[ TOP ] > 内藤怪談 弐 〜 ツンがクーに乗りうつられたようです 〜

(^ω^)
 その日は大学生になって初めての夏休みで、でも、何の予定も無いわたしは自分の部屋でブーンとわたしの二人でDVDを観ていた。
ブーンは隣りに住む幼馴染の男子でわたしと同い年。
勿論、「ブーン」というのはあだ名で本名は内藤ホライゾンと言う。
小さい頃、よく両手を広げて「ブーン」と言いながら走っていたのでそのあだ名が付いたのだが、今ではわたし以外に彼の事をブーンと呼ぶ人間はいない。
そのブーンとは、よくこうして一緒にDVDを観たり、ゲームをしたり、お互いの部屋でそれぞれ勝手に本を読んでいたりするが、別に幼馴染というだけで彼氏では無い。
いや、本当は、わたしはブーンの事が好きなのだけど、きっとブーンはわたしの事なんて好きじゃない。
それにそもそも、こういう時はいつも、わたし達は二人では無く三人で一緒にいた。
三人。わたしとブーン、そしてもう一人、わたしのお姉ちゃんのクー。
でも、お姉ちゃんは今はいない――。
「……ねぇこれ、どういう映画なの?」
DVDはブーンが借りてきた何やら小難しい外国映画で、わたしにはさっぱり意味が分からなかった。
「いや、面白いじゃないかお」
そう答えるブーンをわたしは問い詰める。
「――じゃあ、さっきのシーンはどういう意味があったのよ?」
「あ、あれはその……、あの人が……、あうあう……」
「ほら、分かんないんじゃない」
わたしは呆れてブーンに聞く。
「どうしたのよ? 最近、こんなのばかり借りて来て。いつもスカッと馬鹿みたいに分かりやすい映画を借りてくるあんたらしく無いじゃない」
「……いや、高尚な映画だって、評判だったんだお」
「高尚って、そんな映画あんたに理解出来るはずないでしょ?」
「ツ、ツンだって理解出来てないじゃないかお」
「……なん……ですって?」
「な、何でもないですお……」
睨みつけるわたしから目を逸らしブーンは俯く。
「こんなの借りてきて、その上解ってもいないのに面白いじゃないかお、って。何よ? 頭が良いとでも思われたいわけ? 今更」
「そ、それはその……」
「はぁ――――」
わたしはわざと大きく溜め息をつき、テレビを見る。画面の中では恋愛映画のはずなのに何故か軍人が自殺したり、主人公であろう女の人はそれを黙って見ていたりする。
「……き、きっと最後に全てが分かるんだお」
ブーンが顔を上げ、そう言う。
「そうね。とにかく最後まで観てみましょうか」
わたしもそう答え、それからわたし達は二人共、無言で画面を見続けた。
しかし、そうは言ったものの、わたしはもう映画のストーリーを理解するのを諦め、ぼーっと別な事を考えながらパカパカと変化する画面を黙って見つめているに過ぎなかった。
そしてそんな中、わたしの口から不意に言葉が零れた。

「――内藤、私は君のことがずっと好きだったんだ」

(^ω^)
「――内藤、私は君のことがずっと好きだったんだ」

 僕の横に座って、並んで映画を観ていたツンが突然そう言った。
「ツ、ツン?」
僕は驚いてツンに向き直り、聞き返す。
――でも、僕は確信していた。
これはツンの言葉じゃない。
だって、ツンは僕のことを「内藤」とは呼ばない。
そして、ツンは絶対にこんな直截的な言い方はしない。何と言うかツンは自分の思った事を素直に表現しないのだ。
だから、これはツンの発言では無い。
そして、僕は知っている。
こんな風に自分の気持ちを真っ直ぐに言葉にする人を――。
ゾクリと、背筋が冷たくなった。
僕はツンをもう一度見つめ、改めて聞いた。
「……いや、クー?」
そう、この言い方、この雰囲気は間違い無くクーのそれだ。
だけど、だけどクーは……。

――これは、僕がこの夏に体験した怪談話。


内 藤 怪 談  -弐-
〜 ツンがクーに乗りうつられたようです 〜

 

(^ω^)
――これは、わたしのこの夏のお姉ちゃんにまつわる思い出話。

「クー?」
ブーンの声にわたしはハッと気が付いた。
「え? あ、――な、何?」
「あれ? ……ツン?」
返事を返すわたしにブーンは戸惑ったような表情を浮かべた。
わたしはブーンに聞く。
「……わたし、何か言った?」
「い、今! クーがツンに乗り移って……」
慌てて何かを言おうとするブーンの言葉はそこで止まり、それからしばらくの沈黙の後、ブーンは小さい声で呟くようにわたしに言った。
「いや、何でもないお。そんなはずは無いんだお……」

(^ω^)
 その夜、わたしはお姉ちゃんの部屋にいた。
「ねぇ、お姉ちゃん――」
ベッドに寝転び、わたしはお姉ちゃんに向かって話し掛ける。
「お姉ちゃんが出てきて、わたしに乗り移ったんだってさ」
わたしはそんな間抜けな事を呟いた。
返事の無いお姉ちゃんにわたしは続けて言う。
「……そんなこと思うなんて、やっぱり、まだみんな悲しみから抜け出せ無いせいなのかなぁ」
あれから二ヶ月、やっと日常が戻ったように見えても、まだみんな心のどこかに割り切れない思いを抱いている。
ブーンが最近変なのもそのせいなんだろうか?
「――でも、当たり前だよね」
わたしはうつ伏せになり、お姉ちゃんを見上げて呟いた。
「だって、お姉ちゃんの死は突然すぎるもん……」
視線の先の話し相手、チェストに立てられた、わたしと二人で撮った「写真の中のお姉ちゃん」はこちらを見て笑っていた。

 今から二ヶ月前、夏を迎える前にお姉ちゃんは死んでしまった。
ある日、具合が悪くなって病院に行くとそのまま入院し、あっという間に死んでしまったお姉ちゃん。
それは、あまりにも突然だった。わたしより2つ年上のお姉ちゃんは、まだ21歳で大学3年生だった。
美人で明るく元気で、人気者だったお姉ちゃん。わたしと全然違ったお姉ちゃん。
 お姉ちゃんとわたしとは、まったくと言っていいほどに似ていなかった。
日本人形みたいな黒髪をストレートに下ろしていたお姉ちゃん。だが、わたしの髪は生まれつき色が薄く少し癖があり、わたしはそれをふたつにまとめている。
身長も高めですらりとしているのにグラマーだったお姉ちゃんに対してわたしは身長は普通だがグラマーとは程遠い所にいる。
メイクや服装の好みもかなり違った。わたしがお姉ちゃんの服を着たり、お姉ちゃんがわたしの服を借りたり等ということは全然無かったし、仮にわたしがお姉ちゃんの服を着ても似合わなくて笑ってしまうだろう。
そして、比較的、似ていると思える目もお姉ちゃんとわたしではその形容のされ方が違った。
お姉ちゃんの目は「意思が強そう」、わたしの目は「気が強そう」。
そう言われてしまうのはきっと、何よりも違うその性格のせいかもしれない。
さっきのブーンに対するみたいに、口をついて出るのはきつい言葉ばかりのわたしに対して、お姉ちゃんはいつでも誰に対してでもその好意を真っ直ぐに伝え、表現した。
『嬉しいよ』
『ありがとう』
『好きだよ』
ストレートにこんな事を言われて悪い気がする人がいるはずが無い。そうしてお姉ちゃんはみんなから愛された。
 そう、――誰からも分け隔て無く愛されたお姉ちゃん。
そのお姉ちゃんが死んでしまった。
お姉ちゃんを失った悲しみにみんなが沈み、誰もがそこから抜け出せないでいた。
時間の経過と共に家の中は今まで通り回り始めたように見えたが、やはりお姉ちゃんがいた時とは何かが違っていた。
そして、それはわたしも一緒だった。
あまりにも早すぎる、そして唐突なお姉ちゃんの死に、わたしは対応出来ていなかった。
その現実を見つめる事が出来ず、わたしはまだそこにお姉ちゃんがいるような気さえしていた。

