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第二部「ライター編」#34〜#70ヘ





■某Aさんのエロゲークリエイター体験記71

背骨ソフトでは、週に一度、月曜日に社員全員を集めてミーティングが行われる。
Aさんも、出社早々事務所に集まるように言われた。
狭い事務所内に、Aさんを含む七人全員が集まった。
「おはようございます。ちょっと窮屈ですけど、手短に終わらせますので、我慢してください」
イスの数が足りないので、AさんはIちゃんと並んで事務室の入り口のほうに立たされた。
D社長の隣りに立つJ君がメモを読み上げる。
「えー。まず、それぞれの部署の現在の作業状況を報告してください」
F氏の言葉に真剣に耳を傾けるAさんに、Iちゃんが話し掛ける。

「このミーティング、会社を立ち上げた当時はやってなかったんですよ。
ですから前回の開発では、途中まで誰もお互いの作業状況を把握してなかったんです」
「…お互いの作業状況を把握してなくてもゲームって出来ちゃうものなの?」
Iちゃんは、首を振る。
「もちろん、ちゃんとした会社でしたら、作業の進行具合をチェックする役目の人はいます。
ですが、ゲーム開発って個人作業が主ですから、乱暴なこと言えば、
全体の状況を把握する人がいなくても、
それぞれがちゃんと作業を終わらせればゲームってできちゃうものなんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記72

なるほど、絵は絵。シナリオはシナリオ。
音楽は音楽で、それぞれ作業を進ませ部材(素材)さえキチンとそろえれば、
あとはそれを組み立てるだけ。
組み立てる作業なんて開発の一番最後だから、
それまではお互いの作業状況なんて知らなくてもいい。
「でも、やっぱりちゃんとしていたほうがいいですから、
いまのままじゃまずいだろうってことになって、
Fさんがミーティングの時間を取ることをみんなに呼びかけたんです。ほんとうでしたら…」
と、Iちゃんは腕組みしたまま居眠りしているD社長と、その隣りにいるE氏を見た。
「ディレクターのEさんか、社長のどちらかが率先して全体の状況を
把握することに勤めなきゃいけないんですけど、Eさんは、あんな感じでいつも無口でしょ?
社長は、自分のことにしか興味がない人なんで、二人ともディレクターには向いてないんです……」
Iちゃんの言ってることはAさんにもなんとなくわかった。
E氏は、いかにも職人といった感じの風貌と性格。
人に命令されて動くならば、E氏は能力を存分に発揮できるだろうが、
他人に命令することはあまり得意じゃないように見える。
反対にD社長のほうは、社長自身のプログラマーとしての技量が問われているので、
人に命令してる暇あったら、自分の仕事をちゃんとやってくださいと、みんな思ってる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記73

「この業界は、Eさんみたいな無口な人って珍しくないんですけど、
その人の下で働く私たちにとっては、無口な上司ってあまり好まれないんです。
D社長のようにおしゃべりな人はもっと嫌ですけど…。
Aさんも、将来ディレクターとか目指すんでしたら、覚えておいた方がいいですよ。
管理職に就く人で一番大切なのは、その人個人の能力よりも、
他人と上手くコミュニケーションする力が一番重用なんだと…」

――ディレクターか……。

映画で言うと監督。舞台で言うと演出家。
いわゆるゲームの製作現場における、柱である。
ディレクター次第で、企画が糞でもゲームは名作として完成する……こともある。
Iちゃんが言った「ディレクターに必要なのは他人とコミュニケーションする力」
の意味をもう少し詳しく言うと、
それぞれの進行状況を把握することも大切だが、
なによりまず、頭の中にあるイメージを的確に相手に伝えることが必要だということだ。
「私の仕事に限って言えば、たとえばH子さんの描いた原画をどういう雰囲気で塗ればいいのか、
淡く柔らかい感じに仕上げたいのか、シャープに鋭く仕上げたいのか。
それらのイメージを的確にわかりやすく指示してくれる人が、一番やりやすいディレクターですね。
ゲーム全体のイメージを把握しているのは、ディレクターさんだけなんですから、
末端で作業する私たちにまでイメージが上手く伝わっていないと、
ゲーム全体の出来がバラバラになっちゃうんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記74

なんか俺は、ディレクターにはなれそうにないな、とAさんは思った。
当面はライターとして、一人前になることが先決であり、
それより先のことをいま考えても仕方ないし…。
と、この後自分にどういう災難が降りかかるか知らないAさんは、
呑気にIちゃんの言葉を聞き流していた。

「しっ――」
Aさんたちの話を傍で聞いていたH子さんが、振り返って二人をとがめた。
Iちゃんは、すいませんと肩を竦めてH子さんに謝った。
ミーティングは、社長がJ君に次回作の企画の進行具合を報告するところまで進んでいた。
「…それで、Eと話し合って、企画のほうは大まかなところまで詰めることはできたのね。
後は企画書を作って、流通に持って行くだけだね。企画書は、A君にも手伝ってもらって、
今週中にも…A君聞いてる?」
「…は、はい」
突然話を振られて、Aさんは慌てる。

――えーと、いま社長なに話してたっけ? 確か企画がどうとか…。

「で、融資の確約が取れてから、雑誌に第一報という手順だね」
社長の隣りでE氏がうなずく。
「企画の内容、私は訊いてないんですけど、どういう内容なんですか?」
Iちゃんが手を上げて社長に尋ねる。
「時代は大正…。とある町にやってきた主人公は…巫女装束のヒロインと出会う…」
「ああ、月○炎ですね」
もったいぶった口調で語られる社長の企画案を、Iちゃんは一言で切り捨てた。
「ま、まあ…似てるといえば、似てるね」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記75

「いや、ぶっちゃけていうとIの言うとおりだな」
と、社長と一緒に企画を発案したはずのE氏が、他人事のように笑う。
「月○炎はともかく…巫女ものはいま流行りですから、手堅いところだと思いますよ。
いいんじゃないですかね」
E氏の代わりにJ君がフォローを入れた。

――巫女ものか……。

萌えゲーにあまり詳しくないAさんは、いまの流行といわれてもぴんとこなかった。
それに、この前まで1ユーザーだったAさんは、社長の企画にあまり新鮮味を感じなかった。
J君のいうとおり、最近のゲームでは――流行っているのかもしれないが――
巫女さんものがやたらと多い。
今年だけでも、もう4、5本は出ているように思う。
確か、猫殺ソフトのデビュー作も巫女装束のキャラがいたような気がする。
1ユーザーのAさんとして言わせてもらうなら、正直巫女さんキャラは過食気味で、
いまさら巫女物のゲームが出たところで、あんまり魅力的には感じない。

――でもまあ、J君が賛同するんだからそれでいいのかもな…。

発言力のないAさんは、とりあえず事態を見守るしか術がなかった。
「企画書が出来たらみんなにも配るから、雑誌に発表するまでいまの話、他言は無用ね」
「雑誌? OHPでの発表が先じゃないんですか?」
何も知らないAさんが、F氏に聞く。
「大体この業界では、ゲームの発表の第一報は雑誌社に提供するのが普通ですね。
発表してから発売するまでの期間、ずっとお世話になるわけですから、
いい情報は、まず雑誌社に提供するのが筋なんです」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記76

