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第一部「就職編」へ






■某Aさんのエロゲークリエイター体験記34

第二部「ライター編」 予告1

背骨ソフトに無事採用されたAさん。
出社前に、少しでも背骨ソフトの情報を集めておこうと、自宅のパソコンから2ちゃんねるに接続した。
エロゲー板に入り、背骨ソフトのスレッドを探す。

――な、なんじゃこりゃ……。

背骨ソフトのスレッドを見て、Aさんは驚愕した。

「修正パッチまだかよ」「糞ゲー」「地雷」「流石G先生のシナリオですね」
「一本目からこれじゃ先が思いやられるな」「次はもうないんじゃない?」

ネガティブな意見がこれでもかと踊っている。
荒らし、アンチ云々の話ではない。

どうやら、ここまで酷いのは背骨ソフトの出したソフトに重大なバグが見つかったのが原因らしい。
とあるヒロインのルートの途中で、いきなりOSを巻き込んで落ちてしまう。
おまけに重い。そして、OSが98では、プレイすらできない。

それでも一人ぐらいは、ゲームを評価してくれる書き込みがあっても良さそうなのだが、
その肝心なゲームの内容が、いかんせん平均点以下。
シナリオを書いたG先生――面接でも名前が出ていた――は、
経験豊富なベテランだが、これまで特にヒット作を出したわけでもなく、
無難なシナリオ、つまり当り障りのないシナリオしか書けないライターとして認知されている。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記35

第二部「ライター編」 予告2

なおかつG先生のシナリオの致命的なところは、エロが薄いこと。いくら萌えゲーだからといって、
いまどき10クリックで終わってしまうエッチシーンなど、うけるわけがない。
住人たちは、Gのことを侮蔑の意味をこめて“先生”と呼んでいる。

――えらいところに入社してしまった。

Aさんは、目を点にしながらも、別のエロゲーレビューサイトを開いた。
そこでも、背骨ソフトのデビュー作の評価は芳しくない。

ユーザーが一番腹を立てているのが、発売から半月も経つのに、
いまだに背骨ソフトが完全な修正パッチを出していないことだ。
日に日に、背骨ソフトの評判が下降していっているのは、業界に疎いAさんでもわかった。

――でもまあ、一本目にしてはなかなかいい評判を頂いてね。

D氏のあの言葉は、一体なんだったんだ。誰から頂いた評判だったんだよ――。

……。

翌日。ようやく修正パッチを出した背骨ソフトだったが、いまさらという感じは否めない。
大きな不安を抱えながら、Aさんは背骨ソフト初出社の日を迎えた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記36

背骨ソフトに初出社の日を迎えたAさん。
前日D社長から電話で、事務手続きのためのハンコと筆記用具を持ってくるように言われた。
それはいいのだが、話の終わりしなD社長より、
「君には期待している」
「うちの会社は君にかかっている」
など散々プレッシャーをかけられた。

会社は、Aさんの家から電車二本乗り継いだところにある。
通勤時間は、一時間強。
出社は、朝の11時からだから通勤ラッシュに見舞われることはないが、
これから毎朝一時間もかけて通うのかと思うと、気分が憂鬱になる。

会社に向かう電車に揺られながら、Aさんはふとある疑問を抱いた。

――給料はいくらもらえるのだろう?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記37

面接のときも、昨夜の電話でも、その話は一切なかった。
いままで、そういう生々しい話は、自分のほうからしてはいけないのではという遠慮があったが、
勤めるとなった以上ははっきりさせておかなければならない。
Aさんのアパートの家賃は、都心から離れているため月五万円と格安だ。
バイトをしていたころは、月14万ほど稼げばなんとかやっていけた。
が、しかし……ゲーム会社の給料は安いと聞く。
最低賃金を下回ることなどあたりまえ、おまけにAさんは入社してから3ヶ月の間、
試用期間ということでバイト扱いになる。
交通費は払ってもらえるようだが、問題は手取りでいくらもらえるのかということだ。
まさか……10万切るってことはないだろうな……。
いや、ありえそうでこわい。

「………………」

会社近くの駅についた。
面接のときに、D社長と一緒にいた、瘠せたE氏と年配のF氏が迎えに来ていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記38

「よろしくお願いします」

と、Aさんは頭を下げる。
E氏はボソボソと聞き取れない小さな声で挨拶してきた。

「では、会社まで案内します。道を覚えてください。そんなに難しい道順ではないですから」

F氏とE氏に案内され、Aさんは会社に辿り着いた。

――え。ここ?

会社というからには、オフィスビルもしくは、
それなりの佇まいをしているのだろうと勝手に期待していたAさん。
そのAさんの期待を裏切るように、F氏は木造アパートを指差した。
二階建ての……築10年以上はたっていると思われるレトロな佇まい。

「この二階になります」

と、F氏が唖然とするAさんの背中を叩いて、会社の場所まで案内した。
郵便受けには、なるほど「203号 (有)背骨ソフト」とある。
その隣には、「202号 D」
D社長の苗字があった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記39

F氏に聞くと、このアパートは、元は社長のD氏が借りていたアパートで、会社を立ち上げるにあたって、
ちょうど空いていた隣の部屋を事務所として借り受けたそうだ。
いまは202号室を開発室。203号室をD氏の自宅兼事務作業部屋として使っている、
とF氏はAさんに説明した。

「今日はちょうどみんないますし、Aさんを紹介できますね。
あと、A君と一緒に今日入社する“新人君”がいますけど……彼は、午後からだったかな?」
と、F氏はE氏に尋ねる。
「……秋葉でサイン会の打ち合わせを終えてから出社するそうです」

――サイン会?

