2007/6月更新

ボウリングの歴史1について

著者紹介:「ボウリングの社会史」宮田哲郎著(JBBA教科書から)
本ページは、宮田哲郎氏に特別にご許可いただき、掲載させていただいております

宮田哲郎氏  日本スポーツ史学会。
 プロ:ライセンスNo.140のプロ6期生。(社)日本プロボウリング協会マスターインストラクター


※トドロキボウル顧問プロの宮田哲郎氏
「プロ・ボウラーを教える先生」として有名ですが、この世界ではもっとも多くの著作があります。
ベスト・セラー「スポーツ・ボウリング」など専門書や「ボウリング大辞典」、「ボウリングでぐんぐん健康になる本」、「月刊ボウリング・マガジン」連載のほかに、(社)日本プロボウリング協会の教科書(*)があります。

(*ボウリング史、ボウリング社会学など。)

また、宮田プロのQ&Aは有名で、最も多くの愛読者があり、読み物としても最高と言われています

その、宮田哲郎氏の「ボウリングQ&A」には、正確かつ詳しいボウリングの歴史が学べます。

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ボウリングは社交場!?

長崎・ボウリングサロン


 

ボウリングは1861年に日本に上陸して今年の6月22日で満146年となる。(2007年6月時点)
安政開港後、西洋から日本へいち早く伝えられたが
当時はスポーツというよりも「社交場」的色合いが濃かったようだ。

文久元年(1861)6月発行の長崎の英字新聞には、居留地(長崎唐人屋敷波止場)・広馬場に「6月22日に国際ボウリング場開設!」を知らせる広告が次のように出ている。

******

私儀、居留地の皆様方へ「インターナショナルボウリングサロン」の開設慎んでご通知申し上げます。

最高級銘柄のワイン及び様々な種類の酒を格安にて販売致す予定で御座います。

従業員一同、誠心誠意お客様へのサービスに努める所存で御座いますので、お引き立ての程何とぞよろしくお願い申し上げます。        

ヘンリー・ギブソン
文久元年(1861)6月22日 長崎

ボウリングブームの社会史  宮田哲郎著(JPBA教科書)から

※このことから6月22日が「ボウリングの日」として、1971年に日本ボウリング場協会が制定した。


ボウリングサロン上記の広告で興味深いのは、「最高級銘柄のワイン及び様々な種類の酒を・・」と言う部分。
このことから、ボウリング場で、政治やビジネスの話をお酒を片手になされていたのであろうか・・まさに重要な社交場・・名前のとおりサロン的役割を担っていたと伺える。

長崎のボウリングサロンでは、後に「長崎ボウリングクラブ」が結成され、国別対抗戦も行われていたようだ。それが競技志向の発展となっていった。


ボウリング歴史文献書などを見ると、中世時代ボウリングを描いた絵には必ずと言って良いほどバーが(お酒を提供する)ボウリング場内に存在している。

中央奥の方にバーカウンターがあり、ギャラリーのテーブルなどでもお酒を飲みながらボウリングを楽しく観戦中の様子。蝶ネクタイ姿の従業員や着飾った女性も交じりなかなか華やかな雰囲気を感じる。

社交場というのは、欧米では上流階級の人々が行く場所。ボウリングは最初は高級クラブ的場として発展し、一般庶民の楽しむ場として世界中に広まっていった。現在、日本では庶民的なものとして国民全員参加型のスポーツ(レジャー)として一番にあげられるが、発展途上国では、プレー代も高く一般庶民にはまだまだ手の届かないものでもある。

宗教改革で有名なマルチン・ルターもボウリングを愛好するなどなど、儀式の一部として行われていたボウリングは、その後、繁栄、衰退、復活と歴史的な変遷を潜り抜けて多くの人々に愛され続けている。ボウリング・・語っても語り尽くせない不思議な魅力があるのかもしれない。

ボウリングに、ワクワクドキドキするレジャー性とオリンピック公式参加を目指す真のスポーツ性にサロンのような優雅さを一滴加えれば最高だ!と、かなり欲張りな望みを持っている。

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今後のボウリングの競技性や品位を向上させるには、タバコなどで環境・健康面で「マイナス」を感じているお客様が多いという事実を曖昧に捉えず、業界で真剣に取り組まなければならない時期に来ていることは確かである。時代はどんどん変わっている・・・


■長崎にボウリングが上陸しそれより遅れること3年、1864年(元治元年)に発行された英字新聞に横浜にボウリングサロンが存在した記事が掲載されている。



■港の見える丘にボウリングが?

