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高岡先生は恋愛相談を受けているようです

(^ω^)
「ねぇ、先生。どうしたらいいかな?」
化学準備室でストーブ越しに高岡先生を見ながら僕は尋ねる。
「またその相談か。結論は出てるだろう? まだ実行してないのか?」
化学準備室にはおおよそ似付かわしくない何だか格好いい椅子に座る先生はそう言いながら自分の机にお昼ご飯を広げる。
僕もまた目の前のテーブルにお弁当を広げ、買ってきたコーヒー牛乳のパックにストローを挿す。
「こうやって昼休みにやって来たかと思えば、その相談。去年からずっとじゃないか」
先生は開けたお弁当箱から卵焼きらしきものをほおばると椅子を回して僕に振り返りそう言った。
「去年って……。そんな、僕が年単位で悩んでるような言い方しないで下さいよ。たった三ヶ月じゃないですか」
僕はそう言い返す。が、この悩みが年単位になる事を僕は知っていた。
そう、恐らくは最低でも卒業するまでこの悩みを解決することは出来無いだろう。
「なーにが『たった』だ。同じアドバイスを何度もするこっちの身にもなってみろ」
先生はそう言って笑い、ご飯を口に運んだ。

「何してるんだ、お前?」
去年――いや三ヶ月前の昼休み、ここ化学準備室の前をうろうろしていた僕はふいに背後から声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
「私の部屋の前でうろうろと」
声の主は高岡先生。
ぶっきらぼうな、男みたいな話し方で性格もどちらかと言えば男みたいだけれど、先生は女性で、しかもとびきりの美人である。
更にはスタイルだって最高で、普通の人が着れば野暮ったい事この上ない白衣だって先生の体躯にかかればそのままショーに出てもおかしくない鮮麗されたファッションに見える。
美人でスタイルも良く、性格は男前で頼りがいがあり、そうかと思えばしっかりと女性らしい面もある。
そんな先生に憧れる生徒は男女問わず校内に大勢いた。
 その高岡先生が僕をじっと見つめている。
先生のその長い睫に縁取られた大きな瞳に捕らわれてしまい、僕は言葉を発する事すらままならない。
「あ、あの……」
僕の言葉にならない言葉に先生はもう一度聞いてくる。
「何か質問でもあるのか?」
そんな先生の言葉にすがるように僕はこくこくと何度も頷きながら言った。
「そそそ、そうなんです!」
「――そうか」
「は、はい!」
あまりの緊張に意味無く敬礼までする僕。
そんな僕を見て先生は言った。
「じゃあ、入れ。飯――、食いながらでもいいか?」
先生の手には近くのお弁当屋の袋がぶら下げられていた。

(^ω^)
「ほら。これでも飲め」
先生は隣の化学実験室でお湯を沸かして自分に紅茶を煎れ、僕に飲み物を作って来てくれた。
渡されたそれはココアで、甘い匂いが部屋を満たしていった。
僕は目の前に置かれたココアをちょっと戸惑いながらじっと見つめる。
そんな僕に気付いたらしく先生は「わり。カップ一つしか無くてさ」そう言って自分のカップを持ち上げた。
「い、いや! いいんですよ! ありがとうございます! いただきます!」
そう言って僕はココアを手に取る。
「あっ、熱っ!」
「おいおい、気をつけろよ。ガラスはカップと違って熱伝導率が高いから熱いぞ」
僕のココアは、ビーカーに入っていた。