メーカーと雑誌社の付き合いというわけだ。
OHPでの発表は雑誌に取り上げられた後になる。
その後じゃないと雑誌社に先行して情報を提供した意味がない。
「うちみたいな小さいところでは、情報が漏れたところであまり痛手にはならないのですが、
大手になると発表前の情報の管理には異常に過敏になりますね。
発表するまえに、ネット上で情報が流れてしまうと、雑誌社の機嫌を損ねることになりますから…。
そうなると、メーカーとしては立場が悪くなるわけです」
だから社長は、他言は無用とわざわざ釘を刺したのだ。
「雑誌といえば…Fさん」
「ああ、そうでした。すっかり忘れてました…」
F氏とJ君が、目を合わせてほくそえむ。
「なに? なに?」
興味津々な様子で、Iちゃんが目を輝かせて二人を見る。
「これはまだ、正式な決定ではないのですが…H子さん」
「はい?」
「○○という雑誌から昨日連絡がありまして、うちに次回作の第一報を独占させてくれれば、
表紙をH子さんに飾らせてあげてもいいと言ってきてるんですよ」
「それってつまり…」
「はい。H子さんの絵が雑誌の表紙になって全国の書店に並ぶわけです」
おお! というどよめきがあがった。といってもどよめきをあげているのは、Aさんと、Iちゃんだけなのだが…。
当のH子さんは、いつものように平然としている…ように見えるが、
「そ、そうなの? ま、まあ…向こうから言ってきてるならやってあげてもいいわ」
満更でもなさそうだ。


会議風景


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記77

「それにしても、よく表紙取れたね」
とD社長。
「Fさんが、一日中雑誌社の前で土下座しましたから…。
僕、土下座したままFさんがミイラになるんじゃないかと思ってはらはらしましたよ。」
とJ君がF氏を見る。
「いやー大変でした。ミイラにはなりませんでしたけど、
土下座してる間に三回も警察官に職務質問されました」
「だからそんなに髪が薄くなったんですね」
みんな触れないようにしている話題を、Iちゃんがずばっと口にする。
「い、いや…ははは。苦労を背負い込む性分なんで」
Fさんは大人の余裕で、Iちゃんの毒舌を受け流した。 だがその禿げ上がった頭には、太い青筋が浮かんでいた。

「今日のミーティングはこれで終わりです。皆さん作業に戻ってください」
J君の言葉で、みな解散する。
「あ、ちょっと」
開発室に戻ろうとしているAさんたちを、F氏が呼び止めた。
「もう一つ、みなさんに伝えなければいけないのを忘れていました」
「何?」
「OHPの掲示板のことです。ご存知だとは思いますが、
前作のバグに怒りを募らせたユーザーさんたちによって、今現在見事に荒らされてます。
あのまま放置しておくわけにはいけません。
そろそろなんらかの手を打たないと、いけないと思うのですが…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記78

F氏の言葉で、一気に事務所内の空気が重くなった。
「……」
沈黙を破るように、E氏が口を開く。
「だから俺は反対だったんだ。掲示板を置くのは…」
「今更言っても遅いですよ。もう、置いちゃった物はどうしようもないです」
メーカーのHPに置いてある、掲示板。
本来なら、ユーザー同士の交流の場として存在するはずなのだが、
地雷を生み出したメーカーにとってはただの無法地帯となる。
「閉鎖しちゃうのは不味いんですか?」
と、Iちゃんが提案する。
「それは出来ませんね…。反感を買うばかりでメリットが一つもない」
「治まるまで、待つしかないんじゃないの?」
社長のその一言で、その話は決着した。
というより、だれもそれ以上いい案が出せなかったのだ。
OHPの掲示板は、とりあえずこのまま放置することに決まった。
「E。ちょっと…」
開発室に戻ろうとするE氏とH子さんを、社長が呼び止める。
Aさんたちは先に、開発室へと戻った。
「……ふう」
パソコンの前に座り、Aさんは溜息をついた。

――っていうより、俺は一体なにをすればいいんだ?

具体的な仕事の指示は、誰からももらっていない。
何をすればいいのか聞こうにも、
ディレクターのE氏は、社長とミーティングをしている。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記79

入社早々無職となったAさんは、とりあえず掃除でもしようと、
箒とちりとりを出して、開発室の床を掃きだした。

「それにしてもH子さんよかったですね」
Iちゃんと、J君、F氏が、H子さんを囲んで談笑している。
話題は、もちろんF氏が取ってきた雑誌の表紙の件である。
「いやでも、H子さんの実力からいったら当然かと」
「ちょっと、やめてよ」
みんな嬉しそうだ。とくに同人時代からH子さんと一緒にやってきた
Iちゃんは我がことのように喜んでいる。
雑誌の表紙を飾ることは、その宣伝効果もさることながら、
原画家としての一種のステータスを手に入れたことになる。
なにしろ、特定のショップや家電販売店の片隅にしか置かれないエロゲー
とは違って、雑誌は一般書籍と共に全国の書店に置かれるのだ。
それはそれで問題があるとは思うが、
いまはそのことについては触れないことにする。
「雑誌の表紙となると、人目に付く度合いがいままでとは違ってきますから、
これまで以上に塗りにも気合を入れてもらって……」
「もちろん。まかせといてくださいよ」
やたらとはりきってるIちゃんを見て、H子さんは困ったように苦笑した。

そこに、ミーティングを終えたE氏と社長が開発室に戻ってきた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記80

D社長は、固まって談笑していたIちゃんたちに歩み寄り、
「あの…。OHPのスタッフ日誌が、一週間以上更新されてないのね。
誰か書く人いない?」
その社長のひとことで、それまで緩みきっていた開発室の空気が
一気に引き締まった。
「さ、仕事仕事…」
「そろそろ私、外回りにいく時間なので」
みんな、蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻っていく。
「誰も書こうって人はいないの? ねえ、J君…」
「僕は、そういうのはあんまり…。
あ、社長がお書きになればいいじゃないですか」
「あのね。最後に更新したのは、僕なの。だから、次は別の人が
書くべきだと思うのね」
社長がみんなを見渡す。すかさず社長から目を逸らす一同。
D社長は、はあ、と溜息をついた。
「Aさんに書いてもらってはいかがでしょう?」
「え!? 俺ですか?」
「それはいい。A君、まだユーザーさんにご挨拶してないでしょ?
いい機会だから、ご挨拶しておいたらいかがですか?」
F氏が巧みに、Aさんをその気にさせる。
「は、はあ…」
「じゃあ、A君で決まりだね。今日中に書いといて。
パスはJ君に教えてもらってね」
「でも、なにを書けば…」
「新人のライターですよろしくお願いします。
みたいな、簡単なご挨拶でいいと思いますよ」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記81

「Aさんのペンネームはどうします?」
Iちゃんの勧めでまずペンネームを決めることにした。
「Aさんは…そうですね。背骨戦闘員一号でどうですか」
「いいね」
J君の提案が一発で通った。
弱そうで嫌だ、というAさんの反論はあっさりと却下された。
「Aさんの初仕事ですね」
IちゃんがAさんの肩を叩いて励ます。
その後ろでH子さんが机に向かいながら、
「洗礼、洗礼」
と、意味深な笑みを浮かべながらつぶやく。
「…?」
他のみんなも、笑いを堪えながらそれぞれの机に向かう。

「じゃあいまから、Eと一緒に出かけるんで、みんな留守番よろしくね」
と、社長が外出仕度を整えたEさんを手招きする。
「どこに行かれるんですか?」
J君が社長に尋ねる。
「うん…ちょっとね」
言葉を濁す社長に、F氏が、思い出したように言う。
「そういえば、前のゲームを取り扱ってもらった『スター流通』の社長が、
今度お会いしたいと言ってました」
「…そう」
なんだか社長の様子がおかしかった。
怪訝な目で、D社長を見つめるJ君とF氏。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記82

「では、行ってくる」
E氏と社長が、開発室から出て行こうとする。
出て行く間際、E氏がH子さんの肩を拳で叩いた。
「痛っ。なにするのよ」
「…よかったな」
E氏の言葉に一瞬遅れてH子さんが反応した。
「ああ表紙のこと? 別に……仕事が増えて大変なだけよ」
「大変なのはこれからだ。お互い頑張ろうぜ」
E氏はもう一度、H子さんの肩を拳で叩いて、社長と一緒に出て行った。

……。

スタッフ日誌の掲示板のパスのありかをJ君から教えてもらったAさんは、
社員全員が共有できるフォルダが置かれているサーバーに接続した。
無数にならんだフォルダを一つ一つ開いて、Aさんはパスを探す。
「あれ? J君、どこにパスあるって言ってたっけ?」
サーバーの中は、乱雑に散らかっていた。
Aさんは散らかったフォルダの中から適当に、「A―356」の名前がついたフォルダを開いた。
「これじゃ…ないな。ん? なんだこれ?」
「企画」と書かれたフォルダが、その中にひっそりとあった。

――もしかして、次回作の企画がこの中に?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記83

――なぜG先生の企画書がここに?