 −横浜ボウリング発祥の碑−

どんなスポーツにも歴史はあるが、ボウリングの歴史は古く紀元前3000前年の古代エジプトにさかのぼる。子供の墓からボウリングのピンが発見されている。そして宗教儀式からレジャー化、スポーツボウリングへと長い歴史の変遷を潜り抜けてきた。

さて現在、神奈川県横浜市・港の見える丘公園・フランス山に「横浜ボウリング発祥の碑」が立っているのを、皆さんはご覧になったことがあるだろうか?意外に知る人ぞ知る・・・情報かもしれない。

【港の見える丘公園 探索】

正面は大佛次郎記念館横浜開港の昔、イギリスの兵舎のあったところに1962年(昭和37年)に造られた公園。
園内には展望台・花壇・芝公園が整備されている。フランス軍の駐屯地であったフランス山も市に譲渡され現在の規模の公園となった。
公園からは横浜港、ベイブリッジや本牧ふ頭が一望でき、ことに夜景の美しさは・・ここに横浜あり!と言えよう。公園から見える横浜ベイブリッジ

また公園内には、かの有名な「鞍馬天狗」や「霧笛」などの代表作を残した大衆文学小説家,、大佛次郎(1862-1913)の記念館がある。(左画像)

手前にある沈床花壇は展望広場とともに1962年に整備され、右手にはバラ園が、奥には噴水広場につながる美しい庭園がひらけている。(JR石川町駅より徒歩15分)

−記念碑建立のいきさつ−
1861年(文久元年)長崎にボウリング場がオープンし、それより遅れること3年、1864年(元治元年)に発行された英字新聞に横浜にボウリングサロンが存在した記事が掲載されている。

記念碑建立については、横浜緑政局公園部管理課の深いご理解と県下ボウラー団体の協力を得て、開港当時外国人居留地であった、港の見える丘公園のフランス山に建立が許可された。

横浜ボウリング発祥の碑

【碑 文】

1864年(元治元年)横浜外国人居留地内に長崎に次ぎ
ボウリングサロンを開場した記録がある         

THE JAPAN HERALD No.115  MAY 7TH.1864

神奈川県ボウリング場協会発足30年を記念し ここに横浜ボウリング発祥の碑を建立する

                        平成7年10月26日

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★文久元年のできごと・・アメリカ:南北戦争、日本:武市半平太「土佐勤王党」を結成
★元治元年のできごと・・坂本竜馬、勝海舟と西郷隆盛の関係に東奔西走

はるか遠い太平洋を渡って、まさに江戸時代から明治時代に移り変わる夜明け前に、ボウリングが日本に伝わってきた!もしかして・・・竜馬も長崎でボウリングを体験したのであろうか?その謎を突きとめるにはどうしたら良いか・・



ボウリングの歴史1について

著者紹介:「ボウリングの社会史」宮田哲郎著(JBBA教科書から)
本ページは、宮田哲郎氏に特別にご許可いただき、掲載させていただいております

宮田哲郎氏  日本スポーツ史学会。
 プロ:ライセンスNo.140のプロ6期生。(社)日本プロボウリング協会マスターインストラクター



※トドロキボウル顧問プロの宮田哲郎氏
「プロ・ボウラーを教える先生」として有名ですが、この世界ではもっとも多くの著作があります。
ベスト・セラー「スポーツ・ボウリング」など専門書や「ボウリング大辞典」、「ボウリングでぐんぐん健康になる本」、「月刊ボウリング・マガジン」連載のほかに、(社)日本プロボウリング協会の教科書(*)があります。

(*ボウリング史、ボウリング社会学など。)

また、宮田プロのQ&Aは有名で、最も多くの愛読者があり、読み物としても最高と言われています

その、宮田哲郎氏の「ボウリングQ&A」には、正確かつ詳しいボウリングの歴史が学べます。

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