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racket
〜 流石兄弟が誘拐をするようです 〜

(^ω^)
 静かな湖面の様に光り輝き、どこまでもどこまでも続く大理石の床。
銀行の威厳を示すべく磨き上げられ、天井からのライトをキラキラと反射する床は鏡の様で、まるでその中に無限に続くもう一つの世界があるように思えた。
そして、その黒く光り輝く大理石の床に、頭から血を流した一人の男が倒れていた。
 男の横には一人の女が立っていて、そこから数メートル離れた銀行のカウンターの上には一人の男が立っている。
そして、二人の手には拳銃が握られていた。
二人は――、銀行強盗だった。

「誰も動くな! あの男みたいになりたくなかったらな!」
カウンターの上の男が叫んでいる。女は今しがた銃のグリップで殴り倒した警備員の男にはもはや何の興味も持たず、ゆっくりと歩いてカウンターの中に入って行った。
警備システムを作動させる事も出来ず、銀行員達は完全に後手に回ってしまっていた。
 そうして、カウンターの中では強盗の女の指示でお金がちゃくちゃくと用意され、カウンターの外では運悪く今日この場に居合わせてしまった客達が自分の運勢がこれ以上悪くならないよう、あるいは自分の人生がここで終わりを迎えてしまわないよう、ただ両手を上げて頭をうなだれていた。
しかし、その中に、銀行強盗のこの一言で更に運が悪くなった客が一人だけいた。
「……しまった。銀行強盗に入ったのはいいが金を入れる鞄を忘れた」
強盗の一人、覆面を付けた男がそう呟いた。
そして、カウンターの上から縮こまっている客達を見渡し、男はその中の一人が丁度良さそうな鞄を持っているのを見つけた。
 鞄は白い中型の四角いボストンバッグ。隅に小さいロゴがあるだけで、特に目立った装飾も無く非常にシンプルだった。
覆面の男はカウンターから飛び降り、その鞄を持った客に近付く。
「おい、その鞄をよこしな」
銃を突き付け、男は客にそう言った。
客は小太りな体を震わせながらゆっくりと男を見上げると、どもりながらもこう答えた。
「い、いやです……」
「――は?」
男は思わず聞き返す。
――こいつはこの銃が見えないのか? いや、それとも俺が撃たないとでも思っているんだろうか?
男はそう思い、客の頭にゴリっと銃を押し付ける。
「死にたいのか?」
男の言葉に客は声を震わせて答える。
「し、死にたくは無いです。――でも、こ、この鞄も渡したくは無いです」
もしかして、中身は大金が詰まっているのだろうか? 男はそう思い、客に聞く。
「その鞄の中身は何だ?」
すると客は慌てて鞄を開け、その中身をばらばらと床にぶちまける。
「な、中身が欲しいならあげます! でも、だからこの鞄だけは勘弁してください……」
威勢よく始まり、消え入りそうな声で終わったその台詞。そして、床に散らばった中身は日本製のアニメのDVDやそのキャラが表紙の雑誌、それに携帯用ゲーム等だった。
男は床の品々と客を交互に見つめ、怒りで呟くように言った。
「――てめぇ、ふざけてんのか?」
「ふっ、ふざけてなんか、い、いなっ……」
客はついに涙を流し、声を詰まらせる。
別のその鞄にこだわっていた訳じゃなかった。でもここまで抵抗されると男は逆にどうしてもその鞄が欲しくなった。
そしてとうとう、泣きながらも鞄を渡そうとしない客に、男は頭に突き付けた銃の劇鉄を起こし、それからゆっくりと引き金を引く指に力を込めた――。

(^ω^)
 パァンッ!
乾いた炸裂音と共に流石兄弟の乗っていた車は自動車としての活動を停止し、のろのろと道端に停止した。
「――なぁ、兄者?」
運転席にいた男が呼ぶ。
「何だ? 弟者」
助手席の男が応える。
「車が壊れたらしい」
「そうらしいな」
二人の目の前、ボンネットからは黒い煙が立ち昇っていた。
「どうする?」
そう聞く弟者に兄者は答える。
「修理するしかないだろう」
「だが、金が無いぞ」
弟者が即答した。
兄者は弟者に向き直ると言った。
「金ならこれから取立てに行くところじゃないか」
「あいつが払うと思うか?」
「うーむ……」
兄者は考え込み、呟くように言った。
「闇金って案外儲からないなぁ……」
「まぁ、八百長がバレてえらい目にあった賭けボクシングよりはマシだけどな」
弟者が横から呟く。
それから兄者が思い出したように言った。
「っていうか、そもそも車が無いと金の取立て自体に行けないぞ?」
「それよりも――」
弟者が兄者を見つめ、言う。
「今月に入って何回目の故障だと思う? もう直しても直しても追いつかないぞ」
正面を向き、ボンネットから立ち上る煙を見つめ、兄者が言った。
「……買い換えるしかないか」
「そんなお金はもっと無い」
弟者が再び即答した。
「――――あんな車が欲しいなぁ」
現実逃避するように窓からの風景を眺めていた兄者がぽつりと呟いた。
車が止まった場所は高級住宅街で、付近の家のガレージには高級車がずらりと並んでいた。
「あんなでなくてもいいから少なくとも動くのが欲しい」
そう呟き返す弟者。
それから溜め息をつき、言った。
「まぁ、直すにしろ買い換えるにしろ。まずは金が必要だな」
「どうするか……」
思案する兄者に弟者は振り返り、秘密を打ち明けるように言った。
「丁度、少し前にいい案を思いついたんだ」
「何だ?」
聞き返す兄者に弟者が答える。
「――誘拐さ」

(^ω^)
 車をその場に置いて、家までの道程を歩きながら流石兄弟の二人は話を続けていた。
「でも誘拐は罪が重いって聞いた事があるぞ?」
兄者がどこかで聞いた話を弟者にする。
「ところが、それが大丈夫で、しかも成功の可能性が限りなく高い。それがこの計画のすごいところさ」
「どうして?」
兄者の問いに弟者は力強く答えた。
「ペットを誘拐するのさ!」
「……何で?」
聞き返す兄者に弟者が要点を説明する。
「――まず、ペットを飼っている奴等は裕福だ。ギリギリの生活をしている人間にはペット何て飼う余裕は無いからな」
「なるほど、身代金を用意出来るかの心配はいらないって訳だな」
「そして、ペットはみんなかわいがられている」
「なるほど、身代金を払わない心配もいらないって訳だ」
「そして、ここからが肝心だ」
弟者は兄者を真剣な顔で覗き込み、そして言った。
「ペットを誘拐しても法律上はただの窃盗なんだ! だから、万が一、捕まっても大した事無い!」
「なるほど! さすが弟者。法律に詳しいなぁー! じゃあ捕まっても大丈夫なんだな!」
弟者の言葉を素直に受け止め、兄者は大喜びする。
そして、そんな兄者に弟者は更に自信満々に言った。
「――でも大体、捕まるはずが無いのさ!」
「……どうして?」
聞き返す兄者に弟者は胸を張って答える。
「だって、顔を見られたって何したって、動物なら証言のしようが無いからな!」
「なっ、なるほどー!」
弟者の頭の良さに驚嘆の声を上げる兄者。だが、ふと弟者に聞き返した。
「……でも弟者よ」
「何だ兄者?」
聞き返す弟者に更に聞き返す兄者。
「同じ窃盗なら、車を直接盗んだ方が手間が無いんじゃないのか?」
すると弟者は、いやいやいや、と手を振り、答える。
「それは違うぞ、兄者。それだと万が一、俺達が捕まった場合、車は窃盗品として押収されてしまうだろう?」
「ふむ、そうだろうな」
相槌を打つ兄者に弟者はその違いとやらを話し始めた。
「だが、身代金で車を買えば、その金はもう使ってしまって俺達の手元には無いんだから押収のしようが無いし、その金で買ったとは言え、車は俺達の物な訳だから押収されはしない」
「車は押収されないのか!?」
驚き、聞き返す兄者に弟者はしたり顔で説明する。
「そりゃあそうだろう、車は誘拐事件には直接関わり無いんだから。窃盗事件で、その犯人の家にある事件には関係無い物まで押収していたら警察の保管庫がいくら広くたって足りやしないさ」
「なるほど! さすが弟者。法律に詳しいなぁー! じゃあ捕まっても大丈夫なんだな!」
やはり、弟者の言葉を素直に受け止め、感動すると兄者は握りこぶしを作り、弟者に向かって叫んだ。
「よし! 善は急げ、早速実行だ!」

(^ω^)
「こんな鞄が!?」
銀行強盗の現場に捜査に来たドクオは捜査資料の写真を見て驚きの声を上げた。
それは、強盗事件のさなか、犯人の男によって客の一人から奪われた鞄の写真だった。
鞄は白を基調とした中型の四角いボストンバッグで特に目立った装飾は無く、非常にシンプルだが、歯車をベースにしたメーカー名の小さいロゴが鞄の隅に小さくプリントされている。
鞄としてはごく普通の鞄だったが、とある日本製のアニメのキャラクターが使った事で一部に爆発的な人気を呼び、元々の生産数が少なかったことから今では入手困難な品になっているらしい。
そして、今回盗まれた金額には遠く及びはしないが、それでもプレミアが付いて驚くほどの価格で取引されている。ドクオはその金額を聞き、驚いていたのだった。
「こんな鞄とは何ですか!」
ドクオ目の前にいる、現場で肩を撃たれ、鞄を奪われた小太りの男が怒り出す。
「そもそもこの鞄が登場した作品はですね――」
口から泡を飛ばしながら何やら一所懸命にそのアニメと鞄を使っているキャラクターの説明をしてくれたが、ドクオにはその内容の半分も理解出来なかった。
「……先月も工場で在庫が数個見つかったとかで、こんな感じのマニアの間で大騒ぎだったらしいですよ」
隣りで、写真を持って来てくれた部下の一人が男をあごで指しながらドクオに教える。
「こんな鞄ひとつで大騒ぎとは――。世の中、平和だねぇ……」
ドクオは肩をすくめる。
その間にも男は誰も聞いていない説明を一人熱く語っていた。
「……あー、誰か。続きの話聞いておいてやってくれ」
ドクオは誰にとも無くそう言い、その男から離れる。
そうして男はドクオの代わりにやってきた警官に再び泡を飛ばしながら長い長い説明を最初から話し始めた。
 現場をうろうろと歩きながら、ドクオは鞄とは別のもう一枚の写真を見つめた。
それは銀行の防犯カメラが捉えた犯人の写真だった。
二人組みの強盗犯。一人は覆面をしていたが、もう一人、女の犯人は覆面どころかサングラスすらしていなかった。
「顔も分かってるし、これで後は何処に行ったかさえ分かれば事件解決。楽勝ですね」
部下が横から写真を見てそう言った。
しかしドクオは口をAの字にして呟いた。
「気分が乗らねぇなあ……」
捜査にまったく身が入らなかった。
そして、ふと捜査をだるく思う心に、この事件の担当にされた時の部長の言葉が頭に浮かんだ。

『今日からはこっち事件を担当してくれ。――これは君の腕を見込んでの事だ』
一見、いい話を持ちかけられたように思えるこの言葉。だが、その言葉は今まで担当していた事件から外された事を意味していた。
そうして回されたのがこんなくだらない銀行強盗事件だった。
まぁ、くだらないというのは前の事件に比べてだが。

「はぁ……」
溜め息をつくドクオ。
「――ドクオ捜査官!」
そんなドクオに一人の鑑識官が近付いて来た。
「どうした?」
聞き返すドクオに鑑識官が言う。
「これは、手掛かりにならないでしょうか?」
そうして鑑識官はドクオに証拠保管用のビニールに入った一枚のメモを見せた。

(^ω^)
「あれれ〜?」
車で逃走した銀行強盗犯の一人が声を上げた。
「どうしたんだ?」
助手席でごそごそと動く女に男が振り返り、聞く。
「んー、無くしちゃったみたい」
鞄やポケットなんかを探り続ける女。男はもう一度聞く。
「何を?」
「メモ……。忘れないようにメモに書いておいたんだけど」
「メモ?」
「うん……」
そうして、しばらくもう一度鞄やポケット探し続けていたが、やがて諦め女は男に振り返った。
「……まぁ、いいや。ねぇ!」
「何だ?」
女の方に振り返る男に女は聞く。
「ヒロユ湖の近くにあるホテルって知ってる?」
女の質問に男は目を細め考えると何とか思い出し、答えた。
「あ? ああ、ホテル・ルナールとか言ったかな?」
「あ! そうそうそんな名前だった」
女は両手を合わせ、嬉しそうに言う。
「そこがどうしたんだ?」
男の質問に女が言った。
「そこに行こう」
「……どうして?」
当然の疑問に女が答える。
「わたし達、そこに泊まってるの」
「わたし……達?」
男は意味が分からず聞き返す。すると前を向き、女は頬を染め嬉しそうに答えた。
「うん。わたしとハイン」
ああ、そういう事か、と納得する男はふとある事を知らなかった事に気付いた。
「成る程ね。わたしと、か……。なぁ、そう言えば――」
今までそれを知らなかった事を驚き、そしてそれだけテンパっていたんだなと自分を振り返る。
「んー?」
女が再び男に振り返る。
「お前、名前何ていうんだ?」
男の質問に女は答えた。
「わたし? わたしは渡辺だよ」
「そうか。俺はギコ、よろしくな」
そう言って女に手を差し出すが、女はもはやこっちを向いておらず、前を向いたまま話し初めていた。
「一緒にいるのはねぇ、ハイン。ハインリッヒ高岡っていって凄く強くて、凄く素敵なんだー。それでね、それでね、ハインはね――」
ギコと名乗った男の言葉を聞いているのかいないのか、渡辺は自分と一緒に泊まっているというハインという人物の事をうっとりするような目で話し続ける。
「その、高岡ってのはお前の男なのか?」
話の途中、ギコは質問を挟み込み、その質問に渡辺は口を尖らせる。
「違うよ! ハインはそこらの男が束になったって敵わないぐらいかっこいいんだからね!」
そう言って怒る渡辺を見て、ギコは思う。
――まったくこいつはよく分からない。
そもそも、ギコが渡辺と知り合ったのはほんの数十分前だった。
銀行に押し入る直前のギコに渡辺が声をかけて来たのがきっかけだった。

(^ω^)
 その時、ギコは銀行の前に停めた自分のオープンカーのシートにじっと座っていた。
頭には覆面をかぶっていて、そんな格好でいつまでも銀行の前にいるなんて通報してくれと言っているようなものだったが、それでも幸運な事に誰もそんなギコに気付きはしなかった。
ギコが何の為にそんな事をしていたのか――。
銀行に覆面をかぶって行く用事なんて一つしか無い。ギコは銀行強盗をしようと思っていたのだった。
しかし、ここまで来て、ギコは本当に行くかどうかを迷っていた。というのもギコにはこんな大きな銀行を叩く自信が無かったのだ。
それでもどうしても、ギコには今すぐにお金が必要だった。
――やっぱりもう少し小さな銀行にしようか? だけど、あまり小さい銀行だと現金をそんなに置いてないかも知れない。ああ、そもそも銀行強盗なんて俺の専門外だ。でも、手っ取り早く大金を手に入れるにはこれしかない。
いつまでも、覆面姿のまま悩むギコ。そんなギコにふと声がかけられる。
「どうしたの? 早く入ろうよ」
振り向くとそこには一人の女が立っていた。
驚きのあまり何も言えないギコにその女がもう一度言う。
「ほら、早くぅ」
誰か、何かと勘違いしているんだろうか? ギコは女に聞き返す。
「入ろうってお前、俺は――」
「銀行強盗、でしょ?」
女はあっさりそう答え、それからギコを見つめ、言った。
「一緒にやろうよ」
ギコは改めて女を見た。手にしているのはハンドバッグが一つだけ。銀行に用があるとすれば強盗では無く、預金の引き出しに行くようにしか見えない。
どう見ても銀行強盗の役に立つとは思えなかったが、あるいは人質として使えるかもしれない。ギコはそう思い、女に言った。
「――分った。だが、下手な真似したらその場で殺すからな」
精一杯、凄みを利かせ、ギコはそう言ったが、女は「ふぅん」と分ったんだか分っていないんだかそんな返事をし、それから振り返りもせずに銀行の入り口に向かって歩き出した。
――それが、渡辺だった。

(^ω^)
「銀行強盗だ! 手をあげろっ!」
銀行に一歩足を踏み入れたギコはそんなありきたりの台詞を叫んだ。
その言葉と覆面のその姿に当然に様に警備員が近づいて来る。
ギコは警備員に気付き、手に持ったその武器をそちらに向けた。
それを見て渡辺が呟くように、そして若干の呆れた口調を含み、ギコに聞いた。
「……何それ?」
ギコが手にしていたのはかなり大型とは言え、ただのサバイバルナイフだった。
警備員は腰に吊るした銃に手をかけながらギコに近寄る。
ナイフ 対 銃。勝負の行方は明らかだった。
ギコの最初の叫び声に驚いた銀行内の従業員も客も、その様子を見て全員がホッとし、肩の力が抜けた。
――何てまぬけな強盗なんだ。これですぐに解決だ。
しかし、事態は思わぬ展開を見せた。
ギコを取り押さえようと警備員は渡辺の横を通る。
その時だった。渡辺が手に持っていたハンドバッグに右手を入れた。
そして、その手がハンドバッグから出て来た時、その手にはリボルバーの拳銃が握られていた。
渡辺は自分の前を通り過ぎようとする警備員の頭にその銃を付き付け、その動きを止めさせた。
「――――!?」
頭に突きつけられた銃の感触にゆっくりと渡辺方に振り返る警備員。
警備員と目が合うと、渡辺は表情を変えずに銃を振り上げ、そして、全身の力を込めて銃のグリップで警備員の頭を打ち下ろした。
鈍い音が辺りに響き、警備員はがっくりと膝を付いて倒れ、大理石の床に血溜まりが広がった。
渡辺はその場に屈むと警備員のホルスターから銃を奪い、ギコに渡した。
 銀行にいる誰もが、恐らくギコでさえも何が起きたのか分らなかった。
だが、銃を渡されたギコはハッと自分のするべき事を思い出し、ナイフを背中のシースに戻すと、銃を構えてカウンターに飛び乗り、銀行中に響き渡る大声で叫んだ。
「誰も動くな! あの男みたいになりたくなかったらな!」
突然の事態の変化に銀行員は対応が遅れ、警備システムを動作させる事も出来なかった。
 そうして、ギコと渡辺は大金とそれを入れる鞄を手に入れ、銀行を脱出。信じられないくらい順調に銀行強盗を成し遂げてしまった。

「――なぁ、どうしてお前……」
車を運転しながらギコが言う。
一通り、ハインリッヒ高岡の話を終えた渡辺がギコに振り向く。
「なぁに?」
――どうして、俺なんかと一緒に強盗に入ったんだ?
そう聞こうと思ってギコは止めた。
――まぁ、理由なんかなんだっていい。とにかくこうして金が手に入ったんだ。
そうして、心の中で安堵の溜め息をつく。
――これで逃げられる。これで俺の命も生き長らえるってもんだ
ギコは振り返って後部座席に置かれた大金の入った鞄を見つめた。
「どうしたの? 何か困った事?」
何も言わないギコに渡辺が聞き返す。
「いや、何でもないよ」
ギコはそう答えて、渡辺とそしてハインリッヒ高岡という奴が泊まっているというホテル・ルナールに向けてハンドルを切った。

(^ω^)
 ロマネスクは電話からの声を注意深く聞いていた。
『私の店が襲われたのは知っているな』
「ああ、知っている」
相手の質問にロマネスクは答える。
『そこで君に依頼なんだが』
電話の相手はそこで一旦言葉を切り、それから低い声でロマネスクに続きを伝えた。
『――その犯人を始末して欲しい』
「ほぉ」
ロマネスクは頷くと相手に言い返した。
「まぁ、私への依頼なんだ、当然そういった内容だろうな。それが私の仕事だ、誰かを始末する事も問題は無い。ただ――」
そうしてロマネスクは電話の相手に見えないながらも肩をすくめ、言った。
「相手が誰だか分らないのでは始末のしようが無い。その《犯人》と言う奴が誰だかは分かっているのか? 私はターゲットを探す事まではしないよ。私は殺し屋であって探偵では無いのでね」
そう言うロマネスクに電話の相手はくっくと笑うと伝える。
『それなら大丈夫だ。たった今、警察から横流ししてもらった情報がある』
「情報?」
『警察が防犯カメラを調べたら犯人が写っていたらしいのだ。そして、その映像から犯人の名前も割り出せた。つまりは相手の顔も名前も分かっているのだ』
「――なるほど。それなら問題は無さそうだな」
そう言って頷くロマネスク。
そんなロマネスクに電話の相手は次の言葉を伝えてきた。
『それと――、君に一つ頼みがある』
「何だ?」
訝しがるロマネスクに電話の相手はその内容を話す。
『今、その犯人がいる地域、つまりは君に仕事をしてもらう地域だが、そこを仕切っている人物に話を通してもらいたい』
「何故、わざわざそんな事を?」
ロマネスクの質問に依頼主がうんざりした声で説明した。
『そこを仕切っている荒巻という奴は所詮ギャングでな。すぐに殺しだ戦争だと騒ぎ立てる。あいつの処で殺しがあって、それが私の依頼だと後から知れたら、あいつはきっと大騒ぎだ』
――なるほど。
ロマネスクは理解した。この依頼主はその荒巻とは違い、所謂本国を持つマフィアだった。地域に浸透してじっくりとそこを支配する事をよしとするマフィアに取ってそんな表面的な争いは無駄でしか無かったのだ。
「だが――」
ロマネスクが依頼主に聞く。
「その話を私が通すのか?」
『そうだ、頼む。きっと私が行くよりも良い結果が出るはずだ』
依頼主の言葉にロマネスクはしばらく考え、答えた。
「それも私の仕事の範疇とは言い難いが、まぁ良かろう。だが、別途手数料をいただくよ」
『ああ、支払わせてもらおう』
依頼主が安堵した声でそう答え、それから少し真剣な声でロマネスクに打ち明けた。
『今回の件――、本国上層部が問題視しているのだ、例え荒巻に借りを作ってでもそいつを始末しておかないとまずい事になるかもしれない』

(^ω^)
「まずは誘拐だな?」
兄者が、やろうとしている事とは裏腹な陽気な声で弟者に聞く。
「そうだ、まずはペットを誘拐しないと始まらないな」
弟者が答え、兄者が決心する。
「よし! 誘拐しよう!」
「よし、誘拐するか」
「誘拐だ!」
「そうだ、誘拐だ!」
盛り上がる流石兄弟。
「で――!?」
その時、兄者が弟者に聞いた。
「どうやって誘拐するんだ!?」
「…………」
兄者の質問に弟者は沈黙する。
そして、やがて、がっくりと肩を落とし弟者は呟くように声を出した。
「そうなんだよ。この計画は一番大事な部分が一番難しいんだよ……」
そうして弟者はぶつぶつ呟く始める。
「どうするか、ペット一匹だけがぽんとどこかに置いてあるなんて状況、ありえないえし。散歩中の犬を誘拐する? いやいやいや、それじゃあすぐに捕まっちゃうし、そもそも犬以外に顔を見られちまう。留守番をしている猫でも攫って来るか? いやいやいや、それじゃあ不法侵入までついちまうし、そもそも猫にせよ何にせよペットが一匹で留守番してる家がどれかなんか見分けられないし――」
そんな中、突如として兄者が声をあげ走り出す。
「おっ、いいもの見つけた!」
そう言って、兄者が向かった先はペットショップだった。
そんな兄者の後姿を見ながら弟者は溜め息をつく。
――馬鹿兄者。売り物のペットを誘拐したって、どう考えても仕入れ価格以上は払わないだろう。そんなの安すぎるぞ? それにそもそもそれは誘拐じゃなくて強盗になるんじゃないのか?
弟者は兄者がペットショップに入ってしまう前に、帰って来い、と声をかけようとしたが、兄者は店には入らず、入り口にある何かを拾い上げるとすぐに戻って来た。
「どうだ、これ!」
兄者がそう言って、持って来た物を弟者に見せる。それは、所々に丸い穴の付いたただの小さな段ボール箱だった。
「犬を誘拐したらこれに入れて運ぼう!」
楽しそうに言う兄者に弟者が言い返す。
「何で犬限定なのか分からんが、そもそもこんな小さな箱に入る犬がいるかよ」
「……あれ?」
その時、ふと兄者が段ボールを見て首を傾げた。
「どうした?」
「何だこれ? んー。この箱、《配達先》ってのが書いてあるぞ」
「ペット用品の配達もしてるんだろう? そんなの別に珍しいことじゃ――」
弟者が段ボールを受け取り、確認する。するとそこには確かに配達先が書いてあった。どうやらこの近くの家らしい。
そして、それ以上に弟者には気になる事があった。
「なぁ、兄者?」
「何だ?」
「これ、何だかガサガサ音がしないか? それに、何だか重心が移動するんだが……」
「どれどれ?」
弟者の言葉に兄者が箱に顔を寄せ、音を聞こうとする。
「――きゃんっ!」
「ひぇっ!」
突然の箱からの音に兄者は驚きのけぞる。
「お、おい。これ……」
弟者も焦り、ゆっくりと箱を地面に置く。
そして、二人は恐る恐るその小さな段ボール箱を開けた。
――そこには一匹のロングコートチワワがこちらを見つめ返していた。

(^ω^)
「かわいいなぁー」
家に帰ってきた兄者はチワワを抱きながら頬をゆるませる。
あれから、箱を抱えたまま配達先に指定されていた家を歩いて見に行くと、そこはかなり立派な家だった。
そして、これなら身代金を払ってくれそうだと二人は判断し、計画を実行する事にした。
脅迫状を書くために二人は一度家に帰って来たが、家に着き、箱からチワワを出すと兄者はすっかりその魅力にやられてしまい、デレデレだった。
「兄者よ、金額はいくらにする?」
弟者の質問に兄者はちわわに頬をなめさせながら答える。
「いくらだっていいさ。だって、こんなにかわいいんだぜ? 金額がいくらだろうと返事は『はい』の一択しか無いだろ」
弟者はすっかり呆れた目で兄者を見つめていたが、やがて諦めて脅迫状を書く作業に戻った。
「ま、車が買えればいいんだけどな」
そう呟き、脅迫状に金額を書き込む。
「――あ、そうだ。ついでに!」
弟者がふとそう呟き、そして脅迫状に文を付け足した。
《但し、身代金は以下に指定する鞄に入れて持ってくる事》
弟者は身代金を入れる鞄の指定をした。
それは、日本のアニメのキャラクターが使っている事で一部で話題になった鞄で、弟者もそのキャラクターのファンだった為、その鞄が欲しかったのだが、いかんせんプレミア価格故に手に入れられ無かったものだった。
「あれだけでかい家に住んでる金持ちなら、多少のプレミアが付いてても入手出来るだろ」
そうして弟者は脅迫状を書き終え、それを封筒に入れて封をした。
「じゃあ、兄者、ちょっと行ってくるぞ」
弟者は脅迫状をその家に届けるべく立ち上がり上着を羽織る。
「ああ、行ってらっしゃい」
チワワと戯れたままこちらに振り返る事もなくそういう兄者に弟者は肩をすくめると玄関を出て行った。

(^ω^)
 ドクオは一枚のメモを見つめていた。
《ホテル・ルナール》。そのメモにはそう書かれ、その下には電話番号が書かれていた。
強盗が落として行ったのだろうか? そして、そうだとすればそこに泊まっているのだろうか?
――いや、いくらなんでもそんな間の抜けた話は無いだろう。
さすがにそう思い、首を振ったドクオだったが、それでも、他に宛ての無いドクオはそこに行くしか無かった。
車に向かって歩きながら、何で自分はこんな無駄な事をしているのかと考えた。

 数時間前、ドクオは上司である部長に呼ばれた。
部長は銀行強盗が発生した事を話し、場所を告げ、そして最後に言った。
「この事件を担当してくれ」
「え? でも――」
ドクオは聞き返した。何故ならその時、ドクオには別に担当していた事件があったからだった。
「俺の今担当してる事件はどうするんです?」
聞き返すドクオに部長は嫌な笑顔を作って言う。
「これは君の腕を見込んでの事だ。こっちの事件も今担当している事件同様、君の手腕を発揮出来るはずだ」
でも、今の事件もこれからが重要なところで、上手くすれば近日中に犯人を逮捕出来るかもしれません。だから、今捜査を中止するというのは――
ドクオがそう言おうとすると部長は言葉を付け足した。
「ああ、そうだ。今の事件の事は心配しなくていい」
「どういう事ですか?」
眉をひそめ、聞き返すドクオ。
「そっちは私が引き継ぐよ」
そう言って部長が微笑んだ。
――そういう事か。
全てを悟り、あまりの事にドクオは怒りも忘れてただ呆然と部長の顔を見つめていた。
――つまりは成果の横取りか。

(^ω^)
 一年間、追って来た事件。
もう少しで解決、いや解決しないまでも近日中にもう一歩先へ進めそうだったのに。
 元々、この事件はあまりにも巧妙なのと事情が特殊なだけに、部内でも解決は難しいと言われていた。
それなのに、その担当にドクオが任命された時、部内では疑問の声が上がった。
何故なら、ドクオはやる気の無い捜査官として部内でも有名だったのだ。
そして、それは不名誉ながらも事実でドクオ自身も認めていた事だった。
口癖は「まんどくせ」。その妙な短縮形は《面倒くさい》と言うのすら面倒だという事なんだろうか。
しかし、そんな部内の不信任の声を押し切り、強引とも言えるやり方でドクオを事件の担当にしたのは、さきの部長だった。
 その時はドクオは何故自分が選ばれたのかまったく分からなかった。だが後になって考えれば納得出来るある理由が一つだけあった。
――きっと、あれは解決が難しそうだったあの事件が未解決で終わった場合、最終的に俺のせいにする為だったんだろうな。
ドクオは後日、そう悟った。
 しかし、事件との相性というのはあるらしい。
その事件を担当するようになってからのドクオは見違える程にやる気を出した。
周りも驚く程の事件解決への熱意を見せ、ある時は正当にまたある時は奇想天外な捜査でゆっくりとだが着実に事件の捜査を進めた。
会った事も無い犯人を想像し、その思考を読もうとするドクオ。
――まったく、どんな野郎か分らないが大したもんだ。だが覚悟しろ、俺は一生かけてでもお前を追うぞ――。
いつしかドクオは犯人にそんな奇妙なライバル心を持つまでに至った。
 だが、それも全て終わりだった。
この事件の解決が不可能では無いと判断した部長は、ドクオの出した全ての結果を攫って行った。

「――今まで、ご苦労さん」
部長がそう言って、ドクオの肩をぽんと叩いた。
そうして、その一言でドクオはその事件を下ろされた。

 事件現場を出て、車に乗り、エンジンをかけるとドクオは溜め息をついた。
「まんどくせ……」
久しぶりに吐いた言葉に、ドクオはすっかり今まで通りの《やる気の無い》自分に戻っている事に気が付いた。
このままではいけないと、ドクオは前向きに考える
――もしかしたらこの事件を解決したらまたあの事件の担当に戻れるかもしれない。
しかし、そう考えた直後に自ら否定する。
――いや、ありえないか。でも、もしかしてあいつが怪我や病気で現場を離れる事があればあるいは……、いや、いかんいかん
再び、自分の思考が後ろ向きになっている事に気付き、ドクオはこの銀行強盗事件のいい面を考える。
――そうだな。確かにこんな、銀行強盗みたいに《定型のある》事件もいいかも知れない。加害者がいて、被害者がいて、被害者が被害を訴え、加害者を捕まえる。うん、実に単純だ。
「よし――、やるか」
ドクオは軽く頷くと自分を奮い立たせるため、言葉にして口に出し、車を走らせた。
しかし、走り出して五分。ドクオの口からはいつもの言葉が漏れ出してきた。
「やっぱり、――まんどくせ」

(^ω^)
「――何だと?」
荒巻が不機嫌に聞き返す。
「ですから、ボスの犬が誘拐されて身代金を要求する脅迫状が届いています」
ビコーズは手に持った脅迫状を荒巻に見せながらもう一度説明するが、荒巻には分からない事があった。
「俺の、犬だと? そんなものがどこにいる?」
ボスの言葉に思わず溜め息をつきそうになったが、ビコーズはそんな事はせず、事実だけを話した。
「ボス。先週、キオッチョラ・ファミリーのマッソに犬を飼った事が無いのを驚かれて、それでその時に買いに行かせたじゃないですか」
言われて荒巻はその時の事を思い出す。そういえば声を裏返らせて驚くマッソの言い方に頭に来てそんな命令を誰かに出した気がする。
「くそ、思い出した。マッソの野郎……」
荒巻は記憶と共に、その時の怒りまで思い出す。
「それで、その犬が盗まれ――、誘拐されたみたいです。ペット屋には確認しました。確かに配達直前に拉致されたようですね」
荒巻が事情を理解したところでビコーズはもう一度事態を説明した。
そうして荒巻は再びビコーズに聞き返す。
「それで――? 脅迫状だと?」
「ええ」
ビコーズの返事に荒巻はビコーズを睨み、もう一度聞き返す。
「犬の、身代金だと?」
「そうです、金額は――」
荒巻は手を上げ、ビコーズの言葉の続きを制する。
「――金額なんて関係あるか? いや、無いさ。その金額がいくらだろうとお前がやる事はただ一つ。そうだろう?」
荒巻からの指示を待つビコーズを真っ直ぐに見据えると、荒巻は命令を下した。
「犯人を見つけて、――殺せ」
 流石兄弟が犬を誘拐し、そして脅迫状を出したこの人物、荒巻スカルチノフは所謂ギャングだった。
金貸しから麻薬までこの街で裏の世界に足を踏み入れればそれは荒巻の世界に足を踏み入れた事になる。
そして、足を踏み入れたまま生きて出て来ることの出来なかった者も沢山いた。
「――分りました」
殺しの命令を受けたビコーズはまるで冷蔵庫から飲み物を取って来いと言われたかのような気軽さで答える。
「俺から金を巻き上げようなんてふざけやがって、俺をなめてるのか? くそっ、骨の一本も残さず消してやる」
買った事すら忘れていた犬だが、それでも自分の持ち物であるそれを盗み、更にそれと引き換えに金を手に入れようとするなどとは。荒巻は自分に対してそんな態度を取る人間がいる事自体が許せなかった。
そんな奴が生きて、存在していると思うだけでも頭に来る、いや例え殺してもそんな奴の死体が存在する事さえ頭に来る。
どうしてくれようか――。荒巻は考え、それからふと顔を上げビコーズに言った。
「そうだ、爆弾がいい。そのふざけた野郎を爆弾で木っ端微塵にしてやれ」
「分りました」
ビコーズはそう答え、それからふと荒巻に聞く。
「ボス。ところで受け渡しに使う鞄に注文がありまして……」
荒巻は再び、今度は両手を上げて言葉を制する。
「そんな事まで俺が知る必要があるか?」
「い、いえ……」
余計な事を聞いてしまった事を悟り、ビコーズは言葉を詰まらせる。
荒巻は鋭い目でビコーズを睨みつけると、言った。
「次に俺がお前の口から聞きたい言葉はただ一つ『犯人を始末し終えました』だ。それ以外の事はお前に任せる。――行け」
そうして、座っていた椅子をくるりと回し、荒巻はビコーズに背中を向けた。
「分りました」
ビコーズは荒巻の背中に向かって返事をすると部屋を出て行き、どうやって誘拐犯を爆殺するかを考えた。

