昭和名力士


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昭和の横綱 四(輪湖〜千代)

横1

横2 横3 横4 大1 大2 大3 大4 三1 三2 三3

輪 島 北の湖 若乃花 三重ノ海 千代の富士 隆の里 双羽黒


 

 

    輪 島   横綱  <左下手寄り・投げ> 花籠  186/132
B12 B12 黄金の左 5b

右おっつけ4b

出し投げ 4b

左四つ寄り4b

突っ張り 3b

吊り寄り 4c

腕返し  3c

吊り   3c

掬い投げ 3c

掛け投げ2e

巻き替え3c

モロ差寄り3c

はたき 2d

ハズ押し3c

前褌寄り3d

引きつけ3b

張り手 2c

左上手投げ3c

<立合>

張差し  3b

右突き 2b

左差し  3b

モロ手突き2c

カチ上げ2c

右上手 2d

頭d 肩b

胸b 手b

<技・体>

土俵際

左半身

ユルフン

前捌き

差し身

逆四つ○

腰痛膝痛

<心>

相撲勘

勝負強い

調整×

蔵前の星

対小兵○

A14 C11
C10 A15
B13 C11
C11 C10

 

 


 

 

    北の湖 横綱  <左四つ寄り・突押> 三保ヶ関  179/169
A14 B13

吊り  4a

右上手投げ4c

モロ手突き4b

左四つ寄り4b

突っ張り 4b

のどわ  3c

がぶり寄り3b

おっつけ 4b

ハズ押し 4c

巻き替え4b

掬い投げ3c

引きつけ3b

腕返し 3c

小手投げ2d

突き落し3c

はたき 3c

下手投げ2c

<立合>

カチ上げ 4a

右上手  2c

モロ手突き3d

左差し 2c

体当たり3c

いなし 2d

頭d 肩b

胸a手c変化d

<技・体>

重心低い

立ち腰

差し身

逆四つ○

右膝痛

左足首痛

 

<心>

勝負弱い

不沈艦

強行

速攻

怪童

 

B13 B13
C10 B12
B12 C11
C10 B13

 


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昭和の横綱 四(輪湖〜千代)

横1

横2 横3 横4 大1 大2 大3 大4 三1 三2 三3

輪 島 北の湖 若乃花 三重ノ海 千代の富士 隆の里 双羽黒


 

 

 

   若乃花   横綱  <左四つ寄り投げ> 二子山  186/130
C10 C11 左下手投げ5a

右上手投げ3b

外掛け 2c

上手出投げ3c

打っ棄り4b

吊り  3b

肩透かし3b

左四つ寄り3b

ひねり 3c

外掛け 3c

吊り寄り 3b

波離間投げ2d

張り手 3c

左上手投げ3d

掬い投げ4a

突き落とし3c

突っ張り2c

<立合>

左差し 4b

カチ上げ3b

右前褌 2c

右上手 3c

体当たり2c

 

頭d 肩b

胸a手c変化e

<技・体>

上体柔軟

二枚腰

懐深い

カタフン

首腰痛

<心>

安定感

相撲勘

投げ多用

人気

早熟

 

D09 C10
C11 A14
B13 A14
B12 B12

 

 

 


 

 

 

          三重ノ海   横綱  <左四つ寄り・押し> 出羽海  181/135
C11 B12 上手出投げ5b

右前褌寄り4b

上突っ張り3a

張り手   3c

モロ手突き3c

ハズ押し 3c

突き落とし4c

モロ差寄り2d

左四つ寄り3b

おっつけ3c

はたき 3c

蹴返し 2c

巻き替え3c

外掛け 3b

首ひねり3c

肩透かし2c

吊り  3c

下手出投げ2d

<立合>

張差し 4a

カチ上げ2c

体当たり3d

いなし 2d

前褌  2c

 

頭c肩b胸c

手b変化d

<技・体>

前傾○

前捌き

ユルフン

左足首痛

肝炎

 

<心>

ムラッ気

勝負強い

逆境○

速攻

気迫

研究熱心

晩成型

B12 B12
C11 B12
B13 B12
C10 C11

 

 


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横1

横2 横3 横4 大1 大2 大3 大4 三1 三2 三3

輪 島 北の湖 若乃花 三重ノ海 千代の富士 隆の里 双羽黒


 

 

 

