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フローズン・タイム 〜そしてブーンは7回目の恋に落ちるようです〜

(^ω^)
 もうすぐ、彼女が目を覚ます。そして僕が彼女に“会う”のは今回で6度目になる。
僕は未だに彼女を救えていない。
もしかして、僕のこの方法は間違っているのだろうか? 時折、そんな風に自信が揺らぐ。
でも、絶対に諦めはしない。どれだけの時間がかかろうと、僕は彼女を救い出してみせる。
僕は運命なんて信じない。それでももし、運命というものがあるのだとすれば、僕はその運命からすら彼女を救い出してみせる。

(^ω^)
 その日、わたしは朝からどうしようも無く眠かった。
ここ最近、眠いことが多かったが今日の眠さは人生最大級だった。
朝起きる事が出来たのは奇跡だったとしか言いようが無い。半分眠りながら朝の支度を済ませ、バスで学校へ向った。
更に幸運だったのは降りるべきバス停が終点だった事。運転手に起こされなければ、きっとわたしはいつまでもバスの中で寝ていたに違いない。
どうしてこんなに眠たいのか。昨日も早く寝たし、疲れきってしまうほどに運動したわけでも無い、もちろん体調だって悪くは無い。それなのに、ただひたすらにわたしは眠かった。
まぁ、そんな日もあるよね、そう思いながら教室へと向う階段を昇るわたしは自分の席に恋焦がれていた。
早くあそこに座って、そして机に突っ伏して眠りたい。級友に邪魔されようと、先生に怒られようと、とにかく眠るのだ。
そう決心し、わたしは閉じようとするまぶたを必死で開けながら階段を昇った。
 だが、結果から言えば、その日わたしは自分の席に座ることは無かった。
後一歩で階段を昇り切るという所でわたしは全身の力が抜け、目の前が真っ暗になった。
暗闇の中で体がぐるぐると乱暴に振り回され、何かが体中あちこちにぶつかって来て、とても痛かった。
少しすると回転や衝撃が止み、うっすらと目を開けるとみんなが手品の様に壁に立ち、わたしを見ていた。
あれおかしいな? そう思い、またも閉じようとする目を開け、がんばって周囲を見ているとやがてそのトリックが分かった。おかしかったのはみんなでは無くわたしの方だった。
わたしが壁だと思っていたのは床で、どうやらわたしは地面に倒れているようだった。頬が冷たいのは床に触れているせいだろう。
だがやがてその冷たい頬にじんわりと温かいものが触れ、そして床に赤色が広がり始めた。
良く見ればそれは血で、多分その血は自分から流れ出したのだろう。
遠くで誰かの悲鳴がした。みんながわたしを覗き込み、何かを叫んでいた。
でも、もう限界だった。痛みも何も感じ無かった。ただひたすらに眠かった。
まぶたがゆっくりと下りて来る。最後にわたしが見たのはじわじわと広がり続ける自分の赤い血だった。

(^ω^)
「――――あああああぁっ!」
自分の悲鳴と共に目が覚めた。
わたしはベッドの上で上体を起こしたまま、肩で息をする。
恐い夢を見た。階段から落ちて血溜まりの中で意識を失っていく夢を。
「……………………………………」
――――夢? あれは夢だったのか?
しばらく、呆然と考える。
「……えっ!?」
次の瞬間、それが夢じゃない事に気付き、そして自分が座るこの真っ白いベッドがまったく知らない場所だという事に気付いたわたしは慌てて顔を上げ、周囲を見回した。
白いベッド、白い壁、スライド式のドア。部屋の真ん中には部屋を仕切るカーテンがぶら下がっていて、壁にはドラマや映画で見た事のある機械類が並んでいた。
どうやらここは病院の一室らしい。そして――――――
「目が覚めたかお?」
わたしの横で白衣を着た知らない男の人が静かに微笑んでいた。
抜けている、と言っていいくらいに緊張とは無縁のその笑顔。
その笑顔が何故かとても懐かしく感じた。
「おはよう、今日は晴れだよ」
「――――?」
その男の突然の言葉に戸惑い、わたしは無言を返す。するとその男の笑顔は少しだけ残念そうに曇った。
「えっと…………」
「ここは病院だお」
わたしが状況をつかめずにいる事を察したらしい男がわたしに声をかけた。
男の言葉に、無意識に手を頭にやる。布の感覚。どうやら包帯が巻かれているらしい。階段から落ちた時に頭を打ったんだろう。あの出血は頭からだったのか。
「でも、もう大丈夫だお」
そう言って男が再びやわらかく微笑んだ。
「……そう」
ぼんやりとした頭で考える。――そうか、やっぱりあれは夢じゃなかったのね。
「まだ少し混乱してるみたいだから、もう一眠りするといいお。そして、起きたら少しだけ検査をしようね」
「…………はい」
他に答えようの無いわたしはそう返事を返す。そうしてベッドに横になると男がふとんをかけてくれた。
「じゃあまた後でね、ツン」
男はそう言って部屋を出て行った。
ひとりになった部屋でわたしは真っ白な天井を見つめる。
そう言えば、あの男は何でわたしの名前を知ってるんだろう? そして、何で呼び捨てなんだろう?
そんな事を思ったりもしたが、すぐにわたしの意識は眠りへと落ちて行ってしまった。

(^ω^)
「さて、それじゃあツン。質問だお」
内藤と名乗った白衣の男はわたしをじっと見つめ、そう言った。相変わらず呼び捨てだったが、何故か嫌な感じはしなかった。
そして、男がわたしに聞いて来た。
「どこまで覚えてる?」
「え? ――な、何?」
予想外の質問に戸惑うわたしに内藤先生はもう一度聞いてきた。
「君はどうしてここにいるのか分かるかい?」
――あぁ、何だ。
わたしは理解した。つまりは頭を打ったので記憶の混乱を危惧している訳だ。
ぼそっと呟くように、わたしは答えた。
「……今朝、階段から落ちたから」
「………………」
だが、わたしの答えに内藤先生は何故か無言になる。
その沈黙にじわじわと得体の知れない不安が広がる。
「ねぇ、先生。わたし何か――」
その時、内藤先生の肩が震えているのに気付いた。
もしかして――――――、笑ってる?
「ちょっと! 先生!!!」
思わず大声を上げる。
「そりゃあ、わたしだって学校で階段から落ちて病院に運ばれたなんて間抜けだと思うし、しかもその原因が眠かったからなんてほんとバカみたいだと思うけど、けどだからって、笑う事無いでしょー!!!」
頬が熱いのは怒りの為か恥ずかしさの為か。とにかく、そんなわたしの剣幕に圧倒された内藤先生がわたしを見つめ返す目は涙目だった。
「……ご、ごめんだお」
その表情を見て、少しやりすぎたかと反省した。でもせっかくなので先生に忠告する。
「反省しなさい」
「――はい」
睨むわたしに縮こまる先生。
思えばそれがきっかけであり、決定打だった。以後、わたしと内藤先生の関係はそんな風に固定されてしまった。

(^ω^)
「えーっと、まずここの場所なんですが――。あ、ちょっとチクっとしますお」
その後、先生はわたしから採血し、次に注射を打ちながら病院の説明と今後の話をした。しかも敬語だった。まぁ、それは置いておいて、内藤先生はここがわたしの家や学校から遠く離れた場所である事を教えてくれた。
何でも、近くの病院で必要な処置が出来るところは空いていなかったらしい。その結果、今回の対処に関しては日本有数というこの病院に来る事になったのだけど、それは運が良いのか悪いのか。
「――はい、これで腕をしばらく押さえておいてくださいですお。あ、それから」
続いて、内藤先生が言った。
「この後の検査で異常が見つからなくても今日から九日間は入院していただきますお」
「えっ? な、なんで?」
驚いて聞き返すわたしに内藤先生は、頭を打っているのでいつ何が突発的に起こるか分からないから、と説明した。先生曰く「経過観察的意味合いでの入院」だそうだ。
そして入院となれば色々と必要な物があるだろうけれど、何しろ家から遠いし二年前に両親を亡くして一人暮らしなわたしにはどうしようも無いので必要な物は病院のスタッフが用意してくれる、と内藤先生は教えてくれた。
 両親の話をした時に内藤先生は申し訳無さそうに目を伏せた。でも、その事はわたしの中ではすっかり現実として定着していたので今更そんな事でくよくよしたりするはずも無く、わたしはさばさばと受け答えをしていた。
世の中にはありとあらゆる不幸があるが、それが現実ならばそれは受け入れるしかないし、わたしはそうした。それが運命なのだ。
「――さて、何か質問はありますかお?」
全ての説明を終え、そう聞く内藤先生にわたしは言った。
「その前に、まずその敬語を止めて。これじゃあまるでわたしが偉ぶってるみたいじゃない」
そうして内藤先生をじっと見つめる。
「そ、そんな睨まなくても……」
「――え? 何ですって?」
文句を言う内藤先生にわたしは目を細める。
「…………わ、わかったお」
「よろしい」
ってこれじゃあ、今度は脅してるみたいだ。
「えーっと、じゃあそれで――、何か質問はあるかお?」
先生の再度の質問にもわたしは特に思いつかず、首を振る。
「じゃあ、何か欲しいものは?」
同じくわたしは首を振る。
「ほんとに?」
先生が聞き返して来る。
そう言われ、考えたらある物を思い付いた。
「…………あ」
「何だお?」
「――日記帳。小さいのでいいから」
わたしはそう告げた。
別に毎日几帳面に日記を書いていたわけでは無かったけれど、何か楽しい事や特別な事があった日には数行、その事を記入していた。だけど、こんな状況だ。きっと書くことがいっぱいありそうだ。
そして、いつも使っている日記帳はわたしの他の荷物と一緒に学校にあるに違いない。だからわたしには新しい日記帳が必要だった。
「了解だお」
内藤先生はそう言ってにっこり笑い、「じゃあ、また明日」と部屋を出て行った。

(^ω^)
 内藤先生と入れ替わりに看護師さんが部屋に入って来て、これから別な部屋で検査をすると言った。
「さ、行きましょうか」
看護師さんに促されてベッドから立ち上がり、わたしは驚いた。
「―――――っ!?」
足が自分の身体の一部では無いみたいに感じる。
歩こうと思っても足はぎくしゃくとうまく動かず、あまりによろよろするので看護師さんが腕を支えてくれた位だ。
そのまま、ぎくしゃくよろよろと目的の診察室に入る。
「私が主治医になる荒巻です」
薄暗い部屋の中、光る写真に照らされた年配の先生がわたしを見てそう言った。
「……よろしくお願いします」
頭を下げたわたしに荒巻先生は何も言わずそのままくるりと椅子を回して、机の上に貼られた写真をじっと無言で見つめた。
多分、わたしの頭の何とかスキャンの写真なのだろう。
「…………………………」
「………………」
「…………………………………………」
だが、いつまで経っても先生は何も言わず、気まずい沈黙が続く。
「…………あ、あの先生」
たまらずにこちらから言葉を切り出す。
「何か?」
先生が椅子を回してわたしの方を向く。
「実はさっき足がすごく変な感じで、歩くのにも苦労してよろよろしたんですけど……」
もしかして頭を打った影響なのかと少し不安になる。
「そう。じゃあ、リハビリルームにウォーキングマシンがあるからそれをこの後、小一時間ばかりやってきなさい。そしたら慣れて戻るだろう」
そう言い終えると先生は再びわたしに背を向ける。
「――え? そ、それだけ?」
先生は頭を打った事などまったく考慮に入れていないみたいだった。
「何か?」
「い、いえ……」
だが結局、わたしにはそれ以上何か言う事も出来ず、すごすごと引き下がってしまった。
そして再び診察室を沈黙が支配する。
「何か違和感とか感じない?」
「え?」
突然、先生がこちらを向き、そんな事を聞いて来た。
「頭に、ですか?」
聞き返すわたしに荒巻先生が言う。
「いや、色んな意味で――――」
先生が言う意味が良く分からず、わたしはどう返事をしたらいいのか分からなかった。
「い、いいえ。特には……」
考えた結果そう答えると先生はまた椅子を戻し、写真を見たまま言った。
「はい、じゃあ今日はもういいよ」
「………………あの」
さっきの言葉の意味をもう一度聞こうかと声をかける。
「何か?」
何だか既に邪魔者扱いされてるような居心地の悪さを感じる。
「…………いえ、失礼します」
わたしは写真やカルテを見続ける先生の背中に一応、頭を下げ、診察室を出た。

