[ TOP ] > ツンはドクオの家のメイドのようです

(^ω^)
 教室正面のスピーカーからはお昼の放送が流れていた。
机の上にはおかずの入った弁当箱。俺の左手にはご飯の弁当箱、右手には箸とその先に卵焼き。そして俺の目の前、――そこには誰もいない。
つまりこれは独りきりのランチタイム。食事を楽しむためでは無く、栄養摂取を目的とした生物が生存するために行う作業の一つだった。
別にいつも一緒に食べている誰かが今日は休みで今日は仕方なく独りで食べている、等ということは無い。
これが俺のいつもの昼休み。これが俺の日常風景。これは俺が望んだ独りの世界。
 クラスメイトとの楽しいおしゃべりなんて必要ない。誰かに合わせて何かをするなんてごめんだ。
友情とか愛情とか、そんなものは俺の人生には不必要な物。
俺は世の中に迎合したりはしない。独り、クールに世界を生きる。
 他人のご機嫌を窺いながら愛想笑いを振りまいて生きるなんて冗談じゃない。そんな事になるくらいなら俺はこう呟き、それを実行するだろう。
「――鬱だ、死のう」

ツンはドクオの家のメイドのようです

「何か言った? ドクオ君」
思わず声に出してしまった俺の呟きに、俺の目の前の席に座っている女子が振り返る。
その女子の名はツン。
ツンの容姿は十人いれば十人が振り向くレベル。かわいい系と綺麗系の中間に位置する最高の顔。背は高からず低からず、均整の取れたスタイルでこの椎英知第二高校で一番人気がある女子だろう。
更にツンは容姿がいいだけじゃない。そのキャラクターは誰にでも優しく、成績優秀・品行方性。つまりはかわいく優しい優等生。攻守共に無敵の存在だった。
そして性格は…………。
「どうしたの?」
ツンが俺を見ながらにっこり微笑む。
でも俺はそれにときめいたりしない。むしろツンのそんな笑顔を見ていると溜め息をつきたくなる。
俺はツンに肩をすくめ、食べ終わった弁当箱を閉じると机に突っ伏した。
 前の席から聞こえて来る女子の会話に何時の間にか男子が混ざっている。
きっとみんな目当てはツンだろう。どいつもこいつも声に下心が見えている。
このクラスの、いやこの学年、いやいやもしかしたらこの学校の殆どの男子生徒がツンに憧れていた。
 俺は寝たふりをしながら心の中で呟く。
まったく、馬鹿ばっかりだな。
だけど――、実はこの俺も他の男子と同じく、彼女に憧れを抱く一人だった。
そう、「だった」。過去形。
理由は――。

(^ω^)
「――ただいま」
「ドクオ坊ちゃん! おかえりなさい、待ってましたよ! ちょっと、こっちに来て下さい!」
家に帰った俺を出迎えたのはメイド長の伊藤さんの小言だった。
「何? 伊藤さん」
「坊ちゃん、またパソコンの電源点けっ放しで学校行かれたでしょう!」
「あ……」
「気を付けて下さいよ! 今月はただでさえ出費が多いんですから」
伊藤さんが口を尖らせながら言う。メイド長の伊藤さんはこの家の経理も担当していて、いつもお金の事にうるさい。
別に預けられた金額が少ないからという訳では無く、与えられた予算の中でいかに無駄を無くすかが彼女の美学であり、プロフェッショナルとしての腕の見せ所らしい。
そして、怒らせるととても恐いので俺も素直に謝っておく。
「ごめんなさい」
「あれ、ドクオさんどうしたんですか? またパソコンで何かイケナイものでもダウンロードして怒られてるんですか?」
横を通りかかった料理長のしぃさんが声をかける。
「そそそ、そんな事してねーよ!」
ちょっと心当たりがあって、俺は慌てて話題を変える。
「そ、それで伊藤さん。パソコンは?」
「触っちゃいけないと思ってそのままにしてありますよ」
「そうか」
ほっと胸をなでおろす俺の背後から声が聞こえた。
「あれれ〜?」
振り返るとそこにはもう一人のメイド、渡辺さんがいた。
渡辺さんが首を傾げながら俺に言う。
「ドクオ坊ちゃんのパソコンならさっき部屋の掃除してたらコンセントが抜けちゃって止まってますよ?」
「な、なんだってー!?」
渡辺さんの衝撃の発言に俺は階段を駆け上がり部屋に飛び込む。
「じょじょじょ、冗談じゃないよ……」
抜けていたコンセントを繋ぎなおし、パソコンを起動してみると、無事に起動した。
「はー、良かった……」
俺は今度こそほっと胸をなでおろし、部屋を出た俺を呼び止める声。
「――ドクオお坊ちゃま」
そこには執事の荒巻さんが立っていた。荒巻さんはその細い目で俺をじっと睨む。
「は、はい?」
荒巻さんも伊藤さんと同じく怒らせると恐い。俺は思わず姿勢を正して荒巻さんを見つめ返す。
「家の中を走ってはなりません」
「は、はい……」
「よろしい」
荒巻さんはそれだけ言うと去って行った。
「はぁ……」
俺は思わず壁によりかかる。帰って来て数分、この家の殆ど全員に会っていた。
 この家には五人の使用人がいる。
俺の母親が俺が小さい頃に事故で死んでしまって以来、父親が雇い入れたのだ。
執事の荒巻さん、そして料理長のしぃさん、それにメイド長の伊藤さん、メイドの渡辺さん。この四人が昔から家で働いている使用人。
そして最近、そこにもう一人の新しいメイドが加わった。
――ピンポーン。
と、その時、家の呼び鈴が鳴った。
「すいません、ちょっと手が離せないんで誰か出ていただけますかー?」
下から聞こえて来た伊藤さんの頼みに俺は玄関に向かう。
そして俺は扉を開けた。
開けた扉のその向こう、そこに立っているのはツンだった。
ツンは睨むように俺を見つめ、言う。
「……おじゃまします」
俺の横を通り抜け、そのまま二階へと上がって行くツン。

 そして十分後、ツンが俺の部屋にやって来た。
その服装はメイド服。伊藤さんや渡辺さんと同じく家で使っているメイド服だった。
メイド姿のツンは俺の前に立ち、聞く。
「さて、何か急ぎの仕事はありますか? ご主人様」
――そう。新しいメイドはツン。ツンは俺の家で住み込みでメイドの仕事をしているのだった。

(^ω^)
 あの美人で優しく優等生のツンが自分の家のメイドをしている。
しかも、一応の名目とは言え、その役割は俺の世話係。
誰もが憧れる状況だろう。羨ましいと思うかも知れない。だが――、現実は違うのだ。
「御用はございませんか?」
ツンの問いかけに俺は頼み事を思い出し、ツンに言った。
「そうだ、あれ頼もうと思ってたんだ」
俺の返事にツンは眉をしかめる。
そして、言い返した。
「――何よ?」
「学校のジャージの裾がほつれてるんだ。直してくれないか?」
俺の頼みにツンが答える。
「はぁ? 嫌よそんな事。自分でやればいいじゃない」
不機嫌さを隠そうともせず、ツンは俺を睨むように見つめる。
「で、でも仕事なんだからやってくれよ」
俺の必死の頼みにツンはきっぱりと言い返した。
「――仕事だからって、やりたく無い事はしないわよ」
「や……」
絶句する俺に背を向けツンは部屋を出て行く。
その背中に俺は最後の反撃を試みる。
「雇い主の命令が聞けないってのか?」
俺の言葉にツンが振り返る。
「私を雇っているのはあなたじゃないわ。あなたのお父様よ」
その言葉に俺は何も言い返す事が出来なかった。
「――それじゃあ、失礼します。ご主人様」
そう言い残して、ツンは部屋を出て行った。
「はぁ……」
俺は溜め息をつく。
ツンとの家でのやりとりは大体いつもこんな感じだ。
つまり、俺の憧れた、そして今でも学校で多くの男子が憧れているツンは存在しない。
学校でのあのツンはその容姿以外はまったくの別人という事だ。
学校中にツンの秘密をばらしてやってもよかったが、ツンが家で働いている事は学校では内緒の上、よく考えたらそんな事を話す友達も俺にはいなかった。

(^ω^)
 朝、学校に着き自分の席に座る。
さて、授業が始まるまで寝てようかそれとも携帯でもいじろうかと考えていると後ろの席から声をかけられた。
「あーあ、ドクオはずるいお」
声の主は内藤。中学からの付き合いでクラスで唯一、俺と話す人物。
無視していると内藤が身を乗り出して俺にもう一度言った。
「ドクオはずるいお」
「……何でだよ?」
仕方がなく振り返ると内藤が言った。
「だって、あんなかわいいツンといつもすぐそばにいるじゃないかだお」
「えっ……?」
一瞬、ツンが自分の家にいるのがばれたのかと思い、俺は焦る。だが、内藤は続けて言った。
「ツンのすぐ後ろの席なんてドクオはずるいお」
内藤の言葉に俺は少しほっとして答える。
「別に、そんなの嬉しくも何ともねーよ」
俺の答えに内藤が不満そうに言う。
「嘘だお! きっとドクオはいつでもツンの匂いをかいでるんだお」
「……そんな事しねーよ」
「ドクオはクールすぐるお。それともあれかお? ドクオはホモなのかお?」
「あほか……」
「あーあ、それに比べて僕がかげるのはドクオの匂いだけだお」
「お前こそ、ホモかっつーの」
そう言って会話を打ち切り、俺は前に向き直る。
すると教室の扉ががらりと開き、ツンが入って来た。
「おはよー」
ツンは友達に挨拶をしながら俺の目の前、自分の席にやって来る。
「つつつ、ツン! おはよーだお!」
背後からの内藤の叫び声にも近い挨拶にツンがこちらを見る。
「おはよー、内藤君。……それにドクオ君」
そして、俺達に向かってにっこりと微笑む。
「ふひー! おはおはおはおーだおだお」
内藤はその笑顔にすっかり舞い上がってしまい、言葉にならない言葉を発している。
だけど、確かにツンのその笑顔はかわいくて、内藤が舞い上がってしまうのも無理は無かった。
きっと、ツンにあんな笑顔を向けられたら、ときめかない男子はいないだろう。
――俺を除いて。
何故なら俺は、この笑顔の裏に潜む本当のツンを知っているからだ。
俺はツンに挨拶をせず、代わりに肩をすくめた。