誰も見ていないことを確認し、Aさんは企画書を開いた。
「…………」
完璧な企画書だった。概要どころか、背景やイベントCGの枚数までちゃんと指定してある。
だが、なぜスクール水着?
確か、次回作は巫女さんものだと今朝のミーティングで聞いている。
もしかして、これは没になった企画書が置かれているフォルダなのだろうか?
「…………」
考えていても、なにもわからない。
Aさんは、とりあえずそのフォルダを閉じて、スタッフ日誌のパスを探す。

「ふう…」
なんとかパスを見つけ、スタッフ日誌を更新することが出来た。
たかが日誌だとわかっていたのだが、初めて書き込むとなるとやたらと緊張した。
時計を見ると、もう昼だ。
「あのAさん。お昼に行きません?」
Iちゃんに誘われて、Aさんは快諾する。
「わたし留守番してるから……」
と、H子さんがペンを走らせながら言う。
H子さんの言葉に甘えて、Iちゃんと一緒に昼飯に出ることにした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記84

会社の近くにあるファーストフードでご飯を食べている間も、
Iちゃんはずっとニコニコしていた。
「H子さんが表紙を担当するのが、そんなに嬉しい?」
「当然です。だって、H子さんが有名になればゲームの売上にも影響しますし、
それに…」
ふと、窓の外に視線を移す。
「H子さんがいままでどんなに苦しんできたのか、それを知ってるのは、
Fさんだけではありません。うちの会社にいる人はみんな知ってます」
「俺も、この前H子さんから聞いたよ…」
同じサークルでやっていたK女史が、いまじゃH子さんと大きく差をつけて、
超売れっ子原画マンになっている現実。
それが、いまもH子さんを苦しめている。
「H子さん。Fさんに誘われてこの会社の立ち上げに参加する前、
実は…絵を描くことを辞めようって決意してたんです」
「ほんと?」
「はい。H子さんは、いままで何度も商業で活動する機会があったんですけど、
色々あって全部パーになって…。
その間に一緒にやってたKちゃんは、どんどん上に行っちゃうし、
H子さんと私のサークルは、いまひとつぱっとしないし…。
これ以上続けても、どうしようもないだろうって、二人で話し合って、
いつ、見切りをつけるか――この会社に入る前のH子さんは、ずっとそのことばかり考えてたんです」
でも、とIちゃんは続ける。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記85

「Fさんと社長の誘いを最後のチャンスと考えて、駄目もとでこの会社に入社して、
なんとか無事に前回のゲームを作り上げることができました。
売上は、Kちゃんのゲームに比べたらたいしたことないですけど…。
私は、嬉しかった……。
出来上がったゲームを貰った瞬間、いままでの苦労が全部報われたような気がして…
ようやくスタートラインに立てたような気がして…涙が止まらなかったです」
「……」
「H子さんの絵が、日に日にみんなに認められていくのが、いまは凄く嬉しいんです。
小さな一歩ですけど、これからどんどんH子さんの絵が認められて、
いつかKちゃんにも負けない原画家になる日がきっとくると、私は信じています。
それに…ああ見えて、一番喜んでいるのはH子さんなんですよ」
Iちゃんは、にぱっと弾けたような笑顔を作った。
その表情から、彼女がいかにH子さんのことを想っているのかAさんにはわかった。

会社に戻ったAさんとIちゃん。
まだ、社長とE氏は帰ってきていなかった。Aさんは、また仕事にあぶれた。
「どうしようかな。とりあえず、次の企画の資料でも探しておこうか」
なにかの役に立つかもしれないと思い、
Aさんはネット上から巫女さんの資料を拾い集めておいた。

夜。自宅に帰ったAさんは、久しぶりに2ちゃんねるに接続した。
背骨ソフトのスレッドには、既にアンチ勢力と化した一団が根強くふんばっている。
「ふっ…。ごくろうなこった」
ニヒルに笑うAさん。
レスを読んでいくうちにこんな書き込みが目に入った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記86

その書き込みは、今日更新された背骨ソフトのOHPのスタッフ日誌について、

「新しいライターが入ったみたいですね」
「日誌やっと更新かよ。一週間以上もほったらかしてなにやってたんだ」
「 『初めまして。新人ライターの背骨戦闘員一号です。今日からよろしこ。
   頑張っていきますのでよろしく応援よろしくです。お願いします』  」
「↑こいつが新人?『よろしこ』ってなんだよ。だじゃれ?」
「>頑張っていきますのでよろしく応援よろしくです。お願いします
 すでに日本語がおかしい。こいつがシナリオ書くなら次回作は回避だな」
「地雷ライターケテーイ」
「俺も回避します」
「戦闘員一号という時点で、センスが全く感じられないな」

マウスを持ったまま固まるAさん。
H子さんが「洗礼」と言ってた意味はこれだったのか…。
「〜よろしく応援よろしくです」の部分はギャグなんだよと必死にディスプレイ
に向かって訴えるも、彼らに聞こえるはずはない。
その日、Aさんは愛用していた専用ブラウザをPCからアンインストールして、
ベッドの中で泣いた。

AさんがブラウザをPC内から消去した二時間後の背骨ソフトのスレッドに、
こんな書き込みがあった…。

 819 名前: 名無したちの午後 [sage] 投稿日: 0○/0○/1○ 02:47 ID:
     背骨ソフトの次回作は、巫女さん系らしいね。舞台は大正。
     これって、月○炎のぱくりじゃない?
     それともただ単純に被っただけ?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記87

翌日、会社に出社したAさん。
出社早々、事務所に呼び出された。
行ってみると、社長とJ君。F氏。E氏の四人が、深刻な顔を突き合わせて、
臨時ミーティングを開いていた。
「おはようございます」
なにを言われるのだろうと、昨夜の2ちゃんねるの書き込みを知らないAさんは、
どぎまぎしながら事務所に入る。
「あ、Aさん。おはようございます。朝早くからすいません。
どうぞこちらに」
J君に促されてイスに座る。
Aさんは、集まった一堂を見渡した。
誰も暗い顔をしている。
とくにF氏は、いまにもぶっ倒れそうなくらい憔悴しきっていた。
「Aさん。昨夜、2ちゃんねるは見ました」
見た。とAさんは正直に答えた。
「書き込みは?」
「いいえ。見ただけです…」
そうですか、とJ君はうなずいて、Aさんに事の推移を説明した。
昨日の朝、ミーティングで出た次回作の企画の情報が露呈したと聞き、Aさんは驚く。
いまの時点で、企画の内容をしっているのは、
昨日のミーティングに参加した社員たちだけ。
「…つまり、社内の誰かが情報を漏らした…というわけですか?」
社長は、溜息をつきながら頷いた。