(^ω^)
 わたしは仰向けになり、天井を見つめる。
「わたしは、どうしたらいいのかなぁ?」
わたしはいつものように、そう聞く。
お姉ちゃんが生きていた頃、わたしはしょっちゅうこの部屋に相談に来ていた。
『お父さんに怒られた』
小さい頃は父親や母親に怒られて、わたしはお姉ちゃんに泣きついた。
『友達と喧嘩しちゃった』
学校ではしょっちゅう友達と喧嘩になり、わたしはお姉ちゃんに泣きついた。
『――好きな人がいるんだけどね』
恋愛相談もした。
 お姉ちゃんはわたしの唯一の理解者で、そして一番信頼出来る相談相手だった。
素直で誰からも愛されたお姉ちゃん。なのに、妹のわたしはその真逆で、誰に対しても素直になれず、ひねくれた言動ばかりとっている。
わたしは自分の言葉に対して返される反応が恐くて、どうしても強気の言葉しか発する事が出来ない。
相手の事が嫌いな訳じゃないのに――、いや、好きであればあるほど、わたしは自分に素直になれず、結果、相手にむごい態度をとってしまう。
伝えたい事は沢山あるのに、何一つ伝えられない。
みんな、そんなわたしに呆れ、最後には離れて行く。きっと、両親でさえ、わたしのそんな性格に呆れ果てているだろう。
でも、お姉ちゃんだけはわたしのそんな性格を理解して、そして助けてくれた。
しかし、筋金入りのひねくれ者であるわたしは、お姉ちゃんの様になりたいと思いながらもお姉ちゃんに対してさえもひどい態度を取ってしまう事があった。
でも、お姉ちゃんの心の大きさに、その言葉に、わたしはいつも撃沈し、そしてますますお姉ちゃんを好きになっていった。
『ツンも、もう少し素直になろうな』
他の人に言われると頭に来るだけのこのアドバイスも、お姉ちゃんからだと全然平気だった。
『うん――』
この時ばかりは素直な気持ちになり、そう返事を返していたわたし。
だけど、未だにこの性格は治らない。
今日もブーンにひどい言い方をしてしまった。
ブーンが好きなのに、それなのに顔を合わせればつい、その気持ちを悟られまいと心に盾を構え、槍の言葉で攻めてしまう。
どうしてお姉ちゃんみたいに出来ないんだろう。
きっと、ブーンもわたしが嫌いに違いない。

「――そう言えば、結局聞けなかったな」
わたしはふと、お姉ちゃんの好きな人が誰か聞きそびれた事を思い出した。
そもそも相談といえばいつもわたしからで、お姉ちゃんがわたしに相談する何ていう事はまったく無かった。
でも一度だけ、お姉ちゃんの恋に関する悩みを聞いた事がある。
わたしは張り切って相談に乗り、興味津々で話を聞いたが、気になるその相手の名前はついに聞けず、それ以降もお姉ちゃんは何だかんだと誤魔化して答を教えてはくれなかった。
そして不公平な事に、その一方でわたしが好きな人はブーンなんだ、と一度も口にした事は無かったが、それでも『相手は誰なんだ?』と聞くお姉ちゃんは全てをお見通しだったように思う。

 何でもお見通しだったお姉ちゃん。いつも、わたしに正しい答をくれたお姉ちゃん。
「ねぇ、お姉ちゃん――」
天井を見つめたまま、わたしは聞いてみる。
「お姉ちゃんだったら、どうする?」
悲しみから抜け出せないみんなを前にして、自分に何が出来るをのかを考えてみる。
でも、わたしに出来る事なんて、何一つ無かった。
「……やっぱり、わたしじゃあダメなんだ」
わたしは呟く。
――どうしてわたしじゃあダメなのか。それは結局、わたしがわたしだからに他ならない。
ふと、ドアを見る。こうしていると今にもお姉ちゃんがドアを開けて入って来そうな気がした。
だけど、やっぱりお姉ちゃんは現れない。
視線をお姉ちゃんの写真に戻して、わたしは声をかける。
「ねぇ、お姉ちゃん、出て来てよ。いつもみたいにわたしを助けてよ――」
そう言ったその時、写真立てがぱたんと倒れて、チェストの裏に落ちてしまった。
「あっ……!」
わたしは慌てて飛び起き、チェストの裏に手を入れて探る。
写真立ては途中で何かにひっかかっていてすぐに手が届いた。
同時に写真立てがひっかかっていたそれが指先に触れる。硬くて四角いそれはハードカバーの本のようだった。
「本……? 何でこんなところに……?」
わたしは写真立てを取り、それからもう一度手を入れてその本の様な物を取り出した。
そして――、まるで隠すように置かれていたそれを開いた事で、「わたしの人生」は終わりに向って歩み出すことになった。

(^ω^)
「内藤、どうだ? 元気にしてるか?」
ツンの部屋に入ると振り向いたツンがそう言った。
――いや、そう言ったのはツンでは無い。
僕の目の前にいる女性、それは確かにツンだった。だけど、その声も話し方も、それはクーだった。
驚きと喜びと恐怖が入り混じった経験した事の無い感情。だけど不思議と、僕は冷静だった。
「――やっぱり、クーなのかお?」
「如何にも」
僕の質問にいつものように平然と答えるクー。
「本当に? 本当にクーなのかお?」
とにかく僕にはもう一度そう聞くしか出来なかった。
「そうだ。――まぁ、疑うのも無理はないがな」
「幽霊、なのかお?」
「まぁ、そんなようなものかな?」
そう言ってツンの顔で微笑むクー。
「どうしたんだお? 何で出て来たんだお?」
「何で、とはご挨拶だな」
僕の質問にクーは言った。
「君達に会いたかったんだよ。――君達も、私に逢いたかっただろう?」
そんなクーらしい物言いをした後にクーは僕を見つめ、改めて聞いて来た。
「それで? 最初の質問に答えてもらってないぞ?」
「な、何だったかお?」
最初の質問? 僕はクーに何を聞かれたんだ?
戸惑う僕をクーが真剣な表情で見つめ、そして聞いた。
「元気にしてるか?」
「う、うん!」
僕はクーに答える
「もちろん、元気だお!」
クーのその真剣な表情が満面の笑みへと変化した。
「良かった。ちょっと心配だったんだ」
クーの笑顔につられ、僕も笑顔でクーに聞く。
「クーは? クーはどうだお?」
僕の質問にクーは声を上げて笑いながら言った。
「私か? 私はご存知のように死んでいるよ」

(^ω^)
「――ツン!」
ブーンが心配そうにわたしを覗き込んでいる。
「あ、ブーン……」
わたしは目の焦点を合わせ、ブーンを見る。
「……あれ? わたし――」
そう呟き、わたしはブーンに聞く。
「わたし、どうしたの?」
ブーンはわたしを見つめたまま困ったように微笑んだ。
そして、ブーンはその困った微笑みのまま、わたしに言った。
「ツン、君は――、クーに乗り移られていたんだよ」

 夜、わたしはお姉ちゃんの部屋でお姉ちゃんの写真に向かっていた。
「お姉ちゃん――。わたし……、お姉ちゃんに乗り移られ……、ちゃんとお姉ちゃんに……」
お姉ちゃんに話し掛けようと思ったのに喉が震えて声が出なくなった。いつの間にか眼からは涙がぼろぼろと零れ、わたしは泣いていた。
――わたしもお姉ちゃんに逢いたかった。お姉ちゃんに会ってそして、どうすればいいのか、わたしはこれでいいのか、全てを教えて欲しかった。

(^ω^)
「やぁ、内藤」
翌日、僕がツンの部屋に入ろうとすると背後から声をかけられた。
声をかけたのはツンだけれど、クーがまた乗り移っていた。
「私の部屋で話をしないか?」
クーはそう言って僕を自分の部屋に招き入れる。
「……クー、本当にクーなのかお?」
クーの部屋に入り、いつものように小さいテーブルの前に座ると僕はクーにそう聞いた。
「昨日も同じ事を聞かれたように思うが?」
そう言うクーに僕はだって、と言い返す。
「ツンが冗談でやってるんじゃないのかお? 何か証拠はあるかお?」
「冗談で出来る事では無いと思うが、証拠? 証拠と言われても……、そうだなー」
クーは考え込む。
「――ああ、そう言えば」
顔を上げ、僕を見ながらクーが言った。
「いつだったか、君が私の部屋に突然入って来た事があったな」
「あ――」
僕はまぬけな声を出した。
「そしてその時、君が見たものを憶えているか?」
「あ、あうあう……」
僕は居心地が悪くなり、出来ればその続きを聞きたくなかった。だが、クーは構わずに話を続ける。
「そう、君が見たのは、着替え中だった私の下着姿だ」
「あ、あれはその……」
必死にクーに謝った記憶が蘇る。
「あの時、君は言ったな。きっと怒られるからツンには内緒にしておいてくれ、と」
確かにあの時、僕はそう言った。
「そして、私はそれを承知した」
クーが僕を真っ直ぐに見て言う。
「どうだ? これでは証拠にならないか?」
僕はそれを聞いて納得した。
確かに、クーは約束した以上、絶対にツンには言わないだろう。そして、ツン以外の他の人にも話すとは思えない。
だとすれば、この話を知っている者は他に無く、この僕の目の前にいるのはクーに他ならなかった。
「それにしても――」
クーが可笑しそうに言う。
「下着姿を見た本人では無く、その妹に怒られる心配をするとは。考えてみればおかしな話だな」
そう言って笑ったクーは少し怒っているようにも見えた。
「ご、ごめんだお」
今一度、僕が謝るとクーは「まぁ、いいさ」と肩をすくめた。
「――さて、信じてもらたところで内藤、君に頼みがある」
クーが真剣な表情で僕を見つめる。
「な、なんだお?」
幽霊になったせいだろうか? 冷気をはらんだその瞳に思わず僕はひるんしまう。
僕をじっと見つめてクーは言った。
「私が毎週、楽しみにしていたドラマ。最後の何話かを死んでしまって観逃したんだ。内藤、録画してただろう? 貸してくれないか?」
――幽霊のくせに意外と俗世的な頼みだった。