 病室に戻る間にだんだんと腹が立ってきた。
何だあれ、感じの悪い。あんなのが主治医だなんてツイてない。
 だけど、荒巻先生が正しい事もあった。
その後、言われた通りにリハビリルームのマシンで歩いているうちに、感じていた足の違和感は消え、普通に歩けるようになった。
うん、よかった。何て思ったものの、ツイてない時というのはとことんツイていないもので、わたしは自分の病室に戻ってからふと思い出し、廊下を歩いていた看護師さんに聞いた。
「すいません、わたしの携帯なんですけれど」
階段から落ちた時はポケットに入っていたから、一緒に病院に来ているはずだ。
メールのチェックもしたいし、色んな人に状況を伝えたい。
「ああ、病院側で預かっていますよ」
看護師さんの答えに安堵し、わたしは自然と笑顔になる。
「よかった、じゃあ――」
「でも、真っ二つ折れてて、電源すら入りませんでしたよ」
わたしの言葉にかぶせるように看護師さんがそう言った。
ショックで呆然とするわたしを残して看護師さんは廊下の先へと消えてしまった。
更にその夜、出された食事はどういう訳かおかゆでわたしは「こっちは頭に怪我しただけで消化器官は正常だっつーの」とぶつぶつ文句を言いながら食べ、その後あっと言う間にやってきた消灯時間に、わたしはもうふて寝をする事しか出来なかった。

(^ω^)
 翌日、目を覚ましたわたしの横にはまたも白衣の男がいた。
「ぼくが誰だか分かるかお?」
内藤先生が笑顔ながらも心配そうに聞いて来る。
「…………」
わたしの沈黙に先生の表情が曇る。
「ツン――」
わたしは呆れながら答えた。
「大丈夫よ、憶えてるわよ」
その言葉を聞いてほっとした表情になる内藤先生。
「それよりも先生、また来たの?」
「昨日、来るって言ったじゃないかお……?」
先生が心配そうに聞き返す。しまった、また記憶を心配しているらしい。
「そうだけど……。だって先生、わたしの担当医じゃないんでしょ?」
「うん、まぁね」
わたしの記憶が正常だと知った先生は再びほっとした表情になり、わたしはそんな先生に続けて聞く。
「何しに来たの?」
思わず、そんな酷い物言いになってしまったにも関わらず、先生はにこりと笑った。
「相変わらずだな、君は」
そりゃまぁ、昨日はちょっとやらかしちゃったけど、そんな毎回みたいに言わなくても……。
内藤先生はわたしに向き直ると少しまじめな顔で言った。
「ぼくは主治医では無いけれど、君の治療に関してはメインの担当なんだお」
「頭のケガが専門って事?」
「えーっと……、それはその……」
歯切れの悪い先生。
「まぁ、いいわ。じゃあ、先生? その事で質問があるんだけど」
「何だお?」
わたしは昨日、気が付いた事を先生に訊ねてみた。
「わたし、頭に怪我したのよねぇ?」
「そうだお。結構、大量に出血してたみたいだお。それがどうかしたのかお?」
そう聞き返す先生にわたしは眉をひそめて問い質す。
「それにしては全然痛みが無いんだけど、これってどういう事? いくらなんでもここまで痛みが無いのって変だと思うんだけど……?」
わたしの質問に内藤先生は窓から外を眺め、後ろ手を組んで答えた。
「うーん、もう治っちゃったんじゃないかぁ? 若いって素晴らしいねぇ」
「治っちゃったって……、先生……」
そのあまりにもいい加減な答にわたしはこの人は本当に医者なのかと不安になる。
「――それもより、これ」
わたしの不安を察したのか、内藤先生は会話を打ち切り、わたしに紙袋を寄越した。
「…………何これ?」
誤魔化されたのを感じながらもわたしは紙袋を受け取り、内藤先生はにっこりと笑いながら答えた。
「日記帳だお。昨日、欲しいって言ってたじゃないかお」
「……あ!」
わたしは怪我に関する質問の事なんかすっかり忘れて、急いで紙袋を開け、中身を取り出した。
「わぁ――」
驚いた。その大きさといい、表紙の感じといい、その日記帳は実にわたし好みの一冊だった。
「ありがとう! 先生凄い! わたしの趣味にぴったりよ!」
わたしは笑みが止まらず、先生もまたわたしを見てにこにこと笑っていた。
「君が好きな物がどんな物かなんて、全てお見通しだお」
そう言う先生にわたしは笑って応える。
「何よそれ、ストーカー?」
内藤先生は、ひどいお、と言いながらも笑っていた。

 その後、検査らしきものをして、また採血された。
「――じゃあね、また明日」
荷物を片付け、内藤先生はそう言ってわたしを見た。
「また来るの?」
邪険にした訳では無く、むしろ何故か先生が来るのが楽しみでそう聞いたものの、口調だけを聞けばそれは嫌がっているように聞こえたかもしれない。
しまった、と思ったが、内藤先生はそんなわたしの言い方なんかまるで気にしていないようで、にこりと微笑むと膝を折って聞き返して来た。
「……来てもいいでしょうか?」
そんな聞き方をされて、どう答えたらいいのか分からず「まぁ、いいけど?」と答えたわたしに内藤先生は「よかった」と手を振りながら部屋を出て行った。

(^ω^)
 その日の午後、病院の屋上に行ってみた。
外出が許可されない以上、この中で暇を潰すしかない。病気と違って体調が悪いわけでも無く、ケガで動けないわけでも無く、そして既にどこも痛くも無いわたしにとって一日24時間が暇で暇でしょうがなかった。
 屋上は高いフェンスに囲まれていた。その理由を考えて少し陰鬱とした気分になってしまったが、冬の澄んだ空に再び心が軽くなった。
いくつかの洗濯物が干してあったが映画なんかであるようにはためいたりはしていなかった。もっともそれはある意味幸運で、洗濯物がはためく程に風が吹いていたらきっと寒くてしょうがなかったに違い無い。
 わたしは設置してあった椅子に腰掛け、空や雲や町を眺めていた。
 ふと立ち上がり、フェンスに寄りかかって町を見ているとすぐ下の植え込みで内藤先生が周囲をきょろきょろと見回しているのが目に入った。
何をやっているんだろう? 先生は周りを気にするばかりで上を見る様子はまったく無かったのでわたしは堂々と先生を観察していた。
すると、周囲に誰もいない事を確認した先生は鞄から何かを取り出した。流石に遠くてそれが何だか分からなかったが、間もなく、内藤先生がこそこそを周囲を窺う理由とそれが何なのかが分かった。
答は猫だった。数匹の猫がどこからともなく現れ、先生の取り出した物に群がり始める。なるほど、鞄から取り出したあれは猫のエサだったらしい。
先生は初めはエサを食べる猫をただ見ているだけだったが、その内にエサを食べる猫に手を伸ばして引っかかれそうになり慌てて手を引っ込めたりしていて、それを見てわたしは思わずぷっと噴き出してしまった。
やがて猫達はエサを食べ終えるとそこらに寝っ転がり、エサをくれた褒美だと言わんばかりに内藤に自分を撫でさせた。
先生はしばらくもふもふもふもふと猫を撫でていたが、しばらくすると猫達はすっと立ち上がると何処かへと去って行き、内藤もそれを見送ると病院から出て行った。
 わたしは何だか微笑ましい気分で再び椅子に腰掛け、空を見上げる。
手を引っかかれそうになって慌てた先生を思い出し、そしてその時の先生の表情がありありと目に浮かび、再び笑ってしまった。
ふと、こんな風に一人で笑っているのを誰かに見られていたら恥ずかしいと思い、周囲を見回す。
だが、そこには誰もおらず、代わりに見つけたのは屋上の出入口ドアの上に作られた通風孔だった。何故それが目に付いたのかは分からない。ただ、妙に気を惹かれ、そしてどういう訳か、何かを隠すのにはぴったりの場所だな、と思った。

(^ω^)
「おはよう」
またも朝、目を覚ますと横には彼がいた。
「ぼくが誰だか――」
聞こうとする先生の言葉をわたしは目で制止する。
「ちょっと、センセー……?」
「何だお?」
眉をひそめる先生にわたしは聞く。
「馬鹿にしてるの?」
「――――いやいやいやいや!」
先生が必死で手を振る。
「一応、確認をと思って。うん、その様子ならもう平気だお」
そう言って先生はにっこりと笑った。
「――それと、もう一つ」
だけど、わたしはまだ不機嫌なままで先生に言う。
「わたしが寝てるの、ずっと見てたの?」
「うん……、まぁ……」
微笑んだまま先生はそう言った。
「それって何だかなー」
病院の先生とは言え、流石に寝起きをじっと見られるのは16歳の女子としてはあまり気分の良いものでは無いのだ。
そう言ったわたしの不機嫌な顔を見て、先生はようやく悟ったらしい。
「……あ。あぁ!」
それからぺこりと頭を下げて先生は言った。
「わかったお。今後はやらないお」
「よろしい」
ようやく、わたしは微笑む事が出来た。
「そういえば、忘れてたよ」
先生がわたしを見ながら言った。
「君と初めて出合った時にもそんな事を言われたっけ」
「え? 言ったっけ?」
そう聞き返すわたしに先生は何故か懐かしそうな顔で「うん。言ってたんだ」と微笑んだ。

「――ねぇ、センセー?」
「ん?」
わたしは自分の腕に刺さる針を見ながら先生に聞いた。
その日は注射だった。初日に採血と注射、昨日は採血、今日は注射。
わたしは嫌な予感がして先生に聞く。
「もしかしてこの注射とか採血、退院するまで毎日どっちかをやるの?」
「うん、注射と採血、それぞれ交互に毎日やるお」
「…………何とかならない?」
わたしは先生を見上げて聞く。注射が恐いとは言わないが、流石に毎日となると少しばかり嫌になる。
「えっと…………」
ごめん、と先生は謝った。
「まぁ、しょうがないか……」
わたしは溜め息をつく。階段から落ちたりするわたしが悪いのだ。
「でも、もし次があったら――」
先生がわたしをなだめる様に声をかけてきた。
「何とかしておくよ」
「次なんて無いですーっ!」
わたしは先生に舌を出して言い返す。
「そうそう階段から落ちてたまるもんですか」
すると先生が何故か寂しそうに微笑みながら。
「そうだね。ぼくもそう願っているよ」
その答にわたしは唖然とする。どれだけわたしはドジだと思われているのだ…………。

「――じゃあ、また明日」
鞄を閉じると内藤先生がわたしを見て言った。
「待って」
真剣な顔でそう言ったわたしに先生は首を傾げる。
「どうしたんだお?」
「センセー、この後は忙しい?」
更に真剣な顔でそう聞くわたしに先生はおずおずと答える。
「……いくつか用事があるけど」
そして、最も真剣な顔でわたしは先生の目をじっと見つめ、言った。
「そう。でも――――――秘密をバラされたくなかったら、わたしの言う事を聞きなさい」

(^ω^)
「秘密って何だお?」
無表情にそう聞き返す先生。
だが、その表情は作り物で先生は必死で無表情を装っているだけなのは見てすぐに分かった。
わたしはふふんと笑って、先生に言う。
「わたし、見たのよ。昨日――――」
「………………昨日?」
区切った言葉に先生の顔が強張る。
「病院の植え込みの裏で、猫にエサやってたでしょ」
わたしは先生を見つめ、わたしの握った秘密を伝えた。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
先生がものすごい安堵の溜め息をついた。
そのあまりの安堵の仕方に少し良心が痛むくらいだった。それにしたってここまでほっとするって…………。この人、もしかして裏では本当に悪い事でもしてるんだろうか?
「……まったく君は」
一転、笑顔すら浮かべ始めた先生にわたしは何だか子供扱いされたみたいに感じ、ちょっとむっとして言う。
「何をホッとしてるのよ? 猫に餌をやらないで下さい、って看板立ってたわよ? この事バレたらまずいんじゃない?」
「……う。ま、まぁたしかに」
その引きつった笑顔に勝利を確信したわたしは先生に命令を下した。
「だから、バラされたくなかったらわたしの言う事を――」
「話し相手でも欲しいのかお?」
「えっ――――?」
何の前触れも無くそんな事を言われ、わたしは驚き、言葉が止まる。そしてそんなわたしに先生がもう一度言った。
「だから、話相手が欲しいんでしょ? いいよ。もう少しいるお」
内藤先生はまるでわたしの心を見透かしたかのようにそう言った。
「な、何で分かったの?」
確かに、わたしは内藤先生に少しの間、話相手になってもらおうと思っていた。
「だって、君はいつも――」
「え?」
「な、何でもないお。とにかく、退屈ならぼくが相手になるお」
そして、確かにわたしは何か相談があったりしたわけでは無く、単に退屈を持て余していただけだった。
「そうよ、退屈なのよ。だって、テレビすら無いのよ? この病院、変だよ。それともそれが普通なの?」
わたしは開き直って頬をふくらませ、口を尖らせ、枕を抱きかかえる。
「テレビ? 何か観たい番組でもあるのかお?」
内藤先生がゆっくりした口調で聞いて来る。
「うーん、特に何か観たいって訳じゃないけど、他にする事も無いし。――――あ、そうだ一つだけ毎週観てたドラマがあったけど、それは昨日だったのよね」
先生の表情がぴくりと動いた。
「もしかしてそれって《火星府のミタ》かお?」
「そうそう! センセーも観てた?」
わたしは思わず、その話題に飛びつく。
《火星府のミタ》はテレビドラマで舞台は今から200年未来。火星に出来た日本の新しい領土、京都、大阪に続く日本国第三の府、火星府で働くアンドロイド、ミタの恋と冒険の物語だ。
このテレビドラマとは思えない荒唐無稽な設定、なのに内容は意外と普通の恋愛ドラマというギャップやその毎回の続きが気になる終わり方でわたしの中では今期ナンバーワンのドラマだった。
「今週、どうなったの?」
そう聞くわたしに先生が言った。
「録画してあるから明日、DVDで持ってくるお」
「ほんと!? うれしー!!」
抱えたまくらを絞め落とさんばかりに抱きかかえ、それからわたしは先生を上目遣いでちらりと見る。
「…………ねぇ、もう一つ頼んでもいい?」