「それで? 質問って何だ? 七曲シップスって何だ、とかそんなくだらない質問じゃあないだろうなー」
先生はそんな事を言いながらお弁当の包みを開け始めた。
「あ、あの〜」
僕は困っていた。
何故ならば、僕は先生の「質問でもあるのか?」と言う言葉に便乗しただけで本当は質問なんかをしに来た訳じゃあなかったからだ。
「えーっとですね」
何でもいいから適当な質問をしようと思ってもそれさえも思いつかない。
「そのー……」
何しろ僕の目の前に高岡先生がいるのだ。
「んーっと……」
「おい!」
突然の声と共に高岡先生がくるっと椅子を回して僕の方に振り返った。
ただでさえ緊張で上がっている僕の心拍数は僕を睨みつけるように見つめる先生の目を見て更に上がる。
その目から逃げる為、僕は視線を下げる。
するとそこにはミニスカートからすらりと伸びた流れる様に組まれた先生の艶やかな足があった。
思わず目線が固定され、心拍数は更に上がる。
――いやらしい気持ちが無かったとは言わない。正直、僕も男だしミニスカートと先生の綺麗な足の組み合わせにドキドキしないはずがない。
心拍数はどんどん加速し、心臓が耳の中にあるんじゃないかってぐらいうるさかった。
その時、鳴り響く心音の中、遠くから先生の呆れたような声が聞こえてきた。
「……一体いつになったら質問に入るんだ?」
「は、はい。すいません!」
その声に驚き、後ろめたい気持ちで一杯の僕の視線は更に下、床に移動した。
そして僕は再び考える。
――どうすれば、何を聞けばいいんだろう?
俯きながらも先生の視線を感じ、心臓はまだドキドキしていた。
それから数秒後、耐えかねた僕は質問が無い事を正直に告げて、ここから出ようと口を開く。
「あのですね。実は――」
「うん?」
その、先生の柔らかい声につられて、僕は思わず床から顔を上げてしまった。
上げた目線の先。そこにはティーカップを口に付け、大きく倒した椅子の背にくつろぐ様にもたれかかった先生がいて、そして、――先生はふと足を組替えた。
――その瞬間、僕の頭は沸騰した。
まるで風にそよぐ草の様に、先生の足はやわらかい線を描き、僕はその動きとその奥から目が離せなかった。
「あっ、……と」
僕の視線に気付いた先生が声を出す。
その声で僕は自分が見てはいけないものを見ていた事に気付き、恐る恐る視線を上げた。
先生と目が合う。
先生は怒るでも照れるでも無く、何かを考えるようにただじっと僕を見つめていた。
数秒後、先生は僕を見つめたまま言った。
「……ま、いいか」
そして先生は紅茶をずずずと飲み始めた。
良くなーい!
先生の言葉にショックを受け、僕はもう何かを考える事も自分を抑える事も出来なくなった。
衝動に駆られ、物凄い勢いで僕は椅子から立ち上がった。
「先生っ!」
「ん?」
――そして口からはまったく聞くつもりも無かった質問が出てきた。
「僕、好きな人がいるんです! どうしたらいいんでしょうか!?」
その時、僕は生まれて初めてリアルで人間が口から紅茶を噴出す瞬間を見た。

(^ω^)
 僕は幸運だった。
それ以来、こうして先生と二人で相談する機会を得る事が出来たのだから。
そうして僕は時折、昼休みにこの化学準備室にやって来てはこんな風に先生に恋愛相談をしているという訳だ。
 言っておくけど、僕に好きな人がいて悩んでいるというのは本当の事だ。
ただ、それを先生に相談したのが正解だったのかと言われるとちょっと分からない。