(^ω^)
 その夜、ブーンがDVDを持ってわたしの部屋に来た。
「これ、クーに渡しておいてだお。あれ? 渡すっていうのも変かお? えーっと、とにかくクーが観たがってたから、頼むお」
「――ん、そこに置いといて」
わたしは読んでいた本から顔を上げブーンに言う。
「……ねぇ、ツン」
ブーンがDVDを机に置きながらわたしに聞いてきた。
「何?」
「クーはどうして――」
ブーンはしばらく躊躇っていたようだったが、それでもやっぱり聞いて来た。
「どうして、出て来たんだろう?」
「何よ、その聞き方。嬉しく無いの?」
反射的にそう聞き返すわたしにブーンが口篭もる。
「う、嬉しいお。でも――」
そんなブーンを見て、わたしは口を開いた。
「お姉ちゃん――、心残りがあって、それでだよ」
「このドラマかお?」
ブーンが机に置かれたDVDを見ながら言う。
「馬鹿、そんなわけ無いじゃないの」
そう答え、わたしはお姉ちゃんと夏前に交わした会話を思い出していた。

「お姉ちゃん、夏になったらやりたい事ある?」
夏休みを目前にわたしはお姉ちゃんにそんな事を聞いた。その時はもうお姉ちゃんは入院していたのだけれど、だけどそんなに悪い病気だという事をちっとも知らなかったわたしは間もなくやって来る大学に入って最初の夏休みにうきうきしてお姉ちゃんと話をしていた。
わたしの質問にお姉ちゃんは答えた。
だが、その答えは意外なものだった。
「――彼に伝えたかったな。君の事がずっと好きだった、と」
「えええっ――!?」
わたしは驚き、聞き返す。
「お姉ちゃん、好きな人いたの!? 今まで全然そんな事、話さなかったじゃない! 彼って誰!? って言うか――」
そして、もう一つ、疑問を口にする。
「伝えたかった、って何で過去形なの? お姉ちゃんらしく無いじゃない」
お姉ちゃんは何故か微笑みながらわたしを見つめ、言った。
「彼を好きな子が他にいるんだよ」
「そんなの関係無いよ!」
咄嗟に言い返すわたしにお姉ちゃんは続けて言う。
「それにきっと、彼もその子のことが好きなんだと思う」
「そんな事無いよ!」
わたしは初めて見る弱気なおねえちゃんに必死でアドバイスらしき事を試みた。
「ダメだよ諦めちゃ。お姉ちゃんなら大丈夫だよ。むしろ、お姉ちゃんがダメなら、一体どこの誰が大丈夫だっていうのよ? お姉ちゃんに敵うひとなんてこの世にいないよ! それに――」
そうやって何の解決にもならないアドバイスを言うしか出来ない自分がちょっと情けなくなった頃、お姉ちゃんは優しく微笑んでわたしに言った。
「ありがとう、ツン」
「お姉ちゃん――」
そうして、お姉ちゃんはわたしの頭をなでてくれて、何も知らなかった愚かなわたしはお姉ちゃんに寄りかかり甘えた。

「――で?」
「え?」
お姉ちゃんの思い出からブーンの言葉で連れ戻される。
「な、何?」
戸惑うわたしにブーンが聞いて来る。
「クーの心残りって何なんだお?」
「それは――」
わたしは口を開き――、それから口をつぐんだ。
「教えない」
「お……?」
「いつか――」
「いつか?」
わたしは本に視線を戻し、ブーンを見ずに言った。
「――いつかお姉ちゃんが言ってくれるから、それまで待ちなさいよ」

(^ω^)
 クーはそれからもたまに現れるようになり、僕はすっかりそれに慣れていた。
クーは現れると大抵、自分の部屋に行った。やはり、そこが一番落ち着くのだろうか。
そんなある日、僕はクーに聞いた。
「クー、ツンにも会いたいんじゃないかお?」
「――え?」
クーは意外な事を聞かれたかのように驚いた顔をし、僕を見つめ返す。
「で、でも――」
困ったような、少し悲しいような表情でクーは言う。
「私はそのツンに乗り移っている訳だし……。どうしろというのだ」
「大丈夫だお!」
僕は自身満々に答える。
「僕の身体に乗り移っていいお!」
その瞬間、クーが真っ赤になった。
「わっ――、私に男である君の身体に入れと言うのか!?」
そう言って、赤くなったまま俯くクー。
「そ、そういう言い方すると何だか……」
言われてみれば、確かに何だかまずい気もした。映画や小説や漫画でよくある男女の身体の入れ替わり。そして訪れるお約束の展開……。僕もそれを想像し赤くなってしまった。
お互いに赤くなってうつむいたまま、無言になってしまった。
「――ま、まぁ。気持ちだけはもらっておこう」
気まずい静寂を打ち破るようにクーがそう切り出したが、やはり静寂は終わらない。
「――と、ところでクー」
何か話題を切り出さなければと僕は必死で話題を探した。
「クーは、いつまでこっちにいるんだお?」
そして、まるでお盆に帰省してきた友人に聞くかのような気軽さでクーにそう聞いた。
「そうだな、君さえ望めばずっとだ」
クーがそう答えた。

(^ω^)
「ずっと?」
僕は聞き返す。
「そう、ずっと」
「そんな事が出来るのかお?」
「ああ、出来るよ」
そう答えるクーに僕は疑問を投げかける。
「そしたら、ツンはどうなっちゃうんだお?」
「さぁ……」
クーは僕を見つめたまま、何でもない事のように答えた。
「二度と目を覚まさないんじゃないのか?」
「そ、そんな……」
その答に僕は驚き、クーに言う。
「半々とかいう訳には……」
だが、クーは僕を見てにやりと笑うと思いついたように言った。
「――そうだな、うん。この身体は私が貰い受ける事にしよう」
「貰い受けるって……」
その冷たい笑顔に僕は背筋が冷たくなった。
「ク、クーどうして……」
「――ただ一つ、それを阻止する方法があるよ」
クーが僕にそう言った。
「な、何だお?」
即座に聞き返す僕をじっと見つめ、クーが低い声で言った。
「――500円、返してくれたまえ」
「へ?」
突然の事に僕はすっとんきょうな声を出してしまった。そんな僕にクーが補足して言う。
「500円だよ。ほら、いつだったか一緒に本屋に行った時、急に新刊が出ててお金が足りないからと貸しただろう?」
「あ、ああ、あれかお。今返すお」
僕は財布から500円玉を取り出し、クーに渡す。
「良かった良かった。これが心残りだったんだ。これを取り返すまでは死んでも死に切れなかったからな。これで成仏できる」
500円を受け取ったクーはそう言って笑った。
「あ、あのさ、クー?」
「ん? 何だ?」
「さっきの、ツンを乗っ取るって……」
おずおずと聞く僕にクーが笑って言う。
「ああ、冗談だ。君の言葉にふと思い付いただけだ」
その笑顔はいつもの優しいクーの笑顔で僕はそれを見てほっとした。
――まったく、クーの冗談は心臓に悪い。これでは僕が先に成仏してしまう。

(^ω^)
 もちろん、クーは500円を受け取っても成仏したりはしなかった。
そして、いつしかクーはクーの両親の前にも現れ始めた。
当然の様に二人共、僕とツンの冗談だと疑ったが、それが冗談にするような内容じゃない事と、僕と同じように自分とクー以外には知らない話をされ、やがて納得した。
「いただきます」
「いただきますですお」
「めしあがれ」
ある日、僕は久しぶりにクーの家でお昼ご飯をご馳走になった。
食卓には僕とクーになっているツン、それからクーの母親。
食べ初めてすぐにクーが言った。
「お母さん、相変わらず味付けが濃いね」
「まったくもう、クーったら。相変わらずそんな事まで素直に言うなのね」
そう言いながらもクーの母親は嬉しそうだった。
そして、クーが続けて言う。
「でも美味しいよ。ねぇ、お母さん――」
「なに?」
「――いつも、ありがとう」
その言葉にクーの母親ははらはらと涙を零した。
「ほら、泣かないで」
クーが席を立ち、やさしく母親の肩を抱いた。
そうして「泣きながら食べたら余計に塩味が濃くなっちゃうよ」と笑う。
クーの母親もそれにつられて笑い、それからはみんなで笑いながら食事をした。
それは、以前にも良く見た風景だった。