――誰がそんなこと…。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記88

そんなことをしても、誰も得する人なんていない。
自分の会社の重用機密を…2ちゃんねるに漏らすなんて…。
社員の誰かが犯人だと決め付ける社長の言葉に、Aさんは反発を抱いた。
「誰かが適当に書き込んだのが、たまたまあたっただけじゃ…」
「それもありえます。ですが、内容が細かすぎる…。
作品のコンセプトだけでなく、舞台設定まで漏れていました」
「A君じゃないのね…?」と、社長がAさんに訊く。
「も、もちろんです」
新人の自分を疑う気持ちは理解できるが、だからといって…。
Aさんは自分が疑われていると知って、悲しくなってきた。
「…………」
J君は、先ほどから一言も話さないE氏に目を向けた。
「2ちゃんねるに書き込まれたことが問題じゃないんです。
普通だったらあんなもの、適当に流しちゃうところなんですが…」
F氏がPCを開いて、背骨ソフトのOHPをAさんに見せてくれた。
「自社の掲示板の住人たちにも、昨夜の2ちゃんねるの書き込みの影響が出ているのです。
まあ、あそことうちの掲示板を荒らしている人たちは、ほとんど同一人物なのでしょうが、
ここまで事が大きくなってしまっては見過ごすことは出来ません」
「昨日のうちに、掲示板を閉鎖しておけばこういうことにならなかったのにね」
と、社長が呑気に言い放つ。

――治まるまで待とう、って言ったのはあんただろ?

とAさんを含むその場にいるみんながそう思った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記89

「はあ…」
F氏が深いため息をつく。そして、社長とE氏を睨みつけた。
「…?」
「社長…昨日は、Eさんとどこにいかれていたんですか?」
「昨日? ああ、新しいPCのパーツを買おうと秋葉に…」
「本当ですか?」
と、J君がE氏に聞く。E氏は、躊躇わずに社長の言葉に同意した。
「まあ…犯人の特定は不可能だろうし、そんなことをしても社内がごたつくだけだ」
「…そうですね。では、Aさんもう仕事に戻っていいですよ」
Aさんは、失礼しますと頭を下げて事務所を後にした。
その後、J君とF氏も事務所から出てきた。F氏は事務所から出るなり、
「ふう…」と、深いため息をついた。
「あの社長にも、参りましたね」
J君が、F氏を労わるように言葉を投げかける。
「ええ。流石に、今回ばかりは堪えました」
「まさか、ダミーの企画を用意してくるとは…」
「???」Aさんには、二人の言ってることがわからない。
きょとんとしながら、二人の顔を見比べる。
「すいませんねAさん。わざわざ呼び出しちゃって」
「いえ、いいんですけど。いまの言葉…どういう意味ですか?」
J君はいま出てきたばかりの事務所の扉が閉まっていることを確かめると、
声を潜めて、
「2ちゃんねるに企画の情報を流したのは、恐らくEさんです」
「はあ!?」
思わず、素っ頓狂な声をあげてしまう。
無理もない。なぜなら、一番犯人と遠いはずのE氏の名前が出てきたのだから。
「どうしてEさんが……」
「社長に命令されてでしょうね…。あの社長、こういうところにだけは知恵が回るんですから…」
J君とF氏は、目を合わせて苦笑した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記90

J君の言葉は、Aさんには到底信じられなかった。
社長が、自分で考えた企画をE氏に命令して、ネット上に漏洩するなんて…。
一体何のためにそんなことを…。
「表紙の約束を取り付けている雑誌社には、既に巫女もので行きますと伝えしまいました。
それにスター流通の営業部長にも…」
F氏が肩を落とす。
「Fさん。気を落とさないで下さい。落ち込んじゃったら、あの人たちの思う壺ですよ」
「ええ。わかってはいるのですが…」
「どういうことですか?」
Aさんには、J君たちの言葉がよくわからない。
社長自ら自社の情報を漏洩することによって得られる利益はなにもない。
むしろ会社の評判を落とすだけだ。実際、
「表紙の話は、飛んでしまうかもしれませんね」
「それが、社長とEさんの狙いでしょうね」
冷静に二人は言葉を交わす。
「恐らく、昨日二人が出て行ったのは、『ブラザー流通』の社長に会うためかもしれません」
「……」
恐らくそうでしょうね、とF氏は目でJ君に訴えた。
「???」
Aさんは、まだ、二人がなにを喋っているのか理解できない。
「僕、ブラザー流通に知り合いがいるので、探ってみますよ。二人が昨日向うに行ってるなら、
誰か知ってるはずです」
「わかりました。では、私は雑誌社に行って今回の騒動を弁解してきます。
あ、Aさん。できれば、この話…H子さんとIちゃんには内密にお願いしたいのです」
内密も何も、Aさんは二人の会話の内容が全くわからない。
唯一わかっていることは、社長が自社の情報を流したという不可解な疑問だけだ。
「わかりました」と、AさんはF氏に答えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記91

開発室に戻ったAさん。
H子さんと、Iちゃんがお菓子を食べながら談笑していた。
「あ、Aさん。Aさんもポッキー食べます?」
Iちゃんの申し出を力なく断り、Aさんは自分の席に着いた。
頭が混乱してなにも考えられなくなっている。
「はあ…」Aさんは、机に額を擦りつけて深いため息を吐いた。
「…?」
その様子を見て、Iちゃんが心配そうに近寄る。
「お腹でも痛いんですか?」
「い、いや。なんでもないよ」と、Aさんは無理矢理笑顔を作る。
「…………」
Aさんの様子を察知したH子さんが、二人の間に割って入り、
「A君。ご飯食べにいこうっか?」と、誘ってくれた。
Iちゃんが、一緒に行きますと主張したが、H子さんはやんわりと断った。
「ちょっと気合の足らないA君に説教してくるから、Iちゃんは残ってて」
説教、と聞いてIちゃんは慄いた。
「行きましょう。A君」
H子さんは、自分の机の上にあったファイルを掴んでAさんを促がした。
「H子さん…」
説教される覚えがないAさんは、開発室から出て行こうとするH子さんの背中を不安げに見つめた。
「ほら、早く行きましょう」
強引に引っ張り出されて、Aさんは開発室を後にした。
「………」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記92

席についたH子さんがコーヒーを口に運ぶ。湯気でメガネが少し曇った。
Aさんは、肩身狭そうに縮こまって、H子さんの様子を窺っている。
「このファイルを見て」
手渡されたファイルを開く。
それは、キャラクターデザイン指示書だった。
「…ヒロイン1 西出雲ゆう子(仮名)
外見:髪を後ろで結わえた古風な女性。服装:制服とスクール水着の2パターン――?
H子さん…これって?」
「昨日社長から手渡された次回作のデザイン指示書よ」
「え? だって、スクール水着って…」
次回作は確か、巫女さんもので行くと決まったはず。
なのに、メインヒロインにスクール水着の服装差分があるのはおかしい。
「おかしいと思うでしょ? 私も、昨日これをもらったとき、首をかしげたわ。
…どうやら昨日の朝、社長が言ってた巫女さんものの企画は…半日で頓挫した見たいね」
「どういうことですか?」Aさんは、我を忘れて身を乗り出す。
H子さんはそんなAさんの勢いを制すように、落ち着いた仕草でタバコに火をつけた。
「私にも詳しい事情はわからないわ……。
だけど、あの社長の考えることなんだから、なんとなくわかるけど」
「教えてください」
「いいわ。A君も、これからうちの会社でやっていくんだから、裏の事情を知っておいたほうがいいわね」
H子さんの目が鋭くなる。普段から、怖い目つきがさらに怖くなった。
「裏の事情…」ごくっ、と喉を鳴らす。
「裏の事情というか…この会社が設立されるまでのいきさつ…と、言った方が正しいかも」
H子さんは灰皿にタバコの灰を落とす。そして、
「まあ、そんなに重たい話じゃないと思うから、身構えずに聞いてよ」
「はあ…」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記93