(^ω^)
「いいお」
無防備な笑顔でそんな返事をしてくれた先生をわたしは思わずいじめたくなる。
「あら、内容聞かないでそんな返事して大丈夫?」
その言葉に先生の笑顔が固まる。
「ど、どんな命令が…………」
わたしはにっこり笑って言ってやった。
「嘘よ。――ただ、本を買って来て欲しいだけ。マンガなんだけど、《ファビュラス・アイリーン》の最新巻」
内藤先生がほっとした顔で言う。
「なんだ、いいお」
「わーい、やったぁ!」
わたしは手を上げて喜ぶ。…………それにしても、どれだけ壮大な要求をされると思っていたんだろうか。
「じゃあ、明日、DVDと一緒に持って来るお」
「うん、よろしく〜」
「でも……、そんなお願いは初めてだお」
「え…………?」
先生の呟きの意味が分からなかった。
「あ……、いや。何でもないお」
そう言ってごまかそうとする先生をわたしは見つめ続ける。すると根気負けした先生がその意味を語った。
「えーっと、つまり、色んな入院患者に色んなお願いをされるけど、マンガを買って来て欲しいっていうのは初めてだったって事だお」
「そうなの?」
聞き返すわたしに先生はおずおずと頷いた。
何でだろう? マンガを買って来てもらうって実は恥ずかしい事だったんだろうか?
でも、初めてだろうと恥ずかしかろうとこのマンガはとても面白くて早く最新巻を読みたかったのだ。わたしはその事を先生に伝える。
「でもセンセー、このマンガすっごく面白いのよ」
「どんな話なんだお?」
「これはねぇ――――――」
そうして、それをきっかけにわたし達はマンガの話を始め、それからさっきのドラマの話に戻りそこから広がって自分達の好きな映画や小説の話もした。

「――いいわよ、行きなさいよ。何か用事あるんでしょ?」
結構な時間、わたし達は話を続け、ふと、そわそわし始めた先生に気付き、わたしはそう言った。
「うん、でも――、まだ大丈夫だお」
そう言って笑顔を返す先生だったが、もう時間が無いのは明らかだった。
「いいわよ無理しないで。さっきから時計気にしてるじゃない」
「う、うん……」
「今日、世界が終わる訳じゃなし」
「――うん、そうだね」
そう言って先生は立ち上がり、鞄を持つ。
「――じゃあ、また明日」
ドアのところで振り返った先生がそう言い、
「うん、また明日」
とわたしは返事をした。

(^ω^)
 夢を見ていた。
わたしは冷たい床に倒れている。全身の力が入らず、わたしは指の一本も動かすことが出来ない。
少し離れた場所でみんながわたしを取り囲んでいた。誰も彼もが口を開け、騒いでいるのが分かった。でもそこは一切、音の無い無音の世界だった。
視界の端から赤色が広がり始める。わたしはそれが自分の血だと分かっていた。
でもわたしは何も出来ず、ただ床に倒れ、広がっていく血を眺めているだけだった。

 そしてわたしは声を上げて飛び起きる。
「――――あああああぁっ!」
飛び起きたわたしは全身にびっしょりと汗をかいていた。
肩で息をする。そこはじっとりと暑く、外では蝉が激しく鳴いていた。
――――――え?
わたしの頭は混乱する。
――今は夏なの? どうして? 冬じゃないの?
さっきまでの音が無かった世界とは違い、一匹、また一匹と蝉の声は増え続け、最後には世界は蝉の声で封じ込められてしまった。
「――――――――ッ!」
わたしは自分の声さえ聞こえない中で叫び声を上げ、そして――――

 飛び起きた。
「…………あ、あれ?」
全身にびっしょりと汗をかいていたが、窓の外は間違い無く冬の景色だった。
「夢…………?」
早鐘のように打つ心臓。
ぼんやりした頭でベッドの横を見る。だがそこには誰もいなかった。
世界に自分独りだけしかいないような、そんな心細さに見舞われた。
孤独感から逃げようと、ふとんを頭までかぶって目を閉じる。
だが、いつまで経っても孤独感は消えず、それどころか時間が経つにつれ不安は少しづつ増して来る。
 恐らくはもう、内藤先生がいつも来る時間はとっくに過ぎたはずだ。
それでも尚、わたしの部屋を訪れてくれる人は誰もいなかった。
廊下からも窓の外からも、何の物音も聞こえなかった。わたしはもはや体を動かす事すら恐くて、独り、ふとんの中でじっと孤独に耐えていた。
 それからどれくらいが経っただろう、静かにドアが開く音がした。
わたしは反射的にふとんを跳ね除け、飛び起きる。
「センセー!?」
「お、おはよう……」
わたしを見て驚く内藤先生がそこにいた。
ほっとした。さっきまでの不安がすうっと消えていくのが分かった。
そして今度はその反動で思わず先生に声を上げる。
「遅いじゃない! 何してたのよ!」
「……ご、ごめんだお」
先生は謝りながらわたしに近付き、いつものようにベッドの横の椅子に座った。
部屋が暖かい空気で満たされたような気がした。わたしはほっとしながら先生に聞いた。
「どうしたのよ? いつもよりずいぶんと遅かったじゃない」
改めて時計を見れば、いつもの時間を30分近くも過ぎていた。
先生は大げさに溜め息をついて言った。
「それが、自転車がパンクしちゃったんだお。まったく、まいったお……」
「あら、センセー、今日は自転車なの?」
意外な答にわたしは思わず素で聞き返した。
ちょっと寄り道してたから、と答える先生にわたしは呟くように言った。
「自転車、いいなぁ――――」
「自転車が好きなのかお?」
そんな何のひねりも無い質問をされて、わたしは言い返す。
「自転車がって言うか、わたしはふたり乗りがしたいのよ」
だが先生はわたしの答に更にひねりの無い答えを返した。
「ふたり乗りくらい、いつでもすればいいお。何だったら、ぼくとするかお?」
わたしは先生の目を見て、強く言った。
「駄目よ!」
わたしの言葉と視線に先生はしばらく目を泳がせ、それから聞き返してきた。
「………………何でだお?」
わたしはその情景を思い浮かべながら、先生に説明をした。
「自転車のふたり乗りはね、恋人同士の特権なのよ」
「そ、そうなのかお……」
「そうよ。それに……、あんたなんか乗せたら重くて漕ぐの大変じゃない」
「そ、そんなに重くは……って! ツンが漕ぐのかお!」
「ああ、いいなぁ。ふたり乗り」
実際、ふたり乗りは憧れだった。でも、そんな事をする予定は無く、その前段階として誰かと付き合ったりする予兆も無く、それどころか更にその前の段階である好きな人の一人もわたしには居なかった。…………哀しいけど。

(^ω^)
今日は採血のターン。そしてそれが終わると内藤先生が鞄からポータブルDVDプレイヤーを取り出した。
「――ツン、これ、昨日の約束のドラマ」
「わーい」
わたしがそれを受け取ると先生は聞いてもいないのに言い訳をしてきた。
「これを取りに行って、途中でパンクして遅れたんだお」
「そうなの? じゃあ、許してあげる」
実際に、怒っていた訳でも無いし、ましてや許すとか許さないとかいう話でもないのだが、先生といると何となくこんな会話になってしまう。
そして、わたしは何だかはしゃいでしまって先生に聞いてみた。
「ねぇ、ちょっと一緒に観ていかない? 忙しい?」
「いいお、大丈夫だお」
内藤先生はそう言って、いつものようににっこりと笑った。

「――――あれ?」
ドラマの途中で警報音と共に表示された地震のテロップを見て、わたしは先生に聞いた。
「これ、おととい録画したのよねぇ?」
「そうだお」
「おととい、地震なんてあった?」
画面に表示された地震のあった地域にこの病院が入っていた。
わたしの質問に先生は笑って答える。
「――あったお」
「ほんと? 全然、気付かなかったけど」
「きっとツンはもう寝てたんだお」
そんな事は無かった。その時間は起きていたし、震度も大きかったみたいだから気がつかないとは思えない。
「う〜ん…………」
訝るわたしに先生が言う。
「ツンは鈍感だなぁ」
そうして、先生はわたしを見ながら笑う。だけど、その時の先生は何だかいつもとは違う人みたいだった。
「ふん、だ。どうせわたしは階段から落ちる、にぶちんのどんかんですよーだ」
まぁ、地震なんて結構な震度でも立ってたりすれば気付かなかったりするし、それなのかも知れない。
そう納得して、わたしの興味は地震から再度ドラマへと戻って行った。
 そうしてわたしが登場人物に文句を言ったり、それをかばう内藤先生に文句を言ったして、そこから広がってわたし達は色々な話をした。
その時には先生はもういつもの先生だった。笑って、謝って、しょんぼりする。
内藤先生と話しをするのは楽しかった。
実際、大した事を話していた訳じゃない。それどころか大した事じゃ無い事しか話していない。だけど、先生と話しているとその空気がやさしくて心地よかった。

「――じゃあ、そろそろぼくは行くお」
時計を見て先生は立ち上がる。そして、一旦わたしに背を向けると、またくるりと振り返った。
「そうだ、渡し忘れてたお、これ」
そう言って、先生は鞄からわたしが頼んだマンガを取り出した。
「わぁ、ありがとう!」
わたしは本を受け取り、胸に抱える。
「じゃあ」
そう言って、再びドアに向う先生の背中に呼びかけ、わたしは先生を止める。
「――ねぇ、センセ」
「何だお?」
「明日は、遅れないでね」
「わかったお」
先生はいつもの様に笑い、またドアに向う。
「――センセ」
わたしはもう一度、先生を呼び止める。
「ん?」
「また明日ね」
「うん。また明日」
わたしはドアが閉まるのを笑顔で見届けた。

「――さて」
ドアが閉まるとわたしは小さく溜め息をついた。
どうして溜め息なのかといえば、この後が少し憂鬱で、どうして憂鬱なのかといえば、今日はまた荒巻先生のところに行かなければならない日だからだ。
「――それじゃあ、行きますか」
わたしは自分に言い聞かせるようにそう呟き、病室を出た。

(^ω^)
 前回と同じく写真を見たまま何も言わない荒巻先生。溜め息ひとつ付きはしない。いや、つかれても困るんだけど。
そして、そんな空気で前回の腹立たしさを思い出してしまい、わたしの中には何だか反抗心が芽生えてきた。
「内藤君は何か言ってたかね?」
しばらくして新巻先生がぼそっとそう言った。
何の前触れもなく聞かれたわたしは少し混乱する。
「内藤君?」
「君の担当でいるだろう? 丸いのが」
「――ああ、なんだ内藤先生の事か」
わたしの呟きに反応し、荒巻先生は内藤先生に関する話を始めた。
「先生? そうか、君はそう呼んでいるのか。ま、わたしは昔も今も彼の事を内藤君と呼んでいるがな」
荒巻先生が妙な物言いをする。
「――彼はわたしの教え子でね」
わたしの戸惑いに気付いたらしく荒巻先生はそう言った。
「へぇ、そう――――」
軽い驚きで思わず笑顔になりそうになるが、わたしはここではっと反抗するんだったと思い出し、ぶっきらぼうに答える。
「へー、そうなんですか」
「そうして、彼が学校を卒業した後はこの病院で私の下で働く事になったわけだ」
だが、荒巻先生はそんなわたしに構わず話を続ける。
「へー、そうなんですか」
「まぁ、彼は医者としては十人並みだったな」
「へー、そうなんですか」
「でも、新しく始めた研究は合ってたようで、その方面に関しては結構な才能を発揮しているよ」
「へー、そうなんですか」
わたしは答えながら思う。これは世間話というやつなんだろうか?
「だからまぁ、医者を辞めてそっちの研究所に行ったのは、彼にとっては良い選択だったな」
「へー、そうな…………えええっ!?」
突然の事実に、わたしは反抗も何も忘れて聞き返す。
「どういう事ですか!?」
「内藤君はここのドクターでは無い。ある研究所の研究員なんだよ。君の治療の件で私が呼んだんだ」
「そう――、だったんですか……」
わたしは絶句する。
何だか、ちょっと騙されていたような気分になっていた。
荒巻先生はわたしのそんな感情を見抜いたのかもしれない。めずらしくわたしを正面から見てこんな事を言った。
「でも――――、彼は誠実な男だよ。信頼していい」
そして付け足す。
「それに、彼は諦めるという事を知らない男だ。きっと今回も君の為に全力を尽くすよ」
毎回、内藤先生は患者のためには全力を尽くしているという事だろうか? でも、あのふにゃふにゃした態度からはそんな事はあまり想像出来なかった。
「…………………………………………」
わたしは黙ったまま眉間にしわを寄せて先生を見つめ返す。
「じゃあ、次は三日後に」
だが、荒巻先生はそんなわたしを放っておいてくるりと椅子を回し、背を向けるとそれきり何も言わなくなってしまった。

