Cue System & Cue Box スタジオ・キュー・システム&キュー・ボックス
キューボックス考


現場で起きた事件から

2006年のある日、鈴木重子さんのレコーディングの現場の様子がメールで飛び込んできた。マイクロフォンやマイクプリがしっくりこなくていろいろと切り替えていた時のこと、ある組み合わせにしたら自分出したつもりの声のとおりの音が耳に返ってくるようになって、とっても歌いやすくなり、どんどん調子がよくなっていったのだそうだ。当時は、ごく単純に良い録音機材はそういう効果もあるんだな、くらいにしか思っていなかった。キューシステムを設計することになって、あらためてあの時のことが思い出されてきた。

スタジオにおけるヘッドホンモニタって何なんだろうという疑問である。

スピーカーでモニタしたら音がカブってしまうだろ、下手したらハウリングするし、ということもあるだろう。いや、そういうことじゃなくて、なんでモニタするのか、というもっと根本的なことである。ホールのステージで声を出したことがある人はわかると思うけれど、自分の声が遠くにある正面の壁に当って跳ね返ってくるのを感じることができる。これがちゃんと返ってこないホールはものすごく歌いにくい。自分が出した音が自分の耳のいい感じで返ってくることは、演奏にとってきわめて重要なことなんである。


フィードバック・システム

演奏者は、自分が出した音を聞いて瞬時に判断して必要な調整をしている。たとえば、歌の旋律の最初の1小節と次の1小節とで気持ちを変えたい時、前の1小節の自分の声の感じを基準にして次の1小節をどのように発声したらいいか暗黙のうちに調整している。声が出た瞬間にもこの種の調整をどんどん行っている。人の体には精密なフィードバック・システムが組み込まれていて、そのおかげで正しい音程、バランスのよい音量、魅力的な声質で歌うことができる。

オーディオアンプにも精緻なフィードバック・システムが組み込まれている。入力されたオーディオ信号とアウトプットされたオーディオ信号とを比較して、そこに歪が生じていたり、ノイズが混入したりするとそれをきれいに除去したり修正してしまう。それが百万分の1秒(96kHzの1サンプルが9万6千分の1秒です)よりも短い時間で行われている。フィードバック・ループの中にわざと周波数をいじる関数を入れてやると、オーディオアンプは騙されて周波数特性が変わってしまう・・・これがイコライザです。正確に増幅するオーディオアンプにするには、フィードバックが正確でないと話にならない。

もし、出ている音が演奏者の耳に正しく戻ってこなかったら、誤った判断と調整をしてしまう。その誤った判断と調整をしてしまった出すつもりでない音がヘッドホンモニタを通じて自分の耳に戻ってきたら、頭の中は混乱してしまって歌うどころではなくなってしまう。自分が出したつもりではない別の音が返ってくるようなキューシステムだったら、スタジオのヘッドホンの音はそういうもんなんだ、と諦めて割り切って演奏するしかない。音の悪いキューシステムのもとでは、このような現象が日常的に起きている。

演奏者に正確なフィードバックを返すことはとても基本的な重要なことである。


ちょっとネガティブな話

キューシステムは儲からないと思う。

たかがヘッドホンを鳴らすしかけ、その音がレコーディングされるわけではない。当然、レコーディング・スタジオにおけるキューシステムの地位は低い。予算もつかない。そもそも、数が出ない。数が出ないということは量産がきかないから製造単価は下がらない。数を作ってしまったら在庫を抱えてしまう。小規模スタジオだったら、数万円の下の方で買える8chくらいの廉価なコンパクト・ミキサーで済ませてしまうだろう。


フィードバックのその次の段階へ・・・

自分の音が、まさにナチュラルな自分の音として自分の耳に飛び込んできたら演奏者はどう感じるのだろうか。思いどおりにうまく演奏できている瞬間はとても気持ちの良いものらしい。自分の音が好きになるんだそうである。

ステージに立って話をしたり演奏したりした時、聴衆のポジティブな反応が返ってくるとどんどんノリが良くなるという現象はよく知られている。フィードバックとして返ってくるのは自分が出した音だけではない。スタジオのブースから出て、音のカブリなんか気にしないで、やり直しリスクも棚上げして、みんなでメインルームでセイノでやったらすごいテイクになってしまった、というのも同じである。自分の演奏を聞いた別の演奏者の音が良い意味でフィードバックになっているからだ。

こんなことは、音楽の本質そのものなんだけれど、みんなすっかり忘れてしまったんではないかと思う。そして、レコーディングというものは音がカブらないように個々に箱にはいってするもんだ、スケジュールが合わなかったら日を改めて録ればいいいんだ、というのが普通になってしまっている。もちろん、その方法で得られるものは大きいかもしれない。「やり直しリスクの回避」と「コストダウン」だから、これは無視できないんだが。しかし、それをスタートラインに置くのはちょっと違うだろう、と思うのである。

話がそれた。

ポジティブなニュアンスを持った正確なフィードバックは良い演奏を生む、それがここで言いたかったことである。


今、それが起きている

別に、最初からそのようにしようと思っていたわけではないのだが、「それ」がSTRIPで起きている。

レコーディング・エンジニアとか、それを支えるスタッフとか、私みたいな(贋)オーディオ・エンジニアとか、それぞれが自分の枠組みの中で役割りを果たしつつ、気持ちの上ではそういった枠を大きく超えたところで「いい音楽をつくろう」と思ってやっていたから、こうなるのは必然だったのかもしれない。

キューシステムは、キューイングされる音自体はレコーディングされることはないのだが、演奏者が出す音を決める最も重要なところにポジショニングされている。だからSTRIP Gardenはキューボックス(システム)に最高のものを求めてきているし、今、それが形になったんだと思う。

Back to Home