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渡辺さんは愛が見つからないようです

――――― 渡辺さん編 ―――――

 夏は恋の季節だと言い始めたのは誰なんだろう?
確かに、夏の始まりにはこれから何か素敵な恋が待っているようなそんな気分になる。
でも、わたしのような地味な人間では、恋の神様も見過ごしてしまうかもしれない。
――じゃあもし、魔法とか望みを叶えてくれる小人なんかが存在するとしたら。
わたしは何を望むだろう?
この地味な性格を直し、恋の神様どころか、みんなに注目されるような人間になることだろうか?
そうすれば、わたしにも恋がやってくるだろうか?

(^ω^)
 夏休みの学校はいつもとは違う空間のように感じる。
人のいない静かな昇降口は何だかとても広く見え、そそり立つ下駄箱はわたしを取り囲み飲み込もうとしているかのようだ。
また、そんな昇降口から見える外の世界は、照りつける太陽によって色鮮やか映り、暗い校内とのコントラストで、まるで黒い額縁から明るい絵を見ているような気分にさせる。
どこまで行っても人はいない。建物にいるのは補習や部活に来ている生徒とそれに付き合う数人の先生達だけ。
聞こえてくるのは、離れたグラウンドからの運動部の声とブラスバンドの奏でる途切れ途切れな練習の音。そして木々から降り注ぐ蝉の声。
時間までもがいつもとは違う流れ方をしているような気がする。
 そんな夏の学校をわたしは部室目指して歩いていた。
廊下では日の差す窓の近くを避け、なるべく日陰の中を進んで行く。
階段では汗をかかないゆっくりした速度で一段づつ昇る。
そうして、プレートに《文芸部》と書かれた部屋に辿り着くと、鍵を開けて部屋に入った。
まずは窓を開けて風を流す。そして、棚から読む本を選び、椅子を涼しい場所に置いて座り、本を開く。
文芸部の部室とは言っても、部員はほとんど現れないし、何か創作活動をしたりするわけでもないので、この空間はほとんどわたしだけの読書部屋と化している。
そんなわけで、わたしは独り、読書を進める。
時折、隣の部屋から男の子達の笑い声が聞こえてくる。
隣の部屋はコンピューター研究会の部室で、聞こえる会話の内容からして、何かのゲームで盛り上がっているらしい。
部室の間の壁は薄く、音が筒抜けで、まるで壁など無くいつも同じ部屋にいるかのように感じる。
そんな環境にも慣れたわたしは音を気にせず、再び本に戻る。
何章か読み進んだところで、部室に置いてあるポットでお湯を沸かし、紅茶を飲んだ。
紅茶を飲みながら、わたしは再び物語の中へ深く深く入ってゆく。
どれくらい経ったのだろうか? 太陽が移動したせいで部屋が暗く感じ始め、字が読みづらくなってきた。外からはひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。
電気を点けようかと思っていると、隣の部屋から「じゃーなー」という別れの言葉が聞こえてきて、数秒後に私の目の前のドアが開いた。
「おーい、渡辺ぇ。帰ろうぜ」
ドクオがそう言いながら部屋に入って来る。
「うん、片付けるのにちょっと時間かかるから先に校門で待ってて」
わたしは本を閉じると、ティーカップとポットを持って立ち上がった。
「じゃあ、高岡もまだだから体育館に寄って行くよ」
ドクオはそう言うと、部屋を出て体育館へ向かった。
ポットの残り湯を捨て、ティーカップを洗って水切りに置くと、本を棚に戻し、窓を閉め、カギをかけて部屋を出た。
 昼の暑さはもう落ちついていた。
今度は日差しを気にすることなく廊下を進み、昇降口へ向かった。
夏の長い日。外はまだ明るかった。

(^ω^)
「おまたせ〜」
校門で待っていたドクオとハインリッヒの二人に声をかけながら駆け寄る。
「よーし! 帰るぞ!」
いつものようにハインリッヒの言葉をきっかけにわたし達は歩き始めた。
わたし達はいつもこうやって三人で一緒に帰っている。
きっかけはハインリッヒだった。
わたし達は同じ中学出身だったが、最初は顔を知っているという程度だったのでバラバラに帰っていた。
しかし、三人とも帰る方向が同じで、しかも歩けるくらいの距離だったので、同じような時間に学校を出ると延々と同じ方向に歩く事になる。
ドクオはコンピューター研究会、ハインリッヒはバスケ部、そしてわたしは文芸部なのだが、帰る時間はだいたい同じだった。
何日かそんな状態が続いたある日、三人で一列になって帰っていると、最後尾のハインリッヒが笑いながら声をかけてきた。
「あーはっはっは! 何か変だよ〜。何で列になってもくもくと歩いてんの? 私達。ひゃはは」
そうしてそれ以来、わたし達は三人一緒に帰ることになった。
それが、一年生の時。そしてそれは二年生になった今も続いている。
クラスも部活も違い、特に三人に共通の話題がある訳ではないが、一緒に帰るのは楽しかった。
「ドクオ。今日、何かのゲームで盛り上がってたね」
「ああ、あれか。宇宙戦のシミュレーションゲーム。面白いぞ〜。部室も隣だし、今度LAN経由で部活対抗戦するか?」
「ドクオ! ノートパソコンと無線LANは無いのか? 我がバスケ部が体育館からドリブルしながら受けて立つ!」
「あるあ……ねーよ! っていうか、何でドリブルしながらなんだよ!」
ドクオは笑いながらハインリッヒに突っ込んだ。
ハインリッヒ高岡――、彼女はハッキリした顔立ちで手足がスラリと長く背も高い。性格はめちゃめちゃ明るく(たまに信じられないようにハイテンションになるが)、何でも楽しむ事を知っている。
当然のように男子に人気で、この二年の間に何人もの挑戦者が現れたが、今のところ誰かと付き合うつもりは無いようで、全員が玉砕している。
そして、ドクオ。彼はルックスは――、まぁ普通だと思う。うん。
彼はあまり多くの友人を作るタイプではないが、気の合う友人とはどこまでもおしゃべりが出来るタイプ。
常日頃「彼女欲しい〜」と言っているが特に行動を起こすわけでもなく、かと言って、決してもてる訳でもないので、その願いは未だ叶えられていない。
わたしはそんな二人と一緒にいつも楽しく帰っている。

(^ω^)
 学校から二十分くらい歩くと美府橋という小さな橋に出る。
手前には一本の大きな桜の木が立っていて、下には小さいながらも川が流れている。
川は上流から下流に向かって真っ直ぐに伸びていて、その川の線上は遮るものが無いので空がよく見え、たまに夕陽が沈むのが見えたりする。
そして、その美府橋を渡りきった所でわたし達三人は、わたしが直進、ドクオが左折、ハインリッヒが右折と行き先が見事に三方向に分かれる。
 美府橋の真ん中まで来ると、わたし達はそれぞれ、橋の欄干によりかかった。
いつからか、そこで少しの間おしゃべりをするのが恒例になっていた。
「ドクオ、彼女出来た〜?」
わたしはからかい半分で聞いた。
「ん、いや。できね」
ドクオはあっさりと答える。
「何だ何だ、まだなのかー? ほら、『一夏の恋』とかって言うじゃないか。今がチャンスだぞ!」
ハインリッヒの言葉にドクオが返す。
「おま、『一夏の恋』って、それじゃあ夏が終わったら、一緒に終わっちまうじゃねーか!」
わたしとハインリッヒはドクオの返事を聞いて笑う。
「でもそーだね。『夏は恋の季節』って言うし、がんばらないとねー」
わたしがそう言うとドクオが聞いてきた。
「何だ渡辺、お前も彼氏とか欲しいの?」
「んー。とりあえず、恋はしたいかな」
わたしは照れながら答えた。
「もしかして、お前も?」
ドクオは次はハインリッヒに聞いていた。
「んー。そうだな。いいやつがいれば」
それをきっかけに、しばらく、わたし達三人は欄干によりかかって川を見ながらそれぞれ夏の恋について考えていた。
「あ、オレ観たいテレビあるんだった」
ふと、ドクオがそう言い、それでわたし達は帰ることにした。
「じゃあ、また明日〜」
橋を渡りきると、わたし達は手を振って別れ、お互いの家に向かって歩き始めた。
見上げると、住宅街の電線によっていくつにも分断された空は夕焼けだった。

(^ω^)
 翌日も部室で本を読んでいたが、その日はまったく風が無く、あまりの暑さにページはちっとも進まなかった。
わたしはあきらめて本を閉じると体育館へ向かった。
体育館の開け放たれた入り口からはハインリッヒの声が高らかに聞こえてきた。
「ひゃーはっは! 私のドリブル、止められるものなら止めてみろー!」
そして数秒後に、体育館が振動するほどの歓声と、再びハインリッヒの笑い声が高らかに聞こえてきた。
私が入り口に着き、中を覗くとハインリッヒが笑いながら空を指差し、その周りでは他の多くの部員が床に倒れてあえいでいた。
ハインリッヒがわたしに気付いて近づいてきた。
「おお、渡辺。見てくれ! たった今、全員抜きを達成した所だ」
なるほど、さすがは次期部長と言われているだけはある。
「すごいね〜」
わたしが声をかけると、ハインリッヒの背後から長い黒髪の女子が一人、這いつくばりながらハインリッヒに近づいて来るのが見えた。
「くやしい……。だけど先輩……、まだ負けた訳じゃないですよ……」
「おお、貞子か。ふふん、私に挑戦するなぞ十年早い」
ハインリッヒは振り返って彼女にそう言うと、再び私に向き直り、「今日は少し早く帰らないか? 実は……、相談があるんだ」と言ってきた。
「え? うん、いいよ」
わたしがそう返事をするとハインリッヒは「じゃあ、後で」と言い、くるりと振り返ると貞子と呼ばれた女子の方へ笑いながら走って行った。
それからしばらくコートの中で踊るようにボールを操るハインリッヒを見ていた。
「かっこいいなぁ」
そんなハインリッヒの姿を見て、わたしは思わず呟いた。
ハインリッヒは何をしていても人々の目を惹いた。
男子にはもちろんのこと、女子からも人気がある素敵な存在なのだ。
そんなハインリッヒに相談されるなんて。わたしはちょっと誇らしかった。
ハインリッヒは既にボールを追うことに夢中でこっちを見ていなかったが、わたしは彼女に手を振ると体育館を後にした。

(^ω^)
 帰り道、ハインリッヒは何も言って来なかった。
相談、忘れちゃったのかな? それとも何かためらっているのか。
わたしから話を切り出すわけにもいかず、そのまま美府橋まで来てしまった。
そして、いつものように三人が別れ、それぞれの道を歩き始めた。
わたしも家に向かって歩いていると背後から声が聞こえた。
「渡辺〜。待ってくれ〜」
振り返るとハインリッヒが走って来ていた。
「どうしたの?」
「相談があるって言ったじゃないか」
ハインリッヒは走ってきたにもかかわらず息もみださずにそう言った。
「え〜っと、もう少し先に公園があるからそこで話そうか?」
わたしの提案でわたし達二人は公園に向かった。
歩いている途中、ハインリッヒは何もしゃべらなかった。
そして、公園に着くとハインリッヒはブランコに座った。
彼女は制服でスカートなのにもかかわらずブランコを漕ぎ始めた。
わたしは隣のブランコに座って彼女を見ていた。
「ハインリッヒー、パンツが見えちゃうよー?」
「大丈夫、下はバスケ用のスパッツはいてるから」
そう言って、彼女は大きく大きくブランコを漕いだ。
「相談って何?」
わたしの問いに彼女はブランコを漕ぎ続けながら言った。
「なぁ、渡辺ー。ドクオってどう思う?」
「え? ドクオ?」
彼女のブランコはどんどんと高さを増していった。
漕ぐたびにスカートがなびき、彼女のスラリと長い足が白くまぶしかった。
わたしは女なのにそんな彼女を見てドキドキしてしまった。
次の瞬間、ふっと彼女は宙を舞った。
長い髪とスカートをなびかせてブランコから青い空に向かってジャンプすると、ブランコの柵を難なく越え、足を揃え両手を広げて綺麗に着地した。
そして、そのままの姿勢で顔だけ私に振り返ると言った。
「私、ドクオが好きみたいなんだ」

