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ブーンの梅雨の一日なようです

(^ω^)
「ばっかじゃないの? そんな訳ないじゃない」
彼女が言った。
 喫茶店の店内はもうクーラーが効いていて、梅雨のジメジメした暑さを打ち消していた。
それでもぼくの背中に流れたその汗は冷や汗だったのかもしれない。
ぼくは彼女――ツンから目をそらして窓の外を見る。
さっきまで強く降っていた雨はもうほとんど止んでいた。
ぼくは彼女に視線を戻し、おずおずと言い訳を口にした。
「でも、その傘の下には愛が二人分もあるんだお?」
「だから?」
彼女は運ばれてきたコーヒーを口に近づけたが、熱かったらしくそのままカップを受け皿に戻した。
そして、ぼくを見つめて改めて言う。
「愛が二つで《愛愛傘》? まったく……、まるで発想が小学生よ」
「でもさ……」
愛愛って英語で言えば、ラブラブだお? ぼくは口に出さずにそう言った。
そんな事を言ったら、クォーターで帰国子女なツンにこれ以上、何を言われるか分からない。
でもまぁ、そんな彼女に日本語の事で今ぼくはこうして呆れられているわけだが。

(^ω^)
 事の発端はぼくの発見だった。
いや、彼女に言わせればそれは「発見」なんかではなく「常識」なのだろうけど。
 ぼくの発見、それは「あいあいがさ」という言葉が漢字で書くと《愛愛傘》では無いという事だった。
 昨日、ぼくは雨に関するメールを打っていて、その中で「あいあいがさ」と携帯に打ち込み変換をかけた。
その時、ぼくは当然、「あいあいがさ」は《愛愛傘》と変換されると思っていたのである。
しかし、驚いた事に変換候補のどこにも「愛愛傘」という文字は無かった。
代わりにそこにあったは「相合い傘」もしくは「相相傘」という漢字だけ。
 なるほど、辞書を引いてみれば確かに「相合い・相相」には「二人以上で一つの物を使用すること」とある。
そして、「相合い傘」はと言えば、そのまま「二人で一本の傘を差すこと」だそうだ。
 ――まったく。辞書というやつは何にも分かっていない。
こんなつまらない説明を載せ、こんな漢字を表示するなんて、アイアイガサの本質をまったく理解していないに違いない。
 アイアイガサ。その真の目的は「一本の傘を仲良く二人で使う事」では無い。
そんな「消しゴム忘れたから貸して」みたいな事と一緒にされては困るのだ。
そんな事は傘という物の事を少しばかり考えればすぐに分かるというのに。
 傘というのは遥か天空より降り注ぐ雨から身体を濡らさないという目的で作られている。
傘の中にいれば身体は濡れず、傘から外に出れば身体が濡れてしまう。つまり濡れないためには傘から外に出てはいけないのだ。
次に、傘は基本的に一人用に作られている。
つまり、傘とは通常、人が一人入れるだけのスペースでしか雨から身体を守ってくれないのだ。
そして、アイアイガサというのは、そんな一人分のスペースに、降り注ぐ雨から身体守るため、無理やり二人の人間が押し込められる事なのだ。
その結果どうなるか。
一人分のスペースに二人が入れば、当然、お互いの身体は密着する事になる。
そう! それこそがアイアイガサの本質なのだ。
そんな状態、愛が無ければ起こり得ないし、逆にそんな状況にあって愛が生まれない訳が無い。
そしてその時、一本の傘の下には二人分の愛があるのだ。
さすれば、その漢字は当然「愛愛傘」ではないか。

