[ TOP ] > 続・ツンはドクオの家のメイドのようです

(^ω^)
 翌朝、目が覚めるとツンはもう家にいなかった。
10時前には出かけたよ、と言う渡辺さんの台詞に俺は不安になった。
あれ? 今日は一緒に映画を観に行くんじゃなかったのか?
「昼過ぎって言ってたよな……」
ツンは帰って来ず、時間も迫ってきたので、とりあえず俺は単身、映画館へ向かった。
すると、映画館の入り口にツンはいた。
良く見れば、髪を切っている。
「何だツン、髪切ってたのか」
そう言いながら近付く俺にツンが言った。
「あらドクオ、偶然ね。こんなところで何してるの?」
「――え?」
俺は戸惑いながら答える。
「映画、観に来たんだけど……」
するとツンが驚いたように言う。
「あら、わたしもよ? じゃあ、せっかくだから一緒に観ようか?」
そう言ってツンはカウンターへ向かった。俺は慌てて後に続く。
 そうして、俺達は並んだ席で映画を観た。
内容はあまり憶えていない。とにかく隣りにツンがいることが気になってしょうがなかった。
ツンのいる側の肘掛に手を置いていいのか悩み、自分がちょっとツンの方に傾いて座っているんじゃないかと気になり、足を組んだらツンに邪魔になるんじゃないかと遠慮し、スクリーンにエンドロールが流れる頃には体が変に疲れていた。
エンドロールも終わり、場内にライトが付くと、俺達は劇場を出た。
「いやー、結構面白かったな」
そんなあたりさわりの無い感想をツンに言った。
するとツンが俺にきっぱりと言った。
「――あの、話しかけないでもらえますか」
あと、それ以上近づかないで。とツンは冷たい目で俺を見る。
「……え?」
混乱してツンを見返すが、ツンは俺を見ようともせずに、それどころかちょっと離れた場所に移動した。
「あ、あのさ……」
声をかけようとする俺を無視してツンが呟く。
「さて、映画も観たしちょっと買い物でもしようかな」
そうして、すたすたと歩き出すツン。
「…………」
何が起こったのかさっぱり分からずにただ離れて行くツンの背中を見ている俺。
すると、数歩行ったところでツンははたと止まり、俺に振り返った。
「…………?」
呼ばれているような気がして近付くと、ツンは再びすたすたと一人で先に行ってしまう。
だが、俺が止まればツンも止まり、そして俺が来るのを待っている。
……何だこれ?
そうして俺は頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしながらツンの後ろを歩き続けた。

(^ω^)
 しばらく歩いた後、ツンがとある店の前で止まった。
そして、俺に振り返ると聞いてくる。
「あらドクオ、偶然ね。何してるの?」
「何って……」
何が言いたいのか分からない俺にツンが続けて言う。
「わたし、このお店を見に来たの。どう? ドクオも一緒に入らない?」
「え? あ、ああ……」
そうして釈然としないままにツンとお店に入る。
店内ではツンは普通に俺に話し掛け、一緒に商品を見て、笑ったりもした。
しかし、一歩店を出た途端、ツンは再び知らんぷりを始め、一人で歩き出した。
そして、また次の店の前でツンは言った。
「あらドクオ、偶然ね。何してるの?」
「――あぁ!」
ここで俺はやっとこのルールを理解した。
俺達は「偶然」、同じ場所にいるだけなのだ。
一緒に出かけている訳では無く、あくまでもたまたま同じ場所に行ってそこで出会った、だから一緒にそこに入る。
つまり、これはデートでは無い、と。
ルールを理解した俺はその店を出ると独り言を言った。
「ああ、そう言えばこの先に面白い店があったな。よし、ちょっと行ってみよう」
そうして、一人歩き出す。振り返れば、ツンは俺の少し後ろを付いて来ていた。
そして俺は目的の店に着くと言った。
「あれ? ツン、こんな所で会うなんて偶然だな」
「あら、ドクオ。ほんと、偶然ね」
「俺、この店入るんだけど、ツンも?」
「そうよ。たまたま、この店が面白いって聞いて、来てみたの」
「へぇ、じゃあ一緒に入ろうか」
「いいわよ?」
そうやって俺達は色んな店を見て回った。
いい加減、途中で面倒になりそうなもんだが、あくまでもこれは偶然なんだ、とそんな態度を貫くツンがなんだか可愛らしく、そしてそんなツンの約束事に乗っかるのが楽しかった。

「――ねぇ、どれが似合うかな?」
洋服屋でツンはそう聞き、俺を困らせる。
ツンは合わせる服合わせる服どれもが似合い、どれもが最高にかわいかった。これでどれがいいかと聞かれてもそんなのは高難度の間違い探しみたいなものだ。
だが、全部にかわいいなどと答えるとまるでいい加減に答えているみたいになってしまうので、俺は必死でどれがいいのかを検討した。
しかし、あまりじろじろと見るとそれはそれで「キモい」とか言われそうで、結局俺はあまり見ていないふりをしながら、細部に渡り検討してそれぞれの差異を探し出すという技を強いられた。
その結果、お店から出る頃にはまばたきを忘れていた俺の目は乾燥し、真っ赤になっていた。

「さーて、そろそろお腹が空いたから――」
夕方になり、店を出て独り言を言う俺にツンがくすくすと笑った。
「もういいわよぉ」
そして、俺に向き直り言う。
「さて、どこでご飯を食べようか? さすがにこれは一緒にお店見ながら決めよ?」
「よし、行くか……」
ツンの笑顔に俺はそう独り言のように答えるのが精一杯だった。

(^ω^)
 帰り道、ふとこうしてツンと並んで歩いている事が不思議に思えた。
何で俺、ツンと並んで歩いてるんだろう?
ちょっと前まではこんな事、想像も出来なかった。
そして、思う。そういえば、ツンにとって俺って何なんだろう?
今日のツンは学校も仕事も休み。だから、ツンにとって今日の俺はクラスメイトでもご主人様でも無い。
ツンにとって俺という存在は何でも無い。
つまり、ツンにとって俺は何の価値も無い……。
自分で出した結論に一気に気分が暗くなり、俺は呟く。
「鬱だ、死のう……」
「それ、口癖なの?」
ツンが、そう聞いてきた。
「それって?」
「その、鬱だ死のう、ってやつ」
「……別に」
俺は言った。
「本当に死んだっていいと思ってるさ。――どうせ、人生なんてつまらない」
「どうしてよ?」
当然のようにそう聞き返して来るツンに俺は言った。
「俺の将来は決まってるんだ。それが、自分のやりたいことかどうかなんて関係無しにな」
――そう、俺は親父の仕事を継ぐ事が決まっている。そこに自分で選べる選択肢は存在しないのだ。
俺の人生に自由は無い。そんなコースの決まった人生、何が楽しいものか。
肩をすくめてみせる俺にツンが聞く。
「何か他にやりたい事があるの?」
「――――」
ツンの質問に俺は黙り込むしかなかった。
「まぁ――」
返事をしない俺にツンが口を開く。きっとまた何か小言めいた事を言うのだろうと思ったが違った。
「とにかく、その口癖は良くないから直しなさいよ」
そうしてツンはしょうがないわねぇ、というように微笑む。
「あ、うん……」
思わず、そう返事をしてしまった。
「――それで」
「ん?」
ツンが改めて聞いてきた。
「何で突然、『鬱だ、死のう』なのよ?」
「……別に」
俺は何だか恥ずかしくなり、言いよどむ。でも、ツンはそんな事お構い無しに聞き返す。
「別に、じゃないわよ。一緒に歩いてて突然、隣りでそんな事言われたら気になるじゃない」
「いや、実はさ――」
俺はツンに説明した。自分がツンにとって何の価値も無いという事に気付いたと。
「……あんた、本当にネガティブねぇ」
ツンは呆れたようにそう言い、それから俺の真似をして肩をすくめながら言った。
「自分にとって価値が無いと思ってるような人と一緒に出かけたりしないわよ」
その言葉を聞いて、息が止まった。
「それって――」
だが、直後にツンは自分の言った言葉に気付き、慌ててすごい勢いで否定した。
「ちちち、違う! 違うわよ!? そういう意味じゃないんだからね? それに、そう! そうよ、今日は偶然一緒だったんだからね! それを忘れないでよ!」
「そそそ、そうだよな! そんな訳無いよな! 今日は偶然だったもんな」
「そ、そうよ」
「そうだよな」
「…………」
「…………」
そこで会話は終わり、俺達は無言で歩き続けた。
でも、嫌な沈黙ではなかった。

 そうこうしているとまもなく家に着いた。
門をくぐり、玄関前でツンはいたずらっぽく笑ってこっちを見ると聞いてきた。
「――あら、ドクオ。偶然ね、こんなところで何してるの?」
俺は答える。
「遊びに行って、帰って来たんだ」
俺の答えにツンが言う。
「あら、わたしもよ? じゃあ、一緒に入ろうか?」
そうしてドアを開けると俺達は家に入った。
「ただいまー」
「おじゃましまーす」
玄関で二人して笑ったが、俺はツンがただいま、と言ってくれなかった事が少しだけ寂しかった。

