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クーの梅雨の一日なようです

(^ω^)
「《愛愛傘》だって!?」
声にこそ出さなかったものの、ツンの言葉を聞いた私は驚き、心の中で叫んだ。

 その時、私はツンから内藤との事で相談を受け、話を聞いていた。
ツンはわたしの親友で、内藤とはツンがお付き合いしている相手、いわゆる恋人だ。
 二人の関係はとても面白い。
ツンは内藤に対してとてもきつい言葉を使い、しょっちゅう馬鹿にしている。
「ばっかじゃないの?」や「別にあんたの為じゃないわよ」等という言葉はツンの内藤に対する常套句だ。
多分、初めてこの二人を見た人は、二人が付き合っているとは想像もつかないだろう。
いや、それどころか、この二人が付き合っていると聞いてもなお、疑いを持つかもしれない。
 私が二人と知り合いになった時にはもう二人は付き合っていたが、最初の頃はこの二人はすぐに別れてしまうのでは無いかと心配していた。
だが、二人はそれからもずっと交際を続け、あんな関係のままでも別れる様子はまったく無く、私はあの二人の間にも、とても分かり難いがやっぱり愛があるのだな、と納得した。
 聞けば、二人は幼馴染だと言う。
成る程、二人のあの関係は長い歴史の果てに築かれたものなのだろう。
内藤に対してとても我侭なツンと、ツンに対してとても寛容な内藤。
それでも時々、ツンが内藤に向ける笑顔はほんとうに可愛らしくて、あれが目に見える愛の形なのだろうかと私は思う。
そして何故だか分からないがツンのあの笑顔を見ていると私は何かに対してとても羨ましく思える時がある。
きっと、その羨望の対象はツンで、理由は私にはあんな風に笑う事が出来ないからなのだろう。

 閑話休題。

 私が相談を受けたのは一日の授業が終わり、クラスの大半が教室を出て行った後だった。
その日一日、眉間に皺を寄せいたツンに私は声をかけ、その途端、ツンは私に向かって凄い勢いで話始めた。
「クー!! ねぇ、どうしよう!? どうしたらいい!? わたし、もう内藤に嫌われちゃったかもしれない!」
私がどうしたんだ? と言うとツンはそのままの勢いで私に話し始めた。
「あのね、あのね――」
ツンの勢いは止まらず、それでいて悩みながら話すので話があちこちに飛んだ。
しかし、それら断片的な情報を統合すると、どうやらツンの相談内容は「《アイアイガサ》の正しい漢字を知っている内藤に、偉そうに違う漢字を教えてしまった」という事らしい。
そんな事、心配するような事でも無いと思ったのだが、それでも一応、私はツンが間違えた漢字を教えた時の内藤の反応を聞いてみた。
「それで? 内藤は何て言ってたんだ?」
しかし、ツンは私の質問を聞いて、私が《内藤の言った正しい漢字》を知りたがっていると思ったらしく、その《内藤の言ったアイアイガサの漢字》を教えてくれた。
ツンの答えはこうだった。
「内藤は《愛愛傘》だって」
――「《愛愛傘》だって!?」
声にこそ出さなかったものの、ツンの言葉を聞いた私は驚き、心の中で叫んだ。
私がずっと《相々傘》もしくは《相合傘》だと思っていた「アイアイガサ」は《愛愛傘》という漢字だったのだ。
一瞬、私は二人を疑った。
だが、内藤は正しい漢字を知っていた、とツンは言った。そしてツンは昨日わざわざ辞書でその漢字を調べている。
だとすれば、長年思い込んでいただけの私の知識よりも二人の裏付けのある知識の方が信頼に値する。
こんな変な言葉を認めろというのか――。私は驚きのあまり全ての動きが止まってしまっていた。