(^ω^)
 その夜、自分の部屋からリビングに降りて行くと父親と母親がお姉ちゃんの話をしていた。
楽しそうな笑い声が聞こえる。それは以前の日常だった。
それを聞き、わたしは両親が以前に戻ったみたいで嬉しかったが、それと同時に少し恐くなった。
――時々、ふと思う。
死んだのがわたしだったら、この日常は消える事はなかったろうと。
だったら、わたしが死ねば良かったんじゃないか、と。
だが、死んでしまったのはお姉ちゃんであり、その現実はわたしにはどうしようも無かった。
「――ふぅ」
わたしは小さく深呼吸してリビングのドアを開ける。
「お腹空いた〜。お母さん、何か無い?」
あら、ツン。と母親が振り返る。
「さっき夕飯食べたばかりじゃない」
「うん、でも食べたのはお姉ちゃんでしょ? お姉ちゃん、小食だから足りなくて」
そう言って笑うと母親は小さいおにぎりを作ってくれた。
わたしはダイニングテーブルにつき、それを食べる。
「――美味しい。お母さん、ありがとう」
わたしの呟きを聞いて、母親が言う。
「あらあら、そんなクーみたいなこと言っちゃってこの子は」
「えー、さすがにこれぐらいは言ってたんじゃない?」
わたしは軽く頬を膨らましながらそう言い返す。
「――ねぇ、ところでさ」
おにぎりを食べながら、わたしは両親に聞いた。
「お姉ちゃん――、どう?」
「そうね、クーは何も変わらずクーのままよ。あなたも知ってるあのクーだわ」
母親が嬉しそうにそう言う。
「そう、良かった――」
わたしはほっとする。
「どうしたの? そんなこと聞いて」
そう聞いて来る母親にわたしは答えた。
「え? ……いや、ほら。わたしは会えないからさ」
「あ、そうね……。あなたは、会えないのね」
「うん」
頷くわたしに母親が少し悲しそうな顔で言った。
「――あなたも甘えたいでしょうにねぇ」
「えっ? そ、そんなこと無い――」
突然の母親の言葉にわたしは驚いて否定する。
「そお? だってあなた、いつもお姉ちゃんにべったり甘えてばかりだったじゃない」
母親が微笑みながら懐かしそうに言う。
「お姉ちゃんも大変だったでしょうねぇ」
「そ、それは――」
わたしは考え、そして答えた。
「……そうだね」
確かに、わたしはいつもお姉ちゃんに甘えてばかりいた。
それでもお姉ちゃんはいつでもお姉ちゃんでいてくれた。時には姉としてわたしの為に何かを譲ってくれる事も多々あった。
母親の言う通り、お姉ちゃんは大変だったに違いない。
もしかして、お姉ちゃんはそんなわたしが鬱陶しかったんじゃないだろうか?
――いや、それどころかそんなわたしの存在そのものに不満を持っていたんじゃないだろうか?

(^ω^)
「内藤、君のために久しぶりにクッキーを作ったよ」
僕の部屋にやって来たクーが、口の開いた紙袋を僕の前に突き出す。
「お、懐かしいお。クーのクッキー、大好きだったお」
僕は紙袋からさっそく一つ取り出し、食べる。
「どうだ? 美味しいか?」
にこにこと僕を見ながら聞くクーに僕は口をもぐもぐさせながら答えた。
「美味しいけど……」
「どうしたんだ?」
クーの顔に不安が広がる。
「何だかクーの味じゃないお」
確かに美味しいのだが以前クーがよく作ってくれたクッキーとは違う味だった。
「……ふむ、確かに違うようだな。やはり身体が違うと出来上がる物も違うのか?」
クーもクッキーを一つ食べながら言う。
「まぁ、仕方が無い。次はもっと美味しく作るさ」
「いや、美味しく無い訳じゃないお。これはこれで美味しいお」
「――そうか。ありがとう」
そう言って、満面の笑みで微笑むクー。
「じゃあ、これは全て君の物だ」
クーが紙袋を僕に差し出す。
「クーは食べないのかお?」
「私はいいんだ」
「じゃあ、ツンに半分残しておくお」
そう言った僕をクーが制止する。
「いや、それは駄目だ」
「ダメって……、どうしてだお?」
驚いて聞き返す僕にクーは言った。
「だって、それは君の為に、君の苦労を労う為に作ったんだ」
「僕の苦労を労う?」
クーの言っている意味が分からなかった。
「そうだ、私がいなくなってから、君もツンの世話で大変だっただろう? だから、これはその苦労を労うためのものだ」
「――ああ」
なるほど、そう言う事か。つまりはクーは姉として妹の遊び相手にお礼をしている訳だ。
何だかとてもクーらしいじゃないか。
「そうかお、じゃあ全部もらっちゃうお」
僕は笑ってそう答え、紙袋を受け取った。
そうして僕は更に何枚かのクッキーをつまむ。
するとその間にクーが独り言のように呟いた。
「……ツンの世話は大変だからな」
そんな事を言うクーに何だか違和感を覚えた。
その言い方は冗談めかした風でも、心配した風でも無く、どちらかといえば、本当にうんざりした様な言い方だった。
だけど、そう呟き、まるでこの部屋に僕なんかいないかの様に独り、窓から外を見るクーは憂鬱そうで、僕は何だか声がかけられなかった。

(^ω^)
 ある日、本屋からの帰り道、途中でブーンに会った。
わたしに気付いたブーンが声をかけてきた。
「あ、丁度良かったお。これからクーの家に行こうと思ったんだお」
「……わたし、ツンだけど」
「それが?」
ブーン言葉に不機嫌に言い返したわたし。だけどブーンはまったく気にしない。
今までは家の事を「ツンの家」と言っていたのにすっかり「クーの家」になっている事にブーンは気付いていない。
そして、馬鹿なわたしはお姉ちゃんに嫉妬する。
「ブーンなんか――」
「お?」
「ブーンなんかお姉ちゃんのクッキー食べ過ぎてお腹でも壊せばいいんだ!」
気が付けばそう怒鳴っていた。
「ツ、ツンったらどうしたんだお?」
ブーンが顔を引きつらせながら言う。
「何か不満があるなら僕に相談していいんだお」
その妙な言い方にわたしは更に腹が立ち、ブーンに言う。
「不満があるなら僕に、じゃなくてあんたが不満その物なのよ!」
「は、ははは。ツンったら上手い事言うお」
尚もそんな事を言うブーン。
「何なのよ! 最近のその妙な態度は!? こないだの映画といい、わたしを馬鹿にしてるの!?」
「ば、馬鹿にしてなんか……」
そしてわたしは口にする。
「やっぱり、お姉ちゃんがいいんでしょ!」
「なっ、何だお、それ!? 訳分かんないお!」
わたしの突然の言葉にブーンは戸惑う。
でもわたしはもう後にも引けず、かと言ってどうしていいかも分からず、ひたすらにブーンに言葉をぶつけるしかなかった。
「ブーンの馬鹿っ!」
そんなわたしの悪口以下の悪口についにブーンも怒って言い返す。
「ば、馬鹿って言う方が馬鹿なんだお! ツンのばーか!」
「うるさいっ! ブーンの馬鹿っ! ばかばかばかー!」
そんな子供みたいな言葉を投げつけ合い、怒りと情けなさで何もかもが嫌になったわたしはブーンを置いて走って家に帰った。

(^ω^)
「すまなかったな、内藤」
「え……? あ、クーかお?」
玄関のドアを開けてくれた直後、僕に謝ったのはクーだった。
「どうしたんだお? 何の事だお?」
聞き返す僕にクーが言う。
「いや、さっき意味も分からずツンに怒鳴られただろ?」
「あ――、うん」
「ツンも反省してる、許してやってくれ」
そう言って頭を下げるクー。
「そんな……、クーが謝る事じゃないお」
僕はクーに笑顔で言う。
「大丈夫、気にしてないお」
僕の言葉にクーが顔を上げる。
「そ、そうか? それは良かった」
「――だって、ツンは大体いつもあんな感じだもん。もう、慣れっこだお!」
僕の言葉にクーの表情が変わったのに僕は気付かず僕は笑って付け足す。
「それにしても、ツンの顔でそうやって殊勝に謝られるとちょっと変な感じだお」
「…………やっぱり、そうなのか?」
クーが俯いたまま言った。
「そ、そうって?」
クーの暗い表情に僕は驚き、どもる。
クーが顔を上げ、僕を見てもう一度聞いた。
「内藤はやっぱり、ツンの性格にうんざりしてるのか?」
その真剣な眼差しに僕は何だか不安になり、クーに聞いた。
「どうしたんだお? クー?」
「何がだ?」
「昨日も変なこと言って……」
あんなに仲が良かった姉妹なのに、まるでそれが全て間違いだったと気付いたかのようにクーはツンを否定する。
「でも内藤、――正直どう思う?」
クーが僕を見上げ、聞いてくる。
「ツンの性格かお? そりゃ、すごく良い、とは言い難いけど……」
「そうだろ。やっぱり――、ツンはダメなんだ」
僕の言葉の途中でクーは諦めたようにそう言い、再び俯いてしまった。
そんなクーを見て僕は困りながらも言った。
「やっぱり変だお。いつもだったらクー、ツンが何かしても『そんな事を言うなんて、かわいいじゃないか』って言ってたお?」
「そ、そんなこと言って――」
驚き、顔を上げるクーに僕は言った。
「言ってたお」
言っていた。確かにクーはそう言っていた。