(^ω^)
 翌日、教室に入るとみんなが俺に挨拶をして来た。
「おはよー」や「おっす」に混ざって「よう、転倒王」なんて言葉がかけられる。
でも、嫌な感じはしなかった。
そして、今まで感じたことが無いくらい「朝、教室に入った」という感じがした。
挨拶を返しながら自分の席に着いたが、心が浮付いて机に突っ伏して寝るなんて出来そうになかった。いや、寝るのが勿体無いとさえ思った。
「ドクオ……」
背後からの内藤の声に俺は振り返って挨拶をする。
「おっす、内藤」
だが、内藤は俺のテンションとは正反対の低い声で返事を返す。
「……おはよーだお」
「な、なんだよ。どうした?」
聞き返す俺に内藤は小さい声で秘密を打ち明けるように言ってきた。
「僕、もしかしたらMなのかもしれないお」
出し抜けにそんな事を言う内藤。
「……はぁ?」
思わずそんな声を出す俺に内藤はかまわず続きを話す。
「――実はおととい、陸上競技大会の途中でツンに怒鳴られたんだお」
「ツンに? 怒鳴られた?」
俺は耳を疑った。
ツンが学校でそんな事をするなんて、どうしたっていうんだ?
「……へ、へぇ」
少し動揺しながらも俺は内藤に更に詳しく話を聞いた。
「何で怒鳴られたんだ? っていうかそれ、本当にツンだったのか?」
俺の質問に内藤は何故か嬉しそうに説明を始める。
「リレーでドクオにバトンを渡した後、校庭の隅にいるツンを見つけて、ぼくはそのままの勢いでツンの所へ駆けて行ったんだお」
そうして、そこで内藤が見たのは声をあげて俺を応援するツンの姿だったそうだ。
「がんばれ、がんばれって呟きながら真剣に見てたお」
「ツンが俺の応援を……」
何だか意外で、そしてそれが嬉しくて俺は言葉につまる。
「そうだお。それで、僕が声をかけたらツンが突然僕に怒鳴ったんだお! 『何ぼーっとしてんのよ! あんたもしっかり応援しなさいよ!』って!」
「へ、へぇ〜」
思わず、顔が引きつる。
……あいつ、何やってんだ? うっかりなのか?
「そ、それで?」
聞き返す俺に内藤は遂にうっとりとした表情で俺に言う。
「あの罵声を浴びせられた時の気持ち――。筆舌に尽くしがたいお」
「…………」
俺にはかけるべき言葉が見つからなかった。
だが内藤はさらに嬉しそうな顔になり宣言するように言った。
「きっとツンに怒鳴られたのはこの学校で、いやこの世の中で僕一人だけだお! つまり、僕はツンに認められた唯一の男だお」
「そ――っ!」
そんな事は無い、怒鳴られた回数ならば俺の方が圧倒的に多い、だから本当に認められているのはお前じゃなくて俺なんだ!
そう言おうとしている自分に気付き俺は慌てて言葉を止めた。
「そ?」
「…………そうか。よかったな」
俺は呟くようにそう言った。
「おっおっおっ」
笑顔の内藤を残して俺は前に向き直った。
――いや、でも。
俺はふと思い直した。
考えてみれば、怒鳴られる事イコール認められたっておかしくないか?
っていうか――、そもそも何で俺はそんな事で対抗意識を燃やしてるんだ?

(^ω^)
 内藤からツンの話を聞き、時間が経つにつれ俺は何故だか苛つき始めていた。
家に帰った頃には苛々はピークに達し、俺はツンに問い詰めた。
「どうして内藤の前でやるんだよ!?」
「……何のこと?」
当然、何を言われているのか分からないツンは俺に聞き返す。そんなツンに俺はなおも苛々をぶつける。
「内藤が、陸上競技大会の日にお前に怒鳴られたって言ってたぞ」
ツンはしばらく考え、それから声をもらした。
「……あ、そういえば」
どうやら、自分でも気付いていなかったらしい。
そして、不機嫌そうに言い返した。
「しょうがないじゃない……」
「しょうがないって――」
「っていうかあんたのせいよ!」
俺の言葉を遮ってそう言い、ツンは俺を睨む。
「何でだよ?」
突然の言葉に俺は聞き返す。
「あんたの事、怒鳴ってばかりいたから、つい外でもやっちゃったのよ!」
そんな理不尽な事を言うツンに俺はうろたえながらも言い返す。
「そ、そんなの俺のせいじゃねーだろ!?」
「うるさいわねぇ! 大体――」
そこでツンがふとトーンを落とし聞いてきた。
「何であんたが怒るのよ?」
「何でだって!? 決まってんだろ――」
…………あれ?
勢いが止まらずに言い返したはいいが、そこから先、俺は言葉に詰まる。
――そういえば、何で俺はこんなに苛々してるんだ?
「何よ?」
「――あ、えと」
おろおろする俺にツンは腕を組んでもう一度聞いてくる。
「どうしてご主人様が怒っていらっしゃるんですか?」
「そ、それだよ!」
「どれよ?」
ツンの言葉で言い訳を思いつき、俺はツンに言い返す。
「う、家のメイドが外で悪い態度をとってたら恥ずかしいだろ!」
そもそも、ツンが家のメイドだと外でバレていないのでそんなのは理由にならないのだが、ツンもそれには気付かなかったみたいだった。
「そう、悪かったわね! 以後気をつけます!」
そう言い残してツンはその場を去って行った。

(^ω^)
 その翌日、事態は思わぬ発展を見せた。
まず、ツンの噂が学校中に知れ渡っていた。
「内藤の奴……」
俺は内藤に詰め寄りたい衝動にかられたが、そんな事をしたところで今更無意味なのと、もし内藤に「どうしてドクオが怒るんだお?」等と聞かれたら昨日以上に言い返せないと思い、諦めていた。
そして、もうひとつ。ツンの人気についてだった。
「――これでツンの人気も終わりかな」
そう思っていた俺だが、しかし放課後までに分かった事はツンの人気は落ちるどころか新たなファンが増えたという事だった。

「――じゃあ、ドクオ君。俺、帰るんで後の整理、よろしく」
「どーも……」
放課後、俺はツンの手伝いで委員会で仕事をしていた。
「ツンも、お先にね」
「あ、先輩。お疲れ様です」
計算中の書類から顔を上げ先輩に挨拶をするツン。
「――あ、そうだ。ツン」
帰ろうとしていた先輩がドアのところでツンに振り返る。
「何ですか?」
聞き返すツンに先輩はにやりと笑って言った。
「今度、俺にも怒鳴ってくれよ」
……こんなところにまで伝わってんのか。
「は、はは。そうですね、いずれ……」
さすがのツンも苦笑いをするしかなかった。
カラカラパタン、とドアが閉まり、俺は言葉を吐く。
「何だよ、あいつらは。結局ツンがどんな性格でもいいのかよ!」
昨日よりも一層、苛々した。
「何であんたが怒ってんのよ?」
「怒ってねーよ!」
俺はツンに言い返す。
「……怒ってるじゃない」
ツンは呆れるを通り越してしまったのだろう、少し心配そうに聞いてくる。
「昨日からどうしたのよ?」
そんなツンに俺は苛々が納まらないまま聞き返した。
「お前はいいのかよ!?」
俺の質問にツンは「んー」と顎に指を当てて答えた。
「まぁ、今みたいなのはちょっと困るけど、別にいいかな」
そうしてにこっと笑った俺に言う。
「わたしがいいんだから、いいじゃない」
「お前がよくても俺は良くないんだよ!」
そう言い返す俺にツンは肩をすくめて聞いてくる。
「だから、どうしてよ?」
本当はどうしてこんなに苛々するのか、自分で分かっていた。
ツンの本当の性格を知っているのは自分だけだという優越感を奪われ、そして何だか自分の居場所が無くなってしまったみたいな気がしていた。
だけど、そんな事、言えるはずも無く、俺は答えた。
「わかんねーよ!」
ツンはもう俺の話を聞くのをやめて書類に向き直っていた。

 こうして、ツンは学校でもその性格を隠さなくなった。
最初の頃こそ、一部にツンの事を「みんなを騙していた実は性悪女」みたいに言うグループもあったが、ツン自身が「まぁ、本当の事だし」と気にもせずにいた。
すると今度はその誰にも屈しないキャラクターが女子にも人気となり、ツンは男女どちらからも憧れられる存在となってしまった。
ツンは相変わらず優等生ではあったが優等生キャラではなくなった。
でも何だかツンはとても楽しそうで、以前よりも生き生きとしてる気がした。

(^ω^)
「おかえりなさい。――あれ? お客様?」
「あ、ああ。そこで偶然会ってさ」
「偶然では無い。待ち伏せしていたのだ」
ある日、クーが家にやってきた。
クーは俺の幼馴染で俺より年上の女子大生。
俺の親父とクーの父親が事業の敵のようで実は仲が良い、つまりはライバルみたいな感じで、そのせいで俺達二人は小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
俺と違って優秀に育ったクーは今は大学で勉強中だが、卒業したら事業を継いでもっと会社を大きくするんだといつも言っている。
「――それで? 待ち伏せしてまで何の用なんだ?」
二階のテラスに移動した俺達は紅茶を飲みながら話をしていた。
「最近、君の家に新しいメイドが入ったと聞いてね、見に来たんだよ」
紅茶を一口飲み、クーはそう答えた。
「何でそんな事でわざわざ……」
呆れる俺にクーが言う。
「いやいや。何でも、君とよく喧嘩をしてるそうじゃないか。それで、これは是非とも見に行かねばと思ってね」
「……誰がそんな事を?」
クーがくふふと笑う。
「情報源は教えられないなぁ」
くそー。先週、クーの家にお使いに行ってた渡辺さんがうっかり話したのか?
俺は紅茶を飲み、口をつぐむ。
「――それにしても何でまた突然メイドが増えたんだ? さすがに多すぎないか?」
クーの質問に俺はかぶりを振って答える。
「知らねーよ。ある日突然、親父が連れて来たんだよ。『今日から働く事になったツンだ』ってな」
「ふーん」
「さすがに俺も聞いたよ。何でそんなにメイドばっかり雇うんだよって。そしたら、『この娘のお父さんとは戦友なんだ』とか訳の分かんないこと言うし」
「ほう、戦友ねぇ」
「で、そんなにメイドばっかりいてももう仕事が無いだろって言ったら」
「言ったら?」
クーが身を乗り出して聞いてくる。
「『それじゃあ、お前のお世話係って事にでもしておくか』だと……」
くふふ、とクーが笑う。
「そりゃまた、お父さん、相変わらず適当だな」
「まいったよ」
「――お世話係ねぇ」
何かを言いたげな表情で俺をにやにやと見るクー。
俺はクーを見返してちょっとだけ不機嫌そうに言ってみた。
「言っとくけど、世話してもらった事なんてねーよ。むしろこっちが世話してやってるぐらいだ」
「――失礼します。ご主人様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
突如、背後から声をかけられ俺は振り向く。
「ツ、ツン!?」
そこにはティーポットを持ってツンが立っていた。
い、今の聞かれただろうか?
俺は慌てて取り繕う。
「あ、えーっと紅茶のおかわりだって? そうだな、もらおうかなー。美味しいなーこの紅茶。これ、ツンが淹れたのか?」
いえいえ、まさか、とツンは肩をすくめる。
「ご主人様のお世話も出来ませんのに、そんな紅茶を淹れるなんて」
真っ直ぐにティーポットを見つめたまま、こっちを見ようとしないツンの横顔を見る。……怒ってる。これは絶対怒ってる。
「『ご主人様』だって?」
その時、クーはツンが俺の事をそう呼んだことに目ざとく気付き、聞いてきた。
「あ、ああ。えーっと、そう。そう呼んでくれるんだー、ツンは」
「……へぇ」
またもにやにやと俺を見るクー。
右ではにやにや、左ではぷんぷん。前はテーブル。逃げ道は……、後ろから飛び降りるくらいしかねーな。
俺が飛び降りようか、いやこの高さではさすがに無事では済まないかと思案しているとクーがツンに向き直り、聞いた。
「――君が噂の新しいメイドか」
「はい、ツンと申します」
にっこりと微笑むツン。
その様子を見てクーが笑う。
「ドクオとやり合うなんてどんなメイドかと思ったら、なんだ、かわいい子じゃないか」
「見かけはな……」
ツンが俺をキッと睨む。
「私の事は知っているか?」
そう聞くクーにツンは頷き、答える。
「はい。メイド長の伊藤から、ご主人様――ドクオお坊ちゃまの幼馴染、と伺っております」
「そう、ドクオの元幼馴染。名前はクーだ。よろしくな」
クーが妙な物言いをした。
「元、幼馴染?」
ツンもそれに気付いたらしく、クーに聞き返す。
するとクーはにこりと笑ってツンに言った。
「ああ、今は――。立場的にはそう、ドクオの婚約者だな」