(^ω^)
「……い、いや、そうじゃなくて。ツンが間違えた漢字を言った時に内藤はツンに何か言ったのか?」
ショックを受けつつも、私は再びツンに質問した。
今度はツンは私の意図した答えを返してくれた。
内藤は何も言わなかったらしい。それで得意気に間違いを訂正したりしない所が内藤らしいが、それが逆にツンを心配させる結果になってしまったのは皮肉な事だ。
私は心配無いと言ったが、ツンは「でもでも!」と別な心配を持ち出す。
曰く、「その事で内藤を馬鹿にしてしまった」と。
それを聞いて、私は可笑しくてしょうが無かった。
そんな事はツンと内藤の二人にはいつもの事。二人の長い歴史の中で何度も繰り返されてきた事だ。今更、そんな事でどうにかなる二人では無いだろうに。
私は笑って「いつもの事じゃないか」とツンに言った。
しかし、それでも不安が尽きないツンは話を続け、やがて私は二人の間にある大きな問題を知った。
それは、ツンが自分の想いを内藤に伝えていない、という事だった。
「それは問題だな」
それを聞いて、私はそう言った。
「例えどんなに想っていても、それだけではその想いの全ては伝わらないからな」
そう、私の言った事は間違ってはいないと思う。
想いは伝えるべきだ。
言葉にしなければ、全てを伝える事は出来ない。
例えツンと内藤がどんなに長く深い歴史で結ばれていようとも、言葉無しでは、いずれその結びつきは弱ってきてしまうかもしれない。
私はツンに問うた。
「ツンはどうしたいんだ?」
私の問いに、しばらく考えた後、ツンは言った。
「内藤に想いを伝えたい」
そして、その答えとその時のツンの真剣な表情を見て私は思った。
――うん。この二人はきっと大丈夫だ。
ツンは内藤の事を想い、内藤と一緒にいる為に変わろうとしている。
ツンの事だから時間はかかるかもしれない。でもきっと内藤に想いを伝える事が出来る。
そうして、お互いの想いが通じ合った二人は、この先どんな事があろうとずっと一緒にいられる。
そんな確信にも似た思いがあった。
 それから、私はツンを内藤と一緒に帰るように促した。
最初、何だかんだと躊躇していたツンだが、私が無理やりに教室の出口まで押して行くと、覚悟を決めて内藤の元へ向かった。
帰り際、ツンは私に振り返り、笑顔で「ありがとう」と言った。
その笑顔はとても魅力的で、さっきまでの不安でしょうがないといった表情との差に私はどきりとした。
 ――ツンはくるくると表情を変え、笑ったり怒ったり、拗ねてみたりと実に忙しい。
それはきっと、ツンが何事に対しても常に全力でぶつかっているからなのだろう。
そしてそれは、恋愛に関しても同じで、ツンは「嬉しかったり、ドキドキしたり、そして時には不安になったりする」とよく私に恋愛相談にやって来る。
そんなツンの相談に私は今日のようにアドバイスをしてみたりするのだが、ここに一つ大きな問題がある。
 実は、さんざん偉そうにアドバイスをする私本人が愛とか恋とかにまったくと言っていいほど無縁なのだ。
「内藤が最近おかしい、これはどういう事だろう?」とか「内藤がこんな事を言った、大丈夫だろうか?」という類の質問であれば、それは観察と私の人生の経験に照らし合わせ、おおよそ正しい答えを導く事が出来る。
だが、「愛とは何なのか」と問われたら、私には答える事が出来ない。
私は、今までに一度も人を好きだと思った事も無いし、人に好かれた事も無い。
別に愛や恋に懐疑的という訳では無い。
人間として生まれてきたからには恋をしたい、と私は思っている。
「愛されなかったということは生きなかったことと同義である」と、ルー・アンドレアス・ザロメも言っている。
ツンを始め、周りを見ていても《愛》や《恋》をみんなは当たり前のように体験している。
なのに、愛とは何かを説明すら出来ない自分は不良品なのだろうか?
 相談を受けているとツンがよく私に言ってくる。「たまには、私もクーに恋愛相談されたいな」と。
そんなツンの願いが叶う日、こんな私に恋が訪れる日はいつか来るのだろうか?