(^ω^)
「わたし、ずっと騙されてた――」
翌日、やってきた内藤先生にわたしはそう言った。
「な、ななな、何のことだお?」
注射の道具を片付けながら、先生は想像以上に慌てながらわたしに聞き返す。
「センセ―、この病院に勤めてるんじゃないんだね」
わたしがそう言うと先生は少しほっとした顔になった。
「何だその事かお。うん、違うお」
「よく外出すると思っていたけれど、逆にこの病院に来る事が先生にとっての外出だったのね」
「うん、ぼくはある研究所に所属してて、そこからここに来てるんだお」
そう言って、先生はにっこり笑いわたしを見る。
「ある、って何よ? もったいつけて。一体何やってるところなの?」
「日々、色々なものを研究して造ったり、発明したりしてるお」
「具体的には?」
「秘密だお」
そう言って、先生はにこにことわたしを見る。
「ふ〜ん、そう。じゃあ、いいわ」
わたしはわざとそこで話を終えた。
「……………………」
「………………………………」
沈黙。
そして、しばらく時間を置いてから先生に言った。
「へへー、『秘密』とか言えば、わたしが気になって聞き返すと思ったんでしょ? 残念でしたー、もう聞いてあげないわよ」
「……分かってるお。君は何度会ってもそこに興味は持たないから」
内藤先生はそんな変な事を言った。自分に興味を持ってもらえなくてがっかりしてるんだろうか。
「――あ、それよりも!」
わたしは最初に言った先生の言葉を思い出し、問い詰める。
「『その事か』って何よ? 何か他にもわたしを騙してる事があるの!?」
「ととと、とんでもない!」
先生は手をものすごい勢いで振りながら否定する。
「…………本当に?」
わたしは先生に顔を寄せ、睨む。
「本当です…………」
先生は顔を引いてわたしとの距離を取る。
「そうだ! って言うか、思い出した!」
至近距離でのわたしの突然の叫びに先生は椅子から落ちそうになる。
「こ、今度は何だお?」
「先生、《先生》ですらなかったんじゃない!」
「――――?」
わたしの言葉に先生は首を傾げ、わたしを見つめる。
「だから、先生、医者じゃないんでしょ?」
わたしがそう言うと先生は頷いた。
「……うん、まぁ」
「研究者、なんですってね」
「うん、そうだお! いつか凄い成果を残して歴史に名を残すお! もしかしたら今のこの研究で――」
意気揚揚と話し始める先生をわたしは制止する。
「だから!」
「ん?」
「先生、《先生》じゃないじゃない」
「……そう、……かも」
おずおずとそう言う先生にわたしは泣きまねをしながら言った。
「ひどいっ…………! ずっと騙してたなんて…………」
「だ、騙してなんて無いお」
先生が咄嗟に言い訳をする。
「ツンが勝手に勘違いしたんだお。ぼくはここの医者だ、なんて一言も……」
「あー、騙してた上に人のせいにするんだー」
わたしは先生をジト目で見つめる。
「そ、それは…………」
「いいわ。じゃあもう先生なんて呼んであげないから。もうあんたなんか呼び捨てよ、内藤よ、内藤!」
「あうあう……」
先生は口をぱくぱくさせながらももう何も言えないでいた。

(^ω^)
「そう言えば、内藤」
そう呼びかけてわたしは驚いた。まるで以前からそう呼んでいたかのように、しっくりときた。
「なんだお?」
返事を返す先生もとても自然で、それどころか少し嬉しそうにすら見えたのは流石にわたしの気のせいだろうか?
「昨日、買って来てもらった本なんだけど」
「うん?」
わたしは本を取り出し、最後のページをめくる。
「見て見て、ここ〜」
わたしは開いたそのページを先生に見せる。
そのページは本の発行年月日が書かれているところで、そしてそこに書かれている発行年月日は今から三年も先の日付になっていた。
「珍しいよねー、こんな印刷ミス」
わたしは笑いながら言う。
「内藤もしかして未来に買いに行ったの〜?」
「おー、本当だ。珍しい間違いだお」
そう言って笑う内藤を見て、少し驚いた。
「ちょっと、どうしたのよ? 内藤」
「何が?」
返事をする内藤の笑顔はまったく笑っておらず、むしろ引きつっていた。
「いや、何をそんなに焦ってるのよ……?」
「べ、別に焦ってなんか――」
その時、内藤の携帯が鳴った。
内藤はその音に救われたかのようにほっとした表情になると、ちょっとごめんと謝りながら病室を出て行った。
――何をあんなに焦っていたんだろう? わたしは内藤の出て行った廊下の方を見ていた。
「もしもし? どうしたんだお?」
部屋の外から内藤の声が聞こえる。
「そう、    やっぱりベータ因子が――、  ダメだ。まだ、分からない――   うん、時間が――」
途切れ途切れに聞こえる内藤の声は真剣で、わたしはあんな内藤でもやっぱり真面目な時もあるんだ、などと思いながら手に持った本を再びぱらぱらと読み返し始めた。
「だけどそれじゃあ、今までと同じ事の繰り返しになっちゃうんだお!」
突然、内藤の声が大きく響き、わたしは驚いてドアを見る。
スリガラスから見える内藤の影が周りをきょろきょろと見回し、ぺこぺこと頭を下げていた。
その後、またぼそぼそと声が聞こえ、それから少しして内藤が再び病室に入って来た。

(^ω^)
「どうしたのよ? めずらしく大きな声だしたりして」
部屋に入って来た内藤にそう聞くと内藤は「何でもないお」と何でも無くなさそうな顔で答えた。
「えーっと、何の話をしてたんだっけ?」
そして、わたしに無理やり笑いかけ、そう聞いてきた。
「だから、この発行年月日が――」
わたしが答えようとすると内藤は今度は目を見開き、唐突に別な質問をしてきた。
「そ、それにしても! ――――この作者っていつまで経っても変わらないお! い、今いったい何歳なんだお!?」
その勢いに圧倒され、わたしは自分の話を中断し、考える。
「え、えーっと確か――」
内藤が言った通り、そのマンガ家はデビュー当時から老けないどころか逆に若返ってるとの話もある程に見た目が変わらなかった。一説では吸血鬼なのでは無いかとか特殊な呼吸法をマスターしているために年をとらないのだ等と言われている。
そうして、そのマンガ家のそんな噂話や他のマンガ家の年齢の話をする中でわたしはふと気になり内藤に聞いてみた。
「ところで内藤は良く言えば若く見えるけど、いくつなの?」
「……良く言えば?」
「うん」
内藤が首を傾げて聞いて来る。
「良く言わないと何だお?」
「…………子供っぽい」
「こ、子供……」
内藤ががっくりと頭を垂れる。
「それで? いくつなの?」
わたしの再度の質問に内藤は頭を上げると、胸を張って答えた。
「ぼくは26歳だお」
ちょうど10歳違いか。しかしそんなに年上にはどうしても見えない。
そして、ふと聞いてみる。
「何どし?」
「……え?」
「干支よ、干支。何年?」
内藤はにっこり笑って答える。
「卯年だお」
「ふーん」
わたしは頭の中で干支を数える。ねーうしとらうー……、あれ?
「……何か、おかしくない?」
「え?」
「だって、10年差なのにどうして?」
日記に表を書いてみる。
「ちょっと内藤……」
わたしは日記帳をぱたんと閉じ、内藤を見つめた。
「は、はい?」
何を言われるのかと怯える内藤にわたしは言う。
「あんた、本当は23歳でしょ」
そんなわたしの言葉を聞いて、内藤は不思議そうに聞いて来る。
「――――そんな事ないお?」
「ダメダメ。ツンさんは全てお見通しよ」
わたしは指を振りながら内藤に言う。
「大体の人が年齢で嘘ついても、それに合わせた干支って言えないのよねー」
「え? え?」
内藤はまだ分からないようで大きく開いた目を泳がせながらわたしを見つめる。
「だから、今年26歳の人は卯年じゃないのよ。今年26なら干支は鼠年。そして逆に卯年の人は今年は23歳」
わたしは日記帳に書いた年齢と干支の表を内藤に見せながら言った。
「――――あ」
ようやく理解した内藤は更に大きく目を見開いた後、一転、今度はきょろきょろと落ち着きの無い目で言う。
「ま、間違えたお……」
「間違えたぁ? 普通、間違えないわよそんな事」
そこまで言ってわたしはふと気付いた。
「――あ、分かった」
わたしはにやりと笑って内藤に言ってやる。
「子供っぽいとか言われたから誤魔化そうと思ったんでしょ」
「こ、こんな事、聞かれたの初めてだから……」
内藤はそんな言い訳をしてわたしから目を逸らした。
わたしはすっかり呆れて、やれやれと肩をすくめる。
「まったく、その発想自体が子供っぽいわよ」
「ふ、ふひひ……」
内藤が苦笑いをした。

(^ω^)
「――――――おかしい」
その夜、ふと今日の内藤の不審な行動を思い出し、わたしは独り、天井にむかって呟いた。
「なんだったんだろう、あれ?」
本の発行年月日の話をした時のあの引きつった笑顔。
あの笑っていない笑顔、あれは以前にも見た事があった。
「…………そうだ」
わたしは思い出した。あれはDVDに地震のテロップが入っていた時だった。
普段の内藤からは想像も出来ない、凍った表情。
 DVDの時、内藤はわたしの質問にあの表情で押し切り、本の発行年月日の時には誤魔化そうとした。
そして、その事に気付いた時、その両者に共通するものをわたしは直感した。
「――そっか、内藤は嘘をついたんだ」
そうして、一度疑いを持って考えてみると、内藤の行動への違和感と疑問が次から次へと噴出して来た。
 まず治療からしておかしいのではないだろうか。
治療って言ったって毎日採血と注射を繰り返すだけでケガの患部を見ようとした事なんて一度も無い。
ケガでそんな治療の仕方なんて聞いた事も無いし、そもそも毎日来るのだっておかしい気がする。
 日記帳の事も気になった。
内藤はわたしが日記帳を欲しがるのをまるで知っていたかのように問いかけ、そして買って来た日記帳はありえない位にわたしの好みにぴったりの物だった。
 会話がおかしい事も多々あった。まるで会ったのが初めてじゃ無いような事を言ったり、わたしの行動を知っていたような言ってみたり。
そして例の表情を作った、DVDと本の印刷の問題。
何よりも怪しいのは内藤は自分の干支を間違えた事。でも、年齢を指摘した時のあの反応は嘘をついていた感じでは無かった。ついうっかり、と言った感じだった。
「――――もしかして」
 ふと、ある仮説が答としてわたしの頭に浮かんだ。
あまりにもありえなく、馬鹿馬鹿しい仮説だったが、その仮説を使うと、数々の疑問がぴたりとそれにあてはまる。新たな疑問が沸き起こっても、その全てがそこへと帰依する。
 内藤は「ある研究所」で働いていると言っていた。そこで何かを造ったり、発明したりしていると。
だとすれば、そこで研究され造られている物。それはわたしの予想したものなのではないか。
「――多分、そういう事なんだ」
その頃にはもうわたしは確信していた。だが、それでもそれはただの仮説に過ぎず、証明する手立ては無い。だが、それが真実なのか確認きっかけを作る方法をわたしは思いついていた。
その方法とは《わたしが普通なら絶対にしない行動をする事》。それをすれば内藤は戸惑い、対処が出来ず、ボロを出すはずだ。
「――――確かめてみるしかないわね」
わたしは天井に向って呟き、明日の為に目を閉じた。