      千代の富士 横綱  <右四つ寄り・投げ>  九重  183/127
C10 A14 ウルフS 5a

左前褌寄り5a

掬い投げ 3c

吊り   3b

上手出投げ4c

寄り飛ばし4b

外掛け   3d

まわし切り5c

右前褌寄り3c

巻き替え3c

右腕返し4b

網打ち 2e

右下手投げ3d

ひねり 3d

打っ棄り2d

引き落とし3c

引き付け 5b

はねあげ 3c

<立合>

前褌   4a

左上手 3b

体当たり2d

張差し 3c

右差し 2d

カチ上げ2d

頭c 肩a

胸c 手d

<技・体>

速攻

まわり込み

電車道

カタフン

上手相撲

首押さえ

筋肉質

肩脱臼癖

<心>

威圧感

相撲勘

勝負強い

強引

逆境○

投げ多用

研究熱心

超晩成型

A14 C10
B13 A15
B13 B13
B13 C11

 

 

 


 

 

 

 

        隆の里   横綱  <右四つ寄り・吊り> 二子山  182/160
B13 B13 吊り   4a

右四つ寄り4a

左上手投げ4c

外掛け  3c

吊り寄り 4b

前褌寄り  2c

肩透かし 3c

ひねり   4c

引きつけ  5a

おっつけ  3c

がぶり寄り2d

モロ差寄り3d

まわし切り3c

浴びせ倒し3c

素首落とし2d

閂   3d

首投げ 2c

掬い投げ2d

<立合>

カチ上げ3b

上手  2b

張差し  2c

体当たり2c

前褌    2c

 

頭d肩a胸a

手c変化d

<技・体>

がっぷり○

ポパイ

足腰硬い

腰高

外四つ○

ワキ甘い

マラソン立合

右膝痛

<心>

勝負強い

冷静

尻上がり

スロ-スタ-タ

ムラッ気

研究熱心

おしん横綱

A14 C10
09 C11
C11 C10
C10 C11

 

 


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昭和の横綱 四(輪湖〜千代)

横1

横2 横3 横4 大1 大2 大3 大4 三1 三2 三3

輪 島 北の湖 若乃花 三重ノ海 千代の富士 隆の里 双羽黒


 

 

       双羽黒   横綱  <右四つ寄り・突き押し>  立浪  199/150
B12 C11 上突っ張り4b

上手投げ 4b

右四つ寄り3b

吊り   3c

右掬い投げ4b

小手投げ 2c

モロ手突き3c

ひねり  3c

掬い投げ 2c

巻き替え 3b

鯖折り  2e

張り手  2c

右腕返し 3c

しぼり  3c

まわし切り2b

のどわ 3c

極め  3c

吊り落とし1e

<立合>

モロ手突き3b

左上手   2c

左おっつけ2c

ぶちかまし2d

張差し  2d

右上手    2c

頭c 肩c
胸d手b変化e

<技・体>

懐深い

体質柔軟

リーチ長

胴長

外四つ

肩越上手

アゴ上がり

手四つ

<心>

ムラッ気

短気

取りこぼし

勝負弱い

新人類横綱

 

B13 C11
C10 B12
C10 C10
C10 C10

 

 

 

 

 

 

第54代横綱 輪島 優14

天才的な相撲センスで角界を席巻した「蔵前の星」。鳴り物入りで入門、瞬く間に頂点を極めた大卒力士唯一の横綱である。黄金の左と称された下手投げで頂点に君臨。北の湖と渡り合い、輪湖時代を築いて14回の優勝を重ねた。

2年連続学生横綱など両手に余るタイトルを引っ提げて昭和45年幕下付出でデビュー。初めて幕下を連続優勝で2場所突破、46年初場所では新入幕。当初は上位の壁に阻まれ初めて負け込すが、徐々に対応。大鵬、玉の海が不在となって混沌とする中、一気に頭角を現す。47年夏場所では12勝3敗で初優勝。序盤で連敗するが立ち直ると、上位総崩れとなり、14日目1差の大麒麟が敗れて決定した。名古屋は8勝に終わり、続く秋場所では大関へは貴ノ花、魁傑の方が近距離にあったが、千秋楽、語り草になっている貴ノ花との水入りの大相撲を制し13勝。大関同時昇進の「貴輪」コンビは、看板力士不在で低迷する相撲界の救世主となった。

大関としても安定した成績を残した輪島、低迷する貴ノ花を尻目に準優勝後の48年夏、全勝優勝を果たして待望の横綱に推挙された。時に25歳、入門からわずか3年半のスピード出世だった。