(^ω^)
「――兄者、そろそろ行かないと」
「え? 何処に?」
ちわわを抱き、頬を緩ませる兄者は弟者の言葉にまるで意外な事を言われたかのように反応する。
「何処って――」
呆れ顔で説明する弟者。
「身代金の受け渡しだよ。そろそろ行かないと指定の時間に間に合わないぞ」
弟者の言葉に兄者が聞き返す。
「何だよ? もう? 早過ぎないか?」
そんな事を言う兄者に弟者は少し苛々して言い返す。
「受け渡しまで時間が無ければ相手が警察に行く暇が無いだろうからって早めにしたのは兄者だぞ?」
「……む? そうだったか」
「そうだよ。ほら、受け渡し場所まで遠いんだからもう出ないと間に合わないぞ」
そう言って上着を投げてよこす弟者に兄者は真剣な表情で聞いた。
「そんな事より弟者よ――」
「何だ? 兄者よ」
見つめ返す弟者に兄者はチワワを抱き上げて弟者の方に突き出しながら聞いた。
「お前はさっきからこのかわいいチワワを見ても一言も『かわいい』と言わないがどういう事なんだ!? この愛らしい姿を見て何とも思わないのか!?」
突き出されたチワワのつぶらな瞳が弟者を見つめる。
だが、弟者はあっさりと答える。
「俺は猫派だからな」
「なっ、なんだと!?」
そう言って驚くと、兄者はチワワを抱きしめ言う。
「このかわいさが分らないとは可哀想になー。こんなにかわいいのになー、こんなに温かいのになー」
そしてチワワの鼻に自分の鼻をこすりつけながら、兄者はチワワに言う。
「小さくてかわいい。お前は俺のお姫様だ」
――いや、そいつはオスだろう。
弟者はそう思ったが、あえてそれは言わないでおいた。
そして、チワワのつぶらな瞳を見つめ、兄者は次に変な事を言った。
「お姫様、お前は俺が守ってやるからな」
――いや、むしろ俺達が飼い主から誘拐して来たんだが。
弟者はそうも思ったが、それも、とりあえずは言わないでおいた。

(^ω^)
 ――ついてない。
ビコーズはそう思った。
ボスから誘拐犯の始末を命令されたのはいいが爆弾を使える殺し屋がいない。それどころか、今、組織内で使えるのは目の前にいる一人の男だけだった。
――いや、だがあるいは。
ビコーズは考えた。
――これは幸運なのかも知れない。こいつなら、ブーンなら――、使い捨てても構わない。それどころか厄介払いのチャンスでもある。
 自分の前に立つ男――ブーンを見てビコーズはにやりと笑った。
「ど、どうしたんですかお?」
じっと見つめられたあげくの冷たい微笑みにブーンは少しだけ身震いする。
「ブーン、ボスからお前にご指名だ」
「えっ……?」
ブーンは驚いた。ボスからの指名? どういう事だろう?
驚くブーンに構わずビコーズは状況を説明する。但し、肝心な事は何一つ伝えずに。
「実は、ボスのペットが誘拐され、身代金が要求された」
「そうなんですかお……」
ペットを誘拐されたボスの心中を察してブーンは少し暗く答える。
「そこで、お前の出番だ。お前には重要な指名がある」
「なんですかお?」
そんなボスの役に立とうとブーンは明るく声を上げた。
「その身代金の受け渡しにお前が行ってくれ」
「分りましたお!」
張り切るブーンにビコーズは言う。
「今日がボスの買った犬の受け渡しだと知っているという事はかなり入念な下調べをしているに違いない。それに受け渡しの時間までが短すぎるし金額も微妙だ。更に、身代金の鞄を指定して来るなんて何かあるに違いない」
「そ、そうなんですかお?」
聞き返すブーンにビコーズは呟くように言った。
「もしかして相手はプロかもしれない。それか、敵対組織の罠という可能性もある」
「…………」
ブーンの顔が引きつる。
そしてビコーズが言った。
「そう言う訳だ。銃を持って行け」
「――っ!」
絶句するブーン。そして、それからビコーズに言う。
「でっ、でも僕が銃を持って行って――」
しかし、ビコーズはブーンの言葉を遮る。
「じゃあ、頼むぞ。後で身代金を持って来る」
そう言うとビコーズは踵を返し、部屋を出て行った。
ブーンは考えた。
自分が銃を持って行く、銃を持った人間の相手をするという事はどういうことになるのかを、ビコーズは知っているはずだ。
それでも、自分にこの仕事が指名されたと言う事は――。
ブーンはビコーズの真意が掴めず、ごくりと唾を飲んだ。

(^ω^)
「あれ? ちわにゃんは?」
受け渡し現場のかなり手前でタクシーを降り、そこから現場まで歩いていた流石兄弟の二人。そんな中、兄者がふと聞いてきた。
「何だよ、ちわにゃんって?」
聞き返す弟者に兄者は言い返す。
「何って、名前だよ。チワワの」
「ちわにゃんって名前なのか? 何で知ってるんだ? 首輪にでも書いてあったのか?」
「いや、俺が付けたんだ」
弟者の質問に兄者はきっぱりとそう言うと、かわいい名前だろ? と笑顔を見せる。
「かわいいって言うか」
――何勝手に名前付けてんだ。そしてにゃんって何だ、犬だろう? だったらちわわんじゃないのか?
そんな事を考える弟者。
――っていうか。
弟者は兄者を見つめ、思う。
――取引終わったら返しちゃうって分ってんのか、兄者は?
そして、数秒後、弟者は兄者の最初の質問が何を意味するかを理解した。
「――っていうか!」
弟者が兄者に振り返り聞く。
「いないのか!?」
頷く兄者。
弟者が絶叫する。
「いないって! いないって! どういう事だよー!」
「……自主散歩?」
首を傾げ、兄者が答える。
そんな兄者の返事に弟者は頭を抱えて再び叫ぶ。
「いないって! いないって! どうすんだよー!」
それからきょろきょろと周囲を見回し、弟者は兄者に言った。
「とにかく探そう!」
「分かった」
兄者が返事をし、いなくなったチワワを求めて声を上げる。
「ちわにゃ〜ん! おーい、ちわにゃ〜ん、どこ行った〜!?」
「ち、ちわにゃん〜!」
二人は今さっき付けられたばかりの、呼んでも決して反応しないであろう名前を呼びながらチワワを探しに走り出した。

(^ω^)
 ツンはホテルの手前、ヒロユ湖の湖畔、湖全体が見渡せる高台の小さな広場に車を停めた。
R107と呼ばれるメルセデス・ベンツのオープンツーシーター。その気品溢れる真っ白なボディはツンに良く似合っていた。
小さく溜め息を付くとツンはサングラスを外し、車から降りる。
そうして、柵の所まで歩いて行きくと、そこから湖を見つめた。
抜けるような青空に白い雲、そしてそれらを映し、きらめく湖面。時折、吹きつける風にツンの絹の様な金髪が舞う。
心地よい風とその景色に満足してツンは微笑む。
 ここのところ働きづめだったツンは少し休暇を取る事にしていた。
そして、そのスタートとして、ここからのこの景色を見ることが出来たのは最高の出来事に思えた。
――そうだ、ホテルにレンタルサイクルがあるかもしれない。そしたら湖を一周してみよう。
ツンはそんな事を考え、ひとり微笑んでいた。
 その時、ツンの右側にある茂みがガサガサと音を立てた。
ツンは反射的に身を引くと、茂みに向かって声をかけた。
「……だ、誰かいるの?」
だが、茂みからは何の応答も無く、その音も止んでしまった。
ツンは何だか恐くなって、自分の車に向かって歩き出した。
すると、茂みから再び音が聞こえて来た。
足を止め、後ろを振り返ると茂みが音に合わせて揺れていた。
――やっぱり、誰かいるんだ。
そう思ったツンは、再び急いで車に戻ろうとする。
しかし、背後ではザッという音を最後に茂みからの音はしなくなったが、代わりに何か得体の知れないタタタタタッという音が自分に近づいて来る。
もはや振り返る事も出来ずツンは歩く速度を速める。
するとツンの歩く速度に呼応するように背後からの音もその速度を上げ、そして徐々にツンに近付いて来た。
やっとの思いでツンは車に辿り着き、ドアを開けようとする。
だが、焦りで中々鍵が開けられない。そうしている間にも音はツンに近付く。
そして、やっと鍵が開いたと思った次の瞬間。ツンの足に何か生暖かいものが触れた。
「キャー!」
「きゃんっ!」
ツンの悲鳴とその声に驚いた子犬の鳴き声が湖に響いた。
「……あれ?」
そして、犬の鳴き声に気付いたツンは恐る恐る目を開け、自分の足元を見る。
そこには一匹のロングコートチワワがいた。
「何だー、お前だったの? もう、驚かせてー」
ツンは安堵の溜め息をつきながらチワワに話し掛ける。
「どうしたの? 一人で。迷子?」
ツンが手を伸ばすとチワワはツンの手を舐めた。
無論、チワワからの返事は無く、ツンはチワワを抱き上げると飼い主を探して周囲を見回した。

(^ω^)
 受け渡し現場でブーンが見たのはボスの犬を抱いた一人の女性だった。
女性はさらさらの金髪を風に揺らしながら、優しい目でチワワを見つめている。
まるでそこだけが何かのポスターの様に思えるくらい美しい光景だった。
 その様をボーっと見ていたブーンだったが、やがてハッと自分がしなければいけない事を思い出した。
受け渡し現場に指定されていたその広場に車を乗り入れ、鞄を持って車から降りるとブーンはチワワを抱いたその女性に向かって叫んだ。
「そ、その犬を返せだお!」
叫びながらブーンは鞄を持っていない方の手を懐のホルスターに入れられた銃に伸ばす。
――こんなかわいいのにその正体は犬を誘拐して身代金を要求する悪党だ。油断したらいつ撃って来るか分らない。
緊張で呼吸が浅くなるブーン。
だが、その女性はブーンの方に振り返るとにっこりと笑った。
「あら? あなたのわんちゃん?」
それから、再びチワワに向き直り、子供に話し掛けるように言う。
「よかったねー、わんちゃん。もう迷子になっちゃだめよ?」
そして女性は、はい、とブーンにチワワを差し出した。
「……あ、あれ?」
何だか予想していたのと全然違う反応にブーンは戸惑う。
そして、おろおろとし、チワワを受け取ろうとしないブーンに女性――ツンが聞く。
「どうしたの?」
「――み、身代金はいらないのかお?」
「身代金? ――何? 礼金って事?」
ブーンの突然の質問に意味がわからずツンは言う。
「いいわよ、そんなの。犬を見つけたくらいで。……まぁ、どうしてもっていうならもらってあげるけど」
そんなツンの言葉にブーンはおずおずと聞く。
「君は、誘拐犯じゃないのかお?」
「誘拐犯!? 失礼ね!」
ブーンの質問にツンは怒り出す。
「何よ、勝手に犬を迷子にさせといて、それを保護したら誘拐だって言うの!? 失礼にも程があるんじゃない!?」
チワワを抱いたまま、怒るツンにブーンはやっと事態を把握し、謝った。
「ご、ごめんだお。違うんだお、そうじゃないんだお……」
「どうだって言うのよ……」
謝るブーンにツンは問い質す。
「じ、実は――」
そうしてブーンはツンに誘拐事件の事を話し始めた。

(^ω^)
 その頃、ビコーズは受け渡し場所から少し離れた車内からブーンと、それから犬を連れた犯人らしき女の姿を見ていた。
ビコーズがわざわざ離れた場所で見ていた理由。それは自分が立てた計画のせいだった。

 数十分前、ビコーズはブーンに一つの鞄を渡した。
それは弟者が脅迫文の中で指定した例の鞄で、それには既に中身が詰められ、ずっしりと重かった。
「これに身代金が入ってる」
鞄を受け取るブーンにビコーズが説明する。
「おー、ずっしりと重いお。これが全部お金なのかお」
感嘆の声をあげ、鞄を開けようとするブーンをビコーズは慌てて止めた。
「――ばっ! 止めろ!」
「どうしてだお……?」
不思議そうな顔で聞くブーンにビコーズは言葉を捜す。
「それはほらー、あれだ」
「何ですかお?」
「人間は――」
ビコーズは適当な事を言う。
「人間は心の弱い生き物だろ? 大金を目の前にすると思わぬ事を考えてしまうからさ――」
苦しい言い訳だろうか? そう思いながらもブーンを見ると、意外にもブーンは素直に頷いた。
「分りましたお。言われてみれば、そうかも知れないですお。じゃあ、絶対に開けないお」
……ふぅ。ビコーズはブーンに気付かれないように溜め息をついた。
ここで、自分のいる所で鞄を開けさせる訳にはいかなかった。
何故なら、この鞄の中に入っているのはお金なんかでは無かったからだ。
鞄に入っている物。それは一塊のプラスチック爆弾だった。
 ビコーズは荒巻からの命令を効率的にこなす方法を考えた。
荒巻からの命令、誘拐犯を爆弾で吹き飛ばす。
爆弾で特定の相手を殺すというのは意外と面倒で、銃のようにその場でバンと撃てば終わりというものではなく、わざわざ事前に準備をする必要があった。
取引現場に仕込めば済みそうなものだったが、今からでは到底間に合いそうにない。犯人達はその辺の事も読んでいたのだろうか?
だから、ビコーズはそのまま取引に使う鞄に爆弾を仕掛ける事にした。
鞄に仕掛けられた爆弾と特別な仕掛け。
受け渡しになれば犯人は当然、鞄の中身を確認するだろう。
そして、全てはそこで終わる。
爆弾は鞄を開けると爆発するように仕掛けてあった。
当然、その場に一緒にいるブーンも吹き飛んでしまうが、それでもブーン一人がいなくなったところで組織は困らないとビコーズは思っていた。
そして、一緒に吹き飛ばされたブーンが銃でも持っていれば警察はブーンを怪しく思い、そして全ての犯人だという事で事件を閉じるだろう。
「ブーン、頼むぞ。俺はお前がこの組織にいて良かったと思ったよ」
ビコーズはブーンにそう言ってにやりと笑った。
そして、何も知らないブーンはビコーズににっこりと微笑み返した。
――しかし、それにしても。
ビコーズは爆弾を詰め込んだ鞄を見ながら思う。
――これだけ高いって事は結構な高級ブランドなんだろうけど、聞いた事も無いブランドだな。この小さなマークがブランドのロゴなのか?
白い鞄に小さくプリントされた、歯車をベースにメーカー名が組み合わされているその特徴的なロゴをビコーズは見つめていた。

(^ω^)
 ――しかし、中々開けないな。
ブーンを監視するビコーズは少し苛々し始めた。
ブーンは犬を受け取ったが、いくらたっても鞄を渡そうとしない。
それどころかさっきまで手をかけていた銃からも手を離し、誘拐犯と何かを話している。
――何を話しているんだ?
こんな事なら、鞄にマイクでも仕込んでおくんだったとビコーズは後悔した。
――面倒だ、このまま二人まとめて撃ち殺すか。
いつまで経っても終わらない話にビコーズは思う。
ボスからの命令は爆殺だったが、別に構わないだろう。きっとあんなのは勢いで言っただけで、結局、相手が死にさえすればボスは満足するだろう。
ビコーズはトランクを開け、スコープの付いたライフルを持ち出した。
そうして、スコープ越しに女とそして、ブーンを見る。
こうなった以上、別にブーンを撃つ必要はどこにも無かったが、ビコーズはもうそんな事を考えもしなかった。
そして、まずは照準を女に合わせる。
「――地獄で後悔しな」
そんな台詞を呟き、ビコーズが引き金を絞る。
その時、ビコーズの携帯電話が鳴り響いた。
「――っ!」
ビコーズはライフルを降ろし、電話に出た。
「もしもし」
『今すぐホテル・ルナールに来い』
電話の相手はボスだった。
「分りました。ですが今、例の誘拐事件で――」
返事をするビコーズの言葉を切り荒巻が言う。
「俺が来いと言ったらすぐに来るんだ。そんなのは誰かにまかせておけ」
「――分りました」
あるいはそれをまかせる相手がブーンだとボスに言ったら結果は違ったかも知れない。しかしビコーズは何も言わず、荒巻の命令に従う事にした。
そうして、ライフルを再びトランクに仕舞い、車のエンジンをかけるとビコーズはサングラスをかけ、車をホテル・ルナールに向けて走らせた。

(^ω^)
 電話を切った荒巻はホテルに向かうべく部下に車の用意をさせた。
――ロマネスクか。
荒巻は思案する。荒巻がホテル・ルナールに行くのはロマネスクとの会合の為だった。
つい今しがた、どこから手に入れたのか自分の携帯に電話をしてきたロマネスク。
――ロマネスク。死神ロマネスク。噂には聞いた事がある。最高の殺し屋だと。電話では俺のシマで仕事をするのでその挨拶だと言っていた。そして依頼主はマフィアのあいつだと言っていた。だが――
荒巻にはこの話に何か裏があるように思えてならなかった。
あのマフィアのあいつが自分なんかに貸しを作るとは思えない。最悪、のこのこ出向いて行って自分がロマネスクに殺される可能性もある。
――どうする? 拒否するか?
「ボス、車の用意が出来ました」
思案する荒巻に声がかけられる。
「よし、行くぞ」
部下を引き連れ、ホテルの向かう車中で荒巻は決心した。
――だが、その話が本当なら、ここであいつに貸しを作っておくのも悪くは無い。いや、悪くないどころでは無い、貸しを作れるのならば大いに結構。よし、ここはひとつ話しに乗ってみるか。
荒巻はシガーケースから葉巻を取り出すと、それに火を点けた。

(^ω^)
 誘拐事件の概要を聞いたツンは驚きで目を丸くしてブーンに聞いた。
「それじゃあブーンもギャングの一員って事!?」
「そうだお」
にこにこと答えるブーンにツンはもう一度聞く。
「本当に?」
「何で二度聞くんだお? 本当だお?」
やはり笑顔で答えるブーンにツンは言った。
「……全然そんな風には見えないわね。ギャングって言うよりもギャグよね」
「ちょっ、ツン! 怒るお!」
笑顔で怒るブーンにツンが笑って言う。
「ほらね。ギャングだったら普通そういう時はもっと恐い顔で『ぶっ殺すぞ』とか言うもんじゃない?」
「あうあう……」
何も言い返せないブーンにツンが笑いながら聞く。
「で? これが身代金?」
「そうだお」
そう言って、自慢気に鞄を見せるブーン。
「ふぅ〜ん、こんな鞄で取引ねぇ……」
ツンはそう言いながら鞄に顔を近づけると、一瞬、険しい表情になった。
「どうしたんだお?」
ツンの表情の変化に気付いたブーンがツンに聞く。
「――ねぇ、恐い事、思ったんだけど」
そうして、まるで怪談を話すようにツンはブーンと鞄を交互に見ながら言った。
「ブーンがギャングなんだったらさ、この鞄、爆弾だったりするんじゃないの?」
「そ、そうなのかお!?」
ツンの突然の言葉に慌てて聞き返すブーン。
するとツンは再び明るい笑顔になり、笑いながら答えた。
「そうよ! だって、映画なんかだと大抵そうじゃない。爆弾で誘拐犯もろともぶっ飛ばしちゃうのよ」
ツンの言葉にブーンは自分の体からそーっと鞄を遠ざける。
「ちょっと、隙間作って調べてみようよ!」
何だか楽しそうにツンはそう言うと、半ば強引にブーンから鞄を奪い、車から何やら色々な道具を持ち出して来た。
まずは聴診器。鞄に当てて中の音を聞き始める。
「うーん、特に何かの作動音みたいなのはしないわね。ほら、映画だと時限爆弾って時計の音がするじゃない?」
「そ、そう言えばそうだお。デジタル時計でもかならず『ピッピッピッ』って音がするお」
そうしてツンは次にメスを持ち出し、鞄の底に小さな切れ目を入れた。
「ツン、お医者さんなのかお?」
ツンの道具達を見て、ブーンが聞く。
「――え? うん。まぁね」
ツンは鞄の手術に夢中で上の空でブーンに返事をする。
そして、鞄の切れ目に何か金属の道具を使って細く開け、小さな鏡で中をチェックする。
「よし」
そう言うとツンは更に切れ目を広げ、中を直接覗いた。
「ど、どうだお……?」
ブーンの質問にツンは返事をしない。
「……ツン? どうしたんだお?」
ツンはしばらく中を覗いたまま動かなかったが、やがてブーンに振り返り呟いた。
「どうしよう……?」
「どうしたんだお?」
聞き返すブーンにツンが言った。
「これ、ほんとに爆弾よ……」

(^ω^)
「ええええええー!?」
ブーンの叫び声が湖に響き渡る。
「ほっほっほっ、ほんとかお?」
「うん、何か四角い物体に《C4》って書いてある。これ、映画に良く出てくるプラスチック爆弾ってやつでしょ?」
鞄に詰められたそれは確かに、それはプラスチック爆弾だった。
「どっどっどっ、どうしたらいいんだお!?」
慌てふためき聞くブーンにツンは鞄の中を覗き込みながら答える。
「うーん、時限爆弾とかじゃないみたいだし、仕掛けも単純に開けなければ爆発しない造りみたいだよ?」
「ほ、ほんとかお?」
「うん、多分……」
「メ、メスでコードを切ったらいいんじゃないかお!?」
興奮してそんな事を言うブーンにツンは冷静に言い返す。
「別に後何秒で爆発するって訳じゃないし、開けなければいいのよ。それに――」
「それに!?」
「どのコード切ったらいいかなんて分んないわよ」
そう言うとツンは車に戻ってタイラップを取り出し、鞄のジッパーが開かないようにそれで固定した。
「とりあえずこれで《うっかり開けちゃって爆発》ってのは防げるわよ。大丈夫」
ツンの『大丈夫』の言葉を聞いて、ブーンは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「よ、良かったお〜」
ヘナヘナとその場に座り込むブーン。そして、今まで自分がそんな物を持ち歩いていた事を思い出し、背筋がぞっとした。
「……それにしても」
ブーンは横に座っているツンに聞く。
「どうしてツンはそんなに落ち着いてるんだお?」
「え? うーん」
ツンは少し考えて答えた。
「職業柄――、かな?」
「そうかお。やっぱりお医者さんはどんな時も冷静じゃないとダメだって事かお」
ブーンが感心し、ツンにそう言う。
「――え? うん。まぁね」
ツンはそう答え、それから鞄を指差しブーンに言った。
「それよりも、これ、ちゃんと始末しなさいよ? そうね、爆発させる訳にもいかないから、どっかで燃やすなりなんなり――」
「ええっ!?」
ブーンは再び驚く。
「そ、そんな事したら爆発しちゃうお!」
ツンは再び冷静に答える。
「いや、まぁだったら――、自分が巻き込まれないくらい離れた所で燃やせばいいんじゃない?」
「そ、そうか。さすがツン、頭いいお!」
そう言ってにっこり笑うブーン。その笑顔にツンもつられて笑っていた。

(^ω^)
 爆弾の仕込まれた鞄の横に座り込み、笑うツンだったが、ブーンの車の窓からこっちを見ているチワワを見てふと表情を曇らせた。
「――あのわんちゃん、可哀想。きっと、その飼い主になる予定だったボスって人、あの子の事なんてどうでもよかったのね」
「どうしてだお?」
聞き返すブーンにツンが鞄をちらりと見て答える。
「だって、この爆弾が爆発したら一緒に死んじゃうじゃない。その事を分っててやらせたんでしょ?」
「そ、そんな事は……」
無い、と言おうとしたブーンを遮りツンは言う。
「だって、身代金って言われて受け取ったら犯人は必ずお金の確認するために鞄を開けるでしょ? そしたら――。それぐらいの事、分からないはず無いじゃない」
ツンの言葉にブーンは自分の車を振り返る。そこには後部座席の窓からこちらをつぶらな瞳で見つめるチワワがいた。
危うく殺されてしまうところだったチワワに同情し、ブーンは気分が重くなる。
「――っていうか、あんたもよ」
チワワを見つめていたブーンにツンが言った。
「え?」
「爆発したらその場にいるあんたも当然一緒に殺されるはずだったのよ?」
「いや、きっと……」
それから先、言葉が続かなかった。多分、ツンの言う通りなんだとブーンは思った。
「……いやはや、さすがはギャングね」
ツンが少し呆れた口調で言う。いや、呆れたというよりは怒っているみたいだった。
それから「良かったわねー、爆発しなくて」と車にいるチワワに向かって微笑んで言った。
そして、再びブーンに向き直り言う。
「もう、誘拐されたままって事にして誰かに飼ってもらったら?」
ブーンもチワワを見つめる。
「うん。でも――」
「何?」
「でも、ぼく友達があまりいないから、飼ってもらえる人を探せそうにないお」
そう言ってうなだれ、それから続けて言った。
「第一、このまま連れて帰ったらそこでバレちゃうお」
「そうかー」
ツンもそう返事をし、それから空を見上げてしばらく考えていた。
「しょうがないなー」
そうして視線を空からブーンへと移し、ツンは言った。
「よし、あたしが探してあげるわよ」
「ほんとに!?」
驚き、喜ぶブーン。そして満面の笑みでツンに言った。
「ありがとうだお!」

「――じゃあね」
ツンが運転席からブーンを見上げる。
「うん。じゃあ、元気で」
ブーンはそう返事をすると、助手席に寝転ぶチワワにも挨拶をする。
「お前も元気でやっていくんだお」
「――あんたもね」
そう言い返すツンに再びブーンは視線を移す。
「そんなボスからちゃんと逃げなさいよ?」
ツンはそう言い、口を尖らせた。
「うん。そうするお」
ブーンが答え、ツンは車のギアを入れた。
「じゃあね」
「――ツン!」
発進しようとするツンを呼び止めるブーン。
「何?」
ブーンはにっこりと笑い、ツンに言った。
「――ありがとうだお」
「……なっ、何がありがとうなのか分からないけど……。ど、どういたしまして……」
ツンは驚き、頬を赤くしてそう言い返すとアクセルを踏み込み、車を発進させた。

(^ω^)
 ホテルの正面入り口。先に到着していたビコーズが待っていると荒巻のリムジンが車寄せに回り込んで来た。
「ボス、どうしたんですか?」
車から降りて来る荒巻にビコーズが聞く。
「ロマネスクが来る」
荒巻の言葉にビコーズに緊張が走る。
「あの、ロマネスクですか?」
「そうだ、あの《死神・ロマネスク》だ」
荒巻はそう言い、歩きながら続ける。
「俺のシマで仕事をするから挨拶だと言うが、用心に越した事は無い。大勢のボディーガードが必要だ」
「――分りました」
一見、落ち着いたように返事をしたビコーズ。だが、ビコーズは緊張していた。
《死神》ロマネスクの噂はこの世界に生きている人間なら誰でも聞いた事があるはずだ。
派手さこそ無いものの、引き受けた仕事は確実にこなしてきた超一流の殺し屋。
彼に命を狙われた者には確実に死が訪れ、そして彼の命を狙った者にも確実に死が訪れる。
果たして、そのロマネスクを相手に例え何人いようともボディーガードなんかが役に立つだろうか?
勿論、それは自分も含めてだ。
その事を感じ、ビコーズは深呼吸をする。そして、会合の為の部屋に向かうエレベーターの中でビコーズは改めて自分の銃を点検した。

(^ω^)
 ツンの白いメルセデスがホテルの車寄せに滑り込む。
そうして、駐車係が恭しくドアを開けるとツンはホテルに降り立った。
着ている服は別にドレスでもなく、髪も無造作に結ばれているだけだったが、その姿は今ホテルにいる誰よりも堂々とそして輝いて見えた。
そんなツンを迎え入れるホテルのドアマン。彼のドアを開ける腕にいつもより少しばかり力がこもっていたのはしょうがないかもしれない。
ホテル中の視線を集め、ツンがフロントに歩み寄る。
「いらっしゃいませ、ご予約ですか?」
フロントの中から男が声をかける。
「ええ、ツンです」
「かしこまりました。少々お待ちください」
フロントマンはそう言うと、分厚い台帳をパラパラとめくり、名前を確認する。
「失礼しました、ツン様。最上階のスイートをご予約ですね?」
「ええ、そうよ。ねぇ、ところで――」
ツンはそう言うとフロントマンに顔を寄せ、秘密話をするかのように聞いた。
「何でございましょうか?」
フロントマンの言葉にツンはカウンターの下に隠して抱いていたチワワを持ち上げ、聞いた。
「この子も、いいかしら?」
フロントマンはチワワを見つめ、にっこりと微笑む。
「はい、勿論でございます」
「ほんと? 良かった〜」
喜び、微笑むと改めてチワワを胸に抱くツン。
「ところでお客様――」
そんなツンにフロントマンが聞いて来る。
「こちらのお嬢様のお名前は?」
その言葉にツンが言う。
「あら、この子、男の子よ」
「これは失礼しました」
恐縮するフロントマン。そしてふとツンが呟いた。
「あ、そう言えば――」
「いかがいたしましたか?」
「この子の名前、聞いて無かったわ……」
――って言うか普通、最初に教えるでしょ。
ツンはさっき別れたブーンの笑顔とそして間抜け面を思い出していた。

(^ω^)
 ――こちらのお嬢様のお名前は? だって? あー、やだやだ。
またんきはホテルのフロントからすぐ近くにあるソファーで雑誌を読みながらフロントで交わされる会話を聞いてうんざりしていた。
――お嬢様? そんなのただの犬だろ、犬! それを、上品ぶっちゃってさ。まったくホテルってのはどこも一緒だな。働いてる奴も泊まる奴もお金には困ってませんよー、ってな雰囲気で薄っぺらい会話しやがってよ。
そうして心の中で毒づきながらまたんきは、それでも、と考えた。
――でもまぁ、泊まってる奴等はお金に困って無いぐらいじゃないとこっちが困るんだけどな。会話もペラペラ、盗んだ財布もペラペラじゃあ俺の商売が成り立たない。
そうして再び雑誌に戻り、時折、新しい客が通ると雑誌を読んでいる振りをしながらターゲットになるかどうかをこっそり見極める。
 またんきはスリだった。
もっぱら大きなホテルに行っては裕福そうな宿泊客からポケットマネーをいただいている。
ホテルは他の場所よりも監視カメラが少なく、またんきは仕事がやりやすかった。
ターゲットにされた人間もホテル内は自分の家感覚で油断しているし、それに財布が無くなっているのに気付くのは大抵、外に出てからで、その時にはもうすっかり外で盗まれたと思い込んでしまう。まさか自分の『家』であるホテルで盗まれたとは殆どの人間は思わないのだ。
「……でも、あの女はきっとダメだな」
またんきは雑誌を読みながら呟く。
――あの手の奴等の財布の中はほとんど現金が無い、カードばかりが何枚も入っているだけだ。
狙うならもっと現金を持っていそうな奴がいい。
またんきは雑誌を閉じると、待ち合わせをしている友達でも探すかの様に振舞いながらホテル内をターゲットを求めて歩き始めた。

(^ω^)
 渡辺が泊まっているというホテル・ルナールの駐車場にギコは車を停めた。
エンジンを切ると、車から降り、後部座席の鞄を取る。
鞄はずしりと重かった。
そして、その重みが今まで実感の無かった「銀行強盗が成功した」という事実を教えてくれた。
ギコはホッとした。
――これで、逃げる事が出来る。
ギコはギャンブルで多額の借金を抱えていた。ヤバイ連中からも金を借りまくり、あちこちにどう考えても返し切れ無い程の借金をしていた。
返済期限はとうに過ぎ、それでもどうにかギリギリの所で生き長らえさせてもらっていた。
しかし、それももう限界だった。明日にはもうどうなるか分らない。
そしてギコは決断した。
銀行強盗をしよう、と。
しかし、それは借金を返済する為では無かった。
それは逃亡する為だった。
――このままでは俺の人生、どう考えても状況は好転しない。これを変えるにはいちかばちか逃げるしか無い。
だが、きっと奴等はしつこく追って来るだろう。だから出来るだけ遠くへ逃げなければならないし、いつになったら落ち着けるかも分らない。
だから、資金は多ければ多いほど安心出来た。
そうして、なんとか予想外の大金を手に入れる事が出来たギコだったが、それでも安心は出来なかった。
渡辺の方をちらりと見るとギコは良からぬ事を考えた。
――こいつはとろそうだし、きっと仲間もこんな感じに違いない。こいつを出し抜いて金を独り占めし、そしてついでに銀行強盗の犯人をこいつ一人に押し付けられないだろうか。
「なに?」
ギコの視線に気付いた渡辺がギコに振り返る。
「……いや。何でもないよ。さ、行こうぜ」
そう言ってギコは渡辺の一歩後ろをホテルの入り口に向かって歩き始め、前面のベルトに指した銃を確認した。