(^ω^)
「ジャジャーン!」
翌日、病室に現れた内藤がそんな効果音を口にしながらわたしに見せたのはハーゲンダッツのアイスクリームだった。
「ツンが食べたいんじゃないかと思って買って来たお。採血する前に食べようお」
驚いた。確かに、わたしは今、アイスが食べたいと漠然とだが思っていた。
――――そして確信した。昨日、わたしが立てた仮説は間違っていなかった、と。
となれば、わたしがやる事はただ一つ。
真実を知るため、わたしは《わたしが普通なら絶対にしない行動》を起こした。
「はい、ツンはこっち。そしてぼくはこっちを食べるお」
「――わたし、そっちがいい」
わたしは内藤が差し出すアイスを越え、彼が手に持つアイスを指差し、そう言った。
「えっ……?」
内藤が驚く。
「で、でもストロベリーはあんまり好きじゃ無いんじゃないのかお?」
その通りだった。だが、わたしはそんな事を内藤に話したことは無い。それでも、彼はそれを知っていた。
「そっちでいいの!」
そう言い切り、わたしは内藤からアイスを奪うように受け取り、黙って食べ始めた。
あまり好きな味では無かったがそんな事は気にならなかった。いや、そもそも味なんて分からなかった。わたしはアイスを口に運びながら黙々と考えていた。
――昨日の仮説はやはり正しかった。
だけど、そうだとしてもわたしには内藤が何故そうしたのか、その理由までは分からなかった。
内藤に聞いてもきっと教えてはくれないだろう。
だったら、わたしが突き止めたこの真実を直接内藤にぶつけてみよう。遠回しに聞いたりせず、内藤が油断している隙に一気に確信を突く。そうすれば、きっと何らかの反応が得られるはずだ。
「――――内藤」
「ん?」
わたしは食べ終えたアイスのカップに蓋をすると、こっちを見て笑う内藤をじっと見つめて言った。
「わたし、全部分かっちゃったんだけど……」
内藤の笑顔が消える。
「――な、何の事だお?」
「あんたが何者なのか、そして今、わたしがいるこの世界の真実が」
その言葉で内藤はわたしが真相に辿り着いた事を知ったらしい、ぽつりと観念したように呟いた。
「そうか――、前回の最後、君の様子が少し変だとは思っていたけれど」
わたしから視線を逸らし、目を伏せる内藤を見ながら、わたしはその真実を告げた。
「あんた、――――――未来から来たんでしょ」

(^ω^)
「あんた、――未来から来たんでしょ」
わたしの言葉に静寂が波紋の様に部屋に広がる。

「あんたは3年先の未来から来た。そして、その移動は一回や二回じゃないはず。あんたはこの時間をあんたは何度も経験しているのね」
「――――――――」
内藤は黙ってわたしを見つめていた。
「まずおかしかったのは日記帳よ――」
わたしは自分の仮説に到った理由を内藤に説明した。
「あんたはわたしが日記帳を欲しがるのを知っていたかのように問いかけ、そして買って来た日記帳はわたしの好みにぴったりの物だった。
きっと、あんたが経験した何回かのこの時間でわたしが日記帳を欲しがったのね。そして、それがどんな日記帳なのかもあんたは知っていた。
会話がおかしい事も多々あったわ。まるで初めて会ったのでは無いような事を言ったり、わたしの行動を知っていたような言ってみたり、わたしがあんたに言って無い事まで知ってたり――、さっきのアイスもそうよ。
 そして、あんたが持って来たDVDと本。あれは一体どこから持って来たの?
DVDに入っていた地震のテロップ。でもあの日、絶対に地震なんて起きてない。
じゃあ、あのテロップはどうして入ったのか。あれは今この時間とは別な《地震があった》時間世界で録画されたDVDなのよ。
そうね、元々はあの日、地震が起きたのかも知れない。でも、今、この時間の世界ではタイムスリップしたあんたが何かをして歴史が変わり、地震が起きなかったのよ。
それに、本。あれはきっと単純なミスだったのね。あんたが言った様に、わたしが本を買って来てと頼んだのは今までに無く、初めてで、そしてあんたは、わたしがあんなところまで確認するとは思わなかったんでしょ。
――そう。本もDVDも、あんたは自分のいた未来の世界から持って来たのよ。
わたしが何気なく言った言葉『内藤もしかして未来に買いに行ったの?』あれは図らずも真実だったのね。
 そして、あんたのしたミスの中で一番大きかったのは年齢と干支ね。
あの反応は嘘をついていた感じでは無かった。だから、本当の年齢を言っちゃったのはいいけれど、今、この時間でその年齢になる干支までは合わせられなかった。
 最初の頃にわたしに何度も自分を覚えているか確認したのは、わたしがあんたを知らない時間世界に移動していないかの確認だったんじゃない?
それからわたしが見たあの夏の夢。あれはあんたが改変した今と違う時間世界のわたしの微かな記憶なんじゃない?」
ここまで言っても内藤は何も言わなかった。わたしは話を続ける。
「自分でも最初、こんな仮説はバカみたいだと思ったわ。でもわたしが自分の仮説を確信したのはさっきのアイスよ。
わたしがアイスを食べたいと思っていたらあんたがアイスを買って来た。これも、あんたが経験した他の時間世界でわたしが欲しがったのね。
だから、わたしはわざと普段なら選ばない方を選んであんたの反応を見た。きっと過去に経験した事の無いことであんたが慌てるんじゃないかと思って。
結果は予想通り。あんたは狼狽して、わたしがあんたに言った事の無いことを言った。それも別な時間世界で知ったんでしょ?」
そこまで言って、わたしは小さく息を吐く。わたしが話を止めると部屋は空調が出す微かな音だけが聞こえた。
「あんたは未来の世界から来たタイムトラベラーで、そしてタイムトラベラーが過去にやって来る理由はいつだって一つ、世界が滅びるのを防ぐ為よ。
だけど、あんたが世界が滅びるのを止める為にこの時間に来ているとして、どうしても分からないのは、こうして毎日わたしの所に来る理由。それは何?」
そして、内藤を真っ直ぐに見つめ、わたしは聞いた。
「教えて内藤、――――世界の破滅にわたしが関係しているの?」

(^ω^)
 静寂で満たされた部屋に小さな音が聞こえた。
「――ぷっ」
それに続いて
「ぶははははははははははっ!」
内藤が笑い出した。それも文字通りお腹を抱えての大笑いだった。そして、笑いながらわたしを見る。
「み、未来から来たって――。そ、その答えはさすがに予想外だお。くくくくく」
目に涙を浮かべ、笑い続ける内藤。
「ふ、腹筋が崩壊するお――――――、くくくく、あーはっはははは!」
そのあまりの笑いっぷりに、わたしは自分の考えがまったくの的外れだった事を知った。
「――――ッ!」
ものすごい勢いで顔が熱くなった。恥ずかしさで頭がくらくらした。
「タ、タイムトラベラー……、くくくくくくくっ」
内藤は尚も笑い続け、わたしから目を逸らす。
「ちょっ――――!」
思わずわたしは内藤に怒鳴る。
「ちょっと! いい加減に笑うの止めなさいよ!」
だが、わたしの言葉に内藤は声は出さずに押さえていたが、呼吸困難になりそうなほどに激しく肩を揺らし続けた。
「ぷくくくく、ひぃ〜」
そんな声を漏らしながら背中を丸めて笑い続ける内藤に、わたしは恥ずかしさを怒りにみせて誤魔化した。
「ちょ、ちょっと! ほら! いつまでも笑ってないでさっさと採血しなさいよ!」
そうして腕を突き出したものの、実際に内藤が笑い止むまではそれから結構な時間を要した。
やがて、内藤も笑い止み、採血を始めたが、採血をしている間、わたしは恥ずかしさで内藤と目を合わせられずに窓から外を眺めていた。
外を見ながら、わたしは自分の仮説が間違っていた事にほっとし、そしてどういう訳だか心があったかかった。

(^ω^)
 内藤がまた猫にエサと引き換えに撫でさせてもらっていた。
「またやってる――」
屋上からその光景を眺めながらふと自分が笑顔になっているのに気がついた。
「…………不覚」
そう呟き、わたしは表情を取り繕ってから考える。
――もしかして、わたしは内藤が好きなのだろうか?
たったの6日で? ――無い無い。
それに、内藤を好きになるようなきっかけが何も思い浮かばないじゃない。
いつでもそばにいてくれたから? ――それって単なる刷り込みなんじゃないの?
考えても納得出来る答は見つからなかった。
でも――、この気持ちはどう説明すればいいんだろうか。
内藤といると楽しいし、何よりもほっとした。
わたしは自分の気持ちが分からず、空を見上げて大きく息を吐いた。

(^ω^)
 翌日、目が覚めると内藤がじっとわたしを見ていた。
「ちょっとぉ……」
わたしは顔を半分ふとんで隠しながら内藤に文句を言う。
「この前、もう、それしないって言ったじゃない」
怒ってはいるのだが、実はふとんの下では少し笑っていた。
「ごめんだお」
謝る内藤は少し困った顔で笑いながら言った。
「でもしょうがないお。だってもう昼だし」
「――え?」
わたしは驚いて飛び起き、時計を見た。
確かに時刻はもう昼になっていた。
「……何だか、やたらと眠いのよね」
言い訳では無く、本当に昨日から、眠くてしょうがなかった。もう病院ですることが無いというのもあるが、気持ちを張っていないと身体が休みを欲しているかのように眠ってしまう。そして、起きてからもしばらくとても身体が重かった。
「怠け癖がついちゃったかなぁ」
笑いながらそう言ったのに、内藤は寂しそうな表情でわたしを見ていた。
「――どうしたのよ?」
「何でも無いお」
そんな内藤にわたしはにやりと笑って言ってみた。
「分かった。わたしと話せる時間が減って寂しいんでしょ?」
「――――うん」
内藤は頷いてそう返事をした。
予想外の返事に顔が熱くなる。
「なっなっなっ……」
何を言うのよ、そう言いたいのに言葉が出て来ない。
それなのに当の内藤はしれっと「どうかしたのかお?」なんて聞いて来る。
「――――知らないっ、馬鹿」
結局、熱いままの頬を膨らませてそう言い、にやける口元を隠すためにふとんを引っ張り上げた。

「――え? じゃあ、もう来ないの?」
その後、内藤にもう採血や注射は今日で終わりだと言われた時、わたしは喜ぶよりも先に咄嗟にそう聞き返した。
そして、それは自分でも分かるくらいに弱気な声だった。
「ううん。ツンが退院するまでは来るお」
それを聞いて、ほっとした直後にわたしはある事に気付いた。
もうすぐ、わたしは退院する。そして、退院してしまったらわたしは内藤に会え無くなってしまう。
「――ツン?」
内藤の呼びかけにはっとする。
「どうかしたのかお?」
わたしは自分の弱気を悟られないように内藤に言ってやる。
「えー、毎日来るのぉ?」
それを聞いた内藤はあうんの呼吸でわたしに聞き返す。
「来てもいいですか?」
わたしは薄く笑って内藤を見下ろしながら言う。
「まぁ、いいわよ。ただし、お土産を持ってね」
「ありがとうございます」
内藤はそう言って深々と頭を下げた。

「じゃあ、またね」
「――ねぇ」
その日、そう言って帰ろうとする内藤にわたしは聞いた。
「すぐに帰るの?」
内藤はわたしに振り返り答える。
「今日はちょっと、病院内で用事を片付けてから帰るお」
「どれくらいかかる?」
「30分ぐらいかな」
「そう」
「何かあるのかお?」
「ううん、べつに」
わたしはにっこり笑って手を振る。
「じゃあ、また明日ね」
内藤も手を振り返す。
「うん、また明日」

(^ω^)
 診察室に時計の音だけが響く。
その日も荒巻先生は相変わらずで三つばかり質問をした以外はずっと写真を見続けていた。
そんな中、わたしは度々、時計を確認していた。すると、荒巻先生が不意に聞いて来た。
「そんなに時計を気にして、何か用事でも?」
「――え? な、何で?」
背を向けたままでわたしの行動に気付いた事に驚き、返事を返す事すら忘れる。
だが、よく見れば先生の机の奥に小さい鏡が置かれていた。
――やられた。先生は今までずっとこれでわたしを見ていたのだろうか?
「……先生、趣味悪い」
わたしは呟くようにそう言った。
でもそこに怒りや呆れは無かった。明日になったらこの事を内藤に話してやろうと思っていた。内藤は昔、荒巻先生と一緒にいたらしいから、もしかしたら内藤も「ぼくもやられたお」なんて言うかもしれない。
荒巻先生はわたしの言葉には何の答も返さず、代わりに椅子を回してこっちを見ると言った。
「それに、ずいぶんと楽しそうだ」
その言葉にわたしは気付かされる。
他人にも分かってしまうくらい、内藤の事を考えているわたしは浮かれているのだ、と。