Aさんは目ざとくE氏の言葉に反応した。

「そうだ。A君を、お手伝いとしてサイン会に借り出してはどうですかね? 
本来は、私たちの仕事ですが、いい勉強になると思うのです」
「……社長に相談してみましょう」

Aさんは、事務所である203号室に案内された。
「どうぞ」
中は意外と広い。
四畳半ほどのキッチンがあり、奥に六畳の和室が二部屋並んでいる。
その一つは、D社長の部屋。
もう一つが、事務室らしい。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記40

――なんだこれ?

入ってすぐ、Aさんの目に飛び込んできたのは、山と詰まれたエロゲー雑誌とゲームの山。
足の踏み場もないくらい、乱雑に散らかっている。

「ああ。これは、雑誌社や他所のメーカーさんから送られた物です。
他にも付き合いのある広告代理店などからも、次々とサンプルなどが送られてくるので……。
片付ける閑もなくて」
F氏は、スリッパを下駄箱から取り出しながら、苦笑した。
「…………この仕事をしていて、一つだけ得があるとすれば、それはエロゲー雑誌が読み放題なのと、
エロゲーがただでプレイできるということだ」
珍しくE氏が口を開いた。
「A君も、勉強のためにここにある雑誌は一通り目を通しておいてください。
ゲームは家に持って帰ってプレイしても良いですよ。その代わり、中古屋に流さないでね」
ははは、とF氏は笑った。

「おおう。A君。どうもです。どうもです。」
奥の部屋からD氏が巨体を揺らしながら出てきた。
「あ、よろしくお願いします」
「ごめんね迎えにいけなくて、昨日徹夜で作業してたものだから」
「社長。とりあえず、書類をA君に書いてもらって、それからみんなを集めて紹介しましょう」
「わかった。A君。ハンコ持って来た?」

奥の部屋に通され、色々手続きを踏まされた。
手続きと言っても、バイトで入る際の手続きと大差ない。
税金やら、保険やらの書類にサインしハンコを押すだけ。
その後、D社長から簡単な会社の説明があった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記41

「この会社は、一応は週休二日制。土曜と日曜。それと祝日はお休みになるのね。
勤務時間は、朝の11時から夜の7時まで、昼休みは適当にとってくれて構わないからね」
「いまのところは暇だから、時間どおりに出社して時間通りに帰ってもらって構わないです」

「まあ、忙しくなってきたら帰る暇もなくなるけどね」

Aさんは、いつ給料のことを聞き出そうかと、そのことばかり気にかけていた。

「そうだ。社長。A君の給料は……?」
「あれ? 俺話してなかったっけ?」
Aさんは首を振る。

D社長は、頭を掻きながらいままで、生活費がどれだけかかったか訊ねてきた。
Aさんは月14〜15はバイトで稼いでましたと答えた。

「そっか。いまのところ、A君は試用期間ということで、時給制にしてもらいたいと思ってるのね。
そうだね……1時間700円でどうかな?」
一時間700円なら、いままでしてきたバイトとたいして変わらない。
「正社員として採用が決まったら、とりあえず月13は出すから。それまで我慢してよ」

――13万……。多くはないが……まあ、普通だ。

ちゃんと給料が出ることに、Aさんはほっと胸を撫で下ろした。

「まあ、うちはまだ恵まれてる方ですよ。一本目がそこそこ本数出てくれたんで、
こうしてお給料も払ってあげられるんですが、
酷いところになりますと月五万しか貰えない会社もありますからね」

俺はまだ運がいいほうだったんだ、とAさんは安堵の溜息をついた。

「それじゃあ、みんなにA君を紹介しようか。隣の開発室に行きましょう」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記42

AさんはD社長たちと共に、開発室である202号室へと移動した。
元はD社長の自宅であった、202号室。
間取りは、203と全く同じだが、隣りの事務所と比べて、綺麗に片付けられている。
奥の二部屋に机が五つ並んでいる。壁には、エロゲーやアニメのポスター。

「おーい。一旦作業止めて集まって」

と、D氏が呼びかけると。奥の部屋から二人の女性がのそのそとやってきた。
一人は、背の高い細身の女性。
ぼさぼさの髪にこけた頬。ずんぐりと座った目が、怖い。
もう一人は、ぽっちゃりとした女の子。かなり年は若そうだ。
どちらも、ルックスは標準以下だが、Aさんは女性従業員がいることにまず驚いた。
「今日から、入ってくれることになったA君」
「……よろしくお願いします」

Aさんは、ぺこりとおじぎした。
背の高い女性は、背骨ソフトの原画。H子さん。年は、社長と同じ。
もう一人の女性は、Iちゃん。チーフグラフィッカー……。
驚くべきことにまだ二十歳らしい。

リアル女性に免疫のないAさんは、どぎまぎしながら二人を見比べた。
この二人が背骨ソフトのグラフィック部門の中枢(といってもこの二人だけだが……)
なのかと思うと、凄く不思議な感じがする。
男のためのエロゲーなのに、女性が……しかも、まだ二十歳そこそこのIちゃんが彩色を統括。
エロ絵をこのH子さんが描いていたなんて…。

一通り、紹介が終わるとH子さんとIちゃんは作業に戻っていった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記43

「あと、午後から来るJ君を入れて社員は全員揃うことになるね」
D社長に、F氏、E氏、H子さん、Iちゃん、そして午後から来るJという人。
それにAさんを入れて、全部で七人。
エロゲーメーカーとしては、多い方である。
しかし、これでも十分な人員が揃っているとは言い難い。