(^ω^)
 ツンを送り出した私はドクオを探した。
内藤はドクオと一緒に帰る約束をしていたらしく、ツンを内藤と一緒に帰らせる為には私が彼を引き止めないといけないのだ。
幸い、隣にあるドクオの教室に行くと彼はまだそこにいた。
 ドクオ、ツン、内藤、それに私の四人は去年、一緒のクラスだった。
しかし、今年になって私はツンとは同じクラスになったが、ドクオと内藤は別なクラスになり、私達は三分割されてしまった。
それでも、ドクオは内藤と同じ部活に入っているので、内藤からツン、そして私へとドクオの情報が伝わってくる。
――ではその逆に、ツン・内藤経由で私の情報がドクオに伝わっていたりするのだろうか?
それは嬉しいような、出来れば知られたく無い事もあるような、複雑な気持ちだった。
 クラスが別れる事になると知った時、私はドクオの事を関係を失うには惜しい存在だと思った。
そして、これからも彼とは付き合いを続けようと思っていた。
だが、クラスが別れてからのこの三ヶ月間、私は彼に声をかける事が出来なかった。
声をかけても何をしゃべればいいのか分からなかった。「元気か?」などと言う程離れている訳でも無いし、さりとて共通の話題がある訳でも無い。
そして、そんな理由と共に、声をかけたら迷惑なのでは無いだろうか、という思いがあり、廊下で彼を見かける度に私は困っていた。
そうして、私とドクオはお互いに声をかけるでも無く、すれ違う日々が続いていた。
 しかし、今日は自分の為では無く、ツンの為に彼を引き留めなければならないのだ。堂々と声をかけられる。
ツンを内藤と帰らせる為とは言っているが、そこには少し、楽しみにしている自分がいた。
「ドクオ。もう帰りか? 頼みたい事があるのだが」
帰り仕度をしているドクオの背中に向かって、私は努めてさりげなく声をかけた。
「え? ああ、クー。えっと……久しぶりだな」
彼は振り向くと私の存在に少し驚いたようだった。
「そうだな。久しぶり……」
私とドクオ、二人の間を何とも言い難い沈黙が流れた。
「あー、それで、頼み事なんだかどうだろう? 手伝ってもらえるか?」
私はその沈黙を破るために声を発した。
そしてドクオが返事を返す。
「え? あ、ああ。勿論いいぜ」
そう言って、ドクオは少し不器用に微笑んだ。
その笑みに私もつられて微笑み、二人の間の空気が柔らかくなったのを感じた。
「……あ、でもブーンと一緒に帰る約束してるから言って来ないと」
ドクオがふと思い出し、そう言った。
ブーンとは内藤の事で、彼は内藤の事をそう呼ぶ。
「内藤ならもう帰ったぞ。ツンと一緒に」
私がそう言うとドクオは「何だあいつ、自分から言っといて」と言った後に俯き、小さく「……いいなぁ」と呟いた。
ドクオのその呟きを聞いた時、私は自分の心がざわめくのを感じた。
「ドクオはツンと帰りたかったのか?」
私がそう聞くと、ドクオは慌てて私に向き直り言った。
「ち、違う! 俺はこの三ヶ月ずっと――」
そこでドクオは黙り込み、そのまましばらく私を見つめていたが、やがて目を逸らして言った。
「……何でもない」
それから再び私に向き直ると「で? 今日は何を手伝うんだ?」と聞いてきた。
「じゃあ、とりあえず付いて来てくれないか」
そう言って、私は職員室に向かって歩き出した。ドクオが後を付いて来る。
歩いている途中、私はドクオが「違う」と言った事を思い出し、何故かほっとしていた。