(^ω^)
「ふぇぇえぇ〜!?」
 ハインリッヒの告白に驚いて叫んだ翌日から、わたしは彼女の恋の手伝いをすることになった。
まずはドクオに好きな子がいるのかを探り出す。そして次に、さりげなくハインリッヒをお薦めする作戦だ。
「ねぇ、ドクオって好きな子とかいるの?」
コンピューター研究会の部室にいたドクオを屋上に呼び出して聞いた。
こういう話はストレートに聞いた方がいい。回りくどく聞くと余計な誤解が生じるのはお約束だ。
「え? いやそのー、好きな子っていうか、気になる子? ならいるけど」
ドクオは赤くなりながらも答えてくれた。
「そっか、いるのか」
ハインリッヒの恋に第一の障害現る。
答えを聞いて落胆するわたしにドクオは慌てて言葉を繋げた。
「いや! でも何だ、そのー、誰かオレを好きになってくれる人がいるなら大歓迎っていうかー。ほら、オレいつでも彼女募集中な訳だし」
何と、障害はあっさりと消えてしまった。
「ほんと!? そっかー。ならよかったよ。うん」
わたしは笑顔で答えた。
「でも、ドクオ。『彼女欲しい』なんて言ってたわりには、ずいぶんと受身だね」
「いや! いやいや! 違うんだよ。受身っつーか、自分から行こうと思ってるんだけど、先に来ちゃったっていうか、そのー」
わたしの言葉にドクオは更に慌てて話し始めた。
しかし、いつまでもドクオの話を聞いてはいられない。この状況を早くハインリッヒに教えてあげないと。
「じゃあ。ちょっと体育館に行くから、また後でね〜」
わたしはドクオを後に残して校舎への入り口に向かった。
「わ、渡辺!」
ドクオが呼び止めた。
「ん? 何? 急いでるんだけど」
わたしは一刻も早くハインリッヒに教えてあげたかった。
「何でもない……」
「そう? じゃあ、帰りにね」
「ああ、帰りにな」
わたしは階段を降りて体育館に向かった。

(^ω^)
 体育館の入り口でわたしを待っていたハインリッヒに、わたしは親指を立てて見せた。
「大丈夫! 今は好きな子とかいないみたい」
「よぉぉし! 第一関門突破だ!」
ハインリッヒは笑顔になった。
わたし達は体育館入り口のコンクリートの段に並んで座った。コンクリートは少し冷たくて気持ちがよかった。
「じゃあ次はさりげなく、ハインリッヒの事をお薦め作戦だね」
「よろしく頼むよ!」
そう言いながらハインリッヒはわたしにジュースのペットボトルを一本差し出した。
「なぁにこれ? 宣伝料?」
わたしが笑いながら受け取ると意外にもハインリッヒは真面目な顔で話し始めた。
「いや、ほんと、二人と友達になれてよかったと思ってるんだ」
「どうしたの? 突然」
ハインリッヒはもう一本のジュースに口をつけた。
「友情は何物にも替えがたいと思うよ。私はドクオの事を好きになったけど、それと同じくらい渡辺の事も好きだよ」
そんな言葉にわたしは嬉しくて照れてしまった。
「じゃあ、ドクオじゃなくてわたしと付き合う?」
「いいぞ。渡辺のためならドクオのこともあきらめよう」
そうして、わたしの目を見つめながら顔を近づけてきた。
わたしが思わず目をつぶると、ハインリッヒは高らかに笑った。
「あーはっは! 渡辺。私とキスするつもりか?」
わたしは頬をふくらませた。
「いいぞ。さっき言った事はほんとだ。渡辺とならキスだって歓迎だよ」
そう言ってハインリッヒは再びその顔を近づけてきた。
そして、鼻と鼻とがぶつかる距離まで近づくと、二人して同時に笑い出した。
「「あはははは」」
それから、ひとしきり笑うと「じゃあ、私の宣伝。よろしく頼むよ」と言い残してハインリッヒは体育館の中に戻って行った。
わたしも部室に戻ろうとペットボトルを持ち上げると、冷えたペットボトルに付いた雫がコンクリートの段に丸い跡をつけていた。
わたしの付けた跡の隣にはハインリッヒの付けた跡が残っている。
わたしは指に水滴を付けると、丸の中に閉じた目と、左側には3になった口、そして右側にはその逆向きの口を書いた。
それから、絵の出来栄えを確認すると、それら二つの顔を後に残して、一人微笑みながら部室に戻って行った。

(^ω^)
 その日の帰り、わたし達は美府橋の真ん中で一緒に空を見ながら話をした。
「なぁ、空ってどこからが空なんだろうな?」
ドクオがふと呟いた一言がきっかけだった。
「空っていうと何だか、手の届かない遥か彼方――みたいなイメージだけどさ。明確には定義されてないよな」
わたしもハインリッヒも最初、ドクオが何を言っているのかよくわからなかった。
「でもさ、オレ達のこの目の前の高さだって、蟻にとっては遥か上空だろ?」
「つまり、ここももう空だということか」
ハインリッヒがドクオの言葉の意味を理解し、そう言った。
「そうだよ。だからさ、空には手が届かないと思うのは間違いなんじゃないかな?」
「でもさぁ?」
わたしも話しに入り込む。
「300メートル上空って空っぽいけど、東京タワーに上ったら、もうそこは空じゃない気がしない?」
「う、うん」
ドクオの返事には多分に困惑が含まれていた。
「だから空っていうのは永遠に手が届かないんじゃないのかな?」
わたしが出した結論にハインリッヒが割り込む。
「じゃあ、飛行機はどうだ? あれで雲の上にいるとさすがに空にいる気になるぞ?」
「そういえば、そうだねぇ。違いは一体何なのかねぇ?」
「「「う〜ん」」」
わたし達三人はみんな橋の柵に肘を乗せて考えていた。
しばらくしてドクオが再び呟くように言った。
「でも、お前達と話して良かったよ。他の奴らだったら『へぇ、そう』で終わりそうだもん。何か友情って――」
「「へぇ、そう」」
わたしとハインリッヒが同時にそう言い、二人で顔を見合わせて笑った。
「何だよお前等。オレ、ちょっと感動してたのに」
ドクオが口をへの字に……いや、アルファベットのAの字みたいにした。
「ひゃははっ! いいからいいから、分かってるよ」
そう。敢えて口にはしなかったが、わたしも感じていた。
それは、むしろ、こんなくだらない時間を過ごしている時にふと感じる。
この二人と一緒にいられて良かったという思い。
そして、いつまでもこんな時間が続けばいいなという思い。
空の謎は解けなかったが、心の中にはもっといいものが残った。

(^ω^)
 翌日、わたしはいつも通りに部室で本を読んでいた。
午後になると空が暗くなり風が吹き始めた。
天気予報で夕立が降ると言っていたのを思い出し、早めに帰ることにした。
バスケ部は練習試合で学校にいなかったので、ドクオに先に帰る事を告げようと思い、ドクオのいる隣の部室に行った。
「ドクオ〜」
「うおっ!?」
コンピュータ研究会のドアを開けるとドクオがわたしに驚いて声をあげた。
エッチなサイトでも見ていたのだろうか?
「……先に帰るね?」
そう告げると、ドクオはまだ落ち着かない様子で「あ、ああ。分かった」とだけ言った。
「じゃあね」
わたしはドアを閉じて、昇降口に向かった。
しかし、昇降口に着くと、外は既にどしゃぶりで、しかも私の持ってきた傘が無くなっていた。
「あれれー? 傘が無いよぉー?」
わたしは独り呟いて、外を見つめた。
空は暗く、黒い雲が低く大きくたちこめ、しばらく雨は止みそうになかった。
すると突然、わたしの横で大きな傘が開いた。
「ほら、帰るぞ」
傘の方を見るとそれはドクオだった。
「まったく、なんで渡辺はいつも傘無くすかなぁ?」
そう言いながらドクオは傘をこちらに向ける。わたしはドクオの隣に入ると一緒に歩き始めた。
「無くすのは傘だけじゃないよぉ」
「知ってるよ。まぁ、傘ぐらいならいつでも入れてやるけどな」
ドクオは前を向きながらそう言った。
事実、わたしはしょっちゅう傘を無くして、ドクオやハインリッヒに入れてもらっていた。
傘が無くなるのは困るけど、二人に入れてもらって一緒に帰るのは少し嬉しかった。
毎日雨でもいいな。そう思う事もある。
「……なぁ、渡辺。もしかして、いじめられてるのか?」
ドクオがこっちを向いて真剣な顔で聞いてきた。
わたしは少し考えて答えた。
「うーん、それは無いと思う」
傘は翌日には返って来るし、いじめにしては地味すぎる。それに他に思い当たる事もないし。
「そうか。ならいいけどな」
「うん。ありがと」
「べっ、別に礼を言われるような事じゃねーよ」
ドクオはまた前を向いてそう言った。
照れてるんだろうな。何だかドクオのやさしさを再確認した。今日はちょっと、傘を持って行った人に感謝したい気分だった。

(^ω^)
 雨の中、二人で歩きながら、わたしはハインリッヒの宣伝活動を開始した。彼女の長所をドクオにいっぱい話す。
ドクオも「うんうん」と乗って来て、最後には「そうなんだよ、あいつはイイヤツなんだよなー」と呟いた。
わたしはチャンスとばかりにドクオに言ってみた。
「ドクオ〜、どう? ハインリッヒと付き合っちゃえばー?」
わたしの言葉にドクオの動きが止まった。
それから、わたしの方を振り返ると真剣な表情で聞いてきた。
「……渡辺。お前、オレと高岡が付き合ったらどう思う?」
ドクオのあまりに真剣な表情に、わたしの方が戸惑ってしまった。
「え? あ、ああ。うん。いいんじゃない? ドクオとハインリッヒだったら、わたしも何だか安心だよ」
わたしの答えにドクオは真剣な表情のまま「そうか……」とだけ言った。
それから美府橋を渡るまで、ドクオは何かを考えていたらしく、わたしの話にも「ああ」とか「うん」とかの相槌を打つだけだった。
そして美府橋を渡ると「なぁ、渡辺」と私に向き直った。
その表情はまだ真剣なままで、わたしは「な、何?」と言うのが精一杯だった。
何かを言いたそうなままドクオはしばらくわたしを見つめ、それから「いや、何でもない」と言うと、傘をわたしに押し付け「そのうちに返してくれればいいから」と言い残して走って行ってしまった。
あんな真剣なドクオは初めて見た。
ハインリッヒの事、真剣に考えてくれたんだ。
――ハインリッヒ、喜んで。これは、脈有りかも知れないよ。

(^ω^)
 翌日、興奮したハインリッヒが部室に駆け込んで来た。
「わたなべー! 聞いてくれー! ひゃははー」
「どうしたの?」
ハインリッヒはわたしの横まで来ると「ちょっ、すまん。先に何か飲み物をくれないか?」と息を切らせて言った。
「たっ、体育館から全力疾走して来て……」
よく見れば、バスケのユニフォームのままでかなりの汗をかいている。
「ごめん。こんな暖かい飲み物しかないけど」
わたしはさっき作った紅茶をハインリッヒに差し出した。
ハインリッヒはそれを受け取るとまだ熱いにもかかわらず一気に飲み干した。
「ふぅ」
ハインリッヒは少しは落ち着いたようだったが、わたしはカップにもう一杯注いでおいた。
「それで? どうしたの一体?」
「そうだっ! 聞いてくれよ、わたなべー!」
落ち着きを取り戻したと思ったハインリッヒは再び興奮して話し始めた。
「実は、昨日の朝、試合に行く前にドクオに告白したんだ!」
わたしは驚いた。わたしに相談をしてからまだ二日目だ。ハインリッヒの決断の早さ。まぁ、それが彼女の良い点でもあるのだが、それにしてもわたしが宣伝する暇もないよ。
「それでそれで? 返事は? 返事は?」
わたしも興奮してハインリッヒに質問する。
ハインリッヒが目を細めて言う。
「それがさっき、体育館に来てな……」
それから少しだけ間をおき、満面の笑みで答えた。
「――オッケーをもらったよ!」
「きゃああああ! おめでとー!」
わたしはハインリッヒと抱き合って喜んだ。
「渡辺のおかげだよ。ほんと、ありがとう」
「そんな。わたしは何もしてないよ」
「いや、渡辺がいたから告白出来たんだよ」
そう言ってハインリッヒはわたしを力強く抱きしめた。
しばらく、そのままでいたが、ふと練習の事を思い出したらしい。
「あ、やば。練習の途中で抜けて来たんだ。もう戻らないと。ていうかドクオ置いてきた……」
そう言って、ハインリッヒはわたしから離れたが、手だけは最後まで離そうとせず、つながれたままだった。
そうして、いつまでも微笑みながら私の手を握り続けていた。
「わたしもうれしいよ。ほら、早く練習とドクオのところに戻りなよ」
わたしがそう言うとハインリッヒは「うん。分かった」と言い、小走りでドアを出た。
それから、顔だけを入り口から見せて「今日もいつも通りの時間だから、校門で待ってるよ」と言った。
「そんな。今日から付き合うんだから、今日から二人で帰りなよ」
わたしがそう言うとハインリッヒは少し照れた顔をして「そ、そうかな? ど、ドクオに聞いてみる」と言い、それから「渡辺、ほんとにありがとう」と言うと廊下を走って行った。
彼女の廊下を駆けて行く足音を聞きながら、わたしはうれしくて顔がにやけるのが止まらなかった。
それから、彼女のために注いだ紅茶を飲みながら本に戻ったが、その日はもう内容が頭に入らなかった。