「A君は、ここで作業してもらうから。えーと。これ机」
と、D社長が指差したのは、まだ組み立てられていないパソコンラック。
「あ、そうだ社長。A君のパソコンまだ組みあがってないんですよ」
「そうなの? A君パソコン組み立てられる?」
お店で既に組みあがっているパソコンしか見たことのないAさんは、
D社長の言葉の意味がよくわからなかった。
「できないなら、組めるようになったほうがいいよ。
午後から来るJ君に教えてもらえばいい。それまで、A君は自分の机を組み立てといて」
そう言い残して、D社長とFさんは隣りの事務所に戻っていった。

残されたAさんはE氏に手伝ってもらいパソコンラックを組み立て始めた。
E氏は凄く無口だ。こちらから話題を振らない限り、滅多に口を開くことはない。

IちゃんとH子さんは、黙々と机の前で作業している。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記44

Aさんは、部屋の隅に置かれたダンボールに入った紙の束を見つけた。
「これなんですか?」
「それはですね。前回の原画です」
Iちゃんがタブレットをカチャカチャ動かしながら教えてくれた。
「見ます?」
「是非」
ゲームで見たキャラの立ち絵とイベント原画が、それぞれラフと清書と影指定の三枚を一束にして、
ダンボールの中にきっちりと収められていた。

――気が遠くなるほどの枚数だ。

「これでも、前回のゲームは規模が小さかったですから、少ない方なんです」
「これで少ない方なんですか」
これをH子さんは一人で全部描いたらしい。
凄いな…とAさんは素直に感心する。
原画家のH子さんは、机に向かってシャーペンを走らせていた。
机と上半身がほとんど並行になるくらい、紙に顔を近づけて黙々となにかの絵を書いている。
丸まった背中から、近寄りがたいオーラが流れていて、なにやら話しかけ辛い雰囲気をかもし出していた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記45

午後になって、今日からAさんと一緒に今日入社する予定のJ君がやってきた。

「始めましてJです。Aさん…ですか? よろしくお願いします」
どんな人かと思えば、滅茶苦茶礼儀正しい好青年だった。
なんでも、このJ君は、背骨ソフトに正社員として入社したのは今日だが、前回のゲーム製作では、
外注として背骨ソフトの営業をサポートしていたらしい。
だから、Aさんのようなまるっきり新人というわけではない。

「Aさんのこと聞いてますよ。なんでも、あの○○のライターを超える逸材だそうですね」
「だれがそんなこと言ったの?」
「社長です」
――あの社長……。俺の知らないところでそんなこといってたのか。

期待されて悪い気はしなかったが、過度な期待はプレッシャーになる。

「まあ、あの社長の言うことですから、間に受けはしませんでしたけど」
「そ、そうだよね。俺なんてまだ素人同然だから…」
「パソコン。まだ組み立ててないんですよね。じゃあ、やっちゃいましょう」
J君はAさんのパソコンの組み立てに取り掛かった。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記46

このJ君。年は、Aさんの二つ下。
つまり、まだ二十三歳なのだが、この業界に入ってすでに五年のキャリアをもっている。
部署は一応営業になっているが、本職はプログラマー。
そのほかにも、ディレクターやプランナーの経験もあるという。

「え? J君ってここに来る前あの会社にいたの?」
「はい。そこで、○○のプログラムを担当してました」

Aさんが驚いたのも無理はない。
J君のいた以前の会社とは、昨年数万本売り上げた萌えゲーの超有名ブランドである。
そこの開発チームが解散し、新しいブランドを作るという流れになったが、
J君はそれに参加せずフリーになった。
色々な会社の手伝いをしていたところに、F氏に誘われ、この会社に入社する運びとなった。

「まあ、一応営業ということになってますけど、営業広報はFさんがいますし、
僕は主にプログラムを担当することになるでしょうね」
「J君が来る以前のプログラムは……?」
「社長です」
あのユーザーの怒りを買ったバグだらけのプログラミングは、社長自ら手がけていたのか。
「プログラマーとして僕が入っちゃうと、社長が臍まげちゃいますからね。
ですから、一応営業という肩書きで入社することになったんです。
あの人結構子供ですから。Fさんも色々と大変ですよ」
なるほど。ようするにJ君は、ヘルパーなのだ。
前回の開発で社長のプログラミング技術を見限ったFさんが、次回もこのままでは不味いと思ったらしく、
腕のいいプログラマーを雇うことを決めた。
そして、J君に頭を下げて来てもらったのだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記47

「ま、仕事ですから、お金さえ貰えばいいですけど」
「J君っていくらもらえるの? 俺、時給700円」
「僕ですか…? あんまりそういう話はしたくないんですけど…」
「ご、ごめん…」
初対面でいきなりそんな生い話をふられて困るのは当然だ。
Aさんは自分の質問を撤回する。
「謝らなくてもいいです。興味があるんでしたら、Aさんにだけ特別おしえてあげます。
僕の給料は、たぶん月20ぐらいでしょうね」
「20」
Aさんはぶっ倒れそうになった。
そして、これがプロの世界なんだと思い知った。
なんの実績もないライターのAさんと、実力と経験を乞われて入ったJ君。
それが、時給700円と月20万の差だ。

「できました。OSはXPです。あと、デバッグ用に2000も入れておいて下さい」
「デバッグ用?」
「そうです。前回のうちのゲーム、どうしてバグが出たか知ってますか?」
「いや…」
「簡単な話です。時間がなくてデバッグしてなかったんですよ」
「え!?」

「だってそうでしょ? 開発環境ではあらわれない特殊な事例だったら、仕方ないと思いますけど、
どんな環境でも発生するバグ――前回のゲームで言うと、ルートの途中で落ちるとか、
決まったOSではプレイできないバグとかは、デバッグをちゃんとしてれば、誰だって発見できたはずです。
それが…」
J君は、ベランダでタバコを吸っているH子さんを一べつした。
「はいはい。すいませんね……」
H子さんが、タバコをふかしながらやさぐれる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記48