(^ω^)
 あれはいつだっただろうか。いや、そんな事はしょっちゅうだったけれど、その時、ツンを褒めていたはずの僕はいつのまにかツンに怒鳴られ、怒られていた。
横にいたクーは僕に理不尽な言葉をぶつけるツンに何を言うでも無く、ただ黙って僕達を見ていた。いや、それどころか良く見れば微笑んですらいた。
怒ったツンが部屋を出て行く。
残された僕は大きなため息をついてクーに向き直った。
「何だお、クー。笑って見てるなんてひどいお」
「え? 私、笑っていたか? そうか、すまんすまん」
そう言ってまた笑うクー。さすがの僕もクーに言う。
「僕がツンに怒鳴られてるのがそんなに楽しいのかお?」
「いや、違うんだ」
クーが目を細めて言う。
「――かわいいなと思ってさ」
「かわいい? ツンに怒られる僕がかわいいって言うのかお?」
「……君じゃなくてツンが、だよ」
褒められたと思ってにっこり笑った僕にクーが真顔でそう言った。
恥ずかしさで僕は怒ったふりをして聞き返す。
「……あ、あんな怒鳴って怒るツンの何処がかわいいって言うんだお!?」
「だって、かわいいじゃないか」
クーが再び目を細めて愛しそうに言った。
「ツンはまだまだ子供なんだよ。それにツンのあれは一見、怒っているように見えるが違う。あれは照れと強気の化合物だ。本気で怒っている訳じゃないから、別な要素を加えてやればすぐに溶けてしまうよ」
クーはそんな訳の分からない事を言う。
「じゃ、じゃあ、例えばこんな事を言われたらどうするんだお?」
そう言って僕は自分が良く言われる台詞を選び出し、呼び名を変えてクーに言った。
『お、お姉ちゃんのことなんか、別に何とも思ってないんだからねっ!』
「ああ、それは言われた事があるな」
そう言ってクーは僕をツンに見立てて、真っ直ぐに見つめ、言った。
『でも、わたしはお前が大好きだよ、ツン』
「――――っ!」
強力だった。演技だと知ってなおこの威力。怒っている中でこんな事を言われたら自分が何で怒っていたのか忘れてしまうかもしれない。
「そ、それじゃあ次だお」
言って、僕は次の例を出す。
『べ、別にお姉ちゃんのためじゃないんだからねっ!』
「それも言われた事があるよ。たしかその時返したのはこうだ。『それがわたしの為じゃないとしても、結果お前にやってもらえたのは嬉しいよ』」
「〜〜〜〜っ!」
やっぱりクーは凄い。
「そ、それじゃあもっと根本的なやつだお」
僕は多分、ツンに一番言われているであろう台詞を出す。
『何よ、お姉ちゃんの馬鹿っ!』
「――それは言われた事が無いな」
「えええええっ!?」
「まぁ、とにかく――」
落胆する僕にクーが笑いながら言った。
「それを含めて、そういう時のツンの言葉は全部が全部、本当に思っている事では無いんだよ。あれは攻撃じゃあ無い。むしろあれは相手に弱みを見せまいと、必死になって繰り出している防御なんだよ」
僕を見て、にっこり微笑むクー。
「どうだ? そう考えるとツンのああいう態度もかわいいだろう?」
「…………うーん」
僕は返事が出来なかった。だってそうは言っても、怒鳴られ、怒られる当事者になってしまえばきっとそんな事を思うどころじゃない。
「だめか?」
聞き返すクーに僕は返事をする。
「僕はクーほど心が広くないんだお……」
「そうか……」
答えるクーは残念そうだった。
だけど、この時以来、僕は少しだけツンに怒鳴られても気楽でいられるようになった。

――それなのに、その事を教えてくれたクーがそんな事を言うなんて。
「言ってたお」
そう言う僕にクーは動揺したようだった。
「お、覚えてないが――」
しばらくしてクーは言った。
「それはきっと冗談で言ったんだ……」
そう言われ、僕はそれに何と返事をしていいのか分からず、黙ってしまった。
そして、この日以来、クーはツンの話を避けるようになり、その話題を口にする事は殆どなくなった。

(^ω^)
 クーが現れる頻度は益々増え、一日に何度も現れる事もあった。
そして、それに伴い、ツンの容姿が徐々にクーに近付いていった。
ツインテールをやめて髪をストレートに下ろし、服装もクーの物を着る事が多くなり、多分、メイクもどこか違うんだろう。
違う服装に違うメイク、そして毛先にゆるいウェーブがかかっているものの髪を下ろしたツンは今までのツンとはまったく雰囲気が違っていた。
その姿で見つめられ話されると、時々本当にクーにしか見えなくてどきりとする。
そして、同時に僕は少し恐くなる。
もしかして、クーは以前言った通り、本当にツンの身体を乗っ取るつもりなんじゃないだろか、と。
「――クー、隠し事してないかお?」
僕の質問にクーは「してるよ? それが何か?」とだけ答え、それからは何も語らなかった。

 この先、何かが起こりそうな気がした。けれどだからといって僕は何をどうしていいのか分からなかった。

(^ω^)
「ねぇ、お母さん、さっきアイスがあるって言ってたよね?」
お風呂上りにキッチンへ行き、わたしは母親に聞いた。
「あるわよー。今日、スーパーの特売で買ってきたハーゲンダッツのストロベリー。ツン、あなた、好きだったでしょ?」
意外と楽しみにしていたわたしの気持ちはその言葉で一気に落ち込んでしまい、わたしは母親に言い返した。
「……わたしが好きなのはバニラだよ。ストロベリーが好きって言ってたのはお姉ちゃんでしょ」
「え? あ、そうだっけ……」
覚え違いをしていた母親がわたしに振り返る。
「それに――」
わたしは続けて言う。
「本当はお姉ちゃんだって、ストロベリーよりもクッキー&クリームが好きだったんだよ。でもお母さんが毎回買って来るから、それで――」
そこまで言って――、わたしは急に罪悪感に襲われた。
今更、そんな事を言ってどうなると言うのか。わたしは母親が自分の好みを憶えていてくれなかったという小さな事に腹をたて、ただ八つ当たりしているだけだった。
「ご、ごめんなさい――」
直後、一瞬の沈黙すら恐くてわたしはそう口にした。
「せっかく、わたしが好きだと思って買ってきてくれたのに……」
顔を伏せたまま上目遣いに母親の顔を見上げる。
すると母親は優しくわたしを見つめていてくれた。
「こっちこそごめんね。今度から間違えないでツンにはバニラを買ってくるからね」
「――う、うん」
わたしは何だか面食らってしまい、そう頷くのが精一杯だった。
「あ――、で、でも今日はストロベリーもらうね」
それから慌ててそう言い、わたしは冷蔵庫からストロベリーアイスを取り出すとダイニングテーブルにつき、アイスを食べた。
「うん、美味しい。たまにはストロベリーも悪くないね」
そう言ってわたしは母親を見る。
「そう? 良かった」
母親はわたしを見たまま微笑んだ。
「お母さん――」
「ん?」
わたしは母親から目を逸らし、言った。
「あ――、ありがとう」
そう口にして、わたしはアイスを一口二口と次々と口に放り込む。
「どういたしまして。――ほら、そんなに急いで食べると頭が痛くなるわよ」
母親の言葉を聞きながらもわたしはそっちを向けずにずっとアイスばかりを見つめていた。
「それにしても――」
しばらくして、母親がふぅと息を吐いて言った。
「クーもストロベリー、そんなに好きじゃなかったのね。ほんと、あの子ったら何も言わないんだもん」
「お姉ちゃん、気を使う人だから」
わたしのフォローに母親はわたしを見て言う。
「その点あなたは楽ね。不満な事は全部言ってくれるもの」
そうして笑った。
「なっ、何よそれ!? 褒めてるの? それとも貶してるの?」
もちろん、母親にしてみればそれは冗談だったんだと思う。
でも、笑いながらそう言い返したわたしは、例えそれが褒めているんだとしても、わたしがお姉ちゃんより良い点なんてそれぐらいしか無いんだと気付き、食べているアイスの冷たさを忘れる程に心の中が冷え込んでいった。