(^ω^)
 次の日は日曜日で、わたしは何処に行くこともなく家でごろごろしていた。
午後になり、昼寝をしていると携帯電話が鳴った。相手はドクオだった。
「もしもし、ドクオ? おはよー」
「おはよーって、もう午後だろ」
「うん。昼寝してたからー。で、どうしたの?」
「ちょっと待て。今、高岡に代わるから」
あ、何だ二人はさっそくデートしてるのか。
携帯の向こうで声がして、ハインリッヒが出た。
「もしもし渡辺!? 寝てたんだって?」
「あー、うん。やることなくて」
わたしは笑いながら答え、それから少し雑談をした。
「それで? 何か用事があったんじゃないの?」
「あ、そーだ。明日の夜なんだけど何時にしようか?」
「え、明日? 何だっけ?」
わたしの返事にハインリッヒの声のトーンが上がった。
「花火大会だよ! 今年も一緒に行こうって約束してたじゃないか!」
花火大会――。そうだ、忘れてた。
去年、わたし達は三人で花火大会に行った。
あの時はまだお互いを「さん」や「君」を付けて呼んでたっけ。……いや、ハインリッヒは既にわたしとドクオを呼び捨てだったかな?
お互いを気軽に名前で呼び合うようになったのはあの夏の終わりぐらいからだった。
そして、その時に「来年も一緒に見よう」と約束したんだった。
「どうする? わたなべ、何時がいい?」
一年前の思い出に浸っていたわたしはハインリッヒの言葉に、今に戻された。
「今年は二人で行ってきなよ」
わたしは気を利かせて、そうハインリッヒに告げた。
付き合うようになってすぐに花火大会なんてロマンチックこの上ない。そんなところにわたしが闖入してどうするというのか?
しかし、わたしの提案にハインリッヒは反対し、どうしても三人で行きたがった。
「来年はわたしも彼氏作って連れて行くからさ。四人で見よう」
最後にわたしがそう言うと、ハインリッヒは「絶対だぞ! 約束だからな!」と言って電話を切った。
わたしは携帯電話を充電スタンドに戻すと、あの二人がデートしているところを想像して一人で微笑み、それから眠りに落ちていった。

(^ω^)
 目が覚めると、外はもう暗くなりかけていた。
「あー。一日、何にもしなかったー」
声に出して言った。
何となく自分の貴重な青春を無駄にしてしまったような気がして、少しだけ落ち込んだ。
それから、ハインリッヒとドクオがデートしていた事を思い出した。
そうか、『夏は恋の季節』だったっけ。
「あれれー? 何だか心が寂しいよぉ?」
何だか自分だけが、楽しい十六歳の夏を送れていないような気がした。

(^ω^)
 翌日、夕方に一時雨という予報だったが、花火大会は決行されるようだった。
わたしは傘を持って学校に行った。
いつも通りの部室。わたしは本を読み始めた。
本を読みながら、昨日の考えが頭をよぎった。
――自分だけが楽しい夏を送れていないような気がする。
――自分だけが世界から取り残されている気がする。
何故なんだろう?
夏休みなのに何もしていないからだろうか?
いや、何もしていない以前に、何も目標が無いからだろうか?
色々と考えたが、わからなかった。
ただ心の中に漠然とした喪失感があり、そしてそれが何なのか分からない苛立ちに似たものが残ってしまった。
そんな事を一人で考えるのに疲れてしまい、わたしはいつもより少し早いけれどもう帰ることにした。
先に帰る事を告げるために、隣のドクオの部室に行くとそこにはドクオともう一人、ハインリッヒがいた。
「おっ、渡辺! いい所へ。一緒にこのゲームの答えを考えてくれないか?」
ハインリッヒはドアを開けたわたしに気付くとそう声をかけてきた。
「あ、うん。ごめん。何だか疲れたから今日は先に帰るね」
わたしがそう言うとハインリッヒとドクオが立ち上がってこっちに来た。
「大丈夫か? 家まで送ろうか?」
「あ、大丈夫大丈夫。そんな大げさな事じゃないよ」
そしてドクオが突然、わたしの額に手をあてた。
「うーん、少し熱っぽいんじゃないか?」
ドクオがわたしの額に手を当てたまま言った。
わたしは何だか照れてしまい、「あ、ああ。うん。大丈夫。じゃあまた明日」と言い残して急いで部屋を出た。

(^ω^)
 昇降口に着くと、雨が降っていた。
そして、いつものようにわたしの傘は無くなっていた。
「あれれー? 傘が無いよぉー」
わたしは呟いた。
しかし、昇降口にはわたし以外の誰もおらず、そして、わたしを傘に入れてくれる人は誰一人として現れなかった。
ハインリッヒも、ドクオも。
――そうだ。この心のもやもや。
これは友達がわたしから離れて行ってしまうことに対する寂しさだったんだ。
友達――ハインリッヒ。
そしてもう一人。
彼には友達以上の気持ちを抱いていたんだ――ドクオ。
何て事だ。そんな事にいまさら気付くなんて。
でももう遅い。
わたしは自分の中にあった恋を見つけることが出来なかった。
そして、それを無くしてしまったんだ。
「ドクオ……」
わたしは一人つぶやいた。
そしてもう一度「あれれー? 傘が無いよぉー」と声に出して言った。
涙が出そうだった。

(^ω^)
 その時、ふいにわたしの横で傘が開いた。
「入りなさいよ」
そう言って、傘をわたしの方に傾けてきたのはツンだった。
「あ、ありがとう」
そう言ってわたしはツンの傘に入り、二人で歩き出す。
わたし達は無言で歩いていた。ツンとは同じクラスだが、あんまり話したことが無かった。
「わたしはバス停から先は屋根があるから、その先はこの傘使っていいわよ」
しばらくするとツンはそう言った。
それからまた無言。
「さっき――、ドクオって言ってたけど」
「ふぇっ!?」
心臓が止まりそうだった。あんなところを聞かれたなんて。
「いっ、いつも傘無くすとドクオが入れてくれたから、それで……」
わたしは精一杯の言い訳をした。
「何で今日は入れてもらえないの?」
ツンはその端整な顔をこちらに向けて聞いてくる。
「えっ、あっ、あの。ドクオ、ハインリッヒと付き合い始めて、それで……」
ツンは再び前を向き、「ふーん、やっぱりそういう事か。なるほどね」と言った。
それからしばらくして、前を向いたまま呟くように言った。
「あなた達、バカね」
それは批難している口調ではなく、むしろバカなわたし達を心配しているような口調だった。
でも、あなた達の達って、わたしと誰だろう? ドクオの事だろうか?
何となく、誰のことか聞けないままで歩いていると、バス停に着いた。
ツンはバス停の屋根に入り、わたしはツンにお礼を言った。
「ありがとう。傘、どうすればいい?」
ツンは少しだけ考えて、「そうね。学校の傘立てに入れておいてくれればいいわ」と言った。
わたしはもう一度ツンにお礼を言って、家に向かった。

(^ω^)
 その日、十二発目の花火を見ながらわたしは自分の気持ちをはっきりと理解した。
夕立はあれからすぐに止み、花火大会は予定通り開催された。
わたしは一人、美府橋まで歩き、そこから夜空に咲く花火を見ていた。
ここから花火会場は遠かったが、途中に邪魔する建物がないので、小さいながらも花火が見えた。
わたしは夜空に開く花火をひとりで見つめていた。
花火は黒い夜空を誰も気付かないうちに、高い高い場所へと昇りつめ、突然大きく爆発して人々にその姿を見せ、そして消えて行く。
そうだ。わたしのドクオへの気持ちはこの花火みたいなものだったんだ。
自分でも気付かないうちに高みへと昇っていたドクオへの気持ち。
今日、大きく爆発してその気持ちに気付いたが、後はもう消えて行くしかない。
もう、どうしようも無いのだ。
ドクオはハインリッヒと付き合っている。
せめてこれがハインリッヒで無かったら……。
しかし、そんなことを考えたところでどうしようもない。
ドクオが付き合っているのはハインリッヒなのだ。
そして、わたしの心にドクオとハインリッヒが一緒に花火を見ている画像が思い浮かぶ。
今日、わたしの知らないどこかで二人はお互いを一番大事に思いながら花火を見ている。
そんな、したくもない想像をしていると、世界中で、独りでいるのは自分だけのような感覚に落ちいる。
わたしは目に浮かんだ涙がこぼれないように空に浮かぶ花火を見つづけた。

(^ω^)
 その夜、ハインリッヒから電話があった。
「おかげさまで、ドクオと花火を見に行けたよ」
「うん。よかったね」
「でも、やっぱり渡辺がいないとつまらない」
「うん。ごめんね」
「なぁ、渡辺……」
「うん?」
「元気ないな。どうした?」
「……実はさ。好きだった人にふられちゃったんだ」
「そうだったのか……。それは哀しいな」
「うん、かなしー」
「それにしても誰だ? 渡辺を振るなんて、見る目の無い奴だ!」
「うん。でも、その人が好きになった人がすごい人でさ。美人で面白くて、スポーツ万能なんだよ」
「そんなやつなのか」
「それにわたし、その相手の人のことも好きなんだ」
「うん……」
「だから、しょうがない」
「そうか……」
「うん……」
「ところで渡辺!」
「何?」
「明後日の同窓会は行くだろ?」
「あ、同窓会ね。中学卒業して以来だから二年ぶりの人もいるね」
「行くだろ?」
「うん。行くよ」
「19時からだったよな? 私は試合があって少し遅れると思う。会場で会おう」
「うん。会場で」
電話を切り、わたしは眠った。

(^ω^)
 それから二日間、学校には行かず、同窓会の日を迎えた。
19時に会場になっているお店に着くと、既に大勢の人が来ていた。
周りを見渡し懐かしい友達を見つけては話をした。
「渡辺、久しぶり〜。何か飲んでる? フリードリンクだからあっちのカウンターで注文したらいいよ」
そう言われて、カウンターへ行ってみた。
カウンターには既に何人かが列になっていて、わたしは最後尾に並んだ。
幹事が先に店側に言っておいたらしく、アルコール類は無かったが、色々な種類のノンアルコールカクテルがあった。
メニューにはドリンクの名前とベースになっているジュースが書いてあるだけで写真が無かったので、何にするか決めるのには多少の想像力が必要だった。
メニューの名前とベースを見比べながらどれにしようか考えていると後ろにドクオが並んだ。
「何だか久しぶりだね」
わたしは何とか笑顔で挨拶した。
「ああ、久しぶり」
ドクオが答え、それからしばらく無言で並んでいた。
「――どれにするんだ?」
突然、ドクオが聞いてきた。
「わたしはこの《スプー》っていうのにするよ」
「ふーん。どんなの?」
「うーん? このお店のオリジナルだから味はわかんないけど、ベースはオレンジジュースらしいよ」
「じゃあ、オレが一緒に持って行ってやるから、あっちでテーブル取っておいてくれよ」
そう言ってドクオはテーブルが並んでいる方を指差した。
「うん。分かった」
わたしは列を抜けた。
「高岡も、もうすぐ来るって言ってたからさ」
ドクオの言葉に、不意にわたしは動きが止まってしまった。ドクオに気付かれただろうか?
振り返って笑顔を作る。
「……うん。じゃあ三人分、食べ物も用意しておくね」
それから、店の奥にいる友達を無理やり探して声をかけてその場を離れた。