「前回は、落ちちゃうルートのヒロインの絵が最後まで完成しなくて、
結局全ての絵素材がそろったのが、マスターアップの日の朝なんですよ」
「で、そのルートだけデバッグしないで製品を出したわけ?」

「社長の弁解は、一応そうですけど……」
J君は声を潜めた。
「これは僕の推測なんですが、多分社長は、バグに気付いていたと思います。
朝素材が上がって、それからでもデバッグする時間は十分あったはずです。
それに、絵が完成してなくても、ダミーで動かすことは出来ますからね。
…でも社長、バグに気付いたけど、それを治せなかった……。恐らく、それが真相でしょうね」

「……そんなのってありなの?」
バグがあるとわかってて製品を納品するなんて。
リンゴ農家がリンゴが腐ってるとわかってて問屋に卸すようなものだ。
「一作目ですからね。どうしても、発売日は伸ばせなかったんです。
ま、仕方ないですよ。一回発売日を伸ばせば、広告代や押さえた工場のキャンセル代やで、
色々と物入りになっちゃいますから。
それに流通やお店との信用も損なわれる。
お金のある会社だったら、発売日を延期することもできたのでしょうけど、うちはね……」
開発期間を伸ばすお金がないから、バグ入りとわかっていても発売せざるを得なかった、というわけか…。
「…………」
Aさんはショックで言葉を失っていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記49

「あんな欠陥商品を出したら、普通の企業ならとっくに潰れています。
ところが、この業界はそうじゃない。
当たり前のことをしなくても、商品は売れる。会社は維持できるんです。
当たり前のことが、当たり前にできない。それが“エロゲークリエイター”なんですよ。
Aさんはそんなクリエイターにはならないでくださいね」
不敵な笑みを浮かべて、Aさんに視線を戻す。

――当たり前のことが、当たり前にできないのがエロゲークリエイター。

J君の言葉は、Aさんがほのかに抱いていたエロゲー開発者への憧れを粉砕するのに十分な破壊力があった。
「………………」

「Jよけいなこと、喋ってんじゃねぇよ」
Aさんたちの会話に、E氏が割り込んできた。

「すいません。Aさん、これでパソコンは完成です。あとはネットに繋いで、ドライバを一通り揃えてください」
J君は、出来上がったばかりのパソコンを起動させて、Aさんに必要なドライバを教えた。

「では、僕はFさんと打ち合わせがありますので」
「……」
E氏は、開発室から出て行くJ君を睨みつけた。
その視線を背中で感じたのか、J君は振り返って、

「Eさん。僕がきたからには、今回みたいなぶざまな真似はさせませんから」

そうE氏に言い放って、開発室から出て行った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記50

「…………」
唖然としているAさんに、E氏は声をかける。
「…Jの言ったこと、真に受けるな。
正論かもしれないが、あいつは、底辺でゲームを作ってるメーカーの現状を知らない……。
見ろ。
ここにあるパソコンや機材は全て、会社を立ち上げた俺たちが持ち寄った物だ。
何万もするOSやツールを一通り揃えることですら、どれだけ苦労するか、
大手メーカーでしか仕事をしたことがないあいつにはわかんねぇんだよ。
そういう苦労をいままでしてこなかったから、あんな青臭い口がきけるんだ」
E氏の口調に、だんだん怒りが篭っていく。
「俺たちだって、バグ入りのゲームを喜んで発売したわけじゃない。悔しくないわけないだろ……。
けどな、限られた時間の中で、最低の賃金と、最低の資金と、最低の機材と、最低の人員で、
いかにいい物を作るかが、俺たちの仕事なんだ。
最高の資金と人員と設備を揃えて、
心行くまでゲーム製作に取り掛かれるエロゲークリエイターなんて、一握りしかいない……」
E氏の顔は苦渋に満ちていた。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記51

入社早々Aさんはへコんでいた。
J君と、E氏。どちらの言い分もわかる。
けど、ユーザーの立場から見れば、J君の言っていることが正しいのは、誰が聞いてもあきらかだろう。
Aさんも、バグ入りのゲームを掴まされて、メーカーにブチ切れたことは何度もあった。
だけど、バグ入りのゲームを喜んで世に送り出したいと思う開発者はいない。
バグ入りとわかっていて、それでも発売に踏み切らなければいけない様々な事情があるのだ……。
「ふう…」
Aさんは、これからお世話になる専用マシーンに向かって、地の底まで届きそうな、深いため息をついた。
これから、Aさんも開発者の立場に立つ。
当然、下手なゲームを世に送り出せば非難の嵐に晒される。
不安だった。 もう一つ、Aさんを落ち込ませている原因は、
いままで多少なりとも憧れを抱いていたクリエイターへの失望だった。
D社長のような人が、当たり前のようにこの業界内に跋扈しているのかと思うと、ヘコむどころの話じゃない。

「Aさんはそんなクリエイターにはならないでくださいね」
J君の忠告。それは、Aさんへの戒めもあったが、言葉の裏には、
「どうせあなたも、D社長のようになっちゃうんでしょ」
という、意味が含まれてたようにAさんは感じた。

――俺は一体どんなクリエイターになってしまうのだろう。
D社長のようになってしまうのか、それともJ君のように、なれるのか……。

背骨ソフトの人々

背骨ソフトの人々(平野風味)