2場所目でまたも全勝した輪島、翌場所には終盤を休場しながら12勝2敗1休で連覇。先輩横綱が衰えて独壇場となりかけたが、49年突如対抗馬が急浮上する。初場所初日に輪島を倒した勢いに乗って初優勝、大関に昇進した20歳北の湖である。大関3場所で綱取りを成功させた怪童とは、長きに渡る2強時代を築くことになる。綱取り場所の北の湖を連破して逆転優勝するなど、3回の優勝を果たした輪島だが、11月の9勝6敗から突如不振に陥る。50年は春夏と初日から連敗して途中休場、名古屋を全休して再起をかけた秋も2日目に敗れると引退まで取り沙汰される。何とか危機を脱した輪島だが、しばらく賜杯から見放されてしまう。まだ27歳ながら早くも6歳若い北の湖に先行され、覇者交代は必至と見られた。しかし51年から52年にかけ、輪島は蘇って輪湖時代を築き上げる。毎場所北の湖と賜杯を分け合う空前の安定時代を迎えたのである。52年11月は相星決戦を制して双葉山に並ぶ歴代2位、12回目の優勝。

30歳となった輪島はさすがに毎場所好成績を維持することは厳しくなった。時を同じくして北の湖は全盛期を迎える。53年7月、久しぶりに好調の輪島、14日目北の湖との全勝決戦に臨むが、水の入る熱戦の末に敗れて雌雄は決した。途中休場も目立ち始めた輪島だが、天才力士らしからぬ粘りを発揮。54年は持ち直し、名古屋で1年半ぶりの優勝。最後の輝きと思いきや55年の九州でもう一度賜杯を抱く。千秋楽、1敗を守って勝ち残りで控える輪島。見上げる土俵には並走する若乃花、これを倒して最後の優勝をプレゼントしたのは、宿命のライバル北の湖であった。2場所後の56年3月、2日目に土がついて1勝1敗ながら電撃的に引退を発表した。33歳の横綱は、以後隆の里、千代の富士のみ。引退後は阿佐ヶ谷勢の本家・花籠部屋の二代目師匠として期待されたが、不祥事により廃業しプロレス入り。名門部屋はあえなく消滅した。

輪島の取り口は歴代横綱の系譜から見ると異端とも呼べる下手相撲。左下手を取って右はおっつけ、やや半身になりながら相手が出てくれば下手投げで切って捨てる名人芸を見せた。目方はないけれども腰が重くて難攻不落。相手によっては突っ張りや右四つでも対応し、小兵を捌くのは得意だった。一方、重量級の一気の攻めには手を焼き、高見山には7つの金星を献上。


第55代横綱北の湖 優24

大鵬の年少記録を次々と塗り替えた怪童。21歳にして角界の頂点に登り詰めた史上最年少横綱は、通算24回の優勝、年間82勝の大記録を打ち立て、ファンをして憎らしいほど強いと言わしめた。連続50場所勝ち越しの不沈艦。

昭和42年に入門、まだ13歳の中学生力士だった。15歳にして幕下。中学生力士は46年に禁止されており、もはや破りようのない記録である。17歳11ヶ月で十両、47年1月18歳7ヶ月で入幕。新入幕では負け越して陥落したが、1年後の48年1月10代の三役が誕生。入幕から2年近く、目立った活躍はなかったが、ターニングポイントとなったのが48年の11月。前場所初めて三役で勝ち越した北の湖は、新関脇でも9勝2敗と快調に飛ばしていたが、富士桜に敗れた際、足首を骨折。しかし強行に出場を続けて千秋楽にやっと一つ勝って10勝に乗せた。若いのに無理をして悪化させてはというのが正論だろうが、この無理が自信になったようである。年が改まった翌場所、初日から上位を全て倒して10連勝。小結魁傑に敗れて輪島と1差での競り合いとなるが、3横綱を倒している因縁の富士桜も撃破、千秋楽三重ノ海を寄り切り(足が出たことに気づかずに、土俵中央で行司が止める珍しい決まり方)、初優勝が決まった。先場所気力で掴んだ二桁勝利が効いて、大関昇進となった。急成長は止まらず、5月に2度目の賜杯。翌場所も1差で輪島をリードして千秋楽を迎えたが、黄金の左に続けざまに投げられてV逸。悔しい横綱昇進となった。