(^ω^)
 クーめ、何でそんな事を今ここで。
「へ、へぇー。婚約者なんていたんだ」
ツンがそう言って俺を見る。
「……ただの口約束だよ」
俺がそう言うと直後にクーが言う。
「だが、両家共に公認だ」
俺はさらに言い返す。
「で、でも、早すぎるよな。この歳で婚約とか」
「――そんな事、無いわよ」
驚いたことにそう答えたのはツンだった。
「婚約とか結婚とかに歳って関係無いんじゃない?」
「ほぅ、気が合うな」
ツンは俺達を見ながら話を続けた。
「誰かとずっと一緒にいたいと思ったら自然な答えだと思う。ほら、よくあるじゃない、小さい子が結婚の約束をするの。あれだってそうでしょ? すごく純粋な想いからくる約束」
そして、俺とクーを交互に見て、少し楽しそうに聞いてきた。
「あ、もしかしてあれ? 二人も子供の頃に結婚の約束をしたとかそういうの?」
「……ツン、意外とロマンチストなんだな」
思わずそう言った俺をツンは「失礼ねっ」と睨みつける。
そんな中、クーが呟くように言った。
「ふうむ。確かに私をドクオは幼なじみで結婚の約束をしているが、状況としてはいささか不純なのかも知れないな」
「……どうしてですか?」
ツンが表情を曇らせる。
「私がドクオと結婚するのはな――」
そうして、クーはツンに答えた。
「お互いにメリットがあるからだよ」
「……俺は親父の仕事なんて継がないぞ」
俺の呟きにクーが肩をすくめる。
「まだそんな事を言ってるのか。ツン、君からも言ってやってくれないか? ドクオときたらいつの間にかこんなになってしまって。こっちとしても困るんだよ」
「こんなって何だよ?」
「こんなってそんなだよ」
そんな言い合いをする俺とクーの後ろからツンが聞いてきた。
「……つまり、家の為、会社の為の婚約・結婚なんですか?」
「そうだな」
クーが即答する。
「そうですか……」
「――ただ、間違えないで欲しい」
何故か肩を落とすツンにクーが付け加えた。
「家や会社の為の婚約・結婚でもあるが、付け加えて、私は本当にドクオの事が好きなんだ。と、言うことで――」
そしてクーがツンを真っ直ぐに見つめて言った。
「私は君のライバルというわけだ」
「ばっ――!」
その瞬間、ツンは一瞬で顔を真っ赤にする。
そして、少し間を置いて落ち着くとクーに言った。
「……失礼しました。どうもあらぬ誤解があるようなので」
クーがくふふと笑う。
「そうか? 先日、デートもしたそうじゃないか」
……誰だ? そんな事までクーに報告しているスパイは。
クーの言葉にツンは慌てて否定する。
「あ、あれは別にデートとかじゃないですから! 偶然! 偶然に街で会っただけです! こいつの事なんて、なんとも思ってませんから!」
そうしてツンは「あ、紅茶のおかわりが」と言い訳をしながらテラスを去って行った。
「いい子だな」
クーがそう言って俺を見た。
だが、俺はちょっと落ち込んでいた。
そりゃ、ツンにそんなつもりが無いのは分かっていたけど改めて言われるとさすがに心が暗くなる。
あのデートみたいな一日。さすがに偶然では無かったけれど、あれだってただ単に優しいから付き合ってくれただけだ。
そう、分かってる。分かっているんだ。
「――クー様、いらっしゃいませ」
落ち込む俺の後ろから伊藤さんがクーに挨拶をした。
「おぉ、伊藤さん。先日はどうも。話に聞いた新しいメイド、なかなか面白い子だな」
クーはそう言って笑った。
スパイで密告者の正体は伊藤さんだったのか……。

(^ω^)
 その日の放課後、ツンの代理で行った委員会の仕事を終え、教室に戻って来ると内藤が俺に言った。
「これから、みんなでドクオの家に行くことになったお」
「はぁ?」
状況が掴めず聞き返す俺に別な友達が言う。
「ドクオの家、凄いって内藤が」
「そうだお! ドクオの家は凄いだお!」
意気揚々と声を上げる内藤。何でお前が自慢気なんだよ。
「だから、みんなで行ってみようって話になったんだお」
「なったんだお、ってお前……」
冗談じゃない。今から家に帰ったら先に帰って仕事をしているツンがメイド姿でみんなを出迎えることになる。
その上、ツンと一緒に住んでる事すらバレかねない。
そんな事になったら、今や男子ばかりか女子にまで人気のあるツンだ。へたすりゃ全校生徒を敵に回すことになる。
「あ、いやあのさ」
この状況を変えるにはどうすればいい? 俺は必死で考えた。そうだ、誰か他の奴の家に行くことにするのはどうだろう?
「あのさ! 家なんかつまらないよ。どうせなら別な家に行った方がいいんじゃないか?」
俺の提案に内藤が乗る。
「あ、それなら僕、行きたい家があるお」
ナイスだ、内藤。よし、その方向に話をシフトするんだ。
「そ、そうか。よし、そこにしようぜ! で? 誰の家?」
俺の質問に内藤が答える。
「ツンの家だお」
――状況、変わってねぇ。
「そっ、それは……」
どうしようかと考えていると誰かが言った。
「でもさ、そんな事言ってもきっと『やぁよ、冗談じゃないわ』って一蹴されるんじゃないか?」
それを聞いた内藤がニヤニヤと笑う。
「ふひひ、それもそれでまた……」
「…………おい」
俺の突っ込みで冷静になった内藤が再び声をあげた。
「まぁ、そんな訳で。やっぱりドクオの家に行くお!」
「いや、あの、ちょっと……」
そのまま、みんなが移動を始め、もう俺には止めるすべが無かった。
「あ、そういえば――」
その時、内藤がぴたりと足を止め、言った。
「今日だめだったお。用事があったお。明日にするお」
ええー、とみんなから不満の声が上がったものの、マイペース過ぎる内藤にみんなはついていくしかなかった。
「でも明日は俺が塾があるから無理」
「あ、俺も明日はダメだな」
その後、明日の都合が悪い人が何人か出て話し合いになった。
「――じゃあ、明後日の日曜日だお!」
日程が決まり、みんなにそう告げると内藤は俺を振り返って言う。
「じゃあドクオ、日曜日みんなで行くからよろしくだお」
「…………」
俺には返す言葉が無かった。
結局、家に来る事自体を止める事は出来なかったが、とりあえず二日の猶予を得る事が出来た。

(^ω^)
 それから家に帰ると俺が始めたのは部屋の整理だった。
ツンには当日はどこかの部屋で隠れててもらうからいいとして、俺の部屋で見れらたら人生終わるようなものは片付けておかねば。
しかし――。俺は考えた。
ツンに隠れててもらうのはいいとして、問題はしぃさんと渡辺さんだな。
二人共、ツンの秘密をばらしそうで恐い。
しぃさんは楽しんで、渡辺さんはうっかりと……。
その辺りの対策も考えながら部屋の整理を進める。
そして、棚から溢れ出した本の置き場を求めてクローゼットの奥を探っていた時だった。
古い段ボールから昔のアルバムが出て来て俺は何となくそれを開いた。
これを始めると片付けって終わらないんだよなと思いながらもパラパラとページをめくる。
子供の頃の俺は馬鹿なポーズでばかり写っていて、もしその時間に戻れるんだったら殴ってでも止めたいような写真ばかりだった。
そんな中で一枚の写真に目が止まった。
それはアルバムのページの位置からして小学校の頃の写真で、一緒にかわいい女の子が写っていた。
「これ、もしかして……」
ふと、記憶が蘇り、俺はそのページを開いたままアルバムを持ってツンのところに行った。