(^ω^)
 ツンとて、最初からこんな感じだった訳じゃあ無い。

 俺が初めてツンに会ったのは家では無く学校だった。
ある日、転校生として俺のクラスに入って来た美少女。それがツンだった。
転校初日からツンはずば抜けていた。美人で優しく、思いやりがあって優等生。
そりゃあ、みんな憧れるだろうし、不覚にも俺も惹かれてしまった。
でも、きっと俺の人生と彼女の人生が交差することは無いだろうと思って家に帰った俺を待っていたのは驚愕の事実だった。
そのツンが家の新しい使用人だったのだ。
これにはさすがにクールな俺も舞い上がった。
あのツンがみんなに秘密で俺の家でメイドをしている。クラスのみんなに優越感を感じ、俺は何かとツンに用事を申し付けた。
更には調子にのって自分を「ご主人様」と呼ばせてみたりもした。
その件で伊藤さんは俺を怒ったがツンは「いいですよ、気にしませんから」と俺をご主人様と呼び続けてくれた。
そうして過ぎた数日間。その間、ツンは俺の知っていた優しく優等生で素直なツンだった。
 だがある日、事件は起こった。
親父の取引先の役員か何かが商談を兼ねた客人として家に来た。
その客は一目見てツンが気に入ったようだった。
かわいいねぇ、年はいくつ、ここ辞めて家で働かないか等と言ってツンを困らせた。
ツンは愛想笑いをして切り抜けていたが、応接間から戻ると明らかに不機嫌で、再び呼び出されると大きな溜め息をついた。
やがて、その客の行為はエスカレートした。
きっとツンを見て、何も言わないと思ったんだろう、客は親父が資料を取りに行ったりして不在になる隙を見計らってツンにセクハラをし始めた。
「おーい、ツンちゃん! 飲み物のお代わりをくれないかな」
客はまるでツンをホステスかなにかのように扱い始めた。
泣きそうな顔で応接間に向かうツンと目が合ったが、何と言っていいのか分からずに俺は目を逸らしてしまった。
 そして数分後、応接間から聞こえたのはツンの怒鳴り声だった。
「ちょっと! いいかげんにしなさいよ! このエロ親父!」

(^ω^)
 突然聞こえてきたその声に、俺を含めこの家にいる全員が応接間を覗き込んだ。
そこには腕を組んで客を睨みつけるツンと、ツンに見下ろされ顔を蒼くしている客がいた。
「どうなされました?」
荒巻さんが二人の間に入る。荒巻さんの足元に客がひっくり返したであろうグラスが転がっていた。
それに遅れて親父が応接間に降りて来た。
「何があったんですか?」
親父が客に質問するが客は蛇に睨まれた蛙よろしく蒼い顔でじっとツンを見上げるだけで何も言わない。
だけどそれも分かる気もした。冷たい怒りの炎を身にまとったツンは恐ろしくも美しく、それに対して何かを言葉を発するなどということは到底出来そうに無かった。
「ツン、何があったんだ?」
親父は質問相手をツンに替える。するとツンは親父を真っ直ぐに見て言った。
「ご主人様、失礼ながら言わせていただきます。こんな、影に隠れてこそこそと何かをやるような人と付き合いを持つのはどうかと思います」
ツンの目をじっと見てから親父は再び客に振り返り聞いた。
「どういうことか、説明していただけますか?」
「あ……、いや。あの、その……」
ツンから目を逸らしてもらえた客はやっと声を発する事が出来るようになったが、それでもそれは言葉にはならず、ただただ汗を拭きながら何かを呟くことしか出来なかった。
「か……、帰らせていただく」
ようやくそんな言葉を発することが出来た客はよろよろと立ち上がり玄関に向かって歩き出した。
そして、途中「こんなメイドはすぐにクビにした方がいいぞ!」と怒鳴ると自分でドアを開け、みんなに見つめられながらも、誰に見送られること無く家を出て行った。
バタン、と扉が閉じる音と共に、家の中に静寂が訪れた。
「――あ、あの、申し訳ありません」
客の出て行った玄関を見つめていた親父にツンが声をかける。
戸惑うツン。だが、それ以上に周りのみんなも戸惑っていた。
「……それにしても驚いたな。まさかツンがあんなことを言うなんて」
誰かの呟いた一言をきっかけにみんなが呟き始めた。
「実はツンって結構いい性格してたんだなー」
「でもかっこよかったですよー」
「いままで猫かぶってたのか」
「すっかり騙されましたよ」
「「あ、あの…………」
そんな中、ばっとツンが頭を下げた。
「ごめんなさい!」
そして、頭を下げたままみんなに言う。
「そうなの! 今までの大人しいわたしは本当のわたしじゃなくて、本当のわたしは全然違うの! 本当の自分を知られたらクビになると思ってみんなを騙してたの!」
突然のツンの告白に再び静寂が訪れた。

(^ω^)
「あははははっ!」
最初に笑ったのはしぃさんだった。
「いいじゃない、そんなツンも私は好きだよ?」
しぃさんは目を細めてツンを見ながらそう言った。
続いて渡辺さんがツンに言う。
「そうだよ〜、それに騙してただなんて。みんな最初はなかなか自分の素顔は見せないものだよ〜?」
「お客様に暴言を吐いたのは良くないが――」
伊藤さんがコホンと咳払いをして言う。
「まぁ事情あっての事だったし、以後はお客様には丁寧に接すれば不問としよう。いいでしょう? 荒巻さん」
「うむ、そうだな。今までの接客を考えればむしろその辺は問題無いと思える」
そして、親父に振り返り、聞く。
「どうでしょう、旦那様?」
親父がツンを見て言う。
「――うん。もちろん、いいとも」
親父の言葉にツンが顔を上げた。
「で、でも、お客様が……」
だがやっと顔を上げたツンのその表情は不安でほとんど泣きそうだった。
そんなツンの頭を親父はそっとなでる。
「……大丈夫。君が正しいのは分かってるよ」
「で、でも、大事な取引先なのに……」
「いや、いいんだ。家の者に手を出すような奴はもう客なんかじゃない」
親父はそんなかっこいい台詞をはくと、にこっと笑ってツンに言った。
「これからもよろしく頼むよ。――じゃあ、まずはあいつのひっくり返したグラスを片付けてもらえるかな?」
その言葉にツンの表情が和らいだ。
「はいっ!」

 そうしてツンはみんなに受け入れられ、以来、家ではその性格を隠さなくなった。
まぁ、家にいる他の人達も軒並み変わった人ばっかりだしな。
「いやー、俺も完全に騙されてたよ」
はにかみながら応接間を出て来たツンに俺も微笑みかける。
するとツンはすっと表情を変え、冷たい目で俺を見つめ、言った。
「この事、学校では黙ってなさいよ」
「……え?」
そのあまりの落差に戸惑う俺にツンは溜め息をついて言う。
「何よ、見てるだけで何もしないし、終いには目なんかそらしちゃって。大体、『ご主人様』なら守ってくれても良さそうなもんじゃない?」
「え? あ、ご、ごめん……」
「失礼します。ご主人様」
そう言ってツンは去って行った。
そうして、それ以来ツンは学校ではまるでメイドのように優しく、家ではまるで仲の悪いクラスメートのように俺に接するようになった。


「ほんと、見事に騙されてたよな……」
俺の呟きを自分のことだと悟った前の席に座っているツンが俺に振り返り言った。
「どうしたの、ドクオ君。何か悩み事?」
俺に微笑みかけるその目の奥が、余計な事を言うなと光っていた。
俺はどうしようも無く、肩をすくめるだけだった。

(^ω^)
「……ドクオ。これ」
放課後、帰ろうとした俺を昇降口で引き止め、ツンは俺にプリントを差し出した。
「何だこれ?」
「今度の陸上競技大会のプリントよ。さっきのホームルーム、さぼってどこか行ってたでしょ」
「何だ、そんなの家で――」
ツンがものすごい勢いで睨んで俺に近付く。顔と顔が接近し、思わずドキッとした。
するとツンは小声で俺に言った。
「止めてよ。バレたらどうすんのよ」
俺とツンはまさか同じ家に住んでるとは言えず、学校では単なる近所という事になっていた。
俺は肩をすくめ、答える。
「悪かったよ」
そうしてプリントを受け取る俺にツンが聞いて来る。
「それにしてもどこ行ってたのよ? 大体あんた、いつもひとりで何やってんの?」
「……別に」
「ねぇ、ドクオ。あんた、友達いないの? 学校で内藤君以外の誰かと話したりしてるの見たこと無いんだけど」
「――友達なんかいらねーよ」
俺の言葉にツンがあきれ顔で言い返す。
「何それ? かっこいいつもり?」
そんな事を言われ、ちょっとムッとして俺は言い返した。
「お前みたいに友達を作るためにあんな風に性格変えてまで愛想良くするよりはいいと思うけど?」
「――何よ、悪い?」
俺の言葉にツンがすっと表情を変えた。
「わたしは一人でいるのは嫌なの。だから、あんたと違って友達を作るのを諦めたりしないの」
そうしてしばらく俺達は睨み合っていたが、やがてツンは無言で踵を返した。