(^ω^)
 その後、アイスのせいで喉が渇き、わたしは寝る前に水を飲もうと自分の部屋からリビングに降りた。
リビングからはまた両親がお姉ちゃんの事を話しているのが聞こえた。
二人は最近、わたしがお姉ちゃんに似てきた事を喜んでいるようだった。
――きっと、このまま性格も似てくればいいのに、と思っているだろう。
入りそびれてそのまま立ち聞きをしていると母親が溜め息をつくように言った。
「――このまま、いつまでもクーがいてくれたらいいのに」
母親の言葉に父親が言う。
「でも、ツンが……」
「そう、なのよね」
母親が声のトーンを落とし、そう返す。
それを聞いて、わたしは全身の力が抜け、その場にしゃがみこんでしまった。
「――誰?」
多分、その音が聞こえてしまったのだろう。リビングから母親が声をかけてきた。
わたしはゆっくりドアを開ける。
「……クー?」
開けたドアの向こうで母親が恐る恐るといった感じで聞いてきた。
「ううん、ツンだよ」
「そ、そう。――どうしたの?」
曖昧な笑顔を浮かべて母親がわたしに聞く。
わたしは笑顔を作り、母親に言う。
「さっき食べたアイスのせいで喉が渇いちゃって」
母親がほっとした表情になる。
「そう」
わたしは二人の前を通って冷蔵庫へ行き、コップに水を注ぐと、それをゆっくりと飲んだ。
そして、再び二人の前を通った時、父親がわたしに聞いた。
「もう寝るのか?」
わたしは、うん、と返事をしてリビングのドアまで移動した。
そこで振り返り、わたしは両親に言った。
「お父さん、お母さん、――お休みなさい」
二人はわたしに「おやすみ」と返事を返してくれた。

(^ω^)
「もしもし内藤? ちょっと聞くが私が死ぬ前に読みかけだったあの本の続きは出ていないのか?」
「あ、出てるお。じゃあ、これから持って行くお」
そこにクーがいるのがすっかり日常になっていた夏休みも終わりに近付いたある日、僕はクーからの電話でクーの部屋に行く事になった。
クーの家までほんの数百メートル。
その数百メートルが数キロに思えたのはこのじっとりとまとわりつくような暑さのせいだろう。歩いているだけで汗が吹き出て来た。
この時期にこの暑さとは。本当に夏は終わるのだろうか? そんな疑問が頭に浮かぶ。
だが、道端に転々と落ちている蝉の屍骸が夏の終わりを物語っていた。
――この蝉の中にも魂が還ってきて他の蝉に乗り移られた奴がいたりするんだろうか?
電柱にとまり、無心に鳴く蝉達を見て、そんな事を考えながら僕はクーの家を目指した。
「――いらっしゃい、内藤」
クーの家に着くと、クーは自分の部屋に僕を招き入れ、アイスコーヒーを出してくれた。
「ク、クー。ごめん、その前にタオルか何か借りられるかお?」
僕はじっとりと湿ったシャツを仰ぎながらクーに聞く。
「そこのチェストの一番上の右に入っているから勝手に取ってくれ」
クーは既に僕の持って来た本に夢中になっていて顔も上げずに僕に言った。
「左は下着だ。興味はあるだろうが、決して開けるんじゃないぞ」
「……わ、分かったお」
言われた通り、チェストの右を開けるとそこにはタオルが綺麗に並べられて入っていた。
そして、もう一つ。何故かそこに写真立てが一つ入っていた。
僕はタオルを一つとついでにその写真立てを一緒に取り出した。
それはクーがツンと一緒に映っている写真だった。
借りたタオルで汗を拭きながら僕はクーに言う。
「クー、写真が一緒に入ってたお。引出しを開けた時に落ちて入っちゃったんじゃないかお?」
写真をチェストの上の元あったであろう位置に置きなおした時、クーが本から顔を上げ、僕に言った。
「いや、いいんだ。それはそこに仕舞ってあるんだ。出さないでくれ」
「……え? ど、どうしてだお?」
僕は聞く。
「ツンと一緒に撮った写真の中でこれが一番気に入ってたじゃないかお」
「一番だろうとなんだろうと――」
クーが僕を見つめ、答えた。
「もう、いいんだ」
それっきりクーは何も言わず、また本を読み始めてしまった。
僕にはさっぱり分からなかった。
何故そんな事をするのか。何故ツンとの写真を仕舞い込んだりするのか。
そもそも、仕舞うにしたってどうしてこんな所に? まるで急に嫌になって咄嗟に手近な引き出しに放り込んだような雑なやり方で。
もしかして、何かの願掛けとか恋のおまじないとかなのだろうか?
――いや、そうであって欲しかった。クーがわざわざツンとの写真をそんな風にする理由が他にあって欲しくなかった。
そうだ、そう言えばツンが言ってたじゃないか。クーにはやりたかった事があるって。きっとそれの為だ。
「……ねぇ、クー?」
そうして僕は祈るような気持ちで本を読むクーに聞いた。

(^ω^)
「……ねぇ、クー?」
私を呼ぶ声に私は本から顔を上げ返事をする。
「何だ?」
内藤が私を真っ直ぐに見つめていた。
「――? どうしたんだ? 内藤」
何も言わない内藤に私はもう一度聞き返した。
「――何だお?」
内藤が言った。
「何がだ?」
質問の真意を計りかね、私は内藤にまたも聞き返した。
「心残りって何だお?」
内藤がそう聞いた。
「ツンが、クーには心残りがあって、それでって……」
そう言い、私をじっと見つめる内藤。
「――ああ、そうか。そうだ、当初の目的を見失うところだったよ」
私は本をぱたんと閉じ、改めて内藤に向き直る。
「実は、うっかり最初に言ってしまっているんだがな――」
内藤も私をじっと見つめていた。
そうして私は、生きている間、終に言うことが出来なかった言葉を内藤に伝えた。

「――私は君のことがずっと好きだったんだ」

(^ω^)
「――私は君のことがずっと好きだったんだ」

 クーがそう言った。
そういえば、以前にも言われたような気がする。あれはいつだったっけ? そうだ、クーが最初に出て来た時だ。
あれ? あの時は何て返事をしたっけ? いや、してないっけ? えーっと……。
そんな、意味の無い事を考えていた。
あまりに突然の事に僕の頭は混乱を通り越して、その活動を停止してしまっていた。
「――おかしいな?」
返事もせず、それどころか瞬き一つしない僕にクーが言った。
「な、何がだお?」
聞き返す僕にクーが言う。
「こんなはずじゃあなかったんだが……」
そう言い首を傾げるクー。
「ど、どうしてこーなった?」
疑問系で聞き返す僕にクーが言う。
「そうだ。どうしてだ? すぐにでもオーケーが貰えるものと思っていたが――」
「えっと……、あの……、その……」
僕は再び活動を停止しようとする頭を必死に使って言葉を発する。
「ちょ、ちょっと混乱して……」
ふむ、とクーは顎に手をやる。
「少々唐突だったしな。まぁ、無理もないか」
「だ、だから――」
「だから?」
「へ、返事は、ちょっと待って欲しいお……」
どこかで聞いたようなそんな台詞を言うのが精一杯だった。
「――分かった」
そう言った僕にクーが微笑む。
「じゃあ、とにかく君の返事を待つ事にしよう」
そうしてニッコリと笑い、クーは言った。
「返事はいつでもいいぞ。24時間・365日、いつでもだ」

(^ω^)
 帰り道、僕は頭の中を整理した。
クーは何と言った?
クーは僕を好きだと言った。
それはどういう意味だ?
それはつまりクーは僕に好意を持っていて、それが伝えられなかったのが心残りで出て来たという事だろう。
なるほど、それは分かった。
だけど――、何だろう? この不安は。
心の中に何かひっかかる物があった。
その正体を探るべく、僕はクーの言葉をもう一度、必死で思い返す。
クーは何と言った?
クーはおかしい、と言った。
クーはすぐにオーケーがもらえるものと思った、と言った。
クーは混乱するのも無理は無い、と言った。
クーは返事は待つ、と言った。
そして、クーは返事はいつでもいい、と言った。
そうだ――、クーは返事はいつでもいいと言った。『24時間・365日』。
それはどういう意味だ?
それは――、それはつまり、クーはいつでもそこにいるという事だ。
その時、僕ははっと気付いた。
そういえば、いつからだろう――、僕はここ最近ずっと、ツンに会っていない。
最後に会ったのはいつだ? それすら思い出せなかった。
もしかして――、もしかしてクーはツンを……。
自分の鼓動が速くなっているのに気付いた。
こんな時、僕は自分が世界に置き去りにされているような気分になる。
 風が強くなってきていた。
そういえば、台風が近付いていると天気予報で言っていた。
明日には上陸するかもしれないと。
僕は帰宅する足取りを早めた。
風に押され、雲が次々と空を流れて行く。時々、夕暮れのグラデーションの中を真っ黒な影になった雲が流れた。
黒い塊となった雲はまるで空にぱっくりと口を開けた底なしの深い穴のようだった。
そして、僕の心にもその穴のように深く真っ暗な不安が口を開けて僕を取り込もうとしていた。