「――あら、懐かしいわね」
その写真を観てツンはそう言い、俺はがっくりと膝をついた。
「やっぱりそうだったのか……」
当時、親父に連れられて、俺はよく写真の場所に行っていた。
初めてここに行った時、俺はかわいい女の子がいるのに気がついて声をかけた。
しかしその数分後、俺は泣いていた。――その女の子からの毒舌に絶えられずに。
だが、懲りない俺はその後もそこに行く度に女の子に声をかけ続け、泣かされ続けてきた。
親父はその女の子の父親とすごく仲が良かった記憶がある。
だけど、いつしか親父はその集まりに行かなくなり、俺もその女の子の事を忘れてしまっていた。
その毒舌の少女。あれが今、目の前にいるこのツンだとは――。
「そういえばあんた、泣いてばかりいたわねー」
ツンが写真を見ながら言う。
お前が泣かせていたんだよ。
「……て、ちょっと待てよ?」
俺ははたと気付き、ツンに聞いた。
「お前、俺と昔に会った事あるって知ってたのか?」
ツンは俺を見て事も無げに言う。
「知ってたって言うか、思い出したのよ。あんたのお父さんに会った時に」
それから、写真に目を戻し、ツンは小さく息を吐いて言った。
「ううん、そもそも、この集まりでわたしのお父さんとあんたのお父さんが知り合ってなかったら、わたしがここに来る事も無かったのよね」
「え? そうなのか?」
あれ? そういえば――
聞き返して、俺は思った。
俺はツンがどうして家で働いているのか知らなかった。
何でだっけ? 両親が外国か何か遠くに行ってるとかそんなのだったっけ? それで親父とツンの父親が知り合いだったから家に来たんだっけ?
そして、続々と疑問が浮かんでくる。
親父とツンの父親ってどんな関係なんだっけ? そういえば戦友とか言ってたな、どこで知り合ったんだ? あ、いや、知り合ったのはこの写真の場所なのか。え? それで、この写真の場所って?
俺はツンに聞いてみた。
「なぁ、ツン。それでここって、何の場所だったんだ?」
「なによ、覚えてないの?」
ツンが聞き返す。でも、ここに行くと親父やその他の大人達は違う部屋に行ってしまい、俺達子供は他の子供達と遊んでただけだったし、ここが何だったのか覚えて無いどころかさっぱり知らなかった。
「ああ、全然」
「わたしも正式な名前は知らないけど、内容的には――」
ツンが言った。
「《妻を亡くした父親の会》よ」

(^ω^)
 予想外の答えに言葉を失った。
そんな俺にツンが補足するように言った。
「まぁ、みんなで励ましあって妻を亡くしたショックから立ち直ろうって会よね」
「あ、ああ……」
何とか返事をして、それからすぐにある事に気付く。
「え? ちょっと待てよ、ツンもそこに来てたって事は……」
俺の質問にツンは答えた。
「そうよ。わたしもお母さんが死んじゃって、それでお父さんと来てたの」
「そうだったのか……」
知らなかった。
驚き、少しだけ頭の中が混乱したが、この後、ツンはさらに驚きの事実を口にした。
「まぁ、その数ヵ月後にはそのお父さんも死んじゃったんだけどね」
「――え?」
完全に頭の中がパニックになった。
母親が死んで、その数ヶ月後には父親も死んでしまった? 両親共に死んでしまった?
「ちょ、ちょっと、どういう事だ?」
だから、だからそれで――?
俺は慌てて聞き返す。
「ツン、お前それで? 両親がいなくて、だから家で働いてるのか?」
「何よ、ほんとに何も知らなかったの?」
ツンがそう言って、俺を見る。
「わたしの両親が死んだのをあなたのお父さんが知って、それでわたしを拾ってくれたのよ」
そうだったのか――。
真実を知った俺は、だが直後に大きな違和感を覚えた。そして気付く。
ツンの母親が死んで、それがきっかけで親父と俺に出会ったのはほんの子供の頃。
そしてツンは言った。その数ヵ月後に父親が死んでしまったと。
「で、でも家に来たのってほんの数ヶ月前じゃないか。だったら――」
戸惑い、混乱した俺は畳み掛けるようにツンに聞いた。
「それまでの間、っていうか子供の頃から今までどうしてたんだよ?」
「――よくある話よ」
ツンは小さく息を吐き、そして自分の過去を話してくれた。

(^ω^)
 母親が死に、その数ヵ月後に父親が死んでしまったツンは当然のように親戚に引き取られた。
だが、それからツンはまるで出来損ないのドラマのようにあちこちたらい回しにされた。
「もともとがこんな性格だし、受け入れる人にしたら扱い難かったんだろうね」
親戚から遠い親戚へ、そこからもっと遠い親戚へ。時には施設にいた事もあったらしい。
「家族がぐるぐる替わって、学校もぐるぐる変わる。さすがに子供にはきつかったわ」
でも、悲しんでる暇すらも無かった、とツンは淡々と語る。
「すっかり諦めて家でも学校でも誰とも関わらないでいた時もあるわ。でも、あの時はほんと最悪だった。そんな態度なもんだから家では疎まれ、学校でもいじめられて、どこにも自分の居場所が無かった」
馬鹿だったなぁというようにツンは語り、それから自虐的にクスリと笑った。
ツンがどうして自分の本当の性格を隠すようになったのか、そして俺がクラスで孤立しそうになったのを気にしてくれた理由が分かった気がした。
「――ま、自分の居場所があった時なんて無いんだけどね」
ツンの話は続く。
「とにかくそんな感じであちこち彷徨ってね。運命なんだろうね。良い時もあったけど、長続きはしなかったな……。ここにいられると思っても、ある日突然、出て行かないといけなくなったりするのよ」
心の落ち着く暇なんて無かったな、とツンは遠い目で呟いた。
そして数ヶ月前、もうどれくらいの繋がりがあるのかも分からないずいぶんと遠い親戚の家にいたツンはその親戚が海外転勤になってしまい、またも居場所を失った。
「その時ちょうど、北海道に住み込みで働けるところがあってね。そこの山田さんって人に誘われて、わたしももう一人で生きて行こうと思ってたんだけど――」
ツンが俺を見た。
「そこに現れたのがあんたのお父さん」
「お、親父?」
「そうよ。突然現れて、わたしを雇ってくれたの。経験も無いのにメイドとして」
ツンの表情がやわらかくなる。
「最初は何かの罠かと思ったわよ。でも、聞けば、わたしのお父さんの友達で、お父さんが死んだのを知ってからずっとわたしの事を気にかけていてくれたらしくて」
――ああ、そうか。親父がツンの父親の事を戦友って言ったのは母さんが無くなって辛い時期を一緒に乗り越えたからか。
それで、その戦友の娘が一人きりになったなんて知ったら、何とかしようと思うよな、親父なら。
「そういう人だからなぁ」
「嬉しかったなぁ」
ツンが言った。
「わたしなんかの事を気にしてくれてた人がいたなんて」
ツンはうつむきながらも嬉しそうに微笑んでいた。
「でもね……」
そんな中、ふとツンが言った。
「同時に分かってもいるのよ。どうせまた、ここもいつかは出て行かなきゃいけないんだって」
「そっ、そんな事ねーよ!」
俺は咄嗟に否定する。
「親父もツンの事、気に入ってるみたいだしさ」
じゃあ、とツンは俺を見ながら言った。
「お父さんとの契約が切れるまでね」
「そ、それは…………」
俺は言葉を返せなかった。
だって、俺に一体どんな事が言えるというのか。
「あ、ごめんね。別にあてつけじゃないの」
俯く俺にツンが謝る。
「ただ、そうなんだろうなって。――大丈夫よ、もうそんな事、慣れてるし」
そう言って、微笑んでみせるツンの笑顔はとても寂しそうだった。
だから――、その寂しそうな笑顔を見て、俺は何かをしてやりたいと思った。
でも――、自分には何もでき無いって事も、分かっていた。
「な、何か暗くなっちゃったね。はい! じゃあ、この話はお終い!」
そう言ってツンはアルバムをパタンと閉じた。
「わたし、しぃさんの手伝いあるから。ドクオは部屋の掃除の続きね? 夕飯までには終わらせてよね」
「あ、ああ」
「今日の夕飯はわたしの自信作も出るから楽しみにしててよ!」
えへんと胸をはるツンに俺は言い返す。
「大丈夫なのか? それ」
「ちょっとー、ひどくない? まぁいいわ。夕飯を楽しみに待ってなさい!」
そう言ってツンは階段を降りて行った。

(^ω^)
 それ以降も、ツンは今までと何一つ変わらなかった。
普通、あんな事を話せば多少はぎくしゃくしそうなものだけど、俺とツンの間にはそんなものはまったく無かった。
翌日、学校で二階の渡り廊下から中庭にいるツンを見つけた。
ツンは友達といて楽しそうにおしゃべりをしていた。
窓越しにぼーっとツンを見ていると、ふとツンがこちらを振り向いた。
そして、俺に気付くと何故か「べー」っと舌を出して笑った。
何だあいつ、と思いながらもツンがそんな風に今まで通りでいてくれてほっとし、そして同時にそんなツンが何だかとても愛しく思えた。
俺も舌を出し返してやろうと窓に向き直ると、隣で内藤が声をあげた。
「つ、ツンが僕にあっかんべーをしたお! あれはきっと愛情表現だお!」
そんな内藤の言葉につられて周りの男どもが騒ぎ出す。
「いや、あれは俺に向けられていた」
「いやいや、俺だよ。だって、目が合ったし」
「絶対に僕だお!」
そうしてみんなが窓辺にかけより身を乗り出してツンに手を振る。
「うわっ、内藤たちよ。何してんのかしら」
ツンと一緒にいた女子達がそれに気付き、騒ぎ始める。
「なんか投げキッスしてる奴もいるよ! きもーい」
「逃げよ逃げよ」
そう言って、女子達は一斉に走って逃げ出す。
俺は、みんなと一緒に笑いながら髪をなびかせて走って行くツンの後姿を目で追っていた。

(^ω^)
 その日の帰り、昇降口で俺は空を睨んでいた。
「止まないか……」
放課後にツンの委員会を手伝っていたら何時の間にか雨が降り始めていた。
「どうしたのよ、ドクオ」
横に来たツンが俺が手ぶらなのに気付き聞いてくる。
「何よ? 傘持って来てないの? 今朝、伊藤さんが持って行くように言ってたじゃない」
「…………」
「……しょうがないわねぇ」
無言の俺にツンが傘を開きながら言う。
「一緒に入って行きなさいよ」
俺はツンの傘を見た。ツンが持っていたそれは折りたたみ傘で、二人で入るには少し、いやかなり小さいように思えた。
俺の視線に気付いたツンが言う。
「しょうがないじゃない、これしか持って来てないのよ」
「でも――」
「どうぞ、ご主人様」
遠慮する俺にツンはそう言って傘を差し出す。
「じゃあ……」
傘を受け取り、俺達は二人でひとつの傘に入って雨の中へと歩き出した。
「……ちょっとぉ、もうちょっとこっちに傘寄せてよ」
「お前こそ、この鞄、後ろに回せよ。邪魔だろ」
だけどやっぱり傘は小さくて、俺達は雨を避けるためにお互いの体を寄せ合わないといけなかった。いや、実際、それでも雨に濡れてしまう。
そうやって、俺達はしとしとと降り続ける雨の中を歩いた。
自分のすぐ横、体の触れる距離にツンがいる。
傘からはみ出し、冷たい雨の当る反対側、そこではツンの体温を感じていた。
横を歩くツンの顔を見て俺は思った。
「――何よ?」
俺の視線に気付いたツンが聞いてくる。
「いや、何でもない」
そう答えたが、俺は思っていた。
――ツンと一緒にいたい、と。
そして、同時に考える。
でも、一緒にいるだけじゃあダメなんだろうか――。
こんなにもそばにいるのに、ただ、そばにいるだけではダメなんだろうか――。
「何よ?」
ツンがもう一度聞いてくる。
「何でもないよ」
でもやっぱり俺には何も言う事が出来なかった。