(^ω^)
 家に帰り、部屋で漫画を読んでいると呼び鈴が鳴った。
「ドクオ坊ちゃん、お暇なら出ていただけますかー? 伊藤と渡辺はちょっと手が離せないものでー」
どこからか伊藤さんの声が聞こえて来る。
「ドクオ坊ちゃん、聞いてますかー?」
「分かったよー」
返事をすると、本を閉じて玄関へ向かった。
それにしても。考えてみれば、家の使用人達はみんな俺の扱いが雑じゃないか?
階段を降り、玄関の扉を開ける。
そこにはツンがじっと立っていた。
扉を開けたのが俺だと気付くと、ツンはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
まったく……。ツンは俺を出迎える時も俺に出迎えられた時にもいつもこんなだ。にこりと笑うどころか作り笑いさえもしない。
「……おじゃまします」
いつも通り、ツンはそう言って俺の前を通り過ぎる。
その時、俺はツンに聞いた。
「なぁ、どうして――」
「申し訳ありません。友達と話をしていたら、つい遅くなってしまいました」
俺の言葉を遮りツンがあからさまに不貞腐れた様に言う。
別に遅かった事を批難するつもりじゃあ無かったのに、突っかかるようにそんな事を言われて思わず俺は言い返した。
「つい、ね。帰るのが嫌でわざと遅くまで学校にいたんじゃないのか?」
「――っ!」
その瞬間、ツンが俺を睨んだ。
「な、なんだよ?」
「――いえ」
次の瞬間、ツンはもう冷たい表情になっていた。
「そうですね、友達と話していてつい遅くなる。ご主人様には分かるはずもありませんものね」
「……何だよ、厭味か?」
「いえいえ、そんなつもりは毛頭ございません。ただ、ご主人様のように孤高に生きる覚悟はわたくしにはございませんので」
「こいつ――」
丁度その時、通りかかった渡辺さんが俺に言った。
「あれれ〜? ドクオお坊ちゃま、女の子にこいつなんて言っちゃだめですよー」
「え? あ、でっ、でもこいつが――」
「ほらほら、また〜」
「い、いや、だって――」
「ほんと、ダメですよ〜」
渡辺さんはそう言いながら通り過ぎてしまい、俺の抗議なんか聞いちゃいなかった。
何だか毒気を抜かれて振り返るとツンはもうそこにはおらず、階段を昇って自分の部屋へ向かっていた。
「――なぁ」
ツンの背後に向かって呼び止める。
「何よ?」
足を止め、振り返ったツンに俺はもう一度、聞いてみた。
「どうして、いつも『おじゃまします』なんだ? 『ただいま』でいいじゃないか」
俺の質問にツンはしばらく俺を見つめていたが、やがて目を伏せて答えた。
「別にだって、住み込みで働いてるってだけで――、ここに住んでるわけじゃあないもの。それに……」
「それに?」
聞き返す俺にツンはぽつりと言った。
「それに、家族でも無いのに……」
ツンの答えに俺はムッとして答えた。
「そうかよ。悪かったな、出迎えたのが俺なんかで」

(^ω^)
 部屋で漫画の続きを読んでいると、廊下から「痛っ!」という声が聞こえてきた。
本を置き、廊下へ出る。するとそこには足首を押さえ、うずくまるツンがいた。
「……どうしたんだよ?」
俺の問いかけにツンは一瞬こちらに振り返ると「何でも無い」とだけ答えた。
「そうか」
「そうよ」
だが、ツンは足を押さえたままじっとその場を動こうとしない。
「ひねったのか?」
俺の問いにツンは小さくこくりと頷いた。
「歩けないなら、肩貸してやろうか?」
「大丈夫よ」
即座にそう返答したもののツンは眉根を寄せて動こうとしない。明らかに強がりだった。
「……ちょっと見せてみろよ」
俺がそう言って近付くとツンがこちらを見て言う。
「何よ、いやらしい」
「いやらしいって……」
本当にそんな気持ちは無かっただけにちょっと落ち込んだ。
するとツンはそれに気付いたようで顔を伏せて言った。
「ごめん、言い過ぎた。――とにかく、大丈夫だから放っておいて」
俺は気を取り直して再度聞く。
「湿布とか持って来てやろうか?」
「いい、大丈夫」
「俺が嫌なら誰か他の人呼んでくるけど?」
「大丈夫だってば」
「なんだったら――」
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
突然、ツンが怒鳴った。
「わたしに構わないでよ……」
その背中が俺を拒否していた。
「……勝手にしろ」
俺が言うとツンが答える。
「もとよりそのつもりよ」
うずくまるツンの顔がほんの少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「――ほら」
結局、それから俺はツンに湿布を持って来てやった。
ツンは少しばつの悪そうな顔で俺を見上げ、無言で湿布を受け取った。
「何でいっつもそんなに怒ってるんだよ?」
俺の問いにツンは頬を膨らませて答える。
「怒ってなんか無いわよ」
いや、怒ってるだろう。とは思ったが口にはしなかった。
「なら、いいけどさ」
ツンは足に湿布を貼ると、よろよろと立ち上がり階段へと向かった。
「大丈夫か?」
「大丈夫よ」
そう答えてツンは階段を一段ずつゆっくりと降りて行った。
ひょこひょこと肩を揺らすツンの背中に向かって俺は「あんまり痛いようならちゃんと病院行けよ」と声をかけた。
ツンは無言で階段を降りて行った。

(^ω^)
 それから数日後の体育の時間。
月末に迫った陸上競技大会に向かって、クラスのみんなは気合十分。
困ったことに俺の所属するクラスはこういう行事に盛り上がるタイプだった。
「はぁ……、まんどくせ」
俺は練習からこっそり離れ、地面に座り込む。
遠くからクラスのみんなを眺める。自主的にランニングをする者、ももを高く上げて走る者、スタートダッシュの練習をする者。
みんなよくあんなに一生懸命にやるよな。青春って奴か?
ただの陸上競技大会、それも校内の行事にあんなに必死になって何があるってんだ?
「どうしたんだお、ドクオ。もう疲れたのかお?」
内藤がやって来て俺の横に腰を下ろす。
「いや……」
「みんながドクオがサボってるって言ってるお」
「ああ、そう」
俺は青春をしている連中を見ながらそっけなく言う。
「それで? お前も注意しに来たのか?」
「違うお」
そう言ったきり、何も言わない内藤。
あまりに静けさに不思議になって振り向くと内藤は校庭の反対側、女子グループの方を向いていた。
「やっぱりツンはかわいいお」
内藤の言葉につられ、俺もそちらを見る。
丁度、ツンがスタートするところだった。
「用意――、スタート!」
合図と共にツンが走り出す。
均整のとれた手足を振り、後ろで束ねた長い髪をそよがせながら走るツン。その姿は野生動物のように美しく、力強かった。
全身の筋肉を使った、それでいて無駄の無い動き。全ての動作が速く走るためだけに機能している。
足が、腕が、身体が前へ前へと押し出され、そうして一緒にスタートを切った誰よりも速くゴールを駆け抜けた。
――うっかり、見惚れていた。
「へぇ、やるもんだ……」
見惚れていた事を誤魔化すように俺は言葉を吐く。
その時、ふとゴールを切ったツンが少しびっこをひいているのに気がついた。
「……こないだのあれか」
「なんだお? あれって」
俺の呟きに内藤が反応する。
「何でも無い」
「そうかお」
俺の答えに内藤はそれ以上聞かずに女子の方を見続けた。
「……お前、本当に注意しに来たんじゃなくて女子を見に来たんだな」
だが、内藤は俺の質問とはまったく関係の無い事を唐突に言い出した。
「ああ、ツンと結婚出来たらなぁ」
「……何で!?」
驚き、聞き返す俺に内藤が言う。
「そんなの決まってるお! 結婚したら一生、一緒にいられるじゃないかだお! そしたら毎日、家に帰るとツンが出迎えてくれるんだお。きっと、心がほっとするお」
満面の笑みで俺を見つめる内藤。
しかし、その笑顔に俺は肩をすくめることしか出来なかった。
毎日出迎えられてる俺が断言しよう。
――ツンと一生一緒だって? あんなのが一生続くなんて、ぞっとする。

(^ω^)
 校庭の隅にある水道に水を飲みに行くとそこには先客がいた。
「……何よ?」
先客のツンは俺を睨むように見上げた。
「何でもねーよ。水飲みに来ただけだよ」
「そう」
そうして、いくつか並んだ蛇口の一番端と端で二人で水を飲んだ。
「足――」
「え?」
「足ひねったのまだちゃんと治って無いんだろ? 無理すんなよ」
俺のかけた言葉にツンが驚いたような顔でこちらを見た。
「……な、何よ!?」
「何って?」
俺が聞き返すとツンは戸惑ったように言い返す。
「なっ、何であんたにそんな事言われないといけないのよ?」
「何でって……」
全身の力が抜けて行くのを感じた。
俺にはそんな事すら言う権利が無いのか。
そして思わず呟く。
「――鬱だ、死のう」
その言葉にツンが俺を鋭く睨む。
「ちょっと――!」
ツンがキュッと蛇口を捻って止め、俺に対峙する。
「……何だよ?」
「あんたに死なれると困るんだけど」
「何でだよ、関係無いだろ?」
「関係無くなんか無いわよ」
そう言って、じっと俺を見るツン。
「……だって、一応、あんたの世話係りって事になってるから、もしあんたが死んだらわたしの仕事が無くなって、そしたらどこか別な場所に行かないといけないじゃない」
俺を見つめるツンの表情でその言葉が冗談なんかじゃないと分かり、俺にはもう返す言葉が無かった。
「……まぁ、本当に死ぬような事は無いでしょうけどね」
しばらくの沈黙の後、ツンはそう冷たく言い放つとグラウンドに戻って行った。
その後姿を見つめながら俺はもう一度、心の中で呟いた。
鬱だ、死のう。