(^ω^)
「外はすごい風だお」
「――それで? 返事はいつ貰えるのかな?」
翌日、僕が部屋に入るや否やクーがそう聞いて来た。
クーはいつもみたいに勉強机の椅子に座り、その椅子をくるりとこちらに回して部屋の入り口に立つ僕を見やる。
「――その前に、クーに聞きたい事があるお」
僕はクーを見つめ返し、言った。
クーの背後にある窓から見える空は近付いた台風のせいでどんよりとして今にも雨が降り出しそうで、木は既に吹き始めていた風で大きく揺れていた。
「聞きたい事? ――何だ?」
クーはそう聞いて、それから「ははぁ」と納得したように頷く。
「なるほど、心配なのだな?」
「――そうだお」
クーは僕が不安を感じている事を承知していたらしい。そしてクーはにっこりと微笑むと続けて言った。
「大丈夫だ。君が私にオーケーを出したって君をあの世に連れて行ったりはしない」
「……え?」
クーが何を言っているのか分からずに僕は聞き返す。でもクーは話を続ける。
「ちなみに、君の返事を聞いて私が満足して成仏して消えてしまったりもしないぞ」
どうやらクーは全然違う話をしているようだ。
「そうじゃなくて――」
「違うのか? よくあるじゃないか、そういう怪談が。あ、それから言っておくが、最初は清い交際だぞ? まぁ、手を握るぐらいは今からでもやってやってもいいが――」
止め処なく話を続けようとするクー。その背後の空はまるで僕の不安を代弁するかのように雲がちりじりに流れ飛ぶ。
「クー。ねぇ、クー!」
降り始めた雨が窓を流れ、一気に暗くなってきた部屋の中で僕は語気を荒げてクーを呼んだ。
「――何だ?」
やっと話を止めたクー。僕は心を落ち着かせてクーに聞く。
「最近、僕はツンに会ってないんだけど、どうかし――」
「――ああ、言っていなかったな」
僕の言葉にかぶせるようにクーは言った。
「実はな、内藤」
暗い部屋で窓を背にしたクーの顔は逆光になりよく見えなかったが、クーは一瞬、僕から目を逸らしたように見えた。
そして、それからもう一度改めて僕を真っ直ぐに見つめ、クーは言った。
「――この身体はもう私のものなのだ」
「なっ――?」
息が、止まった。
部屋の中で音を発するものは無かった。だが、外からは風の音がごうごうと響き、雨が激しく窓を叩いた。
「それは……、どういう……」意味だと聞こうと思った時、クーが言った。
「ツンはもう二度と目を覚まさない」
そして、その暗さで今や完全にシルエットだけしか見えなくなったクーが宣言した。
「この肉体は残るが、ツンという存在はこの世から消えて無くなる――」

(^ω^)
『――この身体はもう私のものなのだ』

そう言った私の言葉に内藤は驚き、目を見開いたまま私を見続ける。
そして私はそんな彼を見ながら、心の中で静かに伝えた。

「さよなら、ブーン」と――。

私――わたしは途切れ途切れに言葉を発するブーンを真っ直ぐ見つめ、続けて言う。

『ツンはもう二度と目を覚まさない』

わたしは決心していた。
これからずっと、わたしはお姉ちゃんの代わりに、お姉ちゃんとして生きていく、と。

『この肉体は残るが――』

驚くブーンは今度はぽかんと口を開けたまま何も言えずにただわたしを見続ける。
そしてわたしは最後の言葉をブーンに告げた。

『ツンという存在はこの世から消えて無くなる――』

そう。未来永劫、わたし――ツンがこの世に現れる事はもう無い。

(^ω^)
 死んだお姉ちゃんがわたしに乗り移った。
――それは全てわたしの作った嘘だ。
わたしはずっとお姉ちゃんに乗り移られたふりをしていたにすぎない。

 最初の一言は無意識だった。
あの時、わたしはただお姉ちゃんと交わした会話を思い出し、その時のお姉ちゃんの言葉を口に出して呟いただけだった。
だが、その言葉にブーンが反応した。
 そしてその日の夜、わたしの行動を決定付ける事があった。
わたしはお姉ちゃんの部屋で偶然にお姉ちゃんの日記を見つけたのだ。
 お姉ちゃんの日記。そこにはお姉ちゃんの全てが書き記されていた。いつものお姉ちゃんの丁寧な字で、一日も欠かす事無くありとあらゆる事が書かれていた。
毎日の行動、楽しかった事、悩み、ブーンに下着姿を見られた事、母親との秘密の約束、そして――お姉ちゃんが好きだった人の事。
そこに書かれた名前を見てわたしはショックを受けた。
お姉ちゃんの想い人。その人の名前、『内藤』。
そして、それを見たわたしは自分の愚かさを呪った。
お姉ちゃんは「彼に伝えたかったな」と言った。それはお姉ちゃんは想いを伝えないと決めていたという事だ。
何でもお見通しだったお姉ちゃん。お姉ちゃんはわたしがブーンを好きなのを知っていて、それでわたしに遠慮して何も言わない決意をしたに違いない。
そうしてお姉ちゃんは死んでしまった。その想いを胸に秘めたまま。
――伝えられなかったお姉ちゃんの想い。
わたしは自分のせいで伝えられなかったその想いをお姉ちゃんに代わって伝えさせてあげたかった。
それが、わたしに出来る唯一の恩返しだった。
 そうしてわたしはお姉ちゃんになりすました。
日記の内容をうまく使い、みんなを信用させる事も出来た。
 でも、そうしてお姉ちゃんとして生きていくうちにわたしは気付いてしまった。
みんながどれだけお姉ちゃんを必要としているかを。そして、自分がどれだけみんなに迷惑をかけているのか、自分がいかに最低な人間なのかを。
そして思う。やっぱりお姉ちゃんは生きるべきで、死ぬべきはわたしだった、と。
きっとお姉ちゃんはそんな事を言ったら怒るだろう。
でも、そのお姉ちゃんが死んでしまったのだ。だったら、そこに迷いがあるはずがない。
そもそも、間違っている。お姉ちゃんが死んでしまうなんて間違ってる。
お姉ちゃんみたいに美人で聡明で、何でも出来て、みんなに必要とされる人間がいなくなるなんて間違っている。
それなのに自分みたいな人間がここにいるなんて間違っている。
どちらかが消えなければいけないのなら、それは間違い無く自分の方だ。
わたしにお姉ちゃん以上の存在価値なんてあるわけないのだ。
そう思った時、わたしはかつて口にした言葉を思い出した。
『この身体は私が貰い受ける事にしよう』
そして、その言葉は正解だったんだと気付いた。
わたしが消えて、お姉ちゃんがもう一度生きるべきなんだ。
例えそれが嘘だとしても、みんな、――それを望むはずだ。

(^ω^)
 真っ直ぐに、わたしを見つめるブーンの瞳。
その瞳はこんなにもわたしの心を揺り動かす。
でも、それに負ける訳にはいかない。わたしは決めたのだ。わたしは全身全霊、ブーンを見つめ返す。
その時、ブーンがわたしを見つめたまま、厳しい声で言った。
「そんなのはダメだ。――ツン――を、」
そこで、一旦言葉を区切り、それから今度は柔らかい声でブーンはわたしに続きを言った。

「――ツンを返してほしいお」

わたしは驚き、聞き返す。
「何故!? どうして!? ツンなんかいなくなったって何の問題も無いだろう!?」
だが、そんなわたしにブーンは静かに口を開いた。
「――確かに、ツンはひねくれ者でわがままで口も悪いしすぐ怒るしなにかと自分勝手だけど」
あらゆる悪口を並べてわたしを形容するブーン。
「だけど、だけどそれでも――」
「だけど? それでも? それでも何だって言うんだ!?」
ひねくれ者でわがままで口も悪いしすぐ怒るしなにかと自分勝手、そんなわたしに何があるというのか?
怒ったように聞き返すわたしにブーンは言った。
「それでも――、そんなツンでも、僕には、僕達には必要なんだお」

「――うわあぁぁぁぁぁぁん!」
気が付けば、わたしは大声をあげて泣いていた。
ギリギリで保っていたわたしの心がブーンのその一言で大きく揺らいでしまった。
ブーンの優しさが好きだった、でも今はその優しさが憎かった。
どうしてわたしの決心を壊そうとするのか。みんなの為に、みんなが望むお姉ちゃんになって生きていこうと思ったのに、何故ここまで来て邪魔をするのか。
「ツ、ツン!? ツンに戻ったのかお!?」
突如泣き出したわたしに、ブーンはわたしが乗り移っていたお姉ちゃんからわたしに戻ったと思ったらしい。
そして、泣き声が聞こえたのだろう、階下からは母親が上がって来た。
「――どうしたの?」
ドアを開け、そう尋ねる母親にわたしは泣きながら言う。
「お母さん――。ごめんね、待ってて。すぐに、すぐにお姉ちゃんと入れ替わるから――」
母親はわたしがどうして謝っているのか分からなかったと思う。
でも、それなのに母親は泣いているわたしをふわりと優しく抱きしめ、まるで子供をあやすようにわたしに言った。
「――いいのよ、ツン」
「どうして!? だって、だってみんなはお姉ちゃんが――」
母親を見上げ、流れる涙を拭きもしないでわたしは聞いた。
母親が微笑みながら、でも悲しそうな表情でわたしに言う。
「こないだね。お父さんと話してたの。このままずっとクーがいたら嬉しいけど、でもそれじゃあツンが可哀想だって」
「でも、でも悲しいでしょ!? お姉ちゃんがいないとみんな悲しいでしょ!?」
わたしは即座にそう聞き返す。
「そうね、とても悲しいわ」
母親が頷く。
「だから、だからわたしは――」
その腕にしがみつき、そう言いかけたわたしの言葉を母親は「でもね」と止めた。
「――悲しいけれど、寂しくは無いわ」
そうして母親はわたしを見て微笑みながら言った。
「だってツン、あなたがいるもの――」
その言葉に驚き、わたしは戸惑いながら言い返す。
「で、でもわたし――、お姉ちゃんみたいに素直じゃないし、それに、それに――」
だが、そんなわたしに母親はわたしの頭をなでながら言う。
「あなた最近、とても素直だったじゃないの」
そして、母親がわたしを柔らかく見つめて言った。
「それにね、ツン。――あなたはあなた。お姉ちゃんと違ったっていいのよ」
全ての覚悟を決めていたはずのわたしの心は脆くも崩れ落ちた。
わたしは母親にしがみつき、大声を上げて泣き始めた。
「お母さんっ、お母さんっ――! お姉ちゃん! お姉ちゃん――!」
――その時、わたしは初めてお姉ちゃんの死という現実を見つめた気がする。
そうしてわたしは、子供の様に母親に抱きかかえられたまま、体中の水分が無くなってしまうのではないかというほどに泣き続けた。