(^ω^)
 ホテル・ルナール1901号室。
荒巻の取ったセミスイートのこの客室は異様な緊張感で満たされていた。
「君が噂に聞く、死神ロマネスクか。仕事ぶりは聞いているよ」
《死神ロマネスク》。
荒巻からその単語を聞いてロマネスクはふぅ、と溜め息をつく。
「その呼び名はあまり嬉しくは無いな」
「何故だ?」
荒巻が驚き、聞く。
「まるで私が現れるといつでも誰かが死ぬみたいではないか――」
ロマネスクの言葉に荒巻や周囲のボディガード達は眉をひそめる。
みんなが心の中で思っていたのは、違うのか? という事だった。
その雰囲気を察したロマネスクは言葉を付け足す。
「私が人を殺めるのは依頼された場合のみだ。仕事以外では人を殺したりはしない」
ボディーガード達はロマネスクが言っている事が冗談なのか何なのか分らずに戸惑う。
だが、そんな中、一人の笑い声が響いた。
「はーはっは、気に入った」
笑い声の主は荒巻だった。
「人を殺すのはあくまで仕事、趣味では無という訳だな。結構、実に結構だ」
そうして、荒巻はロマネスクを見つめ話を続ける。
「最近ではそういうプロフェッショナルな殺し屋が減ってしまったからなぁ。自分の殺人欲を満たしたいが為に殺し屋をやってるような屑連中ばっかりだ」
荒巻はロマネスクを見つめ、楽しそうに微笑む。
「いずれ――、仕事を依頼したいものだ」
「そうですね。御用があればいつでもお呼び下さい」
ロマネスクはそう言うと、懐に手を入れた。
その動作にボディーガード達が反応する。
ボディーガード達に撃たれないよう、ロマネスクはゆっくりと懐から手を出す。
その手には二本の指に挟まれた名刺があっただけだった。
それでも、ボディーガード達はその緊張を解けないでいた。
「――そう言えば、一つだけ、仕事以外で殺しをする場合がありました」
名刺を荒巻に渡しながらロマネスクが思い出したように言った。
「誰かが私の命を狙った場合、ですね。――もっとも、こっちは体が勝手に反応してしまうんですがね」
事実、その通りだった。相手の不意打ちにもそれを上回る反応でロマネスクは自分を狙う人間達を制圧してきた。
「……そんな訳で君」
ロマネスクは自分の真横、ほぼ死角にいるボディーガードに向かって言った。
「それ以上懐の物に手を伸ばすと私は君の命の補償は出来かねるぞ」
言われたボディーガードは目に恐怖の色を浮かべると、ゆっくりと手を下ろした。
それを見て荒巻は再び笑う。
「――近いうちに、仕事を依頼させてもらうよ」
荒巻はそう言うと、満足そうに笑みを浮かべ椅子の背もたれに寄りかかった。
ロマネスクが頷き、言った。
「さて、それでは、本題に入ってもよろしいですか?」

(^ω^)
 その頃、流石兄弟は湖畔沿いの道を歩いていた。
「どうしていつもそんな風に間抜けなんだよ」
弟者はぶつぶつと文句を言いながら歩く。
――誘拐した犬を溺愛したあげく見失うとは! 信じられない!
「リードも無しに歩かせてたらいなくなるに決まってるだろ!? 馬鹿なのか?」
炎天下を歩き続け、暑さと疲労で次第に兄者への苛々がつのる。
「まったく、兄者のせいでいつもこんなだ」
この台詞も何回目だろう?
 やがて二人は交差点に行き着いた。
道は三つ。真っ直ぐ行けば今まで通り湖畔沿いにぐるりと湖を一周出来る。右に行けば更に湖に近付く一本道。左に行けば湖から離れ、どこかの街へと続く道。
何処へ行けばいいのか。赤になっている信号に合わせ、二人は足を止めた。
「ちょいと、そこの」
そんな中、ふと、路肩に停めたトラックから声をかけられた。
「ん?」
二人が振り向くとトラックの中から老人が聞いてきた。
「西瓜――、買わんか?」
見れば、トラックの荷台には山積みの西瓜。そしてボロボロのダンボールに値段が手書きで書かれている。
「お、いいな。ひとつ――」
「いや、いらないよ」
買おうとする兄者を制し、弟者が答える。
「そうか……、いらんか……」
――いらないさ。西瓜ならきっともう一生分食べた。
弟者は昔の事を思い出す。
「ところでさ、おじさん」
弟者は思い出を振り切り老人に聞いた。
「この辺でチワワを見なかったかい?」
「チワワ? チワワって、犬のチワワかい?」
「うん、そう。どう? 見なかった?」
「うーん、どうかなぁ。この歳になると色々思い出すのが大変でな。ところで――」
老人が弟者をちらりと見て、聞く。
「西瓜、買わんか?」
「……だから、いらないって」
弟者は再びそう答える。
「そうか、いらんか」
――そうさ。もう西瓜は飽き飽きしてるんだ。食べるのも採るのも運ぶのも。
「それで? チワワは?」
もう一度聞く弟者に老人はうーん、と考え答える。
「そういえば、信号待ちしてたべっぴんさんが車の助手席に小さい犬を乗せてたよ」
老人の言葉に弟者が顔を上げる。
「そっ、それだ! それで? その車はどっちに行った!?」
「えーっと、どっちだったかなぁ。これ以上は思い出せないなぁ。ところで――」
「何だ?」
「西瓜、買わんか?」
老人はそう言ってにやりと笑った。
その歯の抜けた、笑う口元を見て弟者は理解する。
――情報は西瓜と引き換えって事か。
どう交渉しようかと考える弟者の横から兄者が答えた。
「そうだな。喉も渇いたし、ひとつ買おうか」
「ありがとーよ」
老人はヒヒヒと笑い、車から降りると兄者に言った。
「喉が渇いているんなら、この場で切って食べて行くといい」
「おっ、いいなぁ。そうしよう。な、弟者?」
笑顔で振り返る兄者に弟者は眉間に皺を寄せながら肩をすくめた。

(^ω^)
「ほら、これで自分で切ればいい」
老人がそう言って兄者に包丁を渡し、包丁を受け取った兄者は楽しそうに老人に言う。
「美味しい西瓜は叩いて良い音がするんだ。ひとつ良い音のを選んでくれよ」
「へぇ。あんた、詳しいね」
「そりゃそうさ。実家は西瓜農場だぜ」
自慢するように答える兄者。
流石兄弟の家は農場を経営していた。そして、そんな田舎の農家生活に嫌気がさした弟者は家を出る決意をし、兄者はそれに付いて来た。
だが、街に出て来たところで何の仕事の宛ても無かった二人は徐々に落ちぶれ、そして少しづつ悪の道に手を染めた。
そうして、今や二人はチンピラのような生活をしていた。田舎に戻りたいという気持ちもあったが、勝手に飛び出して来た手前、そんな事を言うのも悔しかったし、何よりも二人にはきっかけが必要だった。
「どれ、じゃあ叩いてみるか」
老人は西瓜をいくつか取り上げる耳を付けて叩き始める。
 兄者と老人のやり取りに苛々した弟者はその場を離れ、トラックの周りを歩き始めた。そして、何気なく値段のかかれたダンボールに目をやる。
――あれ? 何だよこのダンボール、端っこが折りたたまれてるじゃないか。
ダンボールの右端が折りたたまれているのに気付き、弟者は手でそれを真っ直ぐに伸ばす。
「!?」
するとそこには表に見えていた値段の右側に更に「0」がもう2つばかりくっついていた。
――しまった! 詐欺だ!
弟者はそのカラクリに気付き、慌てて振り返る。
そこには西瓜に耳を付けて叩き、音を聞いている老人とその手前で包丁を手に、はりきって腕まくりをする兄者の背中が見えた。
――ダメだ! それを切ったら『あんたが切ってしまったからもう売り物にならない』と買わされる! その為にあいつは自分で切れと言っているんだ。くそっ、世の中悪い奴ばっかりだ!
兄者待て、と弟者声をかけようとした時だった。
「じいさん、早く選んでくれよー! もう喉がカラカラだよー!」
と兄者が子供のように腕を振り回しながらせがみ、次の瞬間、三人の耳に届いたのはザスッという鈍い音だった。
そしてその音から数秒後、老人が自分の持っていた西瓜を見て悲鳴をあげた。
「ひ、ひぃぃぃぃー!」
見れば老人がたった今まで耳を付けていた西瓜に包丁がざっくりと刺さっていた。
「す、すいません! すいませんすいません!」
老人は西瓜を投げ出し、トラックの陰に隠れながら、恐怖に怯える目で兄者を見つめて必死で謝る。
「ほ、ほんの出来心なんです! ほんとに! ごめんなさい! も、もうこんな商売はしませんから!」
兄者はぴくりとも動かなかった。
「……お、おい、お前」
兄者の後ろから弟者が老人に声をかけると老人が早口に言った。
「ち、チワワを乗せた車なら、あっち! あっちに向かって走って行きました!」
そうして弟者が老人の指差した方向を見ている間に老人は素早くトラックに乗るとエンジンをかけた。
「おい!」
弟者の声に老人は「許してくださいー!」と叫ぶと、荷台から西瓜をぼろぼろ落としながらトラックを急発進させた。
「…………」
「…………」
残された二人はお互い顔を見合わせる。
「いや――」
走り去って行くトラックの後姿を見ながら、ようやく兄者が呟いた。
「悪い事したな」
そして、本当にすまなそうな顔で言った。
「手が、滑ったんだ」
「…………」
どうやら兄者は何も気付いていない。
しばらく兄者を見つめていたが、やがて弟者はクスリと笑った。
――ほんと、兄者といるとこんなことばっかりだな。
兄者が振り返り弟者に聞く。
「それにしても、何で謝ってたんだろうな? 謝るのはこっちなのに」
不思議そうにそう聞いて来る兄者に弟者は笑いながら肩をすくめる。
「まぁ、いいじゃないか、おかげでちわにゃんの行き先も分ったしな」
弟者は兄者にそう言うともう一度、老人の指し示した方向を見た。
老人が指を指した湖へ近付く一本道。その道の先にはホテル・ルナールが建っていた。

(^ω^)
 話し合いが済み、荒巻はとても機嫌が良かった。
今回、ロマネスクが自分のところに来た話には何の裏も無かった。ロマネスクが電話で言っていた通り、新巻のシマで仕事をする予定だったので話を通しに来ただけだった。
 そして、荒巻の機嫌を良くしている理由は二つあった。
一つはそいつ、ロマネスクの依頼主であるマフィアのあいつに貸しが作れた事。
 ――どれだけ相手に貸しを作れるか。
この世界では、それこそがのし上がっていくのに必要な才能だった。
自分に対して頭の上がらない人間を作る事、それが《支配》であり、そいつらに言う事を聞かせる事こそが《力》だった。
そして、今回、貸しを作れた相手は言ってみれば本物のマフィア、だった。今回の事は今後、かなり有利になる。荒巻の機嫌が良くなるのも無理もない事だった。
新巻は相手の顔を思い浮かべ、にやりと笑った。
 そしてもう一つ。荒巻はロマネスクと繋がりが持てた事がとても気に入っていた。
噂とは違い、意外な程に紳士的で低姿勢のロマネスク。しかし、彼はまさに殺しのプロだった。
「なるほど、確かに君は噂に聞くような《死神》では無いな」
新巻は気を良くしてロマネスクに質問をした。
「ところで――、君に関する噂をもう一つ聞いたんだが本当かね?」
「どんな噂ですか?」
聞き返すロマネスクに荒巻は興味津々に聞く。
「ロマネスク、君は人を殺すのに銃しか使わないんだって?」
「――そうですね」
ロマネスクは真っ直ぐにそう答えるとその理由を話した。
「私は自分のスタイルにこだわる方でしてね。あらゆる手段で人を殺すなどという無節操なまねはしない。慣れない事に手を染めたりせず、ただひたすらに自分の道を極めたいのです」
「そうか――」
それを聞いて新巻はクスリと笑った。
「君は古いタイプの殺し屋なんだな」
そして、椅子の背もたれに腕をかけるとロマネスクに問い掛けた。
「殺し屋と言えどもサービス業だろう。今の時代、クライアントの要求には最大限応えるべきでは無いのかな?」
それからビコーズを親指で指差して言う。
「今日、こいつには爆弾での爆殺を命令してね。こいつは命令通りそれを実行してくれたよ」
荒巻の、これらの言葉は決してロマネスクを馬鹿にしていた訳でも、見下している訳では無かった。
荒巻はただただ機嫌が良く、饒舌になっていただけだった。
古い、本物のマフィアに借りが作れたのが嬉しかったのかもしれない。もしかしたら荒巻は自分は新参のギャングだと自覚していて、どこかでマフィアに対するコンプレックスを持っていたのかも。
「――ふむ、どうだろうか? 考えてみた事も無かったな」
荒巻の言葉にロマネスクは怒る事も無く、正直に答えた。
そう、今までロマネスクはそんな事は考えた事が無かった。ただ人を殺す上でシンプルでこの上ない成果を出せるツールとしてロマネスクは銃を選んだだけだった。
「今日の相手はちょっと俺を苛付かせた奴でね。そこで死体も残らない程に木っ端微塵にしてやるべく、爆弾を使わせたという訳だ」
荒巻はそう言い、ビコーズに振り返る。
「なぁ、ビコーズ? 木っ端微塵だな?」
「……いえ、それが」
ビコーズは肯定する事が出来なかった。今頃はブーンもろともにそうなっているのかもしれないが、何しろ相手はブーンだ。
「なん……だと……?」
荒巻の表情が変わる。
「いえ! 大丈夫です。今頃は――」
取り繕うビコーズ、だが荒巻はこっちを睨みつけたままで、ビコーズは慌てて言った。
「念のため確認します」
そうしてビコーズはブーンに電話をかける為に部屋を出た。
「――さて、そろそろ」
ロマネスクが荒巻に声をかける。
「仕事があるので失礼させていただこう。では、いずれまた」
椅子から立ち上がるロマネスク。荒巻は椅子に腰をかけたままロマネスクを見上げ、言った。
「そうだな。いずれまた。その時が来たらよろしく頼むよ」
ロマネスクは無言で頷くと部屋を出て行った。

(^ω^)
 その頃、ビコーズは電話でブーンを呼び出していた。
これで電話が繋がらなければ爆弾が爆発したという事になる。
しかし、数回目のコールでブーンが電話に出た。
『もしもし、ブーンですお』
「ブーン……、何でお前が電話に出るんだ」
計画の失敗を知り、ビコーズは苛立たしげにブーンに言う。
『び、ビコーズさん!?』
何故か慌てるブーン。
「ビコーズさん? じゃない、誘拐犯はどうなったんだ!?」
ビコーズの質問にしばらくの沈黙があり、それからブーンが答えた。
『は、犯人はいませんでしたお』
「ああ!? どういう事だ?」
『そ、それは、あの……』
口篭もるブーン。
「お前は今どこにいるんだ!? 何をやっているんだ!? どうして生きてるんだ!」
ビコーズは矢継ぎ早に質問をする。
『そ、それはえーっと、あのー、あうあう』
最後の質問とも文句とも言えない言葉にも気付かず、ブーンは口篭もり続ける。
そしてついに苛立ちが限界を超え、ビコーズはブーンに怒鳴りつけた。
「もういい! いいからさっさとここに来い!」
『こ、ここって何処ですかお?』
おどおどと聞き返すブーン。
「ホテル・ルナールの1901号室だ!」
『ホテル・ルナール1901号室。分かりましたお』
そう返事をするとブーンは再び聞き返してくる。
『あ、あの〜』
「何だ!?」
その声に苛々し、ビコーズは怒鳴るように聞き返す。
『そのホテルはどこにあるんですかお?』
「自分で調べろ!」
ビコーズはそう言うと通話を切り、叩き潰さんばかりの勢いで電話を閉じた。

(^ω^)
 ホテル・ルナールの3階、ツンは買い物を楽しんでいた。
ホテルは1階がロビー、2階はレストランフロアー、3階はショッピングフロアー、そこから上は客室という構成になっていた。
各フロアー間は基本的には非常階段以外ではエレベーターでしか行き来が出来なくなっているが、2階と3階だけは例外になっていた。
2階と3階は吹き抜けになっており、2階中央部、吹き抜けの下はかなり広いレストランになっていた。そして、そのレストランの横にはエスカレーターが設置されていて、2階と3階の間を自由に行き来が出来るようになっている。
「うーん、これもかわいいし、これもかわいいなぁ」
両手に持ったそれぞれの首輪とリードを見ながらツンは悩む。
「あー、もう両方買っちゃおうかなぁ」
そんな事を呟き、ツンはくすりと笑う。
――まさか自分がこんなにペット煩悩だったなんて。
それでも、部屋に置いて来たチワワの事を思い浮かべると、もっともっと色々とかわいいものを買ってあげたくなった。
でも、とツンは考えていた。
自分の仕事ではちゃんと飼ってあげるのは無理だし、早く良い飼い主を見つけてあげなくてはいけない。
でも、とツンは決意する。
――わたし以上に可愛がってくれる、あの子の為なら命だって惜しくない、ぐらいの覚悟を持った人じゃないと任せてあげられないんだからね。
「すいませーん、これを下さい」
ツンは両手に首輪とリードそれぞれ2セットを持ったまま店員を呼んだ。

(^ω^)
 ホテル・ルナールの1階、ギコはある物を見つけてしまった。
それはロビーの奥に設置された数台のスロットマシンだった。
ホテルにはカジノは併設されていなかったが、こじんまりとお遊び程度にスロットマシン等の機械が置かれているコーナーがあった。
瞬間、ギコの脳裏に過去の栄光が思い浮かぶ。
そしてギコはこんなにもお金があるにも関わらず、それをやらずにはいられなかった。
鞄のジッパー少し開け、中から数枚の紙幣を抜き取る。
そして、再びジッパーを閉じると鞄を渡辺に渡した。
「俺はちょっとあそこに行って来るから、鞄はお前が持ってろ」
そう言って、スロットマシンを指差すギコに渡辺が文句を言う。
「えー、部屋に帰ろうよ。早くハインに逢いたいよ」
「いいから、待ってろ」
そう言うギコに渡辺は言った。
「じゃあ、先に帰ってる」
「駄目だ、待ってろ――」
ギコはそう言うとスロットマシンに向かって歩き出した。
「じゃあ、トイレに行ってくる……」
渡辺はしぶしぶギコの言う事に従う事にした。
ギコが渡辺にお金を渡したのは流石にこんな所で使ってしまう訳にはいかない、とぎりぎりの理性が働いたおかげだった。
しかし、スロットマシンを目の前にしてギコは再び思う。
――でもまぁ、もし勝負資金が足りなくなったら、渡辺を呼べばいい。
ギコはその為に彼女をここに残しておいたのだ。

(^ω^)
 それから十数分後、ブーンがホテルに到着した。
ブーンの手にはまだ爆弾の入った鞄があった。
――逃げるはずだったのに、どうしてこうなっちゃったんだお?
ホテルの正面玄関の扉をくぐりながらブーンは考える。
やっぱり引き返そうか。でも、ここまで来てしまった。いや、でもやっぱり――。ブーンの思考は同じ処をぐるぐると回っていた。
しかし、やがてブーンは決意した。
「……そうだお。ここまで来たからには、ちゃんとボスに組織を辞めるって言うお!」
言葉に出して覚悟を決めると、ブーンは急いでトイレに向かった。
そして、トイレの入り口から入ってすぐの場所に設置された洗面台の列の一番奥。そこで鞄を洗面台の上に置くと、ブーンは水を出し、石鹸を使って丁寧に手を洗い始めた。

 渡辺は電話をかけながらトイレに向かっていた。
何回かのコールの後、電話が繋がった。
「もしもし、ハイン?」
相手がしゃべるよりも早く、渡辺はその名を呼んだ。
『おお、渡辺。今、どこにいるんだよ?』
電話から聞こえてくる女性の声。それが渡辺の言っていたハインリッヒ高岡だった。
「今? 今ねぇ、トイレの入り口〜。えへへ」
渡辺はそう言いながらトイレに入って行った。
『トイレ? トイレってどこのだよ?』
「どこって、ホテルの1階のだよ?」
『ホテル? 帰って来たのか?』
「うん」
高岡の言葉に渡辺は嬉しそうに微笑みながらトイレに入り、洗面台の鏡に向かった。

 ブーンは洗面台で、自分の手をじっと見つめ、指の一本一本から手首までを時間をかけて丁寧に洗っていた。
「たしか日本では組織から抜ける時は手を洗うんだお」
そんな、間違った日本語の知識を呟きつつ。

 渡辺は洗面台の前に立つと、鞄を足元に置いた。
隣りには何かぶつぶつと呟きながら真剣に手を洗う男がいる。
――何だろう、ちょっと不気味。
そう思ったが、それ以上に不思議な事があった。
鏡を覗き込めば、そこには自分が映っている。それは当然なのだが、問題はその背後だった。背後の男達が何故か自分をじろじろと見ているのだ。
「あれれ〜? 何でだろう?」
『どうした?』
渡辺の呟きに電話の向こうで高岡が返事をする。
「なんだかね? みんなが私をじろじろ見てるの」
高岡にそう答え、改めて鏡を見つめる。
入って来る人、出て行く人、みんなが鏡越しに渡辺を見ていた。
『そりゃ、お前が魅力的だからだろ? みんな嫉妬してるんだ』
そう言って笑う高岡に渡辺が言う。
「うーん、でも嫉妬、はしないんじゃないかなぁ? むしろ欲情? みたいな」
渡辺の言葉に高岡は不思議に思い、聞く。
『……一体、どんな奴等が見てるんだ?』
「うーん、なんか大勢の男の人達が睨むように見てる」
『男?』
「うん」
そう答える渡辺に一瞬の沈黙の後、高岡が聞いた。
『待て、渡辺。お前、今トイレにいるって言わなかったか?』
「え? うん、トイレだよ?」
渡辺の返事に高岡が冷静にその答えを教えた。
『――渡辺。そこは男性用だ。すぐに出ろ』
そう言われ、渡辺は改めて後ろを振り返った。そこにいるのは男性ばかりで、そしてそこは高岡の言う通り男性用のトイレだった。
「ひゃああああああ!」
渡辺は大声を上げると、横に置いてあった鞄を慌てて引っ掴み、逃げるようにトイレから出て行った。

「ひゃああああああ!」
「ふぉっ!?」
突如として隣りから悲鳴が上がり、ブーンは驚いて顔を上げる。
すると視界に映ったのは慌てて出て行く一人の女性だった。
「……何だ。間違えて入って来たのかお」
ほっと安堵すると、ブーンは呟く。
「それにしても、悲鳴をあげたいのはこっちだお。まったく……」
そして、ふと鞄が無い事に気付く。
「おろ?」
きょろきょろと周囲を見回すブーン。すると、鞄は床にあった。
ブーンはほっと胸をなでおろす。
――何だ、転げ落ちたのか。でも、危ない危ない。爆発したら大変だったお。
手を振って乾かすと落ちた鞄を拾い、ブーンはボスに会うべくトイレを後にした。

(^ω^)
「ちっ、かすりもしねー」
ギコはスロットマシンに毒づく。
――だが、ちょっと惜しかった気がする。よし、資金を追加して再投資だ。
そうして、渡辺を探そうとした丁度その時、ロビーの方から渡辺が鞄を抱えてやって来るのが見えた。
「おーい!」
ギコは資金を調達するべく、渡辺を呼びつけた。

(^ω^)
「おろっ?」
ブーンは荒巻のいる部屋へ向かうエレベーターに乗った途端、素っ頓狂な声を上げた。
「鞄のファスナーを留めてたやつが無いお……?」
一緒に乗っていた人々がブーンを奇異な目で見るが、ブーンはそんな事も気にせず、鞄を調べた。
その鞄は確かにブーンがずっと持っていた鞄だった。色も形も何の変化も無い。ただの白いボストンバッグ。
だけれど、鞄が開かないようにとツンが留めてくれたタイラップがその鞄には付いていなかった。そればかりか、ツンが中を調べるために空けた小さな穴も無くなっている。
数秒間考え、そして、ブーンは確信した。
――これは、別な鞄だ。
「すっ、すいません! 降ります! 降りますお!」
3階に停まり、丁度開いた扉からブーンは人を押しのけながら慌てて飛び出した。

(^ω^)
 チワワの為の買い物を終えたツンは次は自分の為の買い物だと、ショッピングフロア―をはりきって歩いていた。
そんなツンの視界に入って来たのは、さっき別れたばかりなのに何故か懐かしささえ感じるブーンの間抜け面だった。
しかもどうやら何か困っているらしく、非常に情けない間抜け面になっている。
「ブーン!」
ツンが声をかけると、ブーンはツンに気付き、大慌てで走って来た。
「ど、どうしたのよ?」
その勢いに驚き、聞くツンにブーンはその勢いのまま答える。
「鞄がファスナーで無くて、留めてたやつが穴も!」
「……え?」
意味が分からず、聞き返すツンにブーンは再び勢いよく言う。
「だから! 入れ代わっちゃったんだお! ファスナーが穴で留めてたら!」
「…………」
どうやらパニックになっているらしいブーンを落ち着かせるため、ツンは違う話題を振り、ブーンが落ち着くのを待つ事にした。
「ねぇ、ところでさ。あの子の名前――」
「それどころじゃないお! 鞄が鞄が鞄が――」
「…………はぁ」
ツンは溜め息をつくとブーンに話しかけた。
「まずは落ち着きなさいよ」
「落ち着いてる場合じゃないお! ファスナーが鞄の穴で! ばっばっば――」
ツンはブーンの両肩に手を置き、ゆっくりと話かける。
「いいから、ほら、ちょっと深呼吸して」
そう言って、ツンは自分が手本を見せる。息を大きく吸って――、大きく吐いて――。
ブーンもそれに従い深呼吸をする。
そうして頃合を見計らってツンはブーンに再度問う。
「で? 鞄がどうしたって?」
「――っ!」
再び勢いよく言おうとするブーンをツンは指で制し、言う。
「ゆっくりと、ね?」
ブーンは頷き、ゆっくりと話始めた。
「――鞄が、入れ替わっちゃったんだお」
「え?」
聞き返すツンにブーンが再び言う。
「だから、ぼくの鞄が、同じ鞄を持ってた誰かのと入れ替わっちゃったんだお」
「……どうして分かるのよ?」
ツンの質問にブーンが答える。
「だって、ファスナーを留めてたやつも無くなってるし、ツンが空けた穴も無いんだお」
そして、ほら、とブーンはツンに鞄を見せた。
ツンは鞄を調べ、そしてそれが確かに別な鞄だと認識するとブーンを怒鳴りつけた。
「どうしてそういう大切な事をもっと早く言わないのよ!」
「い、言おうとしたお……」
泣きそうな顔で言い返すブーン。そんなブーンにツンは更に怒鳴る。
「だって――。だってそれって、今、何処かで誰かがそれが爆弾だって知らずに持ち歩いてるって事じゃないの!」
「そうだお」
答えるブーンにツンはまた怒鳴る。
「だったら、こんなところで落ち着いて話してる場合じゃないでしょ!」
「だ、だからさっきから……」
涙を流していないだけで殆ど泣いてるブーンが返事をするとツンは最後にもう一度ブーンに怒鳴った。
「探しに行くわよ――! 今すぐ!」

(^ω^)
「いや、ちょっと待って!」
だが、直後にツンはブーンを止めた。
「どうしたんだお?」
ツンは鞄を見ると、素直な疑問を口にした。
「――じゃあ、その鞄には何が入ってるの?」
「じゃあ、開けてみるお!」
ツンの疑問にブーンは即座に答え、それを行動に移した。
「ちょっ――!」
ツンが制止するよりも早く、ブーンは鞄を開けた。
「――――っ!」
ツンは目を閉じ、自分を守るように腕で顔を覆った。
だが、何も怒らなかった。
「…………」
ゆっくりと目を開けるツン。自分の体にも、ブーンの体にも異常は無かった。
「……ブーン?」
いや、ブーンの体にはある意味、異常事態が生じていた。
鞄の中を見つめたまま、動かないブーン。目は大きく見開かれ、口は酸素を求めるようにぱくぱくしている。
「どうしたの?」
「つ、ツン……。大変だお……」
やがてブーンがぎこちなくツンの方を向き、そう言った。
「だ、だから、どうしたの?」
もう一度聞きながら、ツンはブーンの横に移動する。
――まさか、動くと爆発するような爆弾でも仕掛けられているのだろうか?
ツンは慎重にブーンの開けた鞄の中を覗いた。
「――――!」
そして、それを見て、ツンも思わず動きが止まってしまった。
鞄の中、そこには札束がぎっしり詰まっていた――。
「……お金だお」
「……お金ね」
「しかも大金だお……」
「そうね大金ね……」
鞄の中を覗き込んだまま、二人はまばたき一つせずに会話した。
そして、ツンがお金を見たまま呟く。
「これだけあれば、当分の間、ううん、もしかしたら一生、遊んで暮らせるわよ……」
「…………」
ツンの言葉に二人はお互いを見つめ合った。
「ツン――」
が、ブーンが意外な事をツンに言った。
「ネコババは良くないお」
その一言でツンはハッと我に帰った。
「じょ、冗談に決まってるでしょ!」
顔を赤くしてむきになって言う。
「何よ、これしきのお金。これぐらい稼ごうと思えばすぐよ!」
腕を組んでそんな事を言うツンにブーンは心底関心したように言う。
「流石はお医者さんだお。ツンはすごいお」
そんなブーンに毒気を抜かれ、ツンはブーンに言った。
「って言うか、あんた本当にギャングの一員なの?」
「え? どうしてだお?」
真っ直ぐにそう聞き返すブーンにツンは肩をすくめると言った。
「とにかく、今はそんな事言ってる場合じゃないわ。まずは――」
ツンの言葉を引き継ぎブーンが言う。
「行方不明の爆弾を探さないとだお!」

(^ω^)
 ホテル内を獲物を探して歩き回っていたまたんきはがっかりしていた。
――何だ今日は。全然いいターゲットがいないじゃないか。
そうして、再びロビーに戻って来てソファーに座ったまんたきは直後に絶好の獲物を見つけた。
スリで一番難しく、そして大切なのは確実にお金を持っていそうなターゲットを見つける事だ。
同じリスクを犯すのであれば、その結果得られる物が多いほど良い。
リスクを犯して手に入れた財布に殆ど金が入っていないような状況はなるべく避けるべきなのだ。
そういう意味で、今日はリスクに見合うだけの金を持っていそうなターゲットは今まで見つけられなかった。
だが、今、またんきの目で捕らえているターゲットは違った。
服装も態度も冴えない奴だったが、問題はその鞄だった。いや、鞄自体は大した物では無いだろう。だが、そんな鞄をそのターゲットは両手で抱きかかえるようにして持っていた。
しかも、周囲を気にした様子できょろきょろと見回しながら歩いている。
――あんなおどおどした表情で鞄を抱えているなんて、わたしは大量の現金を持っていますよ、と看板を下げて歩いてるようなもんだ。
またんきはにやりと笑うとソファーを立ち、その男に向かってゆっくりと歩き出した。

(^ω^)
 ツンと別れて、それぞれで爆弾入りの鞄を探す事にしたブーンはロビーを担当していた。
いつ間違えられた鞄が開かれ、爆弾が爆発しないとも限らない。ブーンは不安で一杯だった。
しかし、それとは別にもう一つ、ブーンには不安があった。
それは自分がかつて持ったことが無い、いや、そればかりか見たこともないような大金を持っているという事だった。
鞄を両手で抱え込み、猫背で歩くブーン。
そして更に、いくら探してももう一つの爆弾入りの鞄を持っている人は見つからない。
二つの不安でブーンは押しつぶされそうだった。
そして、そんな中、ブーンはふと考える。
「……そういえば、そもそもどこで入れ替わったんだお?」
ブーンは鞄が入れ替わったのに気付いた以前の自分の行動を思い返す。
「そういえば、トイレで鞄が下に落ちてたお。あの時、悲鳴は聞こえたけど、鞄が落ちる音には気付かなかったお」
もう一度、あの時の状況を再現してみようと、ブーンはトイレに向かった。
そしてその時、ブーンの後を追ってもう一人の男がトイレに入って来たがブーンにはそんな事を気付く余裕などなかった。

「――こうやって手を洗っていた時だお」
トイレに入ったブーンは洗面台に鞄を置き、もう一度さっきと同じように真剣に手を洗い始めた。
自分の手をじっと見つめ、石鹸を使って指の一歩一本から手首までを丁寧に洗い、最後にペーパータオルで手を拭う。
「――お?」
そうして、全ての動作を終え、顔を上げたブーンは驚き、呟いた。
「鞄が――、今度は消えたお……」

(^ω^)
 ――涼しい。
流石兄弟のホテル・ルナールに対する最初の感想はそれだった。
交差点からホテルまでは見た目以上に距離があり、ひたすらにホテル目指して歩いてきた二人はホテルに着いた頃にはもうへとへとだった。
ホテルに入るや否や二人はソファーを見つけ、ぐったりと座り込んだ。
「……はぁ」
天井を見上げ、溜め息をもらす。
弟者はもう何もかもがどうでもよくなっていた。
「――兄者、もう帰らないか?」
横で座るというよりも体を伸ばし仰けに寝るようにソファーに体を預けている兄者に弟者は聞く。
――ペットを誘拐して身代金をせしめる計画は失敗だった、もうそれでいいじゃないか。
「何言ってるんだ!」
だが、兄者は語気を荒げて言う。
「ちわにゃんが行方不明なんだぞ!?」
そして、心底心配そうな声で訴える。
「もし――、もし悪い人にでも捕まっていたらどうするんだ……」
兄者はもう何もかもが間違っていた。
「……はぁ」
弟者はまた溜め息を付いた。
「……分かったよ」
そう答え、それから、でもなぁと弟者は思う。
――ここにいるって目撃情報があの爺さんだけなんだよな。兄者の求めるちわにゃんが本当にここにいるのかも分からない。あの爺さんの見たチワワは別なチワワなのかもしれない。
しかし、弟者はそんな事を兄者に言ったりはしなかった。こうなった兄者は言っても聞かないと知っていたからだ。
「でも――」
弟者は天井を見つめたまま兄者に言う。
「もう少し休んでからだ」
「――賛成だ」
兄者も相変わらず体を伸ばしたまま身動きもせずにそう答えた。

