副作用でうつ病のような症状に悩まされた。
心配した水前寺由良は「スヌーフィーと心の相談室」を買ってきてくれた。
複雑な心境だった。
「雲林院君はそんな事で自殺するような弱い人だと思わなかったけどな。」
由良は言う。
森野は半分以上その意見には不賛成だった。
雲林院には雲林院の抜き差しならない事情が有ったんだと思う。
しかし黙っていた。
由良の由良らしい意見に敬意を表したつもりだった。
由良は由良のままだった。
中学の頃からあまり変わっていないようだ。
「雲林院は最後まで雲林院だったよ。」
代わりに森野はそんな事を言った。

中学の頃が懐かしく思い出された。
雲林院水徒が美術室の前でチューバを吹いている。
海音寺蛍が美術室の中で抽象画を描いている。
油川氷魚が被服室の前でフルートを吹いている。
森野自身は1年生のベランダでアルトサックスを吹いている。
水前寺由良は2年生のベランダでコントラバスを弾いている。
早朝の白い空気の中でそんな皆の一連の行動がずっと繋がっていくような幻想。
皆して終わらない夢を見ている。
森野は朝練の最中によく涙を流した。
理由はよく分からない。

「しかし油川が投身したり黒猫が喋ったり色々大変なんだ。」
森野は一応言ってみた。
「夢見てたんだろ?」
由良は平凡なコメントを返した。
「雲林院君は現実を見るのが辛かったんだね。多分。あんたにもその気が有るよ。多分。」
由良らしい斬り方だった。
由良は由良のままだ。何も変わっていない。
森野はその事に関して酷く安心した。
「俺はどうも『抜け道』を探さないといけないらしい。俺はK大に合格して芸術家になれば良いと
 思うんだが。」
「分かったよ。君がメンヘラーって事は。よく。」
由良はまたバッサリと斬った。
「K大の受験勉強を始めてみようかと思うんだ。」
森野は思っていた事を言った。
「はぁ?話が見えないよ。雲林院君の敵討ちか何か?」
由良は言う。
「ああ。それに近い。俺の中には雲林院が少しだけ染み込んでいるんだ。」
森野は言う。
「・・・分かったよ。君がメンヘラーって事は。よく。」
由良の台詞は二度目の使用だった為殺傷力が鈍っていた。
「俺はK大に合格する!」
森野は叫んだ。
由良はバッグを持って立ち上がった。
「心配だからまた来るよ。3日くらいしたら。それまで生きてなさいよ。メンヘラーの森野君。」
由良は言った。
「俺は正気だ!世界で一番な!」
森野は叫んだ。
由良はドアを開けて去っていった。

「地獄の中の地獄」は人体の表面の様な大地が広がる荒涼とした世界だった。
所々瘡蓋の様な黒い部分が有り其処からは腐臭が放たれていた。
食料となる植物は疎らに生えており、動物の気配は全く無かった。
それでも蛍は死んでからというもの空腹を感じたことは無く、問題無かった。
何か食べた方が良い様な気がしてとりあえずその辺に生えている草花を食べていた。
昼夜の温度差は40℃近く、過酷な生活が強いられた。
天気は曇りか雨かのどっちかだった。
一ヶ月に一度、地獄の門番が巡回にやってきて「目的地」を言い渡していく。
一ヶ月以内にその「目的地」に徒歩で行く事を強いられるようだった。
目的地に着いた後は特に何もしなくても良いようだった。
体力的にそう無理が有る地点が目的地に選ばれるわけでもなく、
一ヶ月以内に到着できなければどうなるのか知らなかった。
恐らく「地獄の中の天国」に強制的に入れられるとかそんな所だろう。
それにしても、思ったよりもずっと緩い「地獄の中の地獄」だった。
「地獄の中の地獄」に入ってから2ヶ月ほど経った時に、簪の少女、星街鶸に出会った。
鶸は生き別れてしまった兄にもう一度会いたいが為に「地獄の中の地獄」に入ったらしかった。
もう既にそれから6年ほどの時間が経過している。
蛍と鶸は中間地点の「地獄のテレビジョン」という物体のある所に到着した。
「地獄のテレビジョン」は蛍の中学の時の同級の森野詠史の日常を映し出していた。
彼は「プレイヤー1」というものらしく、彼の精神状態がこの「地獄の中の地獄」の世界の
環境にリアルに反映するように設定されているらしかった。
蛍は偶然とは思えない偶然に面食らったがあまり深く考えずに飲み込んだ。
地獄の門番のクオリアが雲林院水徒が死んだ時には「地獄の中の地獄」の空に
大きな亀裂が走り、そこが化膿し腐臭を放っていたのだと教えてくれた。
そういえばそんな事も有ったか、と蛍は曖昧に思った。
日々の生活で一杯一杯だったのであまり覚えていなかった。
雲林院が「地獄の中の中間界」という所に幽閉されたと聞いた。
その場所の詳細については教えてもらえなかった。
どれ程か分からないけども残念で寂しかった。
そんな時は星街鶸の存在が随分支えになった。