 用事があるのか等と聞いたわりには荒巻先生の診察は長く、終わったのは30分を少し過ぎた後だった。
わたしは早足で病院内を移動し、屋上へと向った。
屋上の扉を開け、わたしは飛び降りんばかりの勢いでフェンスへと駆け寄る。
そこにはちょうど猫にエサをやり終え、立ち上がった内藤がいた。
また引っかかれそうになったりしたんだろうか? そんな事を考えながら内藤を目で追う。
すると内藤は出口へ向う途中で女性の看護師と立ち話を始めた。二人は親しげな感じで女性は内藤の肩を叩いたりする。
そんな様子を見てわたしは肩を叩いた女性では無く、叩かれた内藤に怒りが向く。何でそんな人に叩かせたりするのよ、と。
更に内藤は向っていた出口に背を向け、女性の荷物を持って病院に戻って来る。
「何よ、あんな逞しそうな女なんだから手伝わなくたって大丈夫そうじゃない」
そんな呟きが知らず、口から出て来る。
戻って来る内藤を目で追っていたが、やがて屋上からの死角に入ってしまい、その姿は見えなくなってしまった。
「…………」
わたしは遠くの景色に目を移す。
冬の澄んだ空気に風景はどこまでもくっきりと見渡せた。少しだけ傾いた白い太陽が雲間から見えた。
ここから海は遠いんだろうか? ふとそう思い、冬の海を想像した。今ならきっと波がきらきらと太陽を反射してとても綺麗だろう。そう言えば、誰かと海に行く約束をしていたような気がする。あれは誰とだっけ?
そんな事を考えている間に内藤が再び出口を目指して歩いているのが眼下に映った。
内藤はわたしが屋上から見ている事なんかに気付きもせずに、病院のゲートから出て行き、やがてその姿は見えなくなった。
わたしは内藤の消えて行った雑踏を見ながら考えていた。
――――やっぱり、わたしは内藤のことが好きなのかもしれない。
でも、そう認めようとした直後、わたしはやっぱりそんな事は無いと自分にブレーキをかけていた。
理由は分からない。でも、どこかでその事を認めるのを怖がっている自分がいるような気がした。
何故だろう? 内藤を好きになった明確な理由が見つからないからだろうか?
でも、何時の間にか何時からか、人を好きになってしまうという事だってあると思う。
それとも、もうすぐ退院してしまうから?
でも、本当に逢いたかったら、それがどんなに遠かろうとまた逢いに来ればいいじゃないか。
 しばらくわたしは認めようとする自分とそれを怖がり、ブレーキをかける自分との間で葛藤していた。
「――よし」
わたしは声に出して自分を勇気付けた。
とりあえず、焦って結論を出すのはやめよう。確かに、わたしが本当に内藤を好きなのかどうかはまだ分からない。
でも――――、まずは一歩、前に踏み出してみよう。
そう決心し、わたしは思いつく。そうだ内藤と自転車に乗ろう、と。
内藤と二人乗りをして、その時、特別な何かを感じたら、それはきっと恋に違いない。
明日、内藤は自転車で来るだろうか? 乗って来なかったら取りに帰ってもらおう。
勝手にそんな事を決めながら、わたしは明日が来るのが楽しみになっていた。
そこから先に、希望に満ちた未来があるような気がした。
 何だか、いてもたってもいられず、わたしはきょろきょろと周囲を見回す。
その時、わたしの視界に以前見つけたドアの上の通風孔が入ってきた。そしてわたしはやっぱりそこには何かが隠されているような気がしてしょうがなかった。
「…………よしっ!」
気持ちが高揚していたわたしは屋上に置かれていた椅子をわざわざドアの下まで運ぶと、その上に立ち、通風孔の中を覗きこんだ。
真っ暗な穴の奥に白っぽい、本の様な物があるのが見えた。
「何だろう?」
わたしは今度は屋上中をそこに届きそうな棒を求めて歩き回り、見つけた金属の棒を手に再び通風孔に挑む。
そうして、悪戦苦闘の末ようやく引っ張り出す事が出来たそれは、何故か薄汚れた、わたしの日記帳だった。

(^ω^)
『こんにちは、わたし』
日記帳をめくった最初のページ、いつもわたしが空白にしておくページに、そう記されていた。
その下に続けて書かれていた文章。
『この日記帳を見つけたのはきっとわたしよね。だって、わたし以外の誰もこんな通風孔、気にしないもんね』
その字は間違い無くわたしの字だった。けれど――――、わたしは自分の日記帳にこんな事は書いていない。
記述は更に続く。
『そして、見つけちゃったのね。まぁ、見つけちゃった以上しょうがないよね』
そして、ページの一番下、そこにはこう書かれていた。
『これが、わたしが見つけた真実です』

 どういう事なのか、この日記帳は何のか。わたしは訳が分からないままに日記を読み始める。
日記は半年前の夏、八月の日付で始まっていた。早る鼓動に合わせ、わたしはページを捲っていく。
わたしが日記を読み進めるうちに知ったのは、自分には希望も、そして未来そのものさえも無いのだという事実だった。

 全てを読み終えたわたしは屋上のドアのガラスを鏡代わりに自分の頭に巻かれた包帯をほどいた。
そこには一週間前にしたばかりの怪我は無かった。
いや、その傷跡らしきものは微かにあった。だがそれは、――――完全に治癒していた。

(^ω^)
 翌日、わたしはやって来た内藤に見つけた日記帳を突き出し、聞いた。
「――――ここに書いてある事は本当なの?」
内藤は日記帳に目を走らせ、そしてわたしを見る。
「……………………」
「答えて! 本当なの!?」
無言のままの内藤にわたしは詰め寄り、そして、もう嘘は通じないと悟ったのだろう。内藤は小さく息を吐き、答えた。
「本当だお……」
わたしは彼を見つめ、改めて問うた。

「ねぇ内藤、あれから、――――わたしが階段から落ちてから、いったい何年が経ってるの?」

「…………3年だお」

内藤がわたしを見つめ、そう答えた。

(^ω^)
「3年だお……」
そう答えた内藤にわたしは聞く。
「わたしの頭のケガが治っているのは時間が経ってるからなのね」
「うん」
「そして、この日記に書いてある通り、わたしはケガで入院してるんじゃないのね」
「そうだお。君は病気で入院してるんだ」
わたしは爆発しそうになる感情を押さえ、改めて内藤を見つめ、そして聞いた。
「どうして、秘密にしてたの?」
「治療方針だお」
内藤がそう答えた。
「治療……方針……?」
聞き返すわたしに内藤が説明をする。
「荒巻先生が一番最初に決め、一番重要視した事は君に負担をかけない、という事だったんだ。君が混乱したり落ち込んだりするのが治療に悪影響を与える可能性もあった。だから、君には全てを秘密にする事にしたんだお」
病は気からとも言うだろう? と内藤は言った。
「もっとも、さすがに季節までは誤魔化せなかったから、毎年夏に君が起きた時には『半年間、昏睡状態だった』という嘘をつかざるおえなかったけどね」
続けてそう言う内藤の言葉にわたしの脳裏に思い浮かぶものがあった。
「あの夏の夢……」
そうか、あれは夏に起きた時のかすかな記憶だったんだ。という事はわたしは半年前にも目を覚ましているのか。でも――――、わたしにはその時の記憶は無い。
――――どういう事なのか、一体わたしの周りで何が起きているのか。
ひとつ謎が解ければ、また新たにいくつもの謎が立ち上がる。
日記に書かれていた事と内藤のその説明だけではその全容は分からなかった。
わたしは内藤を真っ直ぐに見つめ、言った。
「――――内藤、全部説明して」
わたしは全ての真実が知りたかった。
わたしの覚悟が内藤に伝わったらしい、内藤は一度、目を伏せると小さく息を吐いた。
「――そうだね、君は強い子だ。君に負担になるとかそんなのは全部、ぼく達の勝手な杞憂だったのかもしれないね」
再び、内藤はわたしを見つめる。
「現にこうして全ての事実を知ろうとする君の目はこんなにも力強い」
そして、内藤も覚悟を決めたようにわたしを強く見つめ、言った。
「――わかったお。全て教えるお」

(^ω^)
「ケガで運び込まれた君は一度目を覚ましたものの、その後、再び昏睡状態に陥った」
内藤の説明が始まる。
「最初はケガの後遺症かと思われたけどそうじゃなかったお。診断の結果、君は未知の病気にかかっている事が分かった。長期の睡眠に入ってしまう、まぁ、眠り病と言ってもいいかもしれない」
「眠り病……?」
「そうだお」
わたしは階段から落ちた日のあの睡魔を思い出す。そうか、元はと言えば階段から落ちたのもその病気のせいだったのか。
「眠りの周期は六ヶ月。そして、病気は進行性のものだったお……」
先の言葉を濁す内藤の様子から、その進行は良く無い結果を招く物なのだと想像出来た。
「症状と治療プランから荒巻先生は《超低温投薬治療》という新しい治療法を試みる事を決めたお」
「超低温投薬治療?」
知らない言葉にわたしは聞き返す。
「投薬後、患者の身体を殆ど冷凍に近い温度まで下げる治療法だお。この治療法には二つのメリットがあるお」
内藤はそれからその《超低温投薬治療》についての説明を始めた。
「一つ目は病気の進行に対するメリット。――患者の体温がそれだけの低温になると細胞の活動が衰える。すると、結果として病気が殆ど進行しなくなるんだお。
だけど、事前に投与された薬はその温度下でも活動出来るお。だから、この治療法を使うと症状の進行を止めたまま治癒だけを進ませる事が出来るんだお。
ただし成長も止まってしまうから子供への使用は向かないけれど、君の場合はぎりぎりで大丈夫との判断だった」
頷くわたしを見て内藤は説明を続ける。
「もう一つのメリットは廃用症候群のリスクが大幅に下がる事だお」
「廃用症候群?」
再びの知らない言葉。
「寝たきりになると筋力が衰えたりする、あれのことだよ。でもこの《超低温投薬治療》の場合は再び温度を上げた後はほんの少しのリハビリで身体機能を回復する事が出来るんだお」
なるほど、初日に足に違和感を感じていたのはそれで、すぐに回復したのもそのせいだったのか。
「ただ、新技術であるこの治療法の採用には難色を示す意見も多かったお」
ほとんど実験に近い状態だったしね、と内藤は付け加えた。
「それでも、最終的に君の治療に《超低温治療》は採用される事になった」
「――わたしに両親がいないのも幸いしたのね」
わたしの言葉に内藤が目を伏せる。
「正直に言えば……」
実験的、という側面から考えればそうなのだろう。でも、今、そんな事を気にしてもしょうがない。わたしは話の先を聞く。
「とにかくそれで、その超低温投薬治療でわたしの治療が始まったのね?」
こくりと内藤が頷く。
「君の眠りの周期に合わせて、半年単位で温度を上げ下げし、投薬と検査を行うんだ。つまり、君が眠りに入ったら投薬し、温度を下げる。そして半年後、君が目覚めるのに合わせて温度を上げる。といったぐあいに」
わたしは頭の中で自分の置かれた状況を再確認する。
まず、わたしは病気で、半年間を眠って過ごしている。そして、半年単位で寝たり起きたりを繰り返しながらの治療を受けている。
「ところで――――」
まだまだ疑問は沢山あったが、とりあえず、まずは目の前にいる内藤の事を聞く事にした。
「あんたは荒巻先生に呼ばれて来たって聞いたけど……」
「そうだお」
内藤が頷き、説明をする。
「荒巻先生は君の病気が記憶を司る領域にまで広がっていることから病気が治らない限り、君の記憶に障害が出ると推測した。そして、それがぼくが呼ばれた理由」
「何であんたを?」
「従来の薬では効果が得られないと考えて、そっちの分野の研究をしていたぼくが君の症状に合わせた薬を開発することになったんだ」
そうか。内藤の研究所とは薬の研究をしているところなんだ。
「それが毎日わたしに打っていたやつ?」
「いや、あれは違う。あれは小さいテストみたいなものだお。本当の薬は君が眠りに入ってから投与するお」
「…………ちょっと待って内藤」
わたしはここで根本的な疑問が思い浮かんだ。
「あんたが呼ばれて、それで新しく薬を造ったのよね? でもじゃあ何で? どうしてわたしはまだ入院してるの? わたしはもうその薬で治ったんじゃないの? 半年単位で投薬して3年って、その薬はそんなに効くのが遅いの?」
「そう、ぼくは君の症状を調べ、新しく薬を造る事になった。だけど――」
内藤はそこで言葉に詰まり、それから苦しそうに、声をしぼりだすようにわたしに言った。
「ぼくの薬は《完成》には到らなかった」