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記52

「H子さんとA君いる?」
開発室の扉を開けて入ってきたのは、F氏だった。
「はい。なんですか?」
「そろそろサイン会だから準備して。A君も連れてっていいって社長の許可が下りたから。一緒に行きましょう」
Aさんは、言われたとおりに外出の準備にとりかかった。
H子さんも、握っていたシャーペンを置いて立ち上がる。
「サイン会って……原画家のH子さんがサインするんですか? まるで芸能人みたいですね」
Aさんは、尊敬の眼差しでH子さんを見た。
「そうね……馬鹿らしいことだと私も思うわ」
H子さんは、Aさんの期待とは逆の反応を返す。
「まあ、そう言わないで。これもファンサービスの一環だから……。
次回のゲームの売上に繋がると思って……ね?」
どうやら、H子さんはサイン会に乗り気じゃないらしい。
F氏はそんなH子さんを必死になだめる。
「はあ……」
と、H子さんは渋々といった感じで、外出する準備を始めた。

「Aさん」
Iちゃんが作業の手を止めてAさんを手招きする。
「なんですか?」
「ハンカチもってます?」
もってないAさんは、首を振った。
「じゃあ、これ持っててください」
Iちゃんは、チェック柄のハンカチをAさんに手渡した。
「?」
いまからサイン会に行くというのに、なぜハンカチを?
Aさんは、Iちゃんのハンカチを握ったまま疑問に思った。
「きっと役に立ちますから」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記53

「A君。行くよ」
「行ってらっしゃい」
Iちゃんに見送られて、Aさんたち三人は会社を後にした。

山手線秋葉原駅。
言うまでもなく、オタクのメッカである。
「いやー。相変わらず、いい街だねー」
と、改札を出たF氏はなぜか晴れ晴れとした表情で、秋葉原の街を見渡す。
平日だというのに、本当に賑やかだ。
確か今日は金曜日。エロゲーの発売日ということもあって、いつもより人通りが多い。
「…………」
H子さんは、そんな街並みには目もくれず、タバコケースから細長いタバコを取り出し口にくわえた。
「こらこら。H子さん。条例……知らないの?」
F氏に注意され、H子さんは舌打ちしながら、火をつけたばかりのタバコを投げ捨てた。
「……だから秋葉は嫌いなのよ」
「条例? ああ、なるほど」
タバコを吸わないAさんは、一瞬遅れてF氏の言葉に反応した。
千代田区の禁煙条例のことか。
Aさんには関係ないが、タバコを吸うH子さんにしてみれば、鬱陶しいことこの上ないだろう。
秋葉が嫌いになるのもわかる。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記54

「さ、行きましょう。
会場は、ちょっと行ったところにある○○電気PC館ですから」
F氏の口から、大手家電販売店の名前が出た。
「……」
歩き出すF氏。
それに構わず、H子さんは立ち止まったまま、自分の右腕をじっと見つめていた。
「どうしたんですか? Fさん行っちゃいますよ」
「…ごめんなさい。行きましょう」
Aさんにうながされて、H子さんはF氏の後について歩き出した。

「サイン会みたいなイベントってよくあるものなんですか?」
Aさんは、イベント等にあまり詳しくない。
行くとしたら、精々コミケの企業ブースを覗くぐらいだ。
「頻繁にはありませんが、発売日直後はどこもこういうイベントをやるのが普通です。
サイン会以外にも、トークショーやライブ……
あと、コミケやキャラフェスにも参加したりと、そのときどきによって、色々ありますよ」
「そんなときだけ巣穴から引っ張りだされる私たちには、いい迷惑よ」
H子さんはあまり行動的な人ではないみたいだ。
わざわざ秋葉原まで連れ出されたことが、心底迷惑そう。
H子さんの言った巣穴とは会社の開発室のことだろう。
「おまけに、発売日直後でもないし……。一月も経ってからサイン会なんていまさらじゃない?」
「う…。いや、でも、予定に入ってなかったうちを、
J君が頭をさげてねじ込んでくれたんだからさ。そんなこと言わないで…」
「気が進まないわね…」
話しながら、サイン会会場まで向かう。
道中、F氏は嫌がるH子さんを必死に説得している。
Aさんは、二人の会話を聞きながら、むわっとする秋葉の風を肌で感じていた。

H子さん


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記55

「着きました。ここの八階です」
華やかなネオンに飾られた○○電気PC館。
秋葉原を見下ろすように聳え立つビル。
三人はエレベーターに乗って、八階まであがった。

「どうも、背骨ソフトです。本日はよろしくお願いします」
迎えに出た店員にF氏は慇懃に頭を下げる。
広い売り場スペースの隅っこに、会議用のテーブルとパイプイスが置いてある。
いかにも準備前と言った感じで、ダンボール箱と折り畳まれた白いテーブルクロスが、机の上に置かれていた。
「もしかして、あそこでサインするんですか?」
AさんはH子さんに聞いた。
――あれじゃあほとんど晒し者じゃないか。
軽い驚きがあった。
「……」
H子さんは、面白くなさそうにうなずく。
派手な売り場に、素朴なテーブルとイス。
まるで、コミケのサークルスペースをこの売り場にそのまま持って来たような違和感があった。
Aさんは、続ける言葉を失った。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記56

「さ、H子さん準備して。人前に出るんだから、もう少し身だしなみを整えましょうよ。
A君は、準備するの手伝ってください」
「はい」
「余計なお世話よ。これでいいわ」
といいながら、H子さんはボサボサの髪を手ですいた。
せめて、目の下の薄い隈ぐらいは化粧で隠したほうがいいのでは、
とおせっかいながらAさんは思った。
「A君。このダンボール下におろして下さい」
F氏に言われたとおりに、机の上のダンボールを下に下ろす。
ダンボールは、八つ。
「背骨ソフトと描いてあるダンボールだけでいいですからね。
あ、でもテーブルクロスひかなきゃいけませんから、残りも下ろしましょう」
背骨ソフトともう一つ「猫殺ソフト」と記されたダンボールがあった。
「猫殺ソフト」というブランド名はAさんも聞いたことがある。
確か、西の大手メーカーが作った新しいブランドだ。