(^ω^)
 今日は日曜日、みんながやって来る日だ。
「はぁ、まんどくせ……」
友達と呼べる人が来るのは楽しそうだと思うのだが、隠し事のせいで気疲れの方が大きい。
さて、ツンはみんながいる間は部屋に篭っててもらうか、それとも出かけててもらうか。
「おーい、ツン。みんなが来てる間の事なんだけど――」
階段で手すりを磨いているツンに声をかけた。
「――あれ?」
振り返ったツンを見て気がついた。
「お前、何だか顔が赤くないか?」
ツンはまるでお風呂から上がったばかりのように顔を上気させ、それに良く見れば目もとろんとして焦点が合っていなかった。
「……そお? そんな事ないわよ」
赤い顔で俺を睨み、そう答えるツン。
「いや、そんな事あるし。って言うか具合悪いのか?」
「大丈夫よ、何でもないわよ」
でも、そう言うツンは何だかふらふらしてるし、息を切らせてしゃべっている。
「いや、やっぱり――」
「大丈夫よ!」
突然、ツンは声をあげてそう言い返した。
そして、俺から目を逸らすと弱々しい声で言う。
「大丈夫だから放っておいてよ……」
しかし、ツンはふらつき、階段を踏み外した。
「――ツンっ!」
バランスを崩し、階段から落ちそうになるツンに咄嗟に手を伸ばし、力の限り引き寄せた。
「――――――」
カラーンと音をたててツンが持っていた掃除用具が一階に落ちた。
俺は何とかツンを捕まえ、腕の中に抱き寄せる事が出来た。
「はぁ…………」
安堵で溜め息が漏れる。心臓の鼓動が落ち着かなかった。
「……あ、あの、ドクオ」
腕の中からツンが俺を見上げる。
そんなツンに俺は
「――ば」
「ば?」
「馬鹿野郎っ!」
怒鳴った。
「ばっ、馬鹿とは何よ! それにわたしは野郎じゃないわよ!」
咄嗟に怒鳴り返すツン。
「お前絶対に具合悪いだろ! 何で大丈夫なフリするんだよ!? 具合悪いなら悪いって言えば良いじゃないか、そんな事も言えない奴は馬鹿野郎だ! 馬鹿ばーか!」
それに対して俺も怒鳴り返した。
「だから具合なんか悪くないって言ってるじゃない!」
必死になって言い返すツンの言葉なんか聞かず俺は続けざまに怒鳴る。
「あ、あれだろ! 昨日、濡れて帰って来てそれで風邪ひいたんだろ! ばかばーか!」
「なっ、何よあんたこそ馬鹿じゃないの!? 同じ状況にいたのに何でもないなんて! そうよ、馬鹿は風邪ひかないって言うもんね! 大体――ごほごほごほっ!」
興奮して言い返すツンは激しく咳き込んだ。
それから、うー、と俺を見上げる。
「……ほら見ろ」
少し涙目でそれでも俺を睨みつけるツンに俺は呆れたようにそう言った。
「で、でも――」
「いいから。伊藤さんには俺から言っておくから、さっさと寝ろ。ご主人様の命令だ」
言い返すツンの言葉を遮り俺はそう言う。
「……はい」
遂に観念したのか、ツンは熱で顔を紅潮させたまま俺を見上げてそう返事をした。
「……ね、ねぇ、ドクオ」
ふと、ツンが俺に言う。
「何だよ?」
俺が聞き返すとツンは俺から目をそらせて小さくなりながら言った。
「そろそろ、離してくれない?」
「え? あ、あわわわわっ――」
その時、俺は初めてずっとツンを抱きしめていたことに気付き、慌ててツンから離れた。

(^ω^)
「ごめん、家に来るの延期してもらっていいか? 家のメイドが風邪ひいたみたいでさ」
内藤に電話して、今日の家に来るのを中止してもらった。
「わかったお。じゃあ、みんなに伝えておくお」
「悪いな」
「いいんだお。じゃあ、その人にお大事にだお」
「ああ、サンキュ」
電話を切り、ツンの部屋に行く。
「家に来るの、延期してもらったからゆっくり寝てろよ」
ベッドで横になったツンに報告した。
ツンが小さい声で謝る。
「ごめんね」
「いいんだよ。どうせちょっと面倒だと思ってたし」
そう言って、それから内藤のメッセージを思い出した。
「あ、それから内藤が風邪引いた人にお大事にって。お前とは知らないけど」
「いい人ね。内藤君」
そう言ってツンはクスリと笑った。
「そうだな」
それっきり話す事も無くなり、部屋は沈黙に満たされた。
「……ドクオ」
「ん?」
「さっき、ありがとう。階段から落ちそうなの助けてくれて……」
ツンがそう言って、俺を見つめた。
「――なんでお前は」
俺はツンに聞く。
「具合が悪いの隠すんだよ? いつだったかの怪我の時もそうだったし。メイドだからって遠慮する事無いんだぜ?」
俺の質問にツンは首を振る。
「違うわ、メイドだからじゃない。ずっと、そうしてきたの」
「何でさ?」
「だって……」
俯き、その先をツンは言わなかった。
でも、いくら鈍感な俺でもそこで気がついた。
――そうか、そうだよな。あんな状況で育って来たんだ、色々遠慮するようにもなるよな。
「……まぁ、あれだな」
でも、そんな事を言うのが自分のキャラじゃないような気がして俺はツンに言った。
「たまにはツンが病気なのも静かでいいな」
ツンが布団の中から俺を睨む。
「……まるでわたしがいつもうるさいみたいじゃない」
「いや、そうじゃないか。いつもすぐに怒るし――」
俺の言葉にツンが声を大きくする。
「何よ、それ!? わたしはすぐに怒ったりなんかしないわよ! ………………あれ?」
「なんか……」
「既視感……」
それから二人同時に既視感の原因を思い出し笑った。
「成長しないわね、わたし達」
「そうだな」
そうしてもう一度笑う。
ひとしきり笑い、俺は部屋を後にした。入り口で振り返り俺はツンに言う。
「――じゃあな。何かあったら呼べよ。俺が嫌なら伊藤さんでも渡辺さんでも」
「……うん」
微笑むツンに見送られ、俺はドアを閉じた。

(^ω^)
 それからしばらくして伊藤さんにツンの様子を見て来るように言われてツンの部屋に入った。
「――――っ!」
ツンが驚いた表情でこっちを見た。
「伊藤さんに様子を見てくるように言われたんだけど……。ごめん、驚かせたか?」
「あ、ううん。今、目が覚めたところ……」
そう言ってツンは大きく息を吐いた。
「具合、まだ悪いのか?」
俺の質問にツンは大丈夫、と言いかけて、それから首を振って言い直した。
「ごめん、大分良くなったけどもう少し……」
「そうか。じゃあ、もうちょっと寝てろよ」
俺の言葉にツンは小さく頷く。
「じゃあな。おやすみ」
「――ま、待って!」
その時、部屋を出て行こうとする俺をツンが止めた。
「何だ?」
ツンが上体を起こして俺に訴える。
「……もうちょっと、ここにいて」
ツンは不安そうな顔で俺を見つめる。
「ただ、一緒にいてくれるだけでいいから……」
「ど、どうした?」
俺の質問にツンは目をぎゅっと閉じて訴える。
「さっき、恐い夢を見て……。小さい時から、病気で一人で寝てると恐い夢を見たの。だ、だから……」
「わかったよ」
俺は返事をするとツンのベッドの横に椅子を持って行き、そこに座った。

「ほら、ちゃんと布団かけろよ」
ツンをベッドに寝かせ、布団をかける。
ベッドで横になるツンは何だかいつもより小さく見えた。
「ドクオ、何だか優しいね」
「そうか?」
「そうよ、いつもこんなだったらわたしだって怒鳴ったりしないのに」
「俺もお前が怒鳴ったりしなけりゃ、いつでもやさしくしてるよ」
「ふふ、にわとりが先かひよこが先かね」
「そりゃ、ひよこだろう……」
病気で弱気になっているのか、ツンはよく喋った。
「この家は居心地がいいよね」
「まぁ、大きさだけは自慢出来るけどな」
「そうじゃなくて、何て言うか空気がさ」
「空気?」
「うん。すごく心地良い。多分、ここにいるみんなが作る空気なんじゃないかな。みんな楽しくてやさしくて、一緒にいるとすごく心が休まる」
「いつかもそんな事言ってたな」
「うん、でも日に日にその想いは募るよ」
そしてツンは目を閉じて、まるで願い事をするように言った。
「出来れば――、ずっとここにいたいなぁ」
その時に俺は気付いた。
ツンがここを帰る場所じゃないって言ったのは、そう思ってしまったらまた出て行く事になったときに辛いからなんじゃないかと。
過去、きっとツンは何度もそんな目に会って来たんだろう。自分の場所だと思ったところから出て行かないといけない、そんな目に。
「……そうしろよ。ずっと、ここにいろよ」
俺はそう言ったが、ツンは何も返事をしなかった。