(^ω^)
「どうしたの? 鞄が見つかったの?」
ツンの担当していた場所に現れたブーンを見てツンが聞く。
「そ、それはまだだお……」
そう返事をし、ブーンはツンを見つめると思い切って切り出した。
「あ、あの実は……」
「まだだお、じゃなわよ!」
しかし、そんなブーンの返事にツンは怒鳴り返す。
「だったら何しに来たのよ!? ふらふらしてないでもっとちゃんと探しなさいよ!」
「ツ、ツン……?」
突然怒り出したツンにブーンは戸惑う。
「あんた、今がどういう状態か分かってるの!?」
「あ、あうあう……」
怯むブーンにツンは続ける。
「もしかしたらここで爆弾が爆発するかもしれないのよ? そしたら――、そしたら何の罪も無い人が巻き込まれるのよ!? ねぇ、分かる!? しかも、その事を知ってるのは私達だけなのよ? だから、もっと真剣に探しなさいよ!」
「わ、分かってるお……」
ツンはきょろきょろと周囲を探しながら続けて呟く。
「まぁ、巻き込まれるのがあんた達みたいな悪人なら別にいいんだけど……」
「い、いいのかお……」
思わずつっこむブーンにツンは腕を組むと再び怒鳴った。
「いいのよ! ほら! 分かったらさっさと探しに行く!」
「……はい」
ツンの迫力に押され再び鞄探しに出発するブーン。しかし、数歩進んだところでツンに振り返った。
「あ、あの。ところで、ツン……」
言葉をかけようとするブーンを鋭く睨み返すツン。
「わ、分かりましたお。探しに行ってくるお……」
全てを諦めブーンはツンのもとを去ろうとする。
「あら?」
しかし、去ろうとしたブーンを見てツンが気が付いた。
「あんた、鞄どこに置いて来たの?」
「え? あ、鞄ね。あれは……」
急に訪れた告白のチャンスにブーンは怯み、言葉を濁らせる。
「どこかに置いて来たの?」
「そ、それが……」
「誰かに預けた?」
追求の手を緩めないツンにブーンはもう、これ以上は引き伸ばせないと悟り、覚悟を決めてツンに告げた。
「じ、実は鞄が無くなったお…」
「…………は?」
ブーンの言った意味が即座に理解出来ずにツンは聞き返す。
「だ、だから。あの鞄が無くなっちゃったんだお……」
「ななな――」
二度目の言葉でブーンの言っている意味を理解したツンは再びブーンに怒鳴る。
「何やってるのよ!」
「ご、ごめんだお〜」
情けない顔で謝るブーンをツンは追及する。
「っていうか何で?」
ブーンは無くなった理由をツンに説明する。
「入れ替わった所で同じ事をしてどうなったか思い出してみようと思ったんだお。そしたら――」
ブーンは眉を下げツンを見上げる。
「鞄が無くなるとこまで再現されちゃったんだお」
「馬鹿っ!」
ツンがブーンを怒鳴る。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!」
「あうあうあう……」
「何やってるのよ、本当に!」
そう言うとツンはブーンに背を向け、天に向かって祈る様に手を組み呟く。
「――嗚呼、わたしのお金達は何処にいっちゃったの?」
何時の間にかツンの怒りの理由が爆弾が見つからない事からお金を無くした事へと変わっている、とブーンは思っていた。
そして、同時に思った。
「……わたしの?」
思わず、口に出して呟くブーン。
そんなブーンにツンは決意したように言う。
「探し出すのよ! 何としても!」
「ど、どっちをだお? 爆弾かお? お金かお?」
突如、話をふられ驚くブーンにツンはきっぱりと言った。
「両方よ!」

(^ω^)
 ドクオはホテル・ルナールのタワーパーキングに車を停めるとポケットから一枚の写真を取り出した。
防犯カメラが捕らえた犯人の一人。まったく顔を隠す事無く銀行強盗を働いた女の写真。
何故なのか。顔を隠すつもりが全く無かったのは何かの計画なのか。
そして、現場に残されたこのホテルの名前が書かれたメモ。これも何かの計画なのか。
この二つには一体どういう意味があるのか。
ドクオは頭を悩ませる。
そして数秒後、大きな溜め息と共に呟く。
「――わかんねー」
写真を睨んだまま、ドクオは車を降り、道に出ようとする。
すると、写真に気を取られていたドクオの鼻先を一台の真っ赤なアウディが通過した。
「うぉっ!」
ドクオは反射的に仰け反り、ぎりぎりで車をかわす。
「……あっぶねーなー」
ドクオは毒づき、車の後姿を睨む。だが、車は減速する事も無く走って行く。
そして、車が角を曲がり、その姿が見えなくなるとドクオはまた銀行強盗の事を考え始めた。
一見無計画に見えて、結局はかなりの大金を奪う事に成功している。
強盗に入るタイミング、警備員や行員達の油断、そして何よりその大胆な手口。
そんな奴等がうっかり自分達に関係のあるホテルのメモを残していくとは思えない。
だけど、他に頼れる手がかりがある訳でも無い。あるのは三つ、写真、メモ、そして証言。
そして、捜査とは豪華な椅子に座ってパイプをくゆらせ、証拠品を見ながら頭を使う事では無い。結局そのひとつひとつを着実に調べていくことでしか無いのだ。
そうして、ドクオは最初の手掛かりであるメモの意味を解明すべくホテルの入り口に向かって歩き出した。
ドクオは再び大きな溜め息をつき、呟いた。
「あー、まんどくせ」

「――失礼ですが?」
ドクオの呟きにホテルのフロントの男性が聞き返す。
自分がフロントにいる事を思い出し、ドクオはハッとして答えた。
「あ、ああ、すまない。何でもない」
「そうですか、それで今日はどんな御用で?」
にっこりとそれでいて礼儀正しい笑顔を見せ男が聞いて来る。
「実は今さっき、街の方で銀行強盗があってね、現場にこのホテルの名前が書かれたメモが残されていたんだ」
ドクオが身分証明書を見せながらそう切り出すと、男は聞きながら眉を寄せる。
「そうですか」
「そう、それで、この女性を見た事が無いかと思ってね」
ドクオはそう言い、ポケットから防犯カメラの写真を取り出そうとする。
「……あれ?」
だが、写真は無く、どこのポケットを探しても見つからない。
「――――あっ!」
ドクオは思い出した。
――そうだ、あの時。車を避ける時に落としたんだ。
「ちょっ、ちょっと待っててくれ!」
ドクオはフロントマンにそう言うと駐車場へ戻るべく駆け出した。

そして、ドクオがホテルの玄関を出た瞬間。
ホテルの何処からか、――爆発音が聞こえてきた。

(^ω^)
――15分前。

「ちっ、かすりもしねー」
ギコはスロットマシーンに毒づくと渡辺を探した。
――資金を追加して再投資だ。
その時、丁度ロビーの方から鞄を抱えた渡辺がやって来るのが見えた。
「おーい!」
ギコの声に渡辺が顔を上げ、周囲の何人かもギコの方に振り返った。
そして、その中にギコはとても会いたくない人物を見つけてしまった。
 その男はギコを見つけると大きな笑みを作り、渡辺の後ろを一緒にギコに向かって歩いて来た。
――何でこのタイミングで? 最悪だ!
ギコは逃げ道を探して周囲を見回す。だが逃げ道になるような場所は無く、結局ギコはどうする事も出来ず、その場に留まった。
「どうしたの、ギコ? きょろきょろして」
ギコの元に辿り着いた渡辺がギコに聞く。
そして、その後ろから男が声をかける。
「そうだぞ、ギコ。まるで逃げようとしているみたいじゃあないか」
ギコはその男を見て苦笑いすると答える。
「そ、そんな事はありませんよ。ビコーズさん……」
自分を飛び越して会話をする二人に渡辺は後ろを振り返る。
「誰……?」
渡辺の質問にビコーズは答える。
「ま、ギコのビジネスパートナーってとこかな。な、ギコ?」
ビコーズの言葉に答えず、ギコは俯く。
「なんだよ、冷たいな」
微笑するビコーズにギコが聞く。
「ビコーズさん、どうしてここに?」
「ん? たまたまさ、たまたま。ボスが客とここで会合していたんでね。その客人の見送りで降りてきたんだ」
「そうですか……」
自分の運の悪さを痛感し、ギコは塞ぎこむ。
「そしたら、その客人はコーヒーでも飲んでから帰ると言い出したんでね。ロビーで別れたって訳さ」
ギコはそれを聞き、歯軋りをする。――くそっ、どうせなら2階まで付いていけよ。
「いや、それにしても丁度良かったよ。どうせ後でお前のところに行くつもりだったんだし、ここで会えて手間が省けた。さて――」
ビコーズはそう言うとギコの肩に腕をかけ、聞く。
「金は出来たか?」
ギコはビコーズ、ひいては荒巻にかなりの額の借金があった。
「いや……、それが……」
ギコはそれから沈黙を作った。
真実を言えば、金はあった、だがそれを借金の返済に使うつもりは一切無かった。
しかし、そんな事を言う訳にもいかず、結局ギコに出来る事と言えば沈黙を作り出す事だけだった。
「おやおやおや……」
ビコーズが芝居がかった仕種でギコに言う。
「返済期限はとうに過ぎてしまってるし、困ったなぁー」
そして、少し離れた所にいた仲間に合図を送り、呼び寄せる。
「丁度、上にボスもいるし、ちょっと付き合ってもらおうか」
ビコーズの言葉にギコと渡辺二人の両脇をビコーズの仲間が固めた。
「こ、こいつは関係無いから放してやってくれないか……」
とりあえず金がある事だけでも知られまいと精一杯の手を打とうとしたギコだったが、ビコーズの一言で却下された。
「お前の願いごとを聞くつもりは無い」
そうしてギコと何が起こっているのか良く分らないままの渡辺は荒巻の部屋へと連れて行かれた。

(^ω^)
「さて……、金は無いと。そう言う訳だな?」
「そうです……」
荒巻の質問にギコは答える。
連れて来られた部屋には正面に荒巻が座り、その横にビコーズが立っている。
銃を取り上げられ、対面のソファーに座らされたギコと渡辺は後ろから二人の男達に囲まれていた。
荒巻は渡辺に視線を移し、ギコに向き直ると次の質問をする。
「あの鞄の中身は?」
「な、何でもありません……」
ギコはそう答え、そして渡辺も鞄を渡すまいと強く握り締めた。
「ふーん」
荒巻はもう一度、渡辺、ギコの順番で見つめると言った。
「別に、この場で殺して奪ったって調べたっていいんだが?」
その言葉にギコは全てを諦めた。
「……分かったよ」
きっと荒巻は言葉の通りの事をするだろう。ギコは荒巻を見上げ、答える。
「――金だよ」
ほう、と荒巻が眉をひそめる。
「いくらあるんだ?」
荒巻の質問にギコは答える。
「……分らない。だが相当額ある」
「そうだな。この鞄の中身が全て金なら相当な額になるだろう。どうしたんだ?」
少しの沈黙の後、ギコは答える。
「――銀行強盗」
「はっはっは!」
その答えに荒巻が笑い出し、ビコーズがギコに言う。
「お前にそんな度胸と腕があったなんてな」
ギコが拗ねたような口調で言う。
「さぁ、そこから俺が借りた分を取ればいいさ」
――仕方が無い。命には代えられない。それにこのままではどうせ奪い取られるだけだ。
「いやさ、ギコよ」
そんなギコの言葉に荒巻は信じられない言葉を返した。
「――お前達には、死んでもらう事にしたよ」
「なっ――――!」
ギコの叫びが部屋に響き渡った。

(^ω^)
「何でだよ!? 金は返すんだ、それでいいだろう?」
後ろにいた三人に立ち上がらないよう椅子に押さえられながらも叫ぶギコ。渡辺は一言も発せず必死で鞄を守ろうとする。
そんな二人に荒巻は笑いながら言う。
「馬鹿だなお前、そんな大金を目の前にそれを諦めるような奴がこんな商売をやってると思うか?」
そして、両手を広げ、楽しそうに話す。
「まぁまぁ、今回の事件はこうだ。『銀行強盗は死に、盗まれた金は行方不明』。たまにはそんな事件の結末もいいだろう」
「ちくしょー! てめぇ!」
自分を押さえつけていた男を振り払い、背中に隠し持っていたナイフを抜いて荒巻に飛び掛ろうとしたギコだったがビコーズの左フックをボディに受け、その場にうずくまる。
「う……、ぐ……」
そうして、ギコのナイフをあっさり奪われ、続いて立ち上がろうとした渡辺も後ろの男に殴られて気を失い、鞄を奪われてしまった。
うずくまるギコに顔を寄せ、荒巻が言う。
「お前、この金をどうするつもりだった?」
呼吸が上手く出来ず、ギコは荒巻を睨むことさえままならなかった。
そんなギコに荒巻は詰め寄る。
「どうするつもりだったんだ? え? 逃げるつもりだったんじゃないのか? そうだろ?」
そしてギコの髪を掴み、顔を上げさせると低い声で言う。
「この俺から金を借りて、そのまま逃げようなんて、そんな事が出来るとでも思ったのか? そんな事が許されるとでも? そんな事をする奴がこの世に存在してもいいと? 思ったのか? え!?」
苦しそうな顔で荒巻を見るギコ。荒巻はギコの頭を叩きつけるように放すと後ろの三人に命令した。
「とりあえず、拘束して隣りの部屋のクローゼットにでも突っ込んでおけ。連れて帰ってから始末するんだ」
そして、二人は引きずれらるように隣りの部屋に連れて行かれた。

「――さて」
荒巻はソファーに残された鞄を引き寄せ、目の前のテーブルに置いた。
そして鞄を開けようとするが、ジッパーがタイラップで固定されていて開ける事が出来無い。
「おい」
ビコーズに振り返る荒巻。するとビコーズが声を上げる。
「おい、誰かペンチか何か持ってないか!?」
ビコーズがそう言うとギコと渡辺をクローゼットに閉じ込めた三人が部屋に戻って来た。
「これを」
そう言って、男の一人がビクトリノクスのナイフを差し出す。
それを受け取り、タイラップを切り落とすビコーズ。
荒巻が再度、鞄を手元に引き寄せ、ジッパーに手をかける。
その時、鞄を見つめるビコーズの心に何かが引っかかった。
――何だ、この感覚? 何かヤバい気がする。この鞄、一体?
その時、荒巻が手を止め、ビコーズに聞いた。
「そういえば、もう一人の俺をなめやがった奴はどうした?」
「え?」
突如、思考を遮られ聞き返すビコーズ。
「俺の犬を誘拐したとかいう馬鹿者の話だ。あれはどうなった?」
「ああ、あれは――」
返事をしながらビコーズは考える。――そうだ、この引っかかりはその件と関係のある何かだ。
「――しっかり始末しておけよ」
ろくに返事をしないビコーズに荒巻はそれだけしか言わなかった。
荒巻の感心は既に目の前の大金に注がれていた。
「さぁ、いくらあるんだ――」
荒巻がジッパーに手をかける。
その瞬間、ビコーズの目には鞄にプリントされたあの小さいながらも特徴のあるマークが飛び込んで来た。
そして、ビコーズが心にひっかかった事の正体をはっきりと認識する。
「ボス! 待って下さい、この鞄は――!」
ビコーズが止める中、荒巻は鞄を開けた。
――鞄を開けた次の瞬間、荒巻が見たのは札束では無く、プラスチック爆弾の放つオレンジ色の閃光だった。
そして、それが荒巻が見た最後の光景だった。

(^ω^)
 爆発音と共にホテル全体を振動が駆け抜けた。
「何だお!?」
ブーンの言葉にツンが眉根を寄せて答える。
「爆発音――、みたいね」
「えええっ!?」
驚くブーンにツンは暗い声で言う。
「間に合わなかった……」
「で、でも……」
おろおろしながらブーンはそう言った。だが、その先、何を言えばいいのか、ブーン自身も分からなかった。
――もしかしたら違う爆発かもしれない、もしかしたら鞄だけが爆発して被害者はいないかもしれない、もしかしたら、もしかしたら。
しかし、それは単なる希望でしか無く、そして、そんな可能性はとても低かった。
それでもブーンはツンを元気付けるつもりで笑いながら言った。
「もしかしたら、悪人が何人か減ったかもしれないお」
「……そうね」
ブーンの言葉に微笑みもせずに返事をするツン。
しかし、それからブーンを見つめ、ツンは意を決したように言った。
「とにかく――、現場に行ってみましょう」

(^ω^)
「――兄者、聞こえたか?」
爆発音を聞いた弟者が兄者に聞く。
「ん? 何をだ?」
ちわにゃんを探していた流石兄弟は1階から3階までを捜索し終え、今は4階から上の宿泊フロアにいた。
爆発音に気づいた弟者が外の様子を確認しようにも宿泊フロアは内廊下になっていて外がまったく見えなかった。
「いや、何か爆発したような音がしたんだが……」
「そうか、そりゃ大変だな」
心配する弟者をよそに兄者は生返事を返しながら、消火設備の蓋を開けたり柱の影を覗き込んだりしてひたすらにちわにゃんを探している。
「一度、下に降りてみないか?」
弟者の提案に兄者は返事を返す。
「ああ、そうだな」
だが、行動はまったく伴わず、兄者は部屋清掃用のシューターに頭を突っ込んでちわにゃんの名を呼ぶ。
そんな兄者を見て、弟者は少し声を大きくする。
「兄者! 聞いてるのか!?」
だが、兄者はシューターから頭を出すと今度は廊下の隅に設置された氷ベンダーを見つけそこへ足早に近付きながら返事をする。
「ああ、聞いてるよ」
無論、兄者は弟者の言葉なんか聞いてはいない。
兄者はただひたすらにちわにゃんを探していた。
「……はぁ」
弟者はもう何度目になるか分からない溜め息をついた。
――仕方が無い。犬を探していると思うからやる気にならないんだ、そうだ、札束もしくは金塊を探していると思えば少しはやる気になるか。
弟者はそう考え、それからそのつもりで犬を探す事にした。

(^ω^)
 またんきはホテルから早々に逃げ出そうとしていた。
それは、今起こった爆発のせいでは無かった。それは、自分が盗んだこの鞄の中身のせいだった。
ある程度の大金が入っているだろうな、とまたんきは予想してこの鞄を盗んだ。
だが、3階フロア―のトイレに入り、個室に篭って鞄の中を確認したまたんきはその中身の金額に驚き、そして同時に恐怖した。
――金額が多すぎる。これは絶対にまともな金じゃあ無い。
何か、犯罪に関わるお金に違い無いと直感した。
でなければ、こんな金額がこんな鞄に無造作に入れられている訳が無い。
またんきは心の中では分かっていた。こんな金に手をつけてはいけない、と。
もしかして、今の爆発もこれに関係があるのかもしれない。いや、むしろそう考える方が自然だ。つまりは――、このお金に関わるという事は命をかける事になる。
だが、やばい金だと知りつつも、またんきにはそれを諦める事は出来なかった。
あるいはこの金額ならば全てを賭けて勝負に出てもいい、とまたんきは思った。
そして同時に考える。勝算はある、そして決して分は悪くない、と。
――とにかく、このホテルから逃げてさえしまえば俺の勝ちだ。
確かに、まったく行き当たりばったりの犯行ゆえにまたんきが犯人だという証拠は無いに等しかった。
そして、鞄を持ったままこのホテル内で捕まりさえしなければ、その後はまたんきを追う手掛かりはほぼ皆無に違いない。
 またんきは決意の意味を込めてトイレの水を流す。
「勝負だ――」
そう呟き、二度の深呼吸を終えると、またんきは個室から出て足早にホテルの出口を目指した。

 コーヒーを飲み終わり、自分の車でホテルを後にしたロマネスク。
駐車場で写真に気を取られた男を轢きそうになったが、それでもロマネスクはアクセルを緩めたりはせずに走り続けた。
そうして、ホテルの敷地を出て、一般道に入る直前、ロマネスクの耳に自分のアウディR8の奏でるエンジン音とカーステレオから流れて来るオペラに混じってある音が聞こえてきた。
それは爆発音だった。
しかも、音の発生源は恐らくたった今、後にしたホテルからであろう。
普段のロマネスクであれば、そのまま何事も無かったかの様に去って行っただろう。
しかし、依頼を受けた今ではその音の事を無視する事は出来なかった。
そうして、ロマネスクはある事を確認する為にホテルへ戻る事にした。

(^ω^)
 ホテル内はまだ大きな騒ぎにはなっていなかった。
爆発音に人々はただただ驚くだけで、恐らく多くの人が始めてであろうその経験に自分達がどうしたらいいのかすら分かっていなかった。
だがやがて、どうしていいのか分からないという事が恐怖へと変換され、人々はパニックに陥るだろう。
しかし今はまだ人々は何があったのか知ろうとし、各々で話しをするだけで何の行動も起こせないでいた。

 そんな中、エレベーターに乗ると出口のある1階のボタンを押し、更には《閉じる》のボタンを押してまで急ぐ者一人の男がいた。
またんきだった。
誰が自分を、いや自分の持つこの鞄を追っているか分からない。周りの人間全てが自分を追っているように感じ、またんきはプレッシャーに押しつぶされそうだった。
――だが、勝負はもうすぐつく。このドアが再び開き、そして出口から飛び出しホテルを後にしさえすれば俺の勝ちだ。
またんきは鞄を持つ手に力を込め、エレベーターの階数表示が変わるのをやたら遅く感じながらじっと睨んでいた。

 ロマネスクは車をスピンターンさせると、ドライブモードを切り替え、走っている車の間を縫うようにしてホテルへ向かった。
アウディのエンジンは一段と甲高い音を奏で、ステレオからのオペラはクライマックスに差し掛かっていた。

 チン、という鐘の音と共にまたんきの乗るエレベーターが1階に到着した。
またんきは意味も無く《開く》のボタンを連打し、ドアを早く開けようとする。
そして、まだ開ききらないドアの隙間から体を斜めにしてエレベーターから出るとそこから真ん前にあるホテルの正面玄関を目指し、足早に歩き出した。

 ロマネスクは信じられないくらい短時間でホテルへ戻って来た。
ホテルの敷地に入ってからもアクセルを踏み続け、停車している車や歩行者をぎりぎりで通り抜けながら全速で正面玄関を目指した。

 ――勝った!
またんきは勝利を確信した。目の前の扉、これを越え、道に出さえすればもう誰も俺を追う事は出来無い。
後3メートル、2メートル、1メートル――。
知らず知らずのうちに歩く速度を増し、今やまたんきは走り出していた。
後、三歩、二歩、一歩。
そしてまたんきはホテルの出口を越えて道に飛び出し、――横から来た車に撥ね飛ばされた。

 ロマネスクはホテルの正面玄関の真ん前まで行って車を停め、最短距離でホテルに入るつもりだった。
ハンドルを切り、正面玄関へ続くロータリーに車を滑り込ませる。
そうして、正面玄関前に到着した次の瞬間――、何かが突然視界に現れ、激しい衝撃と音と共に一瞬、フロントガラスを覆い、消えて行った。

(^ω^)
 ロマネスクは車を停め、エンジンを切る。
そして、車から降りようとドアを開けるが、ドアは何かに突っかかって開かない。
見れば、男が車のすぐ横に転がっていて、それがドアにぶつかり邪魔をしていた。
――なるほど、人を撥ねたのか。
ロマネスクは状況を理解し、僅かに開いた隙間から足で男を転がすとやっと開くようになったドアから降り、男を跨いで車の前方へ回りこんだ。
周囲では数人の人々が遠巻きに事態を見ていたが、ロマネスクは気にもかけなかった。
 車を調べたロマネスクは眉をしかめる。案の定、車は左前方が大きくへこみ、ボンネット上には傷があり、ライトと左のドアミラーが壊れている。そして、顔を上げて見ればフロントガラスにもヒビが入っていた。
ロマネスクは地面に転がる男を見つめる。
男はうめき声をあげているものの、どこからも出血はしていなかった。もしかしたら、ぶつかった時には停車させるつもりで既にブレーキを踏んでいたので実際は大した速度では無かったのかもしれない。
――さて、どうしようか。
そう思い、立ち上がるとロマネスクはふと、ボンネットに一つの鞄が乗っているのに気が付いた。
鞄は恐らく、男の持ち物だろう。鞄はまるで丁寧に置いたかの様にボンネットのど真ん中に位置していた。
――偶然とはあるものだな。
ロマネスクはそう思いながら鞄を自分の方に引き寄せるとジッパーを開け、中を見た。
その中身――ぎっしり詰まった札束、にロマネスクは一瞬驚いたが、すぐにジッパーを閉めると鞄を手に取り、まだ倒れたままの男に言った。
「車の修理代だ、これは貰っておくぞ」
そうして、ロマネスクは車のセキュリティをかけ、そのままホテルの中へと入って行った。

(^ω^)
 ホテルのフロントでは軽い混乱が生まれつつあった。
ホテルの玄関を出た所で爆発音を聞き、そのまま戻って来たドクオはフロントの脇にそっと立っていた。
フロントでは何が起こったのかを知りたがる客達がフロントにいる数人の従業員を問い詰めていた。
だが、ホテル側でも事態の把握が出来ておらず、質問への返答は殆ど出来ないでいた。
まぁ、それも当然だった。たった今起こったばかりの爆発。爆発の場所や被害状況、それに何の爆発なのか、ガス爆発なのかそれともそれ以外の爆発なのか、そしてそもそも事件なのか事故なのか。圧倒的に情報が不足していた。
状況としては現在、警備員に全てのフロア―を見回らせて確認している最中らしい。そして、とりあえず報知器の情報によれば、煙感知機は作動しているが、熱感知機は作動していない。つまり、多少の煙は出ているものの火災は発生していないらしい。
そんな中、ホテルの説明を聞くとドクオはそっとフロントに近付き、一つだけ質問をした。
「一つ、確認なんだが――」
その時、正面玄関から何か派手な音が聞こえ、みんながその音にビクッとしたがそれが車が何かにぶつかった音だと気付くとすぐにフロントはまたざわつき始めた。
――誰かが爆発音に慌てて車をどっかにぶつけたのか?
ドクオもそんな事を思い、さらにそれが自分には関係ない事故だと結論付け、質問の続きを聞いた。
「警察と消防への連絡は?」
「それはもう手配済みです」
フロントマンがドクオを見て答えを返す。
それを聞いてドクオは思った。
――それじゃあ、もう俺の出る幕は無いな。まぁ、元々俺は銀行強盗の捜査に来たんだしな。それに、なんつっても――、まんどくせ。
ドクオはそう思い、肩をすくめる。
「……そうだ、銀行強盗」
そして、ドクオは写真を取りに行く途中だった事を思い出し、再び玄関を出た。
「……はぁ」
ふいに、ドクオは溜め息を付く。
「ザ・ボマー……」
爆発をきっかけにドクオは今朝まで担当していた事件の事を思い出していた。

(^ω^)
 ホテルに入ったロマネスクは一直線にフロントへ向かった。
そうして、混乱するカウンターへ身を乗り出し、その混乱に乗じて、従業員の隙をついて宿泊名簿を覗き見る。
さっきの爆発が関係あるのかは分からない、だが調べてみる必要はあるだろう。
――偶然というのはあるものだ。
素早くページをめくり、リストの名前をチェックしてゆくロマネスク。
そうして、ロマネスクは名簿の中にターゲットの名前を見つけた。
――まさか、このホテルに泊まっているとは!
驚き、そして偶然という名の幸運に感謝するロマネスク。
実際にはその爆発はロマネスクのターゲットとは何の関係も無かった。だが、結果的にはロマネスクはターゲットを見つける事が出来たのだ。
ロマネスク自身、そこまでは気付いていなかったが、それは確かに偶然という名の幸運だった。
 その時、ロマネスクは足元に置いた鞄に違和感を感じた。
バックナックルと共に振り返るが拳は宙を切る。
見れば、さっき撥ねた男――またんきが足を引き摺りながら鞄を抱えてエレベーター目指して走っていた。
ロマネスクはゆっくりとまたんきの方へ歩き始めた。
エレベーターはちょうどドアが閉まるところできっと今から追ってもロマネスクは間に合わない。
歩きながら、ロマネスクは閉まる扉の間からまんたんきを睨み続けた。
そして扉が完全に閉まりエレベーターが動き出すとロマネスクはエレベーターが何階で止まるか確認するためにじっと階数表示板を見つめた。
やがて、エレベーターが止まるとロマネスクは隣りのエレベーターに乗りドアを閉める。
――ターゲットが2人になってしまったな。
ロマネスクは思った。
別に鞄のお金にこだわりがあった訳では無かった。ただ、自分の車を壊しておいて何の謝罪も無いのが許せなかっただけだった。
――ただ、貰うのはお金だけだ。命まで奪いはしない。それにもし、誠意を込めた謝罪さえあれば、全てを許したって構わない。
 エレベーターのドアが閉まり、ロマネスクは考える。
仕事と私用、どちらからやるべきか。
仕事のターゲットの居場所は分かっている。こうしてエレベーターに乗ってしまった事だし、まずは私用を片付けてからにしようか。それとも、仕事を終えてから自分の用事をこなすべきか。
ロマネスクは考えながらホルスターから銃を出し、サイレンサーを装備するとエレベーターの小さな窓を覗き込む。
エレベーターは廊下の一番端にあり、各フロア―を通過する際にはそのフロア―の廊下が一望出来た。
サイレンサーを装備した銃を右手に持ち、体の正面で手を組むようにして左手で銃を隠す姿勢をとると、ロマネスクは再び、どちらを優先させるかを考え始めた。

(^ω^)
 爆発現場を見つけたブーンは唖然とした。
部屋の前にはホテルの警備員が立ち、数人の野次馬が現場を眺めている。
そして、野次馬達の隙間から見えるドアは開け放たれ、部屋の中からは煙がうっすらと立ち昇り、焦げた匂いが立ち込め、そこから見える内部はめちゃめちゃになっていた。
爆発現場の1901号室――。
それはつい数十分前、ブーンがビコーズに呼び出された、つまりは荒巻やビコーズがいる部屋だった。
ブーンはツンに言った。
「ぼくの、ボスがいた部屋だお……」
「えっ?」
「――ツンと分かれた後に、電話で来いって言われた部屋がここだったお」
ツンも驚き、そっと部屋の中を覗く。
「そう。――でも」
それからブーンに向き直り言った。
「爆発の原因があの鞄だったのか確認してみないと」
「そうか、そうだお」
ツンの言葉にブーンは頷いた。爆発はあった、しかしそれがあの鞄のせいなのか今ここからでは分からなかった。
「……中に、入って調べるしか無いお」
ブーンが言い、ツンがそうね、と答える。
「ツン、一緒に行くかお?」
ブーンの質問にツンは身震いしながら答える。
「い、いやよ! だ、だって……」
そこから先、ツンは言わなかったがブーンには分かった。
そう、爆発の原因が鞄だったとすれば、それが爆発する原因である《鞄を開ける》という行為をした人間がいるのだ。そしてその人間は――。
「分かったお」
体を引き、全身で拒否の姿勢を見せるツンにブーンは言う。
「じゃあ、ぼくが見て来るからツンは警備員の注意を逸らして欲しいお」
「……分かった」
ツンがブーンを見上げ頷く。
そして、ちょっと待っててと言い残すと一度いなくなり、しばらくして戻ってくるとツンは部屋の前の警備員を呼び出した。
「警備員さん! こっちに来て下さい! こっちに怪しい箱があるんです!」
そうしてツンは警備員を連れ出し、同時にそれに注意を惹かれた野次馬達の隙をついてブーンは部屋へと入って行った。

(^ω^)
 ギコは何が起こったのか分からなかった。
もしかして自分は死んだんじゃないかと思っていた。
荒巻の部下に隣りの部屋へ引き摺られて、手足をガムテープで縛られ口をふさがれると、気を失った渡辺共々、クローゼットに閉じ込められた。
クローゼットには鍵がかけられ、当然扉を叩いても開けてはもらえなかった。
そうして数秒後、鼓膜が破れるんじゃないかという大きな音が起き、目の前の扉が大きく揺さぶられた。
――ああ、俺は今死んだんだな。
ギコはそう思った。
暗闇の中、耳は良く聞こえず、何かを言う事も出来ず、手足を動かす事もままならない。
これがあの世なのだろうか? あの世ってのは何も無い、何も聞こえない、何も出来無い世界なのか。
しばらくはそんな事を思い、じっとしていたが、やがてギコはその世界がとてつも無く恐くなり、無我夢中で体を動かした。
――助けて、助けてくれ。俺はこんな世界は嫌だ! 俺は死にたくなんかない!
 その時、ギコの元に天使が現れた。
暗闇に一筋の光が差し、それが広がる。そうして、ギコの視界は完全に光に包まれた。
その中に天使がいた。
天使はギコを見つめて何かを問い掛ける。だが、ギコには天使が何と言っているのか聞こえなかった。
そして、そんな天使を見てギコは思った。
――ずいぶんとかわいくない天使だな。
天使が再びギコに何かを問い掛ける。
耳鳴りが少しましになり、ギコの耳に天使の問いかけが届いた。
「――大丈夫ですかお!?」

(^ω^)
「――ブーン、この人達は?」
爆発現場の部屋に入ったブーンは女を背負った男を連れて出て来た。
野次馬達が遠巻きに四人を囲む中、ブーンが答える。
「続き部屋のクローゼットからドンドンって音がしたから開けてみたら、この二人が閉じ込められたんだお」
ツンがブーンに近寄り、小さい声で聞く。
「あんたの組織の人間?」
「違うお。きっとボスに何かして捕まってたんだお」
そう、と頷くとツンは更に小さい声でブーンに聞いた。
「で? どうだったの?」
それを聞いて、ブーンはうなだれて答える。
「やっぱり、あの鞄が原因だったお。焦げた鞄の破片があちこちに散らばっていたお」
ツンはごくりと唾を飲むとブーンにもう一つの質問をぶつけた。
「それで――、被害者は?」
ブーンは首を振って答える。
「ボスと、リーダーと、ボスのボディーガードの人達……。みんな爆弾で死んじゃったお」
ブーンの答えにツンは安堵の声を上げる。
「じゃあ一般人に被害は無かったって事ね?」
そして手を体の前で組み、大きな溜め息を付いた。
「はぁ、よかった〜」
「……ツン、被害者が悪人だと本当に気にしなんだ」
そう聞くブーンにツンはきっぱりと答える。
「そうよ。別にわたしが作った爆弾で死なせちゃったって訳でも無いし。気に病む理由が無いわよ」
それから、ツンは「それに」と付けたし、怒ったような口調で言う。
「――考えてみれば自業自得じゃない!」
「ま、まぁそうだけど……」
腕を組んでブーンを見つめるツン。
「それよりも――」
だが、ふとツンはブーンが連れ出した二人をちらりと見て言った。
「事情はわからないけど、そっちの二人が無事で良かったわよ」
そうして、ツンはほっと胸をなでおろす。
 その二人、ギコとギコに背負われた渡辺。渡辺はまだ気絶したままで、ギコはまだ少しボーっとしているようだった。
「ところでツン?」
ブーンがツンに聞く。
「警備員はどこ行っちゃったんだお?」
きょろきょろと周囲を見回しブーンは首を傾げる。
「ああ、警備員なら」
ツンはブーンに再び近づき、いたずらっぽい笑顔でこっそりとブーンに教えた。
「あっちで、わたしが作った偽の爆弾見張ってる」