打倒輪島で始まった21歳2ヶ月の最年少横綱、秋の新横綱場所も輪島、九州では決定戦で小結魁傑の軍門に下る。翌50年は輪島が不振だったが、貴ノ花に2度決定戦で敗れるなど勝負弱さが残り、2回の優勝に留まる。当時花籠、二子山の阿佐ヶ谷勢に押され気味だった出羽一門の砦として一門総出で稽古に励ませた。51年も波があったが輪島との2強時代に持込み3度優勝。52年は年間80勝を記録するも、優勝は全勝の2場所だけ。地力では上回りながらも勝負弱い面が見受けられていたが、53年は長く史上最強と言われた無敵の一年だった。輪島が後退し、大関から横綱に挙がる頃の若三杉が対抗してきたが、挑戦をことごとく退けて5連覇。15,13,14,15,14とハイレベルな成績を続けた。九州こそ最後に3連敗し、史上初の年間完全制覇(平成17年に朝青龍が記録)や大鵬以来の6連覇は逃すが、年間82勝は不滅の記録と言われた。54、55年も53年ほどではないにしろ安定して王座に君臨した。55年7月は全勝で3連覇、通算20回の優勝に乗せた。

輪島引退の56年、突如として千代の富士が台頭、7月まで毎場所千秋楽の直接対決で優勝を争う。初めて現れた自分より若いライバル、加えて勤続疲労を起こしたか、ヒザのケガを抱えた北の湖は、九州でついに途中休場に追い込まれた。連続の勝越し、二桁勝利の記録もストップした。翌場所何事もなかったかのように復帰して優勝を飾るが、足腰の急激な衰えに新勢力の台頭で以後は苦しい晩年となる。57年は皆勤3場所、58年は3場所連続全休などリハビリが続き、11月やっと皆勤。59年1月は8勝7敗でいよいよ引退近しと思われたが、5月に突然の大復活劇。13日目に優勝を決めてしまう快進撃でまさかの7度目の全勝優勝。14場所ぶりの賜杯を抱いた4場所後、目標にしていた新両国国技館の土俵に立って引退した。10年以上に渡り綱を守った功績に、一代年寄りが贈られた。人望厚く、40代で理事長職に就くが、朝青龍問題や序ノ口力士死亡事件の対応で評価を落とし、大麻事件で遂に辞任した。

力士として理想的な体。重心低く、馬力に溢れ、組んでも良し離れて良し。左四つに組めば盤石で、軽々と吊り上げて運んでいった。素早い巻き替えなど意外な繊細さも感じさせる。晩年期はヒザのケガに苦しみ足腰から崩れることが増えたが、全盛期は動きも早かった。ふてぶてしいまでの強さがイメージされるが、大事な一番には弱いところもあり、決定戦は2勝6敗。大鵬の優勝回数にもっと迫っていてもおかしくなかった。


第56代横綱若乃花 優4

華麗な取り口で人気を集め、横綱に昇進して二代目若乃花を襲名した名人力士。全盛期は短かったが、同じ花のニッパチ組・北の湖の独走に食い下がってハイレベルな争いを展開した。

43年、青森からのちの隆の里とともに上京し二子山部屋に入門。48年11月に若三杉の四股名で入幕を果たす。49年9月、初の上位で技能賞を獲得すると、翌場所の新三役では優勝争いに加わる。上位戦を終えながら最後に連敗して惜しくも叶わず。3場所連続の技能賞を獲得する。その後故障で三役陥落し、1年半ほど停滞するが、51年9月に関脇に復帰すると、3場所連続で11勝をマークし大関取りに成功。大関までの若三杉北の湖に勝越すなど上位には健闘するが、大事な所での取りこぼしが目立った。

52年は輪湖の時代で後塵を拝したが、5月場所両横綱の追撃を振り切って大関2場所前で初優勝。53年に入ると衰え始めた輪島に代わって北の湖の対抗馬に浮上。1月は全勝の北の湖に挑戦するも吊り出されて13勝2敗。3月も千秋楽同点決勝に持ち込むも逆転ならず。勝っていれば横綱に届いただろう。再挑戦の5月も北の湖を1差で追う展開、14日目に土をつけて決定戦に持ち込むが、本割で肋骨を折れてまたも退けられた。しかし13,13,14勝の好成績、連続優勝同点の実績が評価され、対象場所での優勝はないものの横綱昇進が決まった。