(^ω^)
「ドリンク、おまたせ」
そんな台詞と共にドクオが持って来てくれたドリンク《スプー》は、わたしの想像力を遥かに超えた、一言で表すならば《混沌 −カオス−》な飲み物だった。
ベースこそオレンジジュースなのだが、途中の下の方には赤い層があり、上にメロンシャーベットが丸く載せられていて、何故か中ほどに絞ったホイップクリームが二箇所、さらにグラスの両脇には縦にスライスされたバナナが白い腕のようにだらりとぶらさがっていた。
「ほんとにこんなのでよかったのか?」
ドクオの問いにわたしは「う、うん」と答えるしかなかった。
それから二人で乾杯をした。
意外にも、スプーは見た目こそ悪いが飲んでみると味はそう悪くは無かった。
しかも、不思議なことにオレンジなのに少し不思議なミントの味がした。
「あれれー? なんだかミントの味がするよ?」
ドクオにそう言ってみると、ドクオはこっちを見ずに「ああ、きっと入ってるんだろ」と言い放った。
何だかひどく冷たいような気がしたけれど、きっとそれはわたしの被害妄想なんだろう。
考えてみればドクオはいつもこんな感じだった。そして、わたしはそんなドクオが本当はみんなに気を使うやさしい人だという事を知っている。
そんな事を考えていたら、いつのまにかドクオの顔を見つめていた。わたしはその事にハッと気付き、目を逸らして周りを見渡した。
中学か、懐かしいな。そういえば、ほとんどの人が会うのは二年ぶりだ。
「なんだかみんな懐かしいね」
「オレは何だかお前の方が懐かしく感じるよ」
わたしの言葉にドクオがそう答えた。
嬉しさを感じると同時に、そんな事を言わないで欲しかったと思った。
何かを期待してしまう自分が嫌だったのだ。
「そんなー、昨日今日って学校行かなかっただけじゃない」
もしかしたらすごくぎこちなかったかもしれない、それでもわたしは笑ってそう答えた。
「そうか。毎日会ってたからかな? 二日会わなかっただけで、すごく会ってない気がするよ」
そうだ――、わたし達はほぼ毎日会っていた。
そして帰りまで、お互いの姿を見る事は無くても、壁一枚隔てた空間でわたしはずっとドクオを感じていたんだ。
改めて、大切な物を無くしてしまった気がした。
わたしは「あはは、そうだね」とだけ何とか返事をするとグラスを手に取ってストローをくわえた。
それから二人して無言で飲み物を飲んでいた。
「そうだ! 高岡からお前に渡してくれって頼まれてた物があったんだ」
突然、ドクオがそう言ってわたしに小さな瓶を渡した。
「ふぇ? これ何?」
わたしの問いにドクオは少しだけ困ったような顔で教えてくれた。
「惚れ薬――。らしいよ?」

(^ω^)
 何でもハインリッヒのお姉さんが会社のビンゴ大会で貰った物らしい。どこか南の島に伝わる惚れ薬なんだとか。
会社というのはそんなものが貰えたりするのか。いや、そもそもビンゴ大会なんてするんだ。とわたしは違う方に関心していた。
実は、わたしはこういう少しオカルトチックな物に弱い。すぐに信じてしまうのだ。
「ありがとう。もらっておくよ」
きっとハインリッヒは一昨日のわたしの話を聞いて、これをくれたんだろう。
でも、ハインリッヒ? わたしはこれを使っていいの?
「誰か、好きな人でも出来たのか?」
ドクオがぎこちなく笑いながら聞いてきた。
――違うよ。好きな人が出来たんじゃない。好きだった事に気が付いたんだよ。
「うん、まぁね。でももう振られちゃったんだけどさ」
わたしもぎこちない笑顔を返しながら答えた。
――そう。気付くのがちょっと遅かったんだよ。
そう思って小瓶を見つめていると、突然背中に重さを感じた。
「わーたーなーべー!」
振り返るとわたしの背中にハインリッヒが抱きついていた。
「試合、どうだった?」
わたしの問いにハインリッヒは高らかに笑いながら答える。
「ひゃははー! 楽勝よー、あんなやつら! あー、それにしても走って来たから喉が渇いた」
「これでよかったら飲む?」
わたしが差し出したスプーを見てハインリッヒは笑った。
「ひゃー! 何この変な飲み物? あはははっ!」
「これ《スプー》って言うんだよ。見た目は変だけど、味は美味しいよ?」
ハインリッヒが笑いながらわたしのスプーを手に取ると、ドクオが「あ」と声を出した。
「どうした? ドクオ」
「い、いや、飲むならオレのを飲みなよ。渡辺に悪いじゃん」
「何だ、私が渡辺と間接キスになるんで妬いてんのか? あ、私と間接キスしたいんだな?」
「そ、そんなんじゃねーよ。つーか、何だよそれ?」
ハインリッヒは笑いながらスプー飲んだ。
「そういえば、惚れ薬受け取った?」
わたしにグラスを返すと、ハインリッヒが聞いてきた。
「あ、うん。今度、使ってみるね」
わたしの返事にハインリッヒは「是非、いや、絶対に使ってくれ! まぁ、きっと効かないと思うけどさー」と言うと、その後、私にお礼を言う間も突っ込みを入れる隙も与えずに「ちょっと、あっちと話してくる!」と言って色んなグループを巡りに行ってしまった。
残されたわたしはスプーを一口飲んだ。
あ、間接キス――。
ドクオとハインリッヒ――、話から察するに二人はまだキスしてないんだろうな。
でも――、いずれドクオはハインリッヒとキスするんだ。
そんな事を考えてしまい、頭を振って考えるのを止めようとした。
何だか友達のそんな事を考えるのは悪い事のような気がした。
突然、頭を振り出したわたしを見て、ドクオが心配してくれた。
「どうした? 大丈夫か?」
「ふえ? う、うん。大丈夫。キスの事何て考えてないよ?」
思わず口から出てしまった言葉を聞いて、ドクオがこっちを見た。
「だだだ、だから、違うって!」
「ふぇぇ、うん。ごめん。違うの、そうじゃなくて……」
何だか気まずくなってしまい、わたしは立ち上がった。
「あ、ど、ドクオのドリンク無いね! さっき持って来てくれたから今度はわたしが持って来るよ。何がいい?」

(^ω^)
 わたしはカウンターの列に並びながら何にしようかとメニューを見ていた。
ドクオは「適当に美味しそうなの頼む」と言った。
「え〜っと」
適当って難しいなぁ。そう思い、ドクオの方を見るとドクオもわたしの方を見ていた。
予想外に目が合ってしまい、思わず目を逸らしてメニューに目を戻してしまった。
「何にしますか?」
いつの間にか順番が来ていた。「あ、えーっと」と決めかねているわたしにカウンターの人が「これ! これがお勧めだよ!」と指差してきたのはスプーだった。
「え? えっと、それは」
「見た目変だけど、美味しいから是非飲んで! いいよね?」
「あ、ああ。はい」
勢いに負けて頼んでしまった。まぁ、ドクオは飲んでないからいいかな。
そう思ってドクオの方を見ると、テーブルにはハインリッヒが戻って来ていた。
ドクオはハインリッヒと話をしていて、もうこっちを見ていなかった。
わたしが見ていることにも気付かない。
さっきまでわたしを見ていてくれたドクオは、もはやハインリッヒだけを見ていた。
急に胸が苦しくなった。
ドクオにこっちを向いて欲しかった。
わたしが見たいのはドクオの横顔では無いんだ。
ドクオをわたしの方に向けさせたかった。
「あ、惚れ薬」
その時、わたしはポケットに入っている小さな瓶を思い出した。
小瓶をポケットから取り出して、見つめた。
ねぇ、ハインリッヒ? これ、効かないって言ったよね。だから――、入れてみてもいいよね?
「おまたせしました」
わたしは受け取ったスプーに惚れ薬を入れた。

(^ω^)
「お、おまたせ」
惚れ薬の入ったスプーをドクオに渡すその手は震えていたかもしれない。
「ちょっ、おま、これ……」
ドクオはスプーを見てそう言った。
「あ、いや。見た目は変だけど、美味しかったからさ」
「そ、そうか。じゃあ、まぁ、いいか。サンキュー」
そう言ってドクオがグラスに口を近づける。
心臓が耳の中にあるんじゃないかと思うくらい、自分の心音がうるさかった。手に汗をかいていた。喉が乾いていた。
それなのに、目の前の情景は何だか遠い所で起っているような感覚だった。
そして、ドクオは飲んだ。――わたしの入れた惚れ薬の入ったスプーを。
次の瞬間、ドクオが目を見開いてわたしの方を振り返り、驚いたような表情でわたしをジッと見つめた。
突然、ドクオの視線に射抜かれたわたしは驚きで声を出す事も動く事も出来なくなった。
そうして、わたし達はお互いに目を合わせたまま微動だにせずに何だか永遠に思える程の時間を過ごした。
――これは、もしかして?
その時、後ろを向いて話していたハインリッヒが振り返り、「あ、さっきの変なやつだ。ドクオー、もらうぞー」と言うが早いかドクオの手からグラスを奪って飲んでしまった。
わたし達は二人同時に「あっ」と声を出した。
そして、ハインリッヒの「どうした?」への返事として二人とも「何でもないよ」と答えた。
スプーを飲んだハインリッヒは一瞬、わたしを見た。
え? 女の人にも効くの?
焦ったわたしからハインリッヒはふいと目を逸らすと「これ、やっぱりおいしいなー。私も自分の分もらってこよー」と言ってカウンターへ向かった。
二人残されたわたしとドクオは、お互いに何も話さずにいた。
――惚れ薬の入ったスプーを飲んだ時のあのドクオの反応。わたしは期待していた。
でも、その後に飲んだハインリッヒの反応は?
何だか落ち着かない。自分からは何も言えず、ドクオも何も言ってくれない。
間が持たずに、わたしは自分のスプーを飲んだり、テーブルに残った雫を拭いたりしていた。
ドクオは何かを考えているようで、やっぱり何も話してくれない。
わたしはいたたまれなくなって、「ちょっとあっちでしぃと話してくる」と言って、テーブルを離れてしまった。
しぃのいるテーブルへ歩きながら、わたしは一度だけ振り返った。
ドクオはわたしの方を見つめていた。
わたしは再び自分の心音が大きくなるのを感じていた。

(^ω^)
 しぃと話しながらも、気持ちはドクオの方が気になってしょうがなかった。
どうしても気持ちが落ち着かず、もう一度ドクオの方を見た。
そしてわたしは落胆する。
今まで、ドキドキしていた自分が馬鹿みたいだった。
ドクオは、戻って来たハインリッヒの方を向いて話していた。
そして、二人は一緒に店を出て何処かへ行ってしまった。
「やっぱり、ダメか……」
わたしは独りつぶやいた。
「どうしたの? 何がダメだって?」
しぃに聞こえてしまったらしい。
「ううん。何でもない」
わたしは笑顔で答えた。
そう、何でもない。何でもなかったよ。惚れ薬なんて効くわけないよね。
わたし達がいたテーブルには三つのスプーのグラスだけが残されていた。

(^ω^)
 翌日、久々に部室で本を読んでいるとハインリッヒからメールが来た。
「今日は遅くなって一緒に帰れそうにない。ドクオと二人で先に帰ってくれ」という内容だった。
それを読んだ少し後で今度はドクオからメールが来た。
「ハインリッヒ遅くなるみたいだし、今日はもう一緒に帰らないか?」
わたしは時計を見た。まだ三時前だった。
まぁ、どうせ本読むだけだし、いいかな。
わたしはドクオに「いいよ」と返信して、片付けを始めた。
数分後にドクオが部室のドアを開けた。
「おーい、帰ろうぜー」
わたしは戸締りをすると、部屋を出た。
外はまだまだ暑く、日差しも強かった。
本当は、わたしは二人が付き合い始めた日から、三人で帰るのを終わりにするつもりだった。
しかし、それは二人の反対を受けて実現しなかった。
でも、やっぱり今日を最後に二人と帰るのは終わりにしよう。わたしはそう思いながら歩いていた。
 歩きながら、ドクオはいつも通りインターネットで見つけた面白い話をしてくれた。
でも、その話が終わると、ふと無言になってしまった。
その後、わたし達はお互いに何も話さないまま美府橋まで来た。
ここを渡れば、わたし達はそれぞれ別な道になる。
何となく、わたしは橋の手前で歩みを止めてしまった。ドクオもそれにならって止まる。
「暑いね」
「ああ、暑いな」
わたしは橋の手前にある木の下に日陰を見つけ、そこに入った。
「ここ、涼しいよ」
わたしがそう言うとドクオも日陰に来た。
ふと見上げる。生い茂った葉の間から時々、光が差し込んだ。
そういえば、この木って桜の木だったんだ。
ドクオにも聞いてみる。
「ねぇ、この木って桜だよね?」
「あ、ああ。そういえばそうだな。忘れてたよ」
春にあんなに注目された桜の木も、その季節が過ぎればみんな忘れてしまうんだ。
花の散った桜は誰も見てくれない。
――わたしと一緒だね。
誰も見てくれない。見てくれていると思った人も、もう今は見てくれない。
そんな事を考えて、寂しい気持ちになってしまった。
その時、ドクオが意を決したように話かけてきた。
「なぁ……、渡辺!」
「なに?」
それから数秒の沈黙の後、ドクオは信じられないような言葉を口にした。
「オレ、お前が好きなんだ」