(^ω^)
 さて、何を頼もう。
頼む仕事は何でもよかった。たった数分、ずらしてしまえばいいだけの話だ。そうすれば、ツンは内藤と一緒に帰る事が出来る。
しかし、職員室の入り口に着いた私は溜まっていたコンピュータへの入力をドクオに頼む事にした。
「先生、クラスのデータ入力をやりに来ました」
机にいた担任の高岡先生にそう告げると、先生は振り返り、私の後ろにいるドクオに気付いた。
「お! 今日はドクオと一緒なのか!?」
私は一度ドクオを見て、先生に向き直ると言った。
「ええ、手伝ってもらおうかと思って」
「そうか〜。去年はしょっちゅう一緒に来てたもんな、お前等」
先生はそんな事を言った。
確かに去年、ドクオと同じクラスだった時、私はよく担任の先生に頼まれた用事をドクオに手伝ってもらっていた。
私はもう一度ドクオを見ると先生に言った。
「私は彼の事を……」
――私はドクオの事を?
どう思っているんだろう? 何故、私は彼に手伝ってもらっていたのだろう?
「――信頼しているんです」
私はそう言った。
そうだ。私はドクオの事を信頼しているんだ。
「彼はパソコン詳しいし、何と言ってもキーボードを打つの早いですから」
「ふーん、そうかそうか」と先生は私を見てにやりと笑い、それからドクオの方を向いて言った。
「ドクオ、今年は違うクラスなのに大変だな」
そうだ。去年はドクオにとっても自分のクラスの用事を頼んでいた訳だから問題は無かったが、今はクラスが違う。
そんな他のクラスの用事をドクオに頼むのは良く無い事だろうか?
「ドクオ、やはり――」
私が言うより先にドクオが叫んだ。
「いっ、いいんです!」
そして、ドクオは続けて言う。
「だって俺! 好きだから!」
一瞬、どきりとした。
私が振り返ると、ドクオと目が合った。
鼓動が早まり、気分が落ち着かない。
「――い、いやいやいやっ!」
次の瞬間、ドクオが真っ赤になりながら再び言葉を並べ始めた。
「あれだよ? あれ! コンピューターが、だよ!?」
そして最後に「だから、気にするなよ! 違うクラスでも全然オッケーだよ!」と叫んだ。
私は何故か早まっていた鼓動が落ち着くと、改めてドクオにお礼を言った。
「ありがとう、助かるよ」
私がそう言うと、ドクオが更に赤くなったように見えた。
横では先生がドクオと私を交互に見てニヤニヤと笑っていた。

(^ω^)
「じゃあ、ドクオはこのデータの入力を頼む。私は書類を書く」
仕事場所として指定された化学準備室に着くと私はそう言って先生に渡された書類の山をドクオに渡した。
「結構、量あるな」
ドクオが書類の山をパラパラとめりながらそう言った。
「どうも溜めてしまってな。すまない。こっちの作業が終わったら手伝うよ」
私が謝ると、ドクオが聞いてきた。
「相変わらず、パソコン苦手なのか?」
「う、うむ」
「そうか。じゃあ、言ってくれれば、これからもいつだって手伝うよ」
そう言いながら書類の山をやけにきっちりと整えるドクオ。
「ありがとう。だがもうクラスが違うのだ。そうそう頼れ無いよ」
私がそう言うと、ドクオは整えていた書類から私に視線を移した。
「だから!」
そして再び、書類に視線を戻し、角を調えながら言った。
「……いいんだって。俺、コンピュータが好きなんだから」
何だか、自分がドクオの好意を無駄にしているような気がして情なかった。
こんな時、何と言えばいいのだろう? ありがとう、では軽すぎる気もするし。
「……かたじけない」
必死に考えた末に出て来たのはそんな言葉だった。
そして、その言葉を聞いたドクオがぷっと吹き出した。
それから私を見て言う。
「返答に困ると変な言葉遣いが更に変になるのも相変わらずだな」
「おかしかっただろうか?」
私の問いにドクオは微笑みながら「ちょっとな」と言った。
そう言ったドクオの笑みはあまりにも柔らかく、思わず私もつられて笑ってしまった。
「それにしても」
私はふとさっきのドクオの言葉を思い出した。
「『相変わらず』か。そんな言葉を使うほど時間が経っているわけではないが――」
そう、たった三ヶ月だ。年単位で離れていた訳でも、ましてや会えない程遠く離れていた訳でもない。
隣の教室にいつでもドクオはいたのだ。
しかし、声をかけたくてもかけられない状況は、私に時間や距離を越えた孤独感を与えていた。
「でも、賛同するよ。確かにそんな気分だ」