(^ω^)
 エレベーターがその階を通り過ぎる時、ロマネスクは思わぬものを見た。
爆発の起こった現場なのだろう、うっすらと煙を上げる部屋。それはさっきまで自分がいた部屋だった。それにも驚いたが、ロマネスクはそれ以上に興奮するものを見た。
その部屋の前にいた数人の人間の中に、依頼主から渡された写真に写っていた人物、つまりはターゲットがいたのだった。
視認と同時に体が反応し、ロマネスクは銃を構えたが上昇を続けるエレベーターはすぐにターゲットを隠れさせてしまった。
度重なる偶然にロマネスクは驚き、そして、仕事と私用、どちらを先に片付けるかが決まった。
ロマネスクは銃を下ろすとポケットから携帯電話を取り出し、依頼主に電話をかけた。
数回のコールで依頼主が出る。
「ターゲットを発見した」
『随分と早いな』
ロマネスクの言葉にターゲットも驚く。
『しかし僥倖だ。実はたった今、君に連絡しようと思っていたところだ』
「どうしたんだ?」
『状況が変わってな、とにかく早く犯人を始末してくれ』
「状況?」
聞き返すロマネスクに依頼人は自分を取り巻く状況を教えた。
依頼主の店が襲われた責任を問う会議が本国の上層部で2日後に行われる事、そしてその決議次第では依頼人は更迭されてしまう事。
この場合、マフィアの更迭というのが何を意味するのか、ロマネスクにもそれは分かっていた。
『――それを防ぐには最低でも犯人の《死》が必要なのだ。盗まれた物の行方などどうでもいい、とにかく早く犯人に死んでもらわねば私の首が危ういのだ』
もう猶予は無いんだ、と依頼主は声だけでもわかる程に焦っていた。
「分かった。最善を尽くそう」
ロマネスクはそう言うと、依頼人の気持ちを楽にしてやろうと、一つの事を伝えた。
「ところで、一つ良いニュースがある」
『何だ?』
「荒巻への借りなら気にしなくてよくなった」
『何故だ?』
依頼人の質問にロマネスクは状況を伝えた。
「彼は何かの爆発に巻き込まれたみたいだ」
『そうか――』
依頼人はそれだけ言うと、続いてロマネスクに言う。
『では、次の良いニュースを期待しているよ』
「分かった。すぐに伝えるよ」
そうしてロマネスクは電話を切った。
――果たして今の言葉は依頼人の気持ちを楽にする事が出来たのだろうか? ロマネスクは自問したが、すぐに心を切り替えた。
「さて――」
仕事と私用、優先させるべき対象は決まった。
――まずは写真の女を始末しなければ。そして、それが済めば、依頼人も心底気持ちを楽にしてくれる。

(^ω^)
 写真を拾い、三度ホテルに戻ってきたドクオの元にフロントマンと警備主任がやってきた。
「すいません、捜査官。お願いがあるのですが」
「――え?」
顔を上げるドクオに警備主任が他の客に聞かれないよう小声で言った。
「ちょっと現場を見てもらえますか?」
突然の頼みに驚きつつもドクオは一歩引いて答える。
「いや、俺は……」
さすがに面倒だから嫌だ、とは言えず、そこで言葉を濁していると警備主任が再び頼んで来る。
「実は、爆発のあったフロア―でもう一つ不審物が発見されまして。うちの警備員では爆発物の知識は無いものですから……」
そう言って警備主任はドクオを見つめる。
じっと見つめられ、どうしようも無くなったドクオは肩をすくめると答えた。
「……分かったよ」
「ほんとですか? ありがとうございます。じゃあ、彼に現場を案内させます」
そう言って警備主任は別の警備員にドクオの案内を任せた。
 警備員と一緒に現場へ向かうエレベーターの中で、ドクオは考えた。
――しょうがない、確かに爆発物の知識なら多少はある。しかも、それというのも――
それというのも《ザ・ボマー》の担当だったおかげだ。

 前の担当事件とその犯人、通称《ザ・ボマー》。
ザ・ボマーはその呼び名の通り、爆弾を使う泥棒だった。手口としては単純。建物を爆破し、品物を盗んで行くだけだ。
しかし、ザ・ボマーの特徴はそのターゲットにあった。
ザ・ボマーのターゲットは全て、所謂マフィアが経営している店だった。
そして、ザ・ボマーによって店から盗まれた品物は殆どが元々盗難品だった。
 それが、事件の解決を一層困難にしている要因だった。
盗まれた店としてはそんな被害を正直に報告出来るはずは無い。捜査する方にしてみればこんなやっかいな事は無い。事件があったのはあきらかでも被害届が出て来ないのだ。
そんな訳で捜査は一つ一つの事件の概要を調べるだけでも非常に手間がかかる仕事になっていた。
そして、ボマーは非常に精密な爆破を行う事が出来た。
通常では不可能と思える爆破をこなし、更に事件では爆破による被害者が一人も出ていなかった。
 マフィア系のお店ばかりを狙い、その上、爆発による被害者を出さないザ・ボマー。
その噂は広がっており、そしてその扱いはまるでヒーローのようだった。
当然のように店は警備を強化するが、それをあざ笑うかのように、ボマーはここ三ヶ月に連続して事件を起こしていた。

 エレベーターが到着し、警備員と共にドクオはエレベーターを降りた。
そして、爆発による特徴的な匂いを鼻に感じ、ドクオは溜め息とともに毒づく。
「しかし、ここでも爆弾か……。まったく、爆弾ってのはどこかでバーゲンでもしてるのか?」

(^ω^)
 爆発現場の前にいたツンは野次馬達が作った人の壁の奥にあるエレベーターから二人の男が出て来るのに気が付いた。
一人は警備員の服を着ているがさっきのとは別の警備員、もう一人の男はスーツを着ていた。
男が警備員に「とりあえず、現場の部屋を封鎖してくれ」と告げているのが聞こえる。
「――ブーン」
ツンはブーンに近寄ると小声で告げる。
「とりあえず、この場は逃げましょう」
「どうしてだお?」
ブーンの質問にツンは手短に答える。
「あのスーツの人、警察とかそう言う捜査機関の人間だと思う」
しかしツンの答えにブーンはきょとんとし、もう一度質問を返す。
「それだとどうして逃げないといけないんだお?」
「――何言ってんのよ、あんた馬鹿ぁ!?」
ツンは思わず大声を上げたが、慌てて小声でブーンに言う。
「ホテルにこの爆弾を持ち込んだのは他ならぬあんたなのよ?」
ツンの言葉にやっと事態を察したブーンは慌てふためき、ツンに言った。
「に、逃げるお」
そして、二人は野次馬の間を抜けるとエレベーターホールとは反対側の非常階段へと足早に向かった。
その後ろを、のろのろと渡辺を背負ったギコがついて来ていた。

(^ω^)
 ロマネスクから鞄を奪い返し、エレベーターで逃げたまたんきは非常階段を降りていた。
逃げるのに一番手近だったエレベーターを使ったが、最終的にはこのホテルを出るために結局また下に降りて行かないといけない。
だが、逃げ場の無いエレベーターで降りるのは危険だ。そう判断し、またんきは非常階段でホテルの出口を目指していた。
かつんかつんと足音が響く中、またんきは慎重に隠れながら歩を進めていた。
 その時、今しがた通り過ぎた階の非常階段の扉が開く音がした。
またんきはその音に体を硬直させる。
――追っ手か?
そして、またんきの耳に男女の会話が聞こえてきた。
「あんた馬鹿なの? どうして自分が爆弾持ち込んだ事、忘れるのよ!」
「き、気が動転して……」
男を怒鳴りつける女の声とおどおどと返事を返す男の声。
そうして、その会話をしている人物達の足音は自分の方へ降りては来ずに上の階へと登って行ってしまった。
どうやらまたんきを追って来た人間では無かったらしい、またんきはホッとした。
そして、今の会話を思い出す。
「……爆弾?」
そういえばさっき爆発音がしたな、とまたんきは思い出し、何が起きているかと今の二人が入って来たフロアまで戻る。
そうして、またんきは非常階段の扉に手をかけた。
重い扉を開き、そっと身を乗り出す。
すると、開けた扉のすぐ前には女を背負った一人の男がいた。

(^ω^)
 ――荒巻に捕らえられ、死んだと思ったらぶさいくな天使が現れ、助けられた。
ギコは不思議な体験にぼーっとしていた。
天使が助ける。と言ってもその方法は現実的で、クローゼットから出してくれた後に手足と口に留められたガムテープを剥がし、気を失っている渡辺を自分に背負わせると、歩いて部屋から連れ出すといった方法だった。
しかし、廊下に出るために荒巻のいた部屋を通り抜けた時に見た光景、それは実に非現実的な光景だった。
まるで爆弾が爆発したかのように荒れた部屋。そして、黒焦げの死体が二体と衝撃波でやられたらしい死体が三体。
黒焦げの死体は背格好や焼けなかった服から荒巻とビコーズに違いなかった。そしてその他の死体はさっきギコと渡辺を縛り上げ、クローゼットに閉じ込めた奴等だった。
部屋を抜ける途中、ふと、床にさっき取り上げられたナイフが落ちているのを見つけ、ギコはそれを拾った。シースに少し煤が付いていたが、それ以外は特に問題は無く、ギコはそれを再び背中に隠した。
 そうして、部屋から連れ出されたギコと渡辺。だが、渡辺はまだ気を失ったままで、ギコは未だ耳鳴りが酷く、何だか意識もはっきりしなかった。
自分達を連れ出した天使はまた別の、今度は天使にふさわしい容姿を備えた天使と小声で何かを話し合い、美しい天使は自分達の方を見て、何故かほっと胸をなでおろしていた。
 そらから、天使達はすぐに非常階段から姿を消してしまった。
渡辺を背負ったギコも天使達を追ったが、足取りがおぼつかず非常階段の扉は閉められてしまった。
しかし、その扉が再び開いた。
そして、天使達と入れ替えに非常階段から現れたのは、ギコの鞄を持った一人の男だった。
ギコは鞄を見て、はっきりと意識を取り戻すと渡辺を起こして男に近付いて行った。

(^ω^)
 それから数分遅れてロマネスクは爆発現場のフロアに到着した。
フロアにはもはやターゲットの姿は無かった。
――くそっ。
ロマネスクはめずらしく感情を昂ぶらせる。
到着が遅れた理由があったからだ。
 このフロア―にターゲットを発見したロマネスクはすぐに一番近くの階のボタンを押し、エレベーターから降りた。
そして今度は《下》のボタンを押し、乗り換えのエレベーターを呼ぶ。
間もなく、下りのエレベーターが到着し、ロマネスクは素早く乗り込むとターゲットのいたフロア―の階数ボタンを押し、扉を閉めた。
問題はここからだった。
目標のフロア―へ向かって降下を始めた直後、エレベーターは突如として停止してしまったのだ。
 即座に非常用電話を取ったロマネスクだったが、さっきの爆発の影響かなかなか管理室に繋がらず、やっと繋がったと思っても原因を調査中で少し待って欲しいと言う。
最初は心を落ち着かせて待っていたロマネスクだが、遅々として進展しない状況にやがて苛々し始めた。
そして、ロマネスクが再び非常用電話を取ろうとした時、それが鳴り響いた。
管理室が言うには、原因は何処かのフロアーで無理やり扉が開けられたせいで、原因が分かったので間もなく復旧すると言う。
その言葉通り、その会話から数秒後にはエレベーターは再び稼動した。
一度リセットされ、消えてしまった階数ボタンを再びロマネスクは押し、遅れながらもターゲットのいるフロア―を目指した。
 そうして、到着したフロア―にはターゲットの姿は無く、いるのは警備員らしき三人だけだった。
ロマネスクは軽く深呼吸して心を落ち着ける。
――作戦を変えなければな。まずはターゲットはまだホテル内にいるかを確認する必要があるな。
そうして、ロマネスクは再びエレベーターへ戻り1階のボタンを押した。

(^ω^)
 ギコと渡辺は渡辺の泊まっている部屋に来ていた。
そして、そこにもう一人、ギコがナイフで脅し連れてきた男がいた。
鞄を持った男、またんきだった。
荒巻に奪われたはずの鞄を持つ男――。
あの後にどんな過程を経てこいつが鞄を持つに至ったのかは分からない。もしかしたら、荒巻を吹き飛ばしたのはこいつなのかもしれない。
そんな想像もしたが、ギコはそんな質問は一切またんきにはしなかった。
とにかく、鞄を取り返し、この怒りを目の前の男、またんきにぶつけるつもりだった。
 怒り――、それは荒巻から受けた理不尽な扱いに対する怒りだった。
そしてその怒りをぶつける相手として、おあつらえ向きの人間がギコの前に現れた。
どんな理由、どんなやりとりがあったのかは分からないし、知ろうとも思わないが、とにかくギコにしてみればまたんきは自分の鞄を奪った犯人だった。
ギコはまたんきをベッドに座らせ、ギコは鞄の中身を確認する。それは確かに自分達が銀行から強奪してきたお金だった。
「――あ、もしもし?」
一方、部屋に戻った渡辺は電話をしていた。
「ハイン、どこにいるの? ……あたし? うん、今戻って来たよ。……え? 私を探してくれてたの?」
どうやら相手は一緒に泊まっている高岡らしい。部屋にいなかったのは渡辺を探しに行っているからだったようだ。
「えー? ――うん、ちょっと死にそうになった」
さらりとそんな事を言う渡辺。
「……うん、でももう大丈夫。だからハインも早く帰って来て。……うん、じゃあ、待ってるね」
渡辺が電話を切った。
「――それで?」
そうして、一瞬、またんきを見つめるとギコの方に振り返り、聞いた。
「どうするの?」
「そうだなぁ――」
ギコは自分のナイフを見つめると、にやりと笑い、またんきを睨む。
「知ってるか? 日本じゃあ、責任を取るのに、ある伝統的な方法があるらしいぜ」

(^ω^)
 ロビーのソファーに座りながら弟者は思っていた。
――そうだよ、最初にフロントで犬を拾って連れて来た客がいないか聞けば良かったんじゃないか。
拾った客もそれが誘拐された犬だとは思わないだろうし、素直に聞いてみても問題無かったはずだ。
そう考え、それからフロントを見て思う。
――でも、もう今はそんな事を聞ける状態じゃないな……。
フロントは既にパニックになっていた。
当初、爆発にただ驚くだけだった人々は、やがてその意味を理解し、次にはその危険が自分の身に降り注ぐのでは無いかと恐れた。
不安は人間達の間を伝染し、拡大を続け、そうして、人々は自分の身の安全を確認する為にフロントに群がっていた。
実際にはあの爆発以降、火災やホテルが崩壊するといった類の危機は全く無かった。
 そして、その説明を繰り返す従業員達だったが、一度不安になった人々はそれを聞いても植え付けられた不安を拭えず、ヒステリックに何度も同じ事を聞いた。
この分では、パニックを収める為にもホテルから退去の指示が出るのは時間の問題だろう。
弟者はそんな事を思いながらパニックになったフロントを眺めていた。
「――今さっきエレベーターが止まったのも爆発のせいなのか!?」
興奮した客の一人がフロントに詰め寄る。
それを聞いて弟者は心の中で謝る。
――ああ、すまない。それは兄者のせいだ。
 ちわにゃんはどこのフロア―を探しても見つからず、兄者はついにエレベーターシャフトを調べると言い出した。
そうして、弟者が止めるのも聞かず、目の前のエレベーターに歩み寄ると、どこからか見つけてきた金属プレートでロックを外し、扉を開けてしまった。
その瞬間、エレベーターは非常停止し、階数表示板では異常を示すようにランプが点滅した。
だが、兄者はそんな事は気にも止めず、エレベーターシャフト内に向かってちわにゃんの名を呼ぶ。
当然、そんな所にチワワがいるはずも無く、やがて二人は捜索を諦め、非常階段を降りてロビーまでやって来た。
兄者は捜索に疲れ果て、さっきと同じ様にのけぞるようにソファーに身を沈めていた。
そして、その隣りでは捜索と混乱と自らの兄に辟易した弟者がカウンターを眺めながら休んでいた。

(^ω^)
 またんきはギコが言っている事の意味を理解していた。
聞いた事がある。日本のマフィア《ヤクザ》は責任を取るのに指を切り落とすのだ。
またんきは恐ろしくてしょうがなかった。
しかし、それは目の前で女に振り返って「俺、ちょっと残酷かな?」等と言って笑う男が、では無かった。
またんきが恐怖を感じていたのは男の横に立つ女に対してだった。
こちらを見つめる、何も考えていないようなその目。だが、その目の置くには深い深い闇が広がっていた。
日々、ターゲットを求め、何千、何万という人間を観察して来たまたんきは直感的に悟っていた。
――この女はヤバい。
指を切られるという状況さえも、この女に比べれば恐怖とは感じられなかった。
いや、むしろ指一本でこの女から逃れられるのであれば、それぐらい安い物だとさえ思っていた。
そうして、またんきは自分の手を掴むギコの手を振り払いもしなかった。

(^ω^)
「捜査官、警察が到着したようです」
爆弾だと言われた箱を前に考え込むドクオに一緒に来た警備員が無線で伝えられた情報をドクオに教える。
「そうか。やっと到着か、遅かったな」
ドクオはそう言い、そしてふと思い出す。
――遅いといえば、前の事件のビデオ解析も結局間に合わなかったなぁ。

 ドクオはザ・ボマー事件の時に分析班にひとつの依頼を出していた。
それは、被害にあった全ての店の防犯カメラの映像1年前から全てチェックし、そこに全部の店のカメラに写っている人物がいないかチェックをする事だった。
当然、途方もない時間がかかる作業だった。それでも、ドクオの頼みに分析班は頑張ってくれ、今週、早ければ今日にも結果が出るはずだった。
しかし今朝、ドクオは事件を追われ、もうその結果を知ることすら出来無くなってしまった。
「……あーぁ」
ドクオは溜め息をつく。
「どうしました、捜査官?」
ドクオの溜め息に警備員が驚く。
「あ、いや、なんでもね……」
肩をすくめ、警備員に振り返るとドクオは聞いた。
「それで? 警察が到着したって?」
「はい、パトカー1台と救急車が到着したと聞きました」
「は?」
ドクオは驚き、聞き返す。
「パトカー1台だけ? 消防は?」
「そっちは、火災も起きてないんで断ったみたいです」
平然とそう言い返す警備員。
ドクオはあっけに取られ、警備員をじっと見つめる。
――今のご時世、爆弾騒ぎなんてもっと大事になるんじゃないのか?
見つめ返すドクオに警備員がおずおずと切り出す。
「捜査官、実は――」
「何だ?」
「ホテルとしてはこの事件はこれ以上、広がらないと分かっているんです」
突然の話に戸惑うドクオ。
「何でそんな事が分かるんだ?」
「爆弾で死んだのは実はこの辺りを牛耳っている組織のボスとその部下で……」
「なるほどな」
そこまで聞き、ドクオは全てを理解した。
この事件、爆弾テロやなんかでは無く、組織同士の抗争と言う訳か。
ならば確かに第一ラウンドはここで終わりだ。そして、第二ラウンドは街中か何処かの郊外か、いずれにせよ今回やられた組織が敵の情報を集め、その準備が出来てから、と言う訳だ。
「――だけどなぁ」
ドクオは目の前の箱を見つめ、呟く。
「これがなぁ……」
不審物として通報された箱。
「不審物でも何でも無い、ただの箱かも知れませんよ?」
「うう〜ん」
ドクオは考え、警備員に言う。
「とりあえず、到着した警官をここに呼んでくれ」
警備員は分かりました、と返事をすると無線機で下と連絡を取り始めた。
「ふむ……」
ドクオは腕を組んで考える。
――何か、嫌な予感がする。本当にこれは犯罪組織同士の抗争なのか?
ドクオは、今こうしている間にもこの裏では着実に何かが起こっているような気がしていた

(^ω^)
――手をタオルでぐるぐる巻きにしたまたんきが部屋から飛び出して行く。
その時、玄関から飛び出したまたんきは一人の女にぶつかった。
「おっとぉ……」
女がまたんきを見る。またんきの手に巻かれたタオルには血が滲んでいた。
だが、女は何も言わずにまたんきと入れ替わりに部屋に入って行った。

 部屋の中ではギコが自分の腕と鞄の取っ手とを手錠で繋いでいた。
「運び屋みたいでかっこいいだろう」
そう言ってその様を渡辺に見せびらかす。
「それにこれでもう誰かに取られる心配も無い」
そう言うとギコは渡辺に手錠の鍵を渡し、言った。
「いいか、もし誰かに捕まっても俺は、鍵は別な所にあるって言うから、お前は絶対に鍵を持ってる事を言うんじゃないぞ!」
それを聞いて渡辺は鍵を無言でハンドバッグにしまう。
「――渡辺」
その時、玄関の方から渡辺を呼ぶ声がした。
声の方に振り返り、ギコは問い掛ける。
「お前、誰だ?」
その手前で渡辺は振り返り、その姿を確認すると満面の笑みをたたえ、その名を呼び返した。
「ハイン!」
「まったくお前はー、心配したぞ。トイレの電話以来、連絡つかなって、探しに出ても何処にもいない。そしておまけに爆発事件だ」
高岡は渡辺を抱きしめ、頭を撫でる。
高岡に抱きしめられた渡辺はその胸に顔をうずめ、無言で強く抱き返す。
「それに、何だって? 死にそうな目にあったって?」
両手で渡辺の顔を包み込み、自分を見上げさせると高岡は続けて聞く。
そうして、やさしく微笑むと渡辺に言った。
「良かったよ、お前が死ななくて」
それから高岡はギコの方を向き、問う。
「おい、お前。もし渡辺が死んだらどうしてくれるんだ? そんな事になったら二度と取り返しがつかないぞ。なにしろ――」
高岡は再び渡辺を見つめ、言う。
「渡辺を殺すのはこの私なんだからな?」
そんな言葉を聞き、うっとりと高岡を見つめる渡辺。
ギコはその光景にぞっとした。
――こいつはヤバい。こいつらはヤバい。ヤバいヤバいヤバいヤバい。
ハインリッヒ高岡からはただならぬ気配がし、そしてずっと一緒にいた渡辺までもが今までと違う気配を漂わせていた。
背筋に冷たいものを感じ、それでも、いやそれゆえにじっと二人を見つめていたギコに高岡が向き直り、そして聞いてきた。
「――まぁ、いいだろう。で? 金はどこだ?」

(^ω^)
 ホテル・ルナール最上階のスイートルーム。ツンとブーンはツンが取ったこの部屋に来ていた。
ソファーに座るブーンの向かいにツンが座り、その横にはチワワが丸くなって寝ていた。
「――でも、何でボスがあの鞄を持っていたんだお?」
ブーンは呟きながら考えていた。
「しかも、ビコーズさんがいたのに開けたっていう事は爆弾を入れた鞄とは別のものだと思っていたって事だお。そうか、あのお金が詰まった鞄と間違えて。でも、どうして……?」
そうして、さっきからブーンは自分では到底答えを導き出す事の出来無い問題を考えていた。
「――ねぇ、もういいじゃない」
そんなブーンにツンが呆れた声で言う。
だが、ブーンは少し暗い声で返事をする。
「でも、爆弾を持って来たのはぼくなんだお……」
それを聞いてツンが答える。
「そんなの、あんたが気に病む必要無いわよ。さっきも言ったでしょ。自業自得だって。それに元はと言えばあんたが殺されるはずだったのよ? 因果応報でしょうよ」
しかし、それを聞いてもブーンは小さく「分かったお」と呟くだけだった。
そんなブーンを見て、ツンはテーブル越しに身を乗り出して声を上げた。
「それよりも、ブーン!」
「な、何だお?」
突然の事に驚くブーンにツンは続けて言う。
「引き続き、探すわよ!」
ツンが何の事を言っているのか分からずブーンは戸惑う。
「探すって何をだお?」
爆弾ならもう爆発してしまったではないか、今更探したってしょうがない。ぼく達に出来る事はもう何も無いんだ。
しかし、そうやって戸惑うブーンにツンは言った。
「何って、もう一つの鞄よ!」
ブーンはますます混乱する。
「何でだお? そもそもあの鞄は僕が誰かのと間違って持って来ちゃっただけだお?」
「何言ってるのよ!?」
そんなブーンの言葉にツンは自信たっぷりに言い返す。
「例え、間違いだったとしても一時はあの鞄はわたし達の物だったのよ!? だったら取り返さないといけないじゃない!」
ツンの、そのめちゃくちゃな理論に戸惑いながら、それとは別にもう一つツンの今言った言葉にブーンは疑問を持った。
――わたし、達?
何時の間にか一緒にいただけのツンが鞄の所有権を主張し始めていた。
「もう、元の持ち主が持ってるかも知れないお」
ふいに冷静になり、ブーンはツンに言う。
だが、ツンは平然と言い返す。
「その時はその時よ。交渉あるのみだわ」
何をめちゃくちゃな事を――。何を交渉すると言うのか。さっきまでわたし達が持っていました、だからわたし達にも所有権があります?
ブーンは眉をひそめ、もう一つツンに言ってみた。
「でももう、鞄はホテルを出てどっかに行っちゃったかもしれないお」
だが、ツンは今度も自信たっぷりに言い返した。
「ううん。まだ鞄はここにあるわ。――だから探せと囁くのよ、わたしのゴーストが」
「ゴースト……?」
握りこぶしを作り、鞄を手に入れる決意を固めるツンの横顔をブーンは黙ったまま、困った様子で見つめていた。

(^ω^)
「――金の入った鞄が、こいつの腕に繋がってる」
高岡がギコを指差し、言った。
「邪魔だね」
渡辺がギコの腕と鞄を繋げる手錠を見つめ、言う。
「じゃあ、しょうがないな」
「うん、しょうがない」
二人は顔を見合わせそう言った。
それから、渡辺がクローゼットの自分の鞄を指差して高岡に聞いた。
「マシンガンとショットガンがあるけど、どっちでやる?」
「いや、あんまり音がしても困るしなぁ」
高岡はそう言うと、何か無いかと周囲を見回した。
「――おっ、いい物がある」
ギコがまたんきの指を切った後、テーブルに置いておいたナイフに高岡が気付き、それに手を伸ばす。
「あ、いいね、それ」
「だろ?」
「……な、何をする気なんだよ、お前等? 何がしょうがないんだよぉ!?」
そう聞き返しながらもギコは笑って自分を見つめるこの二人が何をしようとしているかを感じ取っていた。
「何って――」
高岡は、まるでそれが当然の事のようにギコに言った。
「鞄を外すにはお前の腕を切るしか無いだろう?」
答えを聞き、ギコは自分の予想が的中していた事を知った。
「な、何でだよ!? 馬鹿じゃないのか!?」
そして、慌てて二人に提案する。
「か、鞄の取っ手の方を切ればいいだろう!?」
「馬っ鹿だなー、お前は」
ギコの提案を高岡は笑って却下した。
「そんな事したら、鞄が持ち難くなるじゃないか」
「〜〜〜〜っ!」
もはや反論も出来無いギコに高岡がナイフを手に迫る。
ギコはガチャガチャと音をたてながら必死に手錠を外そうとするが、そんな事で外れるはずも無い。
そうやって怯えるギコを見て、高岡は渡辺に振り返り、聞いた。
「あたし、ちょっと残酷かな?」
だが、渡辺は高岡を見てのほほんと答える。
「そんな事ないよ〜、しょうがないよ」
「そうだよな。悪いのは鞄と自分の腕を繋いだりするこいつだよな」
そうして、再びギコに近付いた。
「まっ! 待て! カギ! カギカギカギ!」
そこでやっとギコはもっと簡単な解決方法を思い出した。
「待ってくれ! 手錠を外せばいいんだろう!? そうだ、鍵だ! 鍵がある!」
「……あ、そういえば」
ギコの言葉に渡辺もまたやっとその事を思い出した。
「鍵ならここに――」
そう言って渡辺はハンドバッグの中を探したが、やがて呟いた。
「あれれ〜? 鍵が無いよぉ?」
「う、嘘だろ!? たった今渡したばかりだぞ!?」
叫ぶギコに高岡が言った。
「渡辺の、物を無くす能力を甘くみたな」
そうして、にやりと笑うと高岡はギコに聞く。
「知ってるか? 中東辺りじゃあ、盗人に対するある刑があるらしいぜ」
ギコは知っていた。何でもパン一つを盗んだだけでもその刑が執行されるらしい。その刑とは腕を切り落とす刑だった。
「まぁ、お前も盗人な訳だし。ここは甘んじて刑を受け入れろ」
顔面蒼白で既に言葉を発する事も出来なくなったギコに高岡はにっこり笑うと言った。
「心配するな。一撃でやってやるよ」
ギコと高岡がそんなやりとりをしている中、渡辺はぼーっと椅子に座り部屋のベランダから見える湖を眺めていた。
「――あ、素敵なボート」
渡辺が湖を見てそう呟いた直後、部屋の中をギコの悲鳴が響き渡った。

(^ω^)
 警察と合流したドクオは一つの結論を出した。
「とにかく、全員をホテルから退去させよう」
宿泊客の一人から教えられた怪しい箱は何の道具もない状況ではどうしようも無かった。
「調べる事も出来ないんですか? さっきの話ですが、ただの勘違いかもしれませんよ?」
質問をしてくる警備員にドクオは答える。
「でもなぁ、もし本当に爆弾だったとしたら、最近の爆弾は性質が悪いからなぁ……」
ドクオは警備員を見る。
「開ければドカーン、動かせばドカーン、それどころか最近じゃあ、近付いてもドカーンなんてのもあるよ」
そう言って肩をすくめてみせるドクオ。
「そ、そうなんですか……」
箱を見つめ、一歩後ろに下がる警備員。
「それに――」
それからドクオは周囲を見回し言った。
「他にも爆弾があるのかも知れないしなぁ……」
ドクオの視線とは反対側にまた一歩下がる警備員。
「わ、分かりました。警備主任と相談してきます」
そう言うと、警備員は無線機を使って警備室と連絡を取りながらエレベーターで下に降りて行った。
それからドクオは警官に向き直り言う。
「君は署に連絡して一応、爆弾処理班を呼んでくれ」
「分かりました」
そう返事をし、警官もパトカーで連絡を取るべく、エレベーターで降りて行った。
「……ふぅむ」
ドクオが全員を退去させる命令を出したのは、さっきの嫌な予感がますます強くなるのを感じたからだった。
何かは分からないが、この爆発の裏で何かが動いている。事件はこれで終わりじゃない。むしろこれから始まるのかも知れない。
目の前のそれはただの箱で爆弾でも何でもないのかもしれない。だが、こんなものを、しかもこれだけをわざわざ不審物として通報して来る事事態が何かおかしい。
 そんな事を考える中、ドクオはふと気が付いた。
「……しまった」
そして、肩を落とし呟いた。
「うっかり働かされてる……」

 そうして数分後、遅まきながらようやくホテルは決心をし、全館放送で退去の指示を出した。

(^ω^)
 ホテルの退去指示が出た直後、指示とは関係無く自主的にホテルから退去した者がいた。
――それも通常では考えられない方法で。
「おっと、退去命令だ」
館内放送を聞いた高岡が呟く。そして、ギコに向かうと言った。
「あんたにもご退場願おうかな」
真っ青な顔で、切られた手首をさっきのまたんき以上にぐるぐる巻きにし、さっきのまたんき以上に血を滲ませたギコがよろよろと玄関に向かう。
そんなギコの進路を妨げ、高岡は告げる。
「おおっと、こっちじゃないよ」
「――?」
死にそうな顔をして無言で高岡を見返すギコに高岡は言う。
「お前には渡辺が死にそうな目にあった落とし前をつけてもらわないといけないからな」
そして、ベランダに通じる扉を開けると高岡はギコに言った。
「――お前の出口はここだ」
失血によってただでさえ回らない頭が更に混乱し、その場を動く事すら出来無いギコに高岡は微笑む。
「心配するな、下にプールがある。上手く飛べば助かるさ」
確かに、ホテルの1階には透明な水を湛えたプールがあった。
爆発騒ぎで泳いでいる者は一人もいなかったがそれでもそれはプールだった。
高岡は一度プールを見下ろし、それから再びギコに向き直り言う。
「これでもし助からなかったら、それは神様がお前が悪いと言っているって事だ」
「………………」
どっちにしろここにいたら助からない事を悟ったギコは片腕で必死にベランダの柵をよじ登るとそこに立った。
そうしてギコは叫び声を上げてプールに向かって飛んだ。
叫び声は悲鳴へと変わり、そして数秒後、下から水の音が聞こえて来た。
「あーっはっはっ! ほんとに届いたよ――!」
その様子を見ていた高岡が大きな声で笑う。
「ねぇ、ハイン?」
ふと、後ろから渡辺が声をかけてくる。
「ん? 何だ?」
振り返る高岡に渡辺が言った。
「考えたらさ」
「うん」
「お金、鞄から出して別な鞄に詰め替えればよかったんじゃない?」
「あー……」
高岡は眉をひそめ声を出す。
「そっかー」
それからプールを赤く染めながら、そこに浮かぶギコを見て高岡は言った。
「あいつに、悪いことしたなー」
渡辺も高岡の背後からプールを覗き込む。
「でもまぁ――」
高岡は背後の渡辺に振り返り言った。
「しょうがないよな」
「――うん」
渡辺が答える。
「しょうがないね」