「先生、女の人にはどうやって愛を伝えるのがいいんですかねー?」
今日は先生にそんな事を聞いてみる。
「んー。何かこう、大きい単位を出してみるのはどうだ?」
先生は何かの大きさを測るかのようにお箸を開きながらそんな回答をくれた。
「単位、ですか?」
「ああ、女ってよく『私の事どれくらい好き?』とか聞いてくるだろ?」
まるで、自分が何度も言われた事があるみたいに先生は言った。
「そういえばよく聞きますねぇ」
僕はウインナーを食べながら答える。……まぁ、僕が聞いたのは映画やアニメの中だけだけれど。
「そう。だから具体的に単位で示す。んー、でもそうだなぁ、大きい方がいいけど京とか垓になるとピンと来ないし、せいぜい億までだな」
先生はお弁当箱に視線を戻し、次にブロッコリーをつまみあげた。
「億ですかー」
「そうだよ。千、万、億。――あ、あれなんかどうだ?」
そう言って再び僕に振り返り、ブロッコリーを持った箸で僕を指す。
「何です?」
「一億と二千年後も愛してる」
そうしてそのフレーズを歌いだす先生。
「前、の方じゃないんですね」
「そりゃそうだよ。だってそれじゃあ嘘じゃん」
僕の突っ込みに先生は歌を止め、さらりと答える。
「まぁ、そうですね」
確かに、僕は一万年と二千年前から愛していた訳じゃない。でも、一億と二千年後も愛しているような気はする。
「どうだ?」
自信ありげに僕を見つめる先生に僕は答える。
「うーん、同じ億とか万、千の単位を使うなら僕としては『君がくれた勇気は億千万』の方が好きですね」
「何だそりゃ?」
ブロッコリーを咥えた先生が聞いて来る。
しまった。これはちょっとマイナー過ぎた。しかもちょっとオタクっぽいか?
「え? そのー、ニコニ……ネットで流行ってまして……」
「ふーん、知らないな。今度ドクオに聞いてみよう」
歯切れの悪い僕の答えに先生がそう言った。
「――そういえば。先生、そのドクオ君と噂になってますよ?」
話に出たついでに先生の噂について聞いてみた。
先生は不思議そうな顔する。
「ん? あいつと? 何で? あいつは夏からクーと付き合ってるだろう」
「さぁ? 先生よく彼に絡んでるし、ふたりっきりでいる時ちょっと態度が違うって話ですよ?」
先生は素で不思議そうにしていた。どうやら、本当に関係無いらしい。
……まぁ、僕はそんな噂、まったく信じていなかったのだが。
「ふーん。――まぁ、あんなガキに興味は無いよ」
それから先生が口をもぐもぐさせながらそう言った。
「そうですか――」
その言葉を聞いて、ガキな僕は少し切なくなる。
「そうだよ。それに、夏にいい男を捕まえてな――」
先生がそんな事を言った。

(^ω^)
「えっ!?」
驚きと焦りで僕は慌てて聞き返す。
「そ、その人と付き合ってるんですか?」
「いや、美味しいお店とかにいっぱい連れて行ってもらったんだけど、そう言えば最近、連絡が来ないなー」
先生はこの話題が出るまでその男の人の事を忘れていたみたいだった。
「久々に連絡してみようかな?」
「やっ! 止めた方がいいですよ!」
携帯を取り出す先生を僕は思わず止めた。
「何で?」
先生の尤もな質問に僕は適当な事を口にする。
「向こうから連絡が無いなんて、きっと先生の事、もて遊んだだけですよ!」
「でも、また美味しい物食べたいし……」
そんな事を言って拗ねた目でこっちを見つめる先生に僕は力説する。
「大丈夫ですよ! 先生ならそんな人またすぐに出来ますよ!」
そして、付け足す。
「――だって先生、美人だし」
そんな僕の言葉に先生は「そうかぁ?」と首をひねった。
「ちょっと前まで、そう言われると嬉しくて調子に乗ってたんだけど、何だか最近じゃあそう言われる度にからかわれてる気がしてしょうがない。だって私なんかが、なぁ?」
うーん、と唸る先生。
 先生は自分の事に疎く、そして人からの好意に少し鈍感なところがある。
先生は自分がどれほど魅力的で人々を惹き付けてやまないかということをまったく自覚していない。
「でも先生、ファンクラブみたいなのあるじゃないですか」
僕は先生にそう伝える。
それに告白した人だって大勢いるでしょ?
――そう、先生を本気で好きな人だって大勢いるのだ。だがこれはあえて伝えない。
「うーん……。あれは多分、歴代番長を倒してきたとか各校の校長をドロップキックでうんぬんとかの伝説に釣られて作られたんだろう?」
そして肩をすくめ先生は言った。
「その伝説だってなあ? 嘘ばっかりだよ?」
嘘ばっかり、ねぇ。
そう思った僕だけど、かわいらしく上目遣いに僕を見つめる先生のその瞳の奥には、はっきりと「突っ込み禁止」の文字が浮かんでいて、それで僕はこの話題をこれ以上ひっぱるのを止めた。
「――ところで先生」
僕はお弁当箱に最後に残ったから揚げを口に放り込んで先生に聞く。
「僕、ちょっとキャラが弱いんで、流行の『ちょいワル』とか取り入れたらどうですかねー?」
その途端、先生は鋭い目で僕を見つめ、言った。
「ちょいだろうと何だろうと悪い事はいけねぇぜ」
少しびびった僕は慌てて言葉を継ぐ。
「ですよねー」
それからそっと呟く。
「でも、意外だな。てっきり――」
「あん?」
腕を組んだ先生が再び鋭い目つきで僕を睨む。
「てっきり、何だ? もしかしてお前も私の伝説を信じてるのか?」
ずいと顔を近づけて来る先生。
「い、いや。決して信じてなんかいませんよ……」
僕の言葉に先生は眉を顰める。
「嘘っぽいなー」
「ほ、本当です……」
しばらくその状態が続き、僕は蛇に睨まれた蛙よろしく微動だに出来なかった。
やがて、先生は僕から離れ、椅子にもたれかかると口を尖らせて甘えた声で言った。
「さっきも言ったけど、ほんとに伝説の殆どは嘘なんだからね?」
その声と仕種にどきりとしたが、ふとある事に気が付いた。
先生、今、さりげなく殆どはって言いませんでしたか? つまり、やっぱり中には本当の話もあるんですね?
それから先生がにやりと口元を歪ませる。
「――大体お前、ちょいでもなんでもワルにゃー見えねーよ」
そう言って笑う先生。
これは、誉められていると思っていいのだろうか?