H子さんの説明はこうだった。

背骨ソフトには、いま三人の取締役がいる。
一人は代表取締役のD社長。次に、取締役のF氏。そしてもう一人の取締役として…H子さん。
「H子さんが……取締役?」
「そうよ。この会社を立ち上げるに当たっての資金のほとんどは、私とIちゃんが同人で稼いだお金から捻出したの」
軽い驚きがあった。H子さんは、さらに続ける。

背骨ソフト設立の言い出しっぺはF氏だった。
H子さんは、以前から交流のあったF氏に誘われて、
最初はただの原画マンとして参加するはずだった…。ところが、
「Fさんはこの会社を立ち上げる前は、スター流通の営業マンだったの…」
「へー。じゃあ、Fさんは脱サラして、背骨ソフトを立ち上げたんですね?」
違う。と、H子さんは首を横に振った。
「脱サラはしてないわ。Fさんは、書類上ではスター流通の社員じゃないことになってるけど、
多分いまも、Fさんの机はスター流通に残ってるわ」
「え…ってことは…」
「そう。背骨ソフトは、スター流通自ら手がけた新規メーカーなのよ。
いわゆるオートクチュールメーカーってやつ? その割には規模が小さいけど……。
Fさんはただ会社から命令を受けて、このプロジェクトの責任者に就いたに過ぎないの…」
H子さんは、Aさんを見つめたまま、コーヒーをすする。
「でも、それは悪いことじゃない。そんなプロジェクトに参加できる私たちは、その幸運を喜ぶべきなのよ…。
だって、なんの話題性もない私たちのゲームが、いきなり4000本も発注を受けたのは、
スター流通の全面バックアップがあったからだし、本当は会社設立の資本金だって、全てFさんが用意する手筈だった…」
しかし、実際は資本金のほとんどはH子さんが用意した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記94

「当然、代表取締役にはFさんが就くものだと思ってた…だけど、実際にはD社長が代表の座についた。
なぜだかわかる?」
「わかりません…」
「背骨ソフトのプロジェクトがFさん主導で動き出したころ、スター流通と対を成す、
この業界のもう一つの大手流通『ブラザー流通』の横槍が入ったのよ」
いまのこの不景気、大変なのはメーカーだけじゃない。
流通も、利益をあげるために必死でいい取引先を求めている。
そこでブラザー流通が以前から目をつけていたのが、H子さんだ。
同人とはいえ、H子さんには固定ファンが付いている。
だから、彼女擁する新ブランドが立ち上がると聞いて放っておくはずがない。
「ブラザー流通も、スター流通と同じことを考えていたの。
でも、彼らはゲーム製作のイロハを知らないFさんのような素人を使わなかった…。
ブラザー流通が目をつけたのは、以前、コンシューマー会社でプログラマーをしていたDさん。
いや、D社長をFさんたちのプロジェクトに絡ませて、ゲーム製作面での実権を握らせようとしたの」
「随分、強引ですね」
人の企画に無理矢理割り込んできて、あまつさえD社長を使って会社を乗っ取ろうとさせるなんて…。
「ええ。けど、どこも必死なのよ。いまのご時世、厳しいのはメーカーだけじゃないのよ…」
「でも、そんな経緯があったなら、会社を立ち上げるとき揉めたでしょ?」
「かなり揉めたわ。一時は、背骨ソフトの立ち上げの話すら白紙に消えるところだった…」
そこで、間に入って双方を和解させたのがH子さんらしい。
「私たちはゲームを作るために集まった筈なのに、そんないざこざで白紙になっちゃうのは馬鹿らしいし……
それに、私もこれが最後のチャンスだと思ってたし…」
で、当初いち原画家として参加するはずだったH子さんが取締役に名乗り出て、資本金も全部H子さんが揃えて、
一応独立した会社としての体面を保ったのだった。
もし、H子さんが取締役として名乗り出なかったら、いまの背骨ソフトはなかった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記95

会社へ帰る道すがら、AさんはH子さんに聞いた。
「どうして、H子さんが代表取締役に就かなかったんですか?」
「私は…ただの絵描きよ。経営のことなんてわからないし、第一社長の器じゃないわ」
といっても、いまのD社長よりは、まともな社長になれたんじゃないかなとAさんは思った。
「適材適所ってやつよ。みんなD社長のこと悪く言うけど、あの人とEさんが一番ゲーム製作には詳しいし、
やっぱりゲーム会社なんだから、ゲームを知らない人が上に立つのもどうかと思うわ」
「それはFさんのことですか?」
「ええ。結構そういう会社多いのよ。レコード会社の社長が副業でやってるソフトハウスとかね…。
そういうのって私…中途半端な気がして嫌いなの。やっぱり、ゲームを作ってこそのソフトハウスだと思うから…。
野球をやったことのない監督に付いていく野球選手なんていないでしょ?」
「はあ…。でも、会社って難しいですよね…」
「そうね。だけど、いまのところは、いまの会社の体制がうまく嵌ってると私は思うわ」
対立するD社長とF氏。その間にH子さんが入ってなんとか組織として成り立ってる状態。
けど、それがいつまで続くか…。
社長が裏でなにやら画策してることを知っているAさんは、不安になってきた。
「今日の話は、Iちゃんには内緒ね」
「いいですけど……。どうしてですか?」
「あの子、難しい話をすると直ぐに眠っちゃうから」
「なるほど」
Aさんは地面に転がっていた小石をつま先で蹴り上げた。
それから二人は一言も言葉を交わさないまま、会社に戻ってきた。

J君が、アパートの前に立っていた。いま、外回りから戻ってきたところらしい。
「あ、お疲れ様です。あの…H子さん…」
「なに?」
「言い辛いんですけど……表紙の話。あれ、流れちゃいました」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記96

「そう。わかったわ」
H子さんは、J君のもたらした悪い話をあっさりと受け流した。
「社長…企画を挿げ替える気らしいですね。どうやら“本社”からの命令があったみたいです。
嘘の企画を掴まされた僕たちはいい迷惑ですよ」
「そう…。でも、いい迷惑なのは、あなたたちの派閥争いに利用されてる私でしょ?」
といって、H子さんは微笑んだ。
「まあ…。そうなんですけど…」いつもハキハキ喋るJ君が言葉を濁した。
「じゃあ、私は仕事に戻るから」
J君は苦々しい顔で、飄々と去ろうとするH子さんを見送る。
突然、くるっとH子さんが振り返った。
「喧嘩するのもいいけどさ。みんな、何しにここに来てるのか、もう一度ちゃんと考えてみたら?」
「…………」
J君は、言葉を返すことができなかった。

開発室に戻った途端、
「どうしてですかー!」
Iちゃんの泣き叫ぶ声が聞こえた。
目を潤ませたIちゃんに迫られて、中年のF氏がうろたえている。
「い、いや…ですから、企画が変わったので…表紙の話も白紙ということに…」
「納得できません! H子さんの絵のどこが不満なんですか!」
「いやですから…絵が悪いとかじゃなく、巫女ものの企画だから向うも表紙を描かせてあげると、
言ってくれてたわけで…それが流れたからには…」
「納得できません」
「私に言わないで…社長に言ってくださいよ」
泣きそうになるF氏。
よくよく考えれば、一番可哀想なのはH子さんじゃなく、F氏だろう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記97