(^ω^)
 ――と、ぼくは辞書の説明を読みながらそう反論していた。
でもまぁ、ぼくがいくら反論しようが、世間ではずっと「アイアイガサ」は「相合い傘」だった訳で。
 そして今ぼくは喫茶店で彼女に「ねぇねぇ、昨日発見したんだけど、知ってたかお? 今、ツンと二人で一緒の傘に入ってたお。あれ、あのアイアイガサって漢字で書くと『愛愛傘』じゃないんだお」と話を振り、こうして呆れられているのである。
「ちょっと考えたら正しい漢字が何かくらい分かるじゃない」
彼女がそう言って、コーヒーに口を付けたが、熱さで顔をしかめ、またもカップを受け皿に戻した。
「まったく、頭は生きてるうちに使いなさいよ」
 昔から彼女はよく、ぼくにこんなキツイ事を言う。
そんな言葉に悪気がある訳じゃないのは分かっているし、もうすっかり慣れてしまったが、それでも時々、彼女は本当はぼくの事を好きでは無いんじゃないかと不安になる事がある。
ぼくは何だか少し寂しくなって、黙ってしまった。
横ではクーラーが小さな音を立てて店内を冷やし続けていた。
「――でもまぁ、惜しかったわよね。あんたにしては」
ふいに彼女が湯気の立ちのぼるコーヒーカップを見つめたまま、そう言った。
「え? 何がだお?」
ぼくは彼女の言っている意味が分からずに聞き返す。
「だから、あんたの《愛愛傘》って発想よ」
彼女はそれから「愛が二人分で愛愛傘。それもちょっと素敵よね」と呟くと静かに微笑んだ。
「……ねぇツン。ちょっとアイアイガサって漢字で書いてみて欲しいお」
何だかぼくは気になって彼女に言った。
「何よ? テストでもする気?」
彼女はそう言ってぼくを睨む。
「いや。どんな漢字だか忘れちゃったんだお」
「昨日の今日でもう忘れるの!? 頭使おうにも脳みそ自体入ってないわけ?」
彼女は再びぼくに呆れ、仕方ないわね、と言いながら小さな鞄からペンを取り出した。
そして、テーブルにあったナプキンを一枚取り、そこに漢字で書き始めた。

(^ω^)
「あいあいがさの最初のあいはこの字よ」
そう言って彼女はナプキンに《相》と書いた。
「この字はね、接頭になると『一緒に・共に』とか『お互いに』っていう意味になるのよ」
うん、合ってる。それにしても帰国子女の彼女からそんな詳しい解説が聞けるとは思わなくてぼくは少し驚いた。
「ポイントはこの『お互いに』ってとこね」
そう言って彼女はにっこりと微笑んだ。
ポイントは『お互いに』? 『一緒に・共に』の方では無く?
ぼくは彼女に先を書くように促す。
「ねぇねぇ、さすがに傘は分かるお。それでそれで? あいあいがさの二番目のあいはどういう字なんだお?」
彼女はふふん、とぼくを見つめペンを動かした。
「何言ってるのよ。それはこの字に決まってるじゃない」
そう言って、彼女は二番目のあいと最後の傘を書き、ぼくにナプキンを突きつけた。
ぼくの眼前10センチに迫ったナプキン。そこにはこう書いてあった。

 相 愛 傘

「《愛愛傘》もいいんだけどね――」
彼女はペンを鞄に仕舞いながらぼくに言った。
「一つの傘に入る二人はお互いに愛し合ってるんだから、《相愛傘》よ」
「………………」
この時、ツンの言葉を聞いたぼくに出来た事は、ぽかんと口を開けたまま彼女の顔を見続ける事だけだった。
何と言ったらいいのか、訂正した方がいいのか、どうしたらいいのか、何も分からずにただただ彼女の顔を見つめていた。
ペンを仕舞い終えた彼女はそんなぼくに視線に気付き「何よ?」と言った。
それでも、ぼくは何も言えず、ぼくと彼女は黙って見つめ合う形になった。
「だ、だって……」
しばらくすると、彼女がぼくから目をそらして言った。
「お互いに好きな人とでなきゃ、そんな事しないし、したって嬉しくないでしょ? ……あんな密着した状態」
そう言って、彼女は顔を真っ赤にして急いでコーヒーを口に持って行った。
「あっ、熱っ!」
コーヒーはまだ熱かったらしく、彼女は慌ててカップから口を離す。
「なっ、なんでまだ熱いのよ。もうっ、早く冷めなさいよ!」
そんな事を言いながら彼女は両手の指先でコーヒーカップを持って、赤くなった頬を膨らませながらフーフーとコーヒーを冷まし始めた。
 自然と頬が緩み、ぼくの開けっ放しになっていた口は微笑みに変わった。
そしてぼくはコーヒーを冷ます彼女を微笑みながら黙って見つめていた。
 ぼくは彼女の間違いを訂正したりはしなかった。
だって、概ねぼくと同意見みたいだし、それに、――彼女の言葉が嬉しかったから。
そして何より、そんな彼女がかわいかったから。
 窓から外を見ると、止んでいた雨が再び降り始めていた。


2007.6.13掲載


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