(^ω^)
「ふう、食った食った。ごちそーさま」
先生がそう言ってお弁当箱の蓋を閉める。それからお弁当箱を手ぬぐいで包みその端を綺麗に結ぶと先生は手を組み合わせて小さくお祈りをした。
先に食べ終わっていた僕もこっそりとそれを真似てお祈りをする。
「――飲むだろ?」
椅子から立ち上がり、そう言うと先生は僕の答えを待たずに自分のカップと戸棚からもうひとつカップを取って隣の実験室に向かった。
「はい。いただきます」
部屋を出る先生の背中に向かって僕は声をかける。
先生は僕の方を見ずに軽く手を振って部屋を出て行った。
「ふぅ」
残された僕は椅子の背もたれに寄りかかると部屋の中を見回した。
壁にかけられたダウンのコート。
入り口の横に置かれた三本のビニール傘。
机の上には生徒のノートやら化学雑誌やらが雑然と積まれ、その奥には今週号の少年漫画雑誌が紛れているのが見えた。
買ったのだろうか? それとも誰かから没収したのか?
机の前の出窓に並べられたペットボトルのおまけの小さな魚のフィギュアはその数を増やして群れになっていた。
そして、横の小さなカラーボックスには以前に僕が貸した小説の続刊が置かれていた。
先生、気に入ってくれたのか。紹介して良かった。
僕は少し嬉しくなる。
他にも何か無いかと座ったまま首の回る範囲であちこちを見ていたが、資料棚に2008年というバインダーが増えた位だった。
「――それにしてもなぁ」
そんな言葉と共にドアが開き、先生がココアの入った二つのカップを手に戻って来た。
「お前も見かけによらず頑固だよな」
「何がですか?」
先生に差し出されたカップを受け取りながら僕は聞き返す。
カップをテーブルに置く。鼻腔に甘い匂いが広がった。
「いや、去年からずっと私のアドバイスを無視し続けてるだろ」
先生は椅子に座ってカップからココアを一口飲むとそう言った。
「三ヶ月です。さ・ん・か・げ・つ」
僕は先生の開け放したドアを閉めながらそう答える。
先生は僕の訂正の言葉に「はいはい」と言いながらまた一口ココアを飲んだ。
僕もカップに口をつけ、熱いココアを少しだけすするように飲むと先生に向き直り、言った。
「僕のは純愛なんです。今は、たまにその人の姿を見られれば幸福で、それで満足出来るんです」
――そう。今は多くは望まない。僕はその人の姿が見られれば満足出来る。
そして偶然とは言え、今の僕はそれ以上の幸福を手に入れている。
「ふーん。純愛ねぇ?」
先生はそう言ってまた一口、ココアを飲んだ。