(^ω^)
 これは、魔法なんだろうか? 昨日の惚れ薬が効いたのだろうか?
わたしは驚きのあまり何も言えなかった。
「……やっぱり、ダメか?」
ドクオが諦めの声を出した。
その声で我に返ったわたしは全力で首を振った。
「だ、ダメじゃないよ!」
でも、ドクオ? ハインリッヒは?
わたしはその事が聞きたかったのに口から出てくるのは「あの」とか「でも」とかいう言葉だけだった。
ドクオはそんなわたしの言葉の切れ端で察してくれたらしく「高岡の事か?」と聞いてきた。
わたしはまだ言葉が出ずにコクコクと頷くのが精一杯だった。
ドクオは小さく溜め息をつくと、話を始めた。
「実はさ。高岡には昨日、振られちゃったんだ」
そこまで言って、ドクオは慌てて訂正する。
「あ、いや! 違うぞ! 高岡に振られたから、次は渡辺って訳じゃないぞ!」
未だに言葉の出ないわたしにドクオは続ける。
「本当はさ。昨日、高岡と別れようと思ったんだ。でも、その話をしようとしたら、先に振られちゃったよ」
ドクオは肩をすくめた。
「『好きだと思ったのはどうやら勘違いだ!』だってさ。まったくあいつらしいよ」
そして、わたしを真っ直ぐに見つめると、改めて言った。
「とにかく。オレ、渡辺のことが好きなんだ」
これは魔法なんだろうか? 昨日の薬のせいでドクオはわたしなんかを好きになっちゃったんだろうか?
「でも、いいの? わたしなんかで」
不安になってわたしは聞いた。
「桜の木ってさ――」
ドクオはそう言って、木を見上げると話を始めた。
「春に花が咲いて、散った後ってまるっきり忘れられちゃうよな。まるで、春以外は存在しないかのようにさ」
風と共に木漏れ日が揺れる。
「でも、オレらが気付かないだけで、ずっとそこにいたんだよな」
瞬間、葉の間をくぐり抜けてきた日差しがドクオに当たり、ドクオは眩しそうに目を細める。
「それでさ。夏になると葉っぱを茂らせて涼しい日陰を作って、こうやってオレを癒してくれるんだ」
目を細めたままドクオはわたしを見つめる。
「渡辺はオレにとって夏の桜なんだよ。いつもそこにいて、いるだけでオレを癒してくれるんだ」
そして、笑顔でわたしに言った。
「だから、オレと付き合ってください」

 ――魔法が本当にあるとして、わたしが望むのは、大勢の人に注目されるような人になる事じゃあない。
わたしの望みは、たった一人、わたしの好きな人に見続けてもらうこと。
今、魔法は存在し、わたしの夢は叶おうとしている。
ここでわたしがたった一言、「はい」と返事をすれば――。



――――― ドクオ編 ―――――

 夏は恋の季節だなんて言い始めたのは誰だ?
恋ね――。実はここだけの話。オレ、彼女が欲しいと思ったことは無いんだ。
あ、言っておくけど、うほっ系じゃないからな。ただほんと、彼女が欲しいと思ったことは無い。
だって、一人の方が気楽だし。ゲームだってずっとやってられるし、マンガだって好きなのを好きなだけ読める。
たださ、ある日思っちゃったんだよね。「あいつが欲しい」って。

(^ω^)
 そもそも、あいつがあんな事を聞くから意識しちゃったのが始まりだったんだよな。
あいつっていうのは、渡辺。
オレの中学からの同級生。まぁ、話すようになったのはこの高校に入ってからなんだけどさ。
そしてもう一人、高岡っていうのがいて、オレはいつもこの二人の女子と一緒に帰ってた。
両手に花。なーんて思うだろ? でも、実際はこの二人の事は全然意識してなかった。
高岡は美人でスタイルもいいんだけど、逆にそのせいでオレなんかじゃ釣り合わないと思ってたし、渡辺は悪い所は無いんだけどそれだけ、そう思ってた。
そんなんだから、オレはわざと「彼女欲しいなー」なんて言って、二人にそんなつもりは無いってアピールしてた。
そんな行為、今思えば自意識過剰というか、厨っぽいんだけど、その時はそうするのがいいと思ってたんだ。
とまぁ、そんな感じでオレ達は恋愛なんかとは無関係な三人組だった。
 そんな中である日突然、渡辺が聞いてきた「あんな事」だ。
夏休み、渡辺は部活で登校していたオレを屋上に呼び出してこう聞いてきた。
「ねぇ、ドクオって好きな子とかいるの?」
こんなシチュエーション、誰だって「これは告白か? 渡辺、オレの事好きなのか?」とか思うじゃないか。
そうすると、オレの今までの「この二人とは付き合うことは無いな」なんて考えはあっけなく吹き飛んだ。
何だか目の前にいる渡辺が急にかわいく思えてきて、オレはどぎまぎしながら何とか台詞をひねり出した。
「え? いやそのー、好きな子っていうか、気になる子? ならいるけど」
出て来たのは、こんなマンガなんかにありそうな台詞。
この場合、お約束通りに、「気になる子」っていうのは渡辺の事。
そして渡辺がオレに言う。
「わたしじゃ……ダメ?」
そして二人はハッピーエンド。
――そんな期待してたわけ。
でもその後、渡辺はそんな雰囲気はまったく見せず、あれこれ質問しただけでオレを置いて体育館へ行ってしまった。
体育館へ行くという事は高岡の所へ行くという事だ。
高岡に相談に行くのか? 渡辺――、照れているのか?
今一、事態を理解出来ないまま残されたオレに聞こえるのは渡辺のかけて行く足音だけだった。

(^ω^)
 コンピューター研究会の部室に戻り、パソコンの前に座る。
ふと隣の部屋は文芸部で、そこは渡辺がいる部屋だという事を思い出した。
思い出した、と言うのも変な話だな。隣はいつでも文芸部だし、渡辺はそこにいつもいるんだから。
そして、その「いつもいる」という事が気になりだし、渡辺の事を考え始めた。
そうしているうちに渡辺が戻って来たらしく、薄い壁を隔てて隣から椅子を動かす音が聞こえた。
壁一枚隔てた向こうに渡辺がいる。
そう思うと、姿が見えない分、余計に多くの事を考えた。
そうして、何時の間にかオレの考えは、渡辺がオレの事を好きだというなら、――渡辺なら付き合ってもいいよな、まで進展していた。
え? という事は――オレ、渡辺の事好きなのか?
何だか突然、自分の気持ちを知ってしまった。いや、感覚としては知らされた気分だけど。
そうか、オレは渡辺の事好きだったのか。
「『夏は恋の季節』か」
オレは昨日の帰り道、三人で美府橋で話した事を思い出した。
うん、そうだな。夏は恋の季節なのかもしれないな。
 その日の帰り道、オレは空の話をしながら考えていた。
今まであまり考えもしなかった、オレ達三人の関係について。
そして気付いたのは、この二人が何時の間にかオレにとって大事な存在になってるって事。
しかも、渡辺は恋愛対象になっているらしい。
思わず、柄にも無く「友情っていいな」とか思ってしまい、そんな事を口にしたらいつも通りからかわれたんだけど、それが余計に心地良かった。

(^ω^)
 そして翌日、事態は思いがけない方向へ進む。
朝、学校に行くと部室の前で高岡が待ち構えていた。
「よかった。間に合わないかと思ったよ」
高岡は時計を確認した。
「ああ、でももうこんな時間だ。もうすぐ練習試合で、行かないといけないんだ」
そう前置きをすると高岡はオレを真っ直ぐに見つめて言った。
「単刀直入に言わせてもらおう。ドクオ、私はお前が好きだ!」
最初、高岡が何を言ってるんだか分からなかった。言っている単語は理解出来るのだが、内容が理解出来ない。まるで英語の長文読解を解いてるみたいだった。
何とか返事をしようとするオレを高岡は手で制して続けた。
「今すぐ、返事をもらおうとは思っていない。いつか、――その気になったら教えてくれればそれでいい」
オレ達は何も言わずに見つめあう形になった。
しばらくその状態が続いたが、高岡は思い出したように顔を赤らめ、「言いたい事はそれだけだ。じゃあ、私は行かねばならん」と言うと、くるりと振り返り、呆然とするオレを置いて一人走って行ってしまった。

(^ω^)
 今のが夢か現実かわからないまま、オレは部室に入った。
昨日、渡辺を好きだと思い、今日、高岡に告白される。
まったく。
「SNEG?」
自分で声に出して言った。いくら恋の季節とはいえ、こんな事態はやり過ぎだろう。
それから一日中、考えていた。
オレはどうすればいいんだ?
高岡の告白を断って、渡辺を取るべきなのか?
渡辺を捨てて、高岡の告白を受け入れるべきなのか?
そんな事を考え続けた結果、夕方になる頃には考えがおかしな方向へ進んでいて、ネットで渡辺と高岡の名前を入れて自分との相性占いなんかをしていた。
「ドクオ〜」
渡辺の名前で占いをしていたら、突然、部室のドアが開いて渡辺本人が入ってきた。
突然の本人登場にびびったオレは情けない声を上げてしまった。
夕立が来そうだから帰るらしい。オレはドキドキが収まらずに何とか「あ、ああ。分かった」と言って送り出した。
「じゃあね」
そう言って、渡辺は帰って行った。
ドアが閉まり、少しすると落ち着いてきた。
そして、再認識する。
オレは渡辺が好きなんだ――。
ふと、窓から外を見ると既に雨が降り始めていた。
「あ、あいつきっと」
オレはパソコンをシャットダウンして鞄を肩にかけると、昇降口へ向かった。

(^ω^)
「あれれー? 傘が無いよー?」
昇降口からいつもの声が聞こえてきた。
声の主は分かっている。今さっき帰っていった渡辺だ。
毎回、かなりの高確率で傘を無くしている。予想通り今日も無くしたらしい。
オレは傘を広げて渡辺に声をかけた。
「ほら、帰るぞ」
渡辺は照れ笑いしながら傘に入ってくる。
毎回、渡辺が傘を無くす度にオレか高岡が入れてやっている。
それにしても何故、こうも傘を無くすのか。そんな高級な傘でも持ってきているんだろうか?
聞いてみると、「無くすのは傘だけじゃないよぉ」等と言ってくる。
そうだ。そういえばやたらと物を無くすよなぁ。何だかこう守ってやらないといけないなぁ。
そんな事を考えて、オレはまたもドキドキし始めてしまった。
すぐ横に渡辺が嬉しそうにしている。
あの屋上以来、何も言ってこないが、この表情は期待していいんだろう。
オレは何だか恥ずかしくて、渡辺の顔がまともに見られなかった。

(^ω^)
 その後、渡辺が高岡の話を始めた。オレはドキっとしたが、少しすると緊張も解けて普通に話せるようになった。
高岡か。あいつもイイヤツだよな。あいつと付き合いたいって男はいっぱいいるんだろうなぁ。事実、何人か振られたって聞いたけど。
ちょっとハイテンションだけど、間違いなくいい女だよな。
そんなやつに告白されたんだよな、オレ。
――でもオレ、渡辺が好きなんだよな。
そんなことを考えていると、渡辺が突然言った。
「ドクオ〜、どう? ハインリッヒと付き合っちゃえばー?」
その言葉を聞いてオレは思わず止まってしまった。
自分の思い違いをはっきりと知らされたからだ。
――そうか。そう言うことだったのか。
自分の事を好きなんだと思ってた渡辺は全然そんな気が無くて、それどころか高岡の手助けをしていたって訳か。
何だか急に風景から色が無くなったような気がした。
オレは最後の望みをかけて、渡辺に聞いてみる。
「……渡辺。お前、オレと高岡が付き合ったらどう思う?」
そしてこの先、またもオレの期待する展開はまったく訪れなかった。
何だか自分が情なかった。
そして、それでも消えないこの想い。
オレはどうすればいいのか。
何も考えたくない気持ちと、どうすればいいのかという気持ちが入り混じって、その後オレはろくに話が出来なかった。