「H子さんが表紙を描けないなら、私この会社辞めます!」
「そういうこと言わないで…」
「決めましたから! 止めても無駄です」
そう叫んで、Iちゃんは開発室を出て行った。
「はあ…。困った物です…」F氏が、ハンカチで汗を拭う。
「あの。追いかけなくていいんですか?」Aさんが聞く。
「いいのよ。あの子が辞めるって言ったの、これで四回目だから」
「そ、そうなんですか…」
「お腹がすいたら戻ってくるでしょう」と、F氏が言う。

「いま、Iちゃんが出て行ったけど、なにかあったの?」
社長が開発室に入ってきた。
「いえ、なんでもないです。いつものアレですよ」
それだけで、社長は「ああ」と納得した。
「どうかされたんですか?」
普段は、隣りの事務室で作業している社長が、わざわざ開発室に来るとは珍しい。
「いやさ、決まってた企画、やっぱりG先生に考えてもらった奴のほうがいいと思って、
勝手に変えちゃったのね。Fさん黙ってて、悪かったね」
「いえ…。とんでもございません」
「今の時代、巫女さんはやっぱり流行らないよ。これからはスクール水着だよ」
ハハハ、とD社長は高笑いする。それにつられて、F氏も苦笑した。
当然、どちらの笑顔も本心から出てきたものではない。それぞれ、腹に一物抱えている。
本心を隠し、建前で人と接する大人たちを見て、Aさんはやっと本物の社会人になれたような気がした。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記98

H子さんは、社長とF氏の対立を“派閥争い”と称した。
社長派には、E氏がついてる。F氏派は、J君。
中立の立場なのは、H子さんとAさんだけだ。Iちゃんは…まあ、H子さん派だろう。
たった七人しかいない会社で、派閥争いなど馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、それが会社なのである。
様々な事情を背負った大人たちが集まれば、どこだってこういう問題は起きる。

――ソフトハウスに起きる問題は、なにもゲーム製作に限ったことじゃない。

その言葉を、Aさんは今日、身をもって思い知った。

Iちゃんの帰りを待つため、AさんはH子さんと並んで会社の前に立っていた。
夕方になってもIちゃんは帰ってこなかった。
H子さんは、八本目のタバコに火をつけた。
そこに、E氏がやってきた。
「よお…。なにやってるだ?」
「ちょっと休憩」
E氏は、H子さんの隣りに歩み寄り、
「悪かったな。今回は…」そう、呟く。
「2ちゃんねるに情報流したんですって? 馬鹿なことするわね…」
ふふん、とH子さんは鼻で笑う。別段、怒ってる様子はない。
「命令とはいえ、自分でも馬鹿なことをしたと思ってるよ…。それより、タバコくれ」
「やめたんじゃなかったの?」
「吸わなきゃやってられねぇよ…」
H子さんからタバコを受け取り、E氏はそれを銜える。
「ふう…」
真っ白な煙を、夕日に向かって吐き出した


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記99

E氏は、自分で吐き出した煙を眺めながら、
「時々、何しに会社に来てるのかわからなくなる…」
と、力なく呟いた。その表情は、疲労し、萎れきっていた。
「俺たちはゲームを作りたいんじゃなかったのか…? そのために、この会社を立ち上げたはずなのに…。
いつの間にか、下らないことばかりに時間を費やして…いつの間にか本来すべきことを見失っていた…」
「その台詞。社長に言ってあげたらどう?」
「言っても無駄だ。あの人は…今回のようないざこざを楽しんでる。
俺もあれだけ図太くなれればいいが…、俺には無理だ」
はあ、と深く溜め息をついた。
「一体いつになったら、ゲームを作ることだけに打ち込めるんだ…? 
まあ…そんな日は、一生こないのかもな」
E氏は、吸殻を足元でもみ消した。
そんなE氏のしょぼくれた肩を、H子さんは拳で叩いた。
「いて。なにすんだ…」
「――大変なのはこれからよ。お互いがんばりましょ」
「…それ、昨日俺が言った台詞だろ」
さあね、と惚けてH子さんは開発室に戻ろうとする。
「あの…Iちゃんはいいんですか?」AさんがH子さんに尋ねた。
「お腹がすいたら戻ってくるわよ。それよりも、仕事仕事〜」
なんだかH子さん、やけに嬉しそうだ。
「なんなんだろうな?」
「さあ……」
Aさんは、空に浮かぶ夕日を見上げた。
そして、ふと、思い出した…。

――そう言えば俺、全然仕事してないな…。
これから、自分にいかなる災難が降りかかるのか知らないAさんは、呑気にそんなことを考えていた


一服中


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記100

入社してそろそろ一週間にもなるAさん。
今日も通勤電車に揺られながら、あくびを噛み殺した。
いまだ、まともな仕事一つ任せてもらえないことに不安を抱いていた。
いままで会社のためにやったことと言えば、OHPのスタッフ日誌を書くことと、
没になった巫女さん企画の資料を集めただけ。
もっと図太い精神の持ち主なら「仕事がなくてラッキー」ぐらいに考えるのだろうが、
残念ながらAさんはそれほど、神経の太い人間ではなかった。

なにより、Aさんのいまの身分は試用期間中のライターである。
試用期間中ということは、この期間内に「お、こいつ使えるな」と会社に思わせなければ、
試用期間が終ると同時に首を切られてしまう可能性は大いにありえる。
Aさんは、昨夜読んだ「新社会人の勤め方」という本にあった一文を思い出した。

――仕事がなくとも油断するな。みずから進んで、仕事を見つけるべし。

この言葉を実践するのは、今をおいて他にない。
たいしたことは出来ないかもしれないが、このまま会社のお荷物としてやっていくのは
とても辛い。
Aさんより、年下のIちゃんやJ君は毎日忙しそうに働いているではないか。
一刻も早く自分のなすべきことを見つけ、自分のポジションを確立しなければ、
ライターとしての寿命はたった三ヶ月で終ってしまう。
「よし…」
Aさんは燃えた。
確か、今日はG先生が組み立てた新企画についての打ち合わせがあるはず。
無理矢理にでもその打ち合わせに割って入って、自分の仕事を勝ち取らなければ明日はない。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記101

「おはようございます」
開発室に入り、机に鞄を置いてPCを立ち上げる。
昨日、「辞めます」と言って出て行ったIちゃんは何事もなかったかのように机に向かってる。
その隣りでは、H子さんが毛布を頭まで被って眠っていた。
泊り込みか…。
いったいなんの仕事をしていたんだろう。企画はまだ動き出してないはず。
ふと壁に掲げられたホワイトボードを見ると「12時から、ミーティングを始めます」
と書かれていた。どうやら、全員参加らしい。
12時までなにをしようかと、机に座るAさん。
ところが、突然、社長から事務所に来るように内線で呼び出された。

事務所には背骨ソフトの首脳陣(社長・E氏・F氏・J君の四人)が集まっていた。
「おはようございますA君。とりあえず、そこに座って」
言われた通りにイスに座る。なんだろうと疑問に思っているところにF氏が口を開いた。
「いきなり呼び出してすいません。実は次回作のシナリオの件でちょっとお話がありまして」
来たな。とAさんは思った。ようやく仕事らしい仕事をふられるのかと思い、安堵する。
「A君はさ、前作のうちのゲームはプレイしたんだよね? G先生のシナリオはどう思った?」
と社長。どう思ったと聞かれても…。
「はあ、まあ…普通じゃないかと」
他にどう答えればいいのかわからなかった。良かったですとは、お世辞にも言い難い。
かといって、俺のほうが良いシナリオが書けます、と宣言できるほど自信があるわけでもない。
「そんなに悪くなかったよね?」と社長が、J君とF氏を見ながらいう。
「“ライター”としてのAさんの正直な気持ちを話してください」J君が、Aさんに迫る。