(^ω^)
「……ねぇ、そういえば言ってなかったね」
ふと、ツンが言った。
「何だ?」
「こ、この間のデ、デデデ……」
ツンは傷ついたCDみたいに同じ音を繰り返す。
「なんだよ? デデデ?」
ごほんと咳払いをしてツンが言い直した。
「――こないだの映画、楽しかった」
「ああ、面白い映画だったな」
「そういう意味じゃなくて――」
俺の答えにツンは頬を膨らませる。
「ん?」
「つまりその……。その後? も含めての話なんだけど」
「え? ああ、あの偶然ごっこな、あれも面白かった」
「そうじゃなくて!」
ついにツンは怒り出す。
「あ、あのね? あのあのあの……」
再び壊れるツンCD。
下手に口出しをするとまた怒られるような気がして俺はじっとツンの言葉の続きを待った。
そうして、やっとツンが続きを言葉にした。
「あのね? 最初にドクオにデートしたいって言われた時、わたし嬉しかったの」
「――――っ」
ツンが? 嬉しかった? 嬉しかったって?
頭が回らない。
そうして、ツンは上目遣いに俺を見て言った。
「ねぇ、ドクオ。また一緒に何処かに行こうよ。わたし、きっと――」
思考が完全に停止した。
「ツン、入るよー?」
その時、声をかけるのが早いか、バーンと音をたててドア開き、渡辺さんが部屋に入って来た。
「ツン、具合はどう? ドクオ坊ちゃんに様子見に行ってもらったらちっとも帰って来ないんで」
「ツン、冷たいゼリー作ったけど食べられる?」
「庭から花を持って来ましたよ。ここに飾っておきましょう」
それに続いて、伊藤さん、しぃさん、荒巻さんがわらわらと部屋に入って来る。
そして、部屋にいた俺に気付き、みんなが言う。
「あれれ〜? ドクオ坊ちゃん、何でここにいるんですかー?」
「いつまでも帰って来ないで、頼んだ意味が無いじゃないですか」
「あやしいなぁ。クーさんに言いつけちゃうぞ?」
「え? ちょっとそれはどういう意味ですか?」
四つの口にいっぺんに責められ、俺はしどろもどろになりながら答える。
「なっ、べ、別にそんなんじゃ……」
「あれれ〜? 良く見たらドクオ坊ちゃんも顔が赤いですよ〜? 大丈夫ですかー? 感染ったんじゃないですかー?」
渡辺さんはそんな余計な事まで言って来る。
「こ、この部屋暑いんだよ!」
俺はそう言い残すと急いで部屋を飛び出した。

(^ω^)
「ねぇねぇ、渡辺さんは知ってる?」
翌日、すっかり元気になったツンがテーブルにカトラリーをセッティングしながら渡辺さんに質問していた。
「なぁに?」
「あのね、洋食の時ってこうやってフォークとかナイフとかをいっぺんに一杯並べるじゃない?」
「うんうん」
「それでさ、和食の時って――」
ツンは渡辺さんの横に移動し、こっそりと聞く。
「お箸を一杯並べるの?」
「ぷっ……」
ツンの質問が聞こえてしまった俺はテーブルに左右一本づつに分けられた箸が延々並べられている光景を想像して思わず笑ってしまった。
「そんな訳ないだろ、常識で考えろよ」
俺の言葉にツンは頬を膨らませる。
「――成る程、常識ですか。では、そんなドクオ坊ちゃんにテーブルマナーの問題です」
何時の間にか背後にいた伊藤さんが俺に問題を出して来た。
「和懐石の時に割り箸が出されたら最後は使用済みである事を知らせる為に折って返すのが正しい。○か×か」
俺は心の中でにやりと笑った。
この問題の答えは分からなかったが、伊藤さんが出題した意図は分かっていた。
これはまるでありえないような話だが、きっと正解なのだ。
そして、伊藤さんはこの問題を出す事で「ほら、テーブルマナーって言うのは常識では計れないものなんですよ」とツンを擁護するつもりなのに違いない。
俺は自信を持って伊藤さんに答えを告げた。
「×だ」
すると伊藤さんは俺を蔑んだ目で見て言い返す。
「……そんな訳無いじゃないですか。常識で考えて下さいよ」
やられたっ――!
俺はまんまと嵌められがっくりとひざをついた。
頭上からはみんなの笑い声が聞こえる。もちろん、ツンの笑い声も。
「ウツ――」
いつもの口癖が出そうになる。しかし、ふと自分がそれを言おうとした事に気付き、そこで止めた。
見上げれば、ツンがやさしく微笑んでいた。
 その後、伊藤さんによる簡単なテーブルマナー講座が開かれた。
意外とみんなも知らないような事もあり、中には本当に常識では信じられないような内容もあり、みんなで楽しく聞いていた。
みんなの輪の中にいるツンは幸せそうで、そんなツンを見ながら俺は、この時間がいつまでも続けばいいなと思い、でもそれは誰よりもツンが望んでいるのだと思った。

(^ω^)
「あれから、ツンとはどうだ?」
ある日、家の前に俺を待ち伏せする人物がいて、近付いてみるとそれはやっぱりクーだった。
クーはテラスのいつもの席に座ると開口一番、そう聞いて来た。
「あれからか」
俺はこの数日間にあった色々な出来事を思い返した。
「……色々あったよ」
クーがにやにやと俺を見る。
「そうか、色々あったのか」
「ちちち、違うよ! そういう事じゃねーよ!」
くふふ、とクーは笑って言う。
「分かっているさ。それに、万が一そういう状況になっても君ならば何も出来無いだろう事もな」
「ふん」
すっかり見透かされている俺。幼馴染はこれだから嫌だ。
俺はズズズと紅茶を飲む。
カチリとカップを置き、俺は独り言のように言った。
「――ツンが、ここにずっといたいって言ったんだ」
「ほう」
クーは俺を見ると事も無げに言った。
「ならば居させてやればいいじゃないか。ツンは君の事が好きなのだろう? だったらそのそばにいたいと思うのは当然の事だ。そうツンも言っていたじゃないか」
「ち、違う! 違うよ、全然違う!」
俺は慌てて否定する。
「ツンは俺個人じゃなく、この家の人間全員が好きなんだ。何て言うか家族として――、ただそれだけだよ」
「本当にそうなのか?」
そう聞き、やけに楽しそうに俺を見るクー。
そんなクーに俺は聞いてみる。
「……クー、お前ほんとに俺の事好きなのか?」
「ああ、もちろんだ」
即答するクー。
「じゃあ、なんでそんなにツンの事を嬉しそうに聞いてくるんだよ?」
俺の質問に今度はうーんと少し考えてクーは答えた。
「どうしてだろうな? 強いて言えばあれか、初めて現れた、そしてこれから先も現れないであろうライバルの登場に心踊っているのかもしれない」
何だろう、今、すごく心に刺さる事を言われた気がする。
「それに――」
クーが続けて言った。
「私は本当に君の事が好きだから、君に幸せになってもらいたいんだ。――たとえ、その相手が私じゃないとしてもな」
真っ直ぐに俺を見つめるクー。そんなクーから目をそらし俺は言う。
「別に俺は、ツンの事なんか何とも――」
「そうなのか?」
その問いには答えず、俺は続けて言った。
「……それに、ツンはほんとに俺の事なんか何とも思ってないよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
俺は答えた。
あれ以来、ツンは何も言って来ない。あの、続きの気になる言葉の先もまだ聞かせてもらっていない。
――でも俺も、あえてその先を聞こうとはしなかった。
もしかしたら、その先にあるのは幸福というものなのかも知れない。
きっと手を伸ばせばそれに届くのだろう。けれど、いざこうして手が届きそうになると俺はその正体が分かるのが恐くなる。
そして、後少しというところまで伸ばしたその手を引っ込めてしまう。
俺はどうしようもなく臆病なのかもしれない。

(^ω^)
 ある日、親父が俺に聞いてきた。
「ドクオ――」
「ん?」
「後継ぎの話、どうだ?」
「うん。まぁ……」
歯切れの悪い返事しか出来無い俺。
「そうか。ま、でもそろそろ、頼むよ」
「……うん」
それから親父は今まで以上に真剣な顔で俺に聞いてきた。
「ところでドクオ――」
「な、何?」
思わず身構える俺に親父は聞いた。
「お前、妹萌えか?」
「は……?」
「妹は欲しくないかって聞いてるんだ」
言っている意味がさっぱり分からなかった。
単語単語は分かるし、文も読めるのに意味が分からない。そんなまるで英語の長文読解でもやってるみたいな感じだった。
「……何言ってんのか分からないよ」
そのまま言葉にしてみるが、親父はそんな俺の質問なんか聞かずに悩んでいた。
「……ん? あれ? もしかして、姉になるのか?」
そして、改めて聞いてくる。
「お前、姉萌えでもいける感じ?」
もう、絶望的に意味が分からなかった。
「あの、えっとさ……」
「いや、つまりだな」
親父は俺を見て説明する。
「養女にしちゃおうかなー、と思って」
「はぁ?」
やっと意味が分かった。つまりは誰か養女にしたい人物がいて、その人が来れば俺の妹だか姉だかになるのだが、その人を養女にする事を俺はどう思うか、と言う事らしい。
意味は分かったが、その他のことがまるで分からない。俺は親父に聞き返す。
「しちゃおうかなー、ってそんな軽いノリで養女にするなんて、どこのどいつさ?」
俺の質問に親父は即答した。
「ここの、ツンを」
「――――え?」
俺は息が止まった。あまりにも唐突な答えに心臓さえも止まりそうになった。
「――どう思う?」
親父が聞いて来る。
「こっ、困る! ――ていうか絶対に嫌だ!」
俺は怒鳴った。
「ツンが家の養女になるだなんて冗談じゃない!」
俺は引き続き怒鳴る。
「何で? ツンと家族になるのが何でそんなに嫌なんだ?」
突然の俺の行動に戸惑う親父。まぁ、無理も無い。何しろ俺自身がどうしてこんなに嫌なのかが分かっていないのだ。
「そっ、そうじゃなくて! ツンと家族になるのが嫌なんじゃなくて――」
そこまで言って俺は気がついた。
そうだ、ツンと家族になるのが嫌なんじゃない。ツンと家族にしかなれないのが嫌なんだ。
つまり、ここでツンが家の養女になったら、俺とツンは姉弟という家族になってしまう。
そしたら――、そしたら俺はツンを好きになる事が出来無いじゃないか。
ツンを彼女に、恋人にする事が出来なくなるじゃないか。
その事に気付き、そして自分がそんな事を考えていた事に気付き、俺は自分でも驚いていた。
そして、俺は親父に言った。
「……とにかく、それは、やめてくれ」
「分かった。お前がそこまで言うのなら」
親父はそう答えた。
「ありがとう」
俺は親父に礼を言い、そして思っていた。
気がついた自分の中の想い。ツンへの想い。この想い、いつかツンに伝えよう。
すぐには無理かもしれない、でもきっといつか――。