(^ω^)
 ツンは突如、外から聞こえてきた男の悲鳴に、ベランダに飛び出した。
その後、微かに聞こえてきたのは水の音だった。
見下ろせば遥か下、木々の間にプールの水面が見えた。さすがにこの距離ではその様子もよく見えず、音もよく聞こえずでどうなっているのかよく分からなかった。
――きっと、誰かがふざけて飛び込んだのだろう。
ツンはそう結論付けると、ベランダから周囲の風景を見た。
考えてみれば、ホテルにチェックインしてから、落ち着いて風景を眺めたりするのは初めてだった。そして、その眺めは最上階スイートに相応しく抜群だった。
正面にはヒロユ湖が見え、ホテルの敷地にはさっきのプールや広場やテニスコート、そして反対側にはホテルの敷地に隣接するゴルフ場のコースがいくつか見えた。
「今日は休みなのかな?」
ゴルフ場を眺めながらツンが呟く。
「え? ツン、何か言ったかお?」
「今日、隣りのゴルフ場、休みなのかなぁ? 誰もいないよ?」
ツンのそんな緊張感のかけらも無い質問にブーンが怒り出す。
「ツン! そんな事より退去命令だお! 急がないとまずいんじゃないかお!?」
ブーンの言葉にツンは振り返り、部屋に戻ると呆れたように言い返す。
「爆弾が仕掛けられたかもしれないから退避しろっていうんでしょ? そんなの無いから平気よ」
ツンはベランダから戻ると部屋を横切り反対側の窓からホテルの正面玄関側を見た。
部屋は最上階の半分を使っているので部屋からは部屋の入り口側以外の全域を見渡す事が出来た。
「そ、そうなのかお?」
「そうよ」
ツンは自信たっぷりに答える。
正面玄関の前では一台のパトカーと救急車がランプを点滅させながら待機しているだけだった。
「警察が問題にしてるのは多分、わたしの教えた偽爆弾だし。実際にはあんたが持ち込んだ爆弾は一個で、それはもう爆発しちゃった訳だけでしょ?」
「で、でも他にも誰かが持ち込んでるかも知れないお?」
おどおどとそんな事を言うブーンにツンは言う。
「あんた馬鹿ぁ? そんな一日に2つも3つも同じホテルに爆弾が持ち込まれるなんてあり得ないわよ」
「ま、まぁ確かに……」
少し冷静さを取り戻すブーン。
「知らぬは警察ばかりなり、よ」
「ふぅ〜む」
声を上げて感心するブーン。
「でもまぁ――」
いたずらっぽい目でブーンを見るツン。
「一応わたし達も“怯えながら”退避しないとね」
そう言うとツンはブーンを見つめてくすっと笑った。
その笑みにブーンは心臓が高鳴り、思わず目を逸らし、背を向ける。
そんなブーンに背後でツンが言った。
「さっ、行きましょうか。――こっちにおいで」
ブーンは慌てて返事をする。
「は、はいだお!」
そして、両手を広げて振り返り、ツンに向かう。
だが、振り返ってみればツンはブーンに背中を向けてしゃがみこんでいた。
そして近付いて来たブーンに気付くと、ツンは振り返り、変な顔をしてブーンを睨んだ。
「何やってんのよ?」
見ればツンはチワワに手を伸ばし、そしてやって来たチワワを抱き上げる。
「そっ、そうだおね。あ、あははははー」
笑って誤魔化すブーン。ツンは肩をすくめて呟いた。
「変なやつね」

(^ω^)
「すいません、捜査官。ちょっと下に来ていただけますか?」
現場に残っていたドクオのもとにまた別の警備員がやって来るとそう言った。
「……今度は何だ?」
ドクオはうんざりした表情で聞き返す。
「いや、それが……」
警備員は肩をすくめ、言った。
「片腕を切り落とされた男がプールに落ちて来たんです」
「……何だそりゃ?」
ドクオは眉をひそめ、警備員はもう一度肩をすくめる。
「死んでるのか?」
ドクオの質問に警備員が答える。
「いえ、意識は殆ど無いんですが生きてます。今は表の救急車にいます」
「――爆破事件に関係あるのか?」
「それは分かりません。何しろ状態が状態ですから質問もままなりませんよ」
「……そうか」
考え込むドクオ。
予感は当たりつつあった。やはりここで今、何かが起ころうとしている。
考え込むドクオに警備員がもう一度言った。
「そんな訳なんで、ちょっと下までお願いできますか?」
「……分かったよ」
さすがにこんな状況で断る訳にも行かず、ドクオは警備員について歩き出した。
そして、下に向かうエレベーターの中でドクオは思っていた。
――いかんなぁ、何だか便利に使われ始めてる。 

(^ω^)
 ロビーのソファーに座っていた弟者は思っていた。
――そろそろ逃げ時だろうか?
表にはパトカーが停まっているし、警官が出たり入ったりしている。今もまたスーツの男と警備員、それに警官が慌しく通り過ぎて行った。
爆弾騒ぎは自分達には関係無いが、痛くも無い腹を探られるのはごめんだ。
それに、そもそもいつまでもここに座っている訳にもいかない。
さっきからエレベーターが開く度にまとまった人数がホテルから出て行く。いつまでもここに座っているのは不自然というものだ。
「――兄者」
弟者の呼びかけに兄者は答えなかった。
「兄者?」
もう一度呼びかけ、兄者を見ると、兄者はぐうぐうと眠っていた。
「兄者っ!」
弟者は声を張り上げ、兄者を起こす。
「ん!? んあ……?」
目を覚ました兄者に弟者は告げる。
「もう帰るぞ」
「帰る? 帰るって何処に?」
寝ぼけた様子で聞いて来る兄者に弟者は答える。
「何処って家だよ」
「家? 家か、そうか、西瓜を作りに帰るのか」
「違うっ!」
弟者が兄者に怒鳴りつける。
その声に警備員がこちらに目を向けた。
弟者は声を潜め、兄者に言う。
「とにかく、ここを出るぞ」
まだ目をはっきり開けない兄者はまた質問をしてくる。
「どうして? ここは涼しくていいじゃないか?」
「警察がうろうろしてる。面倒な事になる前に帰ろう」
「ち  んは?」
「え?」
兄者が言った言葉が聞き取れず聞き返す弟者に兄者はもう一度言った。
「ちわにゃんはどうするんだ?」
「もう見つからないよ、諦めよう」
「そうか、諦める……の……か」
兄者はそう言うと再びそのまま寝てしまった。
「兄者! 兄者っ!」
もう一度起こそうと声を張り上げていると警備員が再びこちらを向いた。
弟者は声を出すのを止め、身を潜めた。
そして、考える。
――仕方が無い、なるべく目立たないように、次にエレベーターから客が降りて来たらそれと一緒に出て行こう。
そうして、ぺしぺしと兄者を起こそうと頬を叩きながら弟者はエレベーターホールを見つめていた。

(^ω^)
「渡辺、仕度は出来たか?」
「うん」
高岡の言葉に頷く渡辺は大きな鞄を一つ置いた。
二人の荷物は鞄が二つ、一つは銀行強盗で手に入れた大量の現金の詰まった鞄、そしてもう一つはマシンガンやショットガンなどの物騒な物が殆どを占めた鞄だった。
「じゃ、行くか」
高岡が武器の入った鞄を、渡辺が現金の入った持ち、二人は部屋を出た。
エレベーターホールに行くと、他にも数人の宿泊客が待っていた。
そうして、まもなく上から一台やって来たが、二人のフロア―を停まる事無く通過してしまった。
「あれれ〜?」
声を上げる渡辺。
他の客も首を傾げたが、どうやら満員でこれ以上乗れなかったので通過してしまったらしい。
だが、直後に隣りのエレベーターが下からやってきてドアが開いた。

(^ω^)
 ツンとブーンを乗せたエレベーターは階を降りる程に人で一杯になって来ていた。
退去の放送に部屋にいた宿泊客が一辺に出たせいだった。
最上階で乗ったツンとブーンはエレベーターが停まる度に、エレベーター内をどんどん奥へと追い込まれて行く。
ツンは腕に抱いたちわわが押しつぶされないようにと移動し、結局、一番奥の隅っこまで押し込まれてしまった。
 やがてエレベーターは《満員》のランプが点灯し、以後、エレベーターは何処のフロアにも停まらずに1階のロビーを目指して降り続けた。
しかし、人ごみの中、誰かがボタンを押してしまった為に、エレベーターは一度3階で停まり、扉を開いた。
そうして、誰も降りることも乗ることも無く、エレベーターはその扉を閉め、再び1階目指して動き始めた。
 そのロスタイムの間に隣りのエレベーターがツン達の乗ったエレベーターに追い付き、3階を出発する頃には2台のエレベーターは隣同士並んでエレベーターシャフト内を降りていた。

(^ω^)
 そして、運命の扉が開く。
あるいは、エレベータが到着を知らせるベルの音、それが始まりのゴングだった。
 ロビーのある1階で、二台のエレベーターの扉がほぼ同時に開いた。
中からは大勢の宿泊客が降りて来る。二台が同時に到着した為に、エレベーターホールは大混雑になっていた。
 そして、その混雑の中、エレベーターから降りてきた宿泊客が手にしているものを見て、流石兄弟の二人が動いた。
弟者も、さっきまで寝ていた兄者も、二人共がエレベーターに向かって走り出す。
 扉の開いた瞬間、弟者は自分の目を疑った。
そこには、あのプレミアの付いた人気の鞄、自分が手に入れられ無かったその鞄を持った客がいたのだ。
そして、思い付く。あれは、身代金の入った鞄に違いない、と。
こんな所で偶然にあの鞄に会う確立はどれ程のものか。いや、あり得ない。ならば結論はただ一つ。
――あれは俺達の要求した身代金で、犬の飼い主はいつまで経っても現れない俺達に受け渡しを諦め、このホテルに来てみたんだ。
そう確信し、弟者が次に考えた事はあの鞄を強奪する事だった。
最初の計画とはずいぶんと違う事になってしまった。しかし、目の前に確実に大金があり、そしてこの大量の人間が一度に動いているという状況を利用すれば上手くいくと思えたのだ。
 そうして、弟者は降りて来る人を掻き分け、渡辺からその鞄を奪った。
突然の事に対応出来ず、渡辺はあっさりと鞄を持って行かれてしまう。
しかし、鞄を奪い、逃げようとする弟者に素早く反応した高岡の手が迫る。
その時、弟者が視界の隅で捉えたのは自分のすぐ横に走って来た兄者の姿だった。
――流石は兄者だ! いいポジションに付けている。これなら!
「兄者、頼んだ!」
弟者は高岡の手がかかる直前、持っていた鞄を兄者に向かって投げた。
しかし、次の瞬間、兄者が手にしたのは弟者が投げた鞄では無かった。
兄者が手に入れたのは隣りのエレベーターから降りてきた女の手に抱かれていた犬、ちわにゃんだった。
最初からちわにゃん目的だった兄者は、ちわにゃんを奪うとそのまま転進して再び走り出す。
そして、弟者が兄者の方に向かって投げた鞄は、たった今まで犬を抱いていた女の空いた手にすっぽりと収まった。
「何やってんだ、兄者ー!」
弟者の叫びがエレベーターホールにこだました。

(^ω^)
 腕を切られ、プールに落ちて来た男を乗せた救急車を見送るドクオ。
結局、男は殆ど話す事が出来ず、事情は何も分からなかった。
「う〜ん」
考え込むドクオ、そんなドクオに一台の車が近付いて来た。
「何やってんだ? お前、銀行強盗はどうした?」
そんな言葉と共に車から降りてきたのはドクオから事件を奪った、あの部長だった。
「そんなに爆発が好きなのか?」
冗談めかしてそんな事を言う部長。ドクオは心の中で舌打ちする。
「銀行強盗がここにいるかも知れないんで来たんですよ。爆発は偶然です」
そして、精一杯の厭味を部長にぶつける。
「部長こそ、どうしたんですか? あっちの事件はもう解決されたんですか?」
だが、部長はドクオの厭味にも気付かず答える。
「ボマーの方は今、情報待ちだ」
それからホテルを見上げて言った。
「――それで、その間に起こったこの事件でも片付けておこうかと思ってね」
そしてドクオに向き直り、しれっと言う。
「テロリストによる爆弾騒ぎだったらうちの管轄だろう?」
「まぁ、そうですね。――テロでしたらね」
ドクオはあえて強調して言い、それから部長に聞いた。。
「どこかから犯行声明でも?」
「いや、未だだ」
部長は再びホテルを見上げた。
ドクオはホテルを見上げる部長を見つめ、思う。
――まだ、か。どうせ、テロじゃない事は知っているんだろう。それどころか、ホテルが言っていた犯罪組織同士の抗争、という話も聞いているはずだ。『調査してみた結果、事件は犯罪組織同士の抗争だった』そんな風に簡単に結論が出せると思い、この事件を指揮する事で自分の評価をあげるつもりか。
「とにかく、この事件は私が仕切る。まぁ、すぐに終わらせるよ」
そうして、部長はドクオの想像通りの言葉を口にした。
――それはどうかな?
しかし、ドクオは心の中で呟いた。
――そう簡単に解決するかな? この事件、実は裏があるかもしれないぜ。
どうやら部長は今さっき運ばれた《腕を切られプールに落ちて来た》等というややこしい男が現れた事も知らないらしい。
そうして、部長がドクオに言った。
「犯人は私が捕まえる。お前は余計な手を出すなよ」
それを聞き、ドクオは心の中で毒づいた。
――言われなくたって。いや、むしろ頼まれたってお断りだ。

 その時、銃声が響き渡った。
ドクオと部長はその音にびくっと体を縮めた。
銃声はホテル内から聞こえ、その後、大勢の悲鳴に続いてホテルから大量の人が飛び出して来た。
そして、銃声は更に続き、やがてそれは銃撃戦へと拡大する。

――ドクオがずっと抱えていた不穏な予感が的中した瞬間だった。

(^ω^)
 銃撃戦の火蓋を切ったのは高岡だった。
鞄を手にしたツンに向かって数発の弾丸を放ったが、エレベーターから降りようとしていたツンの周りの客が餌食になっただけでその弾丸はツンには届かなかった。
それから渡辺が高岡の腕を振り切り逃げ出した弟者に銃を向けた。
だが、先の銃声と数人の犠牲者に人々はパニックになってエレベーターホール周辺は大混乱に陥った。
高岡と渡辺の二人は混乱した人々に押され、狙いを付ける事が出来ない。
その隙にツンはエレベーターの扉を閉めると再び上に向かってエレベーターを動かした。
そして高岡と渡辺はツンを乗せたエレベーターが2階で停止したのを確認すると自分達もエレベーターで同じく2階に向かった。

 その時、ロマネスクはロビーにいた。
ターゲットがホテル内にいる事をカウンターの鍵で確認したロマネスクはロビーでターゲットを待つ事にした。
うまくすれば、この人ごみに紛れてこの場で仕事を完了する事が出来る。そう思っての事だった。
 しかし、ロマネスクの目にターゲットが映った直後、事態はロマネスクの想像を遥かに越えた内容で進行した。
エレベーターからターゲットが降りて来たと思ったら、そこで何故か突然現れたさっきロマネスクが奪い、奪われた鞄が人々の間を舞い、そしてターゲットは再びエレベーターに乗り2階に上がって行ってしまったのだ。
――何がどうなっているんだ?
混乱するロマネスクだったが、すぐに頭を切り替え、ロマネスクはターゲットを追い始めた。
エレベーターはまだ戻って来ない。ロマネスクはすぐに非常階段に飛び込んだ。
そして、非常階段の扉が閉まると扉の上に設置されているドアクローザーに数発の銃弾を打ち込み、それから2階を目指し、駆け上げって行った。

「――ツン!」
銃声に振り返ると、何故か無くなったはずの鞄を持ったツンが銃で狙われていた。
逃げ惑う人の波に飲まれ、ツンから離れて場所まで押し出されてしまっていたブーンはツンを助けようと人の流れに逆らい走り始めた。
だが、ツンを乗せたエレベーターは既に2階に向けて昇って行き、そしてツンを狙う二人を乗せたエレベーターは今まさにドアが閉まったところだった。
それから人を押し分け、やっとエレベーターに辿り着いたブーンだったがエレベーターは二台共に2階に停まっていた。
ブーンはボタンを連打し、2階にいるエレベーターを呼ぶ。
そして、エレベーターがやって来ると再びボタンを連打し、ドアが閉じるとブーンは両手に銃を構え、2階を目指した。
 ブーンの乗ったエレベーターの扉が閉まるのと同時に、もう一台のエレベーターが1階に戻って来た。
そして、それに乗ったのは弟者と、チワワを抱きかかえた兄者だった。

(^ω^)
 2階、レストランフロア―。ツンはエレベーターの扉が開くと一直線に非常階段を目指した。
それは追っ手の目を欺いてまたすぐに1階に向かう為だった。
しかし、ツンが非常階段の扉を開けると、下からも扉が閉まる音とそして銃声が聞こえてきた。
それが追っ手なのかは分からなかったが、銃声が聞こえる時点でそこは向かうべき方向では無かった。
ツンは扉を閉め振り返るが、エレベーターで戻るのもリスクが高かった。
下に向かう二つの退路を絶たれてツン。だが、考えている時間は無い。ツンは目の前のエスカレーターから上に逃げる事にした。

 渡辺はエレベーターから飛び出すと、先に2階に到着していたツンを発見した。
「ハイン! あそこ!」
高岡にツンの場所を教える渡辺。ツンは吹き抜け下のレストランの横に設置されたエスカレーターで3階へ登ろうとしていた。
渡辺と高岡はツンを追い、レストランの中、エスカレーター目指して走る。
高岡が走りながら銃を抜き、ツンに狙いを定めた。
 その時、高岡に向かって一発の弾丸が飛んで来た。
当りはしなかったが、高岡の真横のガラスが激しい音と共に砕け散った。
高岡は弾の飛んで来た方向へめがけ、銃を乱射する。避難した客達の残した皿やグラスが激しい音を立てて砕け散る。そして、その喧騒の中、高岡は渡辺の腕を引いて遮蔽物に隠れた。
銃撃は非常階段から現れたロマネスクのものだった。
 ツンはその隙に3階まで到達する事が出来、そしてその場にしゃがんで身を隠していた。
そこは丁度、下からの死角になっていた。ただ、その位置の周囲は全て下から見えてしまい、結果ツンはそこから動く事が出来なくなってしまった。
 一方、高岡を撃ったロマネスクは遮蔽物から遮蔽物へと素早く隠れながら移動していた。
「――そこか」
高岡は遮蔽物に隠れたまま手鏡でロマネスクの動きを追っていた。
「渡辺、ちょっとここで待ってろ。すぐに片付けて来る」
そして、そう言うと高岡は遮蔽物から飛び出し、ロマネスクに向かって銃を撃ちながら移動した。
ロマネスクも応戦しながら高岡の移動する位置にあわせて自分の位置を変える。
二人は移動しながら銃撃戦を続け、そして徐々にその距離を詰めてきた。
テーブルとテーブル上の食器類、そして椅子、レストラン背後のガラス、カウンターの酒瓶、火線上にある全ての物が銃撃音と共に破壊されていく。
銃撃自体も激しさを増し、高岡もロマネスクも両手に銃を持ち、二挺拳銃で撃ち合っていた。
そして、二人は勝負を決めようと、同時に遮蔽物から飛び出した。
お互いに自分の体を相手にさらけ出して、銃を構える。
その時だった、チン、という音と共に二人のすぐ横に位置するエレベーターのドアが開いた。
二人はそれに気付き、注意をそちらに向ける。
そしてエレベーターから出てきたのはブーンだった。
ロマネスクと高岡は咄嗟に片方の銃をブーンに向け、そしてブーンも反射的に両手の銃を二人に向けて構えた。

(^ω^)
 三人がそれぞれ他の二人を狙い、そして他の二人に狙われている。
ブーンの背後でエレベーターの扉が再び閉まる。だが誰も動かない。
このまま膠着状態になるかと思われた直後――
三人は同時に発砲した。
吹き抜けのフロア―に六挺分の銃声が響く。
「ハッハー!」
高岡が雄叫びを上げる。
「分かってるじゃねーか! 先に撃った奴が勝つに決まってるよな!」
嬉しそうにそう叫びながら銃を連射する高岡、位置を変えながら走るロマネスク、そして一目散に遠くに逃げ出すブーン。
同時に発砲した三人だが、結局、それ故に誰の弾も当らなかった。
 その時、高岡のすぐ背後で再びチン、と音が鳴った。
振り返り、銃を向ける高岡。そしてエレベーターの扉が開き、そこにいたのは流石兄弟の二人だった。
銃を向けられ硬直する二人。
「えっと……」
手を上げ、そう言うだけで動けない弟者。エレベーターの扉が再び閉まり始めた。
すると高岡は閉まる扉の隙間に腕を突っ込み、中にいた弟者の胸倉を掴むとエレベーターから引き擦り出し自分の前に立たせ、弾除けの盾にした。
「うわああああ!」
ロマネスクの銃が弟者を狙う。
「お、弟者!」
兄者は再びドアを開け、エレベーターから飛び出すと弟者の更に前に弟者を抱くように立ちはだかった。
「――ええいっ! 邪魔だっ、どけっ!」
兄者に視界を遮られ、逆に行動し難くなった高岡は二人を地面に叩きつけるようにどけるとロマネスクに向かって数発撃ちこみ、すぐ横にあったカウンターに飛び込むように隠れた。
流石兄弟も慌てて這いつくばりながら移動し、高岡の隠れているカウンターに一緒に隠れる。
そこからではロマネスクはまったく見えず、高岡はちょこまかと動き回っているブーンに向けて銃を撃った。
そして、ロマネスクからもブーンしか見えないらしく、銃声や破壊音は聞こえてくるものの高岡や流石兄弟の場所に弾丸が撃ち込まれる事は無かった。
「あわわわわ」
高岡の後ろで地面に伏せて震える流石兄弟。
その横からふいに誰かが現れた。
「ひぃっ!」
驚く兄者の声に高岡が振り向く。
「ハイン!」
それは渡辺だった。渡辺は流石兄弟を無視して高岡の隣りにしゃがみ込む。
「おお、渡辺。回り込んできたのか?」
「うん」
渡辺は高岡を合流しようと、体を低くし壁伝いにぐるっと部屋を回ってきたらしい。
「手伝うよ」
渡辺はそう言うと、鞄からサブマシンガンを取り出した。

(^ω^)
「まずは鞄ね。えーっと、あの辺りかな?」
渡辺はそう言うとカウンターに隠れたままマシンガンをフルオートにして3階に向けて撃った。
「きゃあああああ!」
銃声と破壊音の中、ツンの悲鳴が響き渡る。
渡辺はツンが見えている訳では無く大よその見当で撃っているだけだったのでまだツンは無事だったが、それも時間の問題だろう。
マガジンが空になると渡辺は鞄から次のマガジンを出し、再び3階へ向けて掃射を開始する。
「いやああああ! 助けてえええ!」
さっき以上の破壊音がツンの声さえもかき消す。
そんな中、破壊音以上の声で叫ぶ者がいた。
「待ってるお! 今、助けに行くお!」
そう言って、ブーンはツンのいる3階へと続くエスカレーター目指して駆け出した。
渡辺は狙いを3階からブーンへと変える。そして、ブーンは渡辺のマシンガンの掃射の中、走り続ける。
銃撃の中、自分に向かって走ってくるブーンにツンは思わず叫ぶ。
「ブーン!」
それを聞いて、高岡がハッとした。
「ブーン!?」
そして、渡辺の弾を避けるように蛇行しながら走るブーンを見て高岡が呟いた。
「ブーンって、まさかあいつブーン・ザ・ジョーカーか!?」
「ブーン・ザ・ジョーカー?」
それを聞いた弟者が思わず聞き返す。
高岡は弟者に振り返ると肩をすくめ言った。
「かつて――、数多くの打ち合いの場を駆け抜けた伝説の男がいた」
「伝説の男……」
突然の話に弟者は呟く。そして高岡は話を続ける。
「両手を広げ、『ブーン』と文字通り駆け抜けたんだ。――やがてそいつはジョーカーと呼ばれ、みんな、特にガンマン達から脅威の存在とされた」
高岡は再び、呟くようにその名を言う。
「ブーン・ザ・ジョーカー」
「……それがあいつだってのか?」
兄者の言葉に高岡が頷いた。
「何が伝説よ!」
マシンガンを撃ちながらも話を聞いていた渡辺が声を荒げる。
「問題無いよ、あんな奴、すぐに撃ち殺してやる!」
そして、マガジンを替えると再度ブーンに向けてマシンガンを撃つ。
「――あいつがどうしてジョーカーって呼ばれているか分かるか?」
高岡が誰にという訳でもなく聞き、そして言葉を続ける。
「あいつはエースじゃないんだ。そう、それこそ、天才的な射撃テクニックを持つエースはいくらだっている。でもな、あいつには、他の誰もが持ち得ない才能があるんだ。そして、その結果あいつにエースは通用しない。そう、それこそイカサマに近いんだよ。だから《ジョーカー》なんだよ、あいつは」
「そ、そのジョーカーであるあいつにはどんな才能があるっていうんだ……?」
話に惹き込まれ、聞く兄者。
「あいつの持つ才能。それはな――」
高岡は再びブーンに向き直り、そして言った。
「弾に当たらないという才能だ」
マシンガンを撃つ渡辺、そしてその中を両手を広げて走り回るブーン。
秒速920メートル、毎分750発。そんな発射能力でマシンガンから撃たれ続ける弾丸。だが、それでさえもブーンには当らない。
撒き散らされる薬莢。折り重なる銃撃音。宙を舞う数々の破片。そして、走り回る一人の男。
子供のように両腕を広げて走り、雨のように降り注ぐ弾丸をかわすブーンを見て、弟者はぞっとした。

(^ω^)
 走りながらブーンが銃を抜き、そしてその銃口が高岡や流石兄弟達の方に向いた。
「うわあああ!」
《ジョーカー》に銃を向けられ、怯えた兄者が絶叫する。
「俺達はここで死ぬんだ! ここであいつに殺されるんだー! いやだあー、死にたくないー!」
しかし高岡はきっぱりとそれを否定する。
「いや、それは無いな」
「……えっ?」
聞き返す弟者に高岡が言う。
「あいつは弾に当たらないが――」
そして、ブーンが引き金を引いた。
「あいつの弾も当たらない」
発射音と共に流石兄弟の後ろでガラスが砕ける音がした。
それからブーンは連射し、あっと言う間に全弾撃ち尽くすと、流れるような動作でマガジンをチェンジし、また撃ち始めた。
だが、遥か彼方で物が壊れるだけで、自分達の方には一発たりとも飛んでは来ない。
「――あいつ、射撃が下手なんだ」
高岡が冷静にそう言った。
「何よへたくそ! 全然当たらないじゃない!」
3階からはツンの怒声が飛んで来た。
「……ご、ごめんだお」
ブーンは走りながらツンに謝る。
その時、高岡が頭を下げて言った。
「それより問題は――」
次の瞬間、今まで高岡の頭があった位置の後ろの柱に大きな金属音と共に銃弾による穴が空いた。
「あいつだ」
高岡は弾丸が飛んで来た方向を睨む。
どうやらもう一人の相手、ロマネスクが場所を移動したらしい。
ブーンがツンに謝っている隙を突いて、ツンに銃口を向けた瞬間にロマネスクが撃ってきたのだ。
そして、高岡は再びロマネスクから死角になる位置に隠れる。
 2階が静寂に包まれた。
 高岡はロマネスクの方向を再び手鏡で確認しながら考える。
――しかしあいつは一体、何なんだ? 鞄を持った女の仲間なのか? それとも、あいつも鞄を狙っているのか?
 その頃、ロマネスクも同じ事を思っていた。
――あいつらは何なんだ? 何故、私に銃を向けてくるんだ? 私の目的を知っているのか?
そして、ロマネスクはもう一つ、この場にいる一人の男について感心していた。
――それにしても、あれがブーンか。噂には聞いていたが本当に当らないんだな。

(^ω^)
 静寂の中、ブーンはツンの所に辿り着いていた。
ツンはエスカレーターを上ったすぐの場所で鞄を横に置いてしゃがみ込み、隠れていた。
ブーンもツンの横にしゃがみ込み、隠れる。
「ツン、これを使うお」
ブーンがツンに右手に持っていた拳銃を差し出した。
「何よ、これ!?」
聞き返すツンにブーンは平然と答える。
「何って銃だお」
ブーンの答えにツンは怒ったように言う。
「そんなの分るわよ!」
それからブーンを睨むように見つめ、聞く。
「それで? これでわたしにどうしろっていうのよ?」
聞き返すツンに再びブーンは平然と答える。
「どうしろって撃つに決まってるお」
「まぁ、そうだとは思ったけど……」
ツンは銃をしげしげと見つめ言った。
「こんなの撃った事どころか持ったのも初めてよ……」
そう言い返すツンにブーンが言う。
「で、でも、そうでもしないとやられちゃうお」
「《そう》したら、やられないの?」
ツンの質問にブーンは口篭もる。
「そ、それは……」
するとツンが溜め息をついて言った。
「でもまぁ、あんたが撃つよりはましかもね」
「あうあう……」
泣きそうな顔をするブーン。
「まぁ、とにかく、ちょっと試しに撃ってみるわ」
そう言うと、ツンはブーンの手から銃を受け取り、適当な方向に向けて銃を構え、引き金を引いた。
銃声、そして悲鳴。
「きゃあっ!」
銃を撃ったツンはその威力に耐え切れず、小さな悲鳴と共に反動で腕を振り上げられてしまった。
「おうふっ!」
反動で振り上げられたツンの手とそこに握られていた銃が横にいたブーンの脳天を直撃した。
頭を打ち、よろけるブーン。そしてよろけたブーンが横に置いてあった鞄にぶつかる。ぶつかった弾みで鞄は倒れ、倒れた鞄はそのままエスカレーターを2階のフロアーへと転げ落ちて行ってしまった。
「なっ、何すんのよー! ばかばかばか!」
ツンが叫び、ブーンをぽかぽかと叩く。
しかし、これでこの場のバランスが崩れた。
鞄はロマネスクのすぐ前に転がっていき、高岡と渡辺は鞄へと向かおうと、鞄のすぐ目の前にいるロマネスクに向けて銃を撃ち、ロマネスクはそれに撃ち返す。
三人の間で今までに無い激しい銃撃戦が展開された。
そして、ブーンとツンはこの関係から逃れた場所にいて、その一瞬の隙をブーンは見逃さなかった。
「逃げるお!」
ブーンは立ち上がるとツンの手を引き、一気に駆け出した。
2階ではそれに気付いたロマネスクがブーン達に銃を一瞬向けたが、すぐに自分に向かって撃って来る高岡達に照準を切り替えざるを得なかった。

(^ω^)
 ホテルの表で、ドクオは忌々しくホテルを見上げていた。
ドクオの予感は当たった。
だが、《何かが起こる》という予感が当たっただけで、《何が起きているのか》はまったく分からなかった。
――何がどうなっているんだ。銀行強盗を追って来てみれば、ホテルで爆発騒ぎ、それに片腕を亡くした男がプールに落ちてきて、さらには銃撃戦まで始まりやがった。
そして、こうしている間にも銃撃音は激しさを増していた。
 横ではこの突然の展開に部長が慌てふためき、特殊部隊を含む増援を要請していた。
だが、それも正解だろう。訳も分からず自分達だけで突入して被害や損耗を増やすわけにはいかない。
「――宿泊客はどうなってる?」
無線機に取り付き、現場のケアをまったくしない部長に代わってドクオは横にいたホテルの責任者に聞いた。
「さっきの放送で殆ど退去していますが、まだ五名のお客様が確認出来ていません。それに、宿泊以外のレストランやショップのフロアーにいたお客様に関してはその人数すら掴めていませんし……」
――これは面倒だなぁ。
そう思うのは何もドクオだからでは無いだろう
ホテル内にいるのは人数不明の銃撃犯、そしてこれまた人数不明の宿泊客、更にはいるのかすら分からないその他の客。
誰を捕まえ、誰を保護したらいいのかすら分からない。
「その中に女性もいるのか?」
もし人質を取っての立て篭り事件になった場合を想定し、ドクオは聞く。
ドクオの質問に責任者が答える。
「名簿と照らし合わせた結果、不明のお客様の中で女性の方は三名いらっしゃいます」
「そうか……」
「どうされてるんでしょうか?」
心配そうな責任者にドクオは言う。
「可能性としては二つ。部屋か何処かに隠れて救助を待っているか」
そしてドクオは銃撃音の響くホテルを見上げて呟いた。
「もしくは、この銃撃戦に巻き込まれてるか……」

(^ω^)
「ああ〜、鞄が〜」
《銃撃戦に巻き込まれた宿泊客》ツンはこの期におよんでまだ鞄への未練を断ち切れないでいた。
ブーンに腕を引かれて走りながらも鞄を求めて後ろを向く。
「あんな所に行ったら死んじゃうお!」
ブーンはそんなツンの手を強く引きながら非常階段を目指して走っていた。

「くそっ、強えぇ! ――だが、おもしれぇ!」
ドクオが考えもしなかった第三の選択、《銃撃戦に巻き込んだ宿泊客》高岡はロマネスクとの銃撃戦を半ば楽しんでいた。
戦いは激しさを増し、消費される弾丸の数は加速度的に増え、それと共にホテルの2階、特に主戦場たるレストランは破壊が進んで行った。
だが、二人共に遮蔽物の使い方が抜群に上手く、お互いに決定打を与える事は出来ないでいた。
そして、その事がまた戦いを激しくさせる原因でもあった。

「なぁ、兄者――」
銃撃音と破壊音が入り混じり、たまにグラスやテーブルの破片が飛んで来る中、その様子をカウンターの後ろの床に伏せて見ていた《隠れて救助を待っている、そしてドクオの中ではいるかいないか分からない客》流石兄弟の弟者がやけに落ち着いた声で兄者を呼んだ。
「何だ、弟者?」
そのすぐ隣で胸に抱いた子犬を守るかのように伏せている兄者が返事をする。
高岡とロマネスク、戦う二人を見ながら、弟者が聞く。
「あいつらの、あの戦いっぷり――、どう思う?」
弟者の質問に兄者は考え、答える。
「俺達には、無理だな」
その答えを聞き、弟者も繰り返す。
「ああ、無理だ」
そしてふいに語り始める。
「俺達も、悪党としてやってきて、そしてこれからもっと大きな事をしてやろうなんて、手始めに誘拐を思いついた訳だが」
そこで再び撃ち合う高岡とロマネスクを見て、声を落とし、弟者は言った。
「引退――、するか」
兄者も胸に抱いたチワワを見つめ答える。
「そうだな」
この先、悪党として大成しようと思ったらあんな奴等と戦わないといけないのか、そんなのは自分達には無理だ。そう思った流石兄弟はこの撃ち合いを機に、悪党稼業から引退する決意をした。

