移民の息子
1946年、ペンシルベニア州ユニオンで3人兄弟の末っ子
(上はすべてお姉さん)
として生まれる
。
両親はユーゴズラビアからアメリカに移民。彼の父は、ただ外国人というだけでいい仕事に就けず、炭坑夫をしていた。そんな父の仕事の関係で、幼い頃は全米各地を転々とし、なぜかその頃の彼は株投資に熱中していたという。そんな彼への転機が訪れたのが、高校から大学時代を過ごしたテキサス州ヒューストンに引っ越してからの事。巨体を活かして高校2年の春からフットボールを始めたのだった。
フットボールに明け暮れた
青春時代
1964年、フットボールの名門でテキサス州アマリロにある
ウエスト・テキサス州立大学(WTSU)
にスカラシップとして入学、オフェンスのラインマンとして活躍し、全米オールスターに2度も選ばれている。
(ちなみに、この大学の4年先輩にドリー・ファンクjr、2年先輩にテリー・ファンク、そして3年後輩にスタン・ハンセンがいた。)卒業と同時に、ニューヨーク・ジェッツ、グリーンヘイ・パッカーズなど複数の球団からスカウトを受けるが、最初に声が掛かった
「ワシントン・レッドスキンズ」
というアメリカ東部の名門チームに1968年夏に入団。スタープレーヤーとしてここでも活躍するが、シンシナシティで左膝を負傷(トレードマークのサポーターはこのため!)したことがきっかけで球団から見切りをつけられ、1970年にカナダの「エドモントン・エスキモーズ」に一旦は移籍するも、左膝の影響で思うような活躍も出来ず結局フットボーラーとしての選手生命を終え、シーズンオフにアルバイトで書いていた
「ダラス・モーニング・ニュース」
のスポーツコラムのコラムニストへと転身する。選手経験があるだけに、彼のフットボールコラムは実に的を得た解説・批評で、読者からも好評だったという。その傍らボディビルをやり始め、彼の肉体は現役当時よりも更に逞しくなっていたという。
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