師匠から四股名を譲られて二代目若乃花幹士となる。7月は11勝止まり、9月も千秋楽で北の湖に賜杯をさらわれたが、11月にようやく2度目の優勝を飾る。13日目輪島との全勝対決を制すと、6連覇の消えた北の湖も下して全勝優勝。ようやく一矢報いた。その後毎場所安定して優勝争いを繰り広げるが、やはりライバルの壁は厚くてなかなか優勝には手が届かない。横綱になってからの千秋楽は7連敗を含む7勝15敗、あと一歩の場所が続いた。54年5月は全勝で走り、追う1敗勢を退けて優勝。55年9月は、ようやく浮上してきた同部屋同期の平幕隆の里が1差で追う展開。両者中盤から一歩も譲らずに勝ち続け、若乃花が逃げ切った。56年は頚椎の故障に悩まされ4場所を休場。57年は持ち直したが、スキャンダルもあり相撲に集中できず往年の力は戻らない。休場明けの58年1月場所中、30歳を前にして引退した。北の湖と好不調が重なってしまう不運もあり、実力からすると優勝4回は物足りなく、早すぎる引退は不完全燃焼の印象が強い。その後は間垣部屋を創設して幕内力士を輩出するも、弟子争いでは隆の里の鳴戸に軍配が上がった。

均整の取れた体型で、懐が深く、柔軟な体で反身になっても残し、守りの強さがあった。そして左四つになれば鮮やかな上手投げで魅了。最近は廻しを離して打つ投げがほとんどだが、若乃花は反対の廻しを最後まで離さず、捻りを効かせていた。流れの中での外掛けも得意とし、大関横綱になってからは吊りも多用。本人も認めるとおり腕力は弱くて力でねじ伏せるは取れず、重さもないので一気に持って行かれると脆い面もあったが、美しく強い名力士だった。


第57代横綱三重ノ海 優3

大関陥落の屈辱から這い上がり、31歳で横綱に掴んだ苦労人。内蔵を患いながらも節制で力士生活晩年に全盛期を迎えた。武蔵川部屋を興し、1横綱3大関を育てた実績が光る。

昭和38年、新弟子検査3回目でお情け合格。なかなか序二段を抜け出せないなど期待は薄かったが、急成長を見せて44年、21歳で幕内へ。45年7月には新三役、初挑戦で大鵬を粘りの相撲で寄り切り、玉の海には勇み足で勝って殊勲賞。「貴輪三魁」の一角として期待されたものの、肝炎を患って好成績が続かず、上位を荒らし三役で活躍したかと思えば病状が悪化し中位まで落ちるといった雌伏の時が5年も続いた。50年になってようやく関脇に定着。そして11月、13日目北の湖との2敗直接対決となり、終始攻勢に出て下手投げに下す。千秋楽は同期の旭国を熱戦の末に寄り切って逃げ切り、初優勝と大関を手にした。

見事にチャンスをものにしたものの、新大関は8勝に終わり、翌場所から故障で不振、連続途中休場でたった3場所での陥落となる。弟子の武双山が2場所を記録するまでは6場所制で最短記録だった。翌場所、陥落直後の関脇で10勝すれば復帰という制度を初めて適用されて何とか戻るが、平均クンロク以下の弱い大関だった。53年の後半あたりから安定して二桁は勝つようになり、54年5月は若乃花に1差の13勝と爆発。さらに翌場所、初日敗れたものの怒涛の追い上げ。全勝若乃花を止め、2敗北の湖も退け、千秋楽全勝できていた輪島も寄り倒して決定戦に持ち込んだ。優勝は逃したものの、2場所連続の活躍で横綱昇進。見事ワンチャンスをものにした。

4横綱時代となったが、昇進の勢いを駆った三重ノ海はさらに凄みを増す。11月は若乃花との決戦を制し4年ぶりの賜杯を抱くと、翌場所は堂々の全勝優勝。横綱になって3場所、横綱対決は9戦8勝と強豪3横綱を圧倒した。この活躍で燃え尽きてしまったか、急速に衰えてその年の11月、連敗したところで引退。出羽海部屋伝統の雲龍型を選ぶも、わずか8場所の短命横綱に終わった。しかし30歳過ぎてからの奇跡的な快進撃は十分に燃え尽きたと言える。年寄りとしても充実した時期を過ごし、理事長にも就任して難局を任されたが、不祥事は止まらず野球賭博事件でわずか2年で辞任した。

体に恵まれていたわけでもない三重ノ海は、前褌を取って頭をつけての速攻、出し投げと技能を見せつける一方、張り差しなど立合いの駆け引きもうまく使った。地味な力士ではあったが、ソツのない相撲ぶりで、立合いの張り、緩めの廻しなどは狡猾な印象を与えて不評ではあったが有効だった。左差し食い下がりの形に入って守るとしぶとく、相手に下手をやらずに揺さぶり、機を見て鋭い速攻を仕掛ける。きっちり崩してから攻める緻密な相撲であり、49年9月には二子岳戦では両者動かず相撲界最後の引き分けを記録している。