(^ω^)
「ねぇ、ツン。好きな食べ物って何?」
ある日、キッチンの前を通り過ぎるとしぃさんがツンにそんな質問をしていた。
「好きな食べ物? う〜ん」
「デザートでも何でもいいよ?」
「何かな? 何かな?」
「ツンは意外な物が好きだったりしそうだな」
考え込むツンをみんなが笑顔で取り囲んでいた。
「うーん、好きな食べ物かぁ〜」
余程の難問だったらしい。ツンの眉間に徐々にしわが寄る。
なかなか答えないツンに渡辺さんが言う。
「あれれ〜? だったら好きな、じゃなくて食べてみたい食べ物でもいいよ?」
「あ! じゃあ、あれ!」
渡辺さんの提案にツンが即答した。
「エスカルゴが食べてみたい!」
「エスカルゴ?」
ちょっと意外な答えにしぃさんが聞き返す。
「うん。だってさ、――実はわたし、この家に来た時に少し期待してたのよ」
楽しそうにツンはその理由を語り始める。
「メイドを雇う家ってお金持ちって事でしょ? だから、きっと凄い豪華な食べ物がいっぱい出て来るんだって思ってたのよ。それこそ見た事も聞いた事も無いような料理とか」
「単純だな」
思わず口に出して言ってしまった俺をツンが睨む。
「うるさいわね、あんたは黙っててよ」
「こら、ツン! 何だその言葉使いは!」
すかさず伊藤さんがツンを叱る。いいぞ伊藤さん。
「失礼しました。――ご主人様は黙ってていただけますでしょうか」
ふてくされたように言うツンに伊藤さんが言う。
「よし」
ええー!? いいの? それでいいの!?
「――そしたらさ」
「うん」
ツンが話を再開し、みんなが続きを聞く。どうやら俺の事はあれで終わりらしい。
「なんか、意外と普通の食べ物ばっかりじゃない?」
「でも、食材は高級なんだよ?」
「うん、分かってる。実際、美味しいしね」
しぃさんの言葉に頷きながらツンが言う。
「でもさ、やっぱりわたしの中でお金持ちの食べ物と言えばキャビアとかフォアグラとかエスカルゴなのよ」
「ああー、ちょっと分かる」
渡辺さんがツンに同調する。
「わたしもここに来るまでそんなの見たことも無かったよー」
「ねー」
手を取り合って笑い合うツンと渡辺さん。
「そうか、じゃあツンが食べてみたいのはエスカルゴでフォアグラでキャビアなのか」
「えへへ」
しぃさんの言葉にツンが照れくさそうに笑う。
「――さて、みなさん。そろそろ、いいですか?」
キッチンにやってきた荒巻さんが伊藤さんに言う。
「はい。――さぁ、おしゃべりの時間は終わりだ。そろそろお客様が来るからみんな準備をして!」
伊藤さんが手を叩きながらみんなを促す。
「はーい」と三人が返事をし、おしゃべりは解散となった。
ツンは楽しそうに準備のために二階へと駆け上がって行った。

(^ω^)
 その事件は「ぽかぽか陽気・体育の授業後・昼休み」という三連コンボが教室を支配している時に起きた。
太陽は教室を温室に変え、運動後の適度な疲れの中、食欲も満たされた人々は今度は睡眠欲を満たすべく机につっぷした。
教室のあちらこちらで眠っている人の姿が見えた。そして、その中にはツンの姿もあった。
間もなく、授業開始の時間だというのにツンは一向に起きる気配が無かった。
いつも授業5分前には席につき、教科書やノートを準備している優等生ツンにはありけない光景だった。
軽い寝息をたてて眠り続けるツン。
――しょうがない。見て見ぬ振りをするにはあまりにも近い。俺は目の前の席で眠るツンに声をかけた。
「おい、ツン」
呼びかけるがツンの返事は無い。
「おい、ツン!」
少し声を大きくしたが、ツンは僅かに体勢を変えただけで起きはしない。
しかも、俺の声に周囲の数名がこちらを振り返る。
「おい、ツン! 起きろよ!」
周囲を気にして、早く起こそうと俺はツンを呼びながら机越しに肩を叩いた。
「う、う〜ん」
するとツンはやっと目覚め、よっぽど熟睡していたのだろう、ぼーっとした表情で俺を振り返り、言った。
「――何ですか、ご主人様?」
その一言に、クラス中が騒然となった。
「……ご主人様?」
「どういう事?」
「ツンがドクオをご主人様って呼んだんだって?」
「なになに? あの二人、どういう関係なの?」
あのツンがあのドクオをご主人様と呼んだ――。
あまりの衝撃に直接俺達に聞いて来る者は誰もおらず、みんながざわめきながら遠巻きに俺達を見ているだけだった。

(^ω^)
 ――まずい。非常にまずい。
このままでは勝手な憶測をされて面倒な事になる。
かと言って本当の事を言っても、それはそれで面倒な事になる。
ツンも状況を理解したらしいが、寝起きで頭が回らないようでどうしていいのか思いつかないようだ。
「どどど、ドクオ! どういう事だお!?」
面倒の筆頭みたいな奴が質問してきた。
クラスのみんなが俺の答えを待っている。
《あのツンがあのドクオを》いいだろう、これを満足させる答えを出せばいいんだろう?
俺は内藤を無視してツンに向かうとこう言った。
「あ、ありがとうツン! 俺、昨日読んだ漫画で主人公がそう呼ばれてて、俺も一度そうやって呼ばれてみたかったんだよね! まさか頼んだ通りにそう呼んでくれるとは思わなかったよ! いやー、嬉しいなー。でもちょっと目立っちゃったね、ごめんごめん」
最後の方はもう声が小さくなっていたと思う。
しかし、俺の言葉でクラスのざわめきは止まった。
だが、それと入れ替えに新しいざわめきが、主に女子の間で始まった。
「え? どうしたの?」
「何だか、ドクオ君がツンにエロ本の台詞を言わせたらしいわよ」
「えー、さいてー」
「ご主人様だって。あれよ、メイド萌えってやつよ」
「ちょっとドクオ君! ツンに何言わせてんのよ!」
「ツン、かわいそうに」
一斉に女子に批難される俺。
ツンは女子に囲まれ、「かわいそうに」等と言われ、言われたツンは「え? あ、ああ、うん」と曖昧な返事をした。
女子って恐ろしい。批難の数々は段々と関係無い方向に逸れ、何時の間にか単なる俺の悪口大会と化していた。
もちろん、俺を庇ってくれる友達なんていない。唯一希望がありそうな内藤は何故かきらきらした目で俺をみるばかり。俺に出来る事はひたすらに耐え、授業が始まるのを待つ事だけだった。
そうして、五分という長い時間が経過し、俺の心が粉々に砕け散った頃、チャイムの音と共にやって来た先生によって教室はやっと静けさを取り戻した。
授業開始の挨拶後、席に着いた俺は小さく呟いた。
「……鬱だ、死のう」
「ドクオ、ドクオ!」
そんな俺の肩を後ろからつつく内藤。振り返ると内藤が目をきらきらと輝かせて言ってきた。
「ドクオはチャレンジャー、いや、勇者だお!」
「……何でだよ?」
聞き返す俺に内藤が言う。
「ツンさんにあんな風に呼ばれるんだったら女子にあれぐらい言われるのなんて安いもんだお!」
そして、俺の更に前、ツンの後姿を見ながら内藤が決意したように言った。
「僕も、頼んでみるお!」
「……やめとけ」
俺はそう言うのが精一杯だった。

(^ω^)
「おかえりなさい……」
家に帰ると玄関でツンが待っていた。
ツンは俺と一瞬だけ目を合わせ、そして、ばつが悪そうに言う。
「ごめん、わたしのせいで……」
「べっ、別に」
俺は思わずツンに言う。
「あんな奴等になんか、何言われたって気にならねーよ」
「でも――」
更に何かを言おうとするツンに俺は言葉を続ける。
「それにそもそも! お前の為なんかじゃねーよ。あのままで、もしお前と一緒の家に住んでるなんてばれたら嫌だから、だからだよ!」
しばらくの沈黙。
やがてツンが俺を見つめて言った。
「――そう」
そして俺に背を向け、立ち去る。
だが、途中で振り返るとツンは言った。
「一応、謝ったからね」
「……ああ」
「それと――」
「何だ?」
俺が聞き返すとツンは俺から顔をそらし、再び前を向いて小声で言った。ともすれば、聞き逃してしまいそうな小さい声で。
「――ありがとう」
そうして、俺の返事も聞かずに去って行った。
……ありがとう、だって? あのツンが? 学校では無く家で俺にお礼を?

(^ω^)
 翌日、今日も今日とて陸上競技大会に向けた練習。
クラスのテンションは上り続け、俺のテンションは下がり続ける。まったく、こんな事があと何日続くのか。
腕組をするとふとジャージのほつれが綺麗に直っている事に気がついた。
俺は練習を離れ、女子の練習との間に立っていたネットに近付いた。
そこにはツンがもたれかかっていた。
俺は反対側にもたれかかり、前を向いたままツンに話し掛けた。
「ジャージ、直してくれたのお前だろ?」
ツンもこちらを向かずに答える。
「そうよ。あんた自分でやったんでしょ。ちょっと雑だったから直しておいてあげたわよ」
「あ、ああ。サンキュー」
俺がお礼を言うとツンは即座に言い返してきた。
「仕事だからよ。仕事だから仕方なくやっただけ。一応、あんたのメイドなんだからしょうがないじゃない」
「あれ?」
「何よ?」
「仕事だからってやりたく無い事はやらないんじゃなかったっけ?」
俺の言葉にツンは声を上ずらせる。
「う、うるさいわね! もうやってあげないわよ!」
「ふーん。もう、って事はまたやってくれるつもりだったんだ」
「う、うるさいってば! もう、さっさと戻りなさいよ! こんなところにいるとまたみんなに何か言われるわよ!」
そう言ってツンはネットから離れ練習に向かって行った。
俺は心の中で笑った。
きっと、昨日のお礼のつもりなんだろうな。バレバレだっての。
それにいい反撃も出来たし。たまにはいいだろ?
さて、それにしても後でツンに言うべきなんだろうか? 実は最初にジャージを直したのは俺じゃなくて渡辺さんだって事。
「何を一人でにやにやしてるんだお、ドクオ?」
何時の間にか内藤が来ていた。
「にやにやなんてしてねーよ」
言われて初めて自分がにやついていた事に気がついた。俺は慌てて頬を引き締め、内藤に聞く。
「で? お前こそどうしたんだよ?」
「ドクオがさぼってないか見に来たんだお」
内藤の言葉に俺は肩をすくめる。内藤は俺を見ながら言った。
「さぼってばかりだとみんなと仲良くなれないお!」
「そんなのは――」
言い返そうと思った俺の言葉を遮って内藤が言う。
「さぁ! 今日は大会の出場種目を決める日だお。がんばるお!」
「……マンドクセ」
そう言って再び肩をすくめた俺に内藤がにこにこと言う。
「ドクオ、中学の時は足、速かったじゃないかお。頑張ればリレーの選手にだってなれるお」
俺は口をAの字にして内藤に言った。
「なれるおって、そもそもなりたくないんだよ……」