(^ω^)
 それから私達は向かい合った机でそれぞれ、データ入力と書類書きをしていた。
お互いにあまり話さなかったが、昨日までの廊下でのすれ違いとは違い、それは気まずい沈黙では無かった。
「なぁ、ドクオ?」
書類書きを終えた私はもう一台のパソコンでドクオのデータ入力を手伝っていた(いや、元々手伝ってもらっているのは私なのだが)。
「何だ?」
ドクオはその流れるような手を止めずに私の問いかけに答えた。
そして、私はぽちぽちと躊躇うようにキーボードを押しながら聞いた。
「何故、パソコンや電卓のキーボードと電話では数字の配置が逆なんだ?」
「ん? どういう意味だ?」
ドクオが手を止めて私を見た。
「いや、キーボードでは1・2・3が一番下の列で、7・8・9が一番上の列だろう?」
私はそう言い、ドクオが目の前のキーボードを確認した。
「しかし、電話は1・2・3が一番上で、7・8・9が一番下の列じゃないか」
ドクオは今度はポケットから携帯電話を取り出して見る。
「あれ? ほんとだ」
私の質問の意味に気付いたドクオがそう言った。
そして、「うーん、気が付かなかった。ほんと、何でだろうな?」と首を傾げた。
「おかげでパソコンで電話番号を入力する時にはいつも混乱してしまう……」
私は再び、キーボードをぽちぽちと押しながら呟いた。
そんな私を見て、ドクオが少しだけ楽しそうに聞いてきた。
「それで、なのか?」
「ん?」
ドクオの質問の意味が分からず、私は聞き返す。
「いや。それでパソコン、苦手なのか?」
ドクオの質問の意味を理解し、私は躊躇いがちに答えた。
「いや、実は……」
こんな私を知ったらドクオは幻滅するだろうか?
「どうも、機械全般が苦手でな。ビデオの録画予約なんかでもうまく出来ない事があるのだ……」
それを聞いてドクオはしばらく沈黙していた。
その沈黙に私は何だかいたたまれない気持ちになって、やっぱりこんな事を言うんじゃなかったと思った。
しかし、やがてドクオは「クーの意外な弱点だな」と、いたずらっぽい笑みを浮かべて私を見た。
その笑顔に私は救われたような気持ちになり、「誰にも言うなよ?」と照れ笑いを返した。

(^ω^)
 それからまた私達はそれぞれの入力作業に戻り、部屋には二人のキーを叩く音だけが響いていた。
それはまるで一流のピアニストと昨日ピアノを始めたばかりの初心者の二重奏のようだった。
そして、演奏も終盤に達した頃、高岡先生がやって来た。
先生は私を見ると、開口一番、こう言った。
「楽しそうだな」
私は驚き、先生に聞き返す。
「え? 何故です?」
先生が私に教えてくれた。
「笑ってたよ」
私は再び先生に聞き返した。
「笑ってましたか?」
うん、と先生は言った。
そして、「お前、ドクオの仕事振りを信頼しているとか言っていたけれど、やっぱり違ったな」と私を見て言った。
その言葉に私は咄嗟に言い返す。
「えっ? 私は本当にドクオの事は信頼していますよ?」
先生は、「いや――」と言った後にしばらく沈黙し、それから「うん、そうだな。それはそれで真実なんだな」と言った。
それから私のパソコンの画面を覗き込んで「で? どうだい終わりそうかい?」と聞いてきた。
「ええ、時間はかかりましたがドクオのおかげでもう終わります」
私がそう答えると先生は「そうか。ありがとな」と言いながら、私とドクオを交互に見てさっきとは違う優しい微笑みを浮かべていた。

 結局、入力が終わったのはそれから20分後だった。
本当は仕事なんか何でも良かった。
本来の目的、ツンと内藤を一緒に帰らせる為、であれば、たった数分ずらしてしまえばいいだけの話だった。
それでも私は一番時間のかかりそうな仕事を選んでしまった。
何故だろう? やっぱり私はドクオに頼りすぎなのだろうか?

(^ω^)
 昇降口に着くと、ツンを送り出した時に降り始めた雨はまだ止んでいなかった。
――そういえば、ツンは内藤と一緒の傘で帰れただろうか? 何かのはずみでツンが自分の傘を出したりしていなければいいが……。
そんな事を考えていると、ドクオが私に言った。
「こ、こうして一緒に帰るのは久しぶりだな」
「そうだな。去年まではよく手伝ってもらって一緒に帰ったものだが」
私がそう答えると、ドクオが開けた自分の下駄箱の中を見つめながら「また手伝ってやるからさ。いつでも呼べよ?」と言った。
「ああ、よろしく頼むよ」
私の返事にドクオがぱっと明るい顔で振り返った。
それから「じゃ、帰ろーぜ」と言うとドクオは下駄箱を閉じて玄関に向かった。
 そうして、私達はそれぞれの傘を開き玄関を出た。
「……なぁ、ブーンとツンってどう思う?」
校門を出てしばらくすると、ドクオが突然そんな事を聞いてきた。
「奇遇だな。私もその話をしようと思っていたんだ」
私はそう言いながら、緩みそうになる頬を押さえるのに必死だった。
――何故だか分からないが、ドクオと同じ事を考えていたという事実が無性に嬉しかったのだ。
「あの二人って不思議だよな――」
ドクオはそう切り出し、ツンと内藤の話を語り始め、やがて、話は内藤の告白の話になった。
「クーは知らないんだよな? ブーンがツンに告白した時の話」
「ああ、その頃、私は学校が違ったからな。だが、話には聞いているよ」