第58代横綱千代の富士 優31

通算1045勝、優勝31回、連勝記録53。30歳を過ぎて全盛期を迎えた遅咲きの大横綱。小さな体ながら力士らしからぬ筋肉質で、大型力士を投げ飛ばす豪快な相撲で80年代の土俵に君臨、数々の大記録を打ち立て国民栄誉賞を受賞した。

45年入門、何度も肩を脱臼して苦しんだが、50年秋には20歳で新入幕を果たす。しかし100キロに満たない軽量ながら上手を掴んで強引に振り回す大きすぎる相撲は幕内には通用せず、脱臼を誘発するばかりだった。真っ逆さまに幕下に落ち、しばらく十両で低迷。53年になってようやく再入幕し、5月には目標とする貴乃花を寄り切り敢闘賞、新三役となるも跳ね返された。そして54年春、播竜山のおっつけを受けて初めて右肩も外し、十両へ陥落。これを機に強引な相撲を改め、スピードを活かした前褌取って速攻という型を磨き、外れやすい型は筋肉の鎧でカバーするという改造に着手。55年になってその成果が表れてくる。3月、三重ノ海と若乃花から金星を奪って受賞したのを皮切りに、1年で5回の技能賞を獲得する。9月に三役で初の勝越しとなる10勝。北の湖を打っちゃって初めて勝った。11月は新関脇で8連勝し11勝。一躍大関取りとなった56年1月、初日苦手琴風を寄り切ると、輪島から初勝利を挙げ勢いに乗る。若乃花も破って勢いは止まらず14連勝で千秋楽、1敗北の湖との決戦に挑む。本割はまともに組んで吊り出されるが、決定戦では右の前褌を取って食い下がり、出し投げで土俵に這わせて初優勝。ニューヒーロー誕生の瞬間だった。

大関千代の富士は、ウルフフィーバーに乗って一気に駆け抜ける。壁となったのは北の湖だ。2場所続けて千秋楽直接対決に敗れる。名古屋でも初日黒星で追う展開、14日目北の湖に土がついて千秋楽は相星決戦となる。天敵に対し前褌を引くと一気の寄りで決め、優勝と横綱を手中にした。

新横綱場所、隆の里の投げに痛めていた足首を悪化させあっけなく休場。今後の行方が不安視されたが、翌場所復帰すると不調ながらも3回目の賜杯を手にする。1年の間に3つの地位で優勝した。57年は北の湖の不調も手伝い、3連覇を記録。58年はさらに強みを増したが、隆の里いう強力なライバルにことごとく賜杯を攫われ2度の優勝に留まった。59年はスランプに陥り、ようやく得意の九州で優勝して師匠北の富士に並んだ。
本領を発揮したのは両国国技館に移った60年から。初場所を全勝で制すと、国技館では7場所賜杯を譲らず。61年には休場明けから5連覇を達成し、優勝回数は20回に乗った。30歳を超えた千代の富士、やや故障が目立ってきた63年には次代を担う力士も浮上したが、またも休場明けから伝説を作る。5月7日目から連続全勝を挟み、九州まで勝ちっぱなして伸ばした連勝は53。来場所も全勝すれば双葉山に並ぶと気の早い声が聞こえてきた4連覇を決めた翌日の千秋楽、横綱大乃国に寄り倒されて夢と消えた。
この一番を最後に昭和は終わり、平成の世となるが、相変わらず優勝を重ねる。2年1月には30回の大台、11月に九州9度目となる31回目の優勝を果たした。それから2場所休場明けの3年5月、初日倍ほど年の離れた貴花田との世紀の一番に完敗すると、3日目貴闘力のとったりに崩れて引退を決意した。
一代年寄を辞退し、九重を継承。大関千代大海の他なかなか強豪は出なかったが、千代の富士を知らない世代になって有望株が続々と登場してきた。長年審判を務めたが、投票数の少ない高砂一門にあってなかなか理事職は回って来ず、ようやく選任されたが弟子の八百長発覚で辞職。力士生活同様晩成である。

言わずと知れた、前褌を引きつけて吹っ飛ばす寄り、ウルフスペシャルと謳われた頭を押さえての左上手投げ。右四つだが組み止めれば力を発揮。左右上手下手からの投げの他、吊り、ひねりと自在。大きな相手と組み合っても強靭な足腰で踏ん張り、引きつけて腰を浮かせてしまうので軽量を感じさせなかった。廻しを切るテクニックも秀逸。当初は出足に持って行かれることがあったが、7連敗と苦手だった琴風と申し合いを重ねてそれ以上の踏み込みを身につけた。小錦らの突き押しには最後まで苦労したが、パターンを読みきって巧みにかわす術を身につけた。