(^ω^)
 翌日、部室に行って考えた。
オレはどうすればいいんだろう?
パソコンを前に悩むオレに内藤が近寄ってきた。
「ドクオ、どうしたお? 何か悩んでいるのかお?」
こいつは鈍いはずなのに、こういう、人の悩みとかを見抜く力だけは鋭い。
基本的にやさしいんだろうな。
内藤のバカみたいに能天気な笑顔を見てたら、何だか一人で悩むのが間違ってる気がして来て、オレは内藤に相談することにした。
「実はさ。好きだと思った子に振られて、違う女子に告白された」
「SNEG?」
内藤は間髪入れずに返事をした。
「やっぱり、そう思うよなぁ」
オレは溜め息をついた。
「現実なのかお?」
オレはうなずいた。
「好きだった子には振られたんだおね?」
オレはうなずいた。
「告白してきた子のことは嫌いなのかお?」
オレは首を振った。
「告白してきた子はかわいいのかお?」
オレはうなずいた。
「それなら――」
内藤がオレの肩をぽんと叩いた。
「何も問題は無いお」
オレは内藤を見上げて聞いた。
「オレ、ほんとにそいつと付き合っていいのかな?」
「そんな事――」
内藤は再びオレの肩を叩くと言った。
「ぼくにわかるはずないお」
結局は自分で決めろという事か。
オーケー、状況はいたってシンプルだ。
オレが好きだった渡辺はオレの事を何とも思っていなかった。
そして今、高岡がオレの事を好きでいてくれている。
でも、このシンプルな中でひとつだけ見えないことがある。
自分自身の気持ちだ。
その日、夕方まで悩んでだオレは、内藤に「ちょっと出て来る」と告げて、答の出ないままで体育館を目指した。

(^ω^)
 翌日は日曜日で部活は休み。そしてオレは待ち合わせ場所にいた。
待ち合わせの相手は、高岡。
そう、つまりはそういう事だ。
ある約束の下、オレは高岡と付き合う事になった。
約束の時間から10分過ぎて、オレが不安になった頃。
「ごめーん、待ったー?」
そんな台詞と共に高岡は現れた。
おせーよー、と言おうと思い、声の方を振り返ったオレは動きが止まり、何も言えなくなった。
いつも見ている制服の高岡は綺麗だったが、私服はさらにヤバかった。
いつもの綺麗さにかわいさがプラスされていた。いつも一緒にいる、あのハイテンション高岡とは思えなかった。
そんな高岡を見て、オレは「い、いや。オレも今来たとこ」などと返事をした。
しかし高岡はオレの返事を聞くや目を輝かせて言った。
「なるほどなるほど。私が10分遅れ、そこへ今来たところ、という事はドクオも遅刻というわけだな。では遅刻の罰として何か奢ってもらおうか!」
「ちょっ、おまっ……」
会って早々にそんな事を言われて、軽く動揺するオレに高岡は言った。
「何だ何だ〜。突っ込みにキレが無いなぁ。緊張してるのか?」
オレの「いや、そんな事ない」と言う返事を聞いて、高岡は顔を赤くして言った。
「そうなのか? 私はめちゃめちゃ緊張しているぞ。何しろ――好きなやつとデートするんだからな。ひゃはははー!」
オレは精一杯の努力をして「そうか」とだけ言った。
しかし、実は相当ドキドキしていた。
それから、途中で渡辺に電話をしたりしながら一日のデートを終えた。
最初に始まったドキドキはいつまでも止まらず、途中からは緊張で何をしていたかもよく分からない。
そして、家に帰ると真っ直ぐベッドに向い倒れ込んだ。
デートってこんなに緊張するのか。みんなよく毎日デートしたり出来るな。
明日は二人で花火を観に行く約束だった。
明日もこんなにドキドキするのか。……体、もつかなぁ。
オレはアホみたいな心配をしながら眠りについた。

(^ω^)
 翌日の花火大会。
去年、三人で行く約束をしていたが、昨日、電話で渡辺に「二人で行ってきなよ」と言われていた。
それでもやっぱり高岡は三人で行きたがり、今日、学校で改めて誘おうとしたが、渡辺は具合が悪くて早くに帰ってしまった。
さすがに具合が悪いのに誘えない。結局、三人で行くのを諦めて、オレは高岡と二人で花火大会に行くことにした。
そのせいだろうか?
高岡が一歩遠慮してる感じがして、こうして花火大会に来たオレ達だったが、何となくどことなくギクシャクしていた。
 そんな状況なのだが、正直言ってオレは最高にドキドキしていた。
それはもちろん高岡のせいだ。
昨日の私服もヤバかったが、今日は会った瞬間に息が止まった。
高岡は花火大会ということで浴衣で来ていた。
浴衣姿の高岡は凛然としていて、周りの空気を変えてしまうほどの美しさだった。
そして、これはギクシャクしているせいなんだと思うが、いつものハイテンションではなく落ち着いた感じで、まるで別人のようだった。
こんないい女にドキドキしない男がいるはずがない。
でも、オレは高岡にドキドキすればするほど、高岡に悪いような気がしてしょうがなかった。
――そう思うのは、それはつまり、渡辺を諦めきれていない、という事なんだろう。
そう考えると何だか自分が卑怯な気がしてしょうがなかった。

(^ω^)
 翌日、学校に行ったが渡辺は来なかったので、帰りは高岡と二人だった。
高岡と二人で帰ることは過去にもあったが、今日は何だか変な感じだった。
「なぁ、ドクオ。渡辺……」
「うん?」
「……いや、元気かな?」
「……うん、そうだな」
それから何だか二人で黙ってしまい、もくもくと歩いた。
「あ、そうだ」
美府橋の前で高岡が声を出し、バッグの中を探った。
そして、一本の小さい瓶を取り出す。
「これ、明日の同窓会で私は少し遅れるから、先に渡辺に会ったら渡しておいてくれないか?」
「何これ?」
オレの質問に少しとまどった表情で高岡は言った。
「えーっと。惚れ薬」
聞けば、高岡の姉さんから貰ったらしい。
「これを、渡辺に渡すのか?」
「うん。渡辺、好きな人に振られたらしいんだ。だからこれ」
――そうか。渡辺は好きな人がいたのか。
オレはそっちに気をとられて、惚れ薬の存在自体はすっかり受け入れていた。
何だか自分勝手だけれど、ショックだった。
「そうか。じゃあ渡しておくよ」
オレは小瓶を受け取ると、高岡と別れて家に向かった。

(^ω^)
 翌日の夜、同窓会の会場になっているお店に入ると、カウンターに渡辺が並んでいた。
オレもその後ろに並ぶ。オレが声をかける前に、オレに気付いた渡辺が声をかけてきた。
「何だか久しぶりだね」
オレは返事をすると、後は喋ることが無くなってしまった。
必死で話題を考えた。
学校の話? 違う。
花火の話は? ダメだ。
今日のVIP? 却下。
渡辺の方を見るとメニューを見ていた。
「どれにするんだ?」
オレは話題を見つけ、話し掛けることが出来た。
だが、それも長続きはせず、オレはドリンクは自分が持って行くことにして、渡辺にはテーブルを確保してもらった。
カウンターで順番を待っている間もオレはここ数日の悩みがぶりかえしてきた。
オレはどうすればいいんだ?
このまま、高岡と付き合っていくことも出来る。
高岡との付き合いを断る理由なんか何一つ無い。
それじゃあ、オレは何でこんなに悩んでいるんだ?
もう、何をどうしたいんだか、自分で分からなくなっていた。
やっぱり、オレは渡辺が好きなのかなぁ?
――いや、そもそも。渡辺はオレの事を何とも思っていないばかりか、他に好きな人がいるんだよな。
それを思い出した時、もう一つ、思い出した物があった。
それはオレのポケットに入っていた。

(^ω^)
「ドリンク、おまたせ」
胸の動悸を押さえ、必死で平静を装いながらドリンクを渡辺に渡した。
もっとも、頼まれたドリンク《スプー》のあまりの見栄えに噴き出しそうなのも同時に堪えていたんだけど。
二人で乾杯をし、渡辺の口がグラスに近づく。
渡辺の口とグラスの距離に比例してオレの鼓動のスピードは上がり、もはや160BPMに達しようかという勢いだった。
そして、渡辺の口はグラスに触れ、スプーを飲んだ。
「あれれー? なんだかミントの味がするよ?」
ヤバい!
オレは顔をそむけ、震える声を押さえながら、さも何でも無いように「ああ、きっと入ってるんだろ」と返した。
――実は、渡辺のスプーには、昨日、高岡から渡すように頼まれた《惚れ薬》を入れていた。
入れる前に自分で試しに一滴なめてみたら、それは少し不思議なミントの味だった。
つまり、渡辺のスプーが今、ミントの味になっているのは、その薬のせいなのだ。
もちろん、そんな薬が効くとは思っていなかった。
そう思いながらもそれを使ったのはむしろ、諦める為だったのかもしれない。
そして、自分が卑怯なのも分かっていた。
結局は、人に決めてもらうんだから。
でも、それでも何かで自分の気持ちをハッキリさせたかった。
このまま、渡辺の事を気にしながら高岡と付き合っていくのは高岡に対する裏切りになる。
――でもそれも全部、自分への言い訳なのかもしれない。
やっぱり、オレは卑怯だよな。
「そうだ! 高岡からお前に渡してくれって頼まれてた物があったんだ」
オレは唐突に、渡辺にその《惚れ薬》を渡した。それは何より自分の気持ちをごまかすための行為だったのかも知れない。

(^ω^)
 惚れ薬の説明をしていると高岡が現れた。
今日の高岡はいつものハイテンションな高岡だった。
喉が渇いたと言う高岡に、渡辺が自分のスプーを差し出した。
「あ」
オレは思わず声を出してしまった。
それには、オレの入れた《惚れ薬》が入っている。
とっさにごまかそうとしたオレに高岡が言った。
「何だ、私が渡辺と間接キスになるんで妬いてんのか?」
――妬いている? 一体どっちに?
そして、その話の流れでオレは高岡に丸め込まれてしまい、高岡は惚れ薬の入ったスプーを飲んでしまった。
スプーを飲んだ高岡は渡辺に惚れ薬を受け取ったか確認すると絶対使うように言って、そのまま何処かへ行ってしまった。
残されたオレと渡辺は高岡の残した余韻にやられてしまい、動揺した渡辺は席を立ってオレの新しいドリンクを取りに行った。
ああ、何をやっているんだ、オレ達は。
しばらくすると、高岡が何食わぬ顔で戻ってきた。
そしてそれから少しして、渡辺がオレのドリンクを持って帰って来た。
「ちょっ、おま、これ……」
渡辺が持って来たのはスプーだった。
「いや、見た目は変だけど、美味しかったからさ」
渡辺がそう言うので、オレは「あ、ああ。まぁ、いいか。サンキュー」と言って口をつけた。
そして、一口飲んだその瞬間。オレは全ての迷いから吹っ切れた。

(^ω^)
 何故ならば――オレのスプーからは本来するはずの無い、少し不思議なミントの味がしたのだ。
オレは驚きのあまり渡辺を凝視してしまった。
渡辺もオレを見ていた。
そしてオレが渡辺に何か言わなければと思った時。高岡がオレの手からグラスを奪っていった。
オレと渡辺は同時に「あっ」と声を出してしまった。
「どうした?」
高岡の問いに、二人ともまさか「惚れ薬が入っている」何て答えられるはずが無い。またも二人して「何でもない」と声を揃えてしまった。
その高岡は「これ、やっぱりおいしいなー。私も自分の分もらってこよー」と言うと、さっさとカウンターへ行ってしまった。
 迷いこそ吹っ切れたオレだが、疑問が残っていた。
これはオレが惚れ薬を入れたから、渡辺がオレの事を好きになったんだろうか?
それとも、それとは関係なく、渡辺が好きだったのってオレだったのか?
だとすれば何時から? 屋上の時点でそういう事だったのか? なら高岡の所に行ったのは?
オレが何がどうなっているんだか、無い頭をフル回転させて考えている間に渡辺は「ちょっとあっちでしぃと話してくる」と言い残してテーブルを離れて行ってしまった。
オレはテーブルを離れて行く渡辺の姿を追い続けながら決心した。
渡辺がオレの事を好きになったのが前からだろうが、今だろうが、そんな事は関係ない。
オレはやっぱり、自分の気持ちをハッキリさせないといけない。
高岡がスプーを手に戻って来た。
オレは高岡に話を切り出そうと声をかけた。
「高岡、ちょっと話があるんだけど、いいか?」
「何だ? どうした?」
「あー、つまりそのー。なんだ。えーっと」
いざ話すとなると口篭もってしまう情ないオレ。
「ここじゃあ、話しづらいことか? じゃあ、外で話そう」
そう言って、グラスをテーブルに置くと高岡は店の出口に向かった。
オレは勇気を貰うつもりで、惚れ薬の入ったスプーをもう一口飲むと、高岡に続いて店を出た。