(^ω^)
 そうして、その戦いに決着が付いた。
高岡とロマネスクの二人は勝負を決する為にリスクを覚悟で遮蔽物から飛び出した。
お互いを照準に捉え、引き金を絞る。
ロマネスクの弾は外れ、高岡の弾丸がロマネスクの頬をかすめ皮膚を切り裂く。
だが、勝負はロマネスクの勝ちだった。
高岡はそれが最後の弾で、もう替えのマガジンさえも持っていなかった。
銃を捨て、両手を上げる高岡。
ロマネスクは勝利を確信し、銃を構えたままゆっくりと高岡に歩み寄る。
だがその時、高岡の後ろから今まで倒れたテーブルに隠れていた渡辺がショットガンを構えて飛び出して来た。
ロマネスクは反射的に狙いを渡辺に換え、引き金を引いた。
一発目の弾丸は渡辺の、宙に広がった黒髪を丸く撃ち抜いただけだった。そして二発目――。
「――っ!」
ロマネスクは引き金を引くことが出来なかった。
一発目の薬莢が排出されずにポートに詰まる《ジャム》が起こったせいだった。
今度はロマネスクが両手を上げる番だった。
渡辺のショットガンの銃口に促されるようにロマネスクは銃を捨て、両手を上げた。
「最高のタイミングだ、渡辺」
そう言って褒める高岡に渡辺は嬉しそうに微笑み、寄ってくる。
そうして渡辺が気を抜き、銃口を下げた瞬間、全ての勝負が決した。
ロマネスクが上げていた右手を渡辺に向けた。
その手には何も握られていなかった。だが、次の瞬間、仕掛けが作動し袖口から単発の小型銃が飛び出し、ロマネスクの右手に握られた。
パンッという軽い発射音。
そして続くドサリという人が倒れる音――。
 そこでロマネスクは目を疑った。
左側頭部に弾丸を受け、倒れている人物。それは渡辺では無く、高岡だった。
ロマネスクの行動に気付いた高岡が渡辺を助ける為に自らその火線上に飛び込んだのだった。

(^ω^)
 仕掛け銃は小型化の為に一発だけしか装填されておらず、その一発で武器を持った渡辺の方を倒せなかった事はロマネスクの破滅を意味していた。
ロマネスクは咄嗟に横に飛ぶとさっき捨てさせられた銃を拾い、詰まっている薬莢を排出し、次弾を装填して渡辺の方へ振り返った。
だが、渡辺は既に戦う相手では無かった。
手にしたショットガンを落とし、高岡に抱きついて泣き叫ぶ渡辺。銃を構えたロマネスクがすぐ横に立っている事に気付きさえしない。
頭に弾丸を受けたがまだ命はあった高岡に渡辺が泣きながら言う。
「ハイン! しっかりして! 大丈夫、今すぐ病院に連れて行くからね!」
渡辺は高岡を背負うと、よろよろとエレベーターを目指して歩き始める。
ロマネスクはそんな二人を撃ったりする事はせず、その後姿を黙って見送った。
そして、渡辺と意識を失った高岡を乗せたエレベーターの扉が閉まるとロマネスクはあれだけの銃撃戦の中、奇跡的に無傷だったテーブルの上のナプキンに手を伸ばし、それを取ると頬の伝う血を拭き、次の行動に移った。

(^ω^)
 やっと終わった銃撃戦にほっとしたのも束の間、流石兄弟の前に現れたのは戦いの勝者ロマネスクだった。
「一緒に来てもらおうか」
ロマネスクはそう言って、二人に銃を向ける。
「え? で、でも……」
戸惑い、床に伏せたまま自分の方を見上げて動かない二人にロマネスクが聞く。
「今、ここで殺されるのと、仲間と一緒に殺されるのと、どっちがいい?」
「仲間……?」
更に戸惑う二人にロマネスクは言った。
「ロビーのエレベーターで、あの女に鞄を渡していただろう」
「あ、あれは……」
ロマネスクが勘違いしている事が分かり、事情を説明しようとする弟者にロマネスクが人差し指を立てて口を塞ぎ、言った。
「言い訳は必要無い。今、君達が決める事はこの場で死ぬかどうかだ」
「………………」
その静かな物言いに圧倒され、弟者と兄者は無言で立ち上がった。
その様子を見てロマネスクは満足そうに頷くと「それじゃあ、行こうか」とエレベーターへ向かって歩き始めた。

(^ω^)
 銃撃音が止み、静けさを取り戻したホテルの表では大量のパトランプが点滅していた。
十数台にも及ぶパトカーと黒塗りのバン。
部長の要請した増援と特殊部隊だった。
 ホテルに入っていた偵察班が戻り、部長に状況を報告する。
「非常階段の扉が開きません。中から何かの細工をされているようです。ノブは回るのでドアクローザーの油圧シリンダーが歪んで動かなくなっているのかも知れません」
「やっかいだな……」
特殊部隊の隊長が呟く。
「銃声も止んだみたいだし、もしかしたら人質を取っての篭城を決め込んだのかも知れませんね」
「それか――、最悪、全員射殺された可能性も……」
その言葉に部長がパニックになる。
「突入だ! 今すぐ突入するんだ!」
だが、誰も状況を把握出来ていない今の状態での突入なんてただの自殺行為でしかなかった。
このホテルの中に何人の犯人がいて、そして何人の保護すべき客がいるのか、犯人の容姿も、客の容姿も、誰も何も分かっていなかった。
一時的にでも全員を拘束するという手もある。だが、その《全員》が何人だかも分からない。
そして、大量の部屋を持つホテルに突入してそんな事をするのは現実的に不可能だった。
「状況が悪すぎます。我々の基本はサーチ&リカバリー、まずは状況把握が必要です。それに、そもそも非常階段の扉が開かない状態では――」
隊長の言葉を切り、部長が叫ぶ。
「サーチ&リカバリー? 何を馬鹿な事を! サーチ&デストロイ! サーチ&デストロイだ! さっさと犯人を確保して解決しろ!」
――馬鹿な事を言っているのはお前だ。
そんな事を心に思いながらもドクオは関わらないよう、黙ってホテルの方を見ていた。

(^ω^)
 非常階段を登り切ったブーンとツンは疲れて果てていた。
銃撃から逃れ、非常階段に飛び込んだものの1階に降りてみれば何故か扉が開かず、仕方無く再度上を目指す事になり、最終的にはツンに提案でツンの部屋に戻る事になった。
だが、ツンの部屋はホテルの最上階。階段で目指すにはあまりにも遠かった。
「ど、どうして最上階の部屋なんか取ったんだお?」
息を切らしながらブーンが聞く。
「馬鹿ね、最上階の部屋を取ったんじゃなくて、最上級の広い部屋を取ったら場所が最上階だったのよ」
ツンの突っ込みにも元気が無かった。
だが、どうにか二人は階段を登り切った。
後は部屋に閉じこもって救助を呼べばいいだけだ。そう思い、ブーンは非常階段の重い扉を開く。
慎重に非常階段から出ると二人はツンの部屋に向かった。
「まさか、ここまで来て鍵が無いとかいうオチは無いおね?」
ブーンの質問にツンは無言で鍵を振って見せる。
だが、その鍵が、必要が無かった。
「あれ? 開いてる?」
ドアは開け放たれていた。
――おかしい。
ツンは警戒し、その場に止まった。ドアは閉めて来たはずだったのに。しかも、ドアはストッパーで閉じないように固定されていた。
「何だお。ツン、開けっ放しは危ないお〜」
考えるツンを追い抜き、そう言いながらブーンが先に部屋に入る。
「ちょ、ちょっとブーン……」
入って行ってしまったブーンを追ってツンも部屋に入る。
「――遅かったな」
そして二人を出迎える声がした。
「あ、あんたは……」
それはロマネスクの声だった。ロマネスクは銃を構え、部屋の奥に立っていた。
「どうして――?」
「君達がここに来る事は分かっていた」
ツンの疑問にロマネスクが答える。
「非常階段の1階のドアは私が邪魔が入らないように壊しておいたからそこから逃げる事は出来ない。そしてエレベーターに乗るには3階以上に行くしかなく、そこから降りて来たらボタンひとつ2階で止められ、エレベーターは逃げ場の無い棺おけになってしまう。つまり、君達に残された道は最初から上に行く事しか無かったのだよ」
そこでロマネスクは微かににやりと笑ったように見えた。
「それに、きっと君は武器を取りに自分の部屋に戻るのでは無いかと思ったのだよ」
「武器……かお?」
ロマネスクの言葉にブーンは部屋を見回す。だが、部屋はさっきと同じでどこにも武器なんて置いていない。
それどころか、さっき始めて銃を撃ったツンが武器なんて持っているはずも無いのだ。
それにそもそも――、どうしてこの男がツンの部屋を知っているのか。
疑問だらけのブーンがツンに振り返るとツンは厳しい顔をして無言でロマネスクを見つめていた。
「――さて」
ロマネスクが言う。
「質問の時間は終わりだ。こちらへどうぞ」
ロマネスクは銃でツンとブーンの二人に部屋の奥に行くように促す。
ツンとブーンが指示されるまま、入っていくとそこには二人の男、流石兄弟が立っていた。

 そうして、五人と一匹が一つの部屋に集った。

(^ω^)
 特殊部隊の隊長と部長の間では喧々諤々の口論が続いていた。
そんな中、ホテルを見つめていたドクオは正面玄関から出てくる人影に気付いた。
「隊長、ホテルから誰か出てきます」
監視犯の部下に声をかけられ隊長とそして部長がそちらを向く。
 ホテルから出てきたのは人を背負った一人の女性だった。
『武装はしていないようです。それから背負われているのも女性で、頭部を負傷しています』
監視班の声が無線から聞こえた。
「助けて……。お願い、ハインを助けて……」
ホテルから出てきた女性、渡辺は泣きながらこちらに歩いて来る。
隊長が女性を保護する指示を出そうとした時、部長が非常線内に入り渡辺に近づいた。
「お前はホテルから出て来たんだな? 撃ち合い現場にもいたのか? 中はどうなってる? 何が起こってるんだ?」
質問を並べる部長。だが、渡辺はそんな部長の横を素通りし尚も助けを求める。
「お願い。ハインが、ハインが死んじゃう……」
「おいっ!」
素通りされた部長は振り返り渡辺の腕を掴んだ。
その時だった。
「ウルサイっ!」
渡辺が振り向きざまに部長の顎に拳を叩き込んだ。
糸が切れた操り人形の様にストンとその場に崩れる部長。
ドクオも周囲の他の人達もあっけに取られ、誰も部長を助けに行こうともせずに、ただ黙ってその様子を見ていた。
そうして、渡辺が保護され、高岡が救急車に運ばれる。
そしてそんな状況を横で見ていたドクオは、はたと気付いた。
「あれ? あいつ、銀行強盗の犯人の一人?」
ここに至るまで、ドクオは銀行強盗の事なんかすっかり忘れていた。
そして、ポケットに入れられていた写真を取り出すとまじまじと見比べ、目の前にいる女が銀行強盗の犯人だと確信した。

(^ω^)
 ロマネスクに銃を向けられた四人は窓際に並んで立っていた。
その時、今まで気が動転していた弟者はふとロマネスクが持っている鞄に気付いた。
そして、同時にツンは兄者の腕に抱かれているチワワの存在に気付いた。
だが、状況的に二人共、そんな事を口にする事は出来なかった。
しかし、そんな中に空気を読まない人間が二人いた。
――ブーンと兄者だ。
「なぁ、弟者。あの鞄はさっき弟者が俺に渡そうとした物じゃないか?」
「ツン、あの犬はツンの犬じゃないかお?」
二人が同時に言葉を発した。
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
他の二人は二人が何を言ったのか分からず、言った本人達もお互いの言葉が聞き取れなかった。
「だから、あの犬はツンの犬だおね?」
「あの鞄はさっき弟者が俺に投げたやつだろう?」
「え、ええそうみたい」
「ああ、どうやらそのようだ」
「違うお! あの鞄は元々ぼくが持って来たんだお!」
「何? じゃあ、その女が飼い主なのか?」
「て事は、お前が飼い主なのか?」
「ん? 飼い主はその女で鞄の持ち主はお前なのか?」
「でも、身代金を持っていたのは違うやつだったぞ?」
「え? ちょっと待って、今の話からすると、それじゃあ、あんた達が誘拐犯なの?」
「違うお。元々の飼い主は死んじゃったお」
「何だって?」
「どうなの? 答えなさいよ、あんた達が誘拐犯なの?」
「それに、正確にはぼくが持ち込んだのは違う鞄で、その鞄は偶然ぼくの手に入ったんだお」
「そうだ、俺達が誘拐犯だ」
「それじゃあ、この鞄はお前の物じゃあ無いじゃないか」
「違うわよ! その鞄はわたし達の物よ! ブーン、もっとしっかり言いなさいよ!」
「あうあう」
「まったく……。その鞄はわたし達のよ!」
「何言ってんだ、権利は俺達にあるだろう!」
「あんた達が受け取るはずだった鞄はとうに無くなったわよ!」
「とにかく、ツンに犬を返すお!」
「返すもんか!」
「そもそもあんた達のお金なんか最初から無かったのよ!」
「きゃんきゃんきゃんきゃんっ!」
四人は大騒ぎになり、兄者の腕に抱かれたチワワまでがそれに同調するかのように激しく吠え始める。
「――おい、お前等」
事の成り行きを見守っていたロマネスクが声をかける。
しかし、勢いづいた兄者は振り返りざまロマネスクに食ってかかった。
「その鞄は弟者が手に入れるはずだったんだ! 返せ!」
「きゃんきゃんっ!」
そして、兄者の腕にいたチワワが兄者の勢いに乗り、ロマネスクに飛び掛った。
 そこからはあっという間の出来事だった。
ロマネスクが飛び掛ってきた犬を振り払うと、チワワはその軽さゆえに勢いよく飛び、窓が開けられたいた為、ベランダの柵を越え外へと飛ばされてしまった。
次の瞬間、チワワを追う形でほぼ同時にベランダから外へ飛び出した人影があった。
それは弟者だった。
そして、その人影を追って、もう一人もベランダから外へ飛んだ。
兄者だった。

(^ω^)
 墜落する犬を、自身も墜落しながらも弟者は空中でキャッチした。
弟者は気付いていたのだ。一緒に犬を探していた兄者が、途中から《身代金と交換する犬》では無く《ちわにゃん》を探していた事を。
そして、チワワが窓から飛ばされた時、弟者は思ったのだった。きっと、こいつがいなくなったら兄者は寂しがるだろうな、と。
そう思い、弟者は何も考えずに、ただ兄者のためにチワワを助けようとベランダから飛んだのだった。

 兄者は犬をキャッチした弟者を空中で守るように抱きかかえた。
飛び出したのは何かを考えての事では無かった。そもそも何かを考えていたらきっと間に合わなかったに違い無い。兄者が飛んだのはもちろん、弟者を助ける為だった。
普段、兄らしい事を何も出来なくても、いざとなったら弟者を守るのは自分なのだと兄者はずっと思っていた。
そして何よりも大事な家族を兄者は失いたくなかったのだ。

 そうして、二人と一匹はひとつになって落ちて行った。

(^ω^)
 部長が救急車に乗せられ運ばれて行った。
救急車を見送り、振り返ったドクオにみんなの注目が集まっていた。
その事に気づき、ドクオは焦った。
――あれ? 俺が何かしないといけないの? 部長の次は俺に指揮権があるって事? ど、どうしよう……。
しばらく考え、ドクオはおもむろに声を出す。
「隊長はいるか?」
「はい」
ドクオの言葉に隊長が歩み出る。
隊長の厳しい視線がドクオに突き刺さる。
それはドクオという人物を見定めようとしている視線だった。
「あー……」
ドクオの言葉の続きを、みんなが聞き逃すまいと見つめる。
そしてドクオは隊長を見つめ返し言った。
「俺達は捜査はするし、こういった事態に対するマニュアルもあり、訓練も受けてきた。そして、アプローチの方法論は日々進化している」
隊長の目が少し伏せられる。
「だが――」
しかし、ドクオは肩をすくめ、話を続ける。
「しょせん、俺達は基本は事務屋なんだ。日々、こういった仕事をこなしている訳じゃあ無い。だから俺は思うんだ。こういった事態には現場の判断が最重要だと。つまり――」
そして、ドクオは隊長をじっと見つめ、言った。
「後は君に任せる。思うようにやってくれ」
隊長が目を見開く。
「――ありがとうございます!」
敬礼と共に隊長が最高の笑顔を見せた。
「お前ら! 仕事だ!」
「イエッサー!」
隊長の言葉に隊員達も雄たけびを上げる。
「まずは状況分析! 監視班、状況を知らせろ! 交渉班、準備だ! 突撃班は待機!」
特殊部隊が活気付き、現場は一気に慌しくなる。
「ふぅ……」
 その様子を見つめ、ドクオは溜め息をついた。
かっこいい事を言ったように見えるドクオだが、実は一つだけ伝えなかった言葉がある。
それは「俺は面倒だし」という言葉だった。
そうしてドクオは渡辺を拘束してあるパトカーに振り返ると呟いた。
「それじゃあ俺は自分の事件でも解決するか」

(^ω^)
 ツンとブーンはそれぞれ暖炉の前に置かれた椅子に座らされ、縛られていた。
「さて――」
ロマネスクが二人に向く。そして、そんなロマネスクに対してツンが言い放った。
「目的のお金ならもう手に入ったんだから、とっととそれを持って行けばいいじゃない!」
「――目的のお金? この鞄の事かね?」
床に置かれた鞄を持ち上げ、ロマネスクが言う。
「まったく、さっきはこの鞄のおかげで苦労したよ。君の方へ進もうとするとあの女の二人組みが私に向けて撃って来るじゃないか」
突然、話がさかのぼり、ツンもブーンも訳が分からなかった。
「君の仲間なのかと思いきや君にも銃を向ける。自分のターゲットを他人に殺られる訳にはいかず、結局私は君を守る形になってしまったが、最初は何がどうなっているんだかちっとも分からなかったよ」
ロマネスクは話を続ける。
「だが、どうやらあの連中は私がこの鞄を狙っていると思っていたんだな」
ぽんぽんと鞄を叩き、笑うロマネスク。
「まぁ、そんな苦労もあった事だし、ついでだから貰って行くが、本来ならばこんな物はどうでもいい」
鞄を投げ出し、どさりと床に置くとロマネスク。
「私の本来の目的は――」
そして、ロマネスクはツンを見つめ、言った。
「君だ」
「――あんた、何者?」
ツンがロマネスクを睨み、聞く。
「海のかけら、と言えば分るかね」
その言葉を聞いて、ツンの表情が変わった。
「……あれなら、ここには無いわよ」
ロマネスクを見つめたまま、ツンがそう答える。
だが、ロマネスクは肩をすくめ、ツンに言った。
「そうか。だが問題は無い。私が依頼されたのはあれの回収では無くて君の始末だ」
始末、という言葉を聞いて、ブーンは事態の深刻さに気付いた。
しかし、二人の会話が何の事だか分からずに、でも何から聞いていいかも分らずに、ブーンは口を出すタイミングを完全に逃してしまった。
「――おっと、話に夢中になって大事な事を忘れるところだった」
ふいにそう言うとロマネスクはポケットから小型のインスタントカメラを取り出した。
「これの為に、延々君を殺さず殺させずで追って来たんだからな」
そう言ってロマネスクは椅子に縛られた二人の写真を撮る。
「……い、今、目をつぶっちゃったからもう一回撮り直して欲しいお」
そんな事を言うブーンにツンが呟く。
「馬鹿」
「……?」
振り返るブーンにツンが言う。
「あんた、これが何の写真なのか分かってんの?」
「何の写真なんだお?」
聞き返すブーンに答えたのはロマネスクだった。ロマネスクはカメラから出てきた写真を振りながら答える。
「依頼主に提出するのさ」
「――普通は死んだ写真を証拠として撮るんじゃないの?」
ツンがそう言い、ロマネスクは肩をすくめ答える。
「死体の写真なんて、そんな悪趣味なものを撮る気は無いよ。それに――」
そうしてロマネスクは語り始めた。
「お蔭様で積み重ねた信頼があるのでね。写真が死体である必要は無いんだ。大体、今時は写真なんて信用出来ないだろう? どうせ警察とニュースが親切に発表してくれるから依頼主にはそっちで確認してもらえばいい。まぁ、これは単なる様式美みたいなものさ。写真を提出し、クライアントはそれを見て満足げに微笑む、そして一言二言何かを言ってから私に報酬を出す、とまぁ、そんなところだ」
そうして、撮った写真に映像が現れ、それを確認すると写真をポケットに仕舞い、ロマネスクは二人に言った。
「さて、おしゃべりの時間は終わりだ。写真も撮れたし、仕事を終わらせてもらうよ」

(^ω^)
「さっき、部屋を探してたらこれが出て来てね、使わせてもらうよ」
そう言って、ロマネスクは紙に包まれた四角い物体を取り出した。
「何だお、それは?」
目を細めて物体を見つめ、そう聞くブーンにツンが溜め息混じりに答えた。
「プラスチック爆弾よ」
「なっなっなっ」
言葉を失うブーン。
包んでいる紙をめくると《C4》とプリントされているそれは、確かにプラスチック爆弾だった。
――プラスチック爆弾。それはロマネスクにとってはほんの気まぐれだった。
いつもならば、ロマネスクは迷うこと無く銃で仕事を遂行し、ツンとブーンは今頃死体になっていた。
だが、今日に限り、ロマネスクの思考にある男の言葉がひっかかっていた。
新巻の言葉だった。
『君は古いタイプの殺し屋なんだな』
『殺し屋と言えどもサービス業だろう。今の時代、クライアントの要求には最大限応えるべきでは無いのかな?』
『今日、こいつにはプラスチック爆弾での爆殺を命令してね』
今までの殺しは全て銃で行い、そして、それ以外の方法での殺しは全て断ってきたロマネスク。
それは、確実さを追求した為であり、そして確実さこそがプロとしての最大のサービスだとだとロマネスクは思っていた。
そして、顧客もそんな自分の仕事ぶりに満足しているものと疑わなかった。
しかし、荒巻の言葉を聞いて、ロマネスクはそれは思い上がりでしかなかったのだろうかと自問した。
――時代は変わったのだろうか? もし、クライアントが望むのであれば、銃以外での方法、例えば爆弾による爆殺などもこなすべきなのだろうか?
そんな事を考え、ロマネスクはこの部屋でプラスチック爆弾を見つけた時に今回はこれを使ってみようと何気なく思ったのだった。
 ロマネスクはプラスチック爆弾を近くに置いてあった新聞紙で大きな塊になるように包むと、それをツンとブーンの椅子があるすぐ後ろの暖炉の中に置いた。
次にロマネスクはポケットから煙草を取り出すとそれを咥え火を付ける。
そして、煙草を持つと爆弾の周りを覆った紙にフィルターの根元過ぎまで埋め込んだ。
「気になるか?」
ロマネスクの作業を、必死に首を回し、不安な顔でじっと見つめるブーンにロマネスクは聞く。
ブーンは無言のままこくこくと頷く。
「これはな、簡易時限発火装置だよ」
ロマネスクがブーンに説明した。
「煙草は一度火を点けると、何もしなくても消えない事は知ってるな? つまり、この煙草は燃焼し続け、火のついた部分はどんどんとフィルターの方へ下がって来る。そして、いずれ火はこの新聞紙と接した部分に達し、新聞紙に火が移る。火が移った新聞紙は燃え、そして炎は中の爆弾に引火し――」
言葉を止め、右手で爆発のゼスチャーをするロマネスク。
ロマネスクの説明を聞き終えるとブーンは再び振り返り、その目は煙草の火に固定された。
 ロマネスクは一度、窓から正面玄関を確認すると鞄を持ち、ドアへと向かった。
そして途中で振り返り、二人に言う。
「では、さようなら」
ロマネスクの足音が遠ざかり、そしてドアが閉まる音が聞こえてきた。

(^ω^)
「フーッ! フーッ!」
「何やってんのよ?」
横から聞こえる奇妙な音にツンが問い掛ける。
「何って煙草の火を消すんだお!」
冷や汗をかきながら必死で煙草を消そうと息を吹きかけるブーン。
だが、それは燃焼物に酸素を与える行為に過ぎず、煙草はジリジリと音を立てて燃え、余計に早く短くなっていった。
「し、しまった! この作戦は失敗だお!」
焦るブーンにツンが言う。
「いいから、椅子の背中をこっちに向けなさいよ」
言われるままにブーンは固定された足をちょこまかと使って椅子をガタガタと動かし、椅子をツンと背中合わせにする。
「そのまま動かないでよ、今ロープを解くから」
そう言って、縛られた後ろ手を使ってブーンのロープを解こうとするツン。
暖炉に正面を向ける形になったブーンは目の間にある爆弾と燃える煙草が気になってしょうがなかった。
「そ、そうだ! 煙草をあの塊から外しちゃえばいいお!」
足元にあった火かき棒を何とか足で突っつき、それで爆弾の包まれた塊を動かそうとするブーン。
「ちょっと! じたばた動かないでよ! 解きにくいじゃない!」
怒るツンにブーンは言う。
「で、でも、これで煙草を外しちゃえば大丈夫だお!」
ブーンの言葉にツンが言い返す。
「いいから、そんなの放っておいてじっとしてなさいよ!」
怒られたブーンはなるべく動かないようにし、それでも足を使って火かき棒を突っついていた。
その時、火かき棒で突付かれた振動で煙草がぽろりと外れた。
一瞬、笑顔になったブーンだが、直後、その笑顔が引きつった。
外れた煙草が新聞紙に絡み、燃焼している部分が直接新聞紙に触れるようになってしまったのだ。
煙草はじりじりと新聞紙を焦がし、やがてそこから火が上がった。
「うわぁぁぁぁ! 火が! 爆弾に火が移ったお!」
火は勢いを増し、新聞紙を燃やす。やがてそれは炎となって燃え上がった。
「ばっ、爆発するお! 死んじゃうお!」
「うるさいなぁ」
騒ぎ、動くブーンにうんざりしながらもツンはブーンのロープを解き続ける。
だが、火は燃え盛り、ついには新聞紙の中のプラスチック爆弾に引火した。
「も、もうだめだー!」
そう叫んだ時、ブーンを拘束していたロープがはらりと解けた。
「おっ!?」
するとブーンは大急ぎで自分で足のロープを解くと立ち上がり、バスルームへ駆けて行った。
「ちょっ、ちょっと! わたしのロープも解いてよ!」
そう言うツンにブーンはバスルームからきっぱりと言い返す。
「そんなの後だお!」
そして、数秒後。ブーンはゴミ箱に水を汲んで持って来ると暖炉に向かって盛大に水を撒いた。
ジューっという音と共に火は消し止められた。
「一日に二度も爆弾で殺されそうになるなんてついて無いお……」
そう言って、その場にへなへなと座り込むブーン。
そんなブーンに冷たい声が飛んで来た。
「ブーン?」
見れば、椅子に縛られたままのツンが冷たい目でブーンを見ていた。
「はっ、はいはい! 今、解きますお!」
ブーンはしゃきんと立ち上がりツンのロープを解きに向かった。

(^ω^)
「ツン――、海のかけらって何の事だお?」
ツンのロープを解きながらブーンがツンに聞く。
「――え? うん。ああ、海のかけら? 何だろうね、あれ? わたしにも分からないわ」
そんな事を言うツン。
「って言うか――!」
直後、ブーンが叫ぶ。
「何でこの部屋に爆弾なんかがあったんだお!?」
手のロープが解け、足のロープを自分で解くとツンは立ち上がりクローゼットに向かって行った。
「ツン?」
再度聞くブーンにツンは言う。
「そんな事いいから、ちょっと手伝って!」
そうして、クローゼットの中から鞄を取り出すと、開けて中を確認し、その鞄をブーンに投げた。
答えも貰えず、ツンが何をしているのかも分からず、ぼーっとまぬけ面を曝していたブーンだったが、受け取った鞄の口から覗き見えた中を見てその表情は驚愕に変わった。

(^ω^)
 渡辺への尋問の結果、この騒ぎの元凶が判明した。
――それはあの鞄だった。銀行強盗が使った、銀行から奪われた大量の現金が詰まった鞄。それが全ての元凶だった。
あの、腕を切り落とされ、そして自身もプールに落とされた男も銀行強盗の一人だった。
銀行強盗は鞄を奪われ、それを取り返す、だが仲間割れ、男は腕を切られ落とされ、女は別な女と鞄を手に入れる、その後に鞄は更に別な奴に奪われ、その鞄を巡っての銃撃戦の末、最終的に鞄は今、また別な奴の手にある。
――ふぅ、長い話だ。
 そして、渡辺の話で状況が分かった事が二つあった。
一つは捕らえるべき犯人の人数。
渡辺の話によればあの時の銃撃戦に参加していたのは残り二人。一人は今現在、鞄を持っている男。もう一人は途中で逃げた男。二人共に顔は良く憶えていないらしいがその内の一人の名前が分かった。ブーンと呼ばれる男だそうだ。
もう一つ分かった事は保護すべき客について。
それは一人の女性で、渡辺が言うには、鞄を奪ったとの事だが、話を聞くと偶然鞄を手にしたせいで巻き込まれたっぽい。渡辺曰く、さっきのブーンと逃げたという事だが、それは渡辺の主観で実際は拉致されたとかそういう事なのかもしれない。
つまり、今現在ホテルにいるのは犯人が二人、宿泊客は渡辺とその仲間を差し引いて残り三人、そして後は人数不明のその他の客だ。
 彼女の言葉を信じるならば、爆発と渡辺・ギコの二人は関係が無かった。むしろ二人は巻き込まれたらしい。
やはりあれはあれで犯罪組織同士の抗争の結果なのだろうか? いや、だがそんな事があるだろうか? 普通に考えればあの鞄の事を知っている誰かが爆弾を使ってその鞄を奪ったと見るべきだろう。
 ――さて、以上の状況から、やるべき事は3つ。
騒ぎの元凶でもある盗まれた金の入った鞄の回収、銃撃戦の犯人二名を捕まえる、そして女性およびその他数人の客の救出。
「『鞄は回収する』『犯人を捕まえる』、そして『客も救出する』。「両方」どころか「全部」やらなくっちゃならないってのが、つらいところだな」
ドクオは独り言を呟き、そして、心の中で思う。
――覚悟? そんなものが俺にあるはずは無い。
そうしてドクオは決心した。
「――しかしまぁ」
ドクオは溜め息をつき、ホテルを見上げると呟いた。
「鞄ひとつでこんなにも世の中の平和が乱されるとはね――」

(^ω^)
「隊長、ちょっといいかい?」
ドクオは特殊部隊の隊長を探すと声をかけた。
「なんでしょう?」
ブリーフィングを中断し、隊長がドクオのところへやってくる。
「――今回の作戦で、君にとって一番重要な任務は何だ?」
ドクオの質問に隊長が答える。
「我々部隊の目標は犯人の検挙もありますが、一番優先されるべきなのは巻き込まれている市民の救出です」
その言葉を聞いてドクオは頷くと言った。
「よし。ではこうしよう――」

(^ω^)
 ホテルの館内放送用のマイクの前でドクオは小さく深呼吸をした。
ホテル1階、フロント裏の事務室。ドクオの立案した作戦が開始され、ドクオは交渉班と共に特殊部隊の護衛を付けてその部屋に入って来ていた。
そして、マイクのスイッチを入れるとドクオは言葉を発した。
『犯人に告げる――』
――くぅ〜。かっこいい!
ドクオは心の中で自分に酔っていた。以前からドクオはこの台詞を一度でいいから言ってみたかったのだ。
そして、ドクオは続きの言葉をマイクを通じて犯人に告げた。
『鞄を持っておとなしく出て来い。繰り返す、鞄を持っておとなしく出て来い』
ドクオの言葉が放送設備を通じてホテルの全館内に響いた。

「――結局、一番普通な感じですね」
一緒に来ていた護衛の隊員がドクオに言う。
「そうだな。だがとにかく――」
ドクオは肩をすくめ、言う。
「犯人を見分けるのに一番便利なのはあの鞄だ」
「はぁ……」
気の無い返事をする隊員にドクオは続けて言う。
「あれだけの札束だ、隠し持って出て行くには多すぎる」
「でも、それじゃあ、犯人がお金を諦めて客のふりして出て来たら見分けがつかないんじゃないですか?」
そう言い返す隊員にドクオは言った。
「――いいんだ、それで」
「いいんですか?」
聞き返す隊員にドクオが説明を始めた。
「そもそも、この事件で問題なのは、何故このホテルに集まった誰も彼もがここに、というかあの鞄に大金が詰まっている事を知っているのか、だ。――しかし、それは今はいくら考えたって分からない」
ドクオは肩をすくめてそう言うと、それから隊員を見て言った。
「だがとにかく、今、一番大事なのは、この一連の、爆破・腕切り・飛び降りに銃撃戦、そしてこれから先に何が起こるか分からないこの異常な事件をここで終わりにする事だ。――そして、それを可能にする手段がたった一つだけある」
隊員が身を乗り出してドクオの言葉の続きを待つ。
ドクオはマイクを見つめ、言った。
「それは《あの鞄の存在を知っている全員に、鞄を諦めさせる事》だ」
それからかぶりを降って隊員に言う。
「だから、犯人の見分けが付かなくなってもいいんだ。今一番大事なのはこのイカレた事件をここで止めることだ」
「でも――」
何かを言おうとする隊員を遮ってドクオは言った。
「分かっているさ、本来ならばやるべき事は三つ。『犯人を捕まえ』『鞄は回収し』、そして『客も救出する』。だが、俺にそんな覚悟は無い。だから――、だから俺は『犯人を捕まえる』のは諦めた」
そして、ドクオは呟くように言った。
「それに――、あいつが言ったんだ。『犯人は私が捕まえる。お前は余計な手を出すなよ』ってな」
ドクオはにやけながらそう言った部長の顔を思い出していた。
隊員もさっきの部長の顔を思い出したのだろう、にやりと笑うと肩をすくめて言った。
「なら――、仕方が無いですね」
そしてドクオが言う。
「それに、俺がここに来た理由――銀行強盗の方はもう犯人を二人共捕らえて解決してるしな。その上、犯人が金を諦めれば、被害品も回収出来て言う事無しだ」
「それに――!」
隊員が気付き、嬉しそうにドクオに聞いた。
「犯人が金を諦めて逃げれば、俺達特殊部隊の第一目標、《巻き込まれた市民の救出》も可能になるって訳ですね!」
「そうだ」
ドクオが隊員に向き直り答える。
「あ、でも――」
隊員がふと思いつきドクオに聞いてきた。
「犯人が人質取って、何か要求してきたら?」
ドクオはにやりと笑うと隊員に言った。
「それこそこっちの勝ちだ。犯人が判明し、それを解決するプロの部隊――君達がここにはいるんだ」