だけど、この時俺は気付いていなかった。扉の向こうでツンが話を聞いていた事に。

(^ω^)
 そして、別れは突然にやって来た。
「わたし、北海道に行く事になったから」
それから数日後、ツンが突然そんな事を言った。
「北海道? 何だよ、旅行か? いつ帰って来るんだ?」
何も知らずに聞く俺にツンは淡々と答えた。
「もう、帰って来ないわ」
「…………は?」
俺は聞き返す。
「帰って来ないって、どういう事だ?」
「北海道に住むの」
ツンはまるで何でもないといった風にそう答えた。
「ど、どうして?」
「暑いの嫌いだから」
「ふざけるなよ!」
必死で聞く俺に馬鹿にしたような答えを返すツンに俺は思わず声を荒げる。だがそれでもツンは淡々と言った。
「いいじゃない。――どうせ、わたしなんかと一緒にいたくないんでしょ」
「何だよそれ!?」
ツンが何でそんな事をいうのかさっぱり分からなかった。
必死に自分を押さえ込み、俺はツンにもう一度静かに聞いた。
「……いいから、ちゃんと理由を聞かせろよ」
「結婚する事にしたのよ」
「はぁあああ?」
もう、完全に意味が分からなかった。北海道に行くって言ったと思ったら次には結婚すると言う。俺が馬鹿なのか、俺は馬鹿にされてるのか。
「なっ、なっ、何だよそれ…………」
「今週末、お見合い。でも、きっと結婚する」
淡々とそう告げるツン。
もう声が出なかった。いや、もう一体何を言ったらいいのか分からなかった。
何故? どうして? この前までここにいたいって言ってたじゃないか。
疑問は一杯あったのに頭が混乱してそれを質問に変換することすら出来なかった。
どれくらい時間が経っただろう。口を開けたまま、無言でいる俺にツンが言う。
「――じゃあ、仕事に戻るから」
そうして踵を返し、去って行くツン。
「ちょ、ちょっと待てよ」
やっと出た俺の言葉にツンは振り返りもしなかった。
「か――、勝手にしろ!」
俺が最後にやっと言えたのはそんな言葉だった。

(^ω^)
「どういう事なんだよっ?」
その夜、俺は帰って来た親父を問い詰めた。
「いや、たまたま知人に結婚相手を探している人がいてな」
親父はジャケットを脱ぎながら俺に俺に説明し始めた。
「ツンに冗談でどうだって聞いたら、『是非、お受けします』って言われちゃって」
「何でそんな事、言うんだよ? ツンなら遠慮してそう答えるに決まってるじゃないか!」
詰め寄る俺に親父は肩をすくめて言う。
「そんなの俺も分かってるさ。だからちゃんと冗談だよって言ったんだよ。だけど、ツンは『丁度いいタイミングだと思います』って言ってさ」
「……丁度いいタイミングって、ツンはまだ高校生だぜ?」
もはや詰め寄る気合もそがれ、肩を落として俺は聞く。
「十六歳を超えてるから問題は無い。それに――」
親父はネクタイをゆるめ、ソファーにどさっと座り込むと言った。
「それが彼女の意思なんだ」
ふぅー、と深く息を吐く親父。
「そう、か」
俺は呟いた。
――そうか、そうだよな。それが、ツンの意思ならしょうがない。
分からない事が、納得の行かない事があっても、それがツンの意思なのなら、それはもう俺の口出しするべき事じゃない。
「……週末、お見合いだって?」
俺にはもうそんな事しか聞く事が残っていなかった。
「ああ、土曜日にな。ツンならきっと先方も気に入ってくれるだろ」
「そうだな」
俺は小さく息を吐くと呟くように言った。
「あいつならきっと上手いことやる」

 部屋に戻り、俺は考えた。
ツンが、結婚して北海道に行ってしまう。
北海道、北海道か……、遠いな。北海道がバスで行けるくらいの距離だったらいいのに、と思った。
でも、違う、と思い直す。
違う、距離が問題なんじゃない。結局、ツンがここを出て行ってしまったら、俺はツンに会いに行く事が出来無い。そんな理由が俺には無いからだ。ましてやそれが結婚となれば。
もうすぐ、俺はクラスメイトでもご主人様でも無くなり、そしてもうツンに会うことは出来無くなる。
やっと気付いた自分の想い。その想いを伝える相手はここからいなくなる。
いつか伝えようと思っていた俺の想いはここで終わり。誰にも伝えられる事の無いまま消えていくしかない。
しょうがない。全ての人にハッピーエンドが待ってくれているわけでは無いのだ。

(^ω^)
 それからの数日間、俺とツンはほとんど会話らしい会話をしなかった。
俺とツンの間を行き交ったのは必要事項の伝達と、心の通わない挨拶だけだった。

 お見合い当日の朝、ツンはその準備で学校を休むらしく玄関まで俺を見送ってくれた。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
そう言ってきっちりと頭を下げるツン。
「……お見合い、今日だっけ」
何か言いたくて、知っているのにそんな事を聞いた。
「はい。ヤドナ・シーサン・ホテルで」
ツンはそう答えてくれた。
だけど、俺にはもうそれ以上、聞くことも言うことも残っていなかった。
いや、本当は聞きたい事も言いたい事も沢山あった。
でも、それは今更言ったところで、聞いたところでどうにもならない事ばかりだった。
しばらくの沈黙の後、俺はツンに言った。
「行ってきます」
そうして背を向けて歩き出した俺をツンが呼び止める。
「ドクオ!」
振り返った俺にツンが静かに言った。
「……じゃあね、さよなら」

(^ω^)
 いつも以上にぼーっとして授業を受け、学校はあっという間に終わった。
午前で授業は終わり、昼には家に帰ってきた。
だが、家にもうツンはいなかった。
いつもと変わらないはずなのに家の中が静かな気がした。
何となくツンの部屋に行ってみた。
一応、ドアをノックして部屋に入る。
元々、持ち物の少ないツンの部屋はひどく広く、がらんとして感じた。
その静寂と無機質な広さに耐え切れず、俺はすぐにその部屋を出た。

(^ω^)
「――まるで上の空だな」
目の前のクーが呆れ顔で俺を見ていた。
「人を呼び出しておいて」
そう言って、紅茶を一口飲むクー。
「……あ。ああ、ごめん」
クーの言葉に自分がぼーっとしていた事に気付き、俺はクーに謝る。
「まぁ、いいさ。君のそんな顔のアホ面を眺めているのも楽しいものだ」
くふふ、と笑うクー。
「それで?」
クーはカップを置くと俺を見て聞いて来た。
「何をそんなに気にしているんだ?」
クーの質問に俺はのろのろと答える。
「……ツンが今日、お見合いなんだ」
「お見合い?」
クーの眉毛がぴくりと動いた。
「結婚して、北海道に行くんだとさ――」
それから俺はツンの突然の行動について話し、
「あいつ、ついこの間までは家にいたいって言ってたんだ――」
突然の心変わりについて話した。
「なのに――」
そして、全てを話し終え、俺は独り言のように呟いた。
「でもそれが、ツンの答えなんだよな……」
そう、これはツンが望んだ事だ。
「だったら俺にはもう何も出来る事は無いよな」
そう、だから俺はもう諦めないといけない。
「――やれやれ」
俺の話を聞き終わったクーは静かにカップを持ち上げ、溜め息混じりに言う。
「ひねくれ者同士、大変だな」
そして、こちらを向いてさもそれが当然といったように聞いてきた。
「それで? 何故、お前はここにいるんだ?」

(^ω^)
「何故って――」
驚く俺にクーは言う。
「ドクオ、お前は本当にそれでいいのか? ちゃんと諦められるのか? 理解しているように見せかけるだけでなく、これでいいんだと、本当にそう思えるのか?」
クーは言葉を緩めずにただひたすらに俺に問い、
「それに何よりもお前は――」
そして、聞いて来た。
「本当に自分の気持ちと向き合ったのか? 自分の想いのために、最後まで逃げずに闘ったのか?」
それを聞いて、俺はいつだったかツンが俺に言った言葉を思い出した。
『あんたは全てにおいて自分には出来無いと諦めて、何かと言い訳作って逃げてるだけよ。そしてそれをクールだと自分に言い聞かせて、逃げてるという事実からまた逃げてるのよ』
そうだ、あの時、確かに俺は逃げていた。
そして――、今また同じように逃げようとしているんだ。
 どうして俺はこんなところで何も出来る事が無いと座っているんだ。
何も出来ることが無い? 違う、俺はまだ何もしていない。
手を伸ばすのを躊躇い、いつかと思いつつ後回しにして、そして最後にはツンが心変わりしたと思い、全てを諦めていた。あの時と同じように。
――でも、あの後、俺は知った。
どんなに努力しても最後には転倒するかもしれない。
でも、それでも手に入るものがあるという事を。
そして、それは努力しなければ手に入らないという事も。
「……クー、ごめん」
俺はクーに謝り、席を立った。
「――良かったよ」
「え?」
立ち上がった俺を見上げてクーが言った。
「もしここまで言ってもまだうだうだと言い訳をして何もしないような男だったら、私は君を嫌いになるところだった」
そして、ふっと笑い、言う。
「だが皮肉なものだな。嫌いにならなかった行動のせいでわたしはこの恋を失うのだからな」
「クー……」
「まぁ、いい。以前にも言った通り、君が幸せになればそれは私の幸せなのだ」
そう言ってクーは俺を見つめて微笑んだ。
「だがドクオ。このわたしを振ったのだ、ひとつ貸しだぞ」
そう言うクーに俺は胸をはって答えた。
「俺が社長になったら返してやる」
「――そうか、君の父上も喜ぶだろう」
クーがもう一度、やわらかく笑った。
「時間を取らせてしまったな。さぁ、行くがいい」
「クー」
「何だ?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
クーは静かに微笑むとカップを取り、紅茶を飲んだ。
そして、俺は街へと駆け出した。