――猫殺ソフトのデビュー作の発売は今日だったような……。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記57

雑誌でもネット上でも散々期待の新ブランドとして取り上げられていたため、
Aさんも猫殺ソフトの名前は覚えていた。
「うちの荷物はこの二つだけです。あとは、猫殺さんの荷物ですから。なるべく触らないように」
「猫殺ソフトもここでサイン会を?」
「そうです。原画家のK女史のサイン会が、H子さんの後にあります。
このダンボールはその際の配布物が入っているのでしょう」
八箱あるダンボールのうち、背骨ソフトの箱は二つ。
あとの六つは猫殺ソフトのダンボールだ。
「ようするに、私のサイン会は前座なのよ」
H子さんが髪を手櫛で梳きながら、面白くなさそうに呟いた。

発売後一月も経って、ようやくサイン会なんて流石のAさんもおかしいと思ってた。
今日ここで有名ブランドの猫殺ソフトのサイン会があると知ってその疑問は簡単に晴れた。
つまりH子さんのサイン会は、今日ソフトを発売し、
ここでその記念にサイン会をする猫殺ソフトに便乗させてもらったのだ。
「J君がねじこんでくれた」と言ったF氏の言葉の意味はそういうことだったのだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記58

原画だけで二万本は売れるという、人気原画家K女史。
それに比べて、同じ新ブランドながら、H子さんが書いた背骨ソフトのゲームは四千本。
H子さんが前座に見られるのはしかたない。
「H子さん。どうしたんですか、さっきから右腕ばかり見ているようですけど」
しきりに右腕を気にするH子さんに気付いたF氏は、腑に落ちない様子で尋ねる。
「…ねえ、Fさん。今日、サインする物って、もしかして……色紙?」
「そうですよ」
と、F氏はダンボールを一つ開いて、中から真っ白な色紙を取り出した。
「チラシとか、テレカにサインするのじゃ駄目?」
「うーん。いちおう来てくださったお客様に、配布する下敷きは用意してありますけど――」
F氏はもう一つのダンボールを開いて、H子さんの描いたキャラの絵が印刷されている下敷きを取り出した。
「すでに『こちらの用意した“色紙”にサインします』とHPで告知してしまいましたからね。
いまさら変更は出来ませんよ…」
Aさんは、二人の会話が良く理解できなかった。

――サインするなら、色紙もテレカも一緒じゃないか。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記59

きょとんとしているAさんにF氏が教えてくれた。
「サイン会といっても、サインする物には色々ありまして、
いま言ったチラシやテレカなど、すでに絵が印刷されているものにサインする場合と、
真っ白な…このような色紙にサインする場合の二つのパターンがあります」
「…それは、どう違うんですか?」
F氏の変わりにH子さんが答えた。
「絵描きの私がサインするんだから、名前だけサインするんじゃ駄目でしょ?
絵も描いて、ようやく原画家のサインと言えるのよ。
けど、すでに絵が印刷されているものには大きな絵は描く必要はないの。
だけど…色紙だったら、ちゃんとした絵を描かないとお客さんは納得してくれないわ」
「時間が限られている場合や、お客さんが多い場合には、
簡単に済ませられるため、印刷物にサインして渡す場合が多いのですが、
それだとあまりありがたがられませんし…。
うちなんかの場合、そういうところで頑張らないと、ユーザーさんは振り向いてくれませんからね」
「配る整理券は何枚?」
「100を予定してます」
傍にいた店員が、H子さんに答えた。
「100枚か……」
Hさんは、ぐっと右手を握り締めた。
「手の調子でも悪いのですか?」
「マスターが終わった直後から、ちょっとね…」
F氏の顔が曇った。
「それなら早く言ってくださいよ」
「こんなこといままでなかったのよ。私ももう、年かもね」
苦笑しながら、筋張った手を何度も握り締める。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記60

「すいません。そろそろ、時間です…」
整理券を受け取ったお客さんが、エレベーターの近くに集まり始めていた。
「H子さん大丈夫?」
「やるしかないでしょ。それが私の仕事なんだから」
「…………」
心配そうな顔で、H子さんを見つめるF氏とAさん。
そんな二人を嘲笑うように、H子さんはボサボサの髪を掻きながら、
「今日は生まれて始めて、左手で絵を描いてみようかしら……」
笑えない冗談を言った。

サイン会が進む。
順番を待つお客さんをH子さんは次から次へと捌いていく。
Aさんは、サインを受け取ったお客さんに下敷きとチラシを手渡す役目を仰せつかった。
「ありがとうございます」
Aさんのすぐ傍では、机に座ったH子さんが物凄いスピードで、
色紙にゲームに登場したメインヒロインの顔と自分の名前を描いていく。
絵がどんどん出来ていく様子を傍らで見て、はじめてAさんはプロの凄さを知った。

――調子が悪いといっていたH子さんの右手も、なんとか大丈夫そうだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記61