――かつて内藤がツンに告白した時、世界中の人間が驚いたと聞いている(可笑しな事にその中にはツンも含まれていたのだが)。

「あの時はさすがの俺も驚いたよ」
ドクオは話を続けた。
「ブーンがツンを好きになった理由がまったく分からなくてさ……。普段あれだけひどい扱いを受けていて、一体こいつはどれだけMなんだと思ったよ」
そう言って、ドクオは肩をすくめた。
「でもそれ以上に驚いたのはツンだよな」

――そして同時に、世界中の人間が内藤の告白は絶対に断られると思っていた(こちらの中に内藤が含まれていたかどうかは定かでは無い)。

「告白するって事はさ、相手も自分の事を好きで、告白する事によって付き合えるかもっていう可能性が少しでもあるからするんだろ?」
ドクオはそう言って私を見た。
「そういうものなんだろうか?」
私の返事にドクオが言い返す。
「絶対に付き合えない事が分かっている相手にする告白にどんな意味があるんだ? ただの自己満足じゃないか」
そうなのだろうか? 何かが違う気もするが、ドクオが言っている事が正しい気もする。
私は何と言っていいか分からずに沈黙した。
「で、でさ――」
何も言わない私にドクオは慌てた様子で話を続けた。
「俺を含めてみんな、ツンはブーンの事なんか絶対に好きじゃないだろうし、この二人が付き合うなんて事、絶対に無いと思ってたね」

――しかし、予想を裏切り、二人は付き合う事になった。

「ほんと、驚いたよ」
ドクオはそう言いながら遠くを見つめた。

(^ω^)
「いやー、今でもあの時のブーンはすごかったと思うわ。ちょっとカッコ良かった」
しばらく歩いていると、不意にドクオがそう言った。
そして、「ツンの事を一番よく見てたのはやっぱり内藤なんだな」と感心したように呟いた。
「そうだな。やはり内藤なんだろうな」
私は内藤とツンの、昔から繰り返されてきたであろうやりとりを思い出し、そう言った。
するとドクオが「でもさ」と少しだけ得意そうに私に向き直った。
「最近、俺もちょっとツンの行動の本当の意味が分かるようになったんだ」
そう言ってドクオは自分が見破ったツンの行動パターンを話し始めた。
「要はあれ、照れ隠しなんだろうなー」
そうやって楽しそうにツンの事を話すドクオの事を見ていたら、私はまた自分の心がざわめくのを感じた。
このざわめきは不安?
「ドクオは――」
そして、私は思わず聞いていた。
「ツンが好きなのか?」
その瞬間、ドクオが「エンッ!」と叫んだ。
そして、私に振り返り、どもりながら言う。
「……す、好きだけど」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分とドクオの間に透明な、けれどとても厚い壁が現れたように感じた。
「――だっ、だけど!」
ドクオが再び叫び、不安そうな顔で私を覗き込みながら言った。
「恋愛感情の《好き》じゃないからなっ? ゆ、友情の《好き》だぜ?」
ドクオが私をじっと見つめ、私はドクオの向けられた目を見つめ返していた。
すると、私の不安は去り、目の前に表れた壁は消えていった。
私はドクオに「そうか……」と返事をした。
――しかし何故、私はドクオがツンを好きなのではないかと思った時、不安になったのだろうか?
ドクオ、ツン、内藤の三人がその事が原因で揉め事になるのを心配しているのか?
いや、そうじゃない。私が感じたのは心配では無く、不安だった。
では何故――?
いくら考えても分からなかった。でもとにかく、ドクオが何かをすると私は心がざわめき、落ち着かなくなるのだ。