(^ω^)
 外に出てみると涼しかった。もう、夏も終わりかもしれないな。
さっきよりも気持ちは落ち着いていたが、やはり話をするのは少しだけ怖かった。
高岡の気持ちを傷つけてしまうかもしれない。
それでも、話さない訳にはいかない。このまま話さなければいずれはもっと深く、高岡を傷つけてしまう。
オレは意を決して話し掛けた。
「なぁ、高岡――」
「ドクオ! 別れてくれないか?」
は? オレの言葉を遮って、高岡が何かを言った。
「ドクオ、別れてくれ。付き合って数日だが、やっぱり何か違うんだ」
「え? 何? 別れる?」
頭がついて来ないオレに高岡は畳み掛けるように話を続ける。
「何て言うか、やっぱりドクオと私だとどうもしっくり来ないんだよ。こっちから告白しておいて悪いけど、やっぱり勘違いだった。だから――、別れよう。まあ、例の約束もあるし、いいだろう?」
オレの頭はようやく、別れ話を「されている」という事に気付いた。
「まぁ、お互い夏のいい思い出って事にしようじゃないか」
そう言って、高岡は涼しい笑顔をオレに向けてあっけらかんと笑った。
「あ、ああ。分かった」
やっとの事でそう返事をしたオレに高岡は「何だよー、少しは残念そうにしろよー」と笑った。
そしてオレの腕を叩いて「明日からはまた友達だ。よろしく頼むぞ!」と言うと、笑いながら何処かへ行ってしまった。

(^ω^)
 高岡の後ろ姿を見ながら、混乱していたオレは落ち着こうと思い、同窓会の会場には戻らず近くの公園へ向かった。
公園には滑り台になっているコンクリート製の小さい山があり、オレは一人、その頂上まで登ると考えた。
オレは今、高岡と別れたんだよな。
じゃあ、次にオレは何をするべきなんだ?
オレが好きなのは渡辺で、渡辺もどうやらオレが好きらしい。
ならば、オレが告白すればいいんじゃないか。
でも――、高岡と別れてすぐに告白するなんて良くないか?
渡辺もオレを好きでいてくれてるから、告白されるのを待った方がいいのか?
――いや、違う。
そうやって、流されてきて、いい事は無かったじゃないか。
もう、オレからはっきりと想いを伝えないといけないんだ。
よし。明日、オレは渡辺に告白しよう。
はっきりと自分の口から想いを伝えよう。

 ――ここだけの話。オレ、彼女が欲しいなんて思ったことは無いんだ。
たださ、ある日思っちゃったんだよね。「あいつが欲しい」って。
でもさ、その願いを叶えるためには思ってるだけじゃだめなんだよな。
その願いと真っ直ぐに向き合わないといけない。
もしかしたら、その結果ダメになるかもしれないよ?
でも、それはそれでしょうがないよな。
とにかく、そういう訳でオレは明日、真っ直ぐ向き合ってみるよ。



――――― ハインリッヒ編 ―――――

 夏は恋の季節だ等と世間に広めたのは誰だ?
自慢するわけではないが、これまでに何度か季節を問わず告白されている。
だが、下駄箱に入れられた手紙からだけでは、その相手がどんな人間かはわからない。
そんな状況で「付き合ってくれ」と言われても、私にはどうにも判断のしようが無いのだ。
君は素晴らしい人間かも知れないが、今の私には君はその価値があるかわからないただの他人なのだ。
そうして、今まで私は何人かの告白を断ってきた。
だが、そんな私の心に、ついに恋と思われるものが表れた。
それは今までのように向こうからやってきたのではなかった。私の中にいたのだ。

(^ω^)
「別れてくれないか?」
私はドクオにそう告げた。
何故なら、三杯目のスプーを飲んだその時、私は気付いてしまったから。
そして私の覚悟は完了し、気持ちは決まった。
――私は渡辺を悲しませるような事はしたくない。

(^ω^)
 十六歳の夏。私は恋をした。
相手は中学からの同級生、ドクオ。
決していい男では無いが、私にとっては付き合う価値のある人間だ。
その事に気付いたのは、学校からの帰り道、渡辺とドクオの三人で美府橋で話した後、みんなと別れて家に帰る途中だった。
ドクオの「彼氏が欲しいか」という質問に、私は「いいやつがいれば」付き合ってもいいと答えた。
そして気付いたのは、そのドクオこそが私にとってはいい奴だったという事。
長い間一緒にいて、お互い気兼ねなく話せる。そして全てとは言わないが、お互いの事をよく知っている。
「『夏は恋の季節』かぁ」
橋の上で渡辺が言った言葉が思い出された。
そうして、二日後、私はドクオに告白した。
渡辺に相談したものの、いてもたってもいられなくなり、すぐに自分で言ってしまったのだ。
その時は一方的に自分の気持ちを告げただけで終わったが、その翌日、体育館でバスケの練習中だった私の所にドクオがやってきた。
「あのさ、昨日の話だけど……」
その時のドクオはどうやら私の所には来たものの、まだ返事を決めかねている様子だった。
そんなドクオを見て、私は持ち前のハイテンションでドクオを圧倒し、最後に一つだけ条件を付けて訊ねてみた。
「じゃあ、こうしよう。試しに一週間だけ付き合ってみるということでどうだ?」
ドクオはその条件を飲み、こうして私達は付き合うことになった。
その時、私は嬉しさのあまり、当の付き合うことになったドクオを放っておいて、渡辺に報告に行ってしまった。

(^ω^)
 翌日は日曜日で部活も無く、私達はさっそくデートをした。
私にとっては人生初のデートだ。
朝になってから着て行く物に悩み始め、待ち合わせ時間に遅れてしまった。
待ち合わせ場所に走って行くとドクオが待っていた。
待ち合わせなんだから待っていて当然なのだが、それがたまらなく嬉しかった。
少しの間、遠くから「これからデートする相手」を見つめてしまった。
そんな事をしていたら、何だか緊張してきた。
私はゆっくりとドクオに近づいた。
「ごめーん、待ったー?」
「い、いや。オレも今来たとこ」
そんな、マンガみたいな会話を繰り広げる私達。
それからいつものようにドクオに冗談を言う。
しかし、ドクオはいつもの様に突っ込んではくれなかった。
「何だ何だ〜。突っ込みにキレが無いなぁ。緊張してるのか?」
私は再びドクオに投げかける。
実はそんな事を言いつつ、緊張しているのは自分だったりする。
おそらく、今、この場所から半径1キロ以内で一番緊張しているのは私だろう。
その後も、自分の一挙手一投足、一挙一動二府四十三県をドクオが見ていると思うと緊張がどんどん増してきた。
だんだんと意識しすぎて、スタバに入ってコーヒーを飲もうと思っても、今まで自分がどうやってカップを持っていたかも分からなくなったりしていた。

(^ω^)
 緊張と幸福のランチを食べ終わって、渡辺に電話をしようとしたら携帯を忘れている事に気付いた。
いつもなら携帯を忘れなんかしたら、ものの10分で気付くのに。やはりこれも初デート効果だろうか。
代わりにドクオに電話をしてもらった。
渡辺は日曜日ということで寝ていたらしい。ドクオはすぐに私に電話を変わった。
渡辺の雑談に少しの間付き合い、それから私はそもそもの用件を切り出した。
――去年、私と渡辺それにドクオの三人で見た花火大会。
今年も三人で一緒に行く約束をしていて、その待ち合わせ時間を決めたかったのだ。
「え、明日? 何だっけ?」
ショックな事に渡辺は明日がその花火大会だという事を忘れていた。まぁ、渡辺らしいか。
しかしその後、渡辺は花火大会の事は思い出したが、さっきよりもショックな事を言ってきた。
「今年は二人で行ってきなよ」
私は去年から三人で行くのを楽しみにしていた。
それは、私がドクオと付き合う事になったからといって変わるものではなかった。
それでも渡辺は「来年はわたしも彼氏作って連れて行くからさ。四人で見よう」等と言って、三人で行くのを良しとしない。
こうなった時の渡辺は意外に頑固なのだ。
私は、明日もう一度説得しようと思い、電話を切った。

(^ω^)
 翌日、部活の合間にドクオの部室に行った。
ドクオの部室はコンピュータ研究会。とても大仰な名前だが、実はゲーム同好会と言ってもいいとドクオは言っていた。
その言葉の通り、私が行くとドクオはゲームをしていた。
ドクオを連れて、渡辺を花火に誘いに行こうと思って来たのだが、ドクオがあまりにも真剣に考えているのでどんなゲームをやっているのか気になってドクオの後ろに回りこんだ。
てっきり美少女が出てきて、何やらデートしたりするゲームをしているのだと思った。
それならば「そんな事をするなら私がいるではないか!」と言おうと思っていたのだが、そこには予想に反して、とてもシンプルな画面が映し出されていた。
画面で真中に緑のボールがあり、その上には赤い悪魔のようなキャラクター、そして左右に4つづつ木や家やお城、階段などのアイテムが配置されていた。
そして、それらのアイテムを緑のボールに置いてゆくと、悪魔がボールを揺らして地面が欠けたり、他のアイテムがレベルアップしたりする。
どうやら、この8つのアイテムを順番を考えながら緑のボールに置いてゆくゲームのようだ。
「う〜ん、うまくいかないなぁ」
ドクオがつぶやき、私は「この順番ならどうだ?」などと提案してみる。
「それだと、この怪獣にやられちゃうんだよ。ここでこれが育たないといけないから〜」
「あ〜、沈んじゃったよ。じゃあ、この順番なのではないか?」
「いや、こうなるから、こっちだろう」
「おぉ! それだ! ……でもダメだな」
シンプルなだけに出来ない悔しさがつのり、ついつい夢中になってしまった。
気が付けば、ドクオの隣に座り、一つのマウスを二人で動かしたりしていた。
すると、ドアが開き渡辺がやってきた。
私は当初の目的を忘れ、渡辺をゲームに誘った。
「あ、うん。ごめん。何だか疲れたから今日、先に帰るね」
そういう渡辺は確かに調子が良くなさそうだった。
私とドクオは席を立ち、渡辺の様子を見た。
ドクオが渡辺の額に手をあて「うーん、少し熱っぽいんじゃないか?」と言った。
確かに、見る見るうちに渡辺の顔が赤くなってきた。風邪だろうか。
だとすると、今日の花火大会、無理には誘えないなぁ。
「あ、ああ。うん。大丈夫。じゃあまた明日」
渡辺が帰り、ふと外を見ると雨が降っていた。
「ちょっと渡辺を家まで送ってくる」
わたしはそう言って、傘を取りに一旦、体育館に戻った。
もしかしたら渡辺はまた傘をなくしているかもしれない。
そして、私は一本の傘を手に渡辺のいる昇降口に走った。

(^ω^)
 昇降口から声が聞こえた。
「あれれー? 傘が無いよぉー」
やっぱり、また傘を無くしていたか。持って来て良かった。
そうして、昇降口に着き、私は渡辺に声をかけようとした。
「わたな……」
しかしその時、渡辺の口から思いがけない言葉が漏れた。
「ドクオ……」
その言葉を聞いて私は動揺し、渡辺に声をかける事が出来なくなってしまった。
その後、渡辺は震える声でもう一度「あれれー? 傘が無いよぉー」と言った。
その声は私の胸を締め付けた。
そして、その切ない声に私はひとつの考えが心に浮かんだ。
――渡辺は、ドクオを好きなのかもしれない。
誰もいない昇降口で空から降ってくる雨を見つめたまま動かない渡辺を見て、私は何とも言えない気持ちになった。
それでも、もう完全に声をかけるタイミングを逸してしまった。
その時、私の横にツンがいるのに気がついた。
ツンはいつからいたのだろうか?
でも、その少しだけ哀しそうな表情が、全て分かっている事を物語っていた。
私はツンに自分の傘を渡し、「渡辺を入れてやってくれ」と頼んだ。
ツンは傘を受け取ると何も聞かずに「わかったわ」とだけ言ってくれた。

(^ω^)
 その日の夜、花火大会は予定通り決行された。
私は浴衣など着て浮かれていたが、いつも程のハイテンションにはならなかった。
屋台で何かを食べても、金魚すくいをしても、射的でクマーのぬいぐるみを倒しても、ハイテンションからは程遠かった。
――渡辺の事が気になってしょうがなかったのだ。
やはり、渡辺はドクオの事が好きだったんだろうか?
だとすれば私は、渡辺からドクオを持ち去ってしまったのか。
大空に舞う花火を見ながら、私は考えていた。
もしそうなら、私はどうするべきなんだろうか?
私にとって今、一番大事な物は何だろう?