――なるほど。
Aさんは、なんとなく状況を理解した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記102

G先生は恐らく、社長が連れてきたライターなんだろう。
で、社長は次回作を再びG先生に書かせたいのだ。
ところが、それをF氏とJ君に反対されて、一人でも多く味方をつけようと、Aさんを呼び出したのだ。

――どっちにつくべきだろうか……。

Aさんは悩んだ。社長に従えばいいのか、それとも自分の気持ちを素直に言えばいいのか。
社長ルートに進むのか、F氏・J君ルートに進むのか。ちょうどルートの分岐点に差し掛かってる。
Aさんの社内での今後の身のふり方は、いま現れてる選択肢のどちらかを選ぶことで決まってしまう。
考えた挙句Aさんは、
「ところで、俺はどうすればいいでしょう?」
どちらでもない選択肢を選んだ。
「どうすれば……とは?」
「いや、仕事です。まだ、入社してからなにもしてないんで……」
それにG先生なり、誰かがシナリオを書くとなれば、Aさんはますます何のために会社に来てるのかわからなくなる。
「うーん。とりあえずA君は、決まったメインライターさんの補佐をやってもらうことになるね」
「サブライターですか?」ま、当然だろう。未経験のAさんにいきなり全部書かせるほど会社は無謀ではない。
「メインのライターさんが決まって、発注書とプロットを作る段階にならないと、Aさんにふれる仕事もないので…」
だから、一刻も早くライターを決める必要があるのです、とJ君は言った。
「今回の企画はG先生に作ってもらいましたが、僕は正直、あの人のライターとしての手腕はどうかと思います。
できれば、G先生は企画だけ携わってもらって、
実際のテキストはAさんと別のライターさんに任せた方がいいと思います」
J君はしり込みせず、堂々と社長とE氏に言い放った。
当然、社長は面白くない顔をする。
「G先生は、そんなに駄目か?」
いままで一言も発言しなかったE氏が、言った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記103

F氏とJ君は顔を見合わせて、
「正直、僕もAさんの応募作品を読みましたが、Aさんの文章が10だとするとG先生は5か6」
「…………」
E氏と社長は、押し黙った。それはつまり、J君の言葉を認めたと言うことだ。
ではなぜ、この二人はそこまでして、G先生を使いたがるのだろうか。
彼らも、ネットでG先生がどういう評判を受けているか知ってるはず。
「前作よりも良いゲームにしたいと思うのでしたら、別のライターさんを起用すべきです」
J君が強い口調で二人に押し迫った。F氏もそれを後押しする。
「社長。ここは“しがらみ”はなしにして、本当にいいゲームを作ることだけを考えましょうよ」
暫く場は沈黙した。

――しがらみってなんだろう……。

AさんはいまのF氏の言葉を頭の中で繰り返していた。
やがて、社長が沈黙を打ち破るように重たい唇を開いた。
「…確かに、ゲームのことを考えたら、Fさんの言うとおりだけど、発注本数のことを考えたら…」
と、そこで社長は言葉を切った。
「それに、あの代理店との契約も残っている」
「そんなの反故にすればいいじゃないですか。
大体、製作のことなんてなにも知らない広告代理店なんかに、口出されるのは正直どうかと思います」
J君は一歩も引き下がらない。純粋なJ君は煮え切らない社長とE氏の態度が許せないようだった。
「おっと。もう十二時だ。この話はミーティングが終ってからA君も交えて再開しよう」
とりあえず、その場は解散した。
それぞれ事務所を出て、ミーティングのために開発室へと向かう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記104

「あの……さっき言ってた“しがらみ”ってどういうことですか?」
開発室に移動する途中で、AさんはF氏に聞いた。
F氏の代わりにJ君が答えた。
「G先生は、前回うちの広告を担当してもらった代理店の社長に飼われているんですよ」
「…ええ。うちがG先生を使う代わりに、代金を安くするという口約束があったみたいなんです」
F氏が、補足する。
「じゃあ、その広告代理店の社長に紹介されて、G先生を前回のゲームのライターに起用したんですか?」
「はい。もちろん、中間マージンは取られましたけど」
たったそれだけの理由で、ゲームの根幹をなすシナリオを担当させるなんて…。
ライターになりたくて懸命に努力してきたAさんからみると、凄く馬鹿馬鹿しく思えた。
「まあ、G先生も元は某老舗メーカー出身ですから、多少の実績もあり、流通に安心感は与えることができます。
しかし、流通の上にいるお偉いさんたちには、G先生がユーザーからどういう評価を受けているか知らないんです。
ただ、老舗メーカーで仕事をしていたという取るに足らない実績だけでG先生を評価している。
馬鹿馬鹿しい話です。いまどきそんなの通用しないのに…」
辛辣なJ君の言葉に、流通出身のF氏は思わず苦笑した。
「ここはぜひともふんばらないといけないところですね。G先生を今回も起用したのでは、負けは見えてます」
「だから、社長を説得するためにAさんの力を貸してください」
「…………」
力を貸してくれと言われても、試用期間中のAさんにどれだけのことができるか…。
それに、社長に面と向かって逆らうのはいまのAさんにはむずかしい。
なにしろ、いきなり首を切られても文句は言えない立場なのだから。
――どうしたらいいんだ……。Aさんは心の中で頭を抱えた。
「あ、あと重要なことを一つ言っておくのを忘れていました」
「なんですか?」
「G先生を飼っている広告代理店の社長は、D社長の実のお兄さんなんです」
“しがらみ”とはそういう意味だったのかと、Aさんはやっと理解した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記105

次回作の企画ミーティングが開かれた。
参加しているのは、Aさん含む背骨ソフト従業員全員である。
G先生が作った企画書のコピーが全員に配られた。Aさんも企画書のコピーを受け取り、拝読した。
「…………」
以前サーバーの中でうっかり見てしまったスクール水着ものと内容はまったく同じだった。

1頁目にゲームの仮タイトルが目立つように書かれ、製作者の名前と製作日時。
2頁目にはいきなり、企画コンセプトが端的に判りやすく。
3頁〜6頁目まではゲームの概要とスペック等。
7頁〜10頁目までは、登場人物紹介と簡単なあらすじ。
最後の頁には、もう一押しとばかり、このゲームのコンセプトであるスクール水着ものの企画が、
いかにユーザーに売り込む力のある企画なのかが、かなり誇張して明記されていた。

さすが、プロの作った企画書である。
見出しや文章は、キチンとデザインされていて読みやすく、誰が読んでもゲームの内容が容易に
想像できるいい企画書だった。
恐らく、小売店や流通にこの企画書を持って行くことを想定して書かれているのだろう。
至るところに「この企画は売れますよ〜」といったオーラが漂う、魅力的な一文があった。
例えば、
「新進気鋭の実力派原画家H子が描く、可憐で淫靡なキャラクターたち」
「斬新な舞台設定と、萌え心を誘うシチュエーションの連続」
「新システム導入(考案中)により、業界に革命を起こす」
など、読んでるこっちが赤面してしまうほど、暑苦しくこの企画のポイントを訴えていた。
Aさんが就職用に作った企画書との一番違う点はやっぱりここだろう。
企画書の段階で、読んだ人間誰しもに「いける!」と思わせなければいけないのである。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記106

「いける!」と思わせなければいけないのは、流通や小売店だけじゃない。
製作に携わるスタッフたち全員にも、この企画は絶対に成功すると確信をもたせることが出来なければ、
現場の士気もあがらない。
そのため、多少(いや、多少どころではないが)の誇張はいた仕方ないことだと思う。
「質問です。企画書の3頁にある『新システム』ってなんですか?」
Iちゃんが手を上げて質問する。
「それは…こっちもわからないのね。G先生に聞いてよ」

――社長にすら聞かされていない『新システム』ってなんだ?