第59代横綱隆の里 優4

糖尿病を克服して苦労の末に頂点を極めたおしん横綱。ポパイと呼ばれたパワーでがっぷり四ツになれば強く、千代の富士の天敵として立ちはだかった。大きく引き離された同期の横綱若乃花が引退した後、横綱に駆け上がった遅咲きの力士。

43年のちの若三杉と同時入門、着実に地力をつけていたが早くも糖尿病に悩まされ幕下で停滞。49年11月に千代の富士と同時に新十両。この場所ライバル若三杉は小結で11勝している。50年5月幕内となるがすぐに十両へ逆戻りとなる。3度目の入幕で三役に駆け上がるが、度々糖尿で力が入らなくなり、昇降幅の広いエレベータを繰り返す。もう若三杉は横綱になって師匠の名を受け継いだ。54年に関脇2場所を務めたあとまた下位に落ちていたが、ここからようやく本領を発揮する。55年7月12勝の活躍に続き、9月は若乃花と優勝を争って13勝。初めて北の湖、輪島から金星を挙げた。翌場所三役に上がっても勢いは止まらず11勝。続く56年1月は千代の富士と共に一躍大関候補に名前が上がったが、9勝に終わって先に進まれた。3月は快調に勝ち進み、10勝2敗で終盤を迎えたが、最後に3連敗。翌場所負け越してフイになった。その間に千代の富士は横綱に昇進したが、秋場所新横綱に初めて土をつけると勢いを取り戻す。千代の富士戦3連勝で3場所連続で二桁を勝ち、見事大関に昇進した。30歳手前だった。

大関となった隆の里は安定した成績を残して、千代の富士戦は7連勝と実績を積む。4場所目の57年9月には全勝優勝を果たした。初の綱取りは終盤まで可能性を残したが、騏ノ嵐に不覚を取って崩れる。しばらく終盤に落として優勝を逃す場所が続く。58年1、3月は1敗で終盤を迎えながら最後連敗、5月は2敗となってから優勝した北天佑を倒して迫ったが届かず13勝。綱取りの可能性を残して迎えた7月、千代の富士との相星決戦を制して2度目の優勝。14勝で文句なしの横綱昇進が決まった。58年1月限りで同期で1歳若い若乃花は引退、同時に綱を並べることはなかった。

新横綱の9月場所、隆の里は双葉山以来の偉業をやってのける。千代の富士とともに負け知らずで千秋楽を迎え、柏鵬以来20年振りの楽日全勝決戦。またもがっぷり四ツから吊り出して新横綱での全勝優勝を果たした。翌場所も相星決戦となり、ついに一矢報いられたが、その次の59年1月も相星決戦で千代の富士を下す。実に4場所連続で同じ顔合わせの楽日相星決戦。後にも先にも例がない。休場がちの北の湖に代わって見事な2強時代を演じていた。かたや糖尿、こなた脱臼グセ、関取同時の2人がそれぞれの回り道を経て頂上決戦という図式は面白かった。
 4回目の優勝以降、取りこぼしの増えた隆の里は優勝争いから離されることが多くなった。11月に連敗して休場すると、ついに決壊。両国に移って円熟期を迎えた千代の富士とは対照的に、新国技館では1勝しか挙げることができず61年1月に引退した。結果的には不知火型の例に漏れず在位15場所と短命に終わった。
 鳴戸部屋を興し、出稽古をさせないなど独特の指導で着々と幕内力士を輩出。かつての自分と同じような同い年・隆乃若、若の里コンビは関脇で止まったが、いよいよ稀勢の里が大関取りという場所直前、59歳で急死。吉報は天で聞くこととなった。

 肩のいかった筋肉隆々の体つきで、がっぷり胸を合わすと怪力が発揮され、豪快な吊りはしばしば軽量の千代の富士を苦しめた。右四つだが上手相撲なので流れで左四ツにも組み、寄り、投げ、捻り、吊り、外掛けと力強い攻めが出た。反面ワキの甘さと体の硬さから来る腰高、立ち腰は長年の課題。そのため一気に出られると弱い面があり、特に琴風に相性が最悪だったが、克服して圧倒するようになったのも千代の富士と同じ。出始めのビデオを使った研究ぶりはよく知られ、のち師匠として白鵬63連勝ストップの秘策も伝授した。うまく捕まえる流れができていたが、59年9月に手付きの厳守が定められると、出足相撲に弱い面が露呈。衰えも重なって全く勝てなくなってしまった。