その日、星街鶸はワカランコエという名の花が咲いているのをテレビジョンの近くで見つけた。
口に入れて噛んでみると甘酸っぱくて美味しかった。
持って帰って花壇に植えようと決めた。
蛍は「地獄のテレビジョン」をずっと見ていた。
森野詠史は入院し、K大を受験する意思を固めたようだった。
「大学か・・・。」
蛍は考える。
自分は、もし行けるのだったら、美大に行きたかったのだ。
蛍の体は死んだ時から年をとっておらず、14歳のままだった。
「森野が羨ましい。」
蛍は呟いた。
自分は死んでしまって、もうこの無辺の大地をさまよう事しかする事が無い。
よく6年間も飽きもせずたった2人でやってきたものだ。
鶸の存在が無ければさっさと二度目の自殺をして「無」になっていたかもしれない。
自分にはやりたい事が有ったのに、何故死んでしまったんだろう。
蛍はあまり考えた事がない事を考え始めた。
「海音寺さん!これ美味しいですよ!」
13歳の鶸が無邪気な声をあげて走り寄ってくる。
無邪気。
そうだ。無邪気だ。
蛍は思った。自分達にはもう無邪気しか残っていない。
蛍はまだもう少し生きてみようと思った。
また何か思いつくかもしれないから。
生きよう。
蛍は思った。

星街二矢は交通事故に巻き込まれて死んでしまった。
さらに万引きの常習犯であった為に地獄に連行される事になった。
地獄の門の前に行くとゲルニカという男が近付いてきて耳打ちしてきた。
「妹さんは地獄に居るぜ。」
二矢は愕然とした。
自分の妹ほど心優しい人間を知らなかったからだ。
それが「自殺」と「本人の選択」によって「地獄の中の地獄」に行く事になった。
「連れ戻さなければならない。」
そんな事が出来るかどうかはよく分からなかったがそう思わずにはいられなかった。
二矢は地獄の門を開けた。
「一丁入ります!」
ゲルニカという男の甲高い声が響いた。
それが4ヶ月前の事。

二矢が持たされた道具はバイクだった。
「目的地」に着くまでの期限日数は2、3日に短縮されてしまったがそれで十分だった。
蛍や鶸の数十倍のスピードで「地獄の中の地獄」を走り続けた。
何故か燃料は常に満タン状態で保たれていた。
最後に妹に会うという目的が目下の二矢の全てだった。
そんな時、メサイアという名の地獄の門番に出会った。
「おいおいズルイだろコレ。バイクが支給されるなんてこれじゃすぐにクリアーできちゃうよ。」
メサイアは言う。
「俺が知るか。そんな事。っていうか、クリアーって何だ。」
二矢は言う。
「あ、知らねーんだっけか?最後の目的地『世界樹』に到着する事がクリアー条件さ。」
「『世界樹』?」
「あぁ。俺達全員の生命の源泉みたいなもんだ。
 その実を食べれば俺達は○○△△××になる。それでクリアー。」
「何だって?食べたらどうなるって?」
「悪いな。其処は企業秘密だ。そんな良い事じゃないから安心しろ。」
「わけ分からねーよ。」
「うん。まぁ、俺もよく知らないんだ。本当は。アハハハ。すまんね。」
「・・・ならやっぱ相当急がないと不味いって事だな。」
「妹の事が気になるのか?」
メサイアがにやにやしながら言った。
二矢はメサイアの顔面めがけて殴りかかった。
しかし、その拳はメサイアの顔を通り抜けた。
「物理攻撃は不可能だ。」
メサイアは言う。
「いけ好かねぇ連中だ。」
二矢は吐き捨てる。
「さぁて、行くか!」
二矢はメサイアに背を向けてバイクのエンジンをかけた。
「若き兵士が愛しき者を守る為、殺し合うのは美しい事だと本当に言えるのか♪」
メサイアは茶化した歌を歌った。