(^ω^)
「……な、何の話してたんだっけ?」
私が不安の理由を考えあぐねて無言でいるとドクオが慌てて話を続けようとした。
「えーっと。……あ、ツンの行動パターンの話か」
そして、再びツンの話を始めようとし、私の心は再びざわめく。
――やっぱりドクオはツンのような女子がいいんだろうか? そんな事を考えてしまう。
 その時、突如として強風が吹いた。
「うわっ!」
私は咄嗟に傘の向きを変え、風を受け流したが、ドクオの傘は風をはらみ彼の手から離れ宙を舞った。
しかし次の瞬間――、私は反射的に手を伸ばし、今まさに飛んで行かんとするドクオの傘をキャッチした。
だが、ドクオの傘を掴んだ私の手は、元々は鞄を持っていた手だった。
そして傘を掴む為に私の手から離された鞄は当然のように地面に落ち、水溜りに浸かっていた。
「ご、ごめん。クー!」
ドクオが慌てて私の鞄を拾い上げ、自分のデイパックから取り出したタオルで拭きながら私に言った。
そして、拭き終ると私に差し出した。
私は鞄を受け取り、それと引き換えに傘を渡しながら言った。
「――君は馬鹿なのではないかね?」
「えっ?」
そして続けて言う。
「別に君の為にした事では無い」
「あ、あの……」
私に言葉にドクオは混乱し、そして謝ってきた。
「ごめん……」
謝罪される、という予想外の反応に私は自分の失敗を悟り、ドクオに謝った。
「いや、こちらこそすまない」
そして、白状する。
「ちょっと――、ツンの真似をしてみたんだ」
沈黙――。世界の機能が停止してしまったかのような沈黙。
ドクオは何も言わなかった。そして私も何を言っていいか分からず、ざあざあと雨の音だけが降りそそいでいた。
「……………………ぷっ」
しばらくすると、黙って私を見ていたドクオが噴き出した。
そして「何だよ。脅かすなよー」と、安心しきった無防備な笑顔を私に向けて笑った。

――そんなドクオの笑顔を見ながら、私は言った。
「私はこれから先、君が他人と笑い合う事が無いよう、望まざるを得ないよ」
私の言葉にドクオの笑顔が一瞬で曇った。

(^ω^)
 ドクオが困ったような口調で聞いてくる。
「クー、何か怒ってるのか?」
「そんな事は無いぞ? 何故だ?」
私の返事にドクオは更に困惑する。
「だって、それって俺の人生にこれから先、楽しい事が無いように望むって事だろ?」
そうか。そういう解釈も出来るな。
だが――。
私は言った。
「……それは違う」
「じゃあ、どういう意味なんだよ?」
ドクオの声が徐々に不機嫌さを帯びてくる。
「君がこの先、笑顔を見せる事が無いように。という意味だ」
「同じじゃないか!」
ついにドクオは叫んだ。
「さっきの君の笑顔――」
私は小さく深呼吸をすると、慎重に言葉を選んでドクオに伝え始めた。
「何と魅力的な笑顔を見せるのか、と私は思ったのだ」
傘を上げ、隣の傘の下にいるドクオの目を覗き込む。
「だが、もし――」
覗き込んだドクオの瞳の中に自分が映っているような気がした。
「その笑顔が、私では無く、別な誰かに向けられたものだとしたら……、きっと私は激しく心を乱されるだろう」
そして私は微笑んで言った。
「だから私は、君が他人に笑顔を見せない事を望むのだ」
こんな事を望む私はひどい人間だ。
だが、私は本当に彼の笑顔を独占したいと思ったのだ。
――私が、ツンの笑顔を羨ましい、と思ったのは自分があんな風に笑えないからでは無かった。
私が本当にうらやましかったのは、あの笑顔が向けられる内藤だったのだ。
私は、自分がツンのようになりたかったのでは無く、ツンのような笑顔を向けてくれる誰かを欲していたのだ。
そして、その誰かとはきっとドクオだったんだ――。