と、AさんもIちゃんと同じく疑問に思ったが、結局これはG先生のハッタリで、
最後まで『新システム』の具体的な構想が明かされることはなかった。

企画書ともう一つ別の書類が配られた。
それには、キャラクターの簡単なデザイン指示書(以前H子さんに見せてもらった)と、
背景、立ち絵、イベントCG、BGMなどの指定表らしきもの。
それに簡単な製作スケジュールが書かれていた。

ゲームの規模としては前回とほとんど同様である。
若干シナリオ総量が1.2Mと多いが、
これはAさんがサブライターとして入ることを前提として考えられた量だろう。
「…………」
具体的なゲームのあらすじは、企画書に1頁程度の内容しか書かれていない。
それはつまり、これから考えるということであり、
それは自分が作業に携わることになるのかと、Aさんは考えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記107

背骨ソフトの次回作「スクール水着(仮)」のゲーム規模は以下のとおり。

シナリオ総量  1200k
イベントCG  85枚(差分含まない)
立ち絵     56枚
(メインキャラ数5×ポーズ変え6=30+サブキャラ、その他服装差分。表情差分なし)
曲数      23曲(主題歌・エンディング曲込み)
女性ヒロインのみフルボイス

プレイ時間10時間〜15時間
攻略ヒロイン数5人(+おまけ1人)


以上の規模のゲームを、これから6ヵ月で作らなければいけないのである。
Aさんには、この6ヵ月という期間が長いのか短いのかわからなかった。
スケジュール表には6月から開始して、11月の終わりに「マスターアップ予定」と記されている。
6月からということは、予定の上ではもう既に製作は始まっている。
正味の開発期間は半年もないということだ。
「このスケジュールは…ちょっと不味いですね」
スケジュール表に目を落としながらJ君が呟いた。
「11月終わりにマスターアップということは、ゲームの発売はその数週間後。
つまり、12月の年末商戦にぶつかる可能性もあります。ただでさえ、人気ソフトがひしめき合う12月に、
あえて僕たちのソフトをぶつける必要はないと思うのですが」
「それはわかってるつもりなのね。だけど、一月早めるには、製作が間に合わないし一ヶ月遅らせるとお金が…」
「難しい所ですね」
と、F氏が腕組みして眉間に皺を寄せた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記108

「一月ずらして、1月発売ではだめですか?」
「ちょっとねぇ…」
社長は、開発室に揃った従業員の顔を見渡した。
従業員たちの給料や会社の維持費として、なにもしなくても一ヶ月に100万は軽く消える。
だから簡単に製作日程を延ばすことはできない。
かといって、人気タイトルとぶつかって、そのしわ寄せを食ってしまえば元も子もない。
中小メーカーの難しさがここにある。
「予定してる製作費は、前回とほぼ同額だからね。
これを何とか超えないように作らないと、ゲームは出来ても会社が潰れる可能性が多いにあるね」
「一月ずらした分だけかかる維持費が調達できれば問題ないですか?」
J君になにか妙案があるようだ。
「みんなでバイトでもするか?」
E氏がまぜっかえす。
「まあ、バイトみたいなものですけど…」
「なに? いい案があるの?」
自信ありげなJ君の様子に、みんな身を乗り出して耳を傾ける。
「H子さんが来月のサンクリで販売する新刊は確か、書き下ろしのCG集と聞きましたが」
「ええそうだけど…もちろん、その売上は今回のゲームの製作費の中に入れる予定よ。
まさか、もう一本CG集を作れっていうんじゃないでしょうね?」
H子さんの隣に座るIちゃんが不安な顔をする。
「違います。そんなことしてもらっちゃ、肝心のゲームの原画に遅れが出てしまいます」
「じゃあどうするの」
「CG集の原画はもう出来ましたか?」
「ええ、昨日徹夜してやっと」
今朝、H子さんが会社に泊まっていたのは、CG集の絵を今日までに仕上げるためだった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記109

確か…30枚のCGが入って2000円でしたよね?」
「そうよ」
「CG集一枚の量を15枚に減らして、二枚出しましょう。当然、値段は変えずに」
「なるほど。考えたね」
単純に計算して、H子さんのCG集で入る予定のお金は倍になる。
H子さんとIちゃんは、J君の提案に渋い表情を見せたが、社長とF氏は乗り気だ。
「これで、年末までマスターアップの時期を延ばすことができそうですね」
「H子さんたちは、心苦しいだろうけど、ここは一つ。ね?」
と、社長に頭を下げられてH子さんは渋々承諾した。
「じゃあ、決まりだね。マスターは12月末。半年強あるから前回よりもいいもの作れるね」
みんなの士気があがる。いよいよこれから、本格的に製作に入っていくのである。
Aさんも自然、気持ちが昂ぶっていく。
「ところで…同人ってそんなに儲かるんですか?」
と、Aさんが聞く。隣にいたJ君がにこやかな笑顔で、
「上手くやれれば結構ボロイよ」と、教えてくれた。

その後、それぞれのパートごとに作業を進めることになった。
といっても、プロットがまだ完全な物が出来ていないので、CGや音楽の詳細な発注書は作れない。
それができるまでは、H子さんとIちゃんは同人の方を。
E氏、社長、Aさんはプロットと発注書の製作に取り掛かることに決まった。

しかし、その前にメインのライターを決めなければいけない。
G先生で行くのか、それとも別のライターを連れてくるのか。
F氏たちと社長の意見は真っ二つに分かれている。
この人選を速やかに終らせないと、本格的な作業には入れない。
ミーティングを終えた後、Aさんは社長たちと一緒に再び事務所へと戻った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記110

話し合いは平行線を辿った。
G先生を起用したい社長と、もっと腕のいいライターを使いたいと譲らないF氏とJ君。
Aさんは、どちらの味方をするでもなく隅っこで肩身狭そうに、事態の推移を窺っていた。

…………。

三時間、論議が続いた。どちらも一歩も引かなかった。
新しいライターの選考は、明日に持ち越されるのかとAさんが思ったところで、
痺れを切らしたようにそれまで黙り込んでいたE氏が口を開いた。
「…こうしないか? G先生以外にもう一人、広告代理店の社長に飼われているライターがいる。
そいつを使うのはどうだろう?」
「誰ですか、そのライターは…」
E氏は、ちょっと間を空けて、
「以前、『自衛母胎』というブランドに所属していたライターのLだ」
「自衛母胎…」
Aさんたちは一斉に目を合わせた。
「確か昨年解散した、あのブランドですよね?」
自衛母胎は、たった二本しかゲームを出していないが、どちらもそこそこのセールスを得ていたはず。
自衛母胎のゲームの主軸となったのは、絵ではなくシナリオ。
そこでライターをやっていたのなら、腕は保証できる。
「そのL氏。代理店の社長に囲われているということは…いまはフリーなんですか?」
「そうだ。ちょっと性格に難があるが、いいライターだと思う…」
「いや、もしL氏を起用できるなら、それ以上の宣伝効果はないですよ。ね? Fさん」
自衛母胎のシナリオに惚れた一部熱狂的な「信者」と呼ばれるユーザーたちは、ブランドが解散したいまも、
「自衛母胎」に在籍していた三人のライターの同行を見守っている







第二部「ライター編」#111〜#150ヘ





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450@無職
◆EpHrMeUAE6