「地獄の中の中間界」は上も下も右も左も無い真っ白な世界だった。
触れられる物の何も無い、ただただ白が続いている世界。
自分が世界に対して何の影響も与える事ができない場所だった。
雲林院水徒は幽閉されてから数時間で発狂しそうになった。
これはどのような罰なのだろうか。
何の為の関門なのだろうか。
そんな事ばかり考えていた。
やがて何もかも考えるのが億劫になってくる。
考えることを止めて、目を瞑り、妄想をはじめた。
自分の世界を工作のように構築する作業に没頭した。
そんな中で偶に思うこと。
「K大に合格したかったな。」
地獄に着てまで雲林院はまだそんな事を考えていた。
そのような事を考えていると腹の底で何かが蠢く気配がする。
「K大に合格したかったな。K大に合格したかったな。K大に合格したかったな。」
その内に頭の中にそんな言葉ばかりが飛び交うようになった。
「中間界」がそのような単純な思考を誘発するような作用を持っていたのだ。
「K大に合格したかったな。K大に合格したかったな。K大に合格したかったな。」
雲林院は呟き続ける。
「水前寺さんに会いたいな。森野に礼を言いたいな。K大に合格したかったな。」
次第に別の思考が混入されていく。
「ここから出たいな。もう何ヶ月経った?半年くらいかな。一体何のつもりだってんだ。
 俺様をこんな所に閉じ込めて。世界的な損失だというのに。馬鹿じゃないのか。
 あの地獄の番人ども。ここから出たら直ぐに殲滅してやる。」
雲林院の思考は次第に現実を離れていった。
「この『中間界』、壊してやる。やろうと思って出来ない事じゃない。
 世界は俺を中心に回ってるんだ。出来ない事じゃない。」
雲林院は強く信じ込んだ。
さらに頭をブンブン振り回すようになる。ほとんど気が狂っていた。
「俺は特別なんだ。俺に出来ない事は無い。俺は特別なんだ。俺は特別なんだ。」
「中間界」の中で地震が起こったように揺れが起こった。
それと同時に紙が破れるような音と共に空間に深い亀裂が走る。
「俺は特別だ。特別なんだ。」
揺れはさらに激しくなる。
メキメキと音を立てて辺りの白い空間が崩れ始める。
「地獄の門」が有る空間が隙間から見え隠れする。
「復讐してやるぞ!!この世界に!!!」
亀裂が一気に大きくなる。
物凄い轟音が辺りに響く。
「僕は新世界の神になる!!!」
雲林院は声を張り上げ、亀裂の外に向かって飛び出した。