(^ω^)
 ――やっかいな事になったな。
放送を聞いたロマネスクは思っていた。
そして、何故こう誰も彼もがこの鞄の事を知っているのかと考え、その理由を思いついた。
――見逃したあいつからの情報か。
自身の行動を反省し、そしてあっさりと鞄を捨てる決意をする。
――さっき部屋から見た様子だとあの正面玄関の包囲を突破するのは無理だ。鞄を捨てて客に紛れて切り抜けるか。
そうして、そっちの問題には結論を出したロマネスクだが、その前にもっとやっかいな問題が立ちはだかっていた。
ロマネスクはツンの部屋を見ながら苛立たしげに呟く。
「――何故、爆発しないんだ」
仕掛けてきた爆弾がかれこれ結構な時間が経つのに爆発しなかった。
煙草で作った発火装置がうまく作動しなかったのだろうか? だが、それを確認する為に部屋に入った途端に爆発し、巻き込まれるのもご免だ。
――面倒な事になった。やはり、自分のスタイルを崩すものでは無いな。
ロマネスクは再び自身の行動を反省し、やはり今までの自分のやり方――銃で始末する決意をした。
さらに数分待ち、さすがにもう不発だと確信したロマネスクは銃を構え部屋に入った。
廊下を抜け、暖炉のある部屋に入る。
だが、そこには二脚の椅子があるだけだった。

(^ω^)
 部屋が無人なのを確認し、一歩下がったロマネスクの背後でカチリと音がした。
「動かないで」
ツンがロマネスクに向け銃を構えていた。
「まずは手に持った拳銃を遠くに投げなさい」
言われる通り、銃を投げ捨てるロマネスク。
ゴトリと音を立てて銃が転がった。
その間、ロマネスクは右腕に仕込んだ銃でツンを撃つタイミングを見計らっていた。
だが、ツンが劇鉄を起こしているせいで、下手な撃ち方をすると銃が暴発して自分に被害が及ぶ心配があった。
その為ロマネスクはじっと反撃出来るチャンスを待つ。
「次よ。その鞄をあのテーブルに置いて、それから部屋の真ん中に行きなさい」
ロマネスクは鞄を指定のテーブルに置き、言われるがまま、部屋の中央に立った。
両手を挙げ、じっとツンを見つめるロマネスク。
ふと、その目が暖炉に移動した。
暖炉は水で消火されていたものの、それでもプラスチック爆弾には引火していたらしく1/3ばかりが焼けていた。
「どうして爆弾が爆発しなかったのか、気になるみたいね」
ツンがロマネスクに話しかける。
「どうやらあなた、知らなかったみたいね」
そう言われ、ツンに向き直るロマネスクにツンは言った。
「プラスチック爆弾ってね、普通の火薬を使った爆弾なんかと違って、たとえ火を点けても燃えるだけで爆発はしないのよ」
そう言ってツンはにこりと微笑んだ。
ツンの言葉に驚くロマネスク。ツンはその表情を見て言った。
「どうやら爆弾は専門外だったみたいね」
「そうだ、失敗したよ。やはり、自分のスタイルは崩すべきでは無いな」
手を上げたまま、そう言うロマネスクにツンが答えた。
「そうね、自分の専門外の事は止めておいたほうがいいわね」
そして、自分の手にある銃を見つめ、言う。
「――だから、わたしもこれは止めておこう。それにさっき、これのせいでひどい目に遭ったしね」
そう言いながらツンは銃を机に置いた。
「だって、わたしの専門は――」
その瞬間、ロマネスクが動いた。
袖口の仕掛けを作動させ、ロマネスクの右手には銃が現れる。
「ツン! 危ないお!」
だが、次の瞬間、ツンの右側から銃を持ったブーンが飛び出して来た。
――ロマネスクは失敗した。
ロマネスクはその男の弾は当らないという事を知っていた。そして、その男に弾は当らないという事を知っていた。
だが、それでも、ロマネスクは己の銃口をその男に向けてしまった。
それは、致命的な失敗だった。ロマネスクの銃口はその男、ブーンでは無く、反対側にいるツンに向けられるべきだった。
そうしてロマネスクは引き金を引いてしまった。
弾丸はまるでそれが当たり前のようにブーンを避け、後ろの壁に小さな穴を空けただけだった。
ロマネスクはツンに振り返る。
最後の一発で撃ちそこなったツン。その手には小さなスイッチが握られていた。
ツンがロマネスクににこりと微笑み、言った。
「わたしの専門は――、爆弾なのよね」
そうして、カチリと音を立てて、ツンはそのスイッチを押した。

(^ω^)
 部屋に爆発音が響いた。
――殺られる!
そう思ったロマネスクは体を硬直させた。
だが、音が聞こえ、爆風を感じ、多少何かの破片が上から降って来たたものの、自身の体には何の変化も無かった。
周囲をゆっくりと確認する。
すると、自分の上の天井に大きな丸い青色があった。いや、それは天井に開いた穴で、そこから晴天の空が見えていたのだ。
ロマネスクは戸惑った。てっきり殺されると思ったのにこれは一体何だろうか。
困惑の表情を浮かべ、ツンを見るロマネスク。
そんなロマネスクにツンはもう一度にっこりと笑いかけ、言った。
「じゃあね、さようなら」
そうして、ツンは手の中のスイッチをもう一度押した。
次の瞬間、ロマネスクはかつて経験した事の無い加速感を体に受けた。
何が起こっているのか――、そしてやって来た無重力の中でロマネスクは自分が空を飛んでいるのを知った。
足元の床が爆発し、その衝撃でロマネスクは天井の穴から空中に打ち上げられたのだった。
湖が見えた――。きらきらと光る湖面が逆さまになったロマネスクの視界に映る。
 そして、次にやって来たのは引力だった。
視界にあった湖はあっと言う間にたった今自分がいたホテルの向こうに消え、そしてホテルの壁面がものすごい勢いで上って行く。
しかし、それは決してホテルの壁が上っているのでは無かった。ホテルの壁は動かない、動いているのはロマネスクで、ただ地面に向かって落ちて行っているだけだった。
どうやら、正面玄関の方に飛ばされたらしい。下を見ると、警察のパトカーが何台も停まっていた。
爆発音で気付いたのだろう、何人かの警官が落ちて行く自分の方を見て、口を開けていた。
――このまま、墜落して死ぬのだろうか。
ロマネスクがそう思った瞬間、何かが連続して体に当り、落下速度が急激に落ちていった。
ロマネスクを止めた物、それはホテルに植樹された木だった。落ちて来たロマネスクは正面玄関脇の木に突っ込んだのだった。
複雑に張り巡らされた木の枝はロマネスクの加速を落とした。だが、代償にロマネスクは全身に打撲と切り傷、骨折を受けた。
そうして、高さ四メートル程の枝にロマネスクは引っかかり止った。
「大丈夫か!? 今助けるぞ!」
警官達が近づいて来る。
「ここに被害者がいるぞー!」
ロマネスクは薄れゆく意識の中で必死に右腕の仕掛けを外し投げ捨てた。
――これで大丈夫だ。後はホテルに来た客のふりをしていればいずれ逃げられる。
そうして、ロマネスクは安心し、全身の力を抜いた。
その時、ロマネスクのポケットから一枚のインスタント写真が落ちた。
写真はヒラヒラと助けにきた警官の前に辿り着く。
「ん?」
警官はそれを拾い、写真を確認するとロマネスクに銃を構えた。
「動くな!」
それはどう考えても怪しい、椅子に縛られた二人の男女の写真だった。
 木から降ろされ、拘束されるロマネスク。
そんな様子を部屋の窓から見ながらツンが言った。
「プラスチック爆弾っていうのはね、こうやって使うのよ」

(^ω^)
「うまく行ったわね」
ツンがブーンに振り返り、笑顔で言う。
ブーンは手を振りながら蒼い顔で言い返す。
「いやいやいや、かなり危なかったお」
「あら、そんな事無いわよ」
そう言って、ツンはブーンに微笑む。
「――さて、それじゃ行きましょうか」
ツンが向き直り言った。
「行くって、何処に行くんだお?」
聞き返すブーンにツンは答える。
「何処って、ここから出て行くのよ」
「で、でも……」
ブーンは下を向いて呟く。
「ぼく、きっと捕まっちゃうお……」
実際にはブーンはマガジン2個分の弾丸を無意味にばら撒いただけで、何もしていないのだが、それでも一応、警察の探している《犯人》であり、捕まって尋問されたら、爆弾を持ち込んだ事等で色々とややこしい事になるのは目に見えていた。
そんなブーンにツンはきっぱりと言った。
「大丈夫よ! あんたのまぬけ面ならよっぽど変な事しなければ疑われないわよ。それに、何かあったらわたしが友達だって庇ってあげるわよ」
それでも俯いたままのブーン。
そんなブーンをツンは怒鳴りつける。
「どうすんのよ! ずっとここにいる訳にもいかないでしょう!?」
「わ、分かったお……」
ツンの迫力に押し切られ、ブーンは下に行く決心をした。
「よしよし」
ツンはブーンにそう言って微笑むと、でも――と、テーブルの上を見て呟いた。
「あれは持っていけそうに無いわね」
テーブルの上、ツンの視線の先にはロマネスクの残していった鞄があった。

(^ω^)
 ――犯人が空から飛んで来た。
ドクオは唖然としていた。
爆発、腕無し男の転落、銃撃戦、また爆発、そして最後には犯人が飛んで来る。
――この事件は一体何だ? こんな事が起こりえるのか? 実は今回の事件、ターゲット以外は全て仕掛け人、とかいうオチか? それにしてもこの俺はノリノリなのか?
ドクオは一旦、目を閉じ、心を鎮め考える。
いや、でもこれで後一人、ブーンとかいう奴さえ捕まえれば事件は解決だ。
解決なのだが、やっぱりそれにしたって――。
ドクオはきょろきょろと周りを見回し、カメラが無いか探してみた。
「捜査官!」
そんな事をしていると一人の警官が近付いてきてドクオに声をかけた。
「なっ、何だ?」
恥ずかしいところを見られたような気がしてドクオは慌てる。
「落ちて来た男の持っていた車の鍵と、正面玄関に置いてある車の鍵が一致しました」
「そ、そうか」
「どうしましょう?」
「そ、そうだなー。あそこにあると邪魔だし、どっ、どこかに移動しておいてくれ」
「分かりました」
そうして警官が去って行くと、今度はドクオはカメラを探すのを止め、小さく呟いてみた。
「……そこで見ているのは分かっているぞ」

(^ω^)
 ツンは鞄を持ってベランダをうろうろしていた。
「何をしてるんだお?」
ブーンの問い掛けにも答えず、ベランダにしゃがみこんで何かしているツン。たまに手を止めて振り返り外の景色を眺めたりしている。
しばらくそんな事をしていたが、やがて部屋に戻って来るとツンはブーンに言った。
「お待たせ。さ、行こうか」
「ツン。もしかして、鞄を隠して後から回収するのかお?」
「――え? うん。まぁ、そんなところね」
ツンの答えにブーンは笑いながら言う。
「おっおっおっ、無理だお。きっと警察が徹底的に捜索して見つけ出しちゃうお」
「そうかもね」
さして気にする風でもなくツンはそう答えた。
そして、「ほら、行くわよ」と言うと玄関に向かって歩き出す。
「ま、待ってだお」
後を追うブーンが振り向きざまにベランダを見ると鞄は隠すどころかベランダに置いた箱の上にそのままの姿で置かれていた。

「もしかしてぼくが持ってた鞄の中が爆弾だった事、最初から気付いてたのかお?」
1階へ向かうエレベーターの中でブーンがふとツンに聞いた。
ツンはじっと見つめていた階数表示のランプからブーンに向き直り答える。
「そうよ、どきどきだったわよ」
「でも、どうして分かったんだお?」
ブーンの問いにツンがふふん、と答える。
「微かに、本当に微かにだけど匂いがするのよ、プラスチック爆弾は」
「へ〜、すごいお」
関心するブーンにツンが腕を組んで言う。
「それよりも、あの時はあなたがうっかり開けるんじゃないかと本当に気が気じゃ無かったわよ」
「――ありがとうだお」
「はっ?」
突然のブーンのお礼にツンは戸惑う。
「ツン、ありがとうだお」
「だっ、だから何が?」
聞き返すツンにブーンが言った。
「ぼくを助けてくれたんだおね?」
それを聞いたツンは顔を赤くして言い返す。
「ちっ、違うわよ! 誰があんたみたいなの……。自分が危なかったから仕方なくよ!」
言い返すツンにブーンも言い返す。
「それだったら、自分だけ逃げればよかったんだお」
「そっ、それは――!」
その時、チンとベルが鳴り、エレベーターが1階に到着した。
「ほ、ほら! 行くわよ!」
ブーンから顔をそらせそっぽを向いてツンはエレベーターを降りた。
二人はエレベーターから正面玄関に向かって歩く。
そして、正面玄関のドアの前に辿り着き、ふとツンが足を止めた。
ブーンもその横に立ち、心臓をどきどきさせる。
「……うまくいくかなぁ? 心配だお」
そう言いながら隣のツンを振り返り、ブーンはぎょっとした。
ツンが大粒の涙をぼろぼろと零し始めたのだ。

(^ω^)
 ドクオの目に飛び込んで来たのは空から落ちてきた犯人、ロマネスクが持っていた写真に写っていた椅子に縛られた女性だった。
その女性がホテルの正面玄関からこちらに向かってよろよろと歩いて来る。
その後ろからは同じく椅子に縛られていた男がとぼとぼとついて来る。
すぐに警官が駆け寄り、二人を保護した。

 保護された女性にドクオは話しかける。
「宿泊客の方ですか?」
「はい……」
女性は涙を流しながら震える声で答えた。
――かわいそうに、こんなかわいい子が人質にされて、さぞかし恐かったんだろう泣いてるじゃないか。
そんな事を思いながらドクオは聞く。
「失礼ですが、お名前は?」
「ツンです」
書き写した行方不明者リストに名前がある事を確認し、ドクオはツンを警察のバスへ案内した。
「こちらへどうぞ。少し、お話をお伺い出来ますか?」

「君は? 宿泊客? 部屋番号は?」
不躾に名前を聞いてくる警官、そしていきなりツンと離れ離れにされてしまい、ブーンはすっかり気が弱くなっていた。
「ぼ、ぼくは宿泊客じゃ無いですお……」
おずおずと答えるブーンに警官は次の質問をぶつけてくる。
「そうか、で? 名前は?」
「に、ににに、西川ホライゾンです……」
咄嗟に偽名を教えたブーンだが、嘘をついた事で余計に自分にプレッシャーを与えてしまった。
「今日は何をしにここへ?」
「……え? あ、あの、それは……呼ばれて……」
言葉に詰まるブーン。
「呼ばれて? 誰に?」
「いや、あのそうじゃなくて、鞄が……」
「鞄?」
「いやいやいや、違うお!」
言ってはいけない事があるというプレッシャーが余計にその単語を口に出させる。ブーンはそんな人間だった。
「ねぇ、西川さん」
「………………あっ、ぼ、僕の事かお? 何ですかお?」
警官の問いかけにかなりのタイムロスを経て答えるブーン。
既に尋常じゃない量の冷や汗をかき、ブーンは今にも頭がおかしくなりそうだった。
「大丈夫ですか? 何か、凄い汗ですけどご気分でも?」
あまりに様子のおかしいブーンに心配する警官。
そんなブーンに気付き、遠くから事態を察したツンが庇おうと声をかけた。
「あ、あのすいません、その人は――」
その時だった、ブーンが心配してくれた警官に答えた。
「だ、大丈夫ですお。気分は悪く無いんですけど、ただこれ以上嘘をつくのが……」
「――え?」
「…………お?」
警官、ブーン、ツン、そしてドクオ。その場にいた全員が数秒間、かたまった。
「――――ふぉおおおおおおおお!」
そして、自分の失敗に気付いたブーンが猛烈な勢いで走って逃げ出した。

(^ω^)
「逃げたっ!?」
驚く警官にドクオが叫ぶ。
「何やってるんだ、追えっ!」
ドクオの声に周囲の警官が気付き、ブーンを追う。
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」
走り去るブーンに警官達が銃を構える。だが、ブーンは止まらず、両手を広げてそのまま走り続けた。
そして、止まらないブーンに、ドクオは止む終えず命令を出す。
「仕方が無い、撃て!」
警官達が一斉にブーンに向けて発砲する。だが、やはりブーンには当たらない。
そしてブーンは激しい銃声の中、エンジンがかけたまま停められていた一台の真っ赤なアウディを見つけ、それに乗り込むとタイヤを軋ませながら発進した。
「止めろ! 行かせるな!」
ドクオの命令に警官達がショットガンでブーンの車を撃ったが、いずれも当らず、車は走り去ってしまった。
「追えっ! あいつが最後の犯人だ! 全員、あいつを追うんだ!」
次のドクオの命令に警官達は次々とパトカーに乗り込み、ブーンを追い始めた。
そうして、ドクオの言葉通り、ホテルの正面玄関前に配置されていた殆ど全員の警官がブーンを追って行ってしまった。
「……へぇ、あいつ、車でも当らないんだ」
「何か?」
ツンの呟きにドクオが聞き返す。
「えっ? いやいやいや、何でもありませんわ」
慌ててそう答えるツンにドクオがもうひとつ聞く。
「そうですか。あ、それとさっき何か言いかけてませんでした? その人は、とか何とか」
「――え? うん。ああ、えーっと……」
ツンはそこで首を振って潤んだ目でドクオを見つめ、答える。
「あ、あの人も、悪い人だったんですか? さっき、その人とはエレベーターで偶然一緒になっただけです、って言おうとしたんです……」
そうしてツンは自分の体を抱きしめ、恐い、と呟く。
「だっ、大丈夫ですよ!」
そう言って何故か両手を上げるドクオにツンはにっこり微笑んだ。
「ありがとう。心強いわ」
その笑顔にドクオは舞い上がり、顔を赤くしながらツンに言う。
「そっ、それじゃああっちで、お話いいですか? ――あ! いやいやいや、あれですよ? 事件のお話ですよ? 一緒にお話しようって意味じゃないですよ、あははははー」
笑うドクオにツンは微笑み、それから下から見上げるようにお願いをした。
「すいません、その前に。ちょっとトイレに行ってもいいですか?」
「え? あ、こっ、これは気付きませんで、すいません。どうぞどうぞ。えーっとあっち、テニスコートの横にあるのが使えます。場所は分かりますか?」
あわあわと返事をするドクオ。
「はい。大丈夫です」
ツンはそう返事をするとドクオに背中を向けて歩き出し、途中で一度だけ振り返ると微笑んで言った。
「それじゃあ」

(^ω^)
 ツンはホテルの敷地を抜け、テニスコートとは反対側、隣接するゴルフ場に向かって歩いていた。
ホテルの周囲は警察による非常線がひかれてピリピリした雰囲気に包まれていたが、その外はいたって平和そのものだった。
さっきまでの争いが嘘のようだった。木々の緑が落とす影と湖からの風が心地良い。歌でも歌いだしたい気分だった。
そうしてツンが上機嫌で敷地の柵沿いに道を歩いていると前方から小さい何かが足元に近付いて来た。
「きゃんきゃんっ!」
それはチワワだった。ツンはチワワを抱き上げ、言う。
「お前生きてたの!? 良かった〜」
そして、ぎゅっと抱きしめて顔をすりよせる。
ぺろぺろと顔をなめるチワワにツンは聞く。
「お前と一緒に落ちた二人は?」
その時、前方から「おーい、どこに行ったんだー?」と声が聞こえて来て、やがてずぶぬれになった二人の男が現れた。
それは流石兄弟で、ツンは二人に声をかける。
「あら? あなた達も、無事だったの?」
「ああ、椰子の木とプールのおかげでな」
弟者がそう答え、説明をしてくれた。
ベランダから転落した二人と一匹を助けたのは椰子の木とプールだった。
まず椰子の木が落ちて来た二人と一匹のスピードを和らげ、そしてプールがその衝撃を吸収した。
それでもかなりの衝撃だったが、しかしホテルの最上階から落ちたにも関わらず二人と一匹は奇跡的にも怪我一つ無かった。
「警察は?」
ツンの質問に弟者が答える。
「いたよ。っていうかむしろ警察にプールから上げてもらった」
「大丈夫だったの?」
「ああ。客のふりをし通して無事に開放された。まぁ、何と言っても俺達が持っていたのは銃でも爆弾でも無く、犬、だったからな」
「へぇ〜」
そんな話をしたいる間に三人はツンの目的地であるゴルフ場の13番ホール、ツンの部屋から見えたあのホールに着いた。
「――さて、と。この辺ね」
グリーンに入り込み、呟くようにそう言うと、ツンはポケットから小さいスイッチのついたスティックを取り出した。
「どうした? こんな処に入ったりして、逃げるんじゃないのか?」
そう聞く弟者にツンは首を振る。
「ちょっと回収しないといけないものがあってね」
そしてそう言うとツンは、そのスイッチを押した。
数秒後、ホテルの方から微かにポンッというくぐもった音が聞こえて来た。

(^ω^)
 バスの前でツンを待っていたドクオの耳に不思議な音が聞こえて来た。
微かに聞こえたくぐもった音、それは何かの爆発音のようにも聞こえた。
「おい! 今の音――」
「君がドクオだな?」
誰かに確認しようと振り返るドクオに一人の男が声をかけてきた。
「へ? はぁ、まあそうですが……」
威厳のあるその態度に思わずひるんでしまう小心者のドクオ。
「私はこういう者だ」
言葉と共に差し出されて身分証明書を見てドクオは驚いた。
その男は自分の上司である部長の更に上司、本部長だった。
「あ、あの……俺になにか? いや、俺が何か?」
恐る恐る聞くドクオに本部長が言う。
「いや、今、君の上司である部長がいる病院からの帰りでな」
「はぁ……」
まるでここに寄ったのはついでだというような本部長の言葉にドクオは聞き返す。
「部長は?」
「あの馬鹿、顎の骨が砕けててしばらく入院だ」
そう言って肩をすくめる本部長。
「まったく、出来の悪い部下を持つと苦労が耐えないよ」
それからドクオに振り返りポンと肩を叩いて言った。
「君も、出来の悪い上司で苦労したみたいだな」
「え? いや……あの……」
さすがに、そうなんです、と言う訳にもいかずドクオは言葉を濁らせ、目をそらせる。
だが、そんなドクオに本部長が言う。
「ボマー事件での活躍は知っているよ。君がいなければ、解決しなかったかもしれないという事もね」
意表をついた言葉にドクオは顔をあげ、本部長を見る。
本部長はドクオを真っ直ぐに見つめ、そして言った。
「本部はボマー事件での君の捜査能力を高く買っている」
「――――――っ!?」
ドクオは驚き、声を無くした。
もしかしてこんな風に褒められたのはドクオの人生で初の事かもしれなかった。

(^ω^)
 ――ああ、人に褒められるって気分良いんだな。
天にも上る気持ちのドクオ。
「だがなぁ――」
しかし、そんなドクオに本部長は続けて言った。
「それまでの仕事は駄目だな。駄目だ、まったく駄目、駄目過ぎだ」
「…………」
再び落ち込むドクオ。口をAの字にして肩を落とす。
だが、落ち込むドクオに本部長はジャケットの内ポケットからひとつの封筒を取り出した。
「そんな訳でまずはこれだ」
「……何ですか?」
封筒を受け取り、聞き返すドクオに本部長が言った。
「ボマー事件の辞令さ。担当を君に戻す」
「いいい、今なんて!?」
聞き返すドクオに本部長がもう一度言った。
「君をボマー事件の担当に再任命する」
「い、いいんですか!?」
「いいもなにも、これは上層部の決定だ」
封筒を持ったまま呆然とするドクオに本部長が言った。
「さっきも言ったように君はこの事件以外ではまったく役に立ちそうに無いしな。はっはっはっ」
「……は、ははは」
笑う本部長の言葉が冗談なのか本気なのか分からず、ドクオは愛想笑いを返す。
「それと、君の提案の結果が中に一緒に入っている」
本部長がふとドクオに言った。
「も、もしかして!?」
ドクオは慌てて封筒を開き、中を確認する。
「そうだ、防犯カメラのデータを解析して得られた、ボマーの写真だ。《海のかけら》事件の時の物だよ」
海のかけら事件――。《海のかけら》は盗まれた宝石の名前だ。大きなブルーダイヤモンドでその色合いがまるで海を一粒持って来たように見える為その名が付いた。
1ヶ月前に、ボマーがさるマフィアの店から盗んだ物だったが、それは元々数年前にヨーロッパの宝石商から盗まれたものだった。
そして、この事件をきっかけに元々の盗難事件が発覚した事で捜査の手がそのマフィアの本国に及ぶかもしれないという状況だった。
「――どうだ? よく撮れているだろう」
満足そうにそう言う本部長。そしてドクオは封筒の中に、防犯カメラの映像からコピーされた数枚の写真を見つけ、それを見て、驚き、声を上げた。

(^ω^)
「――お、女!?」
そこに写っていたのは女性だった。今まで考えもしなかった『ザ・ボマーが女である』という事実にまずドクオは驚愕した。
「っていうかこれって――!」
そして、それ以上の驚愕の事実にドクオは言葉を失う。
「どうしたんだ?」
ドクオの様子に本部長が聞き返す。
「こ、これ! こいつ、こいつが、こいつは――、こいつ、たった今までここにいたんです! それで――」
そこから先は言葉にならず、ドクオは周囲を見回すとこちらに向かって来た警官を捕まえ聞いた。
「おい! さっきのあの女は何処に行った!? ――そうか、テニスコートのトイレか!
聞いてる途中で自分がその女の行方を知っている事を思い出し、続いてドクオは警官に命令した。
「追え! あの女を全員で追うんだ!」
興奮するドクオに警官が答える。
「いや、そう言われても……」
「何だっ!?」
「みんなさっきの男を追って行っちまいましたよ?」
「〜〜〜!」
ドクオは声を出す事が出来なかった。
 ドクオはもう一度写真を見る。そこにはさっきこの場を離れていったツンが写っていた。
「あのー、ところで捜査官。これ……」
警官がドクオの背後から声をかけた。
ドクオが振り返ると警官は一枚の紙を差し出しながら言った。
「さっき空から落ちて来た犯人が持っていたもう一枚の写真です。何かの役に立ちますかね?」
差し出された写真を見てドクオは絶句した。
それは今ドクオが持っているのとまったく同じ写真だった。
二枚の写真を見比べ、立ち尽くすドクオ、それを背後から見た本部長が声をかける。
「あー、やっぱり情報が漏れていたか。そんな様子もあったんだがな、まぁ、それはこっちで片付ける、君はボマーの捜査をしっかり頼むよ」
そして本部長は去り際に「それじゃあドクオ、今後の活躍を期待しているよ」と言い残し、行ってしまった。
しばらく、本部長の背中を見送っていたドクオだが、やがて写真をもう一度見て、それからポケットにしまうと、決意した。
――まさか女だったとはな、すっかり騙されたよ。とりあえず、第一ラウンドはお前の勝ちだ。だが覚悟しろボマー、俺は一生かけてでもお前を追うぞ――
「やるぞー!」
ドクオは声高く叫び、ボマーを追って、走り出した。

(^ω^)
 ツンと、そして流石兄弟がいる駐車場に飛んで来る物体があった。
遥か上空からここを目指してそれは真っ直ぐに飛んで来る。
そうして、流石兄弟の二人が口を開けて見守る中、その飛来物は正確にツンの正面、グリーンのど真ん中に落下した。
ドーンという音と共に僅かばかり地面が振動する。
「ホールインワン!」
ツンがにこりと笑い、それに歩いて近付く。
それは鞄だった。ツンがホテルに置いてきたはずの鞄。それがどういう訳かこの駐車場に飛んで来た。
未だに口を開けたまま、顔を見合わせる流石兄弟。
ツンはそんな二人に説明した。
「なに、大した事じゃないわよ。爆弾の爆発を利用して飛ばしただけ」
さらりとそんな事を言うツンだったが、それがどれだけ難しい事なのか、爆弾に関してまったく素人の流石兄弟でも分かった。
しかし、ツンにはそれだけの腕があったのだ。
抱いていたチワワを地面に降ろし、鞄を開けて中を確認するツン。
中には札束がぎっしり詰まっている。ツンは満足そうに頷くと鞄を閉め、呟いた。
「あーあ、色々な所に正体バレちゃったみたいだし、お金もあるし、しばらく外国にでも行こうかなー」
そうして、よいしょと鞄とチワワを持ち上げるツン。
そこでやっと正気に返った弟者がその鞄があの鞄である事に気付き言った。
「そ、その金は――」
その時、ツンがチワワを流石兄弟に向けて差し出し、言った。
「あなた達になら、任せてもいいわね」
「な、何を……?」
突然の事でツンが何を言っているのか分からず戸惑う弟者。
「この子よ。飼ってあげてくれない?」
ツンがにっこり笑ってそう言った。

(^ω^)
「――俺達がもともとその犬を身代金目当てで誘拐したって知ってるだろう?」
弟者がツンとチワワを交互に見て、聞いた。
「それはさっき聞いたけど、でも――」
ツンは弟者と兄者を交互に見て、言った。
「きっとあなた達がこの子の事を一番かわいがってくれるような気がするの。――どう? お願い出来ない?」
ツンの言葉に顔を見合わせる流石兄弟。
 そして、しばらくの沈黙の後、弟者がツンを見据え、低い声で聞いて来る。
「――その金は?」
その質問をきっかけに、両者の間に緊張が走る。
チンピラだったとは言え、流石兄弟も長い間、裏の世界で生きてきた人間だった。
だが、ツンは臆すること無く答えた。
「これはわたしが貰うわ。だって、わたしの努力で手に入れたんだもの」
「――俺達は犬、お前はお金って訳か?」
ツンを見下ろし、弟者はそう言う。
「そうね、じゃあおまけにわたしの車を付けてあげる。駐車場にある白いメルセデスのオープンよ、どう?」
そう言って、ツンは鞄を置き、車の鍵を差し出す。
だが、弟者はそれを受け取らず、じっとツンとそして足元の鞄を睨み続ける。
ツンも負けじと弟者を見つめ返す。
「――さっきも言ったけどあなた達が手に入れるはずお金はそもそも最初から無かったのよ。この鞄は偶然この場に現れた別の鞄」
ツンが弟者にそう言い放ち、それから続けて言った。
「だからあなた達は実質的には何の損も無しに《かわいい犬とかっこいい車》を手に入れられるのよ」
それからしばらく二人は睨みあっていたが、やがて弟者が言った。
「――あんた」
「何よ?」
弟者を睨み、聞き返すツンに弟者が聞く。
「ほんとに、ただ巻き込まれただけの一般市民かい? 誘拐犯なんて悪党相手に肝が据わりすぎだろう」
それを聞いて、ツンはにやりと笑い答えた。
「ふふん、どうだかね?」
すると弟者が肩をすくめ、言った。
「――分かった。それでいい」
「いいのか? 弟者」
今まで黙っていた兄者はそう聞き返しはしたものの、顔はちわにゃんを手に入れられる喜びで満面の笑みだった。
弟者は兄者に振り返ると爽やかに微笑みながら言った。
「いいさ、兄者。元々の車が欲しいという目的は果たせたし、それに、もう引退するんだしな」

「――じゃあね」
事件を見に来たらしいタクシーを拾い、鞄を持って乗り込むとツンは窓を開けて流石兄弟に微笑む。
「あ、そうだ、ねぇ!」
動き出そうとするタクシーを停め、窓から乗り出したツンが流石兄弟に言う。
「その子、名前が分からないから、いい名前付けてあげて」
ツンの言葉に兄者が言う。
「ちわにゃん――。この子の名前はちわにゃんだ」
「あは、いいね、その名前」
それを聞いたツンは満足そうに微笑む。
「じゃあね、ちわにゃん」
そうしてツンは腕を伸ばすとちわにゃんの頭を数回撫で、去って行った。

(^ω^)
「――なぁ、兄者?」
ツンから手に入れたメルセデスを運転しながら弟者が兄者を呼ぶ。
「何だ? 弟者」
助手席の兄者、膝の上ではちわにゃんが丸くなって眠っている。
「家までの道、分かるか?」
「家? どうした、転落のショックで記憶喪失にでもなったか?」
「いや、そうじゃなくてさ――」
弟者は前を向いたまま、ちょっと口を尖らせて言う。
「実家だよ」
「そうだな――、国道を西に向かってひた走ればいつか着くんじゃないか?」
「国道を西、か――」
弟者は道路案内板と太陽を見て方角を考える。
「どうした? 帰るのか?」
兄者の言葉に弟者が答える。
「ああ、悪党稼業は引退した事だし。家に帰って、みんなで西瓜を作るのも悪くは無いと思ってな」
「――そうだな、悪くないな」
兄者が微笑む。
「じゃあ――、帰るぞ」
弟者が言い。
「よし、帰ろう」
兄者が言った。
そうして弟者がハンドルを切り、流石兄弟とちわにゃんを乗せたメルセデスは国道を真っ直ぐ西に向かって走り始めた。
「だが、兄者」
そう言って兄者に振り返る弟者。
「流石の俺らでもここから実家まではかなりの時間がかかるぞ?」
すると兄者はうーん、と背伸びをして弟者に言った。
「構わないよ。車は快適で、空は晴天、金は無いが、隣りにはお前がいて、膝にはちわにゃんがいる。ドライブには最高じゃないか――」


2009.8.3掲載


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