七三峠のトンネル

七三峠のトンネル 国道428号線、通称有馬街道を平野から有馬方面に北上すると、天王谷川に架かる金清橋の手前で右手に分かれる脇道がある。
少し進むと防砂ダムの手前に「救靈隊」と刻まれた大きめの石碑が目に入る。
字面だけを見るといわくありげに見えるが、これはこの奥に在る神戸実業学院(正式名称 社会福祉法人 基督教日本救霊隊 神戸実業学院。大正7年に設立された児童養護施設。)の石碑である。

車一台分ほどの狭い道が谷川(金星川)に沿って奥へと続く。そこを山の中へと進んで行くと左手に神戸実業学院の入口があり、そこから道は一面の落ち葉で覆われている。更に進むと上東服山橋の手前で「一般車両進入禁止 神戸市」と書かれた看板とバリケードがあり、これ以上先は車両は進めなくなっている。
路面は舗装されており、そこから更に徒歩で奥へ奥へと進んで行くと小さなトンネルが口を開けてる。
このトンネルはかつてこの奥に在った施設への往来のために造られた。
トンネルの向こうにはいくつかの施設が在った。

大正年間、ここに「竹馬学園 再度山林間学校」(以下、竹馬学園)という知的障害のある子供たちの施設が建設された。(昭和9年(1934)竣工ともいう。)
昭和19年(1944)4月、太平洋戦争の激化に伴い空襲が危惧される地域の抑留所(敵国人抑留所、抑留敵国人収容所)の移転が要請され、政府は竹馬学園を接収し抑留所とした。
ここを抑留所として利用することが決まった時、竹馬学園に子供を入所させている保護者達は接収に反対したが政府に逆らうことなど出来るわけもなかった。
これにより、兵庫第1抑留所(神戸市灘区青谷町 カナダ学院寄宿舎)、第3抑留所(神戸市神戸区北野町 バターフィールドエンドスワイヤー汽船社宅)、第4抑留所(神戸市神戸区(現 中央区)伊藤町 シーメンスミッション・インスティチュート)が閉鎖され、男子抑留者159名がここに移動となった。
同年7月には第2抑留所(神戸区神戸区(現 中央区)北野町 イースタンロッジ)に収容されていた修道女など女性40名が長崎抑留所(長崎市本河内町 聖母の騎士神学校)へ移動となり、入れ替わりに長崎抑留所から男子15名がここへ収容され、男子ばかり174名がここで暮らすことになった。

昭和22年(1947)建物は法務省少年院に寄付され、「再度山学院」(通称 再度少年院)となり、昭和42年(1967)に廃止されるまで少年院として存続する。
ここは他の少年院と違い、周囲を囲む堀も塀も無ければ、房舎に鉄格子も無いとう独特の造りであったという。
衆議院の「第010回国会 制定法律の一覧」の「法律第八十三号(昭二六・三・三一) 法務府設置法の一部を改正する法律」の中に「神戸再度山学院」の名称が見受けられる。

昭和36年(1961)11月、同地に「ひふみ園」の前身である児童入所施設「神戸学園」が開設される。
昭和42年(1967)7月、京阪神を襲った集中豪雨による土石流によりひふみ園は全壊。
16年後の昭和52年(1977)4月、知的障害者更生施設「ひふみ園」が開設され、昭和63年(1988)3月に両施設が統合され新生「ひふみ園」となる。
現在の立地は土石災害が危惧され、事実過去に土石流被害で全壊した事実もあることに加え建物の老朽化という問題もあり、平成16年(2004)11月に移転施設整備申請書を提出、平成19年(2007)8月、北区山田町に新築移転された。

近傍には野外活動施設、神戸市立「若者の家」もあったが平成18年8月末に閉鎖された。

トンネルの真上を通る七三峠の山道に門柱が残るのみで、現在これらの施設はすべて解体撤去されている。
この門柱は、兵庫抑留所時代の物とも、若者の家の物とも言われているがよく分からない。

話を戻そう。
この小さなトンネルの高さは約2.2m。
トンネルの真上を通る七三峠は神戸市中央区神戸港地方(こうべこうじかた)、同市兵庫区平野町天王谷奥東服山、同市北区山田町下谷上の三つの区の境界になっている。 距離が短いためか内部には照明が無く、陰鬱な空気が漂っている。暗く狭いその圧迫されるような雰囲気は、丁度、相坂トンネル(兵庫県姫路市)のミニチュア版といった表現がぴったりくるかも知れない。
地盤や地形、或いは工事費用等の関係でこの大きさに設計されたのだと思われるが、このトンネルは意図的に小さく造られているのだという話がある。
車両の通行を前提に造られている割には極端に小さく思えるこのトンネルは、不測の事態が発生した時に施設の入所者、或いは抑留所の収容者が外部に流出するのを防ぐために、封鎖しやすい様最小限のサイズに造られているのだという噂がある。
しかし、何時の頃の物かは定かでは無いが登山道には前述したように門跡も残っており、また、わざわざトンネルを通らなくても脱走を試みるなら周囲の山の中を通った方がよほど発見され難いと思う。
ひふみ園園長の勝浦正司氏が件のトンネルについて「ひょうご県知協NEWS」67号(平成19年4月15日 発行)の中で「最寄り幹線道路からの道が狭く、小さなトンネルがネックになって、救急車などの緊急車両の到着に時間がかかります。これあの状況は施設を利用している利用者の人命にもかかわることであり、できるだけ早く安全で安心な場所に移りたいと切に願って」(一部抜粋)と述べられていることを鑑みても、抑留者の流出を阻止するという話については断言できないにしても、入所者の流出云々の話はこのトンネル及び周辺が心霊スポット云々と言われたことによる噂から派生した付会と思われる。

先に少し触れたように、このトンネル及び周辺には心霊スポットという噂が在り、深夜、このトンネルを通ると出口(北東側)に女性(の幽霊)が立っていた、トンネルの中に斧を持った男がいて追い掛けられた、幽霊に車のフロントガラスを割られたといったような話を聞いた。
また、トンネル付近では自殺が多発しているという噂もあるが私が調べた限りでは事実確認には至らなかった。
確かに、昼尚薄暗い森の中を走る細い山道の突き当たりにひっそりとあるトンネルは、小さいながら独特の雰囲気を漂わせている。

平成20年(2008)1月末頃、老朽化による崩落の危険性があるとしてこのトンネルは閉鎖された。

末筆となりましたが、今回の追記再編集にあたり平素よりお世話になっているNightmare様(from “Nightmare's Psychiatry Examination”)より貴重な情報をご提供頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

2010/04/28 加筆再編集。
2018/03/07 加筆再編集。






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