空間に亀裂が走り、その中から黒い何かが飛び出した。
ゲルニカとクオリアとメサイアは偶々地獄の門の付近に揃っていた。
「何だアレは!?」
メサイアが叫ぶ。
学ランのような服を着た真っ黒い生物。瞳孔は深紅に輝いていた。
「アレは・・・。」
「K大K大K大K大ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」
その生き物が叫ぶ。
「雲林院水徒!?」
メサイアが声を上げる。
生き物がかけていた眼鏡が地に落ちて割れた。
ゲルニカも生き物の正体が中間界に幽閉していた雲林院水徒である事を確信した。
「そうか!アイツはプレイヤー2だったんだ!」
ゲルニカが声を上げる。
「プレイヤー2!?嘘でしょ!?」
クオリアが叫ぶ。
「プレイヤー1が近くにいない地獄ではアイツがプレイヤー1になっていたんだ。
 つまりこの地獄はもうアイツの思いを反映する世界になってしまっているんだ。都合良くな。」
ゲルニカは言う。
水徒の右腕が膨張し、醜く膨れ上がっていく。
「K大K大K大K大ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」
雲林院がそう叫ぶと右腕の先端が細長く銃口のような形を作った。
「危ない!!離れろ!!」
「世界と君との戦いでは世界に味方せよ!!!」
轟音が轟きそこから青白い熱線が放たれる。
命中されたメサイアが粉々に砕け散った。
「メサイア!」
クオリアが叫ぶ。
「『中間界』で増幅された負の感情が本体の形態を著しく変えている・・・俺達は失敗したんだ!                           
俺が食い止める!クオリアは仲間を連れて来てくれ!!」
「・・・うん、分かった!」
クオリアが飛び立ちゲルニカがガスマスクを外す。
赤髪の端正な顔が現れた。
「逝くぞ!!」
ゲルニカが背中に背負っていた大きな銃を構える。
こうして地獄の門番達と雲林院水徒との激しい戦いが幕を開けた。

「雲林院君は根暗だなぁ。」
「海音寺は変態だよ。」
「油川さんって空気だよね。」
「水前寺さんって格好良いよね。」
「森野って何考えてんのか分かんない。」
「これからパートやるよ!早く準備して!」
「先輩、俺が椅子持ってきますよ。」
「千本木先輩って美しい・・・。」
「木住野先輩って渋いわ・・・。」
「うるせーな畜生!黙ってろ!」
「戦闘組曲!」
「油川さんも変態だよ。」
「油川さんの考えてる事、ちょっと分かったよ。」
「被服室の前でパート!」
「ピース!」
「雲林院君、今ドキドキしてるの?」
「森野が好きだ。」
「芸術は爆発だ!」
「絵、巧いんだね、森野君。」
「緊張なんかしてねぇよ。」
「そういう意味じゃない!」
「早く準備しろ!」
「雲林院君、約束破ったね。」
「高校行っても続けるつもり?」
「さよなら。雲林院君。」
「仕舞いには怒るぞ、森野。」
「ずっと一緒に居てよ。」
「夢中になれる事見つけた教室には♪」
「環境を守る仕事に就くの。」
「今晩は美術室に泊まるわ。」
「毎日、朝練で大変だよな。」
「お前なんか何処へでも行っちまえ。」
「死ねよ。」
「お前等は仲間だ。」
「意外と剛毛だね。雲林院君。」
「幻滅した。」
「最低。」
「嫌い。」
「目指せ全国!」
「金賞受賞!」
「やったね。海音寺。」
「油川さんが泣いてるよ。」
「笑ってやれよ。森野。」
「森野の馬鹿野郎!」
「お前がお前じゃなかったら!」
「辞めさせてくれ。頼む。」
「永遠にさようなら。」
「割と凝ったつくりしてるね。」
「イメチェンやってるなぁ。」
「あ、それ知ってる。」
「32点。」
「尊敬しちゃう。」
「またきっと会えるさ。」
「何処へでも行っちまえ。」
「さよならって言えなかった。」
「青春の象徴に?」
「言葉にしないでくれ。」
「まだまだ続くよ。何処までも。」
「雲林院君、今ドキドキしてるの?」
「2回目だよ。それ。」
「海音寺の絵って下手。」
「関わりたくない。」
「やったぁ、森野君。」
「通用しないぞ。」
「友情だね。」
「森野君・・・。」
「幻滅した。」
「だから2回目だって。それ。」
「まだまだ続くよ。何処までも。」