(^ω^)
「そういえばさ。大体お前、何でここに来て、私なんかに相談しようと思ったんだ?」
突如、先生がそんな事を聞いてきた。
「普通はこんな事、友達とかに相談するんじゃないか?」
「えっ? いや、そのー……」
僕は答えに詰まる。
ここに来たのは確かに僕の意思だったけど、相談をしたのは言わば不可抗力だ。
先生があそこで足を組替えさえしなければ、僕は今ここにこうしていなかったのかも知れないのだ。
そういう意味ではこれは先生の責任なのではないか?
いや、先生の責任というか先生のおかげと言うか。
「……そーか。お前、友達いないのか」
そんな事を考えていたら、本気で気の毒そうな顔をした先生にそう言われてしまった。
いやいやいや、そんな事は無いですよ。いますよ? 友達。
ただ、こんな相談が出来る友達がいるのかと問われたらそれはいないかもしれないけれど――。
あれ? それって本当の友達じゃないって事? そんな事は無いよねぇ?
再び考え込む僕に先生が言った。
「悪いこと聞いたな。すまなかった」
や、だから違うんですって。友達、いますよ。100人とは言わないけれどそこそこいます。
ただ僕は、富士山の上でおにぎりを食べる時、うっかり忘れられる一人かもしれませんが。
「えーっと、そもそもこの化学準備室に来たのはですね――」
僕は何か言おうととりあえずそんな言葉を口にした。
「ははーん、なるほど。ヒントはそこか」
その途端、先生が僕の言葉を遮ってそんな事を言った。
「え? そこって?」
「化学準備室ってとこ」
自分の何の考えも無い言葉に喰い付かれ、戸惑う僕。
先生は「なるほどなるほど」等と言いながら勝手に何かに納得している。
「――つまり、お前は私にそういった解決を求めていたんだな?」
そう言って先生は僕を見つめ、にやりと笑った。
「そういった解決?」
「何で私なんかに恋の相談をするのか不思議だったんだがようやく分かったよ」
「えっ――!?」
驚いた。というよりも焦った。
しかし先生はそんな僕を放っておいて話を続ける。
「つまり、化学の教師であるところの私を頼って来たんだろう?」
……何だか、話が分からなくなってきた。
「そうかそうか。――よし、私も化学の一端を担うものだ。望み通りに用意してやろうじゃないか」
何時の間にか先生は椅子から立ち上がり腕を組んで僕を見下ろしていた。
「僕の、望み?」
僕は未だに先生が何を分かったのかが分からず、そして先生の言う僕の望みが何だか分からずに先生を見上げて聞き返す。
「薬が欲しかったんだろう?」
「薬?」
ますます話が分からなくなり、僕はただ先生の言った単語を繰り返して聞き返すだけだった。
「そう。薬――」
そして高岡先生はたった一言、言った。
「人に惚れられる薬」

(^ω^)
「あああ、あるんですか!? そんなの!」
驚き、慌てて聞き返す僕に先生は平然と言い返す。
「この化学万能の時代に――」
「字が違う気がするけど……」
思わず突っ込みを入れてしまった。
沈黙が舞い降り、少しの間、二人で黙ったまま見詰め合っていた。
しかし僕が「あの〜」と話を切り出そうとすると、先生は人差し指を上げて僕の言葉を遮り、再び勢いを付けて言った。
「いいから! まかせておけ!」
そうして、先生は戸棚の鍵を開け、中からいくつかの薬品を取り出して調合を始めた。
「これはな、黒の教科書に載っている――」
とか何とか呟きながら《人に惚れられる薬》を作る高岡先生。
その後姿は正にマッドサイエンティスト。
BGMをつけるとしたらホルストの組曲惑星の火星あたりがいいんじゃないだろうか、等と僕は考えていた。