(^ω^)
「……クー、どうかしたか?」
ドクオが困惑の中に照れを混ぜ込んだ表情で聞いてきた。
「何がだ?」
私が聞き返すとドクオは言った。
「何か、今日は変だぞ」
「そうか?」
「もしかして……」
ドクオが探るように聞いてきた。
「はしゃいでいるのか?」
私は努めて冷静に「そんな事は無いぞ」と答えた。
しかし、そう言いつつ私も自覚していた。今日の私は変だ、と。
ツンの真似をしてみたり、変な事を言ってドクオを困らせてみたり。
そして、確かに私ははしゃいでいた。
ドクオと一緒にいるのは楽しかった。三ヶ月ぶりに二人で帰れるのが嬉しかった。
そして私は思っていた。
明日も一緒に帰りたい。いや、この先ずっと一緒に帰れたらいいな、と。
「うん。まぁ、でもたまにはそんなクーもいいかもな」
そう言って、ドクオが再び笑顔を見せた。
そして、その笑顔を見た途端、私は自分とドクオの間の距離がもどかしくて仕方が無くなった。
傘というものは並んだ二人がそれぞれに差すと普段以上にお互いの距離が開いてしまう。
私はドクオに聞いた。
「ドクオ、そっちの傘に一緒に入っていいか?」

(^ω^)
「えっ? あ? あ、あぁ……」
ドクオは困惑しながらも私が傘に入る事を許可してくれた。
私は自分の傘をたたみ、ドクオの傘に入った。
さっきまで私達の間を離していた傘は今度は逆に私達を近づけさせてくれる。
そして私達は歩き始めた。
ドクオの、濡れた地面を歩くぱしゃぱしゃという足音に合わせて、私の、ドクオより少し小さな足音が鳴る。
ドクオの隣はとても居心地が良かった。
それなのに、私は少し緊張している。何故だろう? もしかして、私はまだドクオの隣に立つには早すぎたのだろうか?
確かに私とドクオには、幼馴染のツンと内藤のような歴史は無い。
ではもし、この先ずっと私とドクオの付き合いが続いたら――、私達は幼馴染ではないが、若馴染くらいにはなれるのだろうか?
そうして、私達二人の歴史を作ったら、いつか私はドクオの隣に立つにふさわしい相手になれるだろうか?
――何だか今日はドクオの事ばかり考えてしまう。
放課後からこっち、私はドクオの事を考えては嬉しくなったり落ち着かない気分になったり、時には心がざわめき寂しい気持ちになったりした。
この気持ちは何なのだろう? こんなに自分の感情に振り回された事は今まで一度も無い。
 その時、私はツンの言葉を思い出し、その内容と自分の気持ちの一致に驚愕した。
『恋って、嬉しかったり、ドキドキしたり、そして時には不安になったりする』

――もしかして、私は恋をしているのだろうか?

これが愛愛傘の効果なのか?
今までずっと、愛や恋というものに縁が無かった私はついに愛を知ってしまったのだろうか?
思わず私は私とドクオの頭上を覆う傘を見上げた。
しかし、自分のこの想いが恋なのではないかと思う一方で、初めての事に戸惑い、これが本当に恋なのか、私には自信が無かった。
私の想い。ドクオへの想い。
 私は、彼の笑顔を独占したい。
 私は、いつも彼と一緒にいたい。
 私は、彼の隣で二人の歴史を作りたい。
私の、このドクオへの想いは恋なのか。
悩む私はその時、ツンが言っていたもう一つの言葉を思い出した。
『たまにはクーも私に恋愛相談してよね』
そうだ。この気持ちが何なのか。明日、ツンに聞いてみよう。
そして、これが恋ならば、ドクオに一言「君が好きだ」と伝えよう。

「そういえば、知っているか?」
私は自分のすぐ隣、その距離僅か3センチにいるドクオに言った。
「何だ?」
前を向いて歩いていたドクオが私に振り返る。
「アイアイガサとは《愛愛傘》と書くらしいぞ」
私がそう言うと、ドクオは少し考えた後に「へぇ〜。そういえば、どんな漢字か考えた事も無かったな」と感嘆の声を漏らした。
そして、再び前を向いてしまったが、その顔は微笑んでいた。
私はすぐ横で微笑むドクオの横顔を見ながら言った。
「なかなか、素敵な言葉だと思わないか?」
そして、その笑顔を見ながら、この想いが恋だといいな、と思っていた。


2007.8.13掲載


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