(^ω^)
 花火大会が終わると、私は早々にドクオと別れ、渡辺に電話をした。
「おかげさまで、ドクオと花火を見に行けたよ」
「うん。よかったね」
「でも、やっぱり渡辺がいないとつまらない」
「うん。ごめんね」
「なぁ、渡辺……」
「うん?」
「元気ないな。どうした?」
「……実はさ。好きだった人にふられちゃったんだ」
「そうだったのか……。それは哀しいな」
「うん、かなしー」
「それにしても誰だ? 渡辺を振るなんて、見る目の無い奴だ!」
「うん。でも、その人が好きになった人がすごい人でさ。美人で面白くて、スポーツ万能なんだよ」
「そんなやつなのか」
「それにわたし、その相手の人のことも好きなんだ」
「うん……」
「だから、しょうがない」
「そうか……」
「うん……」
「ところで渡辺!」
「何?」
「明後日の同窓会は行くだろ?」
「あ、同窓会ね。中学卒業して以来だから二年ぶりの人もいるね」
「行くだろ?」
「うん。行くよ」
「19時からだったよな? 私は試合があって少し遅れると思う。会場で会おう」
「うん。会場で」
電話を切った私は一つの決心をしていた。

(^ω^)
 そして二日後、中学同窓会の日。
遅れて会場に到着した私は渡辺を探し、背後から近づいて抱きついた。
「わーたーなーべー!」
走って来て、喉の渇いていた私に、渡辺は自分の飲んでいたドリンクをくれた。
それは《スプー》と言う名前のとても変なドリンクで、私は笑いながらそれをもらった。
その時、ドクオが「あ」と声を出し、「い、いや、飲むならオレのを飲みなよ。渡辺に悪いじゃん」と自分のドリンクを勧めてきた。
私はドクオに冗談を言いながら、渡辺に貰ったスプーを飲んだ。
スプーは見た目とはうらはらにすっきりした味で、なかなか美味しかった。
「そういえば、惚れ薬受け取った?」
昨日、ドクオに渡辺に渡すように頼んでおいた物だ。
渡辺はまだ使っていない、と言った。
私は使うように強く渡辺に言って席を離れた。
それからしばらくして戻って来ると今度は渡辺がいなかった。
「あれ? 渡辺は?」
「あ、ああ。オレのドリンク取りに行ってくれてる」
それを聞いて、私は思った。
――これはチャンスだ。
私はドクオと話をしながら渡辺を待った。
私の考えはもう決まっていた。後は渡辺の「それ」を確認したら、私は自分の覚悟を完了させられる。
そうして、渡辺がドクオのドリンクを手に戻って来た。そのドリンクはまたもスプーだった。
ドクオがそれを飲んだ直後、私は間髪入れずに、ドクオの手からスプーを奪い取り、一口飲んだ。
――「それ」は確認出来なかった。
私はホッと安堵した。肩透かしをくらった気分だった。
それから、私は何だかスプーが気に入ってしまい、自分の分を貰いにカウンターへ向かった。

(^ω^)
 だが、カウンターで受け取ったスプーを飲んだ時、「それ」は別な形で確認され、私の覚悟は完了した。
受け取ったスプーを最初に一口飲んだ時、私はカウンターのお兄さんに文句を言ってしまった。
「ちょっと、おにーさん。これ、ミント入れ忘れてるよ?」
そしてカウンターのお兄さんの「え? スプーにはミントなんか入れないよ?」という台詞で全てを理解した。
そうか、そういう事だったのか。
まさか、渡辺ばかりでは無く、ドクオも使っていたとはね。
つまりはこういう事だ。
 私は、渡辺に渡した《惚れ薬》がミントの味なのを知っていた。
家の姉が貰ってきた時に二人でふざけて飲ませ合いをしたからだ。
そして私は、渡辺がドクオを好きなんじゃないかと思った時、これを使って確かめようと計画した。
友達をこんな、ひっかけるような形で試すのは気が引けたが、私はどうしても確かめなければいけなかった。
実際に渡辺がこの薬を使うかどうかは賭けだったが、ちょっとオカルト好きな渡辺なら使うだろうという勝算もあった。
最初に私が渡辺のスプーを飲んだのはまったくの偶然だった。
そのスプーからミントの味がした時は「あ、これに入れられると判断つかなくなるかも」と思った。
だが、惚れ薬のミントは普通のミントとは少し違う味だった記憶があったので、「この、今飲んだミントとは少し違う味になるはずだ。それで判断がつくな」と思っていた。
そして私はドクオのスプーを飲んだ。
ミントの味がしたが、その味が先に飲んだ渡辺のとまったく変わらなかったので、私は「渡辺はドクオのドリンクには入れなかった」と判断した。
正直に言うと安心した。それはつまり「渡辺が好きなのはドクオでは無い」という事だから。
それじゃあ渡辺は誰が好きなんだろう? 私が協力出来る人だろうか? 今度はそんな心配が頭をもたげた。
 そして今、カウンターから直接受け取ったスプーを飲んで、私は全てを理解した。
そうだ、そういう事なら、二つのスプーの味が違う訳がない。
そう。最初にドクオが渡辺のスプーに、そして次に渡辺がドクオのスプーに惚れ薬を入れたのだ。
それが指し示す事実はつまり、「渡辺はドクオが好き」そして「ドクオは渡辺が好き」という事だ。
渡辺が自分のスプーに惚れ薬を入れた可能性もあるが、それはきっと低い。
逆に、渡辺はこの薬を信じて使うくらいだから、本当に好きな人以外には入れないはずだ。例え自分であろうとも。
 ――こうして私は全てを決意した。

(^ω^)
 私がテーブルに戻るとドクオが話しかけてきた。
「高岡、ちょっと話があるんだけど、いいか?」
何かと私が問い掛けると、ドクオは口篭もって中々話を始めなかった。
ならばこちらにも都合がいい、このまま私の決心した行動に移らせてもらおう。
私はドクオを店の外に誘い、グラスをテーブルに置くと席を立った。

(^ω^)
「別れてくれないか?」
店の外に出て、私に話し掛けたドクオの話を遮って私はドクオにそう告げた。
そうだ。渡辺とドクオの二人が相思相愛な以上、私の居場所はここでは無いんだ。
何よりも、渡辺が好きな人を私が奪う訳にはいかない。
私は渡辺を悲しませたくない。
「ドクオ、別れてくれ」
私の言葉の意味を理解出来ないようなドクオに私はもう一度言った。
――それは、君の希望でもあるはずだ。
「付き合って数日だが、やっぱり何か違うんだ」
そんな理由をあれこれ付け足す。
「まぁ、例の約束もあるし、いいだろう?」
そうやって、ドクオが反論する余地を与えない理由も持ち出して決着をつけようとした。
そうだ、どうせこの恋は試しの一週間で消えていたに違いない。
「まぁ、お互い夏のいい思い出って事にしようじゃないか」
最後に私がそう言って笑うと、ドクオはやっと事態を理解したようで「あ、ああ。分かった」と返事をしてくれた。
これで、最後。これで、お別れ。
それにしても、ドクオ。あまりにもあっさりと別れすぎだろう。
「何だよー、少しは残念そうにしろよー」
私の口は正直にそう言ってから笑った。

 ――私にとって付き合う価値のある人でも、その人が私を同じように見てくれているとは限らない。
自分の中にあった恋だからと言って、それが本物かは分からない。
あるいはあのまま、何も知らないふりをしていれば、あの恋は続ける事は可能だったかもしれない。
でも、それでもあの時、私にはあの恋以上に守りたいものがあったんだ。



――――― ふたたび、渡辺さん編 ―――――

 新学期が始まって一週間が過ぎていた。
今日もわたし達は部活を終え、三人で一緒に帰っていた。
「もうこの時間だと暗いんだねー」
「ああ、それに全然暑くないな。涼しいくらいだ」
「もう秋だ! 美味しい物が来るぞ! ひゃほー!」
いつもと同じ三人の時間。

 ――あの夏、わたし達は季節に駆り立てられるように恋をした。
わたしはドクオを、ハインリッヒもドクオを、そしてドクオはわたしをそれぞれ好きだと思った。
でも結局、わたし達は元の三人に戻る事を選んだ。

(^ω^)
 ――ドクオに告白されたわたしは「はい」とは答えず、その足で学校へと走って戻った。
学校へ、ハインリッヒの元へ。
そして体育館からハインリッヒを連れ出すと単刀直入に聞いた。
「ハインリッヒ、本当にドクオと別れたいの?」
「ん? ……ああ、ほんとだよ」
わたしはもう一度聞いた。
「だって、付き合う事になった時、あんなに喜んでたじゃない」
「もともと一週間はお試しだったんだ。だからまだクーリングオフ出来るだろう?」
ハインリッヒはそう言って笑うと言葉を続けた。
「それに、やっぱりドクオは違うかなーってさ。私みたいな女とは釣り合わないような気がするんだよ。なんていうか――」
「でもハインリッヒ? それじゃあ――」
私はハインリッヒの言葉を遮って聞いた。
「それじゃあ、どうして泣いてるの?」
ハインリッヒは笑っていたが、その瞳からは涙がこぼれていた。
「これは……、これは……」
そう言って、ボロボロと涙をこぼすハインリッヒをわたしは黙って抱きしめた。
傍目から見たら、背の高いハインリッヒにわたしがしがみついている様にしか見えなかったかもしれない。それでもとにかく、わたしはハインリッヒを守りたかった。
 そうしていると、わたしの後を追ってきたドクオが息を切らせてやってきた。
ドクオは黙ってわたしとハインリッヒのそばに立った。
「ねぇ。ドクオ、ハインリッヒ」
わたしはハインリッヒを抱きしめたまま言った。
「わたしは明日も二人がいないとダメなんだよ」

(^ω^)
 ドクオとハインリッヒが付き合っていた時、わたしが感じた悲しさは「失恋」では無く「疎外感」だった。
そして、もしこのまま、わたしがドクオと付き合う事になったとしても、それでハインリッヒが辛い思いをして離れて行ってしまうのであれば、そんなのちっとも嬉しくない。
――わたしは今は三人で一緒にいたいんだ。明日になっても誰もかけること無く、三人でいたいんだ。
目の前にあった恋らしきものを夢中で追い求め、本当はそれが何なのかも分かっていなかったんだ。
「わたし達、少し急ぎ過ぎたんじゃない?」
わたしはそう言った。
しばらくの沈黙を置いて、ハインリッヒが言った。
「……私も、お前達二人がいないとヤダ」
ドクオもぽつりと呟いた。
「……そうだな。ちょっと周りが見えてなかったかもな」
 そうして、わたし達はこの結末をもう少し先に延ばすことにした。
もう一度、この中の誰かが自分の本当の気持ちに気付いた時。
その時は誰に遠慮する事も、秘密にする事もない。ましてや自分を犠牲にする必要なんてない。
そうやって全てを打ち明けて、その先はどんな状況になっても、わたし達は友達でいつづけよう。
そう、わたし達は決めた。
 結婚に適齢期があるように、恋にもきっと適齢期がある。
わたし達の恋愛適齢期はまだなのだろう。
わたし達は恋愛をするにはまだ幼く、覚悟が足りなかった。
何を犠牲にしてもこの恋を成し遂げるという覚悟が。
私も、今はまだドクオとの恋愛よりもハインリッヒの事が大事に思える。
でもいつかきっと、「何よりもこの恋を貫きたい」と思う時が来るだろう。
それがいつ来るかは分からない。一年後かもしれないし、もしかしたら明後日にも来るかもしれない。
その時まで、私はこの二人の笑顔を見ていたい。
この三人でいられる時間が増えるんだったら、少しぐらい回り道をしたっていいじゃないか。
そしてそれは、今のわたし達三人の共通の思いだった。

(^ω^)
 ――美府橋までたどり着き、そこにある桜の木を見ると、ハインリッヒはニヤニヤしながら言った。
「そういえば、ドクオ。ここで何だか桜にかけた、かっこいい告白だったらしいな。――『君はオレの夏の桜』だったかな?」
「なっ……!」
ドクオがわたしを振り返って睨んだ。
「え、えへへ」
わたしは笑って誤魔化すしかなかった。
ドクオは精一杯強がってハインリッヒに「お前が告って来た時も赤くなってかわいかったなー」と言った。
それを聞いたハインリッヒは「ひゃははっ、そうだった。……でも、次回もお前に告るとは限らないぞ?」と笑う。
そんな事を言いながら橋を渡っていると、橋の下には花火をしている子供達がいた。
わたし達は足を止め、橋の欄干に寄りかかって花火を見た。
「あ、そうだ」
わたしは思い出して言った。
「知ってる? ここからも、花火大会が見えるんだよ?」
「へぇ〜、そうなんだ。そういえば、オレ、今年の花火は色々考えててあんまり覚えてないや」
「ふふふ、私の浴衣姿に欲情してたな?」
「あー、ハインリッヒ、浴衣だったの? わたしも見たかったなー」
「うん、まぁ……。あれは似合ってたな」
「ひゃははー!」
子供達の花火は夏の残りだったのだろうか? すぐに終わってしまった。
それでもわたし達はそこを離れようとせずに、月明かりでキラキラと輝く川の流れを見つめていた。
「来年は――」
わたしの口から言葉が流れ出した。
「三人で一緒に花火見ようね」
わたしの言葉に、ふたりが頷いた。


2006.9.3掲載


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