 数分後、フラスコを高々と掲げ、先生は叫んだ。
「完成だ!」
そして僕に向かって真っ直ぐに差し出されるフラスコに入った無色透明の液体。
黒や青といった変な色では無いところが返って不気味だった。
 受け取るより他に選択肢は無い僕は小さく溜め息をついてフラスコを受け取った。
手の中にあるフラスコは冷たく、中からはさっきのココアとは違う種類の甘い匂いがした。
そして、先生のじっと見つめる目に促され、僕は二度目の溜め息をついてフラスコを口に近づけた。
その時、先生が言った。
「遺言があったら聞いておくぞ」
先生に振り返ると先生は無表情に僕を見つめていた。
「え……? どういう意味ですか?」
聞き返す僕に先生はさらりと言った。
「それ飲むと、死ぬかもしんない」
「ちょっ……!」
絶句する僕に先生は眉をくいっと上げて説明してくれた。
「いや、もしかしたら、だよ。この薬の製造は成功する確率と失敗する確立が五分五分なんだ」
それからふいに真面目な顔で僕に問う。
「――それでもいいのか?」
先生にじっと見つめられ、僕はごくりと唾を飲んだ。
「僕は……」
――この薬を飲めば、想い人に好かれる事が出来る。
しかし、それと同じ確立で僕には死が待っている。
最高の生か、もしくは死か。
普通ならばこんな分の悪い賭けに乗る筈が無い。
だが、自分の愛する者に愛されないでいるという人生は果たして生きていると言えるのだろうか?
ならば――、どちらを選んでも同じなのではないか。
それに、先生が作った薬なら信じるより他は無い。

僕は、この愛の果てを見に行く――。

先生の目を見つめ返し、僕は答えた。
「僕は、それでも飲みます!」

(^ω^)
――なーんてね。
先生を信じて、とか何とか言いながら、僕は別な意味で先生を信じてそんな台詞を言っただけだった。
つまり、いくら高岡先生でもそんな危ない物を飲ませる訳は無いだろう、と。
 そんな僕の言葉を聞いて、先生は満足そうに微笑み、言った。
「その言葉が聞きたかった――」
そして僕からひょいとフラスコを取り上げ、言った。
「って訳でこれは飲むな。危ないからな」
そう言って先生がフラスコの中身をシンクに流すと液体はシューシューと音を立て、白い煙をもうもうと上げた。
「あぶねーあぶねー。失敗だったわ」
先生はそう言って笑いながらフラスコの中身を全部捨てた。
ほ、本気だったのか……。
その煙を見ながら僕は自分がまだまだ甘いという事を思い知らされた。
「――よし、じゃあ告白してみようか」
先生がシンクから僕に振り返り唐突に言った。
「へ?」
「いや、それだけの覚悟があるんだから告白しようぜ」
結局、先生は最初の僕の質問に対し、いつものアドバイスにみごとに到達させた。
まんまと乗せられた僕は少しだけ悔しくて、先生を下から睨むように見つめて言った。
「だが断る!」
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が、流れた。
「はぁ……」
僕の答えに先生は溜め息をつき、聞いてきた。
「なぁ、どうして告白しないんだ?」
僕をじっと見つめる先生の瞳。
何だかその瞳からはどうやっても逃れられないような気がして、僕は静かに答えた。
「告白は出来ると思うんですよ。でも……」
「でも何だ?」
先生が聞いてくる。
「でも、告白したら、きっと全てが終わってしまうんです」
――そう。告白してしまったら、この恋は終わってしまう。
それは分かっていた。
僕はわりかし良識派なので、今の僕では世間に認められない、世間が認めてくれないという事を分かっている。
そして何より僕は僕の好きなその人に認められていない。
 告白をする為には僕は大人にならないといけない。
それは精神的な意味では無く、年齢的な意味で、だ。
女の子は十六歳から結婚出来るのに男は十八歳から、何だかそれって不公平な気がする。
「あれですよ。あれ、覆水難収ってやつ」
僕はそう言って肩をすくめた。
「――お前、今日の授業でその言葉習って、使いたいだけだろ」
……どうしてこう、先生は何でもお見通しなんだろう? 確かに僕は今日その言葉を国語の授業で聞いて憶えていたのだ。
苦笑いする僕に先生はやさしく微笑み、続けて言った。
「ちなみにその言葉は男女間に愛があった場合にのみ使えるんだ。だから今のお前には使う資格は無いぞ」
「え? えーっと……」
笑顔で止めを刺され、もう何にも言い返せない僕。
「まぁいい。そう、確かにそんな諺もある。――だがな、こんな諺もあるぞ」
先生は真面目な顔になり僕にそう言った。
「なんですか?」
聞き返す僕にびしっと人差し指を向け、先生は言った。
「男は度胸。何でも試してみるさ!」
「ちょっ……、それ諺違う!」
思わず普通に突っ込んでしまった僕に先生は口を尖らせ頬を膨らませる。
「えー?」
えー、じゃない。まったく適当なんだから。
「……そう。確かにこぼしてしまった水は元には戻らない」
しかし、口を尖らせていた先生は次の瞬間、今の話をまったく無かった事にして話を覆水難収に戻した。
そして「だがな!」とぼくを見つめ、力強く言った。
「そんなものはまた汲めばいいんだよ!」
再び人差し指を僕に向け、もう一方の手を腰にあてたポーズのまま先生は僕を見つめ続ける。
……沈黙が、部屋に流れ始めた。
その時、壁に設置してあるスピーカーから鐘の音が鳴り響き、お昼休みの終わりを僕らに告げた。