(^ω^)
「どういう事!?」
わたしは驚愕し、聞き返す。
「――君の病気は過去にデータが無く全てが未知の領域だった」
内藤はまるで懺悔でもするかのように両手を組み合わせ、背中を丸めて話を始めた。
「それでもなんとか試行錯誤で開発を進めたけど、最後の最後で手詰まりになってしまった。
薬を造る上で一番重要な《ベータ因子》と呼ばれる数値がどうしても取れず、その為、最後の式が組み立てられなかった。
その式が組み立てられないと、病気の進行を止める事は出来ても、最終的な治癒には到らないんだ」
「…………それで、どうしたの?」
そう聞くわたしに内藤は首を横に振りながら答えた。
「どうもしない……。いや、どうにも出来なかった」
「え?」
「ぼくらに残された方法は半年毎に目を覚ました君からデータを取り、それを基に少しづつ改良した薬を新たに造っていく事だけだった。
そうして造った薬を投薬して半年待ち、君が目を覚ました時にそれが効いていなければ、――つまり病気が完治していなければ、またその時のデータを基に新たに薬を造り直す。
ぼくらはそれを続けるしか無かった」
「――――」
わたしは言葉が出なかった。
つまりわたしは毎回、眠りに入る度に効くのか効かないのか判らない薬を投与され、その結果が分かるのは半年後、再びわたしが目を覚ました時、という事か。
「内藤――――」
ここまで聞いて、わたしにはある予想があった。いや、わたしにはもう全てが分かっていた。
聞くのが怖かった。でもそれは聞かなければいけない事だった。
そして、それを確かめるためにもその答は内藤の口から直接聞きたかった。
「荒巻先生の推測した記憶障害って………………」
内藤が視線を落とし、重い口調で話し始める。
「――――病気が完治しない限り、君は病気の発症後、つまり階段から落ちた以降の記憶が残らない」
「それって……」
「そう。今の君の状態」
「じゃあ、薬は……」
内藤が感情を押し殺した低い声で言った。
「今回も、失敗だった……」

(^ω^)
「――じゃあ、今、こうしている事も?」
そう聞く、自分の声がひどく遠いところから聞こえるみたいに感じた。
「再び眠りにつけば、いずれ忘れてしまう」
そう言ってから内藤はわたしを見つめる。
「そして、もうすぐ、――――君は再び眠りにつく」
これが全ての事実だよ、と内藤は言った。

 目の前が真っ暗になった。
わたしは今日まで半年づつ、三年に渡って眠り続け、その間の記憶を失い続けて来た。
そして間もなく、わたしはまた半年間の眠りに落ち、その長い眠りから目覚めた時にもし病気が治っていなければ、今持っているこの記憶も失ってしまう。
わたしは記憶を失い続ける。そして、それがこの先、何度繰り返されるのか、それは誰にも分からない。
 想像を遥かに越えた事実に何も考える事が出来なかった。
静止した思考の中で思ったのは、これだったらまだわたしの想像したタイムトラベルの方が現実味があるんじゃないか、という事だった。
でも、これがわたしの現実だった。
数日前、わたしは世界が滅びるのでは無いかと心配をした。
だけど、世界は滅びなんてしなかった。世界は、わたしだけを置いて進み続けていた。

(^ω^)
 屋上で風景を眺めていた。
寒い。とても寒かった。朝から悪かった天気は午後になって一段と悪化し、鉛色の空からはたまに白いものが降って来る。
内藤から事実を告げられた後、気が付いたら病室を飛び出し、ここにいた。
屋上から見つめる世界は昨日までとは違い、まるで自分とは関係の無いもののように思えた。
そして事実、わたしは世界との関係を既に無くしていた。
両親は他界し、他の親戚とは殆ど交流が無く、わたしの生活の中心だった高校の友人達も今ではみんな卒業してわたしとはまったく別の人生を歩んでいて、もうそこにわたしなんかの入り込む余地は無い。
わたしに関係のある人はこの世界にはもういない。
こうして見ている風景は無機質なただ『世界』と言う名の入れ物でしかないように感じた。
「――――ここにいたのかお」
背後から声がした。
振り返らなくてもそれが誰かは分かっていた。
無言でいるわたしの体にふわりと暖かいものがかけられた。
それは内藤の白衣だった。
「病院中、捜しちゃったお」
横に立った内藤がそう言ってぎこちなく微笑んだ。
「――――失敗した」
わたしは内藤を見ずに真っ直ぐ前を向いたまま言った。
「次からは屋上を一番最初に探されちゃうわね」
うん、と言ったきり内藤は言葉を返さなかった。
「――――ツン、ぼくは」
「いいのよ」
しばらくして口を開いた内藤をわたしは制止する。
「何も言わないで…………」
再びの沈黙がしんしんと積もっていく。
「――三年の未来じゃあ、そんなに風景は変わらないのね」
わたしは風景を見つめたまま言った。
「ここから見ただけでは今が未来だなんて全然気付かなかったわ」
「……うん」
「いつか、風景で気付く時が来るのかしら」
「…………」
無言でいる内藤にわたしは言う。
「でもその頃には、あんたがもういないか」
「そんなこと無いお?」
内藤がそう答えた。
「…………嘘つき」
「え?」
「知ってるのよ。あんた、もうすぐ海外のなんとかって言う研究所に行っちゃうんでしょ?」
「どうしてそれを?」
驚き、聞き返す内藤にわたしは教える。
「日記に書いてあった」
わたしの答えに内藤がああ、と頷く。
「相談されたって書いてあったわよ」
わたしは内藤に振り返り、怒ったように聞いた。
「何でわたしなんかに聞くのよ? わたしに聞いたら答は決まってるでしょ? 答は――――」
「「あんたの好きなようにしなさいよ」」
わたしと内藤、二人の声が重なった。
驚いて内藤を見ると、内藤は肩をすくめて言った。
「うん。そう言われたお」
それから内藤がわたしを見て言う。
「ツン、ぼくは――」
「行きなさいよ。いつか研究者として認められるんだって、そう言ってたじゃない」
研究者として認められたがっていた内藤。そして前例の無い病気の薬の開発。きっと内藤にとってわたしは、ただの研究対象でしか無かったんだ。
やっぱり、ここはもうわたしには関係の無い世界なんだ。
わたしは内藤の顔がまともに見れず、彼から目を逸らす。
「いいのよ。わたしはきっとここで独り、眠り続ける運命なのよ」

(^ω^)
「そんな事は無いお!」
わたしの言葉に内藤が強く言い返した。
「でも…………」
「辞退したんだよ」
「え?」
聞き返すわたしに内藤は微笑みながら言う。
「研究所からの誘いは、もう辞退してるんだ」
「辞退した!? 何でよ!?」
わたしは驚いて聞き返す。
「せっかくのチャンスなんでしょう? 今から連絡してやっぱり行きますって言いなさいよ!」
「無理だよ」
わたしの言葉に内藤は苦笑いをする。
「だって辞退したの、半年も前だもん」
「半年――?」
わたしの日記はそこで終わっていた。じゃあ、内藤はわたしが日記を隠したすぐ後に断っていたという事?
内藤が苦笑いをしたまま言った。
「半年前、君に『好きなようにしなさい』って言われた直後にぼくは決めたんだ。誘いを辞退して、一番やりたい事をしようってね」
「やりたい事って……、一体何がしたかったのよ?」
そう聞くわたしに内藤が言った。
「ぼくは、君のそばにいたかったんだ」
雪が、降り始めた。空からはらはらとまるでこの世界を覆い尽くすように。
内藤がわたしを潤んだ瞳で見つめる。
「だってぼくは――――」
「止めて! それ以上言わないで!」
わたしは耳を塞いで内藤の言葉を遮った。
「……ツン?」
その先の内藤の言葉が分かった時、わたしが感じたのは喜び以上に怖さだった。
「…………あんた、バカ?」
わたしはそれが何でも無いことのように、にっこりと笑って内藤に告げた。
「バカねぇ、あんた分かってるの? ううん、あんただって分かってるでしょう?
あんたが今から言おうとしている事、やろうとしている事、そんなの全部、何の意味も無い行為だって――――。
だって……、だって、どうせわたしはもうすぐあんたの事なんて忘れちゃうのよ?
だから、そんな事は全部無意味。
次にわたしが目覚めた時、今までの事は全部無かった事になっちゃうんだから。
だから、内藤――――」
内藤がわたしを見め、言葉を口にする。
「ツン――――」
空からは雪が降っていた。
「それでも、――――ぼくは君が好きなんだお」
雪がしんしんと降っていた。
「内藤の……、バカァ〜〜〜〜」
気がつけば、わたしは泣いていた。
「内藤のバカッ! バカバカバカバカバカバカ――――――」
自分に隠されていた真実を知って、わたしは自分の気持ちに気付かなかったふりをする事にした。
自分の中に生まれた内藤に対するこの想いを、ひっそりと胸にしまったまま、忘れようと思っていた。
だけど、それはもう出来そうにない。
内藤の言葉に、苦しさと、だけどそれ以上の喜びを感じている自分に、もうブレーキはかけられなかった。
わたしは自分の想いを認めるしかない。
「――――――わたしだって」
泣きながら内藤を見上げ、わたしは内藤に自分の想いを伝えた。
「――――わたしだって内藤のことが好きよぉ」
頬を伝う涙が暖かかく、手に当る雪が冷たかった。
「――ツン」
内藤がやさしく抱きしめてくれた。
内藤の腕の中は暖かくて、その暖かさはまるで幸せそのもののように感じた。
わたしに積もっていた雪がその熱で消えていく。
わたしは雪の冷たさも、冬の寒さも忘れ、幸せの暖かさだけを感じていた。
だけど、わたしには分かっていた。わたしの幸せはこの雪のように儚いものだという事も。
この先、わたしは全てを忘れてしまう。
内藤を好きだった事も、内藤もわたしを好きでいてくれた事も、そして内藤の腕の中のこのぬくもりも。
でも今、この瞬間、わたしは内藤の事が好きで、そして内藤もわたしの事を好きでいてくれた。
わたし達は雪の降る屋上で、お互いの体温だけを感じながらずっと抱き合っていた。
 このまま、明日が来なければいい、時間なんて止まってしまえばいい、未来なんて来なければいい。
わたしはそう思っていた。そしてきっと、内藤もそう思っていただろう。

(^ω^)
 目が覚めると、内藤がいつものようにやわらかく静かに微笑んでくれた。
その笑顔に、心が暖かくなった。これは幸せの暖かさだ。
「あんたがいるって事はもう遅い時間って事ね」
「……うん」
内藤は微笑んだまま頷き、それから下に置いてあった大きな包みをわたしに渡す。
「はい、これ」
「なに?」
「開けてみて」
言われて、包みを開けるとそこにいたのは大きなカエルのぬいぐるみだった。
「わぁ〜」
「どうして?」
「この前、君が言ったじゃないかお。毎日来るならお土産持って来いって」
わたしはぬいぐるみを抱きかかえながら笑って内藤を見た。
「言ってみるもんね」
その時、看護師さんがやって来て荒巻先生の診察の時間だと告げた。
振り返るわたしの顔を見て、内藤は穏やかに言った。
「大丈夫、待ってるお」
「うん、じゃあ行ってきます」
わたしはベッドから立ち、カエルをそこに座らせる。
いってらっしゃい、と内藤がカエルの手を振り、わたしはふたりに手を振り返した。

「内藤君とうまくいってるみたいだね」
「な、何でそんな事――?」
入室するなりそんな事を言われ、慌てるがすぐにわたしは落ち着きを取り戻し、椅子に座りながら先生に言った。
「内藤先生に聞いたんですね?」
「いいや、彼はそんな事を言ったりはしないさ」
「じゃあ、どうして?」
荒巻先生が机の上で光る写真を見ながら答えた。
「この写真を見れば全てが分かるんだよ」
もちろん、それは冗談だったんだろう。前回と同じ鏡が机の上に置かれていたが、それでわたしの心の中まで分かるはずも無く、かと言って先生の机の周囲をいくら見回しても今回はそのタネが分からなかった。
「――ところで、先生には感謝しないと」
いつも何も言わない先生に代わり、今日はわたしから話し掛けた。
「なんの感謝だい?」
「先生が内藤先生をここに呼んでくれたんですよね」
わたしは先生に自分の気持ちを正直に伝えた。
「おかげでわたしは内藤先生と出会えた。良かったです。例え、また忘れちゃうとしても」
「そうか。そう言ってもらえると私も嬉しいよ」
先生はそう答えた。そこには厭味な感じも何も無く、ただ素直な一言だったように思う。
何だか先生の事を誤解していたようだ。
話してみればいい人で、そしてやたらと無口なのはそういう性格なだけなのかもしれない。
「前にも言ったと思うが――」
荒巻先生がわたしを見て言う。
「内藤君は諦めるという事を知らない男だよ」
「――はい。ふふふ」
わたしは先生に笑いかけた。
「なんだい?」
「わたし、正直言って先生の事苦手だったけど、今は結構好きかも――」
「それを、次回も憶えててくれる事を祈っているよ」
そう言って先生は薄っすらと笑った。