(^ω^)
「欝だ、死のう……」
放課後の誰もいない夕暮れの教室で俺は呟いた。
リレーの選手に選ばれてしまった。
よりにもよってリレーの選手。団体競技を一番の苦手とするこの俺がリレーの選手に……。
出場する種目を決める時間に教室を抜け出ていたら、内藤が俺をリレーに推薦、そのまま決まってしまった。
その場にいなければ自動的に一番どうでもいい種目に決まると思っていたのに。――最悪の展開だ。
「はぁ――、リレーか……」
その上、来週の火曜日からは放課後に毎日練習ときたもんだ。
溜め息をつく。
「馬鹿ねぇ、リレーの選手に選ばれたくらいでいちいち死ぬんじゃないわよ」
その時、背後から声が聞こえた。
振り返るとそこには何時の間にかツンが教室の入り口近くの席に座ってこちらを見ていた。
「……何だよ、人の呟きを立ち聞きして」
「そういうのに立ち聞きって使うのか分からないけど、ちゃんと座って聞いてたわよ」
ツンはさらりとそんな事を言った。
「いいじゃない、リレーのチームには内藤君もいるんだし」
そう言いながらツンは移動して自分の席、俺の前に座った。
「それに、女子のリレーチームにはわたしもいるし」
「何だよそれ」
ツンが優等生モードで俺に言う。
「大体、元を正せば、出場種目を決める時にいなかったあんたが悪いんじゃない」
「そうだけど――。はぁ、まんどくせ」
文句を言う俺にツンが言う。
「でも、ドクオは足が速かったんだお、って内藤君、言ってたわよ」
「……昔の話だよ。高校で通用するようなもんじゃない」
「まぁ、決まっちゃったものはしょうがないんだし、クラスの楽しい行事と思っておきなさいよ」
「クラスの楽しい行事ね……」
俺は肩をすくめた。そんな俺にツンが楽しそうに言う。
「そうよ、ちょうど良かったじゃない。これでみんなとも打ち解けられるんじゃないの?」
「いいんだよ、打ち解けなくったって」
俺は言う。
「もともと、友達とかそういうの、いらないし。大体、人間なんて――」
「そういうの、中二病って言うらしいわよ」
俺の話の途中でツンが割り込む。
「何て言うの? 俺は特別なんだー、お前等とは違うから関わらないんだー、みたいな?」
ツンは笑いながらそんな事を言ったが、ふと俺を見つめて言った。
「――あんまり孤立するのは良くないわよ?」
そして困ったように微笑んで俺に言う。
「内藤君が今回あんたを推薦したのもその辺の関係があるんじゃないかな」
――内藤め、余計な事しやがって。俺は心の中で毒づく。
表情を曇らせた俺にツンは明るく言う。
「まぁ、自分が特別だ、みたいな事言ってみたいのも解らなくもないけど……」
そうして、俺に指を向けて言った。
「とにかく、来週からのリレーの練習は絶対に出なさいよ」
「……分かったよ」
俺はめんどくさくなって適当に返事をした。
ツンはにっこり笑って席を立った。
「じゃあね、がんばりなさいよ。ご主人様」
「――ちょっ、おまっ、また学校でそんな事言って……!」
ツンはくすくす笑いながら教室を出て行った。

(^ω^)
 翌日の日曜日。俺は朝からツンと口論をしていた。
原因は俺が学校が休みだからといつまでも起きなかった事。
ツンは今日は仕事が休みだったのに、みんなが急がしそうにしていたので俺を起こす役目を引き受けた。
なのに俺はほぼ徹夜でゲームをしていたせいでごろごろといつまでも布団から出ようとはしなかった。
何度か起こしに来た後、ついにツンは俺の布団をはぎとり、俺がそれを取り返した事から言い争いは始まった。
そんなくだらない理由で始まった言い争い。スタートしてからかなりの時間が経過していが、誰も止めに来たりしなかった。
これだけ大声で争っていれば、どこにいたって聞こえそうなもんだが。みんな、俺とツンの言い争いにいいかげん慣れてしまったのだろうか。
「お前だって、たまに寝坊してるじゃねーか! 知ってんだぞ!」
俺の言葉にツンが言い返す。
「しょうがないじゃない! 女の子はデリケートなのよ」
「何が女の子はデリケートだよ! お前なんかバリケードだよ! すぐに怒って人を寄せ付けないバリケードだ!」
「何よ、それ!? わたしはすぐに怒ったりなんかしないわよ!」
そうして、そこからツンはおよそ二分間に渡り、ありとあらゆる罵詈雑言を俺にぶつけてきた。
よくこんなに長い間、言葉が続くもんだと感心しながらも、俺はツンの言葉の圧力に徐々に押しつぶされそうになる。
その時、ふと渡辺さんが部屋に入って来た。
「あれれ〜? ツン、またドクオ坊ちゃんに怒ってるの〜? だめだよ〜、すぐに怒っちゃ」
渡辺さんの言葉にツンの動きが止まる。
「……ほら」
俺がそう言うと、ツンは下を向いたままじっと動かなくなった。
そうして間もなくツンの肩が震えて始めた。
どうするんだ? 攻撃の第二波が来るのか?
そして――、そこからツンは声をあげて笑い出した。
「あははははははっ!」
正直、そこでツンが笑うなんて思ってもみなかった。
俺は何が起こったのか分からずにただじっと何かが吹っ切れたように笑うツンを見ているしか出来なかった。
そして、ひとしきり笑うとツンは俺を見ながら笑い過ぎで出た涙を拭きながら言った。
「あー、なんだかあんたといると調子狂っちゃうわ。怒鳴ったり笑ったり」
ツンが微笑みながら言う。
「学校ではちゃんと優等生なのにね」
「……何が優等生だよ、外面が良いだけじゃないかよ」
俺はツンがおかしくなってしまったんじゃないかと少し心配だったのでほっとしながらそう言い返した。
「そうね。でも、外面だけでも良くないといけない理由があったのよ」
何だよその理由って、と聞くべきなのか聞かないべきなのか考えているとツンが俺に笑顔を向けた。
「それにしても、こんなに怒鳴ったの始めてよ」
意外な事を言うツン。
「実はわたし、こんな風に喧嘩ってした事無かったのよ」
「ほんとかよ?」
俺は聞き返す。
「そうよ。だって、ずっと良い子だったからね。優等生ツン、だもの」
「良い子ねぇ……」
肩をすくめる俺にツンが言う。
「でも、あんたには何故かこうなっちゃうのよね」
「迷惑な話だな……」
「ねぇ、ドクオ――」
「ん?」
ツンが微笑みながら言った。
「また、喧嘩しよう」
「何でだよ!? そこは『もう喧嘩はしないにようにしようね』じゃないのか?」
突っ込む俺にツンが言う。
「だって、人と喧嘩するの、楽しくない?」
「楽しかねーよ」
言い返す俺にツンは嬉しそうに言う。
「そお? だって、それって一人じゃないって事だよ? 知ってる? 一人じゃ、喧嘩って出来無いんだよ?」
「そりゃ、そうだけど……」
呆れて言い返す俺を見つめるツン。
「だから。ね? ドクオ」
「なんだよ?」
「また喧嘩しよーね」
「……冗談じゃねーよ」
俺は口をAの字にして肩を落とした。

(^ω^)
 その夜。ダイニングに行くと親父を含め、この家の全員がテーブルについていた。
「あれ? 何これ、どうかしたの?」
そう聞く、俺の声を遮るように渡辺さんが声を上げる。
「ハッピーバースデー、ツン!」
そして、かけ声とクラッカーの破裂音と共に、突然にツンの誕生日パーティーが始まった。
「……え? 今日ってツンの誕生日だったの?」
驚く俺に伊藤さんが突っ込む。
「ひどいご主人様だな」
「…………す、すいません」
しぃさんがクロッシュで覆われたお皿を持って来た。そして、それをツンの前に置く。
「ええ〜? 何これ〜? 良い匂い」
はしゃぐツンにしぃさんはにこりと微笑み、クロッシュを取った。
「はい、ご要望のエスカルゴ〜」
「えええ〜っ!?」
ツンは驚き、みんなの顔を見る。
「こないだの質問、そういう事だったのねー?」
みんなが笑顔でツンを見つめる。
「ありがとー!」
「さぁ、食べて食べて」
しぃさんがツンに促す。
「こ、これで掴んで食べるの?」
ツンはエスカルゴを食べるのが初めてらしく、悪戦苦闘しながらやっと身を取り出した。
「いただきまーす」
そうしてツンはエスカルゴを口に入れる。
「……美味しい!」
ツンのただでさえ大きい目がさらに大きくなる。
「それは良かった。さあ、どんどん食べて。――それじゃあ、みんなの分も料理持ってくるね」
しぃさんがそう言って、全員の料理を運んで来た。
一つのテーブルをみんなで囲い、わいわいと食事が始まる。
ふと、エスカルゴを食べていたツンがしぃさんに聞く。
「ねぇ、しぃさん。これって何の貝なの?」
「え?」
しぃさんが驚き、言いよどむ。
「えーっと、貝って言うか……」
そんな中、渡辺さんが朗らかに答えた。
「あれれ〜、ツン知らなかったのぉ〜? エスカルゴはねー、かたつむりだよ?」
「か――」ツンが息を飲む。「かたつむり?」
「うん」
「かたつむり? またの名をでんでんむし? あの、殻に入ってて眼が伸びたりするあれ?」
「そう」
ツンが驚愕の声を上げた。
「――わたし、かたつむりを食べたの!?」
ツン、知らなかったのか。
「う、ううう〜」
ツンが小さくうめき始めた。
「だっ、大丈夫!?」
みんなが心配してツンを見る。
そうだよな。かたつむりだもんな。知らずに食べたらさすがにちょっとショックかもなぁ。
ツンがぽつりと呟いた。
「――く」
「く? 苦しい? 大丈夫?」
「……くやしい」
「え?」
「くやしいけど、美味しい」
ツンが顔を上げ、言った。
「カタツムリなんかがこんなに美味しいなんて、何だか悔しい。でも、美味しい〜」
その言葉と笑顔にみんながほっとし、笑った。
食卓は再び笑顔に包まれ、暖かい空気が流れる。
「ほ〜らツン、こっちにはキャビアとフォアグラもあるぞ〜」
「わー、すごいっ!」
しぃさんの持って来た新しい更にツンが感嘆の声をあげる。
だが、ふいに動きを止め、質問した。
「ちょっと待って、一応先に聞いておく。これの正体は?」
その一言に、みんなが笑った。