(^ω^)
 ツンがお見合いをしているホテルに着いたのはそれから三十分後だった。
お見合いはまだやっているんだろうか? もしかして、もう終わってしまい、ツンはもう北海道へ発ってしまったんじゃないだろうか。
不安にかられながらホテルのロビーに入り、レストランのあるフロア―へ向かった。
そこには思った以上に多くのレストランがあった。
「……くそっ、場所も聞いておくんだった」
ホテルの名前は聞いたが、お見合いをするレストランの名前を聞いていなかった。
しかたなく、片っ端からお店に入り、ツンの姿を探した。
そうやって、あちこちの店をうろうろしているとしばらくしてホテルの警備員に呼び止められた。
「何をしてるんだ?」
「え? あ、あの。えーっと……」
どうやら誰かが警備員に通報したらしい。まぁ、無言で店に入りあちこち見て出て来るを繰り返していれば不審に思われるのも無理は無い。
「ひ、人を探していて……」
そう言い訳をするが、警備員は俺を睨んだままだった。
「そうか。じゃあ、話を聞きたいからちょっと警備室まで来てもらおうか」
冗談じゃない。そんな時間は無い。そんな事をしていたらツンが北海道へ行ってしまう。
「いや、あの……」
そして、俺は行動に出た。
「あっー!」
と叫びながら警備員の後ろを指差し、相手が振り返った隙を見て全力で走り出した。
「ま、待てーっ!」
警備員は叫びながら俺を追ってくるが、その差はもう歴然、ましてやあの体格で俺に追いつけるはずもない。
だがその時、警備員が肩に手を伸ばした。
「もしもし、俺だ。不審者がいる、至急応援を請う!」
そしてそこに装備されていた無線機で応援を呼ぶ警備員。
「ずっ、ずりーぞ!」
文句を言うが、そんなの通じない。
すぐさま前方に別な警備員が現れて、俺は針路変更を余儀なくされる。
「こんな事をしている時間は無いのに」
叫びながら警備員から逃げて、とにかくめちゃくちゃに走った。
レストランフロア―がどんどん遠のいて行った。

(^ω^)
「……どこだ、ここは?」
警備員を振り切って出たのはどうやらホテルの中庭みたいだった。
「ここからどうやって戻れば……」
茂みに隠れながらレストラン目指して移動していると前方から声が聞こえた。
「――そうなんですか? 凄いですね。わたし、尊敬しちゃいます」
ここしばらく聞いていなかったその話し方、でもその声は忘れるはずも無いあの声だった。
「――ツン!」
反射的に、声をかけてしまった。
「ドクオ!?」
突如として茂みの中から現れた俺に驚くツンとその他もう一名。
親父や他の人の姿は見えず、ツンは見合いの相手であろうそのもう一名の男の人と二人で話をしていた。
いわゆる、後は若い二人でって時間だろうか?
「なっ、何しに来たのよ?」
そんなツンの質問に返す言葉はたった一つ。でも、やっぱり俺にはそのたった一つの言葉が中々言えなかった。
「い、いや――」
「何よ?」
聞き返すツン。でも、俺はやっぱり言えない。
「あ、あのーですね」
「うん?」
「実は……」
会話にすらならない言葉の掛け合いにツンがもう一名をちらりと見て聞いてきた。
「こっちだって時間無いんだから、何か言いたいことがあるなら、早く言ってよ」
ツンにそう促され、俺は思い切って言った。
「そういう、かわいこぶってるツンって久しぶりに見たなぁって……」
ちっ、ちちち、違うっ! 何を言ってるんだ俺は!?
「な、何言ってるの、ドクオ君?」
動揺して、そんな俺自身が入れた突っ込みと同じ事を言うツン。
「あ、あのツンさん。その人は?」
もう一名が俺をちらちらみながらツンに聞く。
ツンがコホンと咳払いをひとつして俺を紹介する。
「こちら、ドクオ君。わたしの学校のクラスメイトです」
ツンの紹介に俺は言う。
「クラスメイトで、ご主人様のドクオです」
「ご、ご主人様?」
俺の言葉に驚くもう一名。
「ちょ、ちょっと! 変な言い方しないでよ!」
ツンもぎょっとして慌てて否定する。
「ち、違うんです。このドクオ君は――」
そのツンの説明にかぶせるように俺は続ける。
「そう、ご主人様なんですよ。でも、一番、怒鳴られてるんですけどね」
「ど、怒鳴る? ツンさんが?」
ますます驚く、その他一名。
「ちちち、違いますよ、そんな。何言ってるのよ、ドクオ君。わたし怒鳴ったりなんか――」
「いやー、すごいですよ。ツンの罵詈雑言は」
「ば、罵詈雑言!?」
立て続けに行われる未知の攻撃にもう一名はそろそろ混乱してきている。
「いや、あの。わたし――」
「それでいて、さっきみたいに猫かぶるのもうまいですからね。もう攻守最強ですよ、ツンは!」
「こ、攻守最強の猫……」
もう、自分でも何言ってるのか分からなかったが、相手も何を言われているのか分からなくなってたと思う。
「それに――」
「――ちょっと!」
そこで、ついにツンがキレた。
怒りの炎に包まれたツンが俺を睨んで声を上げる。
「何よ、あんた!? 邪魔しに来たの!?」
お見合い相手はそんなツンを見て、すっかり固まってしまい、俺はそんなツンを見つめ返しながらおずおずと言い返した。
「――そ、そうだよ」

「いたぞ! こっちだ!」
その時、背後から声が聞こえた。
振り向くと数名の警備員達が俺に向かって走って来ていた。
逃げようと前方を見れば、そこにも何人かの警備員がいる。更には左右も囲まれていた。
既に逃げ道は何処にもなく、次の瞬間には俺は何人もの警備員達に押しつぶされていた。
「こいつ、手間かけさせやがって!」
俺はかなり手荒に扱われ、あげく手錠までかけられて警備員室に引っ張っていかれた。
だけど俺は最後の抵抗を見せ、足を踏ん張ってその場に留まり、声をあげた。
「ツン!」
だけど、何が起こったのか分からないツンは身動き一つ出来ずにただじっと俺を見ていた。
「ツン!」
抵抗むなしく俺の体は警備員に引き摺られ始める。
そして俺は最後に力の限り叫んだ。
「ツン! 行くなー!」

(^ω^)
「――じゃあ、私は車をガレージに入れてきますので」
俺を車から降ろした荒巻さんは車をガレージに向けて走らせた。
 警備員室に連れて行かれた俺は連絡先を聞かれ、その連絡を受けた荒巻さんが迎えに来てくれたのだ。
荒巻さんは、ご迷惑をおかけしました、と謝り、俺を引き取ったが、でも考えてみれば、俺は別になんら悪い事などしていない。
そして、俺は結局、目的を果たす事が出来なかったらしい。
警備員室にもどこにもツンは来なかった。
きっと、あのまま北海道に行ってしまったのだろう。
「痛っ!」
捕縛のどさくさで殴られた頬が痣になっていた。
「はぁ……」
俺は溜め息を付き、玄関の呼び鈴を押す。
ガチャリと音を立てて鍵が開けられ、そして扉が開かれた。
そこには、ツンが立っていた。
「……おかえり」
思わず、そうツンに言った。
「――そっ、それはわたしの台詞よ! なんで帰って来たあんたが言うのよ」
的確な突込みを入れるツン。
「それに、わたしは帰って来たわけじゃないんだからね! ただ報告に来ただけなんだから!」
続くツンの言葉に驚き、俺は聞き返す。
「お見合い、うまくいったのか?」
ツンが俺を睨みながら言う。
「ダメだったに決まってるじゃない」
「そうか……」
少しほっとする俺。だが、そんな俺を睨んだままツンは言った。
「で、でももうこの家からは出て行くんだから! わたし、一人で生きていく事に決めたんだから!」
「……なぁ、ツン?」
俺は一度小さく深呼吸をすると、ツンを真っ直ぐに見つめる。
「な、何よ?」
未だに俺を睨んだままのツンに俺は言った。
「――おかえり」
「だ、だから、何であんたが言うのよ? 帰って来たのはあんたで、わたしじゃないでしょ!?」
「いいんだ、ツン。これであってるんだ。帰って来たのはお前だよ。――お前の帰る家はここなんだよ」
「な、何言って……」
戸惑うツンに構わず、俺は言葉を続ける。
「お前の帰る家はここだよ。もし出て行きたくなったのなら、出て行ったっていいさ。でもな、いつでも好きな時にここに帰ってきていいんだ。行き先が分からなくなったら、行きたいところが見つからなかったら、最後にはここに帰って来ればいいんだ」
「でも……、でもいつか……」
ここを出て行かないといけなくなる。ツンはそう思っているのだろう。
大丈夫、と俺はツンに教えた。
「――俺、会社を継ぐ事にしたんだ。だから、親父の次には俺が雇ってやる。しかも、そうなったら終身雇用だ」
俺は言葉を、自分の決意を伝える。
「それにもし、お前が戸籍上でも家族が欲しいっていうなら、家の養子にでも何でもなればいい」
そこから先は言うのに少し勇気が必要だった。でも、俺はもう逃げはしないと決めたんだ。
「ほ、本当は――」
俺は自分の顔が赤くなっているのか、それとも蒼くなっているのか、そんな事も分からないままに俺はツンに自分の想いを伝えた。
「違う形でお前と家族になれればいいんだけど……」
その意味を理解し、俺を見つめるツン。しかし直後、ツンはその顔を顔を伏せる。
「でも、ドクオはクーさんと……」
「別れたよ」
そう答えた俺にもう一度瞳を向けるツン。
「……そ、そうなんだ」
「半分は、お前のせいだぞ?」
「し、知らないわよそんな事!」
ツンは頬を膨らませ顔を背ける。
そうして、顔はそむけたまま、今度はその膨らませた頬を赤くして俺に告げる。
「……でも、し、しょうがないわね。わたしのせいなら責任とってあげるわよ」
「――――っ!」
その言葉を聞いて、俺はただひたすらにほっとした。
俺はツンを見つめ、自然と緩む頬もそのままにツンに言った。
「よし、じゃあ決まりだ」
「うん」
「ツン、お前はもう自分の居場所を探す必要なんて無くなった。今、お前がいるここが、お前の居場所だ」」
「うん、うん」
いつの間にかツンの瞳からは涙が溢れていた。
「な? だから、ツン」
俺はそんなツンに一歩近寄り、微笑みながら言った。
「おかえり――」
ツンが泣きながら笑顔で答えた。
「――ただいま」

続・ツンはドクオの家のメイドのようです
ツンはドクオの家族になるようです


2010.06.01掲載


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