「――――それじゃあ、失礼します」
荒巻先生の診察室を出て病室へと戻る。
そうして数歩進んだ所で、わたしは急に全身の力が抜け、目の前が真っ暗になった。
寸でのところで持ち直し、なんとか倒れずに済んだがわたしはその場にしゃがみこんでいた。
わたしは気付く、もうわたしに残された時間は無いのだと。
「でも、もうちょっと。――まだ、大丈夫」
わたしはその場で少し休むと、顔を上げ、再び病室へと向った。

(^ω^)
「――おかえり」
病室で椅子に座った内藤が笑顔を見せる。
「ただいま」
わたしは返事を返し、ベッドに入ると内藤に聞いた。
「ねぇ、わたし達の事、荒巻先生に話した?」
「ううん、話してないお?」
「そっか……」
思案するわたしに内藤が聞く。
「どうかしたのかお?」
「ううん、何でも無い」
わたしは首を振ってそう答え、それから内藤に聞いた。
「それより、どうしたのよ、今日は? 待ってるなんてめずらしいじゃない」
「うん、もうちょっとツンと話したいと思って」
そう言ったものの、内藤は特に何も話をしない。
「――このカエル、大好きなの。よく分かったわね?」
しばらくの沈黙の後、わたしはぬいぐるみを抱えながら内藤に聞いた。
笑いながら内藤が答える。
「君の事なんて全てお見通しだお」
「え〜、それってなんかズルい〜」
わたしも笑ってそう言い返した。だが、その笑いが消えるとわたしは呟くように言った。
「……ズルい」
「え?」
「ズルい! 内藤、ズルい!」
「ど、どうしたんだお……?」
「だって!」
わたしは抗議した。
「だってわたしはあんたの事、九日分しか知らないのに!」
笑ってそう言うつもりだった。でも、ダメだった。言葉を出そうとするとわたしは喉が強張り、声が震えた。
「わたしだってあんたの事、もっと知りたいのに! あんたの事、憶えていたいのに!」
そうしてわたしは泣き出してしまった。しゃくりあげ、もう声を出す事すら出来なかった。
内藤は悲しそうな、困ったような表情になる。自分が内藤を困らせているのは分かっていた。でも、どうしようも無かった。
その時、わんわんと泣くわたしの手を取り、内藤が言った。
「ツン、とりあえず今、何でも聞いていいお」
人によっては場当たり的にしか聞こえないその言葉は、それでも内藤の口から出れば深いやさしさに包まれていた。
「……じゃあ、教えて」
わたしはぐすぐすと鼻をすすりながら内藤を見つめる。
「何で、わたしの事なんか好きになったの? 自分で言うのも何だけど、好かれるような要素が無かったと思うけど……」
その質問が予想外だったのだろう、内藤は驚き、それから照れたように答え始めた。
「最初、君の担当になった時、眠る君を見てこんなかわいい子の担当なんてついてる、と思ったお」
思わず、こっちも照れてにやけてしまう。
だけど、内藤は眉を八の字にして言った。
「なのに、起きた君はひどい事ばかり言う」
「ちょっ……」
内藤が微笑みながら続ける。
「でも、いつしか――」
「それが快感に変わったの? とんだMね」
「ち、違うお!」
慌てて言い返し、それから内藤はわたしを見つめる。
「いつしか、君の内面に気付いたんだお。口は悪いけど、それは照れ隠しだったり、強がりだったりして本当はとても女の子っぽいんだって。そう思ったら、そんな君の口調でさえかわいく思えたお」
自分の頬が赤くなっているのが分かった。
「なによ! 人の心の中、覗いたりして、この覗き魔!」
「ほらほら、そんなとこだお」
内藤の指摘にわたしは顔が熱くなり、さりげなく顔が隠れるようにぬいぐるみを抱いた。

(^ω^)
「――ねぇ、内藤?」
ぬいぐるみを抱いたまま、わたしは内藤を見上げる。
「今までわたし達のこともずっと好きだったのよね」
「わたし……達……?」
内藤が聞き返す。
「うん、何だか記憶にない自分はやっぱり自分じゃないみたいで……」
「そうなのかお……」
表情の曇る内藤にわたしはにやりと聞く。
「で?」
「ん?」
「好きだったのよね? 今までのわたし達」
「あ、う、うん……」
「あーあ」
わたしは天井を仰ぎ見て言う。
「そんな何人も好きになって、まったく、とんだプレイボーイね」
「な、何人もって……」
抗議しようとする内藤にわたしは畳み掛ける。
「Mで覗き魔でプレイボーイ、最悪ね」
「ちょっと、ツン!」
内藤はぷんぷんと音が聞こえそうな位、顔を真っ赤にしている。
「まったく、わたしったら――」
そんな内藤にわたしは言った。
「なんでこんなの好きになっちゃったんだろ――――」
言ったわたしも相当赤面していたと思うが内藤は茹であがったみたいに真っ赤になった。
「ね、内藤。次にわたしが起きた時さ――」
わたしは真っ赤になったままの内藤を見つめたまま聞く。
「また、わたしに告白する?」
照れた内藤はわたしから目を逸らして言った。
「そ、そんなの分からないお……」
「――してよ」
わたしは内藤を真っ直ぐに見つめ、微笑みながら言った。
「ね、告白して」
すると内藤も真っ直ぐにわたしを見つめ返し、真剣な顔で答えてくれた。
「わかったお」
だけど内藤と見つめ合った次の瞬間、わたしはもの凄く照れくさくなってしまい、舌を出して内藤に言った。
「ま、わたしが次もあんたの事を好きになるかは分からないけどね」
「あうあう……」
そんな事を言ったけれど、わたしには分かっていた。
今までのわたしも、そしてこれからのわたしも、きっとわたしは何度でも内藤を好きになるだろうと。
通風孔で見つけた日記に書かれていた過去のわたしの数々の言葉、過去のわたしの内藤への想い。
わたしが日記を隠してでも残した理由。それは未来の自分に秘密を伝えたかったわけでも、何かを警告したかったわけでも無い。
わたしが日記を残した理由はただ一つ。自分が内藤を好きだったという事実を無かった事にしたくなかったからだ。
自分の記憶が無くなるのかもしれないと気付いたわたしは、自分のこの想いが記憶と共に失われてしまうのが嫌だったんだ。
 わたしはたった数日で内藤を好きになったんじゃない。
わたしはもうずっと長いこと、内藤のことが好きだったんだ。
もしかしたら、記憶は消えても、想いはずっと消えなる事が無いのかも知れない。

(^ω^)
「――雪、止まないわね」
「だいぶ積もったお」
昨日から降り続いていた雪は世界を真っ白に覆い尽くしていた。
「ねぇ、明日晴れたらさ」
「うん?」
わたしは雪景色から内藤へと振り向き、言った。
「雪だるま、作ろうよ」
「雪だるま?」
「うん、もう大分長いこと作ってないし、ちょっと作ってみたい」
わたしの希望に内藤は満面の笑みを返す。
「よし、じゃあすっごいの作るお!」
「約束よ」
「うん、約束だお」
そうして約束を交わし、内藤を見つめた瞬間。
目の前が真っ暗になるほどの眠気がやってきた。――ああ、もう時間みたいだ。
「ちょっと、横になるね」
わたしはベッドに横になり、落ちそうになる意識をなんとか繋ぐ。
「ねぇ、超低温投薬治療で眠ってる時ってさ」
わたしは横になったまま内藤を見つめる。
「わたし、もしかして裸で寝てるの? 内藤、あんた覗きに来たりしてないでしょうね」
じろりと睨むわたしに内藤は慌てて答える。
「だ、大丈夫だお! 薄手だけどちゃんと服を着てるから、覗いたりしないお!」
「なによそれ、服着てなかったら覗いてるって事?」
わたしの言葉に内藤が慌てる。
「ち、違うお! あ、でも――」
「でも?」
内藤がにこりと微笑む。
「覗きには行かないけど。顔を見にはよく行くお」
「そぉ? ならいいけど。――あ、でもそれならおしゃれな服で寝てたいな。色はそうねぇ、紺色とかどお?」
ふふふ、とわたしは笑ってみせた。
内藤は「似合いそうだお」と微笑み返してくれる。
「それからねぇ――」
わたしは続いて要望を言う。
「一人で眠ってるのはきっと寂しいと思うのよ。だからさ、今度はこのぬいぐるみ。これ抱いたまま眠れるといいな」
「わかったお。じゃあ、一緒に眠れるように準備しておくお」
「それからそれから、寝てる間、音楽なんか流れてるといいな」
「音楽かお?」
「そう。あ、でも半年間もあるんだから、CDたくさん用意してよ? そうね、ドラマCDなんかもいいわね。それで、たまに難しい勉強のCDとかかけてみてよ。もしかしたら睡眠学習して起きた時には天才になってるかもしれないじゃない?」
内藤がふふふと笑い、わたしも笑い返す。
「――そんな事してたら、きっと半年なんてあっという間よ」
「そうだね。きっとすぐだお」
「でね、半年経って、いよいよわたしは目覚めます。さぁ、その時はちゃんとそれなりの準備をしてよね」
わたしの言葉に内藤はわたしの手を取ると、やさしい微笑みと共に聞いてきた。
「どんなお目覚めがお望みですか? 眠り姫?」
内藤の手はとても温かく、その温かさはわたしの心まで暖かくした。
わたしは内藤の手を握り返した。でももう力が入らなくて、それはきっと弱々しいものだっただろう。
「――まず、基本は花ね」
わたしは頬を緩ませながら内藤に自分の希望を伝える。
「部屋には沢山の花。次に起きるのは夏だから向日葵とかもいいな、うん。向日葵を始めとする沢山の花が部屋一杯に飾ってあって、部屋はいい香りに満たされているの。
窓からは明るい日差しが差し込んでいて、部屋を明暗、二つの白で別けてる。
レースのカーテンが、少し開けられた窓から入る風に小さくそよいでいて、ベッド脇のテーブルに置かれたガラスの水差しからの反射が天井にキラキラと明るい模様を作っているわ。
窓からの風にゆられる前髪が額をくすぐり、わたしは夢から少しづつ呼び戻される。
そして、目覚めた時に――――――」

(^ω^)
『隣りにあなたがいるといいな』
そう言った彼女はそれからまもなく再び眠りについた。

 眠りについた彼女にぼくは新しい薬を投与した。
『薬の完成、気長に待つわ』と彼女は言った。
『どうせ、わたしには待ってる人もいないし』と言う彼女に僕が『ぼくがいるお!』と言うと彼女は笑った。
『感動的な事を言ったつもりだろうけど、あんたが早く薬を完成させないからこんな事になってるんだからね』
そう言って彼女はぼくを笑いながら睨んだ。
『……がんばります』
どう答えていいのか分からず、何とかそんな返事をしたぼくの困った顔を見て彼女はまた笑った。
彼女の笑顔につられてぼくも笑い出し、ぼくたちは笑い合った。
その笑い合った事を思い出として、ぼくは彼女と再び笑い合いたい。
そして、ぼくは確信している。今度こそぼくの造りだした薬は効くと。
彼女とまた笑い合いたい、この九日間をまた無かった事にはしたくない。その執念でぼくは薬の投与をぎりぎりまで延ばし、最後の最後で革新的な式を作り上げる事に成功した。
次こそ、きっと次こそ彼女の病気は治っていて、そして僕達の思い出を記憶していてくれるはずだ。

 あれから五ヶ月、季節はいつの間にか初夏になっていた。
僕はまたツンよりも一つ歳をとってしまった。

 ――ねぇ、ツン。そろそろ蝉が鳴き始め、そして当然のようにもう雪は無く、目覚めた時に君が約束を憶えていたとしても、それは叶えてやれそうにない。
だから、君とその前にした約束、『晴れたら海へ連れて行け』を果たそうと思う。
そしてそうだ、その時は自転車で行こう。自転車の二人乗りで。僕が前で君が後ろ? それとも君が前で僕が後ろ? どっちだってかまいやしない、浮き輪と西瓜を持って、二人で一緒に海に行こう。

 後一ヶ月――、もうすぐ彼女が目を覚ます。
そして僕は彼女に7回目の恋をする。


2012.01.25掲載


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