(^ω^)
 みんなが楽しく食事をしているさなか、隣りの席の親父が俺にそっと聞いてきた。
「ところで、ツンはいつもああなのか?」
「ああって?」
聞き返す俺に親父はちらりとツンを見ると言った。
「家に帰って来た時に『お邪魔します』って言って入って来たじゃないか」
どうやら親父はツンが帰って来た時に近くにいたらしい。
「――ああ、あれね」
そうだよ、と俺は親父に答える。
「どうして、ただいまって言わないんだろう?」
俺と同じ事を聞く親父に俺は教える。
「ここに住んでるわけじゃないしって言ってたよ」
「へ? 住んでるじゃないか」
すっとんきょうな声で聞き返す親父に俺は言う。
「いや何でも、住み込みで働いてるだけで住んでる訳じゃ無い、らしいよ? ツンの考えとしては」
「それに――」
「それに?」
「家族じゃないし、って言ってた」
親父はみんなと楽しそうに話しているツンを見ながら呟くように言った。
「そうかぁ、寂しいなぁ」
そして、思い立ったようにツンを呼ぶ。
「ツン!」
「何ですか? ご主人様」
ツンの返事に親父は首を振りながら言う。
「そんな、ご主人様だなんて……。私の事は、パパって呼んでくれていいんだよ!」
そして、席を立ち両手を広げ、ツンに迫って行く。
「ええ〜っ!?」
驚くツン。そりゃそーだ。
「何ですか〜、一体?」
そう言って笑いながら体を引いて避けるツン。
親父はツンがその胸に飛び込んでくるのを両手を広げてツンを待っている。――何やってんだ、親父。
その時、親父に「パパ〜!」と言いながら飛びつく影が一人。
しぃさんだった。
「おお、しぃ。君はパパって呼んでくれるのか!」
親父はそう言ってしぃさんを抱き寄せる。
反対側からは「あれれ〜? パパがいるよ〜?」と渡辺さんが飛びついた。
「渡辺君! 君もか!」
親父は渡辺さんも抱き寄せる。
「……まったく、何をしてるんですか? いい年して」
だが、ひとつになった三人の背後から何時の間にか席を立った伊藤さんが文句を言いながら近寄って来た。親父が寂しそうな顔で振り返ると伊藤さんは続けて言った。
「もぅ、――パパったら」
そうして伊藤さんもひとつになる。
「伊藤!」
親父はこの上なく幸せそうな顔になった。
そして、その一団に更に忍び寄る一人の影。
それは荒巻さんだった。
荒巻さんが親父に両手を広げる。
「パ――」
「「「いやいや、それは無いから」」」
四人が一斉に手を振った。
巻き起こる笑い。結局、最後まで親父に抱きつきはしなかったが、ツンもそれを見て笑っていた。
 ひとり、テーブルの反対側に残った俺は大きく溜め息をつき、コーヒーを飲んだ。
でも――、こういうのも『家族』って言うんじゃないかな。俺はそう思っていた。

(^ω^)
 その夜、ベランダで月明かりの中、ひとり佇むツンを見つけた。
「何やってんだ? 寒くないのか?」
俺の呼びかけにツンは振り返らずに言う。
「ちょっと、月を見てたの」
「――今日は珍しくはしゃいでたな」
「そうね。やっぱり嬉しかったな」
答えるツンの声が少し震えていた。
「ほら、やっぱり寒いんだろ」
ツンの横に行って顔を覗き見ると目の下が月明かりに反射してきらりと光った。
「えっ!?」
俺は慌てて聞く。
「――なっ、泣いてるのか?」
「ちっ、違うわよ」
ツンは否定する。
「さっき、しぃさんの手伝いでたまねぎを切ってたから、それでよ」
「そか……」
そう答えると沈黙が訪れた。
「――俺、いない方がいいか?」
俺がそう聞くとツンが言った。
「ちょっと、背中貸しなさいよ」
そうしてツンは俺の背中に額をつけて寄りかかる。かすかな震えでツンが泣いているのが分かった。
そうして俺達はしばらくそのままでいた。
「――何も、言わないのね」
どれくらいそうしていただろう、ツンが呟いた。
「何言ったらいいか分かんねーよ」
俺の返事にツンがぽつりと言った。
「みんな、温かくていい人達よね」
俺は月を見上げて答える。
「そうだな」
「――あんたも、その中に入れてあげるわ」
「そりゃ、どーも」
「ドクオ――」
ツンが俺から離れ、俺はツンに振り返った。
「ありがとう」
ツンが俺を見て笑顔で言った。
その笑顔に俺はどきりとした。
月明かりに照らされたツンは本当に綺麗で、そしてその笑顔は学校で俺に見せるあの作り物の笑顔じゃない、今まで見たことも無い柔らかい笑顔だった。
それからはっと何かに気付いたようにツンは顔を伏せ、慌てて言った。
「あれ? な、何でわたし、あんたにお礼なんか言ってるんだろう」
そして怒ったように「あんたといるとほんとに調子狂う」と言い、「もう――」と諦めたように微笑んだ。

(^ω^)
 翌日、俺の頭の中を支配していたのはツンだった。
あれから、家でも学校でもツンが気になって仕方が無かった。
ツンのあの笑顔が頭から離れなかった。
もう一度、あの笑顔が見たくて、もう一度、あんな風にツンと一緒にいたくてしょうがなかった。
だけど、そのためにどうしたらいいのかが分からなかった。
今までさんざんツンを怒らせてきた俺。その俺が一体何をすればツンに笑顔になってもらえるのだろうか。
どうしたらいいのか。
いくら考えても分からなくて、考えれば考える程、不安が積もっていった。
とても、自分独りでは答えが出せなかった。
そうして俺は誰かに頼る事にした。
そんなのは嫌だったが、それ以上にツンの笑顔が見たかった。
流石に学校の誰かにというのは無理だったので、俺は家に帰ってしぃさんに相談した。
ある女の子の笑顔が見たいんだ、と俺はしぃさんに言った。
その言葉だけで全てを理解してくれたしぃさんは少しからかいながらも俺に映画のチケットを2枚くれた。
こういう時は古典的な手段がいいよ、と。
しぃさんの笑顔は不安でいっぱいだった俺の心を優しく支えてくれた。
しぃさんに貰ったチケットがあれば全てがうまくいくような気さえした。
手に入れたのは2枚の映画のチケットと勇気だった。

(^ω^)
「――あ、あのさ、ツン」
翌日の放課後、俺はツンに話し掛けた。
「何? これから委員会で急いでるんだけど」
「いや……、あの、あのさ……」
ポケットの中には映画のチケットと頭の中には事前に考えた自然な台詞が入っていたが、そのどちらもなかなか出す事が出来なかった。
「えーっと……」
「帰ってからでいい? もう行かないと」
なかなか話し出さない俺にツンが言う。
「あ……、ああ。分かった。じゃあ帰ってからで」
俺の力はそこで尽き、もう、そう答えることしか出来なかった。
「じゃあ後で」
俺を置いて歩き出すツン。
「――あ、そうだ。わたし、今日は委員会で出られないけど」
ツンがふと振り返って言った。
「がんばりなさいよ」
「…………何を?」
聞き返す俺にツンが言う。
「リレーの練習。今日からでしょ?」
「あ……」
俺の絶句にツンがあきれたように言う。
「忘れてたの? もう、ちゃんと出なさいよ?」
そうしてツンはじゃあね、と去って行った。
 その背中を見送りながら俺は考える。
――リレーの練習か。
確かに、中学時代は足が速い方だった。そして今でも、そんなに遅い方では無いと思う。
だけど――、活躍出来る程速いわけでも無い。
きっと、後続のランナーに追い抜かれる事は無いだろう。だけど、前を走るのランナーを追い抜く事も出来はしないだろう。
俺に回って来た順位が変わる事は無い。スタートしたポジションでゴールする。
中途半端、いてもいなくても結果は同じ。
――だったら、いなくてもいいんじゃないか?
俺は思う。
そもそも実力で選ばれたわけじゃない。
みんなも――、別に俺なんかに期待してないだろ。