森野詠史◆夢日記


俺はその日、K大の入試に落ちた。
遣る瀬無くて鏡都から帰る事をせずに、そのまま立ち寄った漫画喫茶に泊まった。
そうしたら夢枕に雲林院水徒が立ったのだ。
雲林院は言った。
「お前の人生じゃないか。何故俺の事をそんなに気にするのか。」と。
俺は答えた。
「俺の自己満足だ。お前こそ、そんな事気にするんじゃねえ。」と。
雲林院は溜め息をついて言った。
「地獄はお前の頭の中にある。天国も抜け道も然りだ。」
俺はわけも分からずに言い返す。
「お前等、揃いも揃って何でそんな電波な事ばかり言うんだよ。
 俺の頭の中が何だって言うんだ。」
「俺とお前は別々の存在じゃあないんだよ。だからそんなに俺のことが気になるんだ。」
「お前、何時の間に一人称『俺』になったんだ?これ以上意味の分からん事を言うな。」                              雲林院は溜め息をついた。
それからボンと音を立てて雲林院の周りを白い煙が包み、
その煙が無くなると今度はそこに油川氷魚が立っていた。
「森野君、私、森野君のこと好きだよ。許してあげるよ。全部。」
「油川。てめぇ、死んだんじゃなかったのか?」
「生きてるよ。死んだくらいじゃ無くならないよ。私達。」
「何の用だよ。馬鹿野郎。」
「森野君に早まってほしくないから来たんだよ。自殺する事考えたでしょ。
 駄目だよ。絶対。私が森野君の事許すから。絶対に全部許すから。」
「知るか。俺に関係のある話じゃない。」
「許すから。全部許すから。きっと許す。何もかも全部許すから。絶対。きっと。」
「俺は・・・。」
「自分を殺さないで。絶対、私が許すから。死ぬまでずっと、私が許すから。」
そこで目が覚めた。


帰りの高速バスの中で其処まで日記帳に書いた後、森野は溜め息をついた。
わけが分からなかった。
いや、夢なんだからわけが分からないのはいたって普通な事かもしれないけれども。
ただ自殺をする気はだんだん無くなってきた。
そうだ。確かに自分はあの晩、全てが面倒くさくなって死ぬつもりだった。
それが、油川氷魚の言葉で、そんな気持ちは霧散してしまった。
脆いものだ。自分の意思なんて。森野は思った。
油川氷魚は夢で自分の事が好きだと言ってた。
それは森野自身が作り出したイメージだ。
都合良く。都合良く。自分を守るために。
自分の為の全てだ。人は自分の為に泣き、笑う生き物だ。
そうだ。深く考える必要は無い。
森野の全体が最終的に生きる事を望んだのだ。
森野の中の雲林院は森野。森野の中の油川氷魚は森野だ。
自分は生きる事を望んだのだと、森野は納得した。
「はぁ〜〜〜〜。」
森野は深い溜め息をついた。
明日からまたウダツの上がらない毎日が始まる。
失敗だ。失敗だった。失敗したのだ。自分は。
森野は思った。

「雲林院君、K大に恋してるの?」
「一方通行って辛いよね。」

戦いは終わった。
雲林院水徒は全ての力を剥奪され拘束された。
地獄の門番側には死者20名を出す大惨事となった。
ゲルニカは雲林院水徒を現世に送り返す事に決めた。
「あばよ。厄介者。現世に戻ったってお前に自分の居場所なんて有りゃしないぜ。」
ゲルニカは言った。

次に気が付いた時、雲林院はK塾の寄宿舎の自分の部屋で机に向かっていた。
雲林院は現世に戻ってきた。

蛍と鶸と二矢は「地獄の中の地獄」の最深部、世界樹に到達した。
(二矢は鶸が「世界樹を見てみたい」と言うとあっさり自分の
「鶸を連れ戻したい」という意思を翻した。妹には甘いらしい。)
半分はバイクの3人乗りで来た為に楽で早く着いた。
世界樹は鈍く青く光る炎のような形状をした
人が二人やっと寄りかかれるくらいの細さの樹だった。
思ったよりずっと弱々しい。
これも森野詠史の心の状態を反映してのものなのだろう。
茶色いデコボコしたドッジボール大の実が一つ生っていた。
何が起こるか分からなくて心配なので3人は地獄の門番が巡回に回ってくるのを待った。