(^ω^)
「――ところでさ」
化学準備室の入り口で、教室に戻ろうとする僕の背中越しに先生が聞いてきた。
「まだ教えてくれないのか?」
僕は振り返りにやりと笑って答える。
「好きな相手ですか? ダメです」
「いつか、教えてくれるんだろうなあ?」
珍しく優位に立っているのが嬉しくて僕はいじわるに答える。
「さぁ? どうでしょう?」
うー、と唸る先生。
「じゃあ、もし――」
先生が口を尖らせて僕に言う。
「はい?」
「告白したら、その時は教えろよ? アドバイスしたのは私なんだからなっ!」
そう言って先生は僕の額を小突いた。
僕は小突かれた額に手をやって先生に言った。
「分かりました、約束します。先生には一番最初に教えますよ」
「――約束だぞ」
「――はい」
確かに約束します。――まぁ、どうあってもそうなるんだし。
「じゃあ先生、また相談に来ますね」
僕はそう言って部屋を出る。
「いや、もう来るな。さっさと告白しろ」
先生は笑いながらそう言い返した。
――今日も結論は同じだ。
先生は僕に告白しろと言い、僕は出来ないと断る。
当分、このバランスが崩れる事はないだろう。
でも、いつかきっと――。
「あーあ。早く、大人になりたいなぁ」
僕の呟きを聞いて、先生がにやにやと笑いながら言った。
「この、すけべがー」
「なっ――!」
僕は顔を赤くして先生に振り返る。
「ち、違いますよ! そういう意味じゃ――」
「はははー」
先生の笑顔を見ていると僕はほっとして、いつまでもこの時間が続けばいいなーと思ってしまう。
相談は、いつまでも同じ所をぐるぐる回っているだけだけれど、それでも僕はこうして二人で恋愛の話をしているだけで満足だった。
僕の恋愛相談の相手は美人でスタイルも良くて、性格は男前で頼りがいがあり、そうかと思えばしっかりと女性らしい面もある。
そして、自分の事にはとことん鈍感な高岡先生。
とりあえず、先生はまだ僕が好きな相手が誰かという事に当分気付きそうにない。


2008.01.25掲載


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