「いい勉強になったでしょ?」
半分ぐらいお客さんがはけたところで、F氏がAさんに近づいてきてAさんに話し掛けた。
「凄いですね…。このお客さん、みんなH子さんのファンですか?」
「H子さんはね。うちの会社に入る前は、ずっと同人でやってきた人ですから、
熱心なファンが沢山ついてるんですよ」
それなのに、ゲームの売上は猫殺ソフトの足元にも及ばないとは…。
「私は、H子さんの絵はK女史に負けていないと思います。
でも、両者が原画を担当したゲームの売上は天と地ほどの差がある。
この違いはなんでしょう?」
「それは……内容ですか?」
F氏はAさんの言葉に頷いて同意した。
「そう。いくら絵が良くても、内容が良くなければ最近のお客さんは手にとってくれません。
いままで名作と呼ばれるゲームに何本も携わってきたK女史と、ずっと同人で頑張ってきたH子さん。
私は、なんとかしてH子さんをK女史を超えるような原画家にしてあげたい…。それが私の夢です」
F氏の言葉に力が篭る。
「そのためには、私たちが頑張らないと…。
Aさん。期待してますよ」
「は、はあ…」
F氏の熱い言葉に対して、Aさんはふがいない返事を返すのが精一杯だった。
「次のゲームこそは、H子さんの絵に見合うような内容のゲームを作って、
今日来てくれたお客さんを喜ばせてあげたいですね」


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記62

……。

サイン会は無事終了した。
「お疲れ様でした」
イスに座ったまま、疲れきった表情を浮かべるH子さんをF氏が労わる。
右手が痛いのか、H子さんはずっと左手で右手首を押さえている。
「冷やした方がいいかもしれませんね。A君、ハンカチもってないですか?」

――あ、Iちゃんが渡してくれたハンカチって…。これを予測してのことだったのか。

ポケットの中にあるチェック柄のハンカチをAさんは握り締めた。
「持ってます。水で濡らしてきますね」
「悪いですね。お願いします」
Aさんはトイレに言って、ハンカチを濡らす。
「はい。H子さん」
「ありがとう…」
冷やしたハンカチをH子さんに手渡した。
そのとき、次のサイン会を行う猫殺ソフトの一行が姿を現した。
その中で、一番若い女の子がAさんたちに気付いて、歩み寄ってきた。
「H子さん。お久しぶりです」
「Kちゃん…」
懐かしい旧友にあったかのような表情を浮かべる。

――え? まさか、こんな若い子がK女史?


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記63

Iちゃんほどではないが、J君と同じ年ぐらいではないか。

「Iちゃんはお元気ですか?」
「ええ。なんとかやってるわ」
「そうですか」
荷物を整理していたF氏が立ち上がって、
「では、そろそろ我々は…」
「じゃあ、Kちゃん頑張ってね」
「はい。お疲れ様でした」
Aさんたちは、すごすごと○○電気八階から撤退する。
入り口に並んだ――恐らく、K女史のサイン会を待っている――
お客さんたちは、H子さんのお客さんの軽く倍は超えていた。
駅に向かう途中、H子さんが、
「猫殺ソフトも色紙を用意してたわね」
ハンカチ巻いた右手を押さえながら、悔しそうに唇を噛んだ。
「整理券は、200配るらしいですね。それでも、あぶれるお客さんは出てくるでしょう」
H子さんの倍の数を、あのK女史はいまからこなそうというのである。
それなのに、K女史は浮かない顔どころか、終わったH子さんたちを気遣う余裕すらあった。
H子さんの口惜しそうな表情は、誰に対してでもない。
ふがいない自分に向けられたものだ。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記64

「H子さんとK女史は知り合いなんですか?」
「ええ。そうです…」
と、F氏はなぜか言葉を濁す。
「…昔ね。あの子と一緒にサークルやってたの。Iちゃんと私の三人で。五年も昔の話だけどね…」
「そ、そうなんですか」
衝撃の事実に、Aさんは驚きを隠せない。
「Kちゃんは、私たち三人の中で一番下手だった…。
いい子なんだけど、当時私は、Kちゃんには才能がないって思ってたの。
この子は一生絵で食べていくことは出来ないだろうって……。けど――」
H子さんは、手に巻いたチェック柄のハンカチを握りしめた。
「才能がなかったのは、私の方みたいね…」
「そんなこと……」
AさんがH子さんの言葉を否定しようとした。
その途中でF氏が、
「そんなことないですよ」
と、Aさんの台詞を食う勢いでH子さんの言葉を否定した。
H子さんを励ますF氏の言葉を聞きながら、AさんはF氏に言われた言葉を思い出した。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記65

――次のゲームこそは、H子さんの絵に見合うような内容のゲームを作って、
今日来てくれたお客さんを喜ばせてあげたいですね

「……」

――俺は、H子さんの足を引っ張らないライターになれるのだろうか。

と、朧に霞む月を見あげて溜息をついた。

ふと、いま出てきたばかりの○○電気が目に入った。
あの八階では、いまもK女史が色紙を前に奮闘しているのだろう。
H子さんとK女史。
かつて同じサークルで絵を描いていた二人の女性は、
いまや完全に立場が逆転してしまった。
H子さんの胸の中には、釈然としないものがいまでも燻っているのだろう。
しかし、焦ったところでK女史との間に出来た差は埋めることは出来ない。
そんなH子さんの胸のうちを知っているからこそ、F氏は、
いい内容のゲーム、売れる企画のゲームの絵をH子さんに描かせてあげたいと願うのだ。
その思いは、入社してまだ一日目のAさんにも痛いほどわかった。

「……」
これからやっていけるのだろうかという不安は、Aさんの中でさらに大きくなった。
しかし、Iちゃんのハンカチを巻いたH子さんの右手を見て、
昼間抱いたエロゲークリエイターへの失望はほんの少し和らいだ。

サイン会後、帰路。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記66

 ――会社という組織を運営していく限り、資金は無限ではない。
   その限られた資金の中で出来うる限りの最高のものを作る。
   結果、十分な出来に相当するゲームをユーザーの元に届ける
   ことはできず、非難されたとしても、   
   一切言い訳は許されないのである(Aさんの親父談)