数ヶ月ぶりにゲルニカとメテオラという老人がやって来た。
「よう。ハツカネズミの諸君。ここまで到達した事に関して祝福してやるぜ。おめでとう。」
ゲルニカは言う。
メテオラという老人は世界樹に耳を当てて内部の音を聴いているようだった。
蛍も真似をして世界樹に耳を当ててみる。
「雲林院は何処に消えたぁ。」
「こっちを見てくれ由良。」
「俺はこのまま生きていても良いのか。誰か答えてくれ。」
「誰か俺を許してくれ〜・・・。」
低いしゃがれた声でそんな風に人が喋るのが聴こえた。不思議な樹だ。
森野詠史の心の叫びがこんな感じなのだろうか。
「一人が食える実は一つまでだ。実は一つしか生ってないから
 お前等の中の一人しか食えないぜ。」
ゲルニカは言った。
「食べたら私達どうなるの?」
鶸が尋ねた。
「それは企業秘密だ。」
ゲルニカが答える。
「嫌だよ。ここまで3人で着たんだから最後まで3人一緒に逝く。」
鶸は言った。
「そうだな。」
二矢が言った。
「ああ。そう答えるだろうと予想はしてたぜ。そこでだ。このメテオラ爺さんは樹医なんだが、
 この人の指示に従ってお前等が働けばその内に実はあと2つ生るだろうって話だ。
 悪くないだろう。これが最後の課題だ。」
ゲルニカは言った。
メテオラは相変わらず樹に耳を押し当てて何かぶつぶつと呟いている。
「ああ、じゃあ、そうしよっか。」
鶸が言った。
二矢は黙っている。
蛍は鶸に頷いて見せた。
蛍は思った。
これで全部終わりだ。
この何の意味が有ったのかよく分からない旅も。
実を食べたら自分達は「無」になってしまうのだろう。
結局、雲林院水徒にも水前寺由良にも出会う事は叶わなかった。
運が無かったか。
それでも新しい仲間に出会えて良かったと思えた。
またもう一度「生きよう」と思えた。
これで終わりだ。全て。
「腐葉土を作るからサバンナ地帯から植物を集めてきてくれ。」
メテオラは言った。
「分かった。」
二矢がバイクを走らせる。
さぁ、もうあと一仕事。
森野詠史も自分達のおかげで少しは元気になる事ができるのではないか。
自分達が森野に希望を与える事ができるのではないか。
この細い細い世界樹という名の樹に希望を。
蛍は思った。
「生かしてやるよ。絶対。」
季節の無い大地は平坦で苦痛だった。
だがその先には一人の人間の未来が有った。

「思い出は地獄。現世は天国。」
「往生際が悪いよ。森野君。」
「負けを抱えて生きていけ。」
「あとの事は知らね。」

雲林院水徒は現世に帰ってきた。
その次の日に失意の森野の家を訪ねた。
「よう。」
玄関で雲林院は言った。
森野は口をパクパク開けて10秒ほどつっ立っていた。
それから叫んだ。
「雲林院お前かよ!!」
涙が溢れた。
1年前まではそれほど気にかけるほどの仲ではなかった。
しかし死別と同じ目標を持った連帯感が二人の繋がりを深めていた。
森野は一気に地獄から天国、といったような心持ちだった。

さらにその次の日、春休みのK学院大学の美術部のBOXでパーティーが開かれた。
雲林院水徒の生還を祝ってのものだった。
参加したのは雲林院水徒と水前寺由良と森野詠史の3人である。
「なんかよく分かんないけど、とりあえず生きてたんならめでたいね。腐れ縁だしね。」
由良は言った。
「もうちょっと良い言い方は無いのか?水前寺。」
「いいよいいよ。有難うな。2人とも。」
雲林院はそう言って、今までに無かったような明るい表情をしている。
「何何、雲林院君、凄く嬉しそう。何か有ったんじゃないの?」
「いやぁ。実はよく覚えてないんだよ。この1年の事。」
「分からん話じゃないな。消えちまってたんだから。」