昭和58年7月千秋楽 千代の富士戦
勝てば優勝と横綱が手に入る一世一代の大勝負。うまく右四つに誘い込み持久戦に持ち込むと、千代の富士が引きつけて寄ったスキに上手を掴む。がっぷり。体で上回る隆の里、じっくり構えて吊り気味に攻勢、千代の富士が堪えるところ外掛けから体を浴びせて寄り倒し。執拗な研究の成果が表れた執念の勝利だった。


第60代横綱双羽黒

昭和相撲史の最終盤に現れた新人類横綱。誰もが認める大器は22歳にして横綱へ駆け上がったが、トラブル続きで遂に優勝できないないまま廃業した。

有望株が集まったサンパチ組の一人。幕下で少し止まったが、体が急激に太って加速、蔵前最後の場所で入幕を果たすと、そこからの勢いは凄かった。入幕2場所目の59年11月、早くも1横綱3大関を破り殊勲賞、三役でも連続10勝。上位陣と互角以上に取り、三賞常連となる。大関の期待がかかった新関脇ではケガで途中休場、入幕から最短大関は幻に終わったが、再出場して大関を破る気迫を見せている。平幕に下がった翌場所は、前半で2横綱3大関を倒して優勝を争う。14日目大乃国に敗れて惜しくも1差で逃した。関脇に戻り11勝、12勝と重ね、60年1月から大関となった。入幕後わずか8場所で殊勲賞5回、技能賞2回。

大関となっても本名の北尾で取っていた。最初2場所は取りこぼしが目立って10勝に終わったが、5月は2敗で千代の富士との相星決戦に挑むが及ばず。7月は保志に屈した1敗のみ全勝千代の富士を追い、千秋楽対決では上手投げで下し並ぶ。決定戦では敗れたものの、場所後横綱昇進の使者を迎えた。直前2場所に優勝がないのは数年前の若乃花、三重ノ海、翌年の大乃国といるので当時珍しくはなかったが、優勝経験がないまま横綱となったのは照国以来。幕内在位12場所、大関在位4場所、まだ22歳。品格面の問題ありとして、時期尚早論も強かった。しかし、隆の里が引退して31歳の千代の富士が一人横綱、一方で大関が5人いて優勝も経験した関脇保志が留め置かれていること、などの相対的な事情も後押しした。確かに千代の富士と互角に取っている唯一の力士であり、実力は問題なかった。

立浪部屋の英雄から取った四股名・双羽黒に改名。新横綱場所は不安的中で首を痛め途中休場したが、翌場所から立ち直る。しかし、千代の富士5連覇の時期と重なった不運。61年11月は千秋楽決戦で敗れ、62年1月は千秋楽勝って同点に持ち込むも決定戦では吊り出される。6度目の準優勝となかなか賜杯に縁がない。気落ちしたか不振に陥り、7月には8勝7敗は乱調した。付け人脱走などの事件もあった。11月、久しぶりに好調だった双羽黒は13連勝したが、またしても九重勢の壁。北勝海、千代の富士に連敗して賜杯を攫われた。その場所後、年の瀬に師匠と衝突し失踪するという大事件を起こす。遂には破門同然の廃業で幕引きとなった。その後プロレス入りするも長続きせず。立浪が代替わりすると、アドバイザーとして再び相撲に関わった。横綱昇進の基準が厳格化され、以後連続優勝した力士しか昇進していないことと優勝のない横綱の廃業とは無関係ではないだろう。

ほぼ2メートルの長身で体も柔らかく、動きも悪くない。かつての巨人力士とはひと味違う大器として期待が大きかった。相撲の巧さという点では賛否両論、教科書通りの相撲ではなかった。スケールの大きな相撲で、がっぷりに組めば千代の富士も苦しめた。難敵双羽黒が去った63年、千代の富士は53連勝を記録している。もし双羽黒が廃業しなかったらという議論は尽きない。旭富士が上がって5横綱になっていたか、若貴とどう戦ったか― 小錦を潰した鯖折りが有名だが、この決まり手はその一番だけであり、双羽黒相撲の本質ではない。リーチを生かした突っ張りから右を差して左おっつけから上手を引けば力が出る。相手によっては頭をつけることも厭わず、寄り、上手投げを得意とした。当時としては珍しいパソコンを活用した分析を試みるなど、研究熱心な面もあった。