(^ω^)
 ツンが帰って来たのは日も暮れてからで、それから家でも忙しそうに働き、やっと話が出来るようになったのはもう寝る直前だった。
「――ツン」
仕事が終わり、シャワーから出て来たツンに話し掛ける。
パジャマ姿のツンの髪を拭く仕種に少しドキッとした。
「あ、何か話があるって言ってたわね。何?」
「これ」
と、俺は映画のチケットを差し出す。
「何これ? チケットじゃない、どうしたの?」
「しぃさんにもらったんだけど、一緒に行かないか?」
チケットから俺に目線を移し、ツンが聞いてくる。
「――それって、デートって事?」
「え? あ? えと……」
予想外の質問に驚く俺にツンが更に聞いてきた。
「あんた、――わたしの事、好きなの?」
「なっ――――!」
息が止まった。動悸がする。耳が熱い。
「ばばば、馬鹿な事言ってんじゃねーよ!」
俺は慌てて否定し、言葉を続ける。
「ほ、他に一緒に行く奴がいないからお前を誘っただけだよ!」
するとツンも自分の言った言葉に気付いたみたいで急に真っ赤になり慌てて言った。
「そそそ、そーよね! そうよね、そんな訳無いわよね。あんた友達いないからよね」
髪をごしごしと拭きながら一気に喋るツン。
「そ、そうだよ」
「そうよね」
「…………」
「…………」
そこで会話は終わり、二人共無言になる。
何だかとても落ち着かなかった。
ツンも同じだったのか、「あー、暑い。シャワーの温度高かったかな?」と手で顔を仰ぎながら言った。
そして再び沈黙。
「……と、ところでリレーの練習どうだった?」
沈黙を打ち破るようにツンが言った。
「え?」
「リレーの練習よ。どうだった?」
ツンがもう一度、俺に聞いた。
「あ、ああ。出てない」
俺の返事にツンが驚く。
「えっ!?」
「だから、出てないよ」
ツンが俺に聞く。
「どうして?」
俺はツンに答えた。
「俺なんか誰も期待してないだろうし、いなくても一緒だろ」
その瞬間、空気が、変わった。
ツンの顔から表情が消える。
「あんた、そうやってクールを気取ってるつもりかもしれないけど――」
一昨日の笑顔が俺の記憶違いかと思うほどの冷たい目で俺を見る。
「そんなの言い訳を作ってただ逃げてるだけだからね」
「逃げ、だって?」
俺は聞き返す。
「そうよ、逃げよ」
「逃げてなんか――」
「いいえ、逃げよ。あんたは全てにおいて自分には出来無いと諦めて、何かと言い訳作って逃げてるだけよ。そしてそれをクールだと自分に言い聞かせて、逃げてるという事実からまた逃げてるのよ」
ツンの言葉に俺は声を出す事が出来なかった。
ツンはじっと俺を見つめ言う。
「くやしかったら陸上競技大会のリレーで勝ってみなさいよ。そしたら、認めてあげるし、映画でも何でも行ってあげるわよ」
「……約束だぞ」
震える声でそう言う俺にツンは冷たく言い返す。
「ええ。せいぜい頑張りなさい」

(^ω^)
 翌日、内藤が俺に近付いて来た。
「ドクオ、ちょっと話があるお!」
その言葉を遮り俺は叫ぶ。
「おい、内藤!」
「……な、なんだお?」
怯む内藤に俺は聞く。
「お前、走るの速かったよな?」
「り、陸上部のエースだお」
未だに怯え、もごもごと答える内藤に俺は頼んだ。
「教えてくれよ。走り方――」
「……ど、ドクオ?」
突然の頼みに内藤が驚き、不思議そうに俺を見る。
俺は内藤を見つめ、決意して言った。
「陸上競技大会のリレー、絶対に勝つぞ!」
「ドクオ!」
内藤が俺を見つめ、目を潤ませた。

 ツンの態度に驚き、ショックを受けた後、俺にやって来たのは怒りだった。
俺を見るツンのあの冷たい瞳。
――絶対に見返してやる。
俺はそう誓った。

(^ω^)
 放課後、着替えてグラウンドに移動した。
俺を含めた五人のリレーチームが輪になり、内藤の話を聞く。
「速く走る秘訣は両手の使い方にあるお」
内藤が陸上の基礎を教えてくれる事になっていた。
「どうするんだ?」
聞き返す俺に内藤が手本を示す。
「こう、両手を広げるんだお」
「こうか?」
内藤の言った通りに真似をして両手を広げる俺に内藤が続ける。
「そして、もう一つ。重要な事があるお」
「何だ?」
聞き返す俺に内藤が言う。
「『ブーン』って言いながら走るんだお」
「は?」
スパーン! と内藤の後頭部に鋭いつっこみが入った。一緒にリレーを走る他のメンバー達だった。
「あほか、お前は」
「ドクオ君。こいつの言うことは聞かなくていいよ」
「そう。確かにこいつは速い。速い、が特殊すぎる」
そう言って、みんなは俺に正しい陸上の基礎を教えてくれた。
速く走る一番のコツは身体にかかる無駄な力を極力排除する事らしい。
腕の振り、足の蹴り、そして姿勢、全てを適切にする事で出せる力を全て走る力に変換出来る。
俺は勝つための練習を始めた。

 それから一週間、俺は放課後以外の練習にも積極的に参加した。
腕からは無駄な力が無くなり上体がリラックス出来るようになった、足の蹴りはリズミカルになり力強く地面を蹴れるようになった、そして無駄な前傾とぶれの無くなった姿勢は身体で作った走力を全て地面へと伝えた。
俺の走る速度はどんどん上がり、リレーチームの中でも内藤に次ぐ記録を出す程になった。
「ドクオ、すごいお!」
「能有るドクオは爪を隠してたのか……」
「正直、ここまでやるとは意外だったよ。でも、凄いよなー」
「ドクオ君、陸上部に入っちゃいなよ」
みんなが驚いていた。でも一番驚いていたのは自分だった。

(^ω^)
「雨が降りそうだから、今日はこの辺で終わりにしよう」
練習最終日、怪しくなってきた空模様に練習は途中で切り上げになった。
「明日は大丈夫かね?」
心配するメンバーにネットで見た情報を教える。
「雨は今夜遅くには上がるみたいで、明日は晴れる予報だったよ」
「そか」
「じゃあ、帰ろうか。お疲れ」
そうして解散する流れの中、俺は内藤に言った。
「内藤、もうちょっと付き合ってくれるか?」
それから二人でバトンの受け渡しの練習をした。
俺は内藤からバトンを受け取り、そして俺がバトンを渡す相手はいない。つまり、俺はアンカーだった。
いやまぁ、くじ引きで決まっただけなんだけど。
何度も受け渡しだけを繰り返し、タイミングはそろい、俺のスタートダッシュも順調に仕上がった。
「よし、これぐらいにしようか」
「おっおっおっ、もうバトン渡しは完璧だお」
「ああ」
風がざぁっと吹いてきた。
「――さて、いよいよ明日は本番だお」
「……そうだな」
答える俺に内藤が聞く。
「ところで、どうして急にやる気を出したんだお?」
内藤の質問に俺はグラウンドの反対側で練習をしている女子チームの方を見ながら言った。
「俺には勝たないといけない敵がいるんだ」
「誰だお?」
「――ツンだ」
見ればツンは相変わらずの走りを見せていた。だが見てろ、俺は今のおまえ以上の走りを手に入れた。きっとこの勝負に勝ってやる。
「……ツン?」
「ああ」
内藤が不思議そうに聞いて来る。
「……ドクオ?」
「何だ?」
「ツンは、味方だお……」
俺は女子チームから目を背け、荒れてきた空を睨んで言った。
「こまけぇこたぁいいんだよ。――とにかく、勝つぞ」

(^ω^)
 翌朝、この上ない晴天。絶好の陸上競技大会日和。
そうして始まった陸上競技大会。
俺のクラス、B組は順調に勝ちを積み重ね、E組に続く学年2位につけていた。
このまま最後のリレーで男女共に勝てば優勝出来るかもしれない。そんな期待でクラスのみんなは浮付いていた。
「よし! 絶対に勝って優勝するぞ!」
誰かが言ったそんな言葉と共にリレーチームが円陣を組み、その周囲をクラスのみんなが囲い、クラスが一つの大きな輪になる。
「頼むぞっ、内藤!」
「しっかり走れよ! みんな!」
リレーの選手にクラスのみんなが声をかける。
そんな中、「がんばれよ! ドクオ!」 そんな声が聞こえた。
「あ、ああ……」
誰が言ったのか分からなかったが、それでも確かにそんな声が聞こえた。
「B組〜、ファイトッ!」
「「「「オー!」」」」
選手としてリレーチームの円陣に組み込まれ、あげくに青春っぽく声まで出させられたが、それでも悪い気はしなかった。
「まずは女子リレーだ。がんばれっ!」
そんな声につられてふと女子のリレーチームの方を見るとツンと目が合った。
だが、こっちを見て微笑んでいたツンは俺と目が合った途端に慌てて俺を睨み、あげくフンと目を逸らした。
あの日以来、俺とツンはろくに口を利いていない。戦いは未だ続いている。
だがいい、俺はこのリレーに勝利し、そしてツンとの戦いにも勝利するんだ。

(^ω^)
「位置について、」
「用意――」
パァンッ!
スタートの合図。女子のリレーが始まった。
うちのクラスはスタートで少し出遅れたものの、その後は順位をキープし、さらには第二走者、第三走者が一人づつ追い抜き、三位に着けていた。
一位はE組、そして二位はA組だった。
そうして、第四走者のツンにバトンが渡った。
バトンを受け取ったツンは獲物を追う豹のようなダッシュを見せ、その速度をぐんぐん上げた。
振りぬく腕、地面を蹴る足、流れる髪、そして真剣なその表情。
練習の時よりも格段に輝いて見えるツンは一人の闘士だった。
――また、見惚れてしまった。
その事に気がつき、俺は頭を振る。
闘士たるツンは見る見る間に二位のA組に迫り、そしてみごとに抜き去った。
クラス中のみんなが大歓声を上げた。
ツンはその勢いのままトップを走るE組に迫る。
「頑張れツン!」
「抜けるよ!」
「行っけー!」
そして、E組の走者を追い抜こうとしたその瞬間――、E組の走者が転倒した。
直前で起こったそれを避ける事が出来ず、ツンもそれに巻き込まれ転倒。
立ち上がり再び走り出した時には順位は大きく後退してしまっていた。