「じゃーん!」
ふいに扉が開いて声がした。
其処に油川氷魚が立っていた。
「お邪魔〜皆。元気ですかぁ?」
「油川!お前まで生きてたのか!?」
「何かよく分からないけど久しぶりだね。氷魚。」
「何だ。お前今日俺達が此処に来る事知ってたのか?」
「知ってたよう。私だって地獄の門番のバイトやってるんだもん。」
「何だ?『地獄の門番』?電波な事言うんじゃねえよ。」
「ねっ。よく分かんないけどアンタも混ざりなさいよ。久しぶりじゃない。」
「いや、私はゲルニカさんから言付けを頼まれてきただけだから。直ぐに帰るよ。」
「ゲルニカ?なんだそのピカソは。」
雲林院が怪訝な顔をする。
「雲林院君宛だよう。よく聞いてね。
 『今回はこっちの手違いでお前を現世に送り返すことになった。
  しかしお前が一度自殺という大罪を犯した事には変わりない。
  なのでお前がもう一度何か罪を犯した時は地獄よりもっと劣悪な環境の
  魔界に送ってやる事にする。覚えておけ。』だってさ。」
氷魚は一息にそう言った。
「『魔界』だと?またお前は性懲りも無く電波な事言いやがって。」
森野は言う。
「何のことやらだ。」
雲林院は言った。
「うん。記憶が消してあるのは知ってるよ。じゃ。伝えたからね。アデュー。」
氷魚は扉を閉めて去っていってしまった。
「なんか随分明るくなってなかった?あの娘。」
「なんかよく分からんけど、なんかよく分からん奴だな。全く。」
「魔界?」
「うん。まぁいいや。とにかく今日はめでたいんだよ。とにかく。」
「ああ、そうだな。」
「そうだそうだ。乾杯だ乾杯。」
「カンパーイ。」
3人は声をそろえて言った。
明日からは森野はアルバイトの日々だし雲林院は浪人生活だ。由良は春休み。
森野は思う。
自分も雲林院と同じ傷を負った。
今は気に入らない。でも何時か自分で自分を許せるだろうか。
どうせ最後には全て泡のように消えてしまう。
油川の言っていた『抜け道』を自分が見つける事ができたとは思わない。
これからもずっと探していく事になるのだろう。
何というか、それが人生なのだと思う。
頭の中のガスを抜く為の道だろうか。
そんな感じかもしれない。
自分はもうK大を受ける事はしないと決めた。
負けを抱えて生きていく事に決めた。
先の事は分からない。
雲林院が死んだと思って切迫した気持ちはもう霧散してしまった。
なんでだろう。
理由はよく分からない。
そうだ。
分からない事って大事だな。
森野は思った。

雲林院は美術室の前でチューバを吹いている。
蛍は美術部室の中で抽象画を描いている。
魔が差して蛍は窓辺に寄ってくる。
「調子はどお?」
「まぁまぁだよ。」
しばしの沈黙。
コントラバスの千本木と水前寺が3階にやって来る。
「さぁ、パートするよ。雲林院君。」
「はい。」
「私ちょっと此処で聴いてても良いですか?」
「良いよ。さぁ、始めよう。」
メトロノームがセットされパート練習が始まる。
蛍は雲林院の下手な演奏を聴いて満足していた。

美術室に部員の木住野が入ってくる。
「なんだ。海音寺。描かんのか。」
「今音楽聴いてるんですよ。私。」
「言っとくけど絵じゃぁ食えんぞ。海音寺。」
「何脈絡ない事言ってんですか。先輩。」
「脈絡は有る。」
その後に10分くらい自分の描きかけの絵を見た後、木住野は出て行ってしまった。
何をしに来たのかよく分からない。
蛍はその後も雲林院達のパート練習を聴き続けた。

パートが終わって部活も終わった。
雲林院は椅子を理科室に運び入れる。
蛍が暇を持て余して隣で見ている。
「海音寺は美大に行くのか?」
「行けたらね。雲林院君は?」
「行けるだけ偏差値が高い大学に行く。」
蛍はふっと笑った。
「それからどうするの?」
「えっ?」
「大学を卒業したら、どうするの?」
「うっ・・・あー・・・ん?」

「・・・えーと、何だっけ?」



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