Aさんは眠りに就いていた。
「くー」
夢の中でテレビを見ていた。ニュース23。
筑紫哲也の威圧的な顔が、ブラウン管一杯に映し出されている。

〜多事争論〜 ゲーム開発

《満足行くまで製作に取り掛かれるちゃんとした環境さえあれば、
いいものはできるでしょう。
しかし、星の数ほどある背骨ソフトのような中小ソフトハウスのほとんどは、
同人サークルに毛の生えたような設備しか持っていません。
おまけに時間も資金も必要最低限しか与えられないのです。
当たり前のことを、当たり前にさせてもらえる十分な環境でないのが現状です――。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記67

例えば、背骨ソフトの前回のゲーム製作を例に出すと、

・制作期間  6ヵ月
・資本金   600万
・開発費  1600万
・人員 プログラム        D社長
    ディレクター        E氏
    音楽            E氏、および外注
    背景原画、彩色     背景スタジオ外注
    原画            H子
    彩色            Iちゃんおよび外注
    シナリオ          G先生(外注)
    スクリプト         D社長・E氏
    ムービー         D社長・E氏
    広報、営業        F氏・J君

以上の人員と資金と期間で、

シナリオ総量  900k
イベントCG  88枚
立ち絵     62枚
曲数      21曲(主題歌・エンディング曲込み)
女性ヒロインフルボイス

という規模のゲームを製作しなければいけないとしましょう。
Aさんのような、開発に携わったことのない人間ではピンとこないでしょうが、


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記68

シナリオライターの一月の平均作業量が 250k
原画家の一月の平均作業量が 20〜25枚(一日一枚)
彩色の一月の平均作業量が 20〜25枚(一日一枚)

という基準を参考に考えると、6ヵ月という製作期間では、
まず原画が間に合わないことがわかります。
一月の作業量20枚が限度であるH子さんでは、88枚のイベント画像と62枚の立ち絵、
合計150枚の原画を6ヵ月の期間であげることはなかなか難しいものがあります。
当然、期間内に仕上げなければいけないため、
本人の限界を越えた作業量を強いられることになります。
さらには上記の枚数以外にもキャラクターデザインの時間や販促物等の絵も必要となるため、
前回のゲームでマスターアップ直前まで絵が間に合わなかったのは、
しかたないことなのかもしれません。

シナリオについては6ヵ月で心配ないと思われるかもしれませんが、
上記の一月平均250kという作業量は単純にシナリオを書くだけの時間なのです。
シナリオを本格的に書き始める前に、まずフローチャート作成、
全体のプロットを組み立てる作業、
そしてCGや音楽の発注書を製作する期間があります。
それにまず一月はとられるでしょう。
そして、四ヶ月かけて無事にシナリオを書き終えたとしても、
あがったシナリオを台本化し音声を収録。
さらにスクリプト化、そしてデバッグ。
これらの作業をこなす期間は一ヶ月しか残らない計算になります。
おまけにスクリプト化と音声収録に携わったE氏とD氏は、
それ以外にもそれぞれの仕事(音楽、プログラム、ムービー)を抱えているのです。
そんな中で、デバッグとその修正に満足な時間が取れるかといえば、
答えはNOです。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記69

間に合わないからといって6ヵ月の制作期間をそれ以上延ばすことはできません。
人件費を含む会社の維持費として、一月に100万近く消えていくのです。
最初に用意した資本金は会社の維持だけで消えてしまいます。
おまけにJ君の言葉どおり、土壇場で開発期間を延長することになると、
告知した発売日を延期することになり、
さらなる広告費や、プレス工場のキャンセル代などがかかるのです。

とまあ、簡単ではありますが背骨ソフトのデビュー作製作における、
開発費とスケジュールを簡単に分析してみました。
6ヵ月という製作期間は、それぞれの部署が円滑に作業が進めば、
ギリギリではありますが、なんとかゲームが完成するスケジュールであります。
しかし、作っているのは人間。
予期せぬ事態、予期せぬ出来事というのは当然のように起こります。
たとえば、外注のグラフィッカーが仕事をサボったとか、突然社員が辞めたとか、
そんなことは日常茶飯事です。
かといって、8800円のゲームをこれ以上低い規模で作ったとしても、
いまのユーザーのニーズに応えられるかと言えば、答えはNOです。
ご紹介した背骨ソフトのゲームが、
恐らくいまのエロゲー市場での標準ライン(8800円のゲーム)の規模でしょう。


■某Aさんのエロゲークリエイター体験記70

6ヵ月という開発期間と1600万という開発費は、
まだ、恵まれているほうです。
いまあげた背骨ソフトよりもさらに劣悪な状況でゲームを
開発せざるをえないメーカーは沢山あります。
そんな中で、彼らは少しでもいいものをユーザーに提供するために
日夜努力しているのです。以上、今日の多事争論でした》

……。

「はっ!」 Aさんは、布団から飛び起きた。
「なんだ夢か…」
筑紫哲也がニュース23でエロゲーのことについて語るというおかしな夢だった。
時計を見ると、まだ夜中の2時だ。
「もう一回寝よ…」
Aさんはもう一度、布団に潜り込んだ。

これから、Aさんには様々な苦難が襲い掛かる。
それはなにも、ゲーム開発に限ったことじゃない。
エロゲーソフトハウスの現状というものを嫌と言うほど味わう
羽目になる……。

多事争論





第二部「ライター編」#71〜#110ヘ





1◆TJ9qoWuqvA
450@無職
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◆EpHrMeUAE6