(^ω^)
 ――これが、僕がこの夏に体験した怪談話。
 
 その日を最後に、クーは僕達の前に現れなくなった。
やっぱり、僕がクーの告白を断った形になってしまったせいだろうか?
でも、あの時僕はもう自分が何を言ったのかも憶えて無いほど無我夢中で、だから多分、間違ってはいなかったと思う。
そして、クーもそれを分かってくれると思う。
 それにしてもクーの告白には驚かされた。
あの後ツンに、もしかしてあの告白はクーの冗談だったのかと聞いてみた。
するとツンは「本当よ。――色んな意味でね」と言った。
その時のツンの表情に僕はどきっとした。
――あれから、ツンは急に大人になったように思える。
行動が落ち着き、あんまり怒鳴ったりしなくなったし、何よりも素直になって来た。
髪型や服装もクーに乗り移られていた時のままで元に戻しはしなかった。
 でも、その事で僕は少し困っていた。
実は、クーがいなくなってしまった時、僕は不安になった。
いつも三人でいた僕達。しかし、このクーの死をきっかけに僕達はバラバラになってしまうのではないか。いつか、僕はツンとも一緒にいられなくなってしまうんじゃないか、そんな気がしたのだ。
そして、そう思った時に僕は気付いてしまった。
自分があんな扱いを受けながらも、どうしようもなくツンに惹かれているという事に。
 だから僕は努力する事にした。恐れている事態にならないよう、僕達二人がこれからもずっと一緒にいられる関係になれるよう、僕は大人になろうとした。
今まで年上のクーに甘えっぱなしだった僕達。でも、これからはいなくなってしまったクーに代わって僕がツンを引っ張っていかないといけない。これから先、僕はツンにとって頼れる、甘えられる相手にならないといけない。
そんな訳で僕は知的な映画で大人な自分をアピールしたり、ツンの暴言にも落ち着いて対処しようと頑張った。
ちなみに最近の課題は海外の詩集だ。やっぱり大人たるもの、海外詩集のひとつも読んでおかねばならない。
こうして、時には何故か逆にもっとツンを怒らせたりもしたが、最近は多少その効果が出て来たように思えていた。
――それなのに。
僕は小さく溜め息をつく。
せっかくいい感じで大人っぽくなってきたのに、ここにきて、何だかツンに一気に追い抜かれてしまったようで、――これから挽回するのは大変そうだ。

 僕は玄関を出て、ツンの家に向って歩き始める。
空はもうすっかり秋模様で、太陽は熱いけれど、風はひんやりとしていた。
僕はこれから会うツンの姿を思い浮かべる。
クーに似ているけれど、やっぱりどこか少しクーとは違う、大人になったツン。
今日は僕はクーが観ていたドラマの続きを持ってきていた。ツンがわたしも気になる、と言いだしたので二人で観る事にしたのだ。
でもこのドラマ、最後がちょっと拍子抜けで、以前のツンなら思わず怒り出しただろう。
だけど――、今のツンはどうだろう? 怒るかもしれないし、怒らないかも知れない。
気が付けば、そんな事を少し楽しみにしている僕がいた。
子供っぽさと大人っぽさが同居している今のツンはくるくると表情を変え、それがとても魅力的だ。
僕は空高くに引かれた一本の飛行機雲の更に上の空を見上げて思う。
きっとクーも、あっちからそんな少し大人になったツンを見て、嬉しく思っているに違いない――。

(^ω^)
 拝啓 お姉ちゃん。
そちらはどうですか? こっちはこのあいだの台風が一気に夏を連れて行ってしまったみたいでもう夕方になると少し肌寒いくらいです。

 さて。ここ、お姉ちゃんの日記の最後のページにお姉ちゃん宛ての手紙を書いてみました。
何だかここに書いたら読んでもらえるような気がしたので。

 まずはお姉ちゃん、ごめんなさい。
考えてみれば、お姉ちゃんを悪者みたいにしちゃったね。
でも、実際には誰もそう思っていないところがお姉ちゃんのすごいところです。
これがわたしだったら、きっと今頃悪霊のように言われているでしょう。
やっぱり日頃の行いの結果ですね。
わたしもそうなれるよう、お姉ちゃんに近づけるよう、今まで以上に頑張ります。
お母さんはああ言ってくれたけれど、何よりも自分がこの性格に愛想をつかしてるんだしね。
 あれから、真剣にこの性格を治そうと頑張っていて、最近はけっこう良い感じだと思うんだ。
実はね、お姉ちゃんのふりをしているうちに、ちょっと素直になるコツを掴んだみたい。
でもね、ブーンったらわたしが素直だとちょっと不気味って言うのよ! 失礼でしょ? さすがにその時は怒鳴りつけてやったわよ。
そして、そのブーンは相変わらず変です。いや、前にも輪をかけて変です。最近は海外の詩集なんか常備してるのよ? 一体、何がしたいんだろう?
そういえばあいつ、中学二年生の時と高校二年生の時も少し変だったけど、今回は1年早くそれになったのかしら。

 そうそう、ブーンと言えば、お姉ちゃんに一つ質問がありました。
あの時、わたしがお姉ちゃんになる事を諦めたきっかけになったあの台詞。
あれをブーンに言わせたのはもしかしてお姉ちゃん?
だってあれ、言い方がブーンっぽく無かったし、それによく思い出してみるとわたしの名前を呼んでたような気がするんだよね。 うまく誤魔化したつもりかも知れないけれど、わたしにはお見通しよ?
それで、ブーンは今でもあれがわたしの芝居だったって気付いて無いし、あそこでわたしがお姉ちゃんじゃないって知っているのはお姉ちゃんだけだもん。
となると、あれはやっぱりお姉ちゃんがブーンに乗り移って言ってくれたんじゃないかな、と思うのです。
お姉ちゃん、わたしのせいでゆっくり天国で休んでもいられなかったんでしょ? ごめんね。
ご心配おかけしました。
でも、わたしはもう大丈夫。
今はもうお姉ちゃんの代わりに自分がいなくなればよかったなんて言わないよ。
わたし、子供みたいに拗ねてただけだった。馬鹿だったね。でも、みんなのおかげでわたしは自分もここにいていいんだと安心出来るようになりました。
これから、わたしは強く生きていきます。
お姉ちゃんの分もね。
そして、お姉ちゃんの出来なかった事も、きっとわたしがやってみせるから、だから、もし困った事になった時には力を貸してね?
うーん、でもやっぱり、ブーンへの告白はまだ当分先かな。もうちょっと、自分に自信が持ててからにします。
あ、でももし、ブーンの方から付き合って欲しいって言うんだったら、その時は色よい返事をしてあげてもいいかな。
あっと、いけない。これがだめなのよね。反省反省。

 ねぇ、お姉ちゃん。
わたしはお姉ちゃんが大好きだよ。
わたしはお姉ちゃんがいてくれて、お姉ちゃんがわたしのお姉ちゃんで本当に良かったと思ってるよ。
お姉ちゃんがいなくなっちゃったのは悲しいけど、それでもお姉ちゃんの想い出は無くならないし、それに、いつになるかは分からないけど、いつかはわたしもそっちに行くんだし。
わたしはこれからもずっとお姉ちゃんの妹です。
だからお姉ちゃん、また会おうね。
あ、でもその時はわたしがそっちに行った時の年齢じゃなくて今の、お姉ちゃんの妹でいられる年齢まで戻してもらえるといいなぁ。
では、お姉ちゃん、待っててね。再会を楽しみにしています。
その日まで、お元気で。

                      ツン


2010.9.20掲載


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