(^ω^)
「位置について、」
「用意――」
パァンッ!
陸上競技大会最後の種目、そして俺の出場種目、男子リレーがスタートした。
 スタート前に誰もいない校庭の片隅で一人立ち尽くしているツンを見かけたが、声をかける事は出来なかった。
ツンは責任を感じているに違いない。でも、それでもうちのクラスの学年優勝のチャンスはまだ残っていた。
さっきのリレーの結果、現在の学年一位はE組に替わってA組になっていた。そしてうちのクラスは現在三位。
そして、この男子リレーでA組とE組を破って優勝すればその得られる得点差により、うちのクラスが学年優勝する可能性は限りなく高かった。
 男子リレーはスタートに混乱が生じ、それに巻き込まれたうちのチームの順位は低迷した。
混乱に巻き込まれたのはA組も同じだったが、それでもA組は足の速い選手を第二、第三走者に配置していて、その順位をぐいぐいと上げた。
一方、うちのチームは第二走者、第三走者共に他のクラスと抜きつ抜かれつの攻防を繰り広げ、なかなか順位を上げることが出来なかった。
チームメイトが抜くたび、抜かれるたびに俺の握った手に力が入った。
何時の間にか心の中で、がんばれ、がんばれ、と繰り返していた。
そうして、第四走者にバトンが渡る頃にはA組はトップを奪取しており、それに対してうちのクラスは五位を走っていた。E組はうちに続く六位。
普通であればもう諦めムードだろう。だが、うちの第四走者は内藤。その力を持ってすれば追いつく事は不可能では無い。
敵も警戒しているようで、第四走者のスタート時にチームのリーダーらしきやつが「気を抜くな!」と声をかけていた。
トップのA組に続き、二位、三位、の第四走者がスタートする。
そして、うちの第三走者が五位のまま最終コーナーを回って来た。四位の選手との差は少しだった。
クラスのみんなが内藤に注目していた。
第三走者は最後の直線に入り、必死に、一秒でも早く内藤にバトンを渡すべく最後の力を振り絞る。
「頼むぞっ、内藤っ!」
そして、バトンが内藤に渡った。
「ブゥゥゥゥゥゥゥーン!」
内藤が掛け声と共に信じられないスタートダッシュを見せた。
走り出して、直後には四位のクラスを追い抜き、見る見る間に三位の選手に迫った。
クラス中、いや学校中が雄叫びを上げた。
正に圧倒的な力の差だった。
トップを走るA組の走者がちらりと後ろを振り返る。
「振り返るなっ! 全力で走り続けろっ!」
A組の指示が飛ぶ。その指示にA組の走者は再び前を見ると今まで以上に腕を大きく振って走る。
そうしている間に内藤は一人、また一人と追い抜いた。内藤が前を行く走者を追い抜く度に大きな歓声があがった。
それを聞くA組走者のプレッシャーは相当なものだっただろう。
だが、そのプレッシャーの中、A組の走者は走り抜き、最後の走者、アンカーにバトンを渡した。
バトンを受け取ったアンカーが、スタートラインで内藤を待つ俺の横から走り去って行く。
最終コーナーを回った内藤が最後の直線に入った。
息を切らせ顔を歪ませた内藤が手を伸ばし、その手の中にあるバトンを俺に渡す。
「ドクオっ! 頼むおっ!」
そうして、俺はバトンを受け取った。

(^ω^)
 バトンを受け取った俺は昨日の練習の成果もあって今まで見せたことの無い最高のスタートダッシュを決めた。
出だしから、一歩また一歩と地面を蹴るたびに自分が加速していくのを感じた。
体が軽く、重力を感じ無かった。俺はひたすらに手足を動かし、走り続けた。
加速を続ける俺の視界にA組のアンカーが入った。
 その時の俺は、ツンとの勝負も何もかも忘れて、ただ純粋に、ただ本気でこのリレーに勝ちたいと思っていた。
第一走者から順に渡されたバトン、そして内藤が作り上げてくれた二位というポジション。
後はただ一人、目の前のあいつを追い抜きさえすれば俺達は優勝出来る。
それは自分の役目で、そして自分にはそれが出来ると俺は確信していた。
 トラックを半周もした頃にはトップを走るA組のアンカーに近付いているのを実感した。
クラスから送られるみんなの声援が俺を更に加速させ、最終コーナーを回る頃にはその差はもうほとんど無かった。
そして、最後の直線。俺はA組のアンカーに並ぶ。
ゴールまで後5メートル、4メートル、3メートル。
 ――その時、全ての音が消えた。
俺に見えたのは迫ってくる地面。感じたのは激しい衝撃だった。
何が起こったのか分からなかった。
だが、すぐに自分が転倒している事に気付いた。俺は慌てて立ち上がろうともがく。
そうして、必死に上げた俺の視界に映ったのはゴールテープを切るA組の走者と自分の手から離れて転がっていくバトンだった。

(^ω^)
 打ち上げのカラオケで俺は部屋の片隅に一人小さく座っていた。
みんなに合わせる顔が無かったが、こっそり帰ろうとしたところを内藤に捕まってしまい、強引に連れて来られてしまった。
 注文したドリンクが届き、乾杯する。
「今日はおしかったな。でもみんながんばったので、それじゃあ――、かんぱーい!」
「「「「かんぱーい!」」」」
そうして始まった打ち上げ。みんなが思い思いにおしゃべりを始め、相手のいない俺はひとりドリンクを飲みながらテレビの画面を見つめていた。
そんな俺の両脇にリレーチームのみんながどさっと座った。
「いやー、それにしても惜しかったよなぁ!」
「内藤凄かったよな!」
「おっおっおっ、それ程でもあるお」
「最後、ドクオもあとちょっとだったよなー」
「ああ、あのまま行けると思ったんだけどなー」
そんな言葉に俺は呟くように謝った。
「す、すまん……」
ほんと、自分の不甲斐なさに嫌になる。後少し俺が走りきれば優勝出来たのに。よりにもよって転ぶだなんて。
きっとクラスのみんなも怒ってるだろうな。
俺はみんなの顔を見る事も出来なくて、俯いてグラスを見つめた。
その時、周りのみんなが一斉に言い出した。
「何言ってるんだお。ドクオはがんばったお」
「そうだよ、何謝ってるんだよー。ドクオもすごかったよ!」
「ほんとだよ、転んだのはしょうがないじゃん」
「あれだけ盛り上がったんだから、もううちらの優勝でいいんじゃん?」
「じゃあ、リレーチーム、かんぱーい!」
とグラスを掲げる。みんなに促され、俺も自分のグラスを手に取り、そしてみんなとグラスを合わせた。
何だか涙が出そうで、でもそこはとても居心地が良かった。

 トイレに行こうと部屋を出ると廊下でツンとすれ違った。
「お疲れ」
「ああ、お疲れ」
ツンの言葉に俺も返事を返す。
一週間ぶりの会話。だが、お互いに言葉が続かなかった。
「…………」
「…………」
「ふふっ」
その時、ふとツンが笑った。
「何だよ?」
俺の質問にツンが俺を見る。
「だって、笑っちゃわない? 二人揃って転倒だなんて」
そう言ってツンはくすくすと笑った。
「そうだな……」
何だかほっとして俺も笑った。
「それにしても、あの転んだ時のドクオの顔。――ぽかーんとしちゃって、おかしかったわよ」
ツンの台詞に俺も言い返す。
「何だよ、お前の起き上がった後の必死の形相こそ、見物だったぞ」
いつもならそこで喧嘩になるのに、何故かその日は喧嘩にならなくて俺達二人は廊下の壁によりかかって笑い合った。
「ほんともう、やめてよね〜」
楽しそうに笑うツン。その笑顔は俺が見たかったあの笑顔だった。
そして、その柔らかい表情を見て、俺は「ああ、やっぱりデートしたかったな」と思っていた。

(^ω^)
「じゃあね〜、また明後日!」
「お疲れ〜」
打ち上げがお開きになった。
明日は学校は休みで、みんな足取りも軽く家に向かった。
「ドクオはツンと近いんでしょ、ちゃんと送って行ってあげなさいよ」
女子の言ったその一言で俺とツンは一緒に帰る事になってしまった。
「じゃあね〜」
ツンが友達に手を振って別れ、俺とツンは二人並んで歩き出した。
「か、考えてみれば、こうして一緒に家に帰るのは初めてだな」
何だか緊張して、沈黙が恐くて、そんな事を言った。
「そ、そうね。初めてね」
すると、ツンも俺の言葉でその事を意識してしまい、かえって無言になってしまった。
二人、黙ったまま家への道を歩いた。
足音だけが耳に聞こえる。
間が持たず、ポケットに手を突っ込むと手に触れる物があった。
はっと思い出し、俺はそれを取り出す。
「――これ、やるよ」
俺はポケットから取り出した映画のチケットをツンに差し出した。
「どうして?」
そう聞くツンに俺は答える。
「いや、勝負に負けちゃったしさ……」
そして笑いながらツンに言う。
「ほら、俺友達いないから一緒に行く奴いねーし。ツン、誰か友達と行って来いよ」
ツンはそうね、と笑って言う。
「じゃあ貰っておくわ。明日、学校も仕事も休みだし」
そうして、ツンは俺の手からチケットを抜き取った。
「でも、一枚だけ」
「え?」
「あー、明日は学校も仕事も休みかー」
チケットを一枚だけ取ったツンは、夜空を見上げて独り言を言い始めた。
「そうだ。明日は備府町のシネコンに一人で映画を観に行こう。時間はそうだなー、昼過ぎの回にしよう。それから映画観終わったら街をブラブラして、ショッピングモールで買い物して、最後にはどこかで食事して帰ろーっと」
それからツンは俺を見て言った。
「ねぇ、ドクオ。明日、わたしは休みだから、あんたがどこで何してようとそれはわたしの知った事じゃないわ。――例え同じ映画館に来ようと同じショッピングモールに来ようと、ね」

 つづく


2010.4.18掲載

【次回予告】
(^ω^)
「さて、どこでご飯を食べようか?」
――初めてのデート

「名前はクーだ。立場的にはそう、ドクオの婚約者だな」
現れるドクオの婚約者

「あら、知らなかったの?」
ツンがメイドをする理由、明かされるツンの過去

そして、別れ――
「じゃあね、ドクオ」

ドクオとツン。ふたりの淡い恋心の行方は――?

ツンはドクオの家のメイドのようです後編、次月掲載

